黎人たちの前に雪羅と言う女性が現れる。
そして雪羅は黎人の恋人であると言い放った。
この言葉の真相とは…?
嵐の前の静けさ、と言うのはこういう状態を言うのだろうか。豺弍は今の状態をそう捉えていた。
雪羅という女性が黎人の恋人を名乗ってから、黎人及びその場にいた女性が呆気に取られているのが手に取るように分かる。
「…お、おい雪羅…お前は何を言ってる?」
雪羅に落ち着いて話を聞こうとしている黎人は、全く身に覚えのない疑いを押し付けられた被害者のように、雪羅の言うことを全く合っていないと主張しているかのようだった。
「あら、隠さなくても良いのよ。外の世界では中学生の頃、一緒に暮らしてたじゃない。周りからお似合いと言われた時はまんざらでもなかったわ」
「暮らしてないし言われてない。お前本当に何を言ってるんだ」
もちろん雪羅はまったく否定しない。しかも黎人に覚えのない出来事を次から次に言われ、周りの視線が徐々に厳しいものになっている。
「突然別れることになって悲しかった。でもこうして再会できて嬉しいわ。やっぱり私たちは運命の赤い糸で結ばれているのね」
「いやひとまず止ま…」
「私たちが住む家はもう既に用意してあるわ。誰にも邪魔されない空間で愛し愛されあう時間を過ごすの。
子どもは何人欲しい?私は8人欲しいわ。だって家族はたくさんいた方が嬉しいじゃない。一番最初は息子が良いわ。頼りになりながらちょっと弄りがいのある子どもって最高じゃない。男女比は3対5が良いんじゃないかしら。女子には女子でしか出来ない事が有るんだし、娘が多い方が良い気がするの。
そういえばペットは好き?私は犬が欲しいわ。一緒に走り回ったら運動不足にならなくて済むし、何より楽しいじゃない。あ、でも犬以外も嫌いではないわ。黎人が好きならなんだって好きよ」
「止まれって言ってんだろうが!!」
止まって欲しいと言っているのに、雪羅は全く止まらない。聞く耳を全く勿体無いかのようだった。
それは黎人も分かっていた。外の世界から彼女のこの性格は変わっていない。一度想いごとに耽ったが最後、その話をダラダラと話す。その事に嫌気を刺すものもかなりの数いたし、黎人も扱いに困るのである。
その様子を見ている人の多くは、かなり困惑している。彼女たちの目の前にいる雪羅という女性があまりに異常で、話しかける言葉が思いつかない。
そんな彼女たちの様子は、一瞬にして変わり果てる事になった。
「だから一緒に帰りましょ。その側にいる薄汚い虫なら、私が掃除してあげるから」
雪羅が話し始めた言葉を聞いて、慌てて戦闘態勢を整える。彼女の狙いは明らかに黎人の周りにいる者たちの事で、自分が危ないという事は明白だ。
そして、雪羅が黎人の周りにいる者らに襲いかかろうとする。
しかし、突然彼女の姿は消えた。
「「「え?」」」
魔理沙、妖夢、早苗はポカンとしている。自分たちに襲いかかってくる者が突然いなくなり、呆気に取られている。しかし実際、目の前から雪羅という女性は完全にいなくなっていた。
◇
黎人の周りにいた者を始末しようと仕掛け始めた雪羅は、目の前の景色が一変した事に気づき、悔しそうな表情をしている。彼女は悟った。もう時間切れであると。
『勝手なことをしてもらっては困りますよ。いま忙しい時期なんですから』
彼女に話しかける謎の声。その声を聞いた時に表情を顰める。
「勝手なこととは酷い言い草ね。私はあの人を迎えに行っていただけよ」
『それを勝手と言うんですよ。物事には全てタイミングというものがあるんです。それに合わせて頂かないと困ります』
言葉は丁寧だが不吉そうな雰囲気が漂っている。彼女はその声が嫌いだった。姿を見せないで話だけしようとするこの声の主が、とても信用できない。
しかし彼女はその男の言う事に反抗しようとしない。彼女にも目的があるからだ。
「私はいつ、あのお方の側にいる事が出来るの?」
黎人の側にいる事。それが彼女の狙いだった。その為にその声の主に協力しているに過ぎないのである。
『大丈夫ですよ。いつか必ず』
その言葉を聞いて、雪羅は引き下がるのであった。
◇
雪羅がいなくなってからあと、惣一は周りの捜索を開始している。周りに潜んでいないかと警戒し、念入りに調査はしているが、近くに雪羅はいなかった。本当に消えたと認識し、その事を伝える為に他のものが集まっているところに向かう。
「どうだった?」
「やはり居ませんでした。本当にいなくなっているようです。誰かの命令によって強制的に撤退させられたと思うしかないでしょう」
一緒にその場にいた豺弍に伝える。『そっか…』と豺弍は考える様子を見せる。惣一と同じ答えに達し、深く追求できないと認めて、考えを止める。
「それで、あの…」
「うん、熱が入っているよ」
予想はほとんどついている質問を尋ねると、やはりという答えが返ってきた。彼らの話している対象は、彼らの視線の先にあった。
「黎人ォォォ!どういう事だテメェ!」
「落ち着けって言ってんだろ!いつもより乱暴な言葉になってんじゃねぇか!」
感情のままに怒鳴りつけている霊夢に、黎人はひたすら落ち着かせようとしている。ちなみに黎人に問い詰めているのは霊夢だけではなく、その場にいた女性陣もだった。
内容は、雪羅の事だった。彼女は、黎人と恋人どうしだったという衝撃的事実を言い放ったのである。そのような事を聞かれると、女性陣は黙っていられなかった。
「違うと言ってんだろ!外の世界で中学の時に同級生だったけど、恋人的な関係になった覚えは全く無い!ただの同級生だ!」
「ただの同級生であそこまでおかしな事は言わねぇだろ!」
「だから身に覚えがないんだよ!俺がどういう事なのか知りたいわ!」
黎人は雪羅の言っていた事はほとんど違うと否定している。中学生の頃にクラスが一緒だったのは確かではあるが、雪羅があそこまで変な妄想を抱かせるような出来事すらも無かった。黎人としてもなんでそうなっているのか、見当もついていない。
「本当に何も無かったのか?何か特別な出来事とかがあったとか」
興奮している霊夢を早苗がなだめている間に、魔理沙が黎人に聞いた。例え恋人としての付き合いじゃなくても、何か出来事があって、それが原因で雪羅があの狂った恋心を抱いているのではないかと。
「いや…関わることぐらいはするけど、特別な何かが起こったわけでもないぞ」
「その関わるってどんな事があったんだぜ?」
「え…?うーん…」
魔理沙に言われて黎人は何か雪羅に関する記憶がないかと探ってみる。そして、ある出来事を思い出した。
「…あーと…確か中学に入ったばかりの時に…」
◆数年前
「なんだよトロいなお前。あれぐらい避けろよトロ女」
とある中学校の廊下で、倒れている女性に向かって、何人かの生徒が野次を飛ばしている。倒れている女性は、彼らと同じ生徒ではあるが、その顔に酷い痣があった。その女子生徒こそ、雪羅であった。
「…そんな急にひっかけてきて、転んでもしょうがないじゃない」
「だから避けろと言ってんだよ。あ、そーか。その顔面じゃ何も見えないんだっけ?」
「アハハ、マジでダサい〜」
主犯である1人の男が急に足を出してきたため、雪羅はそれに引っかかって転んでしまった。その様子を、周りの生徒が囲んで笑っていた。
「本当にキモいよな。顔も動きも性格も」
彼らは彼女を非難している。その内容の殆どは顔だった。顔に残っている痣は、学校の中でもひときわ目立っている。それが気味悪く、何人かの生徒は彼女を笑い者にしていた。
雪羅はギリッと歯を食いしばる。つけたくてついたわけでもない痣を笑い物にされている事が嫌でしか無かった。家で大火事に巻き込まれ、一命を取り留めたものの、父は命を落とし、母と一緒に家を追い出されて通ったこの学校では自分をバカにする人しかいない。そんな現実に飽き飽きしていた。
いっそのこと全員殺してしまおうか。そう考えた時だった。
「…な、なんだよお前!!」
1人の男の声がかなり変わったことに気づき、何が起こっているのかと見てみると、その男を別の男が追い詰めているところだった。
その男は、雪羅と同じクラスである斐川 黎人だった。学校の中でかなり問題児と言われていたため、覚えている。
「お前…治ることのない傷を持つ苦しみが分かるか?」
黎人は先ほど雪羅に足をひっかけた男に問い詰めた。その時の黎人は恐ろしい気迫で、周りの生徒は既に怖がっていた。
「し…知るかよ!そんなの知って何に…!」
男が言い返している途中で、黎人はその男の胸ぐらを掴んだ。それだけで男は口を閉ざした。
「知らねぇ癖によく笑ったよな。なんだったら今から知ってみるか?その顔面を傷だらけにして」
もう既に、先ほど雪羅を笑っていた時の勢いは無くなり、動揺している。黎人の表情と気迫が、とても恐ろしかった。
「…!クソ!覚えてろ!」
黎人の腕を振りほどき、捨て台詞を吐いて男は逃げるようにその場から離れた。周りの生徒もコソコソと逃げ出していく。黎人は何事も無かったかのように歩き始める。
背中から彼を見ている視線に気づかずに。
◇
「…て事があったな」
「どう考えてもそれが原因じゃねぇか!!」
ツッコミを大声で言わずにはいられなかった。惚れる原因がハッキリと分かったのである。イジメられている時に助けてくれた男に惚れてしまうのは、当然としか言いようがない。それがさっぱり分からないでいる黎人に思わず魔理沙も怒りの感情を向けるしか無かった。
「いや、けど…たまたま助けてくれただけで好きになる事あるか!?」
「あるから言ってんだよ!!!」
ここまで鈍感というか無神経でいる黎人に、女性陣は怒りどころか呆れてしまっていた。ここまでダメな男だとは思わなかったのである。
「…黎人さん」
「…?どうしたんだ、よう…」
「女を弄ぶ人だったんですね」
「ゴミを見る目!!?」
妖夢が彼に話しかけてきたので、どうしたんだと尋ねようとすると、妖夢の目は酷く冷め切っており、軽蔑の視線を彼に向けていると言うのが嫌でも分かった。妖夢はこの時点で黎人を、女を弄ぶ最低の男だと認定した。
「えー、と…咲夜を今から…永遠亭?に連れて行くから、誰か手伝ってくれない?」
怒りでヒートアップしている現場に、豺弍からの呼びかけで話題は一旦切り上げた。スラックに敗れて意識を失っている咲夜を、永遠亭に連れて行く。
この日から、黎人は女性から冷たくされたと訴えるのであった。
黎人は恋に疎いと言うより、無神経という設定です。デリカシーもないので最悪です。