天龍、七丈島着任。
「やぁ、プリンツ、今日もいい天気だね。そういえば、商店街の喫茶店知ってるかな? 新作のパフェを今出してるらしいんだけれど、良ければ一緒に――――」
「失せろ」
「…………はい」
こんにちは、廊下の壁からこっそりと二人のやり取りを観察しています、大和です。
最近、プリンツのエドモンド・ロッソ提督のアプローチへの塩対応が不憫でならない今日この頃です。
それはそれとして、今日も七丈島は平和です。
「よし、今日は66文字もったぞ! 昨日は61文字だったから5文字の大躍進だ!」
それは躍進ではなく誤差です。
エド提督のあのメンタルの強さは一体どこから来るのでしょうか。
彼がこの七丈島に居候を始めてから早数か月。
週に3、4回のペースで彼はプリンツをデートに誘いに現れるのですが、その度にこっぴどくあしらわれています。
最初の方は面白がって見ていた瑞鳳も二週間前に「きついわぁ」と言って以降姿を見せなくなりました。
「プリンツも最初は無視だったけれど、最近では『死ね』と言葉を返してくれるようになってついに今日は『失せろ』だ! 2文字から3文字! 大躍進だ!」
だからそれは誤差です。
あの前向きさに思わず涙が出そうになります。
瑞鳳もそんな感じでみていられなくなったのでしょう。
ただ、酷いのはプリンツです。
確かにエド提督のあのアプローチ地獄にはうんざりするものがあるのは否定できかねますが、それでももう少し言葉を交わしてあげても良いと思うのです。
「それは無理だよ、お姉さま」
「気配もなく私の背後に立ちつつ当然のように私の思考を読むのはやめてもらえませんか?」
「でも、お姉さまももう慣れちゃいましたよね?」
「はい、残念なことに」
「じゃあ問題ないじゃないですか!」
「これを問題ないと片づけることに問題があるんですよ!」
私だけは常識を手放してはいけない。
そう強く思う今日この頃なのです。
「ふ、大丈夫さ、大和。僕のことなら心配はいらない。へこたれてはいないからね!」
「あなたまで気配なく私に接近するのはやめてもらえませんかね!?」
というか、まさか二人とも私がいることには気づいていたのでしょうか。
「当然だよ、私がお姉さまの位置を見失うなんて電波の届かない所にいる時くらいしかないんだから」
「GPSか何かですか」
「僕だって流石に近くにいる人間の気配くらいはわかるさ。提督だからね」
「提督って何者なんですか」
それはそれとして見られているとわかっていながらあんな大胆なアプローチを仕掛けるとはエド提督も肝が据わっているものです。
「イタリア男は公衆の面前だろうがプロポーズをやめない! むしろ見られていた方が興ふ――――勇気が湧いてくるんだ!」
「今興奮って言いかけましたよね?」
「この、変態ッ!」
「その通りなんですけれどプリンツにだけはその単語を使う資格はないです」
「――お、大和ここにいたか!」
私達がそんな談笑をしている中、天龍がやってきて私に声をかけてきました。
「客が来てるんだが。ちょっと食堂来れるか?」
「お客さん? どなたですか?」
「俺とお前は以前会ったことあるぜ」
そんなもったいぶった天龍の台詞に首を傾げつつ、私は食堂へと急ぐことにしたのでした。
☆
「ご無沙汰しています! 天龍さん、大和さん!」
「あ、あなたは」
「二原荘の時は大変お世話になりました!」
「バイト勇者さんじゃないですか!」
久々の登場過ぎて誰だ、となっている方も多いと存じますが、彼については詳しくは七十一話から七十四話をご参照ください。
簡単に説明するのなら、彼はこの七丈島のありとあらゆるバイトをこなすスーパー高校生です。
高校生というからには高校に通う生徒の筈なのですが、学校にはちゃんと行っているのでしょうか。謎です。
「それで、どうしたんですか、一体」
「ちょっと、皆さんに相談がありまして……」
「相談?」
「こういう相談をする相手っていうのが全然周りにいなくて、なんというか、こんな下らない話を艦娘さんに持ちかけて申し訳ない限りなんすけど」
バイト勇者さんはそう言って、大変言い難そうにもぞもぞと口を動かしました。
「恋愛相談、させていただけないでしょうか……!」
「な、なんですって!?」
恋愛相談。
それは、恋する男女が想い人以外の人間に自らの恋模様をあけっぴろげに打ち明け、今後の展望などについて模索する行為のことです。
つまりは、バイト勇者さんには想いを寄せる異性がいるということ。
成程、眩しい。これが青春という奴ですか。
私がどこかに置き忘れてしまったものですか。
いいなぁ。
「ま、それはそれとして」
「誰なんだよ、そのお相手は?」
私と天龍は喰い気味にテーブル向かいのバイト勇者さんに顔を近づけます。
彼の方は、思いのほか私達が食いついてきたことに困惑を見せつつも、恥ずかしがりながらその名前を口にしてくれました。
「いろは、です。二原荘の、若女将やってる」
「……ああ、あの子ですか!」
二原荘の若女将をしている女子高校生、いろはさんに関しては、詳しくは七十二話から七十四話をご参照ください。
「ふ、二原荘の若女将のことなら僕も良く知るところさ。彼女は確かにこの島の中でも五本の指に入るレベルの美少女と言えるだろうね。バイト勇者君、中々いい趣味と言わせてもらおう!」
「急に出てこないでもらえます、怖いな!?」
突然後ろから謎のキメポーズと共に現れたエド提督に私は思わず罵声を浴びせてしまいました。
まぁ、後悔はありませんし、むしろ言い足りないくらいではあるのですが。
「しかし、そうですねぇ。お話は理解できたんですけれど」
「俺達じゃなぁ、ちょい力不足だよなぁ」
私と天龍は顔を見合わせて唸ります。どちらもはっきり言って恋愛沙汰とは無縁の位置にあるものですから、正直ここまで興味本位で話を進めてしまいましたが具体的な相談に対して的確な回答を持ち合わせてはいないのです。
こういう話は百戦錬磨の瑞鳳か、もしくは絶賛恋する乙女な矢矧がいてくれた方が盛り上がるのです。
「ふ、そう不安げな顔をしなくてもいい、大和! 何故なら、ここに一人、恋愛の達人がいるのだからね!」
「…………」
「ちょ、なんでますます不安げな顔をするのかな!? このエドモンド・ロッソは色恋沙汰に関してはちょっとしたものなんだよ、君ぃ!?」
「いや、でも……えぇ」
「えぇ、じゃない! これでも老若男女問わずあらゆる恋愛相談を持ちかけられ解決してきた身さ! 是非僕に任せてくれたまえよ! それにバイト勇者君とは喫茶店のバイト仲間、力になってやりたいんだよ、個人的にも!」
「え、そうなんですか!? エド提督喫茶店でバイトしてたんですか!?」
「このエドモンド・ロッソ。ただで居候させてもらおうだなんて思っちゃいない。経済的な負担くらい軽くしなければと考えている。ザラとポーラも確か伊良湖さんの所で働かせてもらっている筈さ」
唐突に何か立派なことを言い始めたが、とにかく彼はこの話に首を突っ込む気まんまんらしい。
仕方なく、彼も椅子に座ってもらうことにした。
「それで、何が聞きたいんだい?」
「は、はい。その、女々しいとは自分でも思うんすが……」
「はい」
「自分、いろはにどう思われているんでしょうか!?」
「え、そりゃ――――」
「天龍!」
私は慌てて天龍の口を塞ぎました。
そう、私達は知っているのです。以前、二原荘の女将、すなわちいろはさんの祖母から、いろはさんがバイト勇者さんを憎からず思っているらしい事実を。
きっと天龍はそれを言おうとしたに違いありません。
しかし、それはどうなのでしょうか。
ここで、いろはさんもあなたのことが好きだから安心して告白するといいですよと伝えてしまったとして、それはなんだか違う気がするのです。
天龍も私の意思をなんとなく理解したのか、小さく頷き、それ以上は何も言いませんでした。
「ふむ、いろはちゃんとはよく話すのかい? もう何回かデートには行ったのかな?」
「その、今はもう二原荘のバイトはしていないので、学校で偶に話すくらいっす。デートとかは、特には……」
「ううん? じゃあ、二人でどんなことを話しているんだい?」
「別に大したことじゃないすよ。昨日はバイト先でこんなことがあったとか、宿題が大変だったとか」
「うん、話にならないな! 脈なしだ!」
「やっぱり……」
「ちょっと!?」
思わずエド提督の胸ぐらを掴んで引き寄せ、思い切り落ち込んでいるバイト勇者さんには聞こえないように耳打ちします。
「何言ってくれてるんですか! これで彼の恋が終わっちゃったらどう責任取るつもりですか!?」
「おいおい、僕は客観的に見て事実を語っているだけだぜ? 正直二人の関係は友達止まりが良いところだと思うがね。異性として意識してもらうには距離が遠すぎる」
「いや、それは、そうかもしれないですけれど……」
「なぁ、バイト勇者。二原荘に居た時はどうだったんだよ? 結構打ち解けてたように見えてたけどよ」
ここで天龍が良いパスを出してくれました。
バイト勇者さんも少し、青ざめた顔に生気を取り戻したように見えます。
「確かに、二原荘でバイトしてた時はだいぶ距離が縮まった気がします。凄く楽しかったなぁ」
「おお、お前がそう思ってんなら、もしかしたら向こうもそう思ってるんじゃねぇの?」
「そ、そうすかねぇ。でも、向こうは単に仕事仲間としてってだけかもしれないし……」
いいぞ、天龍。私は内心ガッツポーズをしていました。
上手く彼をポジティブな方向に誘導してくれている。
ここで彼の恋の炎をかき消すわけにはいかないのです。
「その時はあくまで一緒に仕事をした仲間として見てただけだろう。距離が近くなるのも当然と言えば当然だ。他意はないと考えた方がいい」
「ちょっと!」
再び、彼の胸ぐらを掴みました。
「なんで邪魔するんですか!?」
「そんなつもりはない。でも、事実は事実として伝えてやらないともしも勘違いだった時が悲しいじゃないか。しっかりした確信が得られるまで僕は無責任に背中を押すことはしない」
「この……!」
「それともあるのかい? 君にはいろはちゃんがバイト勇者君に気があるって確証が」
思わず言葉に詰まりました。
エド提督に打ち明けてしまえばもしかしたら協力してくれるのかもしれません。しかし、さっきからこの敵対的な態度。
彼の女好きな性格はザラやポーラからもよく聞いています。イタリアでもしょっちゅう女の子を追いかけまわしていたとか。
もしかしたら、彼もいろはちゃんを狙っているのでは。
だから今バイト勇者さんに恋を諦めさせるような発言ばかりするのではないでしょうか。
そう疑念が湧いた以上、私の口はそれ以上動くことはありませんでした。
「何も言うことがないのなら、話に戻ろうか」
「……はい」
その後も、エド提督の執拗な嫌がらせは続きました。
「そういえば、何度かノート見せてもらってます! バイトで大変だろうからって」
「単純に世話焼きなんだろう。旅館で働いている身だからね、人一倍気遣いができてもじゃない」
「確かに彼女、学級委員長もしてますからね……責任感からの行動化もしれないっすねぇ」
ああいえば。
「以前お弁当作ってもらったことがあるんすよ! 毎日コンビニ弁当とかで栄養偏るからって!」
「旅館の新作メニューの試食を兼ねていたんじゃないか? 感想を求められなかったかい?」
「た、確かに……結構詳しく感想聞かれました」
こういう。
「よく話している時にずっと目が合っちゃったりするんすけど!」
「女性は男性に比べて異性と目を合わせることに抵抗がないんだ。体格的に男性に劣る女性は相手の挙動をよく観察しようとする本能が働くらしい」
「別に特別なことじゃないんすね……勉強になります」
当然私達もフォローしようとしたが、うんざりするほどに叩きのめされた。
「やっぱ脈なしなんすかねぇ……」
「そ、そんなことは」
「そうだぜ、諦めるにはまだ早いだろ!」
「いえ、もう時間もないんすよ。俺、近々故郷に帰る予定で」
「え……!?」
「七丈島を離れるってことか!?」
「故郷はどちらなんですか……?」
「……ドイツっす。実は、父親がドイツ人なんす、俺。だから今度そっちに戻ることに」
「ドイツ……」
「じゃあ、当分こっちに戻ってくることはできねぇ、のか……?」
バイト勇者さんは黙って頷くだけでした。
「来週、七丈祭りがあるじゃないすか。その時に想いを伝えようって思ってたんす」
七丈祭り。毎年この時期に島で行われるお祭りです。
かなり大規模で島全体で行われます。
去年は最後に確か花火も打ちあがったりしていました。
確かに、告白には絶好のシチュエーションでしょう。
「今更付き合うにはあまりにも遅すぎる。だから、いなくなる前に、せめて想いだけは伝えようかと思ってました」
「つ、伝えましょうよ!」
「でも、俺だけの一方的な想いなら、伝えられても迷惑なだけなのかなって……思っちゃったんすよね……はは、なんだろ、俺、滅茶苦茶ダサいっすね」
「う、ぐ……」
もう、打ち明けるしかない。
正直、このタイミングで話すのも気まずい感じがするけれど、それでも、彼の恋心を消してしまうよりはずっといい。
私が口を開きかけたその時でした。
エド提督がバイト勇者さんに笑って言いました。
「バイト勇者君、いや、バイトと呼ばせてもらうか。全く、なんというか君は、情けない奴だな」
「な、あなた、誰のせいで!」
「てめぇ、この野郎!」
私と天龍に掴みかかられた彼はそれでもバイト勇者さんから目をそらすことなく続けました。
「君は待っているだけだろう、背中を押してもらうのを! 女々しい奴め! 答えなんてとっくに出ているのに! なぁ、バイト! お前の心はとっくに決まっているのに、なんだって行動しない!? 僕にはそこが理解できないぜ!」
「エドさん……」
「僕は散々、君の言うことを否定してきてやった、完膚なきまでに、徹底的にだ! でも、君はそれでもと、負けじとこんなことがあっただとか、彼女とこんなことをしただとか、諦めずに噛みついてきたじゃないか! なぁ、なんでだ!? なんで、脈なしって言われて、それでもと言い返したんだ!?」
「それは……」
エド提督の言葉には熱がありました。
心から、バイト勇者さんに言葉をぶつけているのです。
私と天龍はいつの間にか掴みかかった手を放していました。
「いいか! そんなのは決まっている! 脈なしだろうがなんだろうが、彼女のことが好きだからだ! 諦めないと既に心に決めているからだ!」
「そ、そうっすよ、そんなことは最初からわかってます! でも――――」
「だったら、さっさと想いを伝えろ! 告白しろ! 男にそれ以外の選択肢なんてない!」
言い切った。清々しいほどまでに。
だが、彼はそれを体現している。何度でもプリンツへ想いを伝え続ける一所懸命な姿を目の当たりにしているからこそ、私にはその言葉が彼の生き様そのもののようにも思え、心に響かずにはいられなかったのです。
私達はいつの間にかバイト勇者さん同様、固唾をのんで彼の次の言葉を待つばかりでした。
「故郷に帰るのがなんだ、迷惑がなんだ。そんな些事は想いを伝えない理由にはならない!」
「そう、なんすかねぇ……」
「君は本当に女々しい奴だな! だが、そんな君の背中を押す言葉を贈ってやろう! 僕の母さんの言葉だ、噛みしめろ!」
バイト勇者さんの胸ぐらを引き寄せ、テーブルの上に片足を乗せ、エド提督は言いました。
「どんな理由があれ、女を待たせる男は最低だ」
「――――!」
「来週の祭りだとか言わず、今すぐ行ってこい!」
「はい……はいっ、エドさん!」
弾かれたように、バイト勇者さんは食堂を飛び出していきました。
その表情は、覚悟を決めた男らしい顔つきをしていました。
そして、彼を見送るエド提督も、薄らと爽やかな笑みを浮かべているのでした。
「全く世話が焼けるよ」
「エド提督……」
「大丈夫、成功するよ。それだけは保障する。まぁ、君達もそれは分かっているみたいだけれどね?」
「やっぱバレてたか」
「でも、エド提督はどこで二人が両想いだって知ったんです?」
エド提督はキザな笑みを浮かべて言いました。
「言っただろう、僕は数多くの恋愛相談を解決してきた身なのさ。この七丈島でも例外なくね」
☆
数日前。
「ほう、恋愛相談か。しかし、君ほどの娘なら男なんてよりどりみどりだと思うけれどね」
「はは、そうだといいんですけれどね」
「それで、いろはちゃん。君の想い人っていうのは?」
「……バイト勇者君、です」
以外にも知っている名前が出てきた。最近始めた喫茶店のバイト仲間だ。
誰にでも分け隔てなく陽気に接してくれて、僕自身も店の仕事を覚えるまで彼には良くしてもらった。
恩義には報いなきゃ、イタリア男がすたる。
「私、今度の七丈祭りで彼に告白しようと思ってて……でも、もしダメだったらって思うと、怖くて」
「それはそうさ。想いを伝えるってことは勇気が必要なことだ、怖いのは当然だ。そんな君に、僕の母さんの言葉を贈ろう」
「エドさんのお母さんの言葉?」
「男は為せ、女は待て、だ」
「待つ、ですか」
彼女の表情に不安の色が強まった。
「告白するのと同じくらい、待つのも勇気が必要だ。それでも君がバイト勇者君を信じるのなら、彼が決意するのを待ってあげてはくれないだろうか」
「……それで、大丈夫だと思いますか?」
「ふ、意外と上手くいくんだな、これが。まぁ、見ていなよ」
別に彼女の告白を止める理由なんて実はない。
きっと彼女が見初めた男だ。男だってきっとそれに応えるだろう。
だが、僕の中ではそれはなんというか、カッコ悪い。
こういうのは、やっぱり男が勇気を出さないとな。
まぁ、これは僕のエゴだ。
だが僕の流儀を優先するからには、この二人には必ず幸せになってもらう。
☆
「――まぁ、そんなこんなで僕は全てを知っていたわけだ」
「あの二人、上手くいきますかね」
「バイト勇者の奴、完全に勢いでいっちまったぜ……一応様子見に行くか?」
二人のその後について案ずる私達を注意するように、エド提督は唇に人差し指を付ける。
「おいおい、他人の恋路にそれ以上の詮索は野暮だよ」
この日、七丈島に新たな恋が実ったことを私達は後々に知るのであった。
令和前に投稿せねば(使命感)
次回からは四つ目の長編、プリンツ・オイゲン編に入ろうと思います。