迎えが来なかったので大食いチャレンジすることにした。
七丈島。東京から南方に位置する有人島。
気候帯は亜熱帯に属し、通称『常春の島』とも呼ばれ、現在では一つの観光名所ともなっているが、かつては多くの罪人が流された『流刑地』でもあった。
そして、今、その島のとあるカレー店で、大食い界の歴史を覆す、ことはおそらくないであろう大勝負が始まろうとしていた。
「――またせたなぁ、大和ちゃん」
店内一帯が謎の緊張感に包まれる中、店長が厨房から顔を出す。
相当調理に集中していたのだろう、身体中から滝のような汗が噴き出している。
その店長の今までにない気迫と集中力に店内の誰もが驚かされたのも束の間、その直後、店長の後に続く形で出てきた二人の従業員が運ぶ『それ』に店内の視線は支配された。
「こいつが! 『超弩級盛り海軍カレー』だッ!」
通常、カレーの盛られた皿が机に置かれる時に発される音とは如何なる音だろうか。
コト、とか、カッ、みたいな音を想像するかもしれない。
どんな大盛りのカレーを置いたって精々、ゴトッという音が限度だと思うだろう。
しかし、このカレーだけは違った。
――ズンッ!
「う、うおおおおおお!? な、なんだこの重量感!? 今、あの皿を置いたテーブルが軋んだぞ!?」
「い、いや、テーブルどころじゃない! その振動が床を伝い、観客である俺達にまでその重量感がひしひしと伝わる!」
「い、や!? 何よりも見ろ! あのカレーを!? まるで、山、じゃねぇか!? お嬢ちゃんの正面に居る俺からじゃあ、最早あのカレーで隠れて嬢ちゃんの身体が見えねえ!?」
「くそ! たった一皿のカレーがなんてプレッシャー放ちやがるッ!」
挑戦者の前に立ちはだかったのは一つの『山』であった。
もしかしたら50cmはあるのではないかと思う程にこれでもかと積み上げられたカレーライスの山。
総重量は10キロか20キロか計り知れない。
周りで見ている観客達にすら伝わってくるプレッシャー。実際にそれに挑戦する者が受けるプレッシャーなど考えただけで恐ろしくなる。
しかし、観客の動揺とは裏腹に、挑戦者、大和の表情はとても穏やかなものだった。
「…………」
「ふ、こいつを見て、そんな穏やかな表情してるのは、このメニューを始めて十年、あんたが初めてだよ大和ちゃん」
店長が目の前のカレーを見つめて惚れ惚れとしている大和の前にスプーンを置いた。
ただのスプーンではない。
恐らくオーダーメイドであろう、銀色に輝くそのスプーンは普通のスプーンの十倍は大きい。
大よそ五口以内で一皿の普通盛りカレーは平らげられてしまうのではないかという程の大きさだった。
「『ビッグスプーン』。この店の名にもなっている特注品のスプーンだ。この
「では――――」
店長のその言葉を聞くや否や、大和はそのスプーンを手に取り、親指と人差し指の間にスプーンを挟んで両手を合わせて言った。
「――いただきます」
挑戦、開始である。
大和は立ち上がり、山の頂上のカレーライスをその手に持ったビッグスプーンで刈り取る。
それでも全く山が削れた様には見えない。
観客の数人かはそれを見て絶望的な声を洩らすが、大和が発した言葉はそれとは全く異なっていた。
「なんということでしょう! 通常、山のようにして盛り合わせたカレーライスの欠点はその頂上。カレールーが液体である以上、普通なら頂上にはライスばかりが残ってカレーライスとしての魅力を削いでしまうもの。しかし、このカレーは違う、頂上を無造作に掬い取って尚、スプーンの中にはライスとカレーの比率が6:4という安定感! 頂上から麓まで、この山は『カレーライス』足り得ています! しかも、このカレーから香ってくる濃厚なスパイス! これはあらかじめ調合と粗挽きを済ませたカレー粉に頼っていては決して出ない香り! 今わかるだけでもガラムマサラ、コリアンダー、クミン、ターメリック、他にも数種類のスパイスを全て挽きたて、かつ独自の調合でそれぞれの香りを見事に調和させています。結果、この香り高いカレールーがこのカレー全体を美味に飾っているのですね! 日本独自の海軍カレーというスタンスを保ちつつ、本場のインドカレーのスパイスエッセンスを余す事なく取り入れ、完成させています、これまで私が見てきたカレーなど足元にも及ばない、まさに真の海軍カレーッ!」
(まるでどこかのグルメレポーターみたいだ)
(まるでどこかのグルメレポーターみたいだ)
(まるでどこかのグルメレポーターみたいだ)
そして、カレーの香りを存分に堪能した大和はいよいよそのスプーンを口に運ぶ。
とは言ってもスプーンが大きすぎるため、スプーンからカレーを口に流し込むようにしてついに、彼女は超弩級海軍カレーを食した。
「――――ッ! これは! しっかりと煮詰められたジャガイモは口に運ぶまではしっかりと形を保っていたのに、歯で軽く押し込むだけで内包された甘味と共に砕ける! 辛みの効いたカレーは甘味の濃縮された人参、玉葱、ジャガイモと絶妙に絡み合いながら口の中を幸せに包み込み、抵抗なくライスと共に喉元を流れていきます。しかし、柔らかく煮込まれた牛肉があり、決して重量感がない訳ではなく、また野菜が溶けてしまっている訳でもありません! 野菜が溶ける寸前、ギリギリの所まで煮詰められている何よりの証拠! しかも、このカレーのコク! 果物による甘味、ヨーグルトの酸味に加え、恐らくは隠し味にチョコレート! しかもカカオ純度の高い最高級品ですね! チョコレートはカカオ、油脂、ミルク、砂糖のブレンドが香ばしさや苦み、さらにはまろやかなコクを追加します。これは、チョコレート発祥の地、イギリスならではのアレンジ! なんということでしょう。これは日本とインドの調和だけじゃない、その中にはイギリス! これは、まさに、カレー三国同盟!」
(またグルメレポーターみたいなことを)
(味の宝石箱かな?)
(というか、早くカレー食えよ)
「ふ、やるじゃねぇか。このカレーの本質をたった一口で丸裸にしちまうとは。でも、いいのかい? 一口たべるだけでもう二分経過してる。後五十八分以内に完食できなきゃ、挑戦失敗だぜ?」
店長が手元のストップウォッチを見せながら笑う。
しかし、大和の表情には少しも動揺は見られない。彼女は心から食事を楽しんでいた。
「ご心配なく、大丈夫です。ちなみに――」
その様子を見て、漁師はふと思った。
(そういや、大和って名前、どっかで聞いた事が……あ! ああッ!)
「――店長、おかわりはありですか?」
次の瞬間、少女はその本性を露わにした。
☆
現時刻、一二時五○分。私はようやく港に辿り着いた。
港からは青い海と空が地平線まで果て無く続くのが見え、船着き場には羽根を休めるカモメ達の姿が見えた。
というか、それ以外は何も見えなかった。
「――誰も、いないッ!」
私はそう叫びながら地面にへたれ込む。
一応予想はしていたが、まさか本当にこんな事になるとは。
今日配属予定の艦娘の迎えに一時間近く遅れた上、その艦娘は既に何処へか消えてしまった。これは大問題だ。私は頭を抱えずにはいられなかった。
この七丈島に配属されるということは、普通の配属とは違うのだから。
ここ、七丈島は過去に、罪人を島流しにする流刑地であったという歴史がある。そして、それは今現在も密かに続いている。
ただし、罪を犯した人間に対して、ではなく、罪を犯した艦娘に対して、である。
現在において、艦娘は未知の敵、深海棲艦と戦う上での最大戦力であり、容易く戦闘から遠ざけるようなことはできない。
よって、罪を犯したとしても、軍事裁判上ではおおよそが営倉での僅かな謹慎か、重くても懲役。しかも、いずれも戦闘時必要とされれば即時解除されるようなものである。
それ程に現在、艦娘という戦力は重宝されており、同時に、それは未だに艦娘以外の深海棲艦への対抗策が見つかっていないという危機的な状況を示していた。
しかし、そんな状況でも極刑を宣告される艦娘はいる。
これ以上艦隊の中に置き続ければ、さらに味方に甚大な被害が確実に出ると考えられる艦娘、あるいは深海棲艦側に加担した艦娘には極刑が求刑され、そういった事例もほんの僅か数件か出ている。
しかし、あの男は、提督はそれを良しとはしなかった。
恐らくはある程度権力はあるのだろう。数年前にこの七丈島に鎮守府を造り、戦力の保持を理由に、極刑を宣告された艦娘達を『流刑』に減刑という形でこの鎮守府に隔離する方針を取り始めた。
極刑になった全ての艦娘を残らずそうしている訳ではない所を見ると、おそらくはあの提督なりの判断基準があるのだろう。
そうして、この鎮守府には私を含め五名の艦娘が在籍し、今日入ってくる艦娘を合わせて六名になる筈だった。
しかし、想定外の事態により、それがいなくなったのだ。
七丈島に着くまでは本島から監視役がついているが、それはあくまで罪人が船を降りるまでだ。
つまり、極刑を求刑されるような大罪人が、今、この島の中で野放しになっているということだ。
この七丈島鎮守府に関しては島民の一部のみにだけ真実が知らされており、それ以外の島民には島の防衛拠点として鎮守府を置いたと説明している。
そのため、不用意に近づいてしまう島民も出るだろう。そうでなくとも、ただでさえ艤装を外せばただの少女にしか見えないのだ。
もし島民が無警戒でその艦娘に近づき、なんらかの被害が出てしまえば。
「考えるだけで恐ろしいッ!」
再犯、連帯責任、抗議デモ、本島送還、再審、極刑判決。
確実にろくな目に逢わない。
「それに、今日配属される、大和の罪状は…………!」
最早一刻の猶予もない。私は急いで聞き込みを始めようと、港を出た所にいる二人の島民に話しかける。
「あの――――」
「おい、早く見に行ってみようぜ!」
「ああ、こんな一大イベント見逃しちゃ損だぜ!」
「す、すみません! 待ってください!」
「うおお!? なんだ矢矧さんか、びっくりさせないでくれ」
「すみません、でもこっちも
「お、おお? なんか知らねぇが、大変だな……?」
島にいる期間が長かったおかげで大半の島民には顔は利く。
私は早速さっきの定期便で来た大和、と名乗る少女を見なかったか聞くが、島民達は見ていないらしい。
流石に一時間前のことを、今ここを通りかかった島民に聞いても無駄だったかと私はますます焦燥に包まれる。
そんな中、島民の片方が言った。
「あ、でも。今ビッグスプーンで『超弩級』に挑戦してるのは本島から来た女の子らしいぜ?」
「は? ビッグスプーン?」
そういえば提督にカレーをビッグスプーンで買ってくるよう頼まれたのを思い出し、提督の顔が浮かんでイラッとしたのでつい威圧的な返答をしてしまった。
二人の表情に畏怖が浮かんでしまっている。とばっちり過ぎて申し訳ない。
「い、いや……そこのビッグスプーンでよ。女の子があの『超弩級』に挑戦してるっていうからよ」
「お、俺達それを見に行こうって今話してて……本当だよぉ!」
いや、別に疑ってないんだけれど。
自分でも驚くほどの大した怖がられっぷりだった。
しかし、ビッグカレーの超弩級といえば、十年無敗の大食いチャレンジメニュー、超弩級盛り海軍カレーのことだろう。
そんなものに挑戦する少女。しかも本島から来たという。
一方で大和という艦娘は言わずと知れた日本最強の戦艦。そして、その卓越した能力値の代償に、全艦娘中最も燃費を食う大食い。そして、今日本島からやって来ている。
私は底知れぬ予感を感じていた。
「……私も行きましょう。ビッグスプーンに」
「お、矢矧さんもやっぱ気になるのかい?」
大食いチャレンジに関しては断じて違うが、そのチャレンジしている少女に関してなら間違いなくその通りだ。
島民と共に、大きなスプーン型の看板を構えるビッグスプーンの前に行くと、そこには既に大勢の人だかりができていた。
私はなんとかその人ごみを縫って店内に入ると、そこにはまた大勢の観客に囲まれて座る少女と何故か一人、床に手をついてうなだれている褐色肌の男が居た。
「す、すげえ……あのカレーを完食するだけじゃ飽き足らず、四杯もおかわりしやがった!?」
「食べ始めてからまだ三十分しか経ってねぇそ!? なんてスピードと腹だ!」
「しかも、一切苦しそうな表情も見せねぇ! なんて幸せそうな顔して食いやがるんだ! ああ、そうだ。彼女こそこの島に降り立った――――」
「――食の女神!」
「何この一体感!?」
新しい宗教か何かかと思った。
「あ、アタシの! アタシの超弩級盛り海軍カレーを! 十年無敗のあのカレーを……! たった六分で完食するなんて! しかも、五皿も平らげられて……! どんだけええええええええ!」
なんだこのオカマは。ああ、店長か。
取り敢えず、私は絶賛食事中の彼女の前まで強引に押し入った。
「あなたが、大和ね?」
「…………」
大和は皿に残ったカレーを食べ終え、矢矧の方を見る。
しばらくの沈黙の後、大和は何か把握したという感じの顔で空になった皿を差し出す。
「すみません、おかわり頂けますか?」
「店員じゃないわよ!」
「どちらにせよもう店の釜も鍋も空っぽよおおおおおお! どんだけえええええええ!」
「そこうるさいッ! 私はあなたを迎えに来た艦娘、矢矧よ!」
「え……」
それを聞いた瞬間、大和の顔がひどく悲壮をまとった表情に変わる。
「もう、おかわり……できない……!?」
「私の話聞いてた!?」
「これ以上おかわりなんてされたらウチは大赤字よおおおお! どんだけえええええ!」
「あなたは少し黙ってて!」
「そんな……女神様の勇士をもう見ることは敵わないなんて……!」
「世界の……終わりだ……!」
「俺はこれから……何を生きがいにすれば……!」
「あんた達は三十分で一体何があったのよ!?」
三十分で店が一つ傾き、熱狂的な信者が生まれていた。
しかもその当の本人は。
「……まぁ、また明日チャレンジすればいいですよね! 明日も来ますね、店長!」
「二度とお断りよッ!」
この能天気ぶりである。
私は今までの心配が馬鹿のようで呆れ果ててしまった。もっと、凶暴で危険な人物かと思っていたのだ。
だって想像出来るはずがないだろう。
「とにかく! さっさと店を出るわよ、大和!」
「ええ、まだ! まだ皿に残ったカレールーが!」
「人前でそんな卑しいことするのやめなさい!」
想像できるはずがない。
この大和が、まさか『国家反逆罪』を犯した大罪人だなんて。
サブタイは作者が気に入ったorその話にふさわしいと思った台詞を付けます。
今回はどっちかというと前者。