戦艦に憧れる清霜
あの日、私は夢を見た。
「怪我はないか、少女よ」
炎に包まれた街の中で、私はその背中を見た。
後ろからではその横顔しか伺えなかったが、その口元は確かに笑っていた。
「安心しろ。もう、大丈夫だ」
その背中に。
静かな、しかし力強い声に。
一歩も退かず、目の前に黒い塊のように群がる化物とたった一人で対峙するその姿に。
あの日、私は武蔵という夢を見たのだ。
☆
「通常、一艦隊は艦娘6名。これは艦隊として統制が取れ、かつ最大戦果が期待できる構成とされている」
武蔵さんは説明を続ける
「だが今回は例外的に清霜を加え、7名での作戦となる。私達は作戦の成功を第一に行動する以上、お前をカバーしきれる保障はない」
「はい、理解してます。早く行きましょう」
「そうか、わかっているならいいんだが」
「さぁ、出撃だ」
武蔵さん達が艤装を装備し、抜錨する。
私も緊張気味に、少し遅れてドックの中から外へと飛び出す。
「全員来ているわね!? これより南方海域攻略作戦を開始! 目標は敵中枢艦隊の撃破! 今度こそ、やってやるわよ!」
雄々しい発破に他の艦娘もそれぞれ声をあげて答える
「敵艦影発見! 2時の方向、数は6! 重巡、軽巡、駆逐艦の水雷戦隊!」
「単縦陣を成し、突撃! 空母はアウトレンジから航空爆撃! 先制攻撃で混乱した敵艦隊を一気に沈めるわよ!」
ものの数秒でめまぐるしく艦隊の動きが変わりる。艦列が組み代わり、綺麗に一直線に並ぶと同時に爆撃機が発艦する。
状況に追いつけない私は最後尾で艦隊に置いてかれないようついていくのが精一杯だった。
「清霜、大丈夫か?」
「ご心配なく、万全です!」
強がりを言った。
「ふ、ならば良い」
「爆撃成功! 駆逐艦4隻の轟沈を確認、重巡は被害軽微、軽巡2隻はいずれも被害甚大! 撤退行動を取ろうとしています!」
「逃すな!」
「ここからは戦艦の仕事だな」
直後、鼓膜を割らんばかりの轟音が響く。艦砲射撃の音だ。駆逐艦の連装砲とは大違いだ。
逃げられないと悟ったのか、眼前に迫る背中を向けていた敵艦隊も翻ってこちらに砲口を向ける。
「チャンスだ!」
一隻でも沈めれば、私は戦艦になれる。今までの全てをやり直せる。
私は嬉々として連装砲を構える。
直後、私の数メートル横を敵の砲弾が掠めていった。
敵重巡と目が合った。
「ひっ」
駆逐艦と重巡洋艦では射程が違う。
ここはダメだ、もっと下がらないと。
「あ、あれ、でもこれじゃ私も届かない――――」
その時、他の艦の砲撃が直撃し、敵重巡は力尽きて海面に倒れる。
軽巡2隻もいつのまにか海上から姿を消していた。
「全敵艦撃滅確認! 次行くわよ!」
周囲を索敵し、手早くまた指揮をとる旗艦に皆迅速に続く。
私はといえば、先の戦闘での動悸がまだおさまっていなかった。
(くそ、次こそは!)
今回は初めての戦闘だった。まだ勘が掴めていないだけ。
「敵艦隊確認、11時の方角! 」
(もう!? もう少し休憩を――――)
「輪形陣で敵艦隊に突入!」
こんなことが数回繰り返された結果。
ついに私は駆逐艦の一隻だって沈めるどころか、砲撃すらできずにここまで来てしまった。
「清霜、大丈夫か?」
「だ、大丈夫、です……! ご心配、なく……っ!」
最早強がりをする余裕もない。
汗は滝のように流れ続けて止まらない。息がいつまでたっても整わない。
他の誰も私ほど疲弊している艦娘はいない。
「少し休む。この先は敵中枢艦隊だ。今までの敵よりさらに手強い。さっきまでのように逃げているだけでは危ないぞ」
「そ、そんなの、仕方ないじゃないですか! 私は空母や戦艦みたいに、射程も長くないし、装甲も薄いし」
彼女達は安全なアウトレンジからしかも分厚い装甲をもって撃てるのだから駆逐艦の私のように逃げ回る必要もない。
私だって戦艦なら今頃何隻も敵を沈められていたはずだ。
「それは、関係ないな」
「え?」
「よく見てみろ、お前の仲間達を。私達は常にお前の先にいる」
「それは、どういう……?」
理由を尋ねる前に、武蔵さんは旗艦の方へ行ってしまった。
一人取り残された私は、首をひねるばかりだった。
「さぁ、いよいよこの先に敵中枢艦隊がいるわ。作戦通り単縦陣を組み、空母は制空権優勢を目指して、弾着観測ができれば随分勝算が違う。戦艦は敵旗艦に火力を集中させて、随伴艦が庇ってこようが押し切るわよ! 武蔵さん、あなたが火力の要です、よろしくお願いします!」
「ああ、任せておけ。期待以上の働きを約束しよう」
「さぁ、勝ちに行くわよ! 艦隊、出撃!」
全員が雄叫びと共に進み始める。
私もそれに一歩か二歩分遅れて続く。
それは、まもなく聞こえてきた。
『オオオオ、オオオオオオオオオッ』
「姫級を確認! 敵中枢艦隊から航空機多数発艦! 迎撃します!」
「こっちの索敵に即気付いた、相変わらず反則級の性能ね、姫級は……!」
「おい、何をぼさっとしている、清霜」
「え?」
「備えろ、爆撃が来るぞ」
何を急に。確かにこちらの索敵行動は敵に察知されたかのようであるが私達の方も航空機を出したじゃないか。
「甘いな、考えが。言ったはずだ、今までの敵より手強いと。今までのようにはいかない。私も空母のことはまだまだ勉強不足だが、あの艦戦の数では負けはしないだろうが防ぎきれない」
「すみません! 敵機が数機抜けました!」
「全艦、対空砲火――――いや、回避運動ッ!」
黒い鉄の塊が、私達の頭上に飛んできた。
そして、それらは火薬の詰まった爆弾を、私達に向けて投下してきた。
「ぬわぁあああ!」
「あっはっはっはっは! どうした清霜、みっともない声をあげて!」
「うるさい! 必死なんですよ! てか、さっきからことごとく狙ったかのように爆弾直撃してる奴に言われたくない!」
爆弾が雨のように降り注ぐ中、私は走り回り悲鳴を上げて逃げ回る。
しかし、武蔵は落ちてくる爆弾のことごとくを体で受け止めている。
「違うぞ、清霜! 狙ったかのようにじゃない! 狙ってるんだよ!」
「なお悪いわ!」
「元気じゃないか! その調子だ! ほら、前方に見えたぞ、私達の敵が!」
「――――っ!」
前方に見える黒と白で彩られた人型を模した化物。他の深海棲艦とは極めて異質な、不気味な美しさすら感じさせる個体。
初めて見る。深海棲艦最上位艦種『姫級』。
いや、あんな大物はいい。私は随伴艦の駆逐艦を狙うんだ。
「うわ!」
即座に私は移動する。その数秒後にはさっきまでいた場所は砲撃の嵐に包まれた。
ダメだ、もっと距離を――――
『さっきまでのように逃げているだけでは危ないぞ』
逃げているだけじゃ。
確かに、その通りだ。私はここでまだ一度だって戦っていないのだ。
私はここに、何をしに来たんだろう。
私は、どうしたいんだろう。
なんで、ここに来たんだろう。
「私は……そう、私は、私にだってできるって――――」
前方を見た。
視界の中心にはまるで戦艦や空母の攻撃にものともしない姫級の姿が見える。
ふと、そいつのどこか憂いを帯びた暗いまなざしが、私を見つめた。
「清霜ッ!」
武蔵さんの叫び声が聞こえた瞬間、私の目の前を光が包み込んだ。
☆
艦娘になったばかりは、まだ私は今ほど腐ってはいなかった。
戦艦になりたいという希望は通らなかったが、駆逐艦でも頑張ればきっと戦艦並の活躍だってできる。
武蔵さんと肩を並べられるような艦娘になれるって、そう思っていた。
だから、たくさん頑張ったんだ。
遠征だって、文句ひとつ言わなかった。
ある日、攻略部隊に初めて編成された。嬉しかった。
夢に一歩近づいた実感があった。
しかし、当日待っていたのは、駆逐艦と戦艦の圧倒的な差。
私が大破を重ね、一方で戦艦達が悠々とMVPをかっさらっていくその姿に、私は膝を折ったのだ。
「それでも、私は――――」
あの日、武蔵さんに夢を見た。
その夢に焦がれた時間を、否定したくない。
今まで頑張ってきたことを全部間違いだなんて思いたくない。
私が、間違いになんてしない。
☆
「う、ん……?」
「ふ、危ないところだった」
回避できないと思わず目を瞑った。
しかし、いつまでも衝撃がやってこないことを不思議に思い、ゆっくり目を開けると私の目の前にはいつか見たあの背中があった。
「武蔵さん、私は……」
「あと少しで私から外れる所だったじゃないかッ!」
「はぁ、本当にあなたは」
「怪我はないか、少女よ」
幻聴かと思った。武蔵さんの表情は横顔しか伺えないが、その口元は確かに笑っていた。
変わっていない、あの時から。この人は何も、変わっていなかったんだ。
「いつから、気付いてたんですか」
「最初からだ。立派になりすぎていて一瞬わからなかったがな」
「嘘ばっかりですね。私は立派なんかじゃなかった」
「そうか」
「でも、見ていてください。今から立派になります」
私はスクリューを全開で回転させる。
「前に出ますッ!」
ようやく、武蔵さんの言葉の意味がわかった。
私の目の前には戦っている他の仲間達が見えている。それはつまり、全員が私より敵に切迫しているのだ。
私よりも射程があるのに。それでも確実に命中させるために、仕留めるためには、自身の射程ギリギリでは戦わない。
例え、駆逐艦の魚雷の餌食になるとしても、覚悟を決めて撃沈できるよう距離を詰める。攻略が全てである彼女達は、安全には戦わない。
「なら、私は、さらに前へ!」
機動力の高い私は砲撃や爆撃をすり抜けてあっという間に一隻の駆逐艦を目指し、距離を縮める。
当然向こうも気付いて迎撃してくる。
「まだ、足りない……ここからじゃ、まだ当たらない」
私は強くない。上手くない。
でも、もっと近づければ、嫌でも当てられる。
当てれば、私だって倒せる。
舐めるな、今までどれだけ海に出てきたと思ってる。どれだけ、武蔵さんの背中を追って、海を駆けたと思っている。
「ぐ、あッ!」
一発、砲撃を真正面から食らう。
まぁ、これだけ近づけばそろそろ当たり始めるとは思っていた。
でも、それはこちらも同じこと。
必殺の間合いなら、より覚悟が決まっている方が勝つ。
私が、絶対に勝つ。
「私だって、やればできるんだぁ――――ッ!」
何発も連装砲を撃ちまくる。
最早人一人分もない近距離で、それでも何発かは外してしまうが、ほぼ全ての砲弾が駆逐イ級に命中し、ついにその禍々しい身体を海底に沈ませた。
「やった!」
しかし、喜ぶのも束の間、不意に真横で巨大な爆発が起こる。私の体は容易く吹き飛ばされ、艤装は大破していた。
姫級の砲撃。完全に気を抜いていた。
「よくやった、清霜。十分だ」
「いえ、まだまだ、です」
意識が薄れる中、目の前には武蔵さんが立っていた。
無防備にも敵に背を向け、私を見つめる彼女の笑顔が、最後の光景だった。
「安心しろ。お前は、もう大丈夫だ」
☆
「結局あれだけやって戦果は駆逐艦1隻、しかも私は大破」
翌日。入渠室で目覚めた私はすぐに執務室へ行き、作戦はどうなったのか尋ねた。
結果は快勝も快勝。
姫級も武蔵の攻撃が始まった途端に防戦一方。結局、数発の砲撃を一方的に食らい、沈んだという。
無事作戦を終えた艦隊は気絶した私を武蔵さんが背負う形で鎮守府に帰港したというわけである。
ちなみに艦隊の中では私が最も戦果が少なく、かつ被害が甚大だった。
それでも、提督は。
『また機会があったら攻略部隊に入ってもらう。訓練に励め』
と、声をかけてくれた。
攻略部隊の先輩とも互いの謝罪をもって関係を修復し、今度一緒に食事に行くことになった。
あの作戦から、いや、武蔵さんが来たあの日から、停滞していた私の時間は動き出したのだ。
そして、私は今ドックにいる。
提督からあの人はきっとここにいると聞いたからだ。
「武蔵さん、何黙って行こうとしているんですか」
「私の任務はこれで終了したからな」
「打ち上げくらい参加していけばいいじゃないですか?」
「私はドMだからな。褒められたり持てはやされたり、そういうのは苦手なんだ」
そして、思い出したかのように付け足した。
「ああ、約束通り明石には話してみるからな」
それに私は首を振った。
「いや、もういいんです。それは」
「……そうか」
「私は戦艦になる必要はないってわかりましたから」
「そうか、それならば良かったよ」
「駆逐艦のまま、戦艦《武蔵》を目指してもいいですか?」
私の憧れた戦艦は、艦種の問題ではなかった。
私の憧れた戦艦はつまりは心だった。
前に進み、皆の先を行く、その武蔵のあり方に私は憧れた。
だから、私は――――
「私は、戦艦になりたい!」
宝物に、古い雑誌がある、
私の枕の下に大事に保管されている。
誰も頼んでいないのに、いつの間にか勝手にサインまでされているそれは、私が戦艦を追いかけることを間違っていないと認められた証だ。
くっそギリギリセーフ。
今年もありがとうございました。来年も本作品をよろしくお願いいたします。
よいお年を。