潜水艦を発見。
「――皆、ただいまー」
本島から戻り、その日の最終便で七丈島に帰ればもう日付が変わるか否かというくらいの夜更けになってしまった。
磯風と提督は両手に土産袋を下げながら体で鎮守府の入り口を押し開けて中に入る。
玄関口には人の気配はなかったが、どうやらまだ皆就寝はしていないらしい。
遠くからかすかに喧騒が聞こえてくる。
おそらくは食堂あたりだろうか。
「もう消灯時間になるというのに、まだ部屋にも戻っていないみたいですねぇ?」
提督が呆れたように溜息をつく。
もう数分もすれば消灯時間である午前0時を回る。いつもならばこの時間には就寝はせずとも、秘書艦兼監察艦の矢矧を除いて艦娘達は自分の部屋に戻っている時刻だ。
規律には比較的うるさい矢矧もいるというのに一体どうしたというのか。
提督の言葉にはそんな疑問も含まれていた。
磯風と提督が食堂まで歩いていくと、案の定、入り口の扉の隙間から僅かに光と声が漏れ出している。
提督と磯風はお互いを見て小さく頷き合うと、扉の前に立つ。
そして、袋を片手に纏めて提督が勢いよく扉を開けた。
「皆さん、いつまで騒いでいるつもりですか! もう消灯時間になりますよ!」
「――食らえ! 必殺、人間魚雷ッ!」
「がはぁッ!?」
「提督!?」
扉を開けると同時に提督の顔面に人間大の何かが激突した。
そして、そのまま提督は鼻血を吹き出しながら激突したもの諸共磯風の横に倒れた。
恐る恐る磯風が中を覗くと、そこには顔面蒼白で硬直した七丈島艦隊の面々がいた。
「……あ、やべ」
まるで何か大きな物でも投げた後のように両手を振り下ろした姿勢で固まっている天龍が冷や汗を流しながらポツリと呟いた。
☆
提督が食堂の扉を開ける数分前。
「――で、こいつどうするよ?」
「どうするっていっても、ねぇ?」
食堂の机の上に毛布をかけて作った簡易ベッドの上のそれを見ながら、私達は揃って溜息をつく。
ベッドの上では未だ伊58が穏やかな寝息をたてている。
浜辺で伊58を見つけたあの後、警察や救急車が来るなど色々と大騒ぎになった。
結果として伊58の心臓は動いており、外傷もほとんどないということで命に別状はないだろうと言われた。
加えて艦娘の治療は専門外ということで病院でも対応ができないと言われ、仕方なく鎮守府に連れて帰ることにしたのだ。
「まぁ、目を覚ましてから事情を聞きましょう。話はそれからじゃないですか?」
「そうね。ただ気絶しているだけなら明日にでも目覚めるでしょう」
「一時はどうなるかと思ったよぉ」
「これが……潜水艦……初めて見ました……」
「美海ちゃん、眠いんだったら寝てもいいんですよ?」
美海が私の隣でこっくりこっくりと船をこぎ始めている。今日は一日色々なことがあって疲れたのだろう。それにもう深夜だ。いつもなら美海はとっくに寝ている時間だろう。
しかし、美海は首を横に振って自分の頬を叩く。
「もう少し頑張ります……泳ぎのコツを教えてもらうために……」
「今日はもう夜遅いですし、そういうのは明日にして寝ましょう、ね?」
「うう……」
すぐにまた眠そうに欠伸をする美海を私は部屋に連れて行こうと彼女の手を引いて席を立つ。
今日から美海は父親が帰ってくるまでの間、七丈島艦隊の部屋をローテーションで泊まることになっているのだ。
「――いや、大和。ちょっと待て」
しかし、食堂を出ようとする私達を天龍が止めた。
「誰かが鎮守府内に入ってきた。今、確かに玄関の方で音がしたぜ」
「え、泥棒ですか?」
「かもな」
今まで鎮守府に泥棒が入ったことはないが、侵入者が入ってきたならばそれに応じた対応をしなければならない。
特に今は美海もいる。万が一にも危険な目に合わせる訳にはいかない。私は未だ状況を理解していないのか眠気眼を擦る美海を見てその手を強く握る。
「どうしましょう? こういう時って警察に通報とか――――」
「静かに! 足音がこっちに近づいてきたわ!」
壁に耳を当てて聞き耳を澄ましていた瑞鳳の声に部屋中に焦燥感が漂う。
拙い。もう一刻の猶予もない。
しかし、罪艦はスタンリングがある限り他の人間には危害が加えられない。現状、襲われた時に逃げることしかできない。
「矢矧、最後はお前が頼りだぜ」
「どうやら、そうみたいね」
唯一スタンリングの縛りなく行動ができる矢矧だけが頼りだ。矢矧も小さく頷く。
「なんか投げられるものはねぇか? 泥棒がこの部屋に入ってきた時に何か一発ぶちかましてやるぜ。投擲なら電撃に邪魔される前に攻撃できるしな」
成程、確かに投擲系の攻撃ならばスタンリングの電撃が襲う頃には武器は手から離れて泥棒に飛んでいっている。
つまり、初撃に限ってスタンリングに邪魔されずに攻撃ができる。
「すみません、厨房の方にはもう鍵かけちゃって……」
厨房には包丁を始めとして凶器になりえる物、また、食材も置いてある。そのため、普段から食堂は使わない時は入り口を施錠し、カウンターにもシャッターを下ろして防犯を徹底している。
天龍は辺りを見回すと、小さく舌打ちして目の前の『それ』を持ち上げる。
「仕方ねぇ、もうこいつしかねぇか。いくぞ、伊58!」
「いや、ちょっと」
眠っている伊58を両手で持ち上げる天龍を私は全力で止める。
「これが本当の人間魚雷だ……!」
「『人間魚雷だ……!』じゃないですよ! 伊58が怪我でもしたら――――」
「来たわ!」
「――――!」
瑞鳳の声の数秒後、食堂の扉が勢いよく開かれた。
同時に、私の静止を振り払い、天龍は伊58を開いた扉の向こうへと投げ飛ばした。
「――食らえ! 必殺、人間魚雷ッ!」
「がはぁッ!?」
「提督!?」
「え!? 提督!?」
扉の奥から聞こえた聞き覚えのある声に私達は硬直した。
額から嫌な汗が流れ始めている。
扉の向こうから、不安げな表情の磯風が顔を覗かせた。
「……あ、やべ」
天龍の乾いた声だけが空虚に深夜の食堂に響き渡った。
その隣で美海は私に寄りかかって寝息を立て始めていた。
☆
「――もう! 何やってんですか! 本当に!」
美海を私の私室で寝かせた後、私達は食堂でそろって正座させられていた。
提督と磯風が呆れた様子で私達を見下ろしている。
「本当にすまねぇ。てっきり泥棒か何かかと」
「だからって、人投げるは駄目でしょう! 何が『必殺人間魚雷ッ!』ですか! 矢矧も止めてください!」
「いや、その、すみません。気が動転していたというか……はい、すみません」
提督に天龍と矢矧が怒られている最中、ちらりと私は横で改めて毛布にくまっている伊58を横目で見る。
あんなことがあったというのに、未だ目を覚まさない。凄い能天気な顔で幸せそうに寝ている。
「大和! 何よそ見しているんですか! あなたにも責任はありますからね!」
「は、はい、すみません!」
普段温厚な提督が完全にお説教モードに入っていた。
すると、不意に横から大きな欠伸が聞こえてくる。
「うーん? なんでち、うるさいでちねぇ」
「――! 意識が!」
ゆっくりと目をこすりながら投げ飛ばされても尚目を覚まさなかった伊58がゆっくりとその体を起こして辺りを見回していた。
「あれ? ここどこでち?」
「やっと目が覚めたんですね!」
「誰でち?」
「あ、大和です」
「そうでちか……え、マジで誰でち!? ここどこでち!? 私なんでこんな所にいるでち!?」
「お、落ち着いてください、伊58!」
ようやく目が覚めて状況を把握したのか慌てふためく伊58に提督や磯風への説明を兼ねて事情を説明する。
「ここは七丈島です。あなたは頂土海水浴場で倒れているのを発見されてここに運ばれてきたんです」
「成程、私は漂流してたでちか。じゃあ、ここは鎮守府でち?」
「はい、七丈島鎮守府です。それで、あなたがここに漂流することになった経緯を聞きたいのですが」
私達が一番気になっているのはそこである。
艦娘が気絶状態で漂流など通常ありえない。もしかしたら、以前のようにこの海域周辺に深海棲艦が現れ、伊58はその攻撃を受けたのかもしれない。
だとしたら、早急に対策を練らねばならないのだ。
「…………覚えてないでち」
「え?」
不意打ちで、もしくは別の原因で気が付いたらここに流されてきたということだろうか。
「ええと、じゃあ、あなたが所属している鎮守府を教えてくれませんか? とりあえずあなたを元の鎮守府に送還しないとですし」
「…………それも覚えてないでち」
「え? あの、それってどういう……」
「私が艦娘、モデル伊58だってことはわかってるでち。でも、私がどこから来たかとか、それ以外のことについては全然思い出せないでち……」
その瞬間、空気が凍った。
「え……これって、まさか……」
「記憶喪失、ね」
「ねぇこういう場合ってどうするのぉ?」
「私には、なんとも……提督?」
「…………」
私達が慌てふためく中、提督は伊58をじっと見つめ続けている。すると、突然無言のまま彼女の目の前へ歩み寄ると、そのセーラー服の裾を掴んで一気に脱がせた。
「――!?――!?」
突然のことに理解が追い付かないのか、伊58は手をバンザイさせた状態で目を白黒させている。
しかし、少しして脱がせたセーラー服を見つめている提督とセーラー服を脱がされスクール水着のみになった自分の姿を交互に見て顔を真っ赤にして震え始めた。
「…………成程」
「何が成程だ、この変態ッ!」
「がふっ!」
矢矧が提督の顔面に上段回し蹴りを入れた。
「ち、違うんです! 潜水艦って初めて見るものだったので……セーラー服はどうなってるのかなって……」
「だからって唐突に脱がすなよ!」
「あと、セーラー服の下もスクール水着なのかなって気になって……」
「むしろ違ったらどうすんだ!」
「こ、怖いでち……提督超怖いでち」
伊58も震えて部屋の隅っこまで後退してしまった。
こんな人にさっきまで説教されていたかと思うと悲しくなる。
こんな人が私たちの提督かと思うともっと悲しくなる。
そんな提督は矢矧の蹴りでひび割れた眼鏡をかけ直しながらよろよろと起き上がる。
「ぐ、眼鏡が……あ、伊58のことはしばらくウチで預かることにしましょう。もしかしたら提督が既に捜索願いを提出しているかも知れませんし――――」
「まだ息の根があったのね」
「ぐはぁ!」
矢矧に背負い投げされて床に叩きつけられたと同時に衝撃で提督の眼鏡が砕け散った。
提督のアイデンティティ、その実質上の死である。
「め、眼鏡が……!」
「流石です、提督。まだ息の根があるのね」
「助けてください!」
「もうやめて、矢矧! 提督のライフポイントはとっくにゼロです!」
「どいて大和、提督殺せない」
「殺しちゃ駄目ですって!」
☆
大和達が提督に襲い掛かる矢矧を総出で抑えている間、磯風と美海は食堂の隅っこで震える伊58の方にフォローへ出向いていた。
「大丈夫か、伊58? すまないな、ウチの提督は少し変わっているんだ」
「べ、別に気にしてないでち」
話しかけてきたのが大和や矢矧のような年上ではなく、伊58と見た目的に年齢が近い二人だからだろうか。終始目をそらして小刻みに震えていた彼女も大分落ち着きを取り戻してきた。
「私は七丈島艦隊の磯風。こっちは友達の美海だ」
「美海です! よろしくお願いします!」
「……友達? 磯風と美海がでちか?」
伊58がそれを聞いて驚いたように磯風と美海を交互に見る。
「あ、ああ、そうだが?」
「は、はい」
それを聞いた途端、今までの態度が嘘のように豹変し、突然伊58が乾いたような笑いと共に二人を汚物でもみるかのような目で睨みつける。
「艦娘と人間が友達? 友達ごっこの間違いじゃないでちか?」
「な、なに?」
「ど、どうしたんですか、急に!?」
伊58は立ち上がると、磯風と美海の止める声を聞かず食堂の出口に向かう。
「あなた達、気持ち悪いでち」
そう言い残して、部屋を出て行った。
「な、何だったんだ……?」
「凄い怒ってたね……」
二人で顔を見合わせてしばらく黙っていると、磯風が美海の手を引っ張って言った。
「よく分からないが、取りあえず追いかけよう」
「――! うん、それがいい!」
☆
「――まったく、信じられない奴らでち。成程、噂通りの犯罪者集団でちね」
私は薄暗い廊下を歩きながら独り言を呟く。
そして、周りを確認してからスクール水着の内側から通信機を取り出すと手慣れた仕草でボタンを操作する。
『私だ』
「提督、こちら伊58でち。現在七丈島鎮守府内部に潜入したでち」
『ご苦労。身元は割れていないだろうね』
「大丈夫でち、記憶喪失を装って余計な情報は与えていないでち」
『よろしい、では手筈通り七丈島鎮守府提督の
「了解でち」
私の言葉を最後に通信は切られた。
通信機をしまい、再び薄暗い廊下を歩き始める。潜入前にあらかじめ鎮守府の見取り図は頭に入れてきたが、実際に歩いて符合するかを確かめる必要がある。
確実な暗殺のために。
「まぁ、肝心のターゲットもただのロリコンみたいで安心したでち。あんなちゃらんぽらんなら5秒でやれるでち」
最初に面と向かって見つめられた時は見透かされたような悪寒が走り、気が気ではなかったが、結局ただの変態でしかなかった。
悪寒はきっと奴の嘗め回すような気色悪い視線から来たものだったのだろう。
しかし、思い出しても苛立たしいのは艦娘達だ。自分が思うがままに好き勝手動いて提督にすら暴力をふるう。
そして、人間と友達だと言う。自分がいったいどういう存在なのかまるで弁えていない。
あんな危険物を生かしておいて良い筈がない。
「七丈島鎮守府。提督諸共私が潰してやるでち」
闇の中で伊58の目が鋭く光った。
いつの間にか書き始めてからから一年経ってました。
更新ペース上げたい(切実)