エントマは俺の嫁 ~異論は認めぬ~ 作:雄愚衛門
ナザリック地下大墳墓、第六階層ジャングルの奥に存在する『大穴』。階層守護者のアウラですら忌避する恐るべき場所だ。ナザリック五大最悪の一角。生態最悪と謳われる餓食狐蟲王が潜むこの大穴の脇に、木々が生い茂っておらず、20㎝の高さの草しか生えていない平地がある。
「……」
「エンちゃ~ん、なーにをそんなにむくれてるっすかー?」
そんな場所で、ルプスレギナは何故かお冠になっているエントマの頬を突っついて反応を窺っている。しかし、状況は芳しくない。エントマはスタスタと歩いてルプスレギナを引き離そうとする。
アウラに警備を任されている獣系異形種と、アバ・ドン直轄部隊『黙示録』の蟲系異形種達が、心配そうな表情で様子を窺っている。ちなみに、『黙示録』の面々は大穴の警備担当である。
傍から見ると、グリズリー並の体格をした狼や、夥しい量の鋭い牙を生やした巨大ネズミ。二足歩行するカミキリムシ顔の蟲人等が獲物を狙って舌なめずりしてるようにしか見えないが、それでも彼等は心から心配しているのだ。
異形種達の横を通り抜けて、メイドらしき人物がまた二人程やって来た。
「ただごとではなさそうね、ルプー、やらかし?」
「ルプーは、何したの?」
「だーかーらー!私なーんもしてないっすよ!」
黒髪ポニーテールのドッペルゲンガー、ナーベラル・ガンマと、赤金のロングヘアーに眼帯、迷彩柄の伝説級マフラーが特徴的なオートマトン、CZ2128Δ、シズ・デルタの二人も同伴していた。
今この場には、プレアデスの内四名が来ている。一般メイド達のテンションが上がるシチュエーションなのだが、余りにも場所が悪すぎるので残念ながら彼女らはいない。
ナーベラルとシズは、この物珍しい出来事に興味津々だ。
エントマが姉妹喧嘩をする。これは、シズ相手に限れば結構多い。どちらが姉であるか不明な為だ。それ故に、お姉ちゃんの称号を賭けた諍いを起こす事があり、時折ユリがストッパー役を務めているのだ。
しかし、ルプスレギナ相手にこうしてつっけんどんになる事は滅多に無い。ルプスレギナはプレアデスの次女。お姉ちゃんであるとはっきりしているし、別に喧嘩をふっかける理由も無い。
「ふーんだぁ……」
「エントマ、食べ物のトラブルでもあったの?」
ナーベラルはエントマに事の真相を問い質す。真っ先に食べ物の話が出てくるのは、勿論、食べ物絡みである可能性の高さを考慮してだ。
姉の声掛けにより、ようやく速足を止めたエントマが振り向く。その表情はいつも通りのポーカーフェイスだが、心なしか陰が濃い。特有の大げさな身振り手振りも精彩に欠けていた。
「もっとぉ、もっとひどい事ぉ」
おまけに、声色が普段より半オクターブ程低い。
「まずい、本当にただごとじゃないわ」
事態の深刻さを、今のやり取りで理解出来た。食べ物絡み以外でエントマが怒るとなると、消去法から至高の御方絡みと断定出来るからだ。ナーベラルは、大嫌いな人間さえ絡まなければ、真っ当な思考回路になる。ナザリック基準でだが。
「ルプー、ひどい事したの?ひどい姉」
「シズっち、それこそひどくないっすか!こっちに心当たりないっすよー?!ほんとに!」
「うへぁ」
一方で、シズに聞かれたルプスレギナは無罪を主張する。事実、彼女自身には何の心当たりも無い。何があったかと言えば。カルネ村監視後の定期報告を遂行する為、アバ・ドンの下へと向かった事だ。アインズが不在の際は、基本的にアバ・ドンが報告を受けている。
身だしなみを整え、きちんとノックもしたし、無論、入室を許可されてから入った。ここまでに不備は見当たらない。
入った直後、エントマの服がやや着崩れていたのが気になったのだが、アバ・ドンが何も言っていない以上は、指摘する必要も無いだろうと言わずに放っておいた。もしや、それが不味かったのだろうかと、思い当たる原因を考える。
「アバ・ドン様はどちらに?」
「アインズ様とぉ、宝物殿に御用事だってぇ……。ナーベぇ、別にぃ、至高の御方々はルプーを怒ってる訳じゃないよぉ。でもぉ、私は怒ってるぅ」
「そう……」
ルプスレギナが至高の御身に対し失態を演じたのかと心配したが、そうではないようだ。
「ぶー、何をどう説明したらいいっすかー……」
頭を押さえて、どう弁明したものかと考えていると目に留まった物があった。
「……あれ?シズっち、首の所になんか入ってないっすか?」
シズの顔辺りを見てみると、いつも巻いている迷彩柄マフラーの一部が不自然に盛り上がっていた。こんな時でもルプスレギナは好奇心に身を任せる。
「これ……アバ・ドン様から貰った」
「何何?見せて欲しいっすよー」
「えぇ?」
アバ・ドンからの貰い物と言う言葉に、エントマは機敏な動きで反応する。それは、非常に鬼気迫るものがあった。
「おいで……」
シズがそう言うとマフラーがもごもごと動き出し、顔との間にある隙間から黄色い体毛の何かが這い出てきた。
「……何かしら、これ」
ナーベラルはこれが何の生き物か分からなかった。
獣と蜘蛛の中間のような不思議な生物だ。全長20㎝、高さ10㎝。体は、比較的ふんわりとした体毛に包まれており、つぶらな四対の瞳に小さく短い四本の脚がある。
どちらかと言えばハエトリグモに近いのだが、黄色い毛はふさふさとしており、脚が四本しか無い上、丸っこく短いので蜘蛛らしさはやや薄い。
「蟲っすか?」
あの御方から下賜された生物ならば蟲なのだろうという推理で、シズに問いかけた。
「電気蜘蛛……だって」
「へぇー」
電気蜘蛛と呼ばれる黄色い蟲は、短い脚をぴょこぴょこと動かしてよじ登り、シズの頭に居座った。まるで帽子のようである。
「……可愛い」
頭上の黄色い蜘蛛に対し、満足そうな様子で呟く。
「どうしてそんな素敵な子をぉ、シズが貰ってるのぉ?」
エントマは、アバ・ドンからの贈り物を頂戴した理由が気になって仕方が無かった。結構なジェラシーが入り混じってはいるものの、シズは涼しい顔だ。頭上の電気蜘蛛も、シズの頭が気に入ったのか、お昼寝を始めた。
「宝物殿の鍵を開けたお礼と、テストを兼ねてるって、アバ・ドン様が……」
「テストって……何を試してるっすか?」
「受けの良い蟲。アインズ様もそう言った」
「アインズ様もぉ?一体どんな狙いがぁ……」
「私にも分からないけど、至高の御方々の深遠な御心、何か深い考えがあるのよ」
アインズとアバ・ドンの計画が何なのかに頭を捻らせるが、その答えは出なかった。
「ソレニツイテハ、恐怖公ガヨク知ッテイル」
「この場所では珍しい面々がお揃いのようですな」
「……コキュートス様に、恐怖公」
助け舟に名乗り出たのは、ライトブルーに輝き、冷気を放つ昆虫武人の第五階層守護者コキュートスと、第二階層の一角、黒棺の領域守護者であるゴキブリそのものな恐怖公だった。二人は森の奥から姿を現した。
「シズ殿はまた毛深い生物を愛でに来たのですかな?」
「今日はちょっと違う」
「おや、左様で。ではエントマ殿はお腹を空かせておりませんか?心なしか御加減が優れなさそうですが……」
「気にしないで良いよぉ。アバ・ドン様の御指示でぇ、デミウルゴス様が融通してくれるぅ。
ナザリックの食糧事情には大分余裕が出来た。アインズ主導による検証の結果、回復魔法を用いれば肉類をほぼ無限に確保出来ると判明した為だ。
例えば、人間の腕を一本もいだとして、もいだ腕が原形を留めていると、回復した瞬間にはもいだ腕が消滅し、元の体部分に腕が戻っている。しかし、もげた腕が何らかの理由で原形を留めない程ぐちゃぐちゃになっていた場合、ちぎれた腕はそのまま残り、人間の体は元通りになる。この結果は光明を差すこととなった。
人間丸々一人必要なソリュシャンのような者も居るので、消耗についてはもう少し考える必要があるが、これらの応用によって食糧事情が大きく改善された。尚、具体的な応用方法についてはデミウルゴスとその配下好みとだけ述べておく。
「それはよかった、眷属達も枕を高くして眠れますぞ」
「眷属はもう食べないから安心してぇ、至高の御方に御心を痛められる方がずっと辛いからぁ」
「ソノ心意気ヤヨシ」
「どうもぉ」
「ところで、恐怖公が此処にいるのは餓食狐蟲王に用事?」
「その通りですぞ。所用がありましてな」
「で、コキュートス様は巡回っすか」
「ソウダ」
第六階層の本来の守護者であるアウラとマーレの姉弟は、現在調査の為不在。その穴埋めとして、コキュートスが巡回している。シモベ達の警備に穴が無いかの確認も兼ねているのだが、そちらについては何ら問題無いようだ。
「先に我輩の用件を説明しておきますぞ。プレアデスの面々も知っておいた方が良いですからな。アインズ様とセバス殿が捕らえられた人間達の処遇に、ある程度目途が付きましたぞ」
と、恐怖公は前脚を一本立てて説明する。
「あら、そうなの?」
「ええ、情報収集が完了した後の話となりますが、捕らえた捕虜達は、恐れ多くもアインズ様が栄達する可能性の芽を幾許か潰しております。故に、アバ・ドン様は減らした分を
「そういう事……。ウジむ……ガガンボ……オケラ……今の全部無し。だめね、そう、ナメクジ如きに贖罪の機会をお与えになるなんて、至高の御方々は本当に慈悲深いわ」
蟲の名前に例えて人間を卑下すると、恐らくアバ・ドンが落ち込むのでナーベラルは四苦八苦している。かの偉大な御方が蟲好きである事は、配下達の間で既に常識なのだ。
「ナーベ、頑張れ」
「アバ・ドン様は蟲が御好きだから、考えないと……」
「ですな、我々も含め、特に
「ワタシモ、
コキュートスはやや興奮気味に答える。
「本当に蟲が大好きっす……って、エンちゃん、なんでダンゴ虫みたいになってんの?」
「な、何でもないぃ」
エントマが頭を抱えてうずくまっている。ルプスレギナの言う通り、ダンゴ虫に見えなくもない。しかし、うずくまっている理由は全く以て分からない。抱えている頭の隙間からほんのり湯気のような物が見えた。熱から逃れようとする顔の蟲達を抑え込んでるようだ。
(ああ、成程……)
恐怖公は、全てを察した。
「私もアバ・ドン様に御観察される事は……」
「無イナ、ソモソモナーベラルハドッペルゲンガーダロウ」
「そうですけど……少しぐらい夢見たって良いでしょ?」
「気持チハワカル。ワカルゾ」
「……ドッペルゲンガーの指って、蟲っぽくない?」
「少シ苦シイナ」
「ちっ」
ナーベラルは至極残念そうに舌を打ち、コキュートスは「仕方アルマイ」と呟く。この二人は製作者の武人建御雷と弐式炎雷が仲良しだった影響で仲が良い。気さくな関係のようだ。
「……で、まぁその時には、間違いなくアバ・ドン様もお立会いになるでしょうからな、餓食狐蟲王殿に部屋を清潔にするよう言い聞かせようと馳せ参じた訳ですぞ」
「わ、分かるのぉ?」
エントマは、どうにか立ち直った。
「勿論ですぞ。あの御方は生命が誕生する瞬間もお好きですからな」
「恐怖公はぁ、アバ・ドン様への理解が深いのねぇ……むぅ」
「妬いてるっすかー?エンちゃん。……私もっすけど」
(ワタシモダ)
アバ・ドンへの理解は、シモベ達の中だと恐怖公が一歩抜きん出ている。自らの創造に大きく関わっている為だ。この事実は、配下達、特に『黙示録』の面々にとっては非常に羨ましい事であった。
「さて、至高の御二方が受けの良い蟲を探っている理由ですが、彼の御方は蟲に対する忌避感を和らげようと奮起成されておいでですぞ。『黙示録』の結成により、存在感が増した故の策という事でしょうな」
「あー納得っす」
「流石は至高の御方々……。そこまで御配慮成されるなんて。一言あれば、我々一同は蟲とのやり取りも円滑にするのに」
「『黙示録』とのやり取りにぃ、ワンクッション置くのねぇ」
「ナゼ、苦手ナ者ガ多イノカハ分カラナイガ……本当ニ慈悲深イ御方々ダ」
理由は至極単純であった。ナザリック地下大墳墓内の配下には、蟲に対して苦手意識を持っている者がそれなりにいる。階層守護者の中でも、シャルティアやアウラ等は恐怖公に対して苦手意識を抱いているし、餓食狐蟲王等もそうだ。
だからこそ、アバ・ドンは蟲の中でも比較的女性受けが良かった者をピックアップして、小動物好きのシズに宛がってみた。結果は良好だ。
「特に、我輩の見た目に強い抵抗を持ってしまう御人も多いですからな」
「す、すごい説得力っす……!」
その説得力は、ルプスレギナをもってして舌を巻く程であった。アバ・ドンとしては、最終的に恐怖公にも慣れて貰いたいと思っているのだが、現実は厳しいのである。
「トコロデ、ルプスレギナトエントマニ何ガアッタノダ?ルプスレギナガ弁明シヨウトシテタガ……」
「それが、エンちゃん教えてくれないっすよー。だから困ってて……。アバ・ドン様に報告した時ぐらいしか心当たりがないっす」
「フム……」
コキュートスは複数腕を組み考える。
「……エントマ殿、もしや、アバ・ドン様と何かしてたのではありませんかな?」
そんな中、恐怖公は核心を突いた。
「えぇ?あうぅ、そのぉ、あ、アバ・ドン様とぉ……。私ぃ……。い、言えないぃ……!!」
その時、この場の全員に電流走る。電気蜘蛛、密かに満足。
(図星ですな)
(言えない事?)
(アバ・ドン様と一緒に言えないような事をっ!?)
(マ、マサカ!?)
警備担当の異形種達もにわかに騒ぎ始める。まるで、草木までもがざわめき始めているようだ。
事によってはナザリックの未来を左右する事柄になるからだ。しかし、聞き出す訳にもいかない。言えない理由がアバ・ドンの意向であったならば、至高の御方に背く結果となってしまう。
「言えないような事っすか!?アバ・ドン様とナニしてたっすかー!!」
(ルプスレギナァー!?)
(ルプー!?)
コキュートスとナーベラルは本気でビックリした。ここで、聞いてしまうのは、良くも悪くもルプスレギナであった。
「言えないってばぁ!内緒ぉ、内緒ぉ!」
「てことは私はそれを邪魔したって事っすか!?エンちゃん!ごめん!アバ・ドン様に孕ませられるチャンスを潰してしまったっす!!」
「孕まぁ!?ちぃ、違うぅ!そこまではまだ行ってないぃ!」
(ソ、ソコマデハ……!マダ……!?)
(そこまで進んでたの!?……そこまで進んでたの!?)
(……御寵愛?)
コキュートスとナーベラルは二人揃って軽くパニックに陥った。一方で、シズは要領をイマイチ得なかった。
「も、もぉ知らないぃ!!みんなぁ、おいでぇ!!」
エントマはたまらず眷属の蟲による飛行で逃走を図る。主人の影響もあるのか、蟲達がワタワタしていた。
「あー!エンちゃーん!待てっすー!」
ルプスレギナはそれを追って、どこかへ行ってしまった。その跡は正しく嵐が過ぎ去った後のようであり、どこからともなく微風が吹き、草木を揺らした。
「……行っちゃったね」
マイペースを貫き続けるシズは頭の電気蜘蛛に話しかけるが、同じくマイペースな電気蜘蛛が寝惚けながらシズから発せられる静電気を食べており呑気なものだ。しかし、その様子は大変可愛らしく、シズは満足であった。
「オオ、ボッチャマ!ボッチャマ!ワタシヲ爺トオ呼ビ下サイ!!」
「おち、落ち着いて、コキュートス様!……だめよ、大変!わ、私は至高の御子息様の叔母になってしまうわ!」
(アバ・ドン様、御進歩成された事、今宵は眷属共々お喜び申し上げますぞ。さて、餓食狐蟲王殿の所へ行きますかな)
恐怖公は、よく分からない事になっている二人を尻目に、偉大な主人の大躍進を喜んだ。
電気蜘蛛の元ネタは、"バチュル"でググってみましょう(´ω`)