ぼっちではありません、エリートです。   作:サンダーボルト

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何か重いサブタイですが、シリアスではありません。


人生、諦めが肝心

日曜日、待ち合わせの場所であるららぽーとの青い時計の下で八幡は携帯を開く。

 

 

「……ふむ」

 

 

携帯の時計を確認し、頭上の時計が刻んでいる時刻を見て誤差が無い事を確かめた。待ち合わせの時間は十時半。現在、十一時である。女性の外出は準備に時間がかかるという事を小町から聞いていたので、多少は遅れる事もあるだろうと踏んでいたが、いくら何でも遅い。急に都合が悪くなったのか、それとも何かに巻き込まれたのか、八幡が雪乃に確認のメールを送ろうとしたところで、黒髪のツインテールを慌ただしく揺らして走ってくる人影が目に入った。誰あろう、雪ノ下雪乃である。

 

 

「……お、お待たせ…」

 

 

胸に手を当てて息を切らしながら青い時計を見て、雪乃が申し訳なさそうに目を伏せた。

 

 

「ご、ごめんなさい。少し道に迷ってしまって…」

 

「そうですか。まあ何もないならよかったです」

 

 

雪乃の体力が回復するのを待ち、二人は案内板の前へと移動する。

 

 

「ところで、何を買うかはもう決まっているんですか?」

 

「……いえ、自分でも色々調べてみたのだけれど私にはよく分からなくて…」

 

 

小さな溜息を吐いた雪乃を見て、八幡は雪乃が誕生日プレゼントを何にするか相当悩んでいる姿を簡単に想像できた。

 

 

「それに私、友人から誕生日プレゼント貰ったことないから…」

 

「そもそも友人がいませんからね」

 

「……そうね」

 

 

いつもと違う、弱々しい返事に八幡は少し戸惑った。普段、何かしら言うと噛みついてくる彼女のしおらしい姿に少し庇護欲を抱きながら、八幡は案内板の一角を指さす。

 

 

「まあ由比ヶ浜さんへのプレゼントならここら辺で買えば問題ないでしょう」

 

「そこは…」

 

 

雪乃は案内板に備え付けられていたパンフレットを取って開き、納得したように頷いた。若い女の子向けの服屋やアクセサリーショップが集まっているこの場所なら、結衣のプレゼント選びに最適だろう。

 

 

「では、早速行きましょうか」

 

 

そう言うと、雪乃はくるりと向きを変えて目的地に向かおうと歩き出す。

 

 

「お待ちなさい」

 

 

しかし、何歩か歩いたところで服の襟首を掴まれた。うっ、と一瞬息が詰まり、雪乃は振り向いて八幡に恨みがましい視線を向けた。

 

 

「けほっ…比企谷君。いきなり何をするの」

 

「それは私の台詞です。一体どこに行こうとしてるんですか?」

 

「どこって、さっきあなたが指さした場所へ…」

 

 

雪乃が自分が歩いていた方向を指さすと、八幡は呆れるとともに遅刻した原因を理解した。

 

 

「……逆方向ですよ。雪ノ下さん、さては方向音痴ですか?」

 

「そんなことは…」

 

 

ない、と言いかけて、自分が遅刻したことを思い出して言うのを止め、代わりに顔を逸らした。八幡は溜息を吐いて、雪乃が指さしたのとは逆の方向を指差した。

 

 

「正しい道はこっちですよ。はぐれないようにちゃんとついてきてくださいね」

 

「……」

 

 

見るからに不満そうな雪乃であったが、方向音痴なのは事実なので何も言い返せずに大人しく頷いた。休日のために人が混み合っているモール内を八幡は進んでいく。人混みは好きではないため、人が少ない場所を見つけるのに慣れている八幡は止まることなく進む。途中で雪乃がついてこれているのか確認するために振りむくと、雪乃が真剣な表情で凶悪な目と研ぎ澄まされた爪とぎらりと光る牙を持ったぬいぐるみをぐにぐに触っていた。八幡がその様子を黙って見ていると、その視線に気づいた雪乃が持っていたぬいぐるみをそっと棚に戻す。

 

 

「好きなんですか、それ」

 

 

八幡が指さしたのは、千葉にあるのに東京の名前がついているテーマパークの人気キャラクター、東京ディスティニーランドのパンダのパンさんである。ファンシーとブルタリティーを足して二で割ったようなデザインのキャラクターで、パンさんのバンブーハントというアトラクションは二時間三時間待ちは当たり前という程の人気アトラクションなのだ。

 

 

「別に、そんな事言っていないのだけれど」

 

「言ってないってことは、思ってはいるんですか?」

 

 

八幡の指摘が図星だったのか、雪乃の目つきが鋭くなった。言われたくないことだったのだろう。

 

 

「欲しいんなら買えばいいじゃないですか。別に買うな、なんて言いませんよ」

 

「……え?……で、でも…」

 

 

肩を竦めて言った八幡の言葉が意外だったのか雪乃は驚いた顔になり、次の瞬間に躊躇いがちにぬいぐるみを見た。しかし、それをまた手に取ろうとはしなかった。お詫びも兼ねてプレゼントを買いに来ているのに、自分の買い物はできないと思っているのだろう。そんな雪乃の迷いを看破したのか、八幡が助け舟をだした。

 

 

「そんなに気負わなくてもいいですよ。私も来たついでに小町さんや信女さんに何か買って帰ろうと思ってますから」

 

「……そう」

 

 

その言葉に後押しされたのか、雪乃はパンさんのぬいぐるみを素早くレジまで持っていって購入した。買うとなったら迷いの無くなった動きにあっけにとられた八幡の顔を見て、雪乃が仕切りなおすように咳払いを一つする。

 

 

「さあ、行きましょう」

 

「……ああ、はい」

 

 

買い物を終わらせてまた少し歩くと、周囲の雰囲気が明らかに変わった。パステルとビビッドが入り混じったいかにも女の子という感じがする空間には、フローラルやシャボンの良い香りが漂っていた。

 

 

「着いたようですね。さて、どんなプレゼントに狙いをさだめましょうか」

 

「……そうね、普段から使えてかつ長期間の使用に耐える耐久性を持ったもの、かしら」

 

「そういう事言ってんじゃないんですけど。その条件だと事務用品が真っ先に候補に上がるんですけど」

 

「それも考えたのだけれど」

 

「考えたんですか…」

 

「ええ。でも、由比ヶ浜さんが喜びそうなものではないし、流石に万年筆や工具セットをプレゼントしても嬉しがるとは思えないもの」

 

「そもそもプレゼントしよう、なんて思いませんから。記念品とかならまだしも、誕生日プレゼントにはねェ…」

 

 

内心、一緒に来ていて良かったと八幡は安堵していた。雪乃のセンスに任せたプレゼントだと、結衣と仲直りするどころか更にギスギスしかねない。

 

雪乃が目についた近くの服屋に入り、八幡もそれに続く。男性客が入ってきた事で他の女性客の視線が突き刺さり、服屋の女性店員も八幡の動きを警戒するかのように移動する。そんな事を気にする素振りも見せず、八幡は店内のマネキンに着せてある服を見て、マネキンを信女に脳内変換して楽しんでいた。一方で雪乃は真剣な表情で、並べてある服を手に取っては横にグイグイ引っ張ったり縦に伸ばしていた。八幡は脳内着せ替えショーを中断して、雪乃の傍へ行って話しかける。

 

 

「何やってんですかさっきから」

 

「服の耐久性を確かめているのよ。……でも駄目ね。満足いくものが中々見つからないわ」

 

「駄目なのはあなたの審査基準ですよ。野菜仕入れに来てるんじゃないんですから。耐久性も大事ですけど、品質ばかりにこだわってたら一生決まりませんよ」

 

「……はぁ、だって仕方がないじゃない。材質や縫製くらいでしか判断がつかないもの…」

 

「女子高生にしてはお堅い判断基準ですねェ」

 

 

呆れながらどうしたものかと頭を掻く八幡の横で、雪乃が今までで一番物憂げな溜息を吐いた。

 

 

「私、由比ヶ浜さんが何が好きかとか、どんなものが趣味かとか……知らなかったのね」

 

「知らなくたって推測くらいできるでしょう。携帯がなんかピカピカ飾り付けられていましたし、髪だってピンク色に染めている今時のギャルですから、好きそうな物くらい想像できますよ」

 

「それはそうだけれど、私はその手のものに詳しくないのよ。中途半端な知識で贈ったところで勝ち目は薄いでしょうし、勝つためには弱点を突かなければ…」

 

「プレゼント一つで随分とバイオレンスな考え方をしますね。ギフトに時限爆弾でも仕込むんですかあなたは。プレゼントするなら、弱点を突くというより弱点を補うものを贈るべきでしょう」

 

「……そうね、そういうことなら…」

 

 

八幡の言葉がヒントになり、雪乃が何かを閃かせて服屋を出る。そして向かったのはキッチン雑貨の店。ドーナツくらいしか作らないとはいえ、数々のユニークな調理器具が並ぶ店内は八幡にとっても興味深い場所であった。

 

 

「比企谷君、こっちよ」

 

 

輪切り、みじん切り、千切りができるスライサーを眺めていると、雪乃が名前を呼んでこっちこっちと手招きをする。行ってみるとそこにいたのはエプロン姿の雪乃だった。薄手の黒い生地で胸元に猫の足跡があしらわれており、リボン状にぴこっと結ばれた腰ひもが引き締まったくびれを強調している。その場でくるっと一回転をして動きやすさを確かめた後、八幡にエプロンを見せつけるようなポーズで立って首を傾げた。

 

 

「どうかしら?」

 

「良くお似合いですが、由比ヶ浜さんのイメージには合いませんね。彼女にはもっとこう、明るい色を基調にしたフリルでもついたものがいいのでは?」

 

「なるほど…」

 

 

雪乃は着ていたエプロンを脱いで畳むと、八幡のアドバイスに沿ったエプロンを探しだす。無論、材質のチェックも忘れてはいない。

 

 

「これにするわ」

 

「良いですね」

 

 

雪乃が最終的に選んだのは、薄いピンクの生地にフリルがあしらわれているエプロン。両脇に小さいポケットが一つずつ、真ん中には大きなポケットが一つ付いていた。結衣のイメージに合うもので八幡も納得して頷き、雪乃はこれとさっきの黒いエプロンをレジへと持っていった。素知らぬ顔で戻ってきた雪乃にツッコむことも無く、今度は八幡が用意するプレゼントを買いに行く事となった。

 

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

 

ペットショップで買い物を済ませた八幡は、待ってる間に子猫と戯れている雪乃の元へと戻る。

 

 

「あら、早かったわね」

 

「買うものは決めていましたから。では帰りましょうか……帰ります?」

 

「…当然でしょう?もうここに来た目的は済んだのだから」

 

 

もっと子猫と一緒にいたいのでは、と気を遣ってみた八幡だったが、雪乃は気遣いを受ける気は無いようだった。それでも名残惜しさはあるらしく、返答に一瞬間が生まれていた。最後に子猫を撫でると、口の形だけで、にゃーと別れの挨拶をして立ち上がった。

 

帰る時も迷子にならないよう、八幡が先導して歩く。その道すがら、ゲームコーナーを横切ると雪乃が突然足を止めた。雪乃の熱のこもった視線の先にあったのは、クレーンゲームの景品として置いてあるパンダのパンさんのぬいぐるみだった。

 

 

「あれ、やってみますか?」

 

「結構よ。別にゲームがしたいわけではないもの」

 

「クレーンゲームって景品目当てでやるものなんですが…」

 

 

どこまでも意固地な雪乃だが、あんなことを言いながらもやる気は十分だった。千円札を両替して百円玉を手にすると、クレーンゲームのコイン投入口の横に九枚の百円玉を積み、残りの一枚を投入した。筐体から流れる音楽が変わってゲームが始まった。……だというのに、雪乃は肝心のクレーンを動かさずにただじっと操作ボタンを睨んでいた。

 

 

「……1のボタンで横に、2のボタンで奥に動きます。ボタンを押している間だけ動いて、離すと止まります。やり直しはきかないので、慎重に」

 

「あ、ありがとう…」

 

 

気合いを入れて挑戦したはいいものの、操作の仕方が分からなかったようだ。雪乃は恥ずかしさで顔を赤くしながら、クレーンを動かして一番近いぬいぐるみに狙いを定める。良い位置でクレーンが下りてぬいぐるみを掴み、ゆっくりと持ち上げ始めた。

 

 

「…………もらった」

 

 

小さな声で勝利を確信した声が聞こえたので八幡が雪乃を見ると、拳をぎゅっと握って、うしっと微かに動かしていた。前に結衣から聞いた、じゃんけんに勝った時もこんな感じだったのかと思っていると、クレーンがぬいぐるみをぽろっと取り落としてしまった。そのまま所定の位置へ戻ってむなしくアームを一回開閉すると、そのまま動かなくなった。

 

 

「……ちょっと、今のは完全に掴んでいたでしょう?どうしたらあそこで外れるのかしら?」

 

 

結果に納得いかずにガラス越しにクレーンを睨みつける雪乃。

 

 

「まあ、簡単には取れませんよ。見たところ、このクレーンは閉じる力はそこまで強くないように調整されているようですし」

 

「……調整?そんな事ができるの?」

 

「ええ。強いアームのままだったらどんどん景品取られて商売あがったりですからね」

 

「つまり、故意に取りにくくしているという事かしら?そんなの…」

 

「まあ納得いかないでしょうが、向こうも商売ですからねェ。くじにはずれが沢山入っているのと同じですよ。それに取りにくいだけでちゃんと取れますし、店員さんに言えば取りやすい位置に動かしてくれたり、アドバイスも貰えますよ。呼びますか?」

 

「……取れるなら必要ないわ」

 

 

八幡の説明をうけて憤る雪乃だが、ひとまず取れるという事でゲームを再開する。積まれてあった百円玉を一枚投入し、再びクレーンを動かした。

 

 

「……くっ、また…」

 

 

百円玉を投入。

 

 

「この…いい加減に…」

 

 

…百円玉を投入。

 

 

「…どうしてよ…」

 

 

……百円玉を投入。

 

 

「っ!……」

 

 

次々と百円玉を投入していく雪乃を見かねて、八幡が待ったをかけた。

 

 

「そんな馬鹿正直に狙ったって取れませんよ。もっと頭を使わなければね」

 

「……何ですって?なら、あなたは相当上手いのでしょうね」

 

「勿論。小町さんや信女さんにあれ取ってーこれ取ってーとせがまれると断れませんから、上手くならないと金欠になってしまうのでね」

 

「嫌な上達の仕方だわ…」

 

「エリートの取り方を教えてあげますよ。雪ノ下さん、あのちょっと離れている二つのぬいぐるみを見てください」

 

 

雪乃が八幡の中指と人差し指が指し示した方向に目を向けるが、特におかしい点は見当たらない。

 

 

「ぬいぐるみにはタグが付いてますよね?クレーンゲームの取り方には、このタグにアームを引っ掛けて取るという取り方があります。そしてあの位置ならば、片方ずつ引っ掛けて二個同時に取れますよ」

 

「……え?」

 

 

二個取り。初心者の雪乃には想像もできない事を平然と言ってのけた八幡は、自身の財布から百円玉を取りだして投入する。腐った目を細めて狙いを定め、慣れた手つきでクレーンを操作する。雪乃が期待に満ちた目でその様子をじっと見つめる中、クレーンがゆっくりと二個のぬいぐるみに迫る。大きく開いたアームの先がタグに触れると、八幡の口元に僅かな笑みが浮かぶ。

 

……が、すぐに消えた。閉じる過程でタグに引っ掛ける事が出来ず、何も掴んでいないクレーンが戻ってくる。横の雪乃のジト目の視線が八幡を刺し貫いた。

 

 

「……取れていないじゃない」

 

「……まあ、エリートといえども失敗はしますよ」

 

 

気にしていない風を装って、再び財布から百円玉を取り出して投入する。

 

 

「……あれ」

 

 

百円玉を投入。

 

 

「……チッ」

 

 

…百円玉を投入。

 

 

「何故…エリートのロジックは完璧の筈…」

 

 

百円玉を投入…しようとするが、手持ち分が無くなっていた。

 

 

「……両替してきます」

 

「あ、あの……比企谷君?」

 

 

目の据わった八幡が千円札を両替機へと突っ込んだ。

 

 

「……馬鹿な」

 

 

また百円玉を投入。

 

 

「ここまでやって、諦めるわけには…」

 

 

またまた百円玉を投入。

 

 

「比企谷君……二個取りなんて無理なんじゃ…?」

 

「そんな事ありえません。幾多の百円玉の犠牲によって得た経験が間違っているはずがありません」

 

 

いつの間にか、ゲームを始めた雪乃よりも意地になっている八幡だった。

 

 

 

 

~~~~~~~~

 

 

 

 

「………ほら、ちゃんと取れました。やはり私は正しかった。エリートは正しかった。エリート万歳。そう思うでしょう雪ノ下さん?」

 

「……え、ええ…良かったわね…」

 

 

三千円つぎ込んで、見事にパンさんを二個取った八幡。どこか誇らしげなその姿を、雪乃は引きつった笑みを浮かべながら見ていた。

 

八幡は両手に持ったぬいぐるみを見比べると、ふむ、と唸る。

 

 

「なんか流れで取ってしまいましたが、同じ物二個もいりませんね。これ、片方差し上げますよ」

 

 

片方のパンさんを雪乃に押し付ける八幡。しかし、雪乃はそれを受け取らずに押し返してきた。

 

 

「これを手に入れたのはあなたよ。三千円かけて取ったのはあなたなのだし、あなたの功績は認められるべきだわ」

 

「いや、だから二個もいらないんですって」

 

「小町さんと今井さん、二人へのプレゼントにすればいいでしょう。クレーンゲームの腕前が上達したのは二人のおかげと言えるのだし、二人が受け取るのが正当というものよ」

 

「やってたのあなたなんですから、私がやるきっかけを作ったあなたにこそ相応しいと思うのですが」

 

「きっかけを作ったのは私でも、結果を出したのはあなたよ。なら、報酬をあなたが受け取るのは当然のことよ」

 

 

むぎゅ、むぎゅ、とぬいぐるみを押しあう二人。偏屈な理屈をこねあって互いに譲らなかったが、八幡の方が先に折れてぬいぐるみを自分の方へ引き戻した。

 

 

「……分かりましたよ、もう一個取れば良いんでしょう」

 

「……え?ひ、比企谷君!?」

 

 

雪乃の制止の声も聞かず、八幡は一枚、百円玉を入れる。狙いは二個取りの過程で意図せず出口に少しづつ近づいていったパンさん。八幡はパンさんの頭上に狙いを定め、片方のアームで頭を押し込むような位置へとクレーンを動かした。降りて行ったクレーンのアームは、パンさんの頭を捉えてゆっくりと出口へと押し出し、パンさんはポロッと落ちていった。景品獲得のファンファーレが鳴りやまないうちに八幡はパンさんを取り出し、これで文句は言わせないとばかりに押し付けた。

 

 

「ほら、百円で取りましたよ。こんなのマッ缶一本奢るのと変わりませんから、どうぞ遠慮なく受け取ってください」

 

 

あっけにとられていた雪乃。しかし、またもやパンさんを押し返してきた。

 

 

「たとえ百円といえども、あなたのお金で取ったのだからこれはあなたの功績よ。私が受け取る理由は無いわ」

 

 

頑なに受け取ろうとしない雪乃に八幡は焦れたのか、割と投げやりに言い放った。

 

 

「……なら、あなたにあげるために取ったとでも言えば受け取ってくれるんですかねェ…」

 

 

意外過ぎた八幡の言葉に、雪乃がパンさんを押し返す力が弱まる。そしてパンさんは雪乃の腕の中にぽすっと納まった。

 

 

「あっ…ひ、ひきぎゃ…比企谷君、今のは…」

 

「いやもう、めんどくさい性格してますねあなたは。たかがぬいぐるみ一つをどれだけ警戒してるんですか。人の好意を素直に受け取れない人は嫌われますよ」

 

 

呆れたようにやれやれと首を振った八幡の態度に雪乃はムッとした表情を見せるが、抱きしめたぬいぐるみに目を落とすと頬を緩ませた。

 

 

「…そんなに好きなんですか?そのぬいぐるみ」

 

「……他のぬいぐるみにはあまり興味がないのだけれど、このパンダのパンさんだけは好きなのよ。……似合わないかしら」

 

「似合わないというか、意外だっただけですよ。普段が普段だから」

 

「今はその発言、聞き流してあげるわ」

 

 

にっこりと笑う雪乃に対して八幡は嘆息する。どうしてパンさんに向ける笑顔と普段の笑顔がこうも違うのかと…。

 

雪乃はぬいぐるみの腕を取ってちょこまか動かしてはほっこりと笑う。爪が恐ろしげな音を立てているが、雪乃がどれだけパンさんが好きなのかは八幡にひしひしと伝わっていた。

 

 

「ぬいぐるみというか、パンさんが好きなんですね」

 

「ええ、小さい頃に貰ったのよ。原作の原書を」

 

「……原書?」

 

 

そんなもの知らないという風に八幡が聞き返すと、雪乃がトランス状態になったのかのようにまくしたて始めた。

 

 

「あら、いくらエリートといっても知らない事もあるのね。パンダのパンさんの原題は『ハロー、ミスターパンダ』。改題前のタイトルは『パンダズガーデン』。アメリカの生物学者だったランド・マッキントッシュがパンダの研究のために家族総出で中国に渡った際、新しい環境に中々馴染めなかった息子のために書いたのが始まりだと言われているわ。ディスティニー版では笹を食べたがるのに食べると酔ってしまう、というコメディ色が強いのだけれど、原作ではそういう箇所はごく一部なの。一度読んでみると分かるわ。翻訳も中々の出来栄えだけれど、やっぱり原書で読むのがお勧めね」

 

「…はぁ、それは知りませんでした。あと少し落ち着いてください」

 

 

得意げに、楽しそうに語っていた雪乃だったが、八幡の冷静な返事で我に返る。思わず饒舌になってしまった事に雪乃は少し照れてしまい、頬を朱に染めて顔を背けてしまった。

 

 

「原書って多分英語ですよね?小さい頃から英語読めたんですか?」

 

「…まさか、読めないわよ。でも、だからこそ読みたくて辞書を首っぴきで読んだわ。パズルみたいで楽しかった」

 

「筋金入りですねェ…」

 

 

雪乃の瞳は、遠い昔を懐かしむように優しい光を灯していた。そして、小さな声で囁くように呟く。

 

 

「……誕生日プレゼント、だったのよ。そのせいで一層愛着があるのかもしれないわ」

 

 

友人から貰っていないと自分で言っていたから、家族の誰かからプレゼントしてもらったのだろうかと八幡は推測した。

 

 

「……だ、だから、その…」

 

 

少しくぐもった声に反応して顔を向けると、雪乃は恥ずかしそうにぬいぐるみに顔をうずめて、自分の表情を隠しながら上目づかいで八幡を見つめている。

 

 

「その……わ、私のために取ってもらえて――」

 

「あれー?雪乃ちゃん?あ、やっぱり雪乃ちゃんだ!」

 

 

雪乃の言葉を遮り、よく通る声が八幡の耳に入る。声のした方を振り向くと、肩にかかる位の長さの艶やかな黒髪の女性がこちらに手を振っていた。雪乃の名を呼んだのなら雪乃の知り合いであろうと思った八幡は、あの美人が誰なのか雪乃に聞こうとする。しかし、先程と違って雪乃は表情を硬くさせ、ぬいぐるみをぎゅっと強く抱きしめていた。一瞬で雰囲気が変わってしまい聞きにくくなったが、聞きたかった事は雪乃の口から発せられることとなる。

 

 

「姉さん……」

 

 

雪ノ下雪乃の姉だという事が分かり、八幡は一人で納得していた。あの雪乃をちゃんづけで呼べる度胸、どこか雪乃と似ている声と顔。

 

――――そして全身からだだ漏れているエリートが、彼女が只者ではない事実を物語っていた。




はい、皆さんもクレーンゲームに熱中し過ぎないように気を付けましょうの回でした。無理だと思ったら迷わず店員さんを呼ばないと、無駄金を使うことになりますよ。


……え、はるのん?次の話をお楽しみに。

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