地霊殿にはとある名所がある。この場所の環境によってそれが見どころとなったものだ。それは温泉である。
「は〜…いい湯だ」
「…ものすげぇ満喫しているみたいだな」
温泉に入って豺弍はかなり満喫している。一緒に入っている黎人は特に何も気にしないことにした。
地霊殿に住んでいる八咫烏が核の力を用いており、その熱によって温泉が出来るようになっていた。
少し前にその八咫烏の暴走が原因となり地上に温泉が吹き出てきたという事もあったのだが、いまは制御棒というものによって暴走はあまりしなくなり、安全に核の力を管理するようになった。
「温泉って結構久しぶりだ。頭の中がスッキリするみたいだ」
「…お前もともと頭の中がスッキリしているだろ」
とっくりに入れた酒をグビッと飲み干している。温泉に入る時に豺弍が頼んでいたものだ。黎人はその様子を見ているだけだったのだが…
「うん。良い酒だ。冷酒なんてしばらく飲んでいなかったけど、ここの冷酒はとても美味しいね」
「…酒をよく飲んでいるのか?」
「まぁね。付き合いで結構飲むこともあったし、僕も好きだから結構飲んでいたよ」
話しながら二杯目を注いでいる。割とペースが速い。
「一休みした後はまた仕事だ。戦力を上げとかないといけないし、魏音くんにも会っておかないとね」
「まだ勧誘するつもりか?」
「うん。今日はダメみたいだけど、暫く粘ってみるよ。一回ダメだったからと言って直ぐに諦めたらダメだ」
てっきりもう諦めるのかと思っていた。かなり敵意を向けられていたし、誘うのを止めると言っても何もおかしくない。なのにこの男はまた誘うと言っている。諦めが悪いのか、それとも仕事に必死なのか…
「1つ聞いていいか?」
「うん。なんでも聞いて良いよ」
「お前、生きていた時の職業は?」
その様子を見て、黎人は1つ気になった。いつものマイペースな姿とは打って変わり、戦闘に関する仕事を淡々とこなしている。その姿は並大抵の職業とは到底思えなかった。
「一時期軍人をやっていたけど、そのあと執事をやっていたかな?」
「…執事?」
「軍隊から追い出されてね。職を失った時にある人が雇ってくれたんだ。いま思うとアレは激務だったな。何しろ仕事が多かったし。
けど良い仕事だったよ。主人はとても優しかったし、ご飯も凄く美味しかったんだ。何しろ料理している人はプロだったからね」
執事という仕事を聞いて少し驚いた。流石にその答えは予想していなかった。
「少し気になったりはしないのか?」
「そりゃするよ。僕が居なくなった後どうしているんだろうな、て。
そりゃアッチはアッチで上手くやっているんだろうけど、どうなっているのかぐらいは知りたいさ。
特に、僕は1人の女の子を心配しているよ」
1人の女性という単語を言う時に、若干暗くなったのを感じた。
「女の子…?」
「うん。その子はとても若くてね。しかも館の外に行った事がないからだと思うけど、色々と未熟だったんだ。メイドとしての立ち振る舞いは完璧だったけど、人付き合いは全然でね。一回僕を殺そうとしていたよ」
それは結構な修羅場ではないか、と黎人は思った。それを笑いながら話している豺弍は懐が深いと言って良いのかもしれない。
「その子の事が今でも頭の中にあるんだ。もし機会があるなら一目だけ見たいけどね」
豺弍はどうやらその女の子が気になっているみたいだ。
(メイド、ね……)
黎人の頭には1人の女性が思い浮かんだ。メイドという職業である人はその1人しか見覚えがない。
豺弍はその女性の事を言っているのではないか。黎人はそう思った。
(…まさか、な)
可能性がかなり低い話ではある。多くないと言ってもそれなりにメイドと名乗る人は存在する。黎人はその可能性が正しいと断言することはなかった。
◇
大きな爆発が起こった時のような音が響く。
大きな土埃が巻き起こり、周りの地面を傾いている。
その中から1人の少女が飛び出して来た。雪羅はひたすら一直線に駆けている。
「瑛矢!そっちに行ったぞ!」
彼女の後ろを追いかけながらスラックが大声で呼びかける。その声に応えて、物陰から瑛矢が雪羅の前に現れた。
「はっ!!」
一直線に剣を振る。真っ二つにするほどの勢いがあった。普通の人間なら反応する隙もなく斬られていただろう。
だが、雪羅は見事に躱した。
「チッ…!俺の攻撃を躱すとは…!」
スピードが自慢である瑛矢の攻撃をあっさり躱された。素早い切り返しの身のこなしに、彼女を追い詰めていた瑛矢が翻弄されただけだった。
雪羅はただ木々の中を縫って進んで行く。
「身を隠しながら逃げようという寸法かよ」
かなり複雑な道になっている木々の間を抜けられては、追いかけるのも至難の技だ。苦戦している間に遠くに逃げられてしまう。
衝撃波で木ごと破壊するという手もあるが、大騒ぎになってしまったらより面倒なことになってしまう。それを避けたいスラックは衝撃波を出すことが出来ない。
「おい!テメェの出番だろ!」
「承知致しました!それでは一仕事してまいりましょう!」
スラックと共に行動をしていたガドロが動き始める。手に持っていた本を開くと、次から次に本のページがめくられていく。
そしてガドロが指を上げたのに合わせて、本がめくられていく動きが止まる。そしてその中の文章が赤く染まって行った。
「逃走劇と言うのは緊迫してなければならない。いとも容易く追っ手を振り切ってしまっては観客たちは喜ばないでしょう。そう言うわけで彼らに足止めをさせましょう。出でよ、創作人『ストッパーシャドウ』!!」
本から影が飛び出した。それはとても素早く木々の中を進んでいく。やがて木の中を走っている雪羅を追い抜いた時、影は形を変えた。
人のような形をしているが、決して人ではない。形容しがたいソレは雪羅の前に立ちはだかる。
「……!」
目の前に突然現れた謎の生物を見て、雪羅は急遽行き先を変える。瑛矢を躱した時と同じような切り返しである。
だがその影も雪羅と全く同じ方向に移動した。その結果2人は鉢合わせになってしまう。
「…!」
慌てて片手に忍ばせていたナイフで斬りかかる。しかし影も同じようにナイフを持ってそのナイフを受ける。まるでナイフが同じような動きをしてぶつかった時のように。
攻撃を防がれた雪羅は距離を置いた。すると相手も同じように距離を取っている。この時点で雪羅は察した。
「……なるほどね。鏡のようなものというわけ」
「いかにも、影と言う物に速さという概念はない。あるのは主人と同じような行動をするという規則だけ。それはあなたと同じように行動し続けますぞ」
「…お前誰に向かって話している」
木々の外で饒舌に語るガドロ。誰に向けて話しているのかが全く分からない瑛矢は呆れたようにつぶやいている。
「なら…こうすればいいわね」
雪羅は両手を広げた。すると青い光が湧き出てくる。その光は地面へと沈み、地面一体を光らせる。
「レイ・グラウンド」
雪羅の前に現れていた影はすぐに消滅した。
「やはり光には弱いわね。大したことないわ」
難なく突破し、雪羅は呆れている。もう少し手強い敵かと期待していた分落胆していたのかもしれない。
「ええ。私ではあなたを止められるとは思っていません。しかしほんの数秒間だけ足止めをすることは可能ですよ」
木の上から1人の男が飛び出して来た。さっきガドロたちと一緒に行動していたスラックである。
「なっ…!木の上から…!?」
木の上から飛び降りて来たスラックはそのまま雪羅に向かって落下していく。両手を合わせ、上に振り上げていた。
「沈みな」
雪羅のいるところまでたどり着いた瞬間、両手を思いっきり振り下ろす。その瞬間に両手に溜めていた衝撃波を放った。高いところからの衝撃波により、地面や周りの木もミシミシ行っている。もちろん雪羅も同じだった。彼女にもダメージがかなりあるようで、ピシピシと音が聞こえる。
(なに…!?どういう事だ……!?)
その時違和感を感じた。人に打撃を当てたとするならば、ガラスが壊れる時のような音はしない。人間ならグチャッと生々しい音と一緒に肉片となってしまうはずだ。
だがいま聞こえた音は間違いなく何かが割れた音。そして雪羅にヒビが生えてきた。
「クソが…!」
違和感の正体に気づいたスラックはその場から離れる。倒れている雪羅はそのままヒビが大きくなっていき…完全に割れてしまった。
「スラック!どうしたん…」
敵から離れたスラックに瑛矢が話しかける。滅多に敵に背を向けないスラックが撤退するのは何か理由がある他にない。
「してやられた。奴は俺たちの侵略に気づいていた」
呼びかけられたスラックは振り返って話し始めた。
「はっ…?いや、敵に気づかれたからと言って…」
「気づいていたと言っただろう。奴は俺たちが攻めてくる事を分かっていたんだ」
スラックの言っている事の意味が分かっていない瑛矢。スラックの言っている事の意味を理解したのはガドロだった。
「先手を打たれていた。そういう事ですかな…?」
「間違いない。俺たちが来ると分かっていた華名縞は偽物を用意してやがった。それも本物のように動ける高度な偽物を」
瑛矢は信じられないような顔をした。本物のような偽物は、かつて研究のトップに立っていたリヴァルも出来なかった事だ。それをあの少女が出来るとは思えなかった。
「じゃあ奴はどこに…?」
誰もが思ったであろう疑問を出した瑛矢だが、その瞬間に異変は起こった。
◇
旧地獄跡から地上に向かって飛んで移動している人物が2人いた。黎人と霊夢である。
魔理沙や妖夢は回復のために残してきた。そして豺弍はここに残ると言った。一週間は粘りたいと。どれだけ待ったとしてもあの魏音が良い答えを出してくれるとは到底思えないが、豺弍がそうしたいと言うのなら仕方がない。
「黎人。正直豺弍のことをどう思っている?」
霊夢は黎人に尋ねた。今のところ豺弍と1番関わりがあるのは黎人だ。豺弍がどのような人物であるかを尋ねるなら黎人以外に適任はいない。
「フワフワしているようで確信をついている、という感じだ。普段の言動に比べて仕事になると的を得ている答えを出してくる」
黎人が気になったのは、普段の行動と真剣な思考とのギャップである。いつもはふざけたような行動を取るが、作戦を考えたりする時は確信をつくような事を言ってくる。
地上で方針を決める時も豺弍の言葉には不思議と説得力があった。いつもの彼と比べると違和感しか感じない。霊夢もそう感じていた。
「あとは…欲があまり強くないところか?」
「…私はそう思わなかったけど」
これには同意はできなかった。色々な事に興味を持っているような様子の豺弍を見ると欲が強くないとは思えない。寧ろ逆に欲が強いと思えた。欲が強くないと言うのなら、惣一のような男ではないのか。
すると黎人が説明をし始めた。
「これはお前が聞いてない話だろうけど。この戦いが終わったらアイツ消えるんだよ」
「…えっ……!」
突然の情報に霊夢は怯んだ。その情報はその話を聞いた黎人しか知らない。まさか戦いが終われば消える事になるとは思ってもいなかった。
「死人が生き返るというのはあってはならない事で、豺弍の事はあくまで特別なんだ。だから終わったら冥界へ戻る事になっている。アイツはその事を知っていて、それを受け入れているんだ。自分だけが特別扱いされると他の死んだ人に申し訳ないと」
特例中の特例。豺弍はそう言う存在なのだ。この異変が終わったら特例である豺弍はこの世からいなくなる事になる。豺弍はそれを知っていて受け入れたのだ。
「食欲は結構あるように見えるけどな…あそこまで行くととても欲が強いようには見えないんだ。それこそ惣一と同じように、自分よりも他人を優先するタイプなのかもしれない」
黎人の考えを理解した。それなら豺弍は欲が強くないと考えるのも納得である。自分の死に対して不満を全く出さないのは、欲が強いならあり得ない事だ。
「…お、そろそろ地上が見えてきたみたいだ」
色々と話をして行くうちに、地上付近にたどり着いた。太陽の光によって白く輝いている。黎人と霊夢はそのまま上へと進んで行く。
「…?なんか、寒くない?」
地上まであと少しと言うところで、霊夢は寒気を感じた。地上よりも地下の方が暑いと言うのは聞いた事があるが、それにしても寒すぎる。冬と言うわけでも無いのにまるで極寒と言えるような寒さを感じた。
「……何か起こってんのか?」
黎人は進むスピードを上げる。そのまま地上へと飛び出た。
「…嘘だろ……」
地上に上がった時、黎人は恐ろしいものが見えた。
「木が…地面が…凍ってる…!?」
まるで氷の土地のように、地面や木が凍っていた。特に草木は風が吹いても全く揺れない。
これはおかしいと思った黎人は、そのまま上へと上っている。そして空高いところから周りの景色を見た。
「まさか……幻想郷全部が凍っているのか…!?」
高いところから見ても、見えるのは白い景色だけだ。森だけでなく遠くの山や湖も凍っている。
先ほどの寒さはそれが理由だったのだ。
「幻想郷そのものを全部凍らせるなんて…」
霊夢も黎人と同じように上空から幻想郷を見た。
「これは間違いないわね…」
幻想郷ではこのような事がたまに起こる。空が赤くなったり、春が無くなったり…そのような事件を総じてこう呼ぶのだ。
「これは…異変よ」
幻想郷が凍ると言う異変。この緊急事態に黎人たちはどのように対応して行くのでしょうか。次回もお楽しみにしていてください。