「なんと…これがあの刃燗か」
画面の前で、清嗣が驚いた様子で喋っている。
画面には、巨大な生物を殴り飛ばした刃燗の姿がある。もちろんこれは幻想郷で起こっている事が映っているのだ。
刃燗の存在は、彼らは既に知っている。だがそれなりに戦える人物という認識だった。黎人や惣一、魏音に比べると頼りないと思っていたのも事実である。
そんな刃燗が巨人を拳で吹き飛ばしたのだ。驚くのも当然である。
「…これを見越していたというのか?劉よ」
同じく映像を見ていたイシューが一緒にいる劉に語る。刃燗をあの姿に変えるキッカケを与えたのは間違いなく彼なのだ。
映像の方を全く見ようとせず、ソファーに座りながら本を読んでいる劉は動く気配がない。だがイシューの言葉に返事はした。
「これがあの札の真骨頂だ。もともと鬼というのは一部では神として扱っている。そんな存在を纏った結果がスピードアップなんて考えられねぇだろ」
「なるほど。蛾溪 刃燗の未熟さゆえに真の力を発揮出来ずにいたというわけか」
刃燗の持っていた札はまだ真の力を発揮していない。刃燗が戦う姿を見た時から劉はそう考えていた。だからこそ劉は刃燗を鍛えた。戦力アップを図るなら一番有効だと考えたからだ。
「しかし妙だな。修行したというほど時間は経っていないはずだろう。一体何が変わったというわけだい?」
清嗣の言う通り、刃燗は劉から何かを教えられたわけじゃない。強いて言えば死ぬ思いをしたというところだ。そんな状態で刃燗の何かが跳ね上がったとは思えない。
「…それは奴の本当の能力だ。『想いを力に変える程度の能力』というやつだ」
「これまたシンプルな能力だね」
名前だけ聞くとかなりシンプルにも見える。気持ちや気合いによって力が変わるというのは珍しいことではない。だがせいぜい動きが良くなる程度だ。段違いに跳ね上がるということはない。
だが刃燗の場合は少し違う。
「刃燗の気持ちがモロに出るんだ。あのレベルに達したということは、それだけの力を欲したということだ。その気持ちによって鬼の力をフルに発揮できるようになったんだ」
「そうか。それで刃燗の考えを否定していたというわけか」
イシューは理解できたような表情だ。あの村で劉がなぜ刃燗にあのような説教をしたのかが分かったからである。
『想いを力に変える』というのは綺麗な言葉ではあるが、逆に不便なところもある。気持ちが強さに影響するという事は、誰よりも強くなろうという気持ちがなければ永久に強くならないということでもある。
惣一の修行で刃燗が一向に成長できない理由はそこにあった。強くなりたいという気持ちは嘘ではないが、心の底からそう思っていたわけではない。黎人の役に立てればそれで充分だという気持ちがわずかにあった。その考えの甘さゆえに、刃燗の力が上昇する事はなかった。
だがいま、刃燗は目の前の巨人を倒すと心の底から思っている。その気持ちに応えて札の真の力を発揮できるようになった。大きく進歩したというわけでもある。
「それにしても、刃燗はよく耐えたね。劉の特訓なんてついてこれる人がほとんどいなかったのに」
清嗣が感心したように呟く。
毒を含んだかなりキツい口調と、今にも殺そうとしているかのような徹底ぶりに、大抵の人間はついていけなかった。怖がって逃げようとするか、気絶したまま暫く動けなくなるかのどちらかである。
一度指導教官となってはいるが、退出するものが多かった故に彼はその役割を捨てざるを得なかった。
そんな劉の指導についてこられた刃燗には驚くほかないのである。
「…へこたれるわけねぇだろうが」
本を閉じて机の上に置いた。全て読み終えたわけではないのだが、読む気を失せたのだ。
「劣悪な環境でありながら、奴は命を簡単に投げ捨てなかった。執念と根性なら、黎人や惣一に劣ることはない。その図太さが、アイツの一番の長所だからな」
◇
「ハァ…ハァ…」
巨人を殴り飛ばした刃燗はかなり息切れをしている。札の真の力の発動はかなり体力を使う。もともと体力を大きく消耗していたため尽きるまで一歩手前でもある。
その様子を惣一は呆気に取られながら見ていた。彼もこの展開には驚かずにはいられなかった。
「ウゥ…!」
吹き飛ばされた巨人が起き上がる。ダメージは入ったが致命傷ではない。ようやくダメージと認識できる痛みであった。
「バケモノが…結構デカいの入れたつもりなんだがな……」
刃燗は決して手加減をしたわけではない。寧ろ全力だった。
なのにあまり痛がっている様子がない。刃燗はため息をつくしかなかった。
(何がいけねぇんだ…?まだ、出来ていない事があるのか…?)
「イタイ…!」
「…!?」
巨人が喋った。先ほど喋ってはいたのだが、刃燗はその様子を見ていないため喋れるとは思っていなかった。
「イタイ…!イタイイタイイタイ…!」
グギリ、という不快な音。
巨人の肉体そのものに変化が起こった音である。現に巨人の身体が少しだけ大きくなっているのだ。
「イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ……!!!」
何をしようとしているのかと、刃燗が構えていると、やがて巨人は動き始めた。空中に浮かぶように大きく飛ぶ。その大きな体では想像できないほど高く飛び上がっていた。
「ウアアアア!!!!」
そして体を回転させた。惣一に仕掛けたようにそのまま刃燗に向かって突っ込んでいくつもりだ。
地面に着地して、刃燗に近づく。惣一に仕掛けた時よりも速く、音も激しい。体の大きさもあり、食らえばタダでは済まないだろう。
「くっ…!!」
当たる直前に遠くまで移動する。元々の捷疾鬼の能力としてのスピードは健在であった。
刃燗が避けた後も、巨人はそのまま勢いが止まらない。そのまま一直線に突き進む。木や岩といった障害物をものともせず、草むらを踏み潰すかのように突き進んでいった。
「くそが…!どうなっているんだよあの体は…!」
遠くで転がっている巨人を見れば、少しずつだがスピードが落ちて来ているのが分かる。向きを変えて再び突っ込んでくるだろう。
「どうすりゃいいんだ…!?」
新しい力を手に入れたとしても、先ほどその力を使っても致命傷には至らなかった。その力で暴れまわっている巨人を止めるのは少し不安である。
何とかしてあの巨人を倒さないといけないが、その方法が分からなかった。
「刃燗さん!!」
困っている刃燗に声がかかる。大声で叫んでいたのは、先ほどまで巨人と戦っていた惣一だった。
「惣一さん…!?」
「漸く分かりました。あの正体。先ほど聞いたセリフで少し気になってはいたんですが、この攻撃を見て確信に変わりました」
「正体…!?」
正体というのを、考えたことはなかった。たしかに目の前の巨人が一体何者かぐらいは考えていたが、刃燗は特に気にしていなかった。
だが惣一はその正体を見抜いた。少し前に巨人から聞いたセリフと、いまの攻撃を見て。
「あの攻撃は、前に瑛矢さんが襲いかかってきた時、瑛矢さんの救援として来た2人のうちの1人が仕掛けて来た技でした。名前はたしか、ファトラスです。あの怪物は恐らく、そのファトラスが変化したものだと考えられます」
妖怪の山にて、惣一と瑛矢との勝負に決着がついた時、救援が2人いた。そのうちの1人、ファトラスは同じく回転しながら突進する攻撃をしていた。
それで惣一は悟った。目の前の怪物はファトラスが変化したものであると。
顔は見る影もないが、声は同じような声をしている。そして喋り方もファトラスに似ていた。だからこそ惣一はファトラスであると考えたのである。
「変化…!?こんな怪物に変わる事があるんですか…!!?」
「少なくとも実例はあります。人間が怪物に変わる瞬間を一度だけ目にした事がありますから!」
変化は一度だけ見た事がある。研究者の手に落ち、身体を怪物に変えられてしまったひとりの英雄だった。人間が怪物に変わることは不可能ではないことを惣一は知っている。
「そして恐らく…ファトラスさんの能力によって攻撃が効きづらくなっているのだと思われます」
「能力…?」
「ファトラスさんの能力は、『弾幕を無効化する程度の能力』でした。弾幕を身体で弾き飛ばすものだったと記憶しています。
その能力を強化されたのだと思われます。…弾幕だけでなく、衝撃を無効化するように」
ここまで攻撃が通じないことにも疑問だった。痛覚を無効化する、という惣一の判断は大きく間違っていたわけではない。
だがそれにしても肌のダメージが弱すぎた。キャノンレーザーという大技を受けて肌が火傷した程度というのはいくらなんでも割に合わなさすぎる。
だからこそ惣一は考えた。もしかしたら、巨人の肌が衝撃を和らげているのではないか、と。
「……それなら、何をすれば良いんすか」
刃燗が抱く疑問も最もだった。能力を見抜いたとしても対策が取れるわけではない。衝撃を和らげる効果があるというのなら、どうやって攻撃を当てるべきなのだろうかと。
その問いに対して、惣一は答えた。
「…麻痺させて体を弱らせます。豺弍さんによると能力は一部を除いて身体の状況に影響されるみたいです。弱体化すれば、彼の能力も弱くなるかもしれません。
私が麻痺弾を当てて巨人を一瞬だけ弱めます。その瞬間に刃燗さんは渾身の一撃を叩き込んでください」
半分は賭けみたいなものだった。
その情報も信憑性が薄い。そもそも刃燗は豺弍を知らないし、話しているのが紫のような人物でない時点でもはや怪しいとしか言えない。
だがそれでも今はそれに賭けるしかない。
巨人に攻撃が通じていない事は、その身をもって実感している。何も手を打たなければ負ける事をただ待つだけとなる。だからこそ可能性があるならば試さないという選択はなくなったようなものだった。
「…分かりました。お願いします」
惣一に頭を下げる。それを見て惣一は道具を取り出した。
取り出したのはロンガという遠距離用の銃だ。まさに遠くからの射撃に向いており、麻痺弾や毒弾さえも放つ事が出来る。作戦によっては大いに使える代物だ。
「遠くから狙います。刃燗さんは引きつけておいてください」
「…分かりました!!」
腕をバンと鳴らして応える。手を壊すのかと思うぐらいの大きさだった。もちろんそんなつもりはない。
「来やがれ!テメェの相手は俺だ!!」
大声で目の前の巨人に呼びかける。聴覚が鈍感であるためその掛け声は意味を持たないが、刃燗の存在は分かっていた。
「ウア…!!」
巨人の手が上がる。何度も見て来た通り、叩き潰すつもりなのだろう。何度も見て来たため避けるのはそんなに難しくはない。
刃燗が気にしているのは回避よりも攻撃の方だった。
いまの体の状態では、せいぜい3発が限界である。それを超えると体を壊してしまう可能性がある。
2発分余裕はある、というわけでは決してない。刃燗の攻撃がダメージを負っているのは確かではあるが、1発で相手を仕留めるほどではない。本当ならこの攻撃を何発も当てておきたいところなのだ。
だからあまり下手に攻撃はできない。しかも攻撃の時ほどではないとはいえ回避にも体力を使う。長期戦は負ける結果を招くだけである。
巨人の腕が振り下ろされる。刃燗を叩き潰そうとする腕は地面にめり込む。
刃燗は既に巨人の顎に来ていた。顎は弱点であり、強い衝撃を受ける事で脳が揺れて、大きな隙ができる。
刃燗は顎に向かって拳を突き出した。
《ブォン!!》
風が吹く音がなる。拳を突き出した時に突風が出た事を示している。巨人のデカさからすればそれを避けるのはほぼ不可能だろうと考えられた。
だが、巨人は見事に躱した。即座にうつ伏せになるように。
「速っ…!?」
いくらなんでもおかしい、と刃燗は思った。ここに来てスピードが急激に上がった。攻撃されそうな時も全く反応しなかったのが即座に躱したのだから。
おかしいと思う刃燗。だがそれと同時に気づいた。巨人の体に少し変化が起こっている事を。ただ体がでかかっただけなのにいまは光を発している。
(これは…!?)
その光と似たような現象について心当たりがあった。驥獣である。それは追い込まれた時に体から光を発してかつ能力が強化される。
つまりこの巨人は驥獣と同じ状態になっているのだ。追い込まれて強化されるということに。
戸惑っている刃燗に巨人は攻撃を仕掛ける。腕を真っ直ぐに伸ばして刃燗を突き飛ばそうとする。避け切れないとは行かないが、やはり先ほどよりスピードは上がっている。
だがその腕は途中で止まった。刃燗に向かっていくはずだった巨人の腕はそのまま自分の顔の方に近寄らせている。
プス、と何かが刺さる。腕に刺さっているものは肌から抜けて地面に落ちていった。
(…あれって、まさか…!)
刃燗は焦った。それを防がれたということはかなりまずいことになったという事でもある。
巨人は刃燗とは別の方を向いている。先ほど腕に刺さったものが飛んで来た方向である。それを見た巨人は真っ直ぐ走っていった。
「おい、待っ…!」
刃燗は追いかけようとするが、足が崩れて地面に倒れてしまう。限界ギリギリのなか放った1発なのだ。体力の消費も尋常じゃない。
ただ巨人が走っていくのを見ることしか出来なかった。
「コッチに、来ますか…!」
銃を構えている惣一は、自分に向かって走ってくる巨人を見ながらそう呟いた。
先ほど撃った麻痺弾は不発だった。それは脳に打ち込まなければ意味がなく、腕で防がれた時点で効かないことは分かっていた。そしてそれにより自分の位置が特定されたのである。
「ふぅ……」
脅威が近づいてくる。かなり危険である状況下で、惣一は息を強く吐き出した。
怖くない、というと少しばかり違う。あくまで正常な人間である惣一は恐怖の感情を持たないことはない。
彼は自分の中にある恐怖を強制的に抑えているのだ。それを可能にしているのは、惣一の強い責任感である。ここで自分がやらなければならないという気持ちが、恐怖に怯える自分を屈服させることを可能にしていた。
銃を構える。本来は遠くから狙撃するものではあるが、別段至近距離だと使えないという意味ではない。
寧ろ意識するべきことは、気を乱さない事である。至近距離という事は相手の攻撃を受けるということでもある。失敗したとなれば格好の餌食になってしまうのだ。
既に目の前に巨人が立つ。既に相手は目と鼻の先だ。かなり緊迫している状態でもある。
引き金を引く。先ほどと同じように銃弾が飛び出して巨人の頭に向かっていく。距離が近い分回避にかける時間は少ない。避けられる可能性は最も低いとも言える。
だが、巨人は顔を横に振って銃弾を躱した。異常な反応速度と顔の柔軟性である。普通ならあり得ない動きで避けることに成功した。
巨人は真っ直ぐ手を伸ばす。自分を狙撃した男を捻り潰すために。
「…ウ…!?」
だが、その手は何も掴まなかった。何もないところで手を握っただけで何も壊せていない。
手を開けるとやはり何もない。確実に惣一がいた所を掴んだはずなのに、そこには誰もいなかった。
「火薬の匂いを当てにしすぎましたね。残念ですがもうそこに私はいませんよ」
パン、と銃が発泡される音が鳴る。そしてブス、と何かが刺さる音が聞こえた。
「…!?ガッ…!!アァ…!?」
巨人がかなり苦しみ始める。体が痺れ始め、頭が弾き飛ばそうな痛みが襲いかかっている。
それが巨人の頭に刺さっている麻痺弾の効果だ。脳の中から全神経に広がり、痺れと痛みが襲いかかる。更には全身麻痺の状態になり体に力が入らなくなる。
牽制としての1発を放ったあと、惣一は後ろに回り込んで再び銃を構え直していた。匂いで位置を特定しようとしていた巨人は、惣一が投げ捨てた銃の火薬の匂いを嗅ぎつけてそちらに攻撃を仕掛ける。もともと戦場で戦い続けることでこびりついた火薬の匂いでしか、惣一の特定できる情報は無かった。巨人がこちらに来るのを見て、惣一はすぐにこの作戦を実行した。
「刃燗さん!!」
「はい!!」
巨人の腹に刃燗がいる。先ほど地面に倒れかけていた刃燗は、気合いで体を動かした。彼のとてつもない精神力でここまでの事がやってのけるのである。
腕に力を込める。今度は先ほどのように避けられる心配もない。
惣一が作ってくれたこのチャンスを無駄にするわけにはいかない。
刃燗はその手に力を込める。まさに渾身の一撃を放とうとしていた。
「くらえ!ストームナックル!!!」
拳を巨人の腹に叩き込む。至近距離で、全力で拳を打ち込み、かなり大きな巨人の体が浮かび上がる。
「ウガァァァァァ!!!!」
大声とともに腹に打ち込んだ腕を前に伸ばす。
暴風とともに巨人の体は吹き飛んだ。