DW-1に陸軍、元帥、イタリアが動きを見せる。
濃霧で目の前数メートルすら見渡せない海の上で、彼女の持つ通信機から騒がしく女性の声が響き渡っている
『第一艦隊、応答せよ! 第一艦隊! 一体何があったの!? 状況報告を求めます!』
「……あ、こ、こちら、第一艦隊旗艦……私達は深海棲艦の主力艦隊に遭遇し、砲雷撃戦を開始していた。しかし、なんだったんだ、あれは……」
『どういうこと!? 説明を求めます!』
旗艦らしき艦娘は目の前で起こった現象が信じられないといった様子で頭を抱えながら覚束ない口調で報告を続けた。
「あれは、恐らくは、別の艦隊? 数十名にも及ぶ艦娘らしき船影が横からあっという間に敵主力艦隊を撃滅し、再び霧の中に消えていった……」
『付近に別の艦隊が? しかも数十名? そんな大規模艦隊の情報などどこにもあがってはないなはず……』
「そういえば、一瞬、陸軍の軍服が見えた気が……」
『どうしました? 何か言いましたか?』
「い、や、なんでもない。艦隊、これより帰投する」
☆
「ふぁあ~、ねむてぇ。よぉ、大和、おはよーっす」
「あ、やっと起きて来たんですね、天龍。もう皆とっくに朝ごはん食べ終わってますよ?」
「仕方ねぇだろ、俺ぁ朝弱いんだよ」
再び大きなあくびをしながら天龍は席に着く。すぐに湯気をたてた白米とみそ汁、鮭の塩焼きが運ばれてくる。
「お、今日の朝食当番大和か? すげぇ美味そうじゃん」
「いえ、今日は龍田です」
「天龍ちゃん好みの少ししょっぱめのお味噌汁よぉ~」
「お、いいねぇ」
と、天龍は顔をほころばせながら椀を持ち上げてみそ汁を啜り、幸せそうにため息をつく。
「うめぇ」
「でしょ~?」
「龍田もかなり料理うまいと思う」
「ふつーに大和に匹敵するレベルで美味しいわよね」
「そんなことないわよぉ~」
磯風と瑞鳳が横から口を挟んでくる。それに龍田は笑って謙遜してみせる。その風景を横目で見ていたプリンツが嬉しそうに声をあげる。
「それにしても龍田も結構馴染んできたよね!」
「ほんとにな」
「まぁ、もうあれから三週間弱経ってるし、ねぇ」
「龍田は昔から人に溶け込むっつうのか、なんというかそういうの上手かったよな」
「私、この鎮守府凄く気に入ったわぁ~。ずっと居たいくらい」
そんな談話を楽しんでいると、食堂の扉が開き、真っ白な軍服と提督帽を被った少女が入ってくる。
「よぉ、提督代理。おはようさん」
「天龍、朝は皆揃って食べようって決まりにしたわよね? 何回目の遅刻よ。今度遅刻したら営倉送りよ」
「あらあら、随分提督ぶりが板についてきたじゃない、矢矧?」
悪戯っぽい笑みを見せる瑞鳳に、少し恥ずかしそうに咳払いをする矢矧。
提督が元帥に招集されてこの島を出たのは二週間以上前のことだ。その際、矢矧は提督から提督代理の任を受けていた。
現在、この七丈島鎮守府の提督は矢矧ということになっている。
「とにかく! 提督がいない間は私がこの鎮守府の最高責任者になったんだから、あなた達のことはこれまで以上にしっかり管理していくわよ! 特に天龍!」
「くそ、提督早く帰ってこねぇかな」
「提督に目を付けられちゃって大変ねぇ、天龍ちゃん」
今日まで、七丈島鎮守府は何事もなくいつも通り平和にやっていた。
「あ、今日は夜、伊良湖さんの所にお呼ばれしてるのよぉ、だから皆で飲みに行きましょう~?」
「お、いいですね!」
「私は、執務があるから……」
「何ノリ悪いこと言ってんのよ、提督代理! どうせ提督いない分仕事も捗ってるんだから余裕あるでしょ? 飲むわよ!」
「まぁ、確かに余裕はあるけれど……」
まるで普段は提督が足を引っ張ってるかのような言いぐさである。
しかし、誰からも否定の声があがらないのが悲しいところである。
「じゃ、決定ね。あ、天龍ちゃん、朝ごはん食べ終わったら一緒に商店街の方までいかない? 昨日福引券もらったのよぉ~」
「お前、めちゃくちゃ島に馴染んでんな」
「そうかしらぁ~? この島の人達良い人ばかりだからそのせいかもしれないわねぇ」
「あ、福引券、私も溜まってるので一緒に行きたいです!」
「お姉さまが行くなら私が行かない理由はない!」
「じゃあ、大和とプリンツも一緒ねぇ」
ちなみに瑞鳳と磯風、矢矧はそれぞれデートとバイト、執務で断られてしまった。
☆
「あ、天龍ちゃん、見てあのお魚すごく活きが良いわぁ。お値段もお手頃だし、買っていこうかしらぁ」
「今日買っても夜は伊良湖のとこだろ? 一日置いたら鮮度落ちねぇ?」
「しっかり冷蔵しておけば大丈夫よぉ」
福引会場まで商店街を見て回る天龍と龍田を一歩引いたところから観察している私、大和は龍田の馴染みっぷりに驚くと同時に、仲睦まじい二人につい笑顔がでてしまっていた。
「あの二人、なんだか夫婦みたいですね」
「私達も負けていられませんね、お姉さま!」
「そういう話ではなく」
プリンツは相変わらずこんな調子だ。犬見艦隊との戦いの後、少し私と距離をとっているかのような様子があったように思っていたのだが、きっと私の気のせいだったのだろう。
「お姉さま! あれが福引会場じゃないですか?」
「ああ、凄い行列ですね」
プリンツが指さす先には買い物袋を提げたおばさん達が長蛇の列を作っており、その先にはよく見る、六角形の木製の箱を回転させて玉を出す抽選器、通称ガラガラが置いてあった。
ちなみに後で瑞鳳にあれの名前を聞いてみた所、新井式回転抽選器などという名前らしい。
特に知ったところで何の感動もなかったのが悲しいところだ。
「じゃあ、あそこの最後尾に並びましょうか」
「はい!」
「よっしゃ、一等当てるぜ!」
「いや、狙うなら三等のお米券よぉ」
「堅実ですね」
四人で列の最後尾まで向かったその時、
「きゃっ!?」
「龍田!?」
大柄な男がぶつかってきて、龍田の身体が横によろめく。
ぶつかった男はジロリと龍田を見ると何も言わずに立ち去ろうとする。その横柄な態度に私が文句の一つでも言ってやろうと口を開くより早く、天龍の激昂が商店街に響き渡った。
「おい、てめぇ! ぶつかっといて何の言葉もなしかよ!」
「天龍ちゃん、いいのよ、私も少し不注意だったわ」
「…………」
男は足を止めてこちらに向き直る。その顔はあからさまに苛立たし気に皺が寄っていた。
しかし、そんな男の表情に臆することなく天龍は続ける。
「おう、なんとか言え!」
「……小娘。この軍服が見えんのか?」
「あ?」
見れば、彼の着ている服は黒の外套で多少隠されているが、その深緑に茶が混じったようなカーキ色の服は陸軍の軍服に相違なかった。
私は何故陸軍がこの島にいるかよりも、とんでもない相手に喧嘩をふっかけてしまったことへの後悔の方の念が強かった。
しかし、それでも天龍は一切退かない。
「軍人様だったら人にぶつかっても謝んなくてもいいってか?」
「口の利き方のなってない小娘だ」
みるみるうちに険悪なムードが漂う。このままでは喧嘩にでもなりそうな空気だ。しかし、私達罪艦にはスタンリングがあり、矢矧の許可なく危害を加えることはできない。そうなれば、どう考えても天龍が危ない。
それに、艦娘と陸軍兵士が喧嘩騒動などという話になれば、こちらにどんな影響があるか計り知れない。
周りの人々もどうにか二人を止めようと仲介に入ろうとしてくれているが、流石に気圧されて誰も声すらかけられない。
もうどちらかから手が出てもおかしくない。そう思った瞬間だった。
「――もぉ、暴力は駄目よぉ?」
「うげ!?」
一瞬だった。
一瞬で龍田は天龍の右腕を絡み取ったかと思うと、その腕を背中に回して、体を地面に押さえつけていた。
俗にいう脇固め。合気道や柔術、プロレスでも見る関節技である。
「ごめんなさいねぇ、別に喧嘩をするつもりはないんです。ちょっとこの子短気な所あるからぁ」
「ぎ、ギブ! ギブギブ!」
「…………」
「――おや、何事でありますか?」
龍田の突然の行動に驚きを隠せない私の頭が追いつかないまま、更に声が聞こえて来たかと思うと、人々の間を縫うようにして、一人の少女が現れた。外側が黒、内側が赤の外套に黒い軍服、頭に黒い軍帽を乗せた、黒ずくめの服装とは対照的に、死人を思わせるほど血の通いが見られぬ真っ白な肌をした少女。
その姿を見て、私は何故か、一瞬、表現しがたい寒気を感じた。
「隊長、これは……その……」
「世間様を無用に騒がせて、お前は一体何をしたのでありますか、説明するであります」
「そ、そいつが、龍田にぶつかってきやがったんだ!」
「天龍ちゃん!」
天龍の方を見て、少女は成程と状況を把握したように数回頷くと、男の傍に歩み寄る。
「人にぶつかっておいて謝らない。当然の悪でありますな。ならばお前に誅を下すことは当然の正義に違いあるまい」
「――がっ!」
一瞬、少女が男に何をしたのか理解できなかった。ただ、男が顎を天上に向けながら真上に数センチ浮かされ、その後大きな衝撃音と共に倒れた音を聞いて、ようやく私は彼が、アッパーを食らって倒れたのだと認識した。
「う、ぐ……」
「さっさと立つであります。龍田さんとやら、これで部下の非礼はどうかお許しいただきたい」
「え、ええ」
「ほら、さっさといくでありますよ」
「はい、隊長」
「では、我々はこれで。また、お会いしましょう」
脳が揺らされているのか、男はふらつきながら立ち上がると、少女と共に商店街の入り口へと消えていった。
「な、なんだったんだ、あいつら?」
「さぁ……」
「なんか嫌な感じだったよね……」
「…………」
龍田だけが何も言わず、ただ彼女達が去っていった方向を見つめていた。
☆
「――隊長、先程は申し訳ありませんでした!」
「既に罰は下した。ならばこれ以上謝る必要はないのであります。お前は少し他人を見下し過ぎるきらいがある。そこは直すか、できないなら表面上だけでも隠すであります」
「はっ!」
少女の後ろを歩きながら敬礼する男は、少女に質問した。
「しかし、隊長、あの女達、天龍と龍田と名乗っていましたが、まさか」
「ああ、この島の艦娘でありますな。七丈島鎮守府、情報は入ってきているであります。なんでも全員が極刑級の大罪人であるという話であります」
「それは、我々の任務の障害になりえませんか……?」
「奴らは艤装どころか他者への攻撃すら制限されている首輪付きの身。現状は放っておいても問題はない筈であります」
少女は無表情のまま淡々と続ける。
「それに、これから当の鎮守府へご挨拶をしに行くのでありますから、その時、念入りに釘を刺しておけばいいだけのこと」
そこまで言って、少女は初めて笑顔を見せた。その笑顔は彼女の端正な顔立ちからは考えられない程に醜く、歪んでいた。
「なに、恐れることはない、正義は我々にあるのでありますからな」
男はその表情を見て、その言葉を聞いて、心底安心したように笑った。
「――あ、隊長! お疲れ様です!」
「まるゆ、首尾はどうなっているでありますか?」
前方から走り寄ってくる軍服の似合わないショートボブのあどけない童顔の少女、まるゆは慣れない様子で敬礼をしてから報告に移る。
「は、はい! 私達を除く全隊員は所定の位置につきました! いつでも作戦行動を開始できる状態です!」
「よろしい、ご苦労であります」
「はい!」
少女が満足気に頷くのを見て、まるゆは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「それで、あなたの方は、調子は?」
少女はまるゆの隣に立つ、全身を黒いローブとフードで隠し、顔には仮面をつけ、フードの隙間から銀色の長髪を垣間見せる少女に声をかけた。
「こっちは、いつだって万全」
「それは何より、では、蜻蛉隊を代表して、我々はこれより七丈島鎮守府へ形式上の挨拶へ向かうであります」
「了解、あきつ丸隊長」
「はい!」
「……待ちくたびれた」
あきつ丸を先頭に、四人は鎮守府へと歩き始めた。
☆
二週間前。
横須賀港。
「――来たか」
雷雨の中、荒れ狂う波を意に介さず堤防の上に一人仁王立ちするその老人は何も知らない一般人の目から見てもただものでないことを悟らせる覇気に包まれていた。
老人は船から降りてくる一人の青年を見つけると、まるで獲物を見つけたライオンのような獰猛な笑みを見せる。
「久しぶりじゃな」
「ええ、何年ぶりかも覚束ないですよ、元帥」
元帥の表情とは対照的に青年の方に老人との再会を喜ぶような感情はおおよそ読み取れない。
むしろ、どこか嫌悪しているかのような節まである。
「ふんッ!」
突然、元帥の手が下から上に振り上げられ、そこから銀色の閃光が青年の脳天めがけて走る。
しかし、その銀色の閃光はその眼前で彼の右手に握りこまれる。
銀色の閃光の正体、それは千枚通しであった。
「七丈島で平和ボケしているかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。偉いぞ、きちんと警戒は怠っていなかったようじゃな」
「あなた相手に警戒するなという方が無理な話です」
「ククク、まぁ、腕はそれほど鈍っていないようで何よりじゃ。歓迎するぞ、七丈島鎮守府の提督よ」
元帥は満足げに笑ってから思い出したかのように、再び提督の方に向き直ると、
「よくぞ、再び生きて帰ったな、我が義息子よ」
そう付け加えるように言った。
「ええ、義父さん」
提督も愛情の欠片の感じられない声で元帥にそう返答した。
遠くで雷の落ちる音がした。
陸軍といえばあきつ丸とまるゆ、的な。