やはり俺のソロキャンプはまちがっている。   作:Grooki

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本編(比企谷八幡 視点)
その1:毎度のことながら平塚静は再提出を求めてくる。


【問:「愛」について論じなさい。】

 

  愛。

 

 西の方にある歌劇団が歌い継ぐことには、愛は甘く、強く、尊く、気高く、さらに悲しく切なく苦しくはかない。故に愛あればこそ生きる喜びがあり、愛あればこそ世界は一つ、愛ゆえに人は美しいのである、とのこと。

 

 なるほど、愛の一文字にこれだけの要素が詰まっているからこそ、古来より人類は「愛」を題材に歌い、詩を紡ぎ、叙事詩(じょじし)を編み、それらを読み聞いて憧れ、自分にも愛のもたらされることを欲してきたのだ。

 

 人類の歴史上、これほどまでに各方面・各業界で重用されてきた概念もあるまい。

 

 それだけではない。現実世界においても、愛という概念は常に身近にあり、人々は他者の愛を求め、他者から愛を求められる。

 

 それは愛に基づく考えか、愛を貫く行動か、結果的に愛を尊んでいるか。彼の者は我に愛をもたらす存在か。

 

 すなわち、「正義」か。

 

 人類の歴史上、これほどまでに人々の営みに影響を及ぼし、盲信されている概念もあるまい。

 

 そう、盲信。そう言った。

 

 裏を返してみれば、これほどまでに人の価値をやすやすと決めつけてかかれる価値基準はないように思う。

 

 すなわち、愛に基づかない考えは傲慢であり、愛を伴わぬ行動は怠惰あるいは強欲であり、愛を尊ばない者は色欲に溺れ、暴食に走り、嫉妬に燃え、憤怒に歪む。

 

 愛なかりせば、それだけでいとも簡単に大罪の烙印(らくいん)を押されてしまうのだ。

 

 しかし、そもそも「愛」とはいかなるものなのか。きちんと共通の定義をしなければ、おのおの勝手に都合のいい解釈をするしかない。その結果、てんでバラバラの形をした概念を、これぞ愛なりと示し合い、否定し合い、攻撃し合うことになるのだ。

 

 愛は正義である。自分の行動は愛ゆえにである。したがって自分の行動は正義ゆえにである。 

 

 こんな確かなようで実はあいまいな三段論法のもと、今日もどこかで戦争が起きている。

 

 そしてそのことの危うさを、人類は実のところ、うすうす気付いていながら、愛という概念の価値について見直すことをしようとしない。

 

 否、できないのだ。それは、いまこの世界に生きる人々がその生を受けた時から、愛が確固として倫理(りんり)・道徳の最高点に位置付けられているからだ。

 

 このような世界で、俺のような矮小(わいしょう)な存在が何を試みようと、大勢に波風を立てることなどできないだろう。

 

 しかし、だからこそ、敢えて述べる。

 

 人類はそろそろ、「愛」以上に尊いものがあることを認めるべきだ、と。

 

 それは「孤独」である。

 

 愛よりも甘く、強く、尊く、気高く、さらに悲しく切なく苦しくはかないものは、孤独を置いて他にない。

 

 孤独であればこそ、人は自らの行いに常に責任を持たねばならず、自らを常に省みなければならない。そのことで、結果的に正しい行いが担保される。それができなければ、簡単に世界から排除されてしまうだけのことである。

 

 孤独であればこそ、他者の孤独に理解を示すことができ、互いを尊重することができる。もちろん異なる価値観のもとで争いが起こることもあろう。しかし、所詮は二者の争いだ。世界戦争にまで発展するような可能性は、愛よりもはるかに低いだろう。

 

 孤独は他者を縛れない。自己もまた、他者から縛られることはない。孤独に基づく行動は、愛に基づくそれよりも、自由だ。

 

 以上のように、俺は「孤独」こそ、人類の今後の改革・発展に有用な概念であると考え、まさに今それを実践しているところである。

 

 

×××

 

 

 「…前にも聞いたことがあるかもしれないが、君の秘孔は表裏逆にあるのか?」

 

 視線を作文用紙から俺へとゆっくり戻しながら、現代文教諭の平塚静はそうつぶやいた。

 

 その目には、こんな作文を提出したことへの怒りでも、呆れでもなく、職員室中をひたひたに浸しそうな勢いの哀れみに満ちていた。

 

 「さぁ、まぁ、突かれた事ないんでわかんないんですけど」

 

 「北斗有情猛翔破(ほくとうじょうもうしょうは)!!」

 

 気まずくて視線を外した隙に、平塚先生の強烈なボディブローが俺の鳩尾(みぞおち)を下からえぐった。

 

 「ごふぉ…っ!!痛い!!北斗有情拳なのに痛い…!!」

 

 痛いどころか数秒間、呼吸の仕方を忘れたように息が詰まった。

 

 「それは痛みではない。私のぬくもりだ」

 

 「お…お師さん…!!!」

 

 床にうずくまりながら思う。ぬくもりはもうちょっと身体の柔らかい部分で与えてください…。いいモノ2つも持ってるじゃない…!?

 

 「当然だが再提出だ。こんなふざけた作文をこれ以上私の机に乗せていたら現文教諭としても生活指導教諭としても人事評価が下がる。孤独を引き合いに出す試みは面白いが、最終的には愛を賛美し、自分も愛を与え求めたいと思います風の論調で締めくくるように」

 

 うーわーすげえ検閲&言論弾圧キター…教諭としての本音丸出しですね…。

 

 これから世の中を担う若者の主張が今現在担ってる大人の手で握りつぶされようとしている。ていうかこの人ちょっと担いすぎていつの間にか独りで天球支えてるアトラス状態だよ。たまにはしおらしくしてみりゃ寄り添ってくれる男もいるだろうによ…。ほんと誰か貰ってやれよ…。

 

 「こ、この国の表現の自由はどこへ行った…!?」

 

 精一杯抵抗(ていこう)してみるが、

 

 「あ?」

 

 見下ろしてくる整った目鼻立ちの小顔に似つかわしくない青筋を、こめかみに認めた。

 

 こーわーいー!!

 

 視界の端に「!?」ってでっかい写植が見えるよー!!

 

 「了解ですご指導通り速やかに再提出させていただきますいやぁ俺もさすがにちょっとこれはないかなーとか思ったりもしたりしたんで…」

 

 退いた。媚びた。省みた。

 

 「明日の放課後までに私のところへ持ってこい。ただし、部活には今日もきちんと顔を出すように。」

 

 平塚先生は胸ポケットから煙草を一本取り出して咥えながら言った。フィルターを前歯でかじりながらしゃべるせいで、煙草の先端がぴょこぴょこと動いていた。自然、口元に目が行く。少し薄いがそれがまた色気を感じさせる唇、白く小さく形の整った前歯の奥で、暗闇から時折、桃色の舌が覗いた。

 

 煙草吸う女の人って、なんかエロいよな…。

 

 もちろん人にもよるだろうが、平塚先生のような美人がやってる分には、たしかに絵になる。俺自身は煙草に興味はないが、世に広まった嫌煙の風潮は、いいことばかりとも限らないのでは…などと思ってしまった。

 

 はーい、と気合の入らない返事をしつつ、辞去するため立ち上がろうとしたその瞬間だった。

 

 ぐぐぐ ごごごご…という音が次第に大きく聞こえて来て、足元の床ががくがくと振動し始めた。

 

 地震だ。なんか大きい!

 

 職員室の奥で別の先生と話していた女子生徒たちが、キャーと騒いだ。

 

 「机の下へ!!」

 

 どこからか、教頭が怒鳴ったのが聞こえた。室内の先生たちはややうろたえながらもすばやく机の下に潜り込んだり、騒いでた女子生徒らを蛍光灯の下から遠ざけたりしていた。

 

 俺は立ち上がりかけていたが、揺れに足を取られて再び床に這いつくばっていた。

 

 平塚先生がとっさに、俺をかばうように背中に覆いかぶさってきた。両手で肩を抱かれる。うおぉ肩甲骨(けんこうこつ)から脇腹のあたりに、お師さんのぬくもり当たってるゥ…!!あとなんかいい匂い+ちょっと煙草臭い…!!

 

 揺れはまもなく収まった。体感ではそこそこ長い感じだったが、たぶん10秒とかそのくらいじゃなかろうか。

 

 「…大丈夫か?」

 

 安堵(あんど)の息をついてゆっくり離れながら、平塚先生が俺の顔を覗きこんできた。

 

 黒く艷やかな長髪が、名残を惜しむかのように俺の背中を撫でながら離れていく。

 

 「あ…だ 大丈夫す…ありがとうございます…。」

 

 突然の密着タイムに若干めっちゃすごくどぎまぎしながら答えた。

 

 先生は特に何も思わなかったようで、うむ、と、生徒をとっさに守る行動をとれたことに満足したように頷いた。

 

 「余震がくるかもしれんから、念のため、今日は部活は休みにして、帰りなさい。あ、部室に寄って、雪ノ下と由比ヶ浜に連絡しておいてくれ。」

 

 「了解す」

 

 素早く立ち上がってカバンを背負い直した。

 

 帰宅命令。人類史上これほどまでに喜んで絶対服従できる命令が他にあるだろうか。いやない(断言)。

 

 しかし、確かに今まさに部室にいるであろう二人のことは気になった。無事の確認くらいはしておこう。

 

 職員室を出ようと引き戸に手をかけたとき、

 

 「比企谷(ひきがや)。」

 

 平塚先生に呼び止められた。

 

 先生は先ほどの作文用紙を俺に返しながら、少し意地悪そうな笑顔で言った。

 

 「こういうとき、果たして人は本当に孤独でいいのだろうかな?」

 

 用紙を受け取りながら、俺はその場では何も答えられなかった。


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