やはり俺のソロキャンプはまちがっている。   作:Grooki

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その52:比企谷八幡の人生はつねに地雷に囲まれている。

 ふと意識が戻ると、六限までとっくに終わり、帰りのHRに入っていた。間近に控えている修学旅行について、今度のL H R(ロングホームルーム)で話をするとかなんとか。

 

 ぜんぜん頭に入ってこなかった。

 

 日直の号令がかかり、担任が教室を出ていった直後、俺は本日最後のクラスの騒がしさから逃げるようにして教室を出た。

 

 顔がまだ熱い。足取りがフワフワしておぼつかない。リアルに何度か転びかけた。

 

 購買前の自販機でホットのMAXコーヒーを買い、とりあえず、いつものベストプレイスに避難した。放課後に来るのは珍しい。

 

 夕方の風が海へと戻っていく。今日も天気がいい。日が沈んだら放射冷却(ほうしゃれいきゃく)が強まるだろう。家の自室も、夜はけっこう寒くなってきた。帰ったら暖かくして寝よう。

 

 ……なんかもう平塚先生の抱 擁(ラストブリット)でお腹いっぱいなんですけどこのまま帰っちゃダメですか? この思い出(おっぱいの感触)だけを胸に生きていくことはできませんか? 胸だけに。できませんか。だめですか。

 

 ……いや……やっぱ、あいつらともちゃんと話さなきゃな……。

 

「はぁ……」

 

 気が重い。

 

 ちびちびと熱いマッ缶を(すす)りながら、白い()め息をついた。

 

 

 

 

 考えてみれば、今回の件について、あの二人は大人たちとは関わり方が違う。

 

 そもそも彼女らは、俺のソロキャンプには始めから何の関わりも持っていなかった。他ならぬ俺が、関わらせないようにしていた。

 

 彼女らがあの場にいたのは、平塚先生に付き合わされたからだ。

 

 その意味では小町も同様かもしれないが、あいつの場合は俺のソロキャンプの件は知っていたし、実際の被害としても、メールの転送係をやらされたくらいでまだ済んでいる。

 

 しかしこっちの二人は、何も知らないまま突然県南(けんなん)まで駆り出され、貴重な土日の休みを(つぶ)されたわけだ。

 

 普通に考えて、迷惑をかけてしまった俺に対して怒っていてもおかしくない。

 

 あの時、二人は何も言わなかったが……、俺がふてくされたようにしてキャンピングカーを出て行ったのは、今思うと、かなり印象悪かっただろうな……。もし俺がそんな真似されたらブチ切れるかもしれん。

 

 ……だめだ。もうしょうがない。逃げも隠れもできない。

 

 しっかり平謝りして、雪ノ下(ゆきのした)からどんな罵声(ばせい)を浴びせられても甘んじて受けよう。由比ヶ浜(ゆいがはま)からキモいとか言われても黙って泣こう。

 

 特別棟(とくべつとう)の階段を上る足取りは重かった。

 

 

 

 

 女子な趣味全開の雑多なシールがいつの間にかペタペタ貼られた教室札。

 

 その下でたっぷり二回、深呼吸してから、俺は奉仕部(ほうしぶ)の扉を開けた。

 

 とたんに甘く暖かい香りが顔を包み込んできた。

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が、目の前の長机にクッキーやマフィンを広げ、いままさに()れたばかりの紅茶を()ぎ分けようとしているところだった。

 

 二人同時に振り向いて俺を見てきた。一瞬固まる空気。思わず目をそらす。

 

「……うす」

 

「……こんにちは」

 

「あ、ヒッキー、やっはろー! ちょうどおやつだよ、入って入って!」

 

 雪ノ下が紅茶を注ぐ手を再び動かす。由比ヶ浜が腕全体をぶんぶんさせて俺を手招きする。

 

 その言葉で身動きが取れるようになる。俺は肩から(かばん)を下ろし、いつもの席に座った。

 

「……、紅茶を」

 

 余分のカップがないことに気づいた雪ノ下が、首をふるふる動かし、思い出したように自分の鞄の方へ歩いて行こうとした。

 

「あ、いや、今日は自前であるから」

 

 俺は片手に持っていた飲みかけのマッ缶を(かか)げて雪ノ下を押しとどめた。

 

「……そう」

 

 雪ノ下は小さくつぶやくと、ゆっくりと自席に戻った。由比ヶ浜も居住(いず)まいを正して、こちらを見ていた。

 

 テーブルの上では、二人分のティーカップから湯気がまっすぐ天井へ昇っていた。

 

「……あー、その、何だ……土日の件は、済まなかった。俺のせいで迷惑かけたのに、あんな態度とって、悪かった」

 

 沈黙が続いて口が重くなる前に、俺は思い切ってそう切り出し、二人に頭を下げた。

 

 なんとなく、嫌な予感がした。

 

 罵倒(ばとう)されるならまだいい。そのほうが逆にスッキリして、明日からも俺は普通に奉仕部(ここ)に顔を出せる気がしていた。

 

 だが、なぜここは今、こんなに暖かくていい匂いがしてるんだ。

 

 あくまでも和やかな今の部室の雰囲気に、俺は違和感を感じていた。

 

 もし、彼女たちが、「気にしなくていい こちらこそごめんね」などと、上辺(うわべ)だけの許しの言葉を口にしたら。

 

 なぜだろう。俺はたぶん、そっちの方が耐えられない気がした。

 

 ……ああ、平塚先生、わかりましたよ。こりゃキツイっすわ。

 

 下げている頭が妙に重い気がした。

 

 

 

 

 と。

 

 

 

 

「……ぷっ」

 

 何かがこぼれたように、由比ヶ浜が小さく吹き出した。

 

「ぷ……くくく……っふ、ふふふ……!」

 

 意外過ぎる反応に俺が顔を上げると、由比ヶ浜は真っ赤になって、笑ってるのか泣いているのかわからないような顔で口元と胸を()さえ、上体をかがめてぷるぷる震えていた。目の端には涙が浮かんでいた。

 

「ご……ごめ……! な、なんか……っ、ホッとしちゃっ……っ! くふふ……!」

 

 な……なんなの……?

 

 助けを求めるように雪ノ下を見ると、雪ノ下も(うつむ)きながら口元を両手で押さえてぷるぷる震えていた。

 

 ……!!??

 

 呆気(あっけ)にとられている俺をよそに、二人はしばらくの間、そうやってぷるぷるぷるぷるしていた。

 

 

 

 

 なにこれ??

 

 

×××

 

 

 二人の謎のぷるぷる現象が落ち着くと、由比ヶ浜がまず俺に頭を下げてきた。

 

「ヒッキー、ごめん!! あたしが平塚先生とゆきのんにお願いしたの! 連れてってほしいって……!」

 

 なん……だと……!?

 

 本人からすれば『今明かす衝撃の事実!』的な発言だったんだろうが、あまりに順番ぶっ飛ばしすぎて逆によくわからない……!!

 

「由比ヶ浜さん、そこだけ言っても比企谷(ひきがや)くんには話が分からないでしょ……」

 

 雪ノ下がこめかみに手をやりながら溜め息をついて、由比ヶ浜の話を引き継いだ。

 

「金曜の夜に、平塚先生から私へ電話がかかってきたの。あなたが計画していたのがソロキャンプだったということ、土曜日から出発するということ、そして、平塚先生が一人で様子を見に行こうとしていること……。

 

 だから、私が先生に付き添うことにしたの。私は一人暮らしだし、先生と一緒なら帰宅が遅くなっても泊まりになっても構わなかったから。

 

 けれど由比ヶ浜さんも行くと言ってくれたから、由比ヶ浜さんのご両親の了解を取るために、教師引率のもと、部活動でキャンプをするということにして、実家からクルマを取り寄せたというわけよ」

 

 

 

 

 なるほど。

 

 いや全然(わか)らん。

 

 雪ノ下、お前までどうした……!? 先生に付き添うって……?

 

「ちょ、ちょっと待て……。最初は平塚先生だけが来る予定だったのか?

 

 だとすると……お前たちは別に来なくても良かったんじゃ……?」

 

 俺が指摘すると、今度は二人(そろ)って反撃してきた。

 

「今思えば全くもってその通りなのだけれど……あの時はそうするしか方法がなかったのよ」

 

「あ、あの時はそれはやっぱ超マズいっていうか、危ないっていうか……! 平塚先生とヒッキーが一対一になっちゃうじゃん! って思って……ほ、ホント今考えるとバカだったなーと思うんだけど……!」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜はそう言うと、互いに目を見合わせてモジモジと身を(よじ)った。

 

 

 

 

 どうしよう。ホントに全く解らん。

 

 話の筋が見えてこない。読解力(どっかいりょく)が仕事してくれない。

 

 お、おっかしーなー……俺たしか国語の成績は学年三位なんだけどなー……!?

 

「いや……え? す、すまん、全く解らん……! 俺と平塚先生が一対一になるのが、なんかマズかったのか……?」

 

 逆に、もしあの時に平塚先生と会ったとしたら、一対一で話をしてれば、もっと話はスッキリと片付いていたかも知れない。いや、仮定の話をしてもしょうがないが。

 

 しかし、何にしても、この二人がついてくることの意味が全く解らない。

 

 二人は(ほほ)を赤く染めて、不満ありげにこっちを(にら)んできた。

 

 えっ、な、なに!?

 

 やがて、意を決したように由比ヶ浜がつぶやき始めた。

 

「……だ、だってヒッキー、車とお金がほしいとか、稼ぎたいとか、早く大人になりたいとか言ってたし……! それに……」

 

 ……あ? ああ、そういやそんなこと言った気もするが……でもそれg

 

「……ナンパ通りで、平塚先生を口説(くど)いた、って……!」

 

 

 

 

 

 

 

          ( ω)゜゜

 

 

 

 

 

 

 

 

「……な、なん……!?」

 

 なんでそのことを知っている!!??

 

 デイキャンプ翌日の月曜の夜、パルコ帰りに寄った「なりたけ」の前でのことがフラッシュバックした。

 

 いやいやいや、でもあれはなんかハイテンションだった平塚先生が急に……! お、俺は悪くない!!

 

 ……てか、ちょっと待て、こいつらあの時はアウトレットパーク(海浜幕張方面)行くって言ってたよな……まさかアレは嘘で、俺をつけてたのか……!?

 

 俺の考えを読んだかのようなタイミングで、雪ノ下が由比ヶ浜の言葉を引き継ぐ。

 

「平塚先生が自白したの。最近あなたの様子がおかしいと相談したら、急に挙動不審(きょどうふしん)になって……、てっきり『そういうこと』かと思って、追究(ついきゅう)したら、あっさりと」

 

 自白て。

 

 平塚先生ェ……!?

 

 

 

 

 ……そんな感じで、俺は時系列を(さかのぼ)るように二人の話を手繰(たぐ)り寄せながら整理した。

 

 ……ていうか、二人とも説明が下手すぎる。もっとこうストーリー仕立てで話せよ。書き出しは「あれは俺が○○の時だった……」的に。

 

 

 

 

 話の全体としてはこうだ。

 

 ソロキャンプにハマってからの俺は、二人から見るとかなり様子が変だったらしい。

 

 全然自覚なかった……むしろ気をつけてさえいたんだが……。

 

 俺の当時の言動から、二人は最終的には、なぜか俺が年上の悪い女にたぶらかされてるんじゃ……などと思ったという。いやなんでそうなる。想像力は無限大かよ。

 

 で、二人は心配になって平塚先生に相談に行った。

 

 折悪(おりあ)しく、その相談した日が「なりたけナンパ事件」の翌日だった。

 

 そしてここで平塚先生が、なぜか盛大にうろたえた。

 

 それを目の当たりにした雪ノ下らは、「犯人はコイツだ」と断定し、……やだ、これ以上想像したくない! 怖い!!

 

 その後しばらくして、平塚先生に俺の父親からメールが入り、俺がソロキャンプにハマってることが明るみに出て、平塚先生は冤罪(えんざい)(まぬか)れた。

 

 しかし、いったん俺と平塚先生の仲(白目)に疑惑を持った二人は、平塚先生が単身で俺の様子見に行くことを了承しなかった……俺達が現地でナニするか分からない、と考えたのだろう。

 

 で。

 

 二人ともついて来た……と。

 

 

 

 

「………… ア ホ か ……!!」

 

 大体の話を理解し、今度は俺の方が頭を抱えてぷるぷるせざるを得なかった。

 

 なんだこの気分。うまく表現できない(二回目)。

 

 怒る気も失せるほどの驚きと呆れと可笑(おか)しさと恥ずかしさ。

 

 俺ってこんなに感情豊かな子だったんだな。知らなかったよ。

 

 っつーか、マジで何の勘違いコントだよ……! アン○ャッシュもびっくりだよ……!!

 

 俺が当事者じゃなかったら腹抱えて爆笑してる自信あるわ……!

 

 ぷるぷるしすぎて俺そろそろゼリーになるんじゃないのとか思い始めた時、

 

「……何も反論できないわね。今回のことは、私達の完全な勘違いだった。……比企谷くんのせっかくのソロキャンプを台無しにしてしまって……、本当にごめんなさい」

 

 雪ノ下はそう言って、綺麗(きれい)な所作で深々と頭を下げた。

 

「ご、ごめんなさい……!!」

 

 由比ヶ浜もそれに続く。

 

「い、いや……」

 

 俺は慌てた。確かに二人の行動はアホアホだが、元はといえば、何も説明しないままにこいつらを誤解させてしまった俺の責任だ。

 

 それに女の子に真正面から謝罪されるなんて、なぜかすげえいたたまれない気持ちになる。

 

「やっぱり、俺の方こそ済まなかった……! なんか、その、心配してくれて、ありがとな」

 

 俺も頭を下げた。三人で床を見つめている構図。

 

 頃合いを見計らって顔を上げると、同じタイミングで顔を上げていた由比ヶ浜と目が合った。

 

 

 二人で同時に吹き出した。

 

 ああ、なるほど。俺もなんかホッとしたよ、由比ヶ浜。

 

 

 

 

 お互いがお互いから責められるのを覚悟していた。

 

 けれど、どちらも誤解してて。

 

 それが喜劇(コメディ)のようにすれ違っていた。

 

 誤解が解けた今、腹の底から湧き上がってくるのは安堵(あんど)可笑(おか)しさ。

 

 見れば雪ノ下も、必死で笑いをこらえていた。

 

 部室の暖かな空気と甘い香りを、ようやく俺は心地よいと感じることができた。

 

 

 

 

 

「あ、そういえば……ヒッキー、平塚先生とは仲直りできた? お昼休み、先生を追いかけて行ってたみたいだけど」

 

 え?

 

「私達も改めて謝罪に行った方が良いかも知れないわね。そうだわ、少しこのクッキーとマフィンも差し入れて……」

 

 えっ?

 

「じゃあ、(かぎ)返しに行く時、あたしもついてくよ! ヒッキーは?」

 

 ……昼休みのことがフラッシュバックする。平塚先生の感触が(よみがえ)る。

 

 ……い、イカン……!!

 

「あ、いやっ、お、俺は……昼休み、話できた、から……!!」

 

 イカンイカンイカン!!

 

 顔がどんどん熱くなっていく!! (しず)まれ!鎮まれ俺の小宇宙(コスモ)!!

 

 

 しかしておくれだったようだ。

 

「……どうしたの? そんなに顔を真っ赤にして……?」

 

 雪ノ下の微笑(ほほえ)みが、すぅっと部室の温度を下げる。

 

「……ヒッキー、もしかして……やっぱり……!?」

 

 貼り付いたような笑顔の由比ヶ浜の背中からゴゴゴ……と黒い陽炎(かげろう)が立ち(のぼ)る。

 

 

 

 

 ()んだ……(白目)

 

 

 

 

 ……その後、俺は職員室まで連行され、平塚先生とともに二人から尋問(じんもん)された。

 

 平塚先生がここでもうろたえたから事態がさらに悪化した。この人は……!

 

 二人の新たな誤解を解くまで、完全下校時間いっぱいまでかかった。

 




気合入れすぎて二話分くらいのボリュームになりました。つ、疲れた……!

女子キャラたちの視点でもいくつか番外編を書く予定なので、こっちでは彼女らの経緯はこのくらいに留めようと思います。

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