85 夏祭りが行われる
現在、幻想郷は朝だ。妖怪の動きが途絶え、人間たちが動き出す時間。もちろん、黎人もその中の1人だ。
「ふぁぁぁ…は…」
7時半に起きて、黎人は大きく伸びと欠伸をした。彼は朝は低血圧だ。起きても暫くの間はボーッとなる。かといって今日のような時間に起きたのは珍しい事だ。大抵早起きなのだ。リヴァルとの戦闘でかなり疲れていた、という事だろう。
顔を水で洗い流して居間に向かう。恐らくは霊夢も刃燗もそこにいるだろう。そう思って扉を開ける。
《ガラガラ…》
「おはよ…」
扉を開けて挨拶しようとするが、その動きは突如止まった。彼の眼の前で、珍しい者があったからだ。それを見て、彼は一言話す。
「何やってんだ?霊夢…」
「…えっ…と……」
いつもと違うシッカリとした和服を身につけた霊夢は、それにどう答えていいのか分からず、呆然としてしまった。
◇
「…夏祭り?」
居間で2人が固まっているところで、刃燗がその部屋に入って黎人に説明し始めた。言われてみて、黎人はそんな企画があったのかと考える。
「そうなんすよ。人里の方で1年に何回かやってるみたいで、色々な人が出しているんスよ。それが、3日後にあるみたいです」
「そうか…それで?何で霊夢はそんな格好に?」
「あぁ〜、今回の夏祭りなんすけど…アネゴは舞を披露するそうで…」
「…舞?」
舞、それは日本舞踏の1つで、比較的ゆっくりで旋回運動をするもの。美貌を持つ女性が装束を羽織って曲に合わせて踊るとお淑やかさを感じさせる。
今回霊夢がやるのは巫女舞…そのままだが巫女が踊る舞で、その身を清め、その身に神を降すと共に、舞の優美さを重んじると言う。
「金の亡者である堕落巫女の霊夢が舞って、果てしなく似合わねぇだゲホ!?」
黎人が何かを言いかけた時にその腹に拳を強く打ち込まれる。内臓を潰さんと言わんばかりの勢いだ。その拳を受けた黎人はその場で蹲り咳をする。
「私としてもやりたくはないけど…今回は止むを得ないのよ。ここの所異変が立て続けに起こってるでしょ。人里でも不穏な雰囲気に呑まれそうで、住人たちも不安でしょうがないらしいのよ」
「…なるほど、それで博麗の巫女による舞でその不安を払拭しようという事か」
霊夢の言う通り、ここの所凶悪な者らによる襲撃が相次いでいた。鵞羅といいリヴァルといい、幻想郷の危機に陥りかけない事をしていたのだ。そうすれば住人たちも不安でいっぱいになるのはしょうがないのかもしれない。その不安は今後も厄介になる。その不安により、内部から崩壊する恐れがあるからだ。
その不安を払拭する為に、霊夢が舞を披露して、厄を払う儀式を行う。もちろん直接の解決には繋がらないが、そうした縁起を担いで多少の不安は取り除く…それが狙いだ。
「…で?出来はどうなんだ?」
「…それは…ちょっと…」
黎人の質問に、霊夢は自信なさげに返す。今まで舞などした事がない彼女にとっては不安でいっぱいだ。
「だったら、俺たちの前でその舞を見せてくださいよ」
そんな彼女に、刃燗は1つ提案をした。
「…え?」
「心配でしたら、俺とアニキの前で1回舞を練習してみてくださいよ。そのあと感想を言うんで。イイっすよね、アニキ」
「いやお前…俺舞とかサッパリなんだが…」
「良いからいいから。ここで座って見ましょうよ」
刃燗はそう言って霊夢の前で黎人と一緒に座る。彼は霊夢の不安に共感した。だからここで黎人に霊夢を励ませて、心配を和らげてもらおうと思ったのだ。
「じゃあ…いくわね」
◇
「ど…どう?」
一通り舞を披露し、霊夢は目の前の観客2人に感想を聞いた。
「いやー、良かったッスよ。流石アネゴっす。本当になんでもこなせるっすね」
「そ…そう…?なら良いんだけど…」
刃燗は熱を込めて語った。茶道などしている彼はある程度心得ている。そんな彼からの賛辞は何よりも心強い。だが、霊夢は刃燗よりも感想を尋ねたい人がいた。
「どうだった?黎人…」
もう1人の男に恐る恐る尋ねてみる。扇子を握っている手から緊張が見て取れた。
「あ〜…そういうの詳しくはねぇんだけど…」
一方、黎人は何か考え込んで話している。その様子は、なんて言えば良いのか考えているといった動作だった。
「不気味な舞だったなぁ…と思った」
ドーーーン!と霊夢の頭に雷が落ちた気がした。彼の感想を聞いて、霊夢は目が真っ白に、刃燗はオタオタし始めた。
「よく知らねぇけど…舞ってのはお淑やかさっつーか…優雅なのが見所なんだろ?それにしては動きがぎこちないし、あと表情も強張りすぎだな。それだと鬼踊りだぞ」
次から次に指摘が降りかかる。霊夢がプルプルし始めてるのに気づかない黎人はそのあとも続けた。
「それと…足の運びが危ういな。観客は多分見ててハラハラするぞ。あの子転ぶんじゃないか?みたいな。もう少し余裕を持った方が良いし、何より勢いでガーッてやってるだろ?そんな勢いでぶち当たるとかの気合い論は舞っつーか女性に似合わんぞ。もう少し慎重にした方が良い。てゆーか扇子の持ち方って…」
「うるさい!バカーーーー!!!!!」
《ヒュオン!!ドゴン!!》
「ぐおば!!?」
彼の鳩尾に霊夢の渾身の拳がめり込んだ。女性の細い手が彼の体にめり込もうかと言わんばかりに黎人の体に食い込んでいる。数秒後、彼はそのまま後ろに大きく吹き飛んだ。
「ガハッ!ゲホ…なんでだよ!どうって言われたから答えただけじゃねぇか!」
「アニキ…そりゃ無いっすわ」
「だからなんで!?」
黎人は本当になんでか分からないようだ。尋ねても誰も答えてくれないので、結局どういう事なんだと考え始める。
「もういい!あんたに聞こうとした私がバカでした!」
「おい!?そんなムキになんなくても…」
「うっさい!くたばるか死ね!」
「デッドエンドしかないの!?」
霊夢はカンカンに怒って部屋から出る。その様子に、黎人は首を傾げ、刃燗はため息をついたのであった。
◇
博麗神社で一悶着あってる一方で、ある所では別の戦いが繰り広げられていた。これは特に、誰かと戦っている訳ではない。そう、彼は自分自身と戦っているのだ。
(こ…ここで、怠けるわけには…)
彼は寝室から未だマトモに動かせない体を無理やり動かしている。怪我だらけの体を引きずって、目的の場所に向かっているのだ。そしてその手が、ドアにさしかかった。
「寝てなさい!!」
そんな彼の背後から、1人の少女が後ろに向けて投げ飛ばした。行く先は見事、布団の上だ。
「何度言えば分かるんですか惣一さん!あなたの怪我は異常なんですよ!永林さんに絶対安静と言われたじゃないですか!」
「し…しかし、そんな事で農作業を怠ける訳には…」
「休むと怠けるは全然違います!大人しくして下さい!」
部屋から出ようとした男…惣一を投げ飛ばしたのは早苗だった。朝のこの時間は惣一は農作業に取り掛かる。いつもならそうだが、リヴァルとの戦闘後、彼は他の者らに比べてかなり大きな傷を負ってしまった。
なので永林は彼に安静にしておくように言ってるのだが、真面目で頑固な彼はいつもの日課である農作業をしようとする。そんな彼を早苗は力ずくで止めている。これを何回も繰り返しているのだ。それでも惣一は懲りずに部屋を出ようとする上に、早苗もムキになって止めているのである。
「…平和だねぇ」
「そうだね〜」
神社内にいる2人の神は惣一と早苗の様子を温かく見守っているのであった。
◇
「良いですか!農作業なら私がやるので、惣一さんは大人しくしていてください!」
「うぐ…何故か敗北感が…」
「感じなくて良いですから!」
あれから幾ら時間が経ったのか、彼らには覚えてない。それだけ長い間の言い争いの末、惣一が折れ、動き回らずにじっとしておく事になった。
「…?早苗さん、その三角巾は…」
「買いました。霖之助さんから」
惣一は漸く早苗が三角巾をしている事に気付いた。イメージカラーに合わせてるのか、緑色である。
「霖之助さんから…?どうして…」
「…この前、私は全く役に立てませんでした。私が弱いせいで、惣一さんに大怪我をさせてしまった」
「いや、別に早苗さんのせいでは…」
「だから!」
惣一が何故三角巾を買ったのか聞いた。それに対する早苗の自虐的な言葉を否定しようとしたが、逆に彼が遮られてしまった。
「出来る限りの事をしたいんです。悔しいけど、戦場で惣一さんの手助けにはなれません。
だからこそ、普段の日常で、惣一さんの支えたいんです。雑用でも家事でも、全力を尽くしてやります。惣一さんのためにもっと沢山したいんです」
その時の早苗の顔は真剣だった。少なくとも惣一は、それが嘘ではなく本心から言ってることがハッキリ伝わった。
リヴァルとの戦闘で全く役に立てなかった悔しさから、もっと惣一の役に立ちたいという早苗の決心…それは、揺るぎないものだった。
「それは…嬉しいですね。ありがとうございます。今度何かご馳走しますね」
「結構です!!」
感動を受け、惣一はそう言ったが早苗は全力で拒否する。あのゲテモノ料理を出されては、それはお礼とは程遠い、それこそ仕返しになってしまう。
「新聞届けに参りました!清く正しい射命丸文です」
すると、守谷神社に1人の烏天狗が現れた。自称清く正しい文は、守谷神社の近くにいる早苗の側に着陸する。
「どうぞ!今回の一面は前回の異変をドッシリと載せてますよ。『危機一発!幻想郷の脅威を再び解決』です」
「…凄い抽象的ですね」
「そりゃ題名は抽象的ですよ」
新聞の一面には先日リヴァルが起こした異変が載ってある。さらに、天空が黒く染まり、一部が赤く染まっている様子が写真として映ってる。
「…アレから随分経ちましたね…」
「そうですねぇ…流石に現場に行けなかったので詳しくは知らないんですが…大変だったでしょう?」
「はい、正直マズかったです」
あの異変から大分経った。あの恐ろしい異変から数週間たったのに、その実感がなく、それこそ昨日のように思える。
惣一は生死を彷徨った。巨大な剣によって体を貫かれた感覚が今でもある。意識すれば痛みが出てしまうほどに。
惣一だけじゃない。早苗だって危なかった。もっと言うと幻想郷そのものが危なかったのだ。その不安を、今でもハッキリと覚えている。
「…あれ?夏祭りがあるのですか?」
物思いに耽っている惣一に対し、早苗は別の一面から夏祭りの開催のお知らせを見た。
「あぁそうでした!そうなんです。確か、3日後に人里である様なので、良かったら行ってみてください」
文は慧音からお願いをされている。多くの人を夏祭りに集めて欲しい、と。今回の夏祭りでは、博麗の巫女である霊夢が厄を払うという意味で舞を披露する。それを多くの人に見てもらいたいとの事だった。
「それでしたら一緒に行きましょうよ、惣一さん」
「そうですね…見回るくらいだったら」
「決定ですね!それでは3日後に備えてゆっくり休んでくださいね」
早苗はそうして調理場に向かった。朝食を作る為に…
「楽しみな様ですね、早苗さん」
そんな彼女を見て、文は言った。楽しみにしているのは、当然夏祭りの事だ。それも、惣一と一緒に行くという事がそれを強調しているようだ。何故ならそれは…
「よっぽど、夏祭りが好きなんですね。しっかりしている一方で、やっぱり若い女性らしいですよね」
という事…いや……違う。
「……黎人さんも黎人さんでしたが、惣一さんも惣一さんですね…外の世界の男って、全員こんな感じなんですか?」
「?」
文のツッコミの意図も分からないようだ。文の中で『外の世界の男性は鈍い』という推測が経ってしまう原因となった。
「へぇ〜、夏祭りか〜…魏音も誘おうっと♪」
守谷神社の中で少女は呟いた。文の新聞が1枚抜かれている事に、誰もが気付けなかった。
そして、3日の時は流れた…
次回から本格的に夏祭りになります。