雪ノ下陽乃の来襲により色々と削られたので、ベンチに座って休憩している二人。そこに向かって大きく地面を鳴らしながら走ってくる巨大な物体があった。最初に気付き、それを目にした雪乃は短い悲鳴を上げて隣の八幡の腕にすがり付く。八幡が何事かと携帯の画面から視線を移すと同時に、走ってきた毛むくじゃらの物体が目の前で止まって吠えた。
「わん!」
「ひっ!?ひ、比企谷君……い、いぬ、おっきな犬が…」
「おや、定春君ではありませんか」
大人の背丈をゆうに越える大きさで、特徴的な眉をした白い犬、定春の頭を八幡は携帯を持っていない方の手で撫でた。気持ち良さそうにしている定春の後ろから、ちぎれたリードを持ったチャイナ服の少女と髪を三つ編みにした少年が走ってくる。
「定春ゥ!どうしたネ急に……ん?アレ、ヒッキーアルか?」
「奇遇だネ、こんな所で」
「どうも、神楽さん、神威さん」
定春の飼い主で八幡のメル友の神楽と、その兄の神威が笑顔で挨拶をする。神威は八幡の後ろに隠れるように立つ雪乃を見て、笑顔のまま顎に手を当てて首を傾げた。
「信女とデート……って訳じゃなさそうだ。隣の定春にビビってる子、誰?」
「ほら、前にメールしたでしょ?部活仲間の…」
「あ、奉仕部のゆきのんアルか!」
神楽の言葉で雪乃の凍てつくような視線が八幡の背中へと突き刺さる。
「……比企谷君、一体どういう説明をしたのか詳しく…」
「わん」
「ひっ……!」
「アレ?どうしたアルか?」
「すいませんねェ。この人、犬苦手のようでして」
「マジでか。こんなに可愛いのに……ねー定春?」
「なァ~にが可愛いのに、だ。そのお嬢ちゃんの反応が当たり前なんだっての」
雪乃が定春を怖がっているのが信じられない神楽だったが、その後ろから雪乃の態度を肯定する中年の男が歩いてきた。
「阿伏兎さん…あなたも一緒でしたか」
「よォ、ハチ公。元気してたか?」
「ええ、まあ。阿伏兎さんのほうは…そうでもないようですねェ」
「まあな…」
阿伏兎の左腕は包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「一体どうされたんですか、その有り様は?」
「それがよ~、朝にこいつらを迎えに来たら、このワン公にガブリとやられちまってな…。これでもう何回目?おじさん、このワン公に嫌われてんのかねェ?」
「そんな事ないアル。ただおじちゃんの手が美味しそうなだけアルよ、きっと」
「それ、慰めになってないからね?おじさんの手はドッグフードじゃないからね?」
フォローになっていないフォローをする神楽。
「そういや、ハチマンとゆきのんはどうしてここに?まさか浮気?」
「冗談でも止めてくれませんかね、そういう事言うのは」
「ははっ、ゴメンゴメン」
「奉仕部の事を聞いているのなら知っていると思うのだけれど、もう1人の部員の誕生日プレゼントを買うのについてきてもらっていたの。あと、ゆきのんと呼ばないでもらえるかしら」
「へえ、そうなんだ。俺達は家族サービスって事で、あのハゲに遊びに連れてきてもらってたとこ」
「お前、自分の父ちゃんをハゲって呼ぶなよ…」
「着いて早々、『俺の腹がアテンションプリーズ』とか訳の分かんない事言って便所に籠る奴なんて、ハゲで充分だと思わない?」
「……」
神威は笑顔ながらも、若干の不機嫌さを醸し出していた。返す言葉もなく阿伏兎は口をつぐませるが、代わりに雪乃が口を開いた。
「…休日に遊びに連れて行ってくれるお父さんがいるのね。少し、羨ましいわ」
「ゆきのんのパピーは違うアルか?」
「……私はあまりそういう経験は無いわね。姉はよく挨拶回りやパーティに連れまわされていたけれど…。それと、ゆきのんと呼ばないでもらえるかしら」
ふぅ、と小さく息を吐いた雪乃の横顔を見て、八幡のモノクルが僅かに光る。
「頭はどうアル?フサフサアルか?」
「……あ、頭?髪の事かしら…。まだ若々しい方だと思うけれど…」
「このお嬢ちゃん、キッツイ性格してるなァオイ。まだって言ったぜ、まだって」
「普段はもっとキレキレなんですがねェ」
さりげない雪乃の毒舌に引き気味の阿伏兎。神楽と雪乃はそんな事を気に留める様子も無く、父親についての話を続けていた。
「いいなー、フサフサなんだ。一緒に歩いてても恥ずかしくないアルな。うちのパピー、毛根が絶滅したから一緒に歩くの恥ずかしいアル」
「そう……でも、私はそもそも一緒に歩いた経験すらないから…」
「そうアルか。家族って難しいアルな…」
「ええ、本当にそう思うわ…」
「パピーが聞いたら泣きそうな話だなァ」
「そんなもんじゃないの?年頃の女の子の話なんて」
「こんな風に言われる父親にはなりたくありませんねェ」
何故か父親に抱く悩みを共感しあう神楽と雪乃。阿伏兎がこの話が父親にばれない事を内心祈っている中、携帯電話がバイブレーションを始めた。
「ん?お、そのパピーからメール来たぞ」
「ようやくウンコ終わったアルか?」
「……あの、神楽さん。女性がそういう言葉を使うのは止めた方がいいのではないかしら…」
「なんで?ウンコはウンコアルよ?」
「いえ、あの、確かにその通りなのだけれど、そこは表現の仕方を抑えて…」
「言っても無駄ですから気にしないで下さい。それより、メールの内容は何なんですか?」
神楽の下品な言葉づかいを注意する雪乃だが、何を言っても無駄だと既に諦めている八幡がメールの内容を阿伏兎に聞く。
「えっとな…紙が無くてケツ拭けない、ヘルプミー。…だとよ」
「元から髪なんてないアル」
「いや、それ字が違うからね?」
「あ、ちょっとあれ見てよ。旨そうな物焼いてるネ」
「おい、父ちゃんからの救難信号は無視か?」
メールの内容を無視して、指さした方向に神威と神楽と定春は走りだした。
「キャッホォォォイ!!行くよ定春、おじちゃん!」
「わん!」
「じゃあね、ハチマン、ゆきのん」
「おいちょっと待てェ!?なんで二人して左手掴んでるんだ痛ででででででちぎれるちぎれるゥゥゥゥ!!!」
「だから、ゆきのんと呼ばないでと…」
怪我している左手を掴まれ、雪乃の抗議をかき消す悲鳴を上げながら阿伏兎が引きずられていく。
「行ってしまいましたね。私達も帰りましょうか」
「そうね…」
「プレゼント、どうやって渡します?私がメールで呼び出してもいいのですが」
「……いえ、私から話をしておくわ」
「そうですか」
慌ただしい休日は終わりを告げ、優秀な凡人少女にとっての分岐点が始まろうとしていた…。
多分次で、ゆきのんとゆいにゃんの仲直りの話をします。