志庵鎮守府工廠にて。
「おーう明石ー」
「あら、提督に浜風君。こんにちは。開発?」
新たに加わった(摩耶を除く)艦娘たちは早く鎮守府に馴染むため、くじ引きで順番に秘書官を担当することになり、その一人目が浜風だ。
「そ、今日もよろしくね~。ハマ、資料」
「あの、明石さん…これ、今日の開発のレシピです」
「はいはいっ…うん、魚雷のレシピだね。了解!」
資料をひらひらと手で弄ぶ。
「今日の妖精さんの機嫌はどうかな~?提督にもらった羊羹まだあったっけ…」
などと言いながら工廠の奥に去っていく。
「そろそろ昼だかんねー。ちゃんと時計見て休憩してよー」
「わかってるー」
ピョンッと、胸ポケットにいたセレンさんが工廠の床に飛び移る。
「私はここの妖精たちと、お前の装備の様子を見てくるよ」
「ウス。また後で」
トテトテとセレンさんも歩いていく。
「じゃ、俺たちも食堂行くか」
「うん」
食堂は食事時ということもあって、早く座らないと席がなくなってしまいそうなほどの賑わいを見せていた。賑わっているということは、食堂には今女の子が溢れかえっているということ。志庵はもうさすがに慣れたが、浜風は目の前の光景に思わず志庵の後ろに隠れてしまう。
「ハマ、席取っといて。飯運んでくるから。何食いたい?」
「え…そんな提督の手を煩わせなくても自分の飯くらい自分で…」
「お前単に俺のそば離れて女の子に囲まれたくないだけだろ」
「う゛…」
「気持ちはわかるけどさ、少しでも自分から話しかけられるようになんないと。基本艦娘はチームで動くんだから」
「そうだけど…」
「カレーでいい?」
「え、あ、うん」
「じゃあ俺飯とって来るから、場所取りお願いね~」
浜風の肩をポンと叩くと、志庵は人ごみに突入していった。
「お~う提督、お疲れさん!」
「隼鷹…もしかして今さっき起きた?」
「あっはっは~!いや、昨日は那智の奴とつい盛り上がっちゃってさ~」
「凄いなあ提督…。慣れか…」
浜風は食堂を見渡すと二人分空いている席を見つけ、意を決して人ごみの中に入っていった。各々ガールズトークに花を咲かす少女たちは、間をすり抜けていく浜風に気づく様子はない。席にたどり着いてから、はてと浜風は考える。
どうやって席を確保するのだろう。二つの椅子を占領するかのように腰掛けるべきか。手袋でも目印に置いておくべきか。提督から小物でも借りておけばよかったかなどと思考を巡らせていると、隣に複数の人の影が。
「すまない。隣は空いているか?」
「確か、浜風君ね」
大和と武蔵だった。大人の魅力が爆発している二人を前に、浜風はがちがちになる。
「あ、えと、ここに提督が座るので、ここじゃなければ大丈夫です」
「わかりました」
浜風は慌てて自分の正面の席を指し示したが、愚策だった。軽く会釈をし、大和は斜め向かいに座る。そして、武蔵は浜風の隣に座った。「艦隊これくしょん」をプレイしているほとんどの人は、武蔵の服装を知っているだろう。
思春期に入るか入らないかくらいの内気な少年には、少々刺激が強すぎる。浜風は武蔵の露出度の高い双丘に視線が行きそうになるのを、寸でのところで逸らした。
かくいう武蔵は、元々中将の下で兵器としての扱いを受けていた。ここにきて態度も軟化したとはいえ、その手の知識には疎いところがある。
「む…ちょっと失礼する」
混み合う食堂という環境を優先し、躊躇うことなく浜風に体を寄せていく。
「あ…うわうわうわうわ」
「どうした?」
「あ、いえ!なんでも」
「どう?ここの様子は」
大和が話しかけてくる。
「え…いえ、昨日の今日なので、まだなんとも…でもたぶん、雰囲気はいいと思います。軍の施設とは思えないような…」
「フフッ、確かにな。私も最初は提督と艦娘との距離の近さに驚いたよ」
「わたしたち、以前は別の鎮守府に勤めていたの」
「そうなんですか」
「既に亡くなってしまわれたが、こことはまるで正反対の提督でな」
「今になって考えると、厳しい人だったわね」
「うむ、だがその分だけ、あそこでは自分たちの実力にも誇りを持てていたな。…と、すまない。少し湿っぽくなってしまった」
「いえ、大和さんと武蔵さんのことを少し知ることができた気がして、よかったです」
「そう。ならよかったわ」
「…あの、まるで今は実力に自信がないみたいな言い方が少し気になったんですけど…」
「ん?あっはっは!」
「あ、いやあの、気に障ったならごめんなさい!」
「いやいや、それが全くその通りなんだ」
「もし空いた時間があったら、この鎮守府の訓練の様子を覗いてみたらどうかしら?ビックリするわよ」
打ち解けた様子で会話する大和たちと浜風を眺めて、志庵は少し微笑む。
「提督、カレーとお蕎麦、出来上がりましたよ」
「あ、はいはいどうも~」
「お隣良いかしら?」
「あら、赤城さんに加賀さん。どうぞ」
「失礼します」
山のような食料を持った赤城と加賀が、テーブルに着く。その分、席も詰めなければならなくなる。
「悪いな浜風、また少し詰めるぞ」
「え、あ、いやちょっと」
「すまないな、あの二人はいつもあの調子なんだ。お陰でテーブルが狭くてかなわん」
グイグイと、武蔵がその豊満な肉体を寄せてくる。
(提督早く戻ってきてぇぇ…!)
私は、中将のほかの提督をあまり知らなかった。だから、志庵提督だけがこういう人なのか、それともほかの提督もこんな調子なのかはわからない。ただ、初めてそれをされたときはビックリした。今日も提督は、出撃から帰った私をわざわざ港まで迎えに来てくれた。
「お帰り!夕立大丈夫!?」
「大破は私一人。タービンを損傷したけど、皆に引っ張ってもらって帰ってこれたっぽい。艤装の損失は…」
「報告はあとでいいから、早く入渠して!満潮も、皆も怪我がひどい奴から順に!」
そういって、提督は私の体にタオルを掛けてくれた。
「はい…あっ」
「あぶねっ」
怪我をしていた私はバランスを崩して転びそうになる。その体を、提督が抱き留めて支えてくれた。なんだか顔が熱くなる。
「ふう…一人で歩くのはキツイくさいな」
「すみませんっぽい…」
すると、満潮さんが不機嫌そうに提督から私の体を奪う。
「夕立は私が連れていくから、アンタは執務室に戻って初雪から報告聞きなさい。浜風、手伝いなさい!」
「お、俺!?」
「早くなさい!」
誰に抱えられても同じなはずだけど、何故かその時は提督から離れるのが名残惜しかった。
「そっか、任せた。初雪は無傷か、流石だね」
「駆逐艦四天王は…伊達じゃない」
フンっと両手を腰に当て、初雪は胸を張る。そうして会話をしながら建物に入っていくのを、私は眺めていた。
入渠施設の湯船につかりながら、私は提督の腕の感触を思い出す。この鎮守府に来るまでは知ることのなかった、優しく、あたたかな感触。できることなら、もう少しの間触れていたかった。
「なにか悩み事かい、夕立?」
隣の湯船につかる加古が話しかけてきた。小破だが、重巡である為入渠時間は同じくらいだ。
「怪我のことなら気にするなよ。レ級相手じゃ仕方がない」
「ぽい…」
加古なら、相談に乗ってくれるかな。
「怪我のことじゃないっぽい…」
「ふうん、夕立も戦闘のこと以外で悩むようになったんだ。なんか嬉しいな」
湯船のふちで頬杖を突きながら、加古は微笑む。
「あのね…」
「報告にはない…レ級が…いた」
「またか」
執務室で、志庵は初雪から報告を受けていた。
「たぶん…いつものやつ」
「あの海賊行為を行うレ級か?」
ドールハウス用のカップでコーヒーを飲むセレンさん。超かわいいけど、今は構わず初雪の話を聞く。
「今週でもう3回目ですよ」
「行動の範囲を絞り始めたのかもしれんな」
「ウチの艦隊を襲ったらメリットは少ないってことはもうわかってると思うんですけどね」
レ級率いる海賊深海棲艦は、過去に志庵とも交戦経験がある。妙なファミリー感があり、思わず見逃してしまったが。その後も度々ウチの艦隊が遭遇しているが、力任せな滅茶苦茶な戦い方に翻弄されて、なんだかんだで沈められずにいつも撃退でとどまっている。
「…」
初雪が何か考えていることに気づき、志庵は声をかける。
「初雪?」
「ん…何でも…ない。報告はそれだけ…」
「そう?ならいいけど。相談事があるならいつでも言ってよ」
「…ありがと、そうする」
回れ右をして執務室を出ていこうとするが、ドアを開けて立ち止まり、肩越しにこちらを振り返る。
「提督…」
「?」
「提督のコト…大事に思ってるから…」
それだけ言い残し、扉を閉めていった。
「なんだろ」
「ふむ…」
さすがのセレンさんも少し困惑気味だった。
廊下を歩きながら、初雪はレ級と交戦した時を思い出す。
『今日ハアノ男来テナイノカ?』
提督のコトを思い出しているときの、レ級の表情。嬉しそうで、楽しそうで…
「…お前なんかに…」
あんな危ない奴に、提督となんか会わせてやらない。提督は、もう海には出なくてもいい。提督としては十分すぎるほど、危ない目に遭って来た。これからは安全な場所で、私たちの帰りを待っていてほしい。
「提督は私が守る…」
いつも以上に薄く開かれた瞳に、光は入っていなかった。
夕立は入渠から上がり、食堂で食事をしながらテレビを眺めていた。食事。テレビ。昔の自分からは考えられなくて、少しおかしかった。でも、すぐにまた思考の渦に飲み込まれる。加古には結局、はぐらかされてしまった。自分はもっと提督のそばにいて、体温を感じたいだけだというのに。なにかおかしなことを言ってしまったのだろうか?もぐもぐ考えながら、ふとテレビを眺める。バラエティー番組のペット特集をやっていた。飼い主が、自分と同じくらいの大きさの犬と戯れている。それを眺めていて、私はピンときた。
「これだ…」
「夕立?」
「ゴメンね時雨、今日は先に部屋に戻ってて欲しいっぽい」
「何かあったの?」
「ちょっと提督に用事っぽい」
夕立はひょいひょいと残りの食べ物を口に放ると、駆け足で食堂を後にした。
「…なんなんだろう」
その日の執務があらかた終了し、執務室では志庵が最上と雑談し、セレンさんが胸ポケットで幸せそうにうたたねをし、ソファに座る浜風は志庵と最上のことをチラチラと見ながら、どのあたりで話題に入り込もうかと様子を窺っていた。ドアをノックする音が響く。
「はーいどちら様ー?」
「夕立です」
「入っていいよー」
ガチャリとドアが開き、姿を現す。夕立はただジッと志庵を見つめている。
「夕立?」
「わ…」
何か言ったかと思うと、突然夕立はまっすぐ走りだし、机を飛び越えて志庵を押し倒した。
「痛゛っ!」
「提督!?」
「夕立!どうしたのさ!?」
「わ、わん!」
夕立は鳴きまねをすると、志庵の顔をベロベロと舐め始めた。
「わ!ぶ、ちょ、汚…っ!くすぐったい…!」
脚の先まで鳥肌が走り、上手く力を入れられない。秘書官に助けを求める。
「は、ハマ!助け…」
「あ…なんかお忙しいみたいだから…俺、先に部屋に戻ってます」
「ハマアァァァァ!!」
どうにか体をよじり、夕立の顔を離して会話する余裕を作る。
「ぷは…夕立、どういうつもりだよ!」
「提督…。夕立、提督のペットになるっぽい!」
「…志庵」
いつの間にか目を覚ましていたらしいセレンさんが低い声を出す。
「アサルトアーマーの使用を許可する。やれ」
「ダメですよ!」
「ゆ、夕立!いいいいったいなんのマネさ!」
最上は顔が真っ赤だった。夕立は少し唸ると、今度は志庵に抱き付いた。
「夕立…もっと提督と一緒にいたいっぽい…」
「夕立…?」
「出撃から帰って提督が抱き留めてくれたとき…その後満潮に抱えられたとき、離れたくないって…。もっと抱いていて欲しいって思ったっぽい」
「いや…それと今さっきの行動とどういう関係が…」
「秘書官は皆一回りしないと回ってこないし…艦娘は自分の部屋で寝なきゃいけないっぽい」
「そりゃあね」
「ペットになれば、いつでも提督のそばにいられるっぽい!」
「なんでそうなるの!?」
夕立が再び顔をなめようとしてくる。
「飼い犬に顔を舐められると、ご主人はすごく喜ぶっぽい!」
「ク…この、最上!」
何か顔を赤くしてモジモジしながら、ブツブツ言ってる。そして決心したように拳を握ると、志庵の傍らに座り込んで、頭を低くした。
「わ、わん!」
「お前もかい!!!!」
「あ、わ、私のリンクスが…」
その時、執務室の扉が吹き飛んだ。三人とも一斉に扉の方を見る。
「何をしておるのじゃ?」
光のない目でこちらを見つめる雷、長門、曙、神通、川内、龍田、加賀、夕雲、島風、陸奥、時雨。そして鎮守府最強の艦娘、第一艦隊旗艦、利根。
「夕立が上機嫌で執務室に向かっておったから後を付けてみれば…ずいぶんと楽しそうじゃのう?」
「時雨…提督に迷惑をかけるのは良くないと思うよ…?」
今の今まで顔を赤くしていた夕立も最上も、深海棲艦のように真っ白になっていた。
「夕立も最上も…司令官も、今はPA(プライマルアーマー)展開しといた方が良いわよ?」
「べ、弁明の余地が欲しいっぽい!」
「慈悲はない」
執務室の壁が消失した。