南極の氷の下に存在する、巨大な空間。何万年もの間外界から隔離されたそこは独自の生態系を築き、下手に手を出せば地上の生態系にも影響を及ぼしかねないとされてきた。
人類はそのパンドラの箱を開けてしまった。人類が調査に乗り出すために氷に開けた穴から、深海棲艦と妖精が飛び出してきたのだった。
まず初めに飛び出してきたのは、イ級などの駆逐艦クラス。目についた調査船などを手当たり次第に襲い始めた。後になってから、彼らはそれなりの知能を有し、ある程度以上のクラスは言語を介することも可能だということが判明したが、後の祭り。人類と深海棲艦の戦争がなし崩し的に始まってしまったのだった。
人類は現行の兵器でどうにか対抗するも、彼らの妖精が作り上げた、船の速力に魚の機動力で海上から海中まで自由自在に動き回る艤装の圧倒的な性能を前に、徐々に制海権を奪われていった。
そんな時、ある漁村の老婆が、お菓子を与えた妖精と仲良くなっていたという報告が入る。そこで始まったのが「妖精赤福懐柔作戦」である。別に赤福じゃなくてもチョコでも飴でも何でもいいのだが、要するにお菓子で妖精を釣ろうというわけだ。
作戦は見事成功。多数の妖精を味方に付けることに成功し、人類の企業と結託して人類製の深海棲艦の研究を始めた。そして出来上がったのが、艦娘の扱う艤装である。何故か適性のある「女性」しか扱えないという謎仕様だが、とにかくこれによって劣勢だった戦況は一変。現在に至るわけだ。
因みに、どの企業が作る艤装にどの艦の魂が宿るかは完全にランダムで、姉妹艦が同じ企業製だとは限らない。
例えば、天龍の艦娘としての姉妹艦は龍田だが、艤装としての姉妹機は「10-RU(天龍)」、「10-NG(長門)」、「10-NE(利根)」などがこれに当たる。
さらにもう一つ、近年「駆逐棲姫」や「軽巡棲姫」など、艦娘に酷似した外見の深海棲艦が確認されているが、彼女ら曰くあれは艦娘に影響されたファッションであり、探せば島風のような格好をした空母もいるそうな。
「はい、えー、幾度かの特殊作戦の中心的存在をウチが担った功績もあり、今日から新しい友達が増えることになりましたー」
食堂に集まった艦娘たちを前に、志庵の呑気な声が響く。志庵が荒れていたこの鎮守府に着任し、無事艦娘たちを静めたことに始まり、先の長門や島風の件、更に提督自身の戦闘能力などが噂を呼び、この鎮守府は「問題のある艦娘を送るとどうにかしてくれる」という都合のいい認識をされていた。
さすがに勝手すぎる要望に関しては大本営を通る際に突き返されるが、中には本当に深刻なものなども存在するため、それに関しては志庵と玲を中心に協議し、選ばれた四名が今回、新たに志庵鎮守府に配属になった。
「Oh!ニューフェイスのお目見えデスネ!」
「どんな子かな!どんな子かな!」
「速いの!?」
「じゃあ入ってきてー。どうぞ」
先頭の子がドアから顔をのぞかせると、自然と拍手が沸き上がる。志庵の横に四人が並び終わり、拍手が止むと一人ずつ紹介を始めた。
「まず一人目ね、陽炎型の9…番艦に、なるのかな、天津風」
「…」
ツンとそっぽを向いたままの態度に、一瞬沸き上がった拍手がしりすぼみになる。
「まあ、この辺はまた後で皆に説明するから。次行こうか、次は…うちでは一人目の愛宕型になるね。3番艦の摩耶!」
「…ども…」
チラッと皆を見渡した後に、小さく返事をする。演習などで会ったことがある摩耶とのあまりの印象の違いに戸惑う色が感じられるが、とにかく皆拍手をする。
「…うん、はいじゃあ次。陸軍が初めて開発に成功した艤装の持ち主が、なんとうちの鎮守府に来てくれました!揚陸艇のあきつ丸!」
「陸軍」という単語に食堂がざわつく中、一歩前に出て、敬礼をするあきつ丸の力の籠った声が響く。
「はっ!ただいまご紹介にあずかりました!陸軍から志庵提督殿の鎮守府に所属することになりました、艤装『AK-20』操縦士、あきつ丸であります!」
ざわ、ざわと、ヒソヒソ話が聞こえてくる。
「ハイそこ、なんか言いたいことがあるならちゃんと目を見て言いなさいよ」
「ちょ、他人のマネしないでよ!」
ベ、と舌を出し、志庵は最後の一人を紹介する。
「えーと、あ、コイツも陽炎型だな。13番艦の浜風」
「は、はい」
食堂がどよめく。他所の浜風も、何度か演習で見かけている。容姿はどの子も一貫して、銀髪で片目隠れのおかっぱ、それとおよそ駆逐艦とは思えない豊かな胸部が特徴だった。しかし今目の前にいる浜風は、顔立ちこそ似ているものの銀髪は短く、両目も耳も出ている。胸はなく、下もスカートではなくパンツだ。
「は、浜風です…よろしくお願いします…」
「なあ提督、彼女は本当に浜風か?」
口を開いたのは木曾。その質問に、浜風は気まずそうに顔をうつむかせる。
「あー、やっぱ言わないと混乱するよな。こいつ、男の子です」
「「え?」」
先程無口だった天津風と摩耶までもが口をそろえる。
「この子は世界で初めて確認された、男の艦む…娘じゃねえな…何…まぁいいか。艦娘です」
「ええええええ!?」
「嘘ぉ!」
「嘘じゃねーって。マジマジ」
志庵は浜風の肩を引き寄せ、頭をぽふぽふとリズムよく叩き始める。
「まぁ戸惑うところはあると思うけどこれから同じ釜の飯を食う仲なんだ」
「ったいなぁ!いつまで叩いてるんだよ!」
浜風に手を払われるも、志庵はいたずらっぽい笑顔で返す。そのやり取りに、多くの艦娘が不機嫌な顔をする。文句を言ってはいるものの、浜風はそんなに嫌そうな顔はしていない。圧倒的に女の子が多い鎮守府内において、男同士というつながりは強いらしい。
「ひひっ。仲良くしてやってくれよ。じゃあ質問ある人ー…と、その前に。神通、摩耶だけ先に部屋に案内してやってくれ」
「わかりました。さ、こちらです」
「…」
無口なまま摩耶は頷き、前話に引き続き今週の秘書官の神通に続いて食堂を後にした。
「よし、じゃあ改めてこの3人に質問ある人!」
艦娘たちは摩耶のことを気にして少しざわついているようだ。
「はい!はい、はーい!」
そんな空気を知ってか知らずか、島風が元気に手を上げ、志庵の指名を待たずに喋り始める。目線の先にいるのは天津風。
「あなた、はやいの!?」
どことなく雰囲気の似ている彼女に対し、なにがしかのシンパシーを感じたのか。質問に対し、天津風は自嘲じみた声で答える。
「ええ。早いわよ。あんたよりは遅いけど」
「えー?なにそれ。速いのに遅いの?」
「あー島風、こいつはな」
志庵がフォローを入れようとするも、天津風が話し続ける。
「私はあんたに搭載された新型タービンの性能を試すために生まれた、言わばアンタの試作機。劣化版よ」
卑屈になる天津風を、島風はポカンと見つめる。
「気にしないでいいわ。前の鎮守府でもう言われ慣れてるから。アンタ(志庵)もそう思ってるんで…」
天津風がちらりと視線を向けた先にはニヤニヤと笑みを浮かべる志庵がいて、思わずギョッとする。
「な、なによその目…」
「いや、ね。俺ね~『試作機』とか『プロトタイプ』とかいう響き、大好きなのよね」
「はぁ?」
「そうだな…秋雲辺り知ってそうかな?」
突然指名され、慌てる秋雲。
「へ!?な、なにが?」
「ほら、ジオングの前身になったさ、ザクをなんかコッテコテにした…」
「サイコミュ高機動試験用ザクですか!?」
反応したのは秋雲ではなく那珂だった。
「お、知ってんだ那珂。とかね。そういう奴ほど活躍させてやりたくなるんだよね~」
「な、なにそれ!わけわかんないんだけど!島風よりも速力は劣るんだよ?どうせ実戦になったら中途半端な性能の私は鎮守府に置き去りにするのよ!」
「いや、でも速いのは間違いないんでしょ?」
「それはそうだけど!」
「何よ志庵、私のことは好きじゃないって言うの?」
島風が不機嫌そうに言う。
「いやいやそういうことじゃなくて、性能の差に関わらず活躍させてあげたいっていう話」
「ふうん。ま、いいけど。でもさ、そういうことなら、天津風は私のお姉ちゃんってことかな」
「はあ!?」
「そういう解釈もアリかもな。それになんだか気が合いそうじゃない、二人とも」
「やったー!私のお姉ちゃんだ!」
「ちょ、いやよ!おね…そ、そんな呼ばれ方されたくないわよアンタなんか!」
そう言いつつ顔が赤い。嬉しそうである。
「フム…なんだか賑やかな方たちでありますな」
キッ!と、叢雲や霧島など、普段割としっかりしたメンツがあきつ丸に厳しい目を向ける。
「あんた、まさか陸軍からのスパイじゃないでしょうね…」
「なな、何をおっしゃいますか!スパイなどと、決してそのような…!わ、私あきつ丸!海軍の拠点に身を置くからには、将…提督殿のご指示に従い!粉骨砕身していく所存でありまちゅ!」
そこここから笑い声。志庵もつい笑ってしまうが、顔を赤くするあきつ丸にフォローを入れる。
「フフッ、慌てすぎ慌てすぎ。そんなんじゃホントにスパイかなんかだと思われちゃうから。気ぃ張んないで、楽にしてよ。ウチはそんなに厳格にやってるわけじゃないから」
「は!精進するであります」
まだ叢雲らは厳しい目をしたままだが、金剛が手を上げているので指名する。
「はい金剛」
「マヤーは重巡寮でマッツーは駆逐艦寮だとは思いますガ」
「誰がマッツーよ!」
天津風のツッコミを無視して話を続ける。
「アッキーとハマーはどうするのデスカ?」
「確かに…特に浜風さんは男の子ですし他の子と一緒という訳にはいきませんよねぇ…」
「でも一人きりもそれはそれでかわいそうだよね」
金剛姉妹がクラスでグループを作るときにハブられた奴を救済する会議みたいなことを言い出し、浜風は居心地悪そうな顔をする。
「あーとそれだけどね、まずあきつ丸は艦種的には空母に近いそうなんで、空母寮に入ってもらいます」
「あら、そうなんですか」赤城。
「よろしくね、あきつ丸さん」鳳翔。
「はい!若輩者でありますが、何卒よろしくお願いするであります!」
「で、浜風はまあ、そういう訳なんで俺と一緒の部屋に入ってもらいます」
食堂の空気が瞬時に凍り付いた。
「…何か問題でも」
「だ、だ、ダメに決まってんでしょこのクズ!か、艦娘と提督が同じ部屋なんて!非常識にもほどがあるわよ!」
「その制服は朝潮型の方でありますか!いくら規律が厳しくない場所とはいえ、上司に対して『クズ』はいかがなものかと思いますが!」
「霞よ!陸軍は黙ってなさい!」
「なっ!」
「霞!!」
珍しい、志庵の怒鳴り声が食堂に響く。
「今ここに立ってるのは誰?」
「え…」
「こいつだよ、こいつ」
「あ、あきつ丸…」
「そうだよ、名前は知ってるはずだよね?」
「…と、とにかく!あきつ丸は黙ってて!ダメよ、提督と同じ部屋なんて!」
「そ、その通りだ!」
「陽炎型なのだから寮が割り当てられておるじゃろう!」
あまり見ることのない怒った志庵に呆気にとられていた皆が、思い出したように文句を口にする。
「そんなこと言って、毎朝着替えんのにいちいち部屋出なくちゃなんないのもめんどくさいでしょ。うっかり着替え中に入ってバッタリでもなったら嫌じゃない?」
「そ、そうだけど…」
「あの、やっぱ俺…一人部屋でも平気だよ」
「じゃあ訊くけど、女の子ばっかりのこの空間で輪に入っていける自信ある?」
「…」
「だよね。すっごいわかるソレ」
そこここからヒソヒソが聞こえる。
「提督ってコミュ障なの?」
「今はだいぶマシになったけどね。最初のころなんて…」
聞こえない聞こえない。
「俺の部屋なら基本こいつら入り浸ってるし、割と早く馴染めると思うよ?天津風にあきつ丸も、暇だったら執務室に来てみてよ。退屈しないと思うから」
「ふん!」
「お心遣い感謝いたします!」
「む~…」
後に艦娘たちは、この日ほど自分が女であることを悔やんだ日はないと語る。
「提督、そろそろ聞いてもよろしいでしょうか。先程の摩耶のことについてですが」
「…あまり気持ちの良い話じゃないから短く済ますけど、前にいたところで妹…鳥海共々ずいぶんな乱暴を受けたらしい。今は鳥海も失って、心神喪失状態だ」
神通は一緒に書類を見ているため、すでに詳細を知っている。今は部屋で摩耶の相手をしているだろう。
「ひどい…」
「どうして世の中、そういうことする人が居るのかしら」
「まあ、知っての通りここは本州からツアーが組まれるくらい自然が豊かだし、(深海の連中と付き合いがあるおかげで)戦闘も少ないからね。摩耶にはしばらく、出撃せずに療養に努めてもらうから」
「「わかった」」
「「了解した」」
説明しなかった部分を補足するなら、摩耶が以前いたところは鎮守府ではなく、艦娘矯正施設というところだ。本来であれば素行に問題のある艦娘がそこに送られ、強制を受けた後に鎮守府に戻されるはずなのだが、いつのころからか命令違反などで用済みとされた艦娘が送られ、男たちの慰み者にされるようになっていた。提督奪還作戦の少し前にリンヒル・フィリプス提督によって悪事が暴かれ、摩耶たちは救出されたのだが、程なくして鳥海は発狂して自害してしまった。それ以来、勝気だった摩耶の性格は変わってしまったという。
「今晩は歓迎会するんで、皆で手分けして準備しましょうね。とりあえず、解散!三人とも、部屋案内するからついてきて」
「あ、志庵!お姉ちゃんは私が案内する!」
「お、そうか。じゃ頼むわ」
「誰がお姉ちゃんよ!いらないわよ案内なんか!」
「そんなこと言って、部屋の場所わかるの?」
「それは…」
「ホラホラ♪意地張んないで~、お姉ちゃん♪」
「わかったから、その呼び方やめないと怒るわよ!?」
「あきつ丸さんは私と加賀さんで案内します」
「加賀殿に似た格好のもう一人…もしや、噂の一航戦のお二人でありますか?」
「あら、ご存知なの?うれしいわ」
「こっちよ。来てちょうだい」
「嬉しそうね、加賀さん」
「き、気のせいです」
「じゃ、俺たちもいくか」
「う、うん…」
「あ、鈴谷も一緒に行くー!熊野もいこう!」
「そうですね。浜風君にいろいろ聞いてみたいこともありますし、よろしいですか?」
「あ、ぼ、僕も!」
「あら、じゃあ最上型皆で浜くんとお話しようかしら?」
「俺は良いけど。浜風は良い?」
「あ、は、はいどうぞ…」
「お~?女の子に囲まれて緊張してるのかな~」
「もう鈴谷、からかったらかわいそうだよ」
「……」(やっぱこの環境きついって…。噂には聞いてたけど本当に女の子ばっかり…。せめて提督とは仲良くなりたいけど…)
「じゃあ摩耶さん、6時にはぜひ食堂に来てくださいね」
「…うん」
扉を閉め、神通が出ていく。一緒の部屋には那智が入る予定だが、まだ食堂から戻っていない。
「…鳥海…また会いたいよ…」