巧人が将監とばったり遭遇して、しばらく時間が経過した後のこと。一方で、蓮太郎と延珠、夏世は荒廃した街一帯を見下ろすことのできる少しだけ背の高い丘にたどり着いていた。
「蓮太郎ッ」
「ああ、もう始まってるみたいだ。俺達も急ぐぜ」
しかし、その街のあちこちからは既にマズルフラッシュがチラチラと見え隠れしていて、それに伴う銃声や甲高い剣戟音が案外距離があるはずのここにまで届いていた。それは一休みしている暇は少しもないことを意味し、すぐさま現場に向かわなければならない状況に立たされていたのである。
「たしかにそうみたいですね。でも、私はここに残ります……いや、残らなければならないようです」
「はぁ!?どうして!」
蓮太郎は声を出すほど驚いて振り返ると、夏世はこちらに背を向けていた。そして、それと同時に彼女の言葉の意味を理解した。蓮太郎が歩いてきた道から、四足歩行の獣が凄まじい勢いと速度を保ったまま飛び出してきていたのだ。
夏世は両目を赤くさせて自分の力を解放すると、突進を正面から押さえ込む。そこから、既に持ち構えていたショットガンをそのままゼロ距離で浴びせて、その戦闘を速攻で終わらせた。
多少なりとも傷を負って出血しながらも、夏世は何事もなかったかのように蓮太郎の方へ振り返る。
「どうやら森の中から尾けられていましたね。それに、里見さんは聞こえないのですか?ここで誰かが食い止めなければ、勝っても負けても全滅するだけです」
夏世の言う通り、森の中からは低音の鳴き声や高音うなり声が共振して不快な合奏を奏でている。しかし、夏世はいたって冷静のままで、たじろぐことなく手持ちの全弾倉を地面に並べて徹底抗戦の構えを見せた。
「なら俺達もここに残ってーー」
「里見さんは馬鹿なんですか?仮にここで私達三人がガストレアの進行を抑えられたとしても、蛭子影胤と戦っている将監さん達が全滅してしまったら何の意味もありません」
蓮太郎は下唇を噛み悔しそうにしながらも、彼女の言っていることには納得していた。夏世のその判断はたしかに正しい。それは客観的にもの見れるからであり、決して主観的に考えていないからこそなせる技である。しかし、蓮太郎はそれでも彼女のことを見殺しにするようなこの行為をしたくなかった。
「安心してください、私だって死ぬつもりはありません。劣勢になったら私はすぐに逃げますので、里見さんは将監さんのことをよろしく頼みます」
「わかった。ただし絶対に無理はすんなよ。……さぁ、行くぞ延珠」
「う、うむわかった」
蓮太郎は夏世の「死ぬつもりはない」という言葉を信じて走り出す。延珠も蓮太郎の後を追いかけて走り去っていく。その光景をショットガンの銃口をガストレア達に向けながら、夏世は静かに見送った。
「……ふぅ、ようやく行ってくれましたか。あそこまで心配しなくとも大丈夫ですよ、里見さん。……あなた方は絶対に死なせません!」
そして、ガストレア達が一斉に突っ込んでくるのが合図となり、夏世の一人だけの戦いが始まった。
◼◼◼
「これは、いったいどういうことです?」
それはあまりにも突然の出来事だった。おそらく木の根、もしくは泥のぬかるみにつまずき転んだ原田。そんな彼を起こそうと手をさしのべた巧人だったが、原田は手を取ることはせずに、鋭い抜き手を腰にセットされたデルタムーバー目掛けて打ち込んできたのである。完全に油断しきっていたところを突かれ、デルタフォンがデルタムーバーから強制的に外されたことにより、巧人の変身は解除されてしまった。
「フン、こうなってしまったら、どうもこうもないと思うけど。キミはさっきの民警が言っていたように正真正銘、本当のお人好しなんだな、仮面ライダー。……いや、デルタ!」
「……ッ!」
先程まで見せていた穏和な表情は既に消え去っており、今の彼は悪意に満ちている。そんなことがいとも簡単にわかるほどの変貌ぶりを巧人に見せたのである。
「俺はこの機会をずっと待っていた。……組織の奴等を見返すための力を得るためにずっとさ」
「組織?見返すため?いったいなんのことを喋っているんですか!」
「まさか俺が律儀に教えるとでも?キミなんかに話したところで時間の無駄になるだけなのだから、そんなことを話すはずがないだろう」
原田は冷酷にそう告げると、顔に特殊な紋章のようなものを浮かべた後に体を変質させた。その完全に変質した体は灰色で、どことなく彫刻のような質感がある。さらに身体的な特徴を並べれば、頭部からは尖った耳のようなが生えていて、口角のつり上がった口からは鋭い牙を伸ばしている。そして、腕と背中は膜のようなもので繋がっていて翼を形成しており、全体的に薄い体毛で覆われている。さながらそれは蝙蝠の体を酷似しているようなものだった。
「灰色の体……まさか、オルフェノクか!」
巧人は原田の正体を知って驚愕し、嫌な汗を地面に垂らした。バットオルフェノクーーその呼称こそが今の原田にとっては最も相応しいだろう。
『へぇ、見た感じだと普通の若者ってなりなのに、オルフェノクのことを知ってるんだ。それはそのベルトの前任者から聞いたのかな?』
「……だったら、どうします?」
『なおさら生かしておくわけにはいかないね。ただし、デルタギアはここに置いていってもらうけど』
背筋が張り詰めそうになるほどの殺気を放ってくるが、巧人は強気な姿勢を崩さずに吐き捨てるような物言いで返す。
「誰があなたに渡すって?そうするつもりは、たとえ俺が死んだとしてもないですね」
『まだそのような減らず口を叩けるか。でも、この絶望的な状況でどうするつもりだい?まさか、ただの人間であるキミがオルフェノクである俺よりも速く動けると思っているのか?』
原田がそう言っているように、巧人は絶体絶命の危機に瀕している。巧人の腰にはデルタギアこそ巻かれているものの、デルタフォンは手元に無い。無造作に後ろに放り投げ出されている。離れている距離はだいたい5~10メートルと、決して遠いというわけではないが、地面には若干のぬかるみがあり、障害物も複数転がっている。今のこの状況において、森林という地形こそが一番の難敵である。
巧人は後ろにジリジリと下がっていきながらデルタフォンに近づいていき取ろうとするが、その行為を原田が見逃すはずもなく、翼を羽ばたかせて飛び上がり、巧人の後ろへと回り込んだ。そして、デルタフォンを拾い上げながら言った。
『おっと、俺から逃がれられることはできないし、こいつを取り戻すこともできない。さぁ、おとなしくベルトをこちらに寄越せ!』
口から舌のようにも見える細長い触手のような何かを伸ばして脅しにかかるが、それでも巧人は一歩も退くことなく抗おうとする。
「……何度も何度もしつこいですね。あなたのような悪人には絶対に渡さない!」
『チッ、これだから頭の悪いガキは。だったら、望み通りに殺してやるよ!』
殺意に満ちた言葉と共に触手を高速で伸ばしていき、巧人の心臓に狙いを定めて突き刺そうとする。巧人はすぐに攻撃が来るであろうと先読みし、それよりも少しだけ速く動き出して、うまく横に跳んで避けた。
生身の状態の人間がオルフェノクの相手をする場合、本来なら、まず普通の人間に勝ち目はない。だからこそ、オルフェノクと戦う際にはライダーズギアが絶対必須とされてきた。つまり、デルタフォンさえどうにかして奪い返せればなんとかなるのだ。
「くっ!」
『ハッ、うまく避けたか。はたしてどのくらいまでキミの脚は持つかなぁ!』
ーー彼にとっての最善の手は逃げるしかないだろう。
原田がその安直な考えに至り、かつ万が一の事態を想定していなかったことが、最後に彼の命運を分けることとなるのだが、今はまだ知るよしもない。
巧人はある程度の距離がついたところで突然振り返り、バットオルフェノクと正面きって、相対した。その時、巧人の右手には何かが握られていたが、相手側から見るとうまく隠れていて、正確に特定するまでには至らなかった。
巧人が握っていたものの正体とは、未織がこうなることを想定して事前に託していた10年前には無い新たなツールだった。
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それは巧人が戦地に出立する一日前のこと。未織に呼ばれて司馬重工本社ビルを訪れていた。複数存在するであろう応接室の内の一つに巧人は入室すると、そこには既に未織が待っていて、彼女は用件を特に言うことなくちょうど片手で握れるものを直接手渡してきた。
『これは私が作ったものなんやけど、何に見える?』
今日、会った場所がいつも普通に見かける学校ではないためなのだろうか、巧人の主観からは未織の纏っている空気が心なしか重く感じられたらしい。表情や口調はいつもと何ら変わらないはずなのに。
『え~と……パッと見だと、デルタフォンと見分けがつきませんけど。そもそも突然言われてもよくわかりませんよ』
用件も告げられず、唐突に手渡したものが何に見えるかと訊ねられて困惑の色を隠せないでいる巧人。それを近くで見ていた未織は、すぐに答えを言うわけでもなく、ただ笑うだけだった。
『あはは、たしかにそうやろなぁ。けどな、じ~っくりとよう見てみ』
『……マイクとスピーカーの部分がありませんね。まさかーー』
『そう、その名もスペアグリップ。……とまぁ、安直なネーミングからもわかる通り、デルタの変身の鍵としては全く機能しない。ただし、これを差し込めば、銃としての機能はしっかりと果たしてくれる、という優れものなんやで』
『つまり、変身せずともデルタムーバーを使えるわけですね。……でも、たいていの場合は変身してガストレアに挑むわけですし、それを使用する機会は皆無に近いと思うんですけど』
巧人のその言葉を聞いた途端、未織の顔からいたずらっ子の笑いは薄れていき、真剣な表情へと変わる。
『……なぁ、巧人君。キミは大きな勘違いをしてるみたいやから一応言っとく。ベルトの力は絶対じゃないし、本当の最後の最後で頼みになるのは自分自身の肉体や。せやから、いざという時のために備えておいて損はないやろ?……ま、とりあえず私の用事は済んだし、これで巧人君は帰っても大丈夫や』
その言葉を噛み締めるように聞いて頷くと、180度方向転換をした。
『失礼しました』
そして、ドアを開けて出る直前にもう一度振り返り、一礼してこの場を後にするのだった。
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「これを受け取ってなかったら、危なかった。……ホント、さっきから会長には感謝しっぱなしだよ」
『あれ、もう逃げないのかい?それとも潔く諦めがついたのかな?』
自分の思ったように事が運べないのに対する僅かな苛立ちからか、挑発じみたことをして巧人を煽ろうとする。しかし、それはあまり効果が無かったようで、ただ不敵に笑むだけだった。
「いや、別に諦めたわけじゃない。逃げる必要がないと思っただけです」
『フン、とうとう血迷ったか!』
巧人が逃げないと知り、再び触手による攻撃を原田は開始させる。ところが、巧人はその触手をかわすどころか逆に掴み取り、腕に力を入れて自分の元へと手繰り寄せていった。
『なん……だと!』
「……人間のことを舐めるな!」
『……ッ!貴様こそ、オルフェノクを舐めすぎじゃないのかな!』
相手との距離を一気に詰め、自分の間合いに入ったまではいいが、それはあちらも同様のこと。バットオルフェノクは、後ろに引いて勢いをつけた左腕で力任せに凪ぎ払おうとするが、それよりも巧人の動きの方が速かった。
右手に握られれたスペアグリップを空いているデルタムーバーの口に差し込んだ。そして、そのまま合体させたデルタムーバーを引き抜き、躊躇うことなく発砲。放たれた光弾はバットオルフェノクの右手に直撃し、結果的に不意を突かれた形で地面にデルタフォンを落とした。
『ぐっ……!なんだよ、なんなんだよ!その武器は!?』
撃たれた右手を無傷の左手で抑えて、苦悶の声を漏らすバットオルフェノク。
「俺もアンタなんかに喋るつもりはありませんよ。なにせ、時間の無駄になりますから」
対する巧人は、敵が怯んでいる内に地面に落ちたデルタフォンをすぐさま拾って、代わりにスペアグリップをデルタムーバーから抜き取り、懐へ戻した。
「変……身!」
『Standing by』
『Complete』
そして、一秒も経たない間にデルタに変身し、巧人は手負いのバットオルフェノクを正面に見据える。
『今の俺に立ち止まっている時間はない。だが、オルフェノクであるアンタを野放しにしておくのは危険過ぎる。だから、ここで死んでもらう!』
『クッ、調子に乗るなよ!このガキがぁ!』
デルタとバットオルフェノクはほぼ同時に、同じ地点を目指して駆け出した。
しかし、この時の巧人はまだ知らない。この二名の本格的な戦いがようやく始まろうとしていた頃、目前にある街では蓮太郎・延珠ペアと影胤・小比奈ペアの死闘もまた、今にも幕が開こうとしていたことに。