エントマは俺の嫁 ~異論は認めぬ~ 作:雄愚衛門
糖分は ちからをためている
デミウルゴスの謀略?
(さて……そろそろだろうか)
ナザリック地下大墳墓第九階層、ロイヤルスイート。その一角に佇むバーの中で、赤いキノコ頭のマイコニドである副料理長は、これからすぐ訪れるであろう至福の時と幾許かの緊張を心待ちにしていた。
つい先ほど、日々のライフワークであり極めて重大な使命になりつつあるショットバーをオープンした。いつも以上にバーテンダー衣装の襟元を正し、来るべき最上客のショットグラスに汚れが無いか、念入りにチェックする。
これらの行動は全て、その最上客の為のもの。近頃、恐れ多くも懇意にして下さっている偉大なる御方が再び御入店なされる頃だ。
ドアのカウベルが小気味の良い音を鳴らし、来客を告げる。
――ご来店なされた。
「どうも、副料理長。今日も来ましたよ」
「……ようこそおいでくださいました。アバ・ドン様」
胸中に余す事なく来店の感謝を込め、深々とお辞儀をする彼の前には、全身玉虫色の輝きを放つ偉大なる常連客、アバ・ドンの姿があった。
更にその後ろでは、カウベルの音を立てぬよう静かにドアを閉め、従者然と同行する影が一つ。かの御方がバーに入られる際、ドアを開けたのは彼のようだ。副料理長にも覚えのある姿。よく知るもう一人の常連客もやってきたのだと、ようやく認識した。
アバ・ドンの来店に全神経を集中していた為、気づくのにやや遅れた。だが、彼が恭しく礼をした後にショットバーのドアを開けてアバ・ドンを招き入れた事は容易に想像が付いた。
赤い三つ揃えのスーツと隙間から出ている銀色の棘付き尾。深い笑みを湛え、静かながらも気分が大きく高揚している姿が印象的だ。第七階層守護者、デミウルゴスである。
二人がカウンターの一角へと座ると、アバ・ドンが一言。
「いつものをお願いします」
「アバ・ドン様と同じく」
「畏まりました」
慎重かつ丁寧、それでいて迅速に注文のあったカクテルを用意する。アバ・ドンには彼とよく似たエメラルドグリーンのカクテル(ストロー付き)。デミウルゴスには燃えるような赤色のカクテルを出す。その高まったモチベーションは、渾身の一作を出すには充分すぎる程であった。
二人が静かに乾杯し、一口。
カクテルの絶妙な味わいを楽しんでいると、デミウルゴスが口を開いた。
「アバ・ドン様、本日はこのような場にお招き頂き、感謝の念が堪えません」
「いえいえ、コキュートスさんや恐怖公から常連と聞いたものでして。常連仲間が出来るというのは良いものですね」
「はっ、光栄です」
慇懃丁重。物静かながらも胸に熱い想いを秘めるデミウルゴスであるが、アバ・ドンが静寂に包まれた雰囲気を気に入ってると蟲系異形種である友人づてに知り、なるべく抑え込んだ。喜びを大きく露わにする事はやぶさかでは無かったが、敬愛する至高の一柱と、面倒見の良いマスターに配慮する。
「忙しい中誘ってしまいましたけど、体調や仕事に対して不備はありませんか?」
「お気遣い感謝致します。万事順調です。今のところ、聖王国の方で足も付いておらず、事を荒立ててもおりません。私の体調についてですが、これもまた全く問題ありません。それどころか、アバ・ドン様よりお誘い頂けた事で、力が漲る思いです」
「それは良かった。ならば、満点と言えるでしょう」
「はい、ありがとうございます」
アバ・ドンの一言により、デミウルゴスの声はより明るみのあるものとなる。至高の御方の特命を受け、その成果を褒め称えられる。これは何にも勝る幸福である。
だが、副料理長がデミウルゴスの姿に嫉妬する事は無い。何故ならば、今の自分もまた幸福を享受する一人なのだ。至高の41人の一人がバーを気に入り、リピーターとなる事実だけで天にも昇る心地だ。
偉大な御方の光り輝く体は、落ち着きのある仄暗さの中であろうと少しも損なわれていない。華美でありながら、奥ゆかしさを感じさせ、部下を労う様子は神々しさとダンディズムに溢れていた。
(そうだ、自分は今、この瞬間の為に生を受けたのだな)
カウンター奥に佇み、副料理長は幸福を噛みしめていた。
(……さーて、何から話そーかなぁ)
一方、副料理長が万感の思いを抱いているとは露知らず、アバ・ドンはデミウルゴスに振る話題について考えていた。自分に巧みな話術など無い事は百も承知なので、予め、どういった話をするかは考えていたのだが、どう切り出したもんかとやきもきする。
とは言え、誘ったのは他ならぬ自分なので、このままダンマリというのはよろしくない。彼とも一度しっかり意思疎通しておきたかったし、コキュートスや恐怖公の時のような自然にコミュニケーションを取れば良いのだと、自分自身に発破をかけた。以前書かせた面接用アンケートの項目を思い出す。
「少し聞きたい事があるんですよ」
「何なりと」
デミウルゴスの言葉にはどんな話であろうとも、いくらでも答えてみせようという気持ちと、聴いた者の心を安らげるような慈しみが込められていた。
「デミウルゴスさんって、確か日曜大工に凝ってるそうですね。貰えると聞いてちょっと気になってたんですが、どんな物を作ってるんですか?」
「はい、主に日用品や芸術品等を取り扱っております。スクロール製作の折、不要になった素材を吟味し、趣向を凝らした椅子を製作中でして、差し支えなければ是非ともアバ・ドン様、アインズ様のご両名に献上出来ればと思います」
「なるほど」
何ら問題の無い健全な会話だと、アバ・ドンは思ったが、時たま感じる一抹の不安は一体なんだろうか。
「ふ、ふふ、では完成品のお披露目をお待ちしてますね」
「はい!」
デミウルゴスは、満面の笑みで答えた。その表情には裏表など一切無く、心よりの笑顔である。
「後は……、ああそうだ。デミウルゴスさんはアインズさんの智謀が凄まじい高みに至っていると認識しているのですよね?」
「はい。私は勿論の事、ナザリックにおいては共通認識と言ってもよろしいかと思います。私も自身の知恵を用いてナザリックに貢献出来ると自負しておりますが、それはアインズ様には及びもつかぬ些末なものでしょう」
「な、なるほど……」
その言葉に何ら迷いは無かった。ナザリックにおいて共通認識と言うのも間違いでは無いのだろう。事実、副料理長もひっそり頷いていた。
(改めて聞いてみるとモモンガさん、期待が重いだろうなぁ……)
重すぎるぐらいなのだが、それを否定する訳にもいかない。モモンガは支配者ロールを継続中なのだ。苦労を強いる状態ではあるが、止めるも敵わぬところである。
実を言うと、その事についてアバ・ドンも一部肯定的だ。"賢明な判断力と実行力"とのデミウルゴスの言も、ユグドラシルやギルドの事となればあながち間違いでは無いと、少なからず思っているのだが、だからと言って負担を増やして良い訳ではない。
アバ・ドンに出来る事は一つだ。出来る限りモモンガが楽を出来るよう軟着陸させる。
「まぁ、頭が良くとも、大変な事には間違いありません。デミウルゴスさんも、アインズさんの事をしっかりと補佐して下さいね」
「はい、少しでもアインズ様の深遠な智謀に及ぶべく、これからも身を粉にして参ります」
「うんうん、デミウルゴスさんは私よりずっと頭が良いですからね、時には詳しく教えて貰う事もあるでしょう」
「なんと……ククク、ご謙遜を」
(あ、これ自分も頭良い奴だと思われてる)
ある種必然であった。
「……いえ、謙遜なんかじゃないですよ。私はアインズさんの作戦を予め補佐するのが限界ですから、作戦を打ち出したりなんてのは正直不得意なんです。蟲の統率については覚えがありますが、作戦云々についてはデミウルゴスさんが補佐をして私が補佐の補佐くらいが丁度良いでしょう」
アバ・ドンは、自分の知力の無さを打ち明けた。そうする事でアインズとアバ・ドンでは分からぬデミウルゴスの超絶級な策略を、しっかりと聞き出せるかもしれない。いわば、捨て身のカミングアウトだ。自分の評価は下がってしまうが、少なくともアインズの支配者ロールが崩れる事は無い。
「ですから、もしデミウルゴスさんが良い作戦を思いついたならば、詳しく聞いてみたいところですね。いや、申し訳ありません」
「い、いえ、アバ・ドン様が謝罪成される必要は全くございません! ……事情についてはよく理解できました」
「……」
「……」
妙な間があった。流石に失望されたかとアバ・ドンは心配した。ところがそんな懸念は余所に、その瞳に宿る炎はどういう訳か尊敬の色だ。今の一言のどこがデミウルゴスの琴線に触れたのか?アバ・ドンは知る由も無い。
(本当に、アバ・ドン様は……お優しい方だ)
デミウルゴスは感動の面持でこう思った。
アバ・ドン様は、己の力について謙虚に捉えられているようだが、まず何より……。
"アインズ様の作戦を予め補佐出来る"
これはナザリック内であろうと可能な者は皆無だ。だが、御二方はほんの僅かな打ち合わせとアイコンタクトのみであろうと、的確な、美しいとすら言える連携を眼前で悠々とお見せした。そして、勿論の事、アインズ様はそんなアバ・ドン様に全幅の信頼を寄せられている。
暗愚等とは口が裂けても言えない。
では、アバ・ドン様が仰った事を自分自身はどう受け止めるべきか?
ご両名は恐れ多くも、私の力を高く評価して下さっている。言うなればこれからの私に期待を寄せられている。世界征服の道を開ける役目の一つを私に仰せつかった。アインズ様を前にすれば取るに足らぬ私の策について詳細に伝える意味とは……。
そう、自分は今……。
(試されているのだ。極めて穏やかに)
デミウルゴスはこれからが自分の真価を問われる時なのだと、決意を新たにした。
「では、アバ・ドン様の仰るよう。今後は私の作戦についてしっかりとお話し致しましょう。お時間を取らせてしまう事は非常に心苦しいのですが、どうかお許し下さい」
「も、勿論です」
(何故かすんげーやる気満々になってるけど上手くいった!)
結果オーライという奴だろう。作戦についてしっかりと説明してくれるならば、やりやすくなる。この話についてはこれぐらいで良い。とりあえずこれ以上汚名を増やさないようにと、話題を切り替えた。
「えーっと……まぁ仕事の話についてはこれくらいにして……。では私に対して何か聞きたい事とかありますか?自分ばかり質問攻めというのもアレなので、よければどうぞ」
アバ・ドンの唐突な返しではあったが、デミウルゴスは一切の淀み無く述べる。
「畏まりました。それでしたら、同じくアバ・ドン様のご趣味を教えて頂きたく思います。我々に手配できる事であれば、直ちにご用意致しますが?」
趣味について聞き返されるという全うな返答だったが、直ちに手配という妙な特典が付いてしまった。
「うーん、私はエ……ンン、昆虫採集や観察が趣味ですね。蟲の生態を観察しているだけで時間が経つのも忘れそうになるんですよ。ブループラネットさんもそうでしたっけね。何と言うか、規律のある脚の動きや、特異な習性を眺めているだけでも、幸せな気持ちになりますねぇ……」
アバ・ドンはしみじみと趣味について語りだした。
ナザリック外への進出は未だ解禁されていないが、アバ・ドンは『黙示録』の蟲系モンスターを眺めたりエントマを眺めていると、とにかく幸せであった。遠視の鏡を用いれば外の様子も分かるのだが、いずれは自らの足で大自然を眺められるのだからと、我慢していた。
ちなみに、眺められていた側はもっと幸せを感じていたのは言うまでも無い。
「確かに、生命の営みを眺めていると微笑ましく感じる事は私もございます。可愛らしい鳴き声を聞くと、尚の事、笑みがこぼれます」
「おお、気が合いますねぇ」
「アバ・ドン様は蟲の細部を鑑賞する事に楽しみを見出されておいでで……」
「はい。昔は中々出来ませんでしたから。喜びもひとしおです」
「それはそれは……」
おいたわしやと、デミウルゴスは心中で呟いた。この御方はこれ迄趣味に興じる暇など無かったのだ。死の呪いに抗い、ここに帰還なされた事を、改めて喜ばしく思った。
こうして暫く、アバ・ドンとデミウルゴスは趣味の話や他愛の無い話を騒がしくない程度に興じ続けた。
だが、アバ・ドンが趣味を話して以降、デミウルゴスの眼光が一層輝いていた事に最後まで気付くことは無かった。
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あー、何だかんだ昨日は楽しかった。デミウルゴスを飲みに誘った時はどうなるかと思ったけど、コミュニケーションを取るってやっぱ大事だね。成果もあったし。これで、モモンガさんの負担も軽くなると良いんだが……。
などと考え椅子にノンビリ座っていると、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞー」
俺は朗らかに入室を許可した。この二足歩行の足音は、多分エントマちゃんが用事から帰ってきたのだろう。五感が鋭いおかげか最近そういう事も分かってきたぜ。
しかし、いつも時間通りなエントマちゃんにしては珍しく、少し遅かったけど何かあったのかな?
「しぃ、失礼しますぅ……。アバ・ドン様ぁ……」
「お帰りなさい、エントマさん。……どうしたんですか?」
エントマちゃんの様子がおかしい。最近のような落ち着きが無く、初対面の時に見せたような感じ、そう、妙に緊張してると言うか……。
「あぅ……そのぉ……アバ・ドン様にぃ、志願したい事がぁ……」
志願?しかし、言いあぐねている様子だ。言い辛い事でもあるのだろうか。
「大丈夫ですよ。エントマさんの志願であれば、私は決して無下にはしません。ただ、命に関わることはダメですけどね?」
「で、でしたらぁ、大丈夫ですぅ……スゥー、ハァー」
深呼吸する姿もまっことプリティー。さて、いよいよエントマちゃんは言う気になってくれたようだ。さあどんと来…………いぃ!
え、ええ、え、エントマちゃんはおもむろにスカートをたくし上げ
「もしよろしければぁ……私の体を隅々まで御観察くださいぃ!」
のーみそ せんそー はじまた