秋祭りで金魚すくいかと思ったら金魚救い。
「――ああ! やぶれちゃった!」
「く! すまない、私も駄目だ」
金魚すくい改め、金魚救いがスタートして一分程度でプリンツと磯風は早くもポイが破れてしまっていた。
二人共ポイの紙が比較的厚かったためなんとか一匹ずつ掬っているが、金魚はまだうようよいる。
このままでは残された数十匹の金魚が茹で上がってしまう。
ここは私がなんとかしなければなるまい。
金魚すくい最高記録、五匹の私が。
「あ」
「あー、破れちまったな。残念」
しまった、一匹もすくえなかった。
「ど、どうしよう、お姉様! このままじゃ金魚死んじゃうよ!」
「大丈夫だ、ほれまたポイを買えばいいだろ?」
天龍が新しいポイを三つ差し出してニヤニヤ笑っている。
「うう、提督からのお小遣い残り少ないのに!」
「金魚達が茹で上がっていいのか?」
「むぅ~~~~!」
なんといやらしい商売だろうか。私は激怒した。
目の前の天龍とかいう眼帯は人の罪悪感につけ込んで大量のポイを買わせようと言う魂胆なのだ。全くもって艦娘の風上にも置けない奴である。
やはり、さっきもっと入念にバルスしておくべきであったのだ。
「さぁ、どうする? このまま金魚が茹で上がるのを見守るか?」
「くっ! 金魚すくいがまさかこんなにハードなものだったなんて……! 勉強不足だった!」
「日本人は毎年こんな苦難を乗り越えてるんだね……!」
「いや、こんな悪意まみれの金魚すくい私も見たことないですから!」
磯風とプリンツに間違ったお祭りのイメージが植え付けられていく。
「そうだぜ? お前ら覚えときな、お祭りってのは遊びじゃねぇ、戦いだよ」
「違いますよ!?」
天龍が何か語り始めた。
「祭りの時だけやたら高く売られるわたあめや焼きそばを見て初めて子供は金にがめつい汚い大人達の姿を目の当たりにするんだよ」
「生々しいこというのやめてもらえます!?」
「金魚すくいや射的でも金魚と景品取れるまで粘ったはいいものの、後々になって良く考えたらそれ程欲しかった訳でもねぇってなった経験が誰にでもある筈だ。そこで気付くんだよ。全ては屋台のおじさんの巧妙な罠だということに。祭りを楽しんでいたのは自分ではなく、屋台のおじさん達だったことに! しかし、全ては後の祭り。そして、その辛酸に顔をしかめながら、子供達は一歩大人の階段を上るんだ。なぁ、大和?」
「いや、知りませんけど!? その私が当然経験しているかのような同意の求め方とドヤ顔やめてくれます!?」
お祭りにそんな陰惨な思い出などないし、そもそもお祭りで大人の階段は上らない。
ただ、確かに金魚すくいですくった金魚は正直いらない。
「夏休みやシルバーウィークの後に会うクラスメイトの中で急に大人っぽくなってる奴がいることあるだろ? あれは祭りで階段上ってきた証拠さ」
「あれは、そういうことだったのか……!」
「磯風!? 何か覚えがあるんですか!?」
「私も漫画で見たよ……お祭りの夜を二人きりで過ごしたカップルがそのまま帰って来ないと思ったら翌日会うとどこか大人っぽくなってるっていうアレだね!」
「プリンツ、それ別の大人の階段です」
いけない。二人共すっかり天龍の話を信じ切ってしまっている。
二人共天龍をまるで先生か何かのように見つめている。
それは教師ではあっても反面教師なのだ。したがってそんな尊敬の籠った眼差しはいけない。
「でも、それじゃあ、私達はお祭りの罠に嵌っちゃったってことだよね!? どうすればいいの、天龍!」
「ふ、他の奴らならいざ知らず、お前達に対して俺が汚い大人なんて演じてやれるかよ。安心しろ、突破口は用意してある。金魚を百パーセント救う方法を教えてやるぜ」
「天龍!」
そう言うと、天龍は懐からプラスチックの容器を取り出して見せた。
「この、絶対破れない十万円のプラスチックポイを今なら一つ、たったの一万円で貸し出してやるぜ」
「これ以上なく汚い大人演じ切っちゃってますけど!?」
「やった! 十万円のポイがたった一万円だって!」
「それなら私達の持ち分でも十分だ!」
「正気ですか!?」
既に二人共洗脳済みであった。
「お姉様、邪魔しないで!」
「金魚のためなんだ! 一刻を争うんだ!」
「二人共、落ち着いてください!」
財布から一万円を取り出そうとする二人を必死に取り押さえる。
しかし、如何せん力が強く、このままではいずれ押し切られかねない。その様子を見て呆れた様子の矢矧が歩み寄って来た。
「――全く、もう見ていられないわね」
「矢矧! 悠長にしてないで助けてください!」
「おう、お前もやるか?」
「ええ、そうね。やろうかしら」
「毎度あり! 二百円だぜ!」
「は? 何言ってるのかしら? 言ったでしょ、あんたの汚い弁償代稼ぎに力添えする気なんて私にはないわ」
「お前こそ何言ってんだ? ポイもなしにどうやって金魚をすくうんだ?」
矢矧は不敵な笑みを浮かべると、私の手に握られたままであった半分紙が破れたポイをひったくって言った。
「私は、これで十分よ」
「おいおい、本気かよ? そんな半分紙の破れたポイでまともに金魚がすくえるわけねぇだろ」
「見てれば分かるわ。ついでに大和達も金魚すくいのやり方を教えてあげるから見てなさい」
「は、はい」
いつの間にか磯風とプリンツも正気を取り戻していた。
そして、半分破れたポイを片手に、矢矧の金魚すくいが始まった。
「いい? まず、金魚すくいをやる時はポイを全て水の中につけてしまうの」
「え? それじゃあ、余計破れやすくなっちゃうんじゃ?」
「むしろ中途半端に水につけると、乾いた繊維と水を吸って膨張した繊維の境界が脆くなるわ」
「へぇ、なるほど」
「そして、水に出し入れるときは斜めに傾けて入れると水の抵抗での紙へのダメージを軽減できるわ」
そう言って矢矧は水槽の角付近にポイを差し入れる。
ここで私は一つ気が付いた。
「そっか、角にいる金魚を狙えば逃げ道もなくてすくいやすいんですね!」
「そうよ。そしてゆっくりと追い込んでやって、金魚の頭がポイよりも少し手前に来たところでゆっくりと斜めに引き抜きながらポイに乗せてやる」
すると、半分しかない紙面に金魚が三匹も乗っていた。
それを素早く器に入れ、さらにものの数秒で今度は四匹の金魚をすくって見せる。
その矢矧の鮮やかな手際に私達三人から歓声が上がり、天龍の笑みが消えた。
「この水槽、金魚何匹いるの?」
「ご、五十匹だ」
「そう、じゃあ、あと四十一匹。これならなんとかなりそうね」
その後、矢矧は顔色一つ変えず、まるで作業でもするかのように淡々と金魚をすくっていき、みるみるうちに残った金魚は数えられるほどになった。
いつの間にか後ろにギャラリーも増え、矢矧がポイを動かすたびに後ろから感嘆の声が上がる。
「これで、残り一匹!」
残り二匹の内の一匹を掬い上げた瞬間、ここで異変が起こる。
「あっ! ポイが!」
「とうとう破れたわね」
ついにポイが完全に破れ、最早使い物にならなくなってしまった。
最早これまでかとギャラリー全員から落胆の声が洩れる。
しかし、矢矧はこの状況でむしろ笑っていた。
「……大和、プリンツ、磯風。悪いけれど、ここからは参考にはならないから」
「え?」
瞬間、まるで居合斬りのように矢矧がポイを振り抜く。
水面にポイの軌跡をなぞるような水しぶきが立つと共に、その水しぶきと一緒に大きな赤い物体が跳ね飛ばされたのを全員が見た。
それは、水槽に残っていた最後の金魚。
空中に投げ上げられた金魚はそのまま矢矧の持つ容器にちゃぽん、という水音と共に落下した。
ギャラリーからは声もでない。
「え? い、今のなんですか……?」
「水面近くに上がって来た金魚をポイの枠の部分で弾き飛ばしたのよ」
「枠? こんな細い部分で……」
「可能なの? そんなことが……」
確かに実際枠を使って金魚を浮かせて、そこに器を滑り込ませる技は存在する。しかし、浮かせるどころか弾き飛ばすとなると難易度がまるで違う。
誰もが信じられないという視線で矢矧を見つめていた。
そして、しばらくの静寂の中。ギャラリーの中から拍手の音が小降りに聞こえてきたかと思うと、それはやがて大きくなっていき、しまいには金魚すくいの屋台付近は拍手喝采、大歓声に包まれた。
「ま、参ったぜ……まさか生真面目なお前がここまで金魚すくいをやり込んでいたとはなぁ」
「生真面目だからこそよ」
「は?」
「去年、別の屋台で私は金魚すくいをやって、惨敗したわ。それから一年、リベンジのために金魚すくいに関する知識と技能を磨き上げたわ。これはその積み上げた努力の成果よ」
「な……!」
水を差す様で悪いが、それ以外にやることはなかったのだろうか。
「あなたの言った通りよ、天龍」
矢矧は髪紐を一旦解き、多少乱れた髪を括り直しながら言った。
「――お祭りは戦い、ね」
☆
「――参った、俺の完敗だ! 戦利品としてお前らがすくったこの金魚、持っていけ!」
「いらないわよ」
「お返しします」
「別にいい」
「必要ないな」
「くそ、冷てぇぞ、てめぇら! というか、そもそも大和は一匹もすくえてなかっただろ!」
すくえたかどうかは別として、さっき天龍も言っていた通り、よく考えると金魚をもらったところで飼う気もないのだ。
金魚すくいを楽しめる上に金魚ももらえるという付加価値に盲目になっていただけなのだ。
よく考えたら、屋台側も余った金魚の処分は面倒くさいことこの上ないのだ。
「いやぁ、それにしても金魚が無事で本当に良かったよ!」
「ああ、矢矧は金魚達の命の恩人だな」
「あれ? あなた達まだ気が付いてなかったの?」
矢矧は水槽から金属の管を掴んで引き出す。
さっきまでスイッチが入っており熱を帯びている筈のそれはいとも容易く矢矧によって持ち上げられていた。
「これは偽物ね」
「偽物!?」
「じゃあ、一瞬赤みを帯びたのも……」
「そもそもウォーターバスにそんな機能はないわ。それに、ここまで巨大なウォーターバスは鎮守府にもこの島にもないわ」
「な、なんだ~、全部嘘だったのか」
「本当にもう駄目かとハラハラしたぞ」
「それに気づいていてなんでわざわざ金魚すくいを?」
「調子に乗ってた天龍の顔が苦渋にまみれた表情に変わっていく様が見たかっただけよ?」
なんだ、このドS。
「まぁ、こいつはいくら遊びでも流石にそういう一線は超えないわよ」
矢矧が微笑みながら言った。
「言っただろ? スリル感満点だって。それを演出するための芝居だよ、こんなもんは」
天龍がそっぽ向きながら、少し恥ずかしげに付け加えた。
「なんだ、天龍もいいとこあるね! お姉様程じゃないけど!」
「てめぇ、偉そうに……!」
「さて、それはそれとして、お仕置きタイムよ」
「え」
その矢矧の一言で天龍の顔から血の気が失せていくのが良く見て取れた。
「嘘とはいえ、金魚への虐待行為。それを利用した客の誘導、法外な額のポイ、諸々。立派な規律違反よ」
「い、いや、それは全部矢矧さんが解決してくれてハッピーエンド、みたいな……」
「口を慎みたまえ、君は今監察艦の目の前にいるのだ」
まさかのム●カ復活。
「いや、いい感じで終わりそうだったじゃん! このままいい感じに秋祭り回終わらせられそうだったじゃん! やり切った感あったじゃん!」
「君も男なら聞き分けたまえ」
「俺は女だ!」
じりじりとスタンリングを天龍に向けて近づく矢矧に後ずさりながらも自分の身体を見て天龍は何かきがついたように口を開いた。
「ちょ、ちょっと待て! 俺はさっきのお前の立てた水しぶきもろにくらって水浸しだ! ここに電撃ってのは、少しやばいんじゃねぇのか!?」
「……まぁ、電気椅子と比べても低電流だから水に濡れていても死には至らないと思うけれど」
処刑器具と比べられても全く安心できない。
「でも確かに少しは心臓麻痺とかの可能性はあるかもしれないわね」
「だ、だよな……」
スタンリングを下げ、天龍の表情に安堵が垣間見えたその瞬間であった。
「
「うわあああああ! 目がぁああ! 目があああああああああああッ!」
「じゃあ、今回はこれで勘弁してあげるわ」
「うわぁ」
「――あれ? あんた達揃いも揃って何やってんの? なんか一人倒れてるけど」
「瑞鳳!」
天龍が悶絶する中、声を掛けてきたのは瑞鳳であった。
「どうしたんですか? 連れの男の方と一緒にお祭り行ったんじゃ?」
「それが、私が次に奢って貰う屋台探してる内に見失っちゃったのよ。全く、私とのデートで迷子になるなんて最低最悪な男ね」
「いや、それ迷子になってるの瑞鳳の方」
「――あ! やっと見つけましたよ、皆! なんか一人倒れてますけど」
「次は提督か」
立て続けに私達の前に現れたのは提督であった。
顔が真っ赤になって、足もふらついている。相当役場の方々に飲まされたと見える。
「あら、珍しいわね。抜け出して来たの?」
「ええ、今日は皆さんと秋祭りに行く約束でしたからね、う、気持ち悪い」
「吐くんならどっか行ってよね」
「折角頑張って抜け出して来たのにその対応は酷くないですか!?」
その時、不意に夜空にパーンという音と共に大きな花が咲く。
「おお、花火ですよ!」
「秋に見る花火も悪くないわね」
「綺麗だな」
「おー! タマ・ヤー!」
「全く、こんな奴らと一緒じゃムードの欠片もないわね」
「花火までに合流出来て良かったですよ。やっぱりこの花火は皆で見たかったですしね!」
「一人、見れてないけれどね」
「目がああああ! 目がああああああああああ!」
その後、提督と七丈島艦隊の皆でお祭りを回り、私は十年振りに充実した祭りの夜を過ごしたのであった。
次回からはまたいつもの日常。