混沌が異世界から来るそうですよ?   作:クトゥルフ時計

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第二十四話 「どんな気分?」

美しいと、人は私を呼んだ。

 

傲慢と、神は私を蔑んだ。

 

醜いと、人は私を疎んだ。

 

なんたる屈辱、なんたる雪辱か。

 

美しさを誇ることの何が悪い。美しさを比べることの何が悪い。

 

神は私を許さなかった。神は私を妬んでしまった。

 

私は醜く変えられた。私は怪しく変えられた。

 

美しかった髪は毒牙を剥き出す蛇へ。美しかった瞳は見るものを終わらせる魔眼へ。

 

なんだ、これは。誰だ、これは。

 

これは私か。これは人か。

 

これは私か。これは神か。

 

違う。どれでもない。

 

私は化け物だ。

 

ただ災厄を振り撒く、自分勝手な化け物だ。

 

人に嫌われ、人に殺されるべき怪物だ。

 

なら、その務めを果たそうじゃないか。

 

なら、その宿命を歩もうじゃないか。

 

たとえ、その果てにあるのが、晒し首の末路だとしても。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

黒い雨の中を蛇が走る。その体を粘性の液体に浸して、抜け出すように体をくねらせる。

 

白亜の宮殿の悪魔化が進行する。砕けた瓦礫は蠍の軍勢、弾けた柱は無数の蛇へ。

 

数多の怪物が白亜を異形の群で染める。埋め尽くされたその果ては見えず、ただ蠢く醜悪な者共の楽園と化していた。

 

アルゴールはニャルラトホテプのへし折れた頸椎をつかみ、背面へ振り返り様に放り投げる。空中に投げ出されたその首なしの体は黒い液体を噴出しながら回り、重力に従い落下を始める。しかし、その下降を無数の怪物は許してくれなかった。

 

壁から、床から、あらゆる地点に(ひし)めくそれらが一斉にニャルラトホテプに向かって跳躍する。蛇がニャルラトホテプの体を貫き、巻き付き、締め上げる。蠍が穴を穿ち、抉り、内側へと入り込む。

 

人ならばまず耐えられないであろう残虐な暴力が、白亜の宮殿の上空で行われる。集まりすぎたそれらは球体のように黒い塊を形成し、入れ替わり立ち替わりニャルラトホテプの体を蹂躙する。

 

アルゴールは精一杯息を吸い、命を停止させる光を放つ。引き金は、天上の神まで届くであろう魔の咆哮。

 

「ラアアァァアァアアアアア――――ッッ!!!」

 

黒い怪物の集合した肉塊が灰色に変わっていく。硬く、固く、堅く、命なき石へとその存在を変貌させていく。

 

無慈悲に、無造作に、無作為に。

 

己が魔性で産み出した怪物を、己が魔性の光で殺して(止めて)いく。生産と殺害のサイクルを自らのみで終わらせることの、なんと無意味なことか。

 

アルゴールは元は無数の蛇蠍であった、ニャルラトホテプを封じている灰色の球を掴む。そして力を込め、有らん限りの殺意と共に地面に叩き落とした。弾け飛ぶ石の球に混じって、黒い液体と不気味な肉が飛び散った。

 

即死だ。どう見ても、そこに命などあり得ない。たとえ万能の神が相手だとしても、これほど完膚なきまでに砕かれては致命傷は免れない。

 

アルゴールは息を吐き、自らの起こした破壊の中心を眺める。

 

「……死んだ、かな」

 

そう吐き捨て、視線を動かし永らく隷属させられてきたルイオスに目を向ける。遠くにあるとは言え、この状況でその石像が無傷なのはどういうことだろう。

 

黒い雨の中で、その全身を観察してみた。足にはヘルメスから賜った靴が。首にはアクセサリーの取れたチョーカーが。手にはメデューサの首を刈ったあの鎌が――――。

 

――――ハルパーが、無い――――?

 

嫌な予感がした。急いで周りを見渡す。目に入るのは、徹底的な破壊の痕。

 

しかし、その中にあるはずのものは決して見つからなかった。

 

戦いの最中、地へと堕ちたあるものが。

 

――――何故だ。何故、無いのだ。

 

焦る。黒い雨に、冷や汗が混じる。

 

――――()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

その考えに辿り着いた瞬間、上から落下してきたナニカによって、アルゴールの右腕が吹き飛んだ。赤い軌跡を描いてベチャリと落ちるその右腕を、流れ出る美しい紅を、黒い雨が汚していく。

 

それをやったのは何だ。黄金比の肉体に傷をつけたのは何だ。アルゴールは足下から聞こえる〝嘲笑〟の発生源に目を向ける。

 

そこにあったのは、口に赤く染まったハルパーを咥え、可笑しそうに転がり回るニャルラトホテプの首だった。

 

首だけで、生きている。明らかに異常な光景を前にして、そこで漸く思い出した。思い出してしまった。この黒い雨は、全てニャルラトホテプの体液――――。

 

しかし、全ては遅かった。

 

「ッ、アアアァァアァアアアアァァァァッッッ!!!」

 

全身を貫く激痛。腕、足、胸、腹、余すところなく突き刺さるその痛みの原因は、降り注ぐ黒い雨そのものだった。

 

動く。重力に歯向かい、大気を貫いて、アルゴールの白い肌を突き刺さんとニャルラトホテプの体液たる黒い雨が。アルゴールを貫通し、地面に縫いとめ跪かせる。

 

黒い槍となり、杭となり、楔となってアルゴールの全身に突き立てられたそれらの一部が融解し、血に混ざって垂れる。それらは不気味に蠢いて集まり、やがて首の無い人型の体を形成する。

 

「……嗚呼、痛かった」

 

そう声を発したのは足下に転がる首。人型はそれを両手で抱え込むように掴むと、千切れた首との断面に押し付ける。湿った音がして、その接合面に走る線が消えていく。

 

そこにいたのは、最初と何も変わらない完全体のニャルラトホテプだった。

 

「まあ余興にはなったか。感謝するぞアルゴール。おかげで楽しめた」

 

喉に手を当てて声の確認をするような仕草をして、ニャルラトホテプはケラケラと嘲笑う。アルゴールを見下し、その下に転がる赤く汚れたハルパーを拾った。

 

その刃に指を当て、ゆっくりと這わせる。その触れた先から刃が錆びて、鋭利な輝きを失っていく。ニャルラトホテプの指が端まで到達したとき、最早ハルパーはかつての切れ味など残っていない、ただのなまくらと化した。

 

その刃を、ニャルラトホテプはアルゴールの首筋に当てた。

 

「なあ、教えてくれよアルゴール。同じやり方で二回死ぬのって、どんな気分?」

 

「おな……じ……?」

 

言葉の断片を復唱する。首に当てられた刃、動けない体、突き付けられた死の言葉を鑑みて、辿り着いた答えはたった一つだった。

 

アルゴールの顔が蒼白に歪む。

 

「お前……まさか……ッ!」

 

「それっ」

 

語尾に音符でも付きそうなほど軽い声で降り下ろされた刃は、的確に、それでいて正確にアルゴールの首筋を穿った。しかし、錆びた刃はけして深傷を負わせることはない。ただ、死なない程度の痛みを与えるだけだ。

 

アルゴールの悲鳴が、白亜の宮殿を揺らした。

 

「アアアァァァァアアアアァァ――――――――!!!」

 

苦痛も、悲痛も、かつての生で味わった。体を斬られる痛みは知っているつもりだった。暴力に曝される苦しみは知っているつもりだった。でも、甘かった。

 

今アルゴールを襲うのは痛みだけではない。悪意だ。何よりも強い、悪意そのものだ。刃はそれを伝えるツールに過ぎない。

 

錆びた刃が再び降り下ろされる。それもまたアルゴールの首を断つことはなく、頸椎を浅く削るだけに留まった。

 

降り下ろす。降り下ろす。降り下ろす。

 

肉が抉れた。骨が抉れた。神経が抉れた。

 

繰り返される拷問にも等しい行為に、しかしアルゴールの首はまだ落ちない。神話の怪物故の頑強さが、彼女に必要以上の苦痛を強いているのだ。

 

ここで死ねれば、なんて甘いことをアルゴールは望まなかった。ペルセウスに敗北した過去があろうとも、永らく自由を奪われていようとも、誇りまでは失っていない。自由で身勝手で傲慢で、驕りの果てにあったものが惨めな晒し首だったとしても、それを恥じてしまえばそれは過去への冒涜だ。そんなこと、あってはならない。

 

だから、今ここでも恐れをなすなど有り得ない。魔王であれ。怪物であれ。そう自分に言い聞かせる。

 

屈してたまるか。今アルゴールを立たせているのは、他でもないそんな意地だけだった。

 

アルゴールの心は、まだ折れない。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

英雄は、何かを殺して英雄となる。

 

怪物は、何かを殺して怪物となる。

 

余りにも似通った性質、余りにも偏った人でなしの在り方。

 

その点では、ギリシャのペルセウスは英雄であろうと怪物と何も変わらないし、メデューサは怪物であろうと英雄と何も変わらない。

 

違うのはただ、人に受け入れられるかだけ。

 

そしてそれらは等しく、最期は残酷なものなのだ。たとえ、異世界に呼ばれた後だろうとも。

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

鈍い音が木霊する。幾度となくアルゴールを襲う痛みと悪意が、その音に実体を持たせたように思えた。

 

アルゴールは耐える。反撃の機を伺い、ニャルラトホテプの貌に少しでも傷をつけ、結果死ぬとしても――――ただほんの少しでも、報いればいい。

 

黒い拘束は解けない。でも、抜ける糸口は見つかっていた。

 

解けないのなら、千切ればいい。千切れないなら、この身が傷つくことを恐れなければいい。たとえ己の体がどれほど血に塗れようと、常世にある最大の痛みは既に味わった。なら、何もこの進撃を阻むものはない。

 

()()()()()()()()()。それが、アルゴールの辿り着いた答えだ。自分より強い拘束なら、自分が犠牲を覚悟すればいい。

 

進む。力の限り、前へ。

 

肉が裂けた。血が飛び散った。黒い槍は紅く濡れ、地面に朱を滴らせる。

 

これから先、何も出来なくたっていい。ただこの瞬間にニャルラトホテプに拳が届けば、それでいい。

 

全身全霊、死力を込めて。アルゴールは限界に迫った体を無理矢理ニャルラトホテプの方に向けて、血まみれの拳を咆哮とともに突き出した。

 

空気が鳴る。大気が啼く。神に等しいその力を、たった一撃の為だけに振り絞る。

 

箱庭最強種の一角、星霊を謳うアルゴールの全力は、果たしてニャルラトホテプの貌に突き刺さった。

 

吹き飛ぶ頭部と飛び散る黒。先程まであった首から上の形は跡形も無く消え去り、アルゴールの巻き起こした暴風と衝撃に溶けたように思えた。

 

余りにも呆気ないその結果にアルゴールは少しばかり呆けてしまう。しかし肌を伝う血の温もりが、彼女の意識を現実に引き戻す。

 

勝った、とは思えない。ニャルラトホテプは生きている。何故なら、頭の無い体はまだ倒れないのだから。

 

首の断面から黒い触手が伸びる。それは伸びきったアルゴールの腕を絡めとり、伝って胴体へ。

 

アルゴールに施されたのは、力を入れれば解けるような甘い拘束。体を軽く縛るだけの、舐めているとしか思えない鎖。

 

しかし余力を使いきった彼女には、もうそれを振り切るだけの気力も残されていなかった。

 

伸びた触手が錆びたハルパーを取る。首もとに当てられたそれを見て、彼女はこれから再開される拷問に思いを馳せた。




それでは皆様、よいお年を。

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