七丈島艦隊は出撃しない   作:浜栲なだめ

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前回のあらすじ
提督暗殺を諦めない伊58。
そんな彼女に磯風は己の過去を語り始める。


第四十七話「陽炎型駆逐艦12番艦、磯風だ」

 

 私の世界は、地獄だった。

 いわゆる戦争孤児という奴だ。深海棲艦との戦争中であるこの国ではそれほど珍しい存在ではない。

 両親の顔も、自分の名前も知らない。

 そんな何も持っていない私は物心ついた頃から他の孤児達と共に孤児院で生活を送っていた。

 

「この穀潰し共! いつまで寝てんだいッ! さっさと朝の掃除と朝食の準備を始めな!」

 

 孤児院の朝は大抵、寮母の怒鳴り声と暴力から始まる。この孤児院では寮母は絶対であり、三十名程いる私達孤児は一人残らず彼女の奴隷だ。

一日中、ことあるごとに理不尽な罵声と暴力を受けながら奴隷のように働かされ、ようやくその日の衣食住を手に入れることができる。

 孤児院での日常は幼い私にとっては命懸けだった。

 

「何やってんだい! 遅いんだよこの愚図!」

「ぐっ! ごめんなさい、寮母さん……」

 

 私は寮母によく殴られていた。昔から体が弱く、体力もない私はすぐ疲労困憊からミスをしてばっかりだったからだ。

 今日も掃除の手際が悪いことを理由に寮母に目を付けられ、いつ終わるともしれない折檻を受けていた。

 痛いのは嫌だった。

 でも、反抗することもできなかった。

 寮母に逆らえば孤児院から追い出されるかもしれないし、その頃の私は『殴られることは当然で、それは私が愚図だから』そんな寮母の言葉をそのまま鵜呑みにして信じていたのだ。

 仕方のないことだと、私が悪いのだと諦めていた。

 しかし、私の心は決して折れてはいなかった。

 この地獄の中で、私は独りではなかったから。

 

「おおっと、寮母さん、ちょいと横を通りますようっと!」

「ちょ、あんた! 生ゴミの袋は臭いがつくから私の近くに持ってくるんじゃないよ!」

「寮母さん、郵便配達の人から手紙が届いとったけぇ、寮母さんの部屋の机の上に置いとくな?」

「ちょいとお待ち! 私の部屋に勝手に入るんじゃいよ!」

「寮母さん、朝食の準備が終わりました。次は何をすればいいでしょうか?」

「ああ、もうっ! お前達! やかましいからいっぺんに来るんじゃないよ! 全く、煩わしいったらないよ!」

 

 突如立て続けに現れた三人の少女達に寮母は苛立たし気に鼻をならすと、少女の一人が持ってきた手紙をふんだくって、興が削がれたのか私を殴るのをやめて自分の部屋へと戻っていった。

 寮母がいなくなったのを確認すると、すぐさま、私の周りに三人の少女達が集まってきた。

 

「大丈夫かい? 全く、あの人の暴力も度が過ぎていけないね。嫌んなるよ、全く!」

「ああ、もう、こんなに痣だらけになって……ごめんな、ウチらがもっと早く助けに来てればこんなに痛い思いさせずに済んだんじゃが……」

「私、絆創膏とか消毒液とか探してきます!」

「いや、これくらいなんともないさ。いつものことだしな。三人とも、助かったよ。ありがとう」

 

 おかっぱの下町言葉の少女、水色の髪をした広島弁の少女、銀髪で右目を隠している丁寧語の少女。

 私達には名前というものがないので、その外見的特徴からとってそれぞれ『おかっぱ』、『水色』、『銀髪』などと適当に呼んでいた。ちなみに私は『もやし』らしい。

 彼女達は私と孤児院に入った時期が近かったことから同じ仕事を分担させられることが多く、自然と話す機会が増えて仲良くなった同じ孤児達だ。

 互いに助け合い、痛みも苦しみも分かち合って、強い絆で結ばれた、家族とも言えるような存在。

この凍えてしまいそうな暗い世界の中で私に与えられた唯一の温かな光だった。

彼女達がいたから、私の心は折れずに踏ん張ることができたのだ。

 きっといつか四人でこの地獄のような孤児院から出て行ってやる。そんな希望を抱きながら孤児院での生活が数年続いたある日、転機はやってきた。

 

「――いいかい、お前達! 今日はお前らのようなゴミを引き取ってくださると言う慈悲深い軍人様がいらっしゃる! 朝食が終わったら全員すぐに風呂に入ってなるべく綺麗な服に着替えるんだ! そうして、お行儀よく軍人様にご挨拶するんだよ!? わかったね!?」

 

 ある日、偶然目の前を横切った孤児の一人を邪魔だと蹴り飛ばしながら寮母は私達にそう言うと、上機嫌で歩き去っていった。

 その日の朝食はやけに豪華だったし、風呂だっていつもは一週間に一度入らせてもらえるかどうかだ。しかも、風呂から上がると、いつもの埃まみれのボロキレのような服ではない、新品らしき私服が全員分用意されていた。

 ここまでやるのは、年に一度国の調査員が孤児院の視察にやって来る日だけだ。

 ただごとではないことは私達にも理解できた。

 

「ねぇ、軍人って兵隊さんのことだろ? なんでそんな人が私達なんて欲しがるんだろ?」

 

 おかっぱが着慣れないワンピースに苦戦しながら隣の私に話しかける。

そこに、風呂からあがってきた水色と銀髪も会話に入ってくる。

 

「そうじゃのぉ、確かにウチらみたいななんも取り柄のない孤児を欲しいなんて信じられん話じゃ」

「わからないですけれど、考えられるのは労働力のためとか養子縁組とかでしょうか? 寮母さんの機嫌が良かったので私達を買う目的でやってくるのは間違いないと思いますが……」

「もしかしたらウチらの体目当て、とかかもなぁ?」

「ひゃ!? わ、私の胸に何するんですか!? やめてください!」

「お、おい、お前達、あんまり騒ぐと寮母さんに怒られるぞ」

 

 普段よりテンション高くじゃれあう銀髪と水色を制止しながらも、実際私の胸の内も抑えきれぬ期待に満ちていた。

 もしかしたら、この孤児院を出ていくことができるかもしれない。誰もがそんな希望を抱いていたのだ。

 

「――まぁまぁ、わざわざ遠い所からようこそおいでくださいました、軍人様」

「き、来たみたい、だよ?」

「な、なんか緊張するのう……」

「私も、です」

 

 玄関先から聞こえてくる声に三人同様、私の体も緊張で強張っていくのがわかる。

 寮母の上ずった笑い声と革靴が床を叩く音が私達のいる食堂へと近づいてくる。

 そして扉が開き、いつもとは正反対に貼りつけたような笑顔を浮かべる寮母と共にその男は私達の前にその姿を現した。

 

「さぁ、こちらがウチの子供達でございます」

「三十人程、と言ったところか。随分と多いですね。孤児院の運営はさぞかし大変でしょう」

「ええ、それはもう。しかし、戦争で親を失ったこの子達を放っておくことなど私にはとてもできませんので、それはもう身を粉にして――――」

 

 寮母がうんざりするような三文芝居をしている間、私の目はその男に釘づけだった。

 いつも熊のように巨大に見える寮母をさらに超える長身に、人のよさそうな顔つき。

 来ている仕立ての良い服も、育ちの良さが見て取れる気品を感じる佇まいも、何もかもが新鮮だった。

 

「うわぁ、えらいイケメンじゃのう、ええなぁ、ウチらのこと貰ってくれんかなぁ」

 

 水色がうっとりした表情で男の方を見つめていると、その願いが届いたのか、彼は私達の方に歩み寄って来た。

 

「わっ、わっ!」

「こんにちは、お嬢さん達。とても可愛いワンピースだ。よく似合っているね」

「え、えへへぇ、そうかい? そいつは、なんていうか、照れるね、あはは」

「あ、ありがとう……ございます……」

 

 おかっぱは笑って照れ隠し、銀髪は恥ずかしさのあまり男の顔を直視できなくなったのか、顔を真っ赤にして俯いてしまった。

 私達は普段からあの寮母に散々罵詈雑言を受けて育ってきたため、褒められることに極端に慣れていない。だから、簡単な世辞一つでも私達には効果抜群なのだ。

 

「間違いないな。君達が、艦娘適正があった子だね」

 

 男は胸ポケットから写真を取り出して私達と写真とを交互に見ては何度も頷いていた。

 そして、写真を再び胸ポケットにしまうと困惑気味の私達に笑顔を向けながら説明を始めた。

 

「私は提督という仕事をしている。今日は君達を艦娘としてスカウトするためにやってきたんだ。君達の名前を教えてくれるかな?」

「名前……私達には……」

 

 返答に困る私達に男は察したように手の平で返答を制して話を再開する。

 

「そうか、ならばこれからは艦娘としての名前を名乗るといい」

「艦娘?」

「そう、この国を守るために戦う海の女神だ。君達は、それに選ばれたんだ」

「私達が……」

「この世界を救うため、私と一緒に来てくれるね?」

 

 誰も、艦娘になるということについて深く理解はしていなかったと思う。

 しかし、私達は彼の差し出した右手を取る以外の選択肢はなかった。

 目の前に現れた四人一緒に孤児院の生活から抜け出すチャンスを、みすみす逃すことは私達にはとても考えられなかった。

 

「よろしく、私の名前は犬見誠一郎だ」

 

 これが、犬見誠一郎との、私の全てを奪った男との、初めての邂逅であった。

 どこで間違えたか、どうすれば良かったのか。思い返せばやり直したい分岐点はいくつもある。だが、きっとここが原点だ。

 もしもこの時、この男の誘いを断っていれば、孤児院に残っていれば、終わらぬ地獄の中でも一番大切な物だけはきっと守り抜けた。そう確信できる。

 だが、いくらもしもの話をしたところで、当時の私にそんなことが想像できるはずもないし、孤児院に残る選択もありえなかった。

 故に、私が全てを失うことはこの時から必然だったのだろう。

 

 

「――提督、艤装接続完了しました」

「入れ」

 

 扉の向こうから提督の声が返って来たのを確認して私達は執務室の扉を開け、彼の目の前に横一列で並び、習った通り、敬礼をする。

 そして、私達は生まれて初めて与えられた『名前』を名乗る。

 

「陽炎型駆逐艦12番艦、磯風だ」

 

 と、私。

 

「同じく14番艦、谷風! よろしく頼むね!」

 

 と、おかっぱ。

 

「同じく11番艦、浦風じゃ! 提督さんのために背一杯頑張るけぇのう!」

 

 と、水色

 

「同じく13番艦、浜風です! 以上四名、只今着任致しました!」

 

 と、銀髪。

 私達は工廠での数時間に渡る精密検査と艤装接続試験を経て、行き場も名前もない孤児から、晴れて艦娘となった。

 

「ご苦労。気分はどうだい?」

「不思議な感覚です。外見は何も変わっていないのに、体の奥底から力が湧いてくるというか」

「今だったら孤児院の掃除も一人で終わらせられるかもしれないねぇ!」

「元気いっぱいじゃ!」

「そうか、それは何よりだ」

 

 孤児院からは私達四人の他、数人の少女が引き取られ、私達と同じくこの鎮守府に着任したと聞いた。

 引き取られた全員が少女だったのは、なんでも女性でなければ艦娘になれないかららしい。

 

「さて、君達にはこれから正式に私の艦娘として、国のために戦ってもらうことになる」

 

 その提督の言葉に、艦娘となって浮かれ気味だった私達は再び背筋を伸ばす。

 少し前まで名前もなかった孤児の私達が今や国のために戦う艦娘。世界ががらりと変わり、そのスケールの壮大さに今まで頭が付いてきていなかった。

 しかし、こうして艦娘となって提督の口から改めて自分たちの役割を口に出されると、国を背負って戦うという重圧に私達の足は既に震え始めていた。

 

「まぁ、しかし、君達は艦娘の使命とか余計な事を気にすることは一切ない」

「え?」

 

 私の口から思わず声が出た。

 

「君達が厳守すべきはただ一つ、私の命令、それだけだ」

「提督の命令……」

「私の与えた命令通り動け、それだけでいい。シンプルで簡単だろう?」

 

 確かに、国を守るためになどと考えるよりかはよっぽど単純でわかりやすい。

 私達は提督の言葉にゆっくりと頷いた。

 

「ああ、心配しなくてもいい。私も無理な要求はしないし、命令にさえ従ってくれれば結果が伴わずとも良い。私の命令通りに動く。それだけを心掛けてくれ。これはこの鎮守府に所属する艦娘全員がやっていることだ。君達も数日もすれば慣れるだろう」

「は、はい」

「まぁ、それなら楽そうだし、別にいいかな?」

「ウチは提督さんの言うことならなんでも従うけぇね!」

「聞き分けがよくて助かる。よろしく頼むよ」

 

 提督の命令通りに。それだけでいい。

 聞いた限りでは難しいことには聞こえなかった。孤児院の寮母の滅茶苦茶な命令に比べれば遥かに易しい。

 

――だが、果たしてそれでいいのか。

 

 それが私の性格由来のものだったのか、あるいは艦娘となったことで私の内に引き継がれた艦船の魂が発したものだったのかはわからない。

 私の中に一瞬、そんな疑問が芽生えた。

 

「――磯風?」

「――っ!? はっ、はい、了解した」

 

 私の一瞬の疑念を見透かすかのようなタイミングで、笑顔の提督が私の肩に手を載せて顔を覗き込んでいた。

 まるで氷の塊を背中に入れられたような怖気が走り、思わず声がうわずる。

 

「よろしい。磯風もよろしく頼むよ」

「はい……」

 

 提督の命令通りに動くこと。

 それが、私が艦娘として提督に与えられた最初の命令だった。

 

 




浦風と谷風の話し方書くのムズイ(標準語並感)

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