目を開くと同時にスマホのアラームが鳴った。
たまにあるよな、そういうこと。
砂浜とはいえ、自宅のベッドとは程遠い固い寝心地に、身体が多少ゴワゴワしていた。
テントを抜け出て、大きく伸びをした。
午後3時半。日はまだあるものの、なんだかさっきより
俺は着ているMA-1ブルゾンのファスナーをしめ、パーカーのフードをかぶった。
こういう、パーカーとかのフードって、ずっと飾りだとしか思ってなくて、雨に降られた時なんかにちょっと被る位だったが、ひょっとしたら、首を寒さから守るためにあるのかも知れないな…あったかい。
この後の段取りは…夕飯と、暖を取るための焚き火、そして就寝だ。
日が沈んで暗くならない内に、あらかた
まず、バックパックから新聞紙を取り出し、一枚一枚くしゃくしゃに丸めてから広げ、
コレでいいかは分からないが…寝るときに直していけばいいだろう。
それからもうひとつ。ちいさなLEDライトを取り出して、ポケットに入れた。
家の
ホントなら、周りを明るく照らすランタンとか欲しいんだがな。高いし、金ないし、あってもあんなデカイものを持って歩こうって気にはならないんだよなー…。
っていうか、こんなライト一つで大丈夫かな…怖くないかな…?
まぁ、歩いてすぐそこには民家が並んでるし、キャンプ場内にもポツポツと電柱が立ってて、外灯がついてるし、何とかなるだろう。
焚き火の
とりあえず夜への備えを終えて、場内のトイレに行った。
トイレは簡易水洗だった。掃除はされていて、男の俺には充分だった。
トイレから戻る途中、砂浜への降り口付近にある駐車場に、デカいキャンピングカーが1台
そのとき、はじめて気付いた。俺の他にもポツポツと、キャンプ場に入ってきてる人がいたのだ。
ほー、ここってやっぱ人気あるんだな。みんな好きねぇ。
砂浜の比較的固く締まったところを、コンパクトカーで乗り付けて、俺のテントから近過ぎず遠すぎず、いい位置で設営をしてる人が二人。それぞれソロキャンプに来てるようだった。
ひとりは、かなりいい体格のおっさんで、
クールマン製の「スクリーンタープ」…テントの巨大版というか、四方と天井を幕で囲んで、中にテーブルとか椅子とか置けるやつで、本来は複数人でリビングルームみたいに使う…をたった一人で器用に設営し、折りたたみ式のキャンプ用ベッド(コットという)と寝袋、テーブル等を中に入れ、一人部屋のようにくつろいで使っていた。
あっ、あれいいなぁ。ソロキャンプの最終進化形みたいな感じ。絶対快適だぜ、あれ…!!
もうひとりは、これまたどっしりした体型の30代くらいの男の人で、今しがた着いて、設営を始めたばかりのようだった。
が。
コンパクトカーからなにやら直径数十センチくらいの円盤状のものを引っ張りだして来たかと思えば、その外袋を開けて布製らしき中身を取り出し、ベルトを外して空中に投げた。
ばさっと音がして、投げたモノが一瞬の内に展開し、白いテントになった。
そのテントを手慣れた感じで地面に下ろし、ちょっと位置を微調整してペグ打ちを始めた。使ってるのは長めの
…なにあれ、あんなテントがあるの…!?すげぇ…!!
その人はテントの他、車のシガーソケットから小型の電動ポンプを動かし、エアベッドを
色合いにこだわりがあるようで、その人のサイトは、テントもタープも道具類も、白か黒か銀色のものばかりで、どことなく統一感があった。車は水色だったのが惜しいが…。
どちらの人も、車から色々と荷物を出してきては、サイト周りに具合よく設置していった。
うおー、やっぱ車使えるっていいよなぁ…!
まだまだ知らない、いろんな
俺が通りがかった時も、余計なことは話さず、お互い軽くお辞儀するだけ。
ソロキャンパー同士、この「踏み込まない感」、いい感じ。
けれど、とりあえず、海岸にひとりきりという状況ではなくなって、ちょっと安心感が生まれた。
…いや、ソロキャンプはしたいけど、
分かるかなこの感覚…?
×××
日が落ちたら寒さも増すかもしれないと思い、少し早めに焚き火をすることにした。キレイな草地の上に焚き火台(蒸し器)を直接置くのは気が引けたので、腕くらいの太さの流木を並べて、その上に水平に気をつけながら焚き火台を置いた。
今回もティッシュとライターで着火した。デイキャンプの時より、うまく火を起こせるようになっていた。一回経験するってのは大事だなホント。大事だぞ大岡。
イイ感じに
あったけぇ…。
ぼーっと焚き火で暖まっていると、いつのまにか太陽が水平線にうんと近づいてきていた。向こう岸には少し雲が出ているようで、その中に
おっとそうだ。夕飯の下準備。
俺はバックパックからスープジャーを取り出した。今日は食材を入れてあるが、ソフトクーラーじゃなく、あえてバックパックに入れて、持ち運びのしやすさはどんなもんか検証していた。バッチリ。これほんといいぞ。
中には、氷が数個、ビニール袋の中で混ぜ込んだキムチと生の豚肉こま切れが、みっちり入っていた。
キムチ肉は前日に用意し、家を出る直前まで冷やしておいた。周りの氷は若干溶けていたが、まだ小粒の状態で残っていた。期待していた程度には保冷できていたようだ。
米は、今回はドラッグストアでたまたま見つけた、小袋入りの「
炊く前に
500gくらい入ってる袋がひとつ三百円前後と、普通の米よりはちょっと割高かもだが、アルファ米よりはずっと安い。
前もって1合ずつ測って小袋に分けていたものを一つ、クッカーに出して水に
あと
…今日の夕飯は、豚キムチ鍋っぽいもの(一人用)と米飯にするつもりだ。
寒い時はやっぱ
米にしっかり浸水するのを待っていると、父親がふらりと、様子を見にやって来た。
先ほど駅近くの駐在さんのところにも行ってきたという。
「よう、しっかりやってるか。」
ニヤッと笑いながら、父親は焚き火の前にどかっと座り、俺とテントをしげしげと
普段は気に食わないことも多いオヤジだけど、見知らぬ土地でそばに来てくれたのは、正直ちょっと、ほっとできた。このへんはやっぱ、家族なんだなぁと思った。
「おかげさんで…。
そうそう忘れるところだった。差し入れでもらった「びわゼリー」の残りを父親に見せ、買っといてとおねだりした。
父親は最初、ケッとかつぶやいて嫌がってたが、すごく
箱って。
相変わらず俺と小町に対する対応の差がすげぇ。まぁ俺も小町のためなら父親などベヘリットに
…いや。
今回は本当に感謝してる。
父親からテントや寝袋をもらえなかったら、俺は年が明けても進級しても卒業しても、やっとこ買ったガスストーブとクッカーで、夜食のラーメンを作って部屋とか河口とかで食うくらいのことしかできなかったろう。
そしてそのままやがて飽きて。
重い荷物を担いで電車に乗って遠くへ旅に出て、生まれて初めて見る風景の中で、テント張って寝袋広げて飯の支度して、薪を拾って焚き火して、なんて経験は、その後の人生でもすることはなかっただろう。
「疲れるだけだろ、くだらねぇ。」とか言ってたかも知れない。
そして。
そんなことが俺にもできるということを、
そんなことが俺にもできるんだということを、
多分一生、知らずにいただろう。
「…ありがとな、父さん。」
「あ?……な、なんだ急に。」
ぽつりと出てきた息子の感謝の言葉を、この父親は盛大に気持ち悪がった。ひどくね?
「いや、テントとか、寝袋とか…いろいろ。
…ソロキャンプ、やれて良かった。」
いろいろどう伝えようか考えたが、うまくまとまらなかった。切れ切れでたどたどしい言葉になってしまった。
父親はそれを聞いて、ふ、と小さく笑って、テントの青い
「… … …、このテント買ったのは、三年くらい前だった。」
父親はいつものごとく突然、語り始めたが、今日は続きを聞いてやる気になった。
「…その頃、抱えてた仕事がうまくいってなくてな。
外部とのトラブルだけならまだマシだったが、当時の上司がクソでな。内部的にもグチャグチャだった。
…あの頃はほんとに、毎日最悪の気分で通勤してた。」
ふと、文実での苦労と、
本物の仕事で味わう苦労は、あんなもんじゃないんだろうけどな。
「家に帰れるのはいつも深夜。帰ってきても、母ちゃんも忙しいし小町の無視も今よりひどかったし、お前はお前で家では引きこもってて、正直扱いに困ったし…心が休まるときがなかった。」
そういえば、その頃に父親と会話をした記憶がない。ないことはないだろうけども…。
家に帰って来てたのかどうかも、正直全く覚えてない。ご…ごめん親父!
「なんかな。…ぜんぶやめたくなっちゃってな。何だこの人生って。
ぜんぶ放り出して、大学の頃みたいに、バックパック背負って色んな所うろうろ旅して、テントで寝て、そんなのをまたやろうかな、と思うようになった。
仕事も家族も知るかって。家出しようかって思ったんだ。
で、衝動買いみたいにコイツらを買った。母さんやお前らに秘密でな。」
父親のその
あのときひょっとしたら、うちの家族は壊れてたかもしれないって話だからな。
しかし…うちの家族は家出が好きねぇ…!親父といい小町といい。まぁ、今俺がやってることも、似たようなもんかもしれないが。
…やべぇ、そうすると次は母親かも…!?それ困る。それはほんとに困る。おかあさんを大事にしなきゃ!!父親が辛かった過去を告白してる横でそう思った。ひどい息子ねぇ。
「…あー、その…何だ…ごめんな。そんな状況だったって知らなかった。
俺もその頃はちょっと、正直、いろいろひどかったからな…。」
焚き火をぐしぐしといじりながら、いまさらながら、親父に謝った。
親父はひとつ大きな深呼吸をして、俺を見ながら
「でもな。コイツらを買ったすぐ後、…お前が
しばしの間。
俺は何も返答できなかった。ぽかんとした顔で、親父を見た。
「お前がこっそり嬉し泣きしてたのを覚えてるよ。」
「…してねぇよ…!」
いや嘘。合格通知をもらった夜は、布団の中でけっこう号泣した。
「あれはなぁ…効いたよ。ものすごく効いた。何が効いたかって…親だからかな…今でもよく分からん。」
「………」
「ちょうどその頃、職場の方でもクソ上司が異動して、仕事がやっと回り始めた。
…
で、コイツらをずっと他に預けっぱなしにしてたってわけだ。」
ははは、と父親は
「…何の話だったっけ…ああそうか。
だからな。お前がコイツらをまっとうに使ってくれて、俺としても良かったって話。」
以上、と話を
「んじゃ、帰るわ。あとはしっかりやれよ。」
そう言い残して、片手を上げながら、振り返りもせずのたのたと歩いて、駐車場へ消えていった。
父親が目の前からどいた分、風の通りが良くなったのか、急に風の寒さを感じるようになった。
あるいは、父親の話で、俺の顔が熱くなっていたのかも知れない。
気づけば、無洗米の浸水は、とっくの昔に十分な感じになっていた。
リアル世界での年末進行のため、ちょっと更新ペースが落ちちゃってますが…完結までは頑張って書いていきます。引き続きよろしくお願いします。