エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

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推敲をめんどくくさがってたせいでめちゃくちゃ遅れました…。すいません。
今回はついに被害者が出てしまいます。皆さんの予想は当たっていたのでしょうか?


chapter1 (非)日常編④

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 目が覚めると、見慣れた天井。

 …もう、見慣れたと言ってしまっていいのだろうか?

 でも、この場所によそよそしさを感じないのは事実だ。

 

 ダメだ。

 この場所にずっといてもいいなんて考えてはいけない。

 俺は帰らなくてはならないんだ。

 そうしなければ……俺の作品は誰にも見てもらえない。

 それでは、俺が生きている意味がないんだ。

 

 俺は、ここから脱出する。 

 たとえ助けが来なくても、諦めたりするものか…。

 

 

 

 

 

 

 朝食の場に行くと、みんなは昨日よりも薄暗い顔をしていた。

 みんなも俺と同じようなことを考えていたようだ。

 昨日一昨日といろいろ騒いだのがウソみたいに、みんな黙々と食事をしていた。

 その沈黙は、食事を食べ終わっても続いていた。

 

「助け……こないね…」

 小清水さんの暗い呟きに全員がうつむいた。

「なあ……これって実際…やばいんじゃないのか…?」

 前木君の不安も尤もである。

「…予想はしていた。助けなど、はなから来ないのではないかとね」

 夢郷君が監視カメラを見上げて言った。

「黒幕はカメラを通じて僕たちの会話をすべて聞いていたはずだ。僕たちが警察などの助けを待っているということも、とっくに知っていたはずだ。なのに黒幕は三日前に現れて以降、僕たちに何も手出しをしていない。つまりこれは、僕たちに手を下さずとも警察などの捜索網を振り切れる自信が黒幕にはあるということだ」

「なにそれ…? あのパンダの中身がそんなにすごい奴だっての…?」

 亞桐さんが冷や汗を流しておののきながら言った。

「司法を上回る力を持つと申すか! ならば吾輩の氣功で成敗してくれよう! 出て参れッ!!」

 安藤さんはこんな時でもおかしなポーズでそんなことを言っている。

 

「オメーも氣功の使い手か!? オイラ、ワクワクしてきたぞ!」

 モノパンダの声が響く。

「出やがったな、あほパンダめ!」

 すかさず土門君の怒号が飛ぶ!

「あほパンダってなんだあほ建築士! 同じ哺乳類にあほ呼ばわりされる筋合いなんてねーからな!」

「…用件だけを簡潔に言え」

 リュウ君が静かに告げると、モノパンダはテーブルの上に乗っかり、ぐるりと周りに座る俺たちを見回した。

「大したことじゃねーよ! 警察とか親が助けてくれるとか、そういうことは考えなくていいって言いたいの! どうせ来るわけでもねーし」

 半ば予期していたが、それでもモノパンダの言葉は信じがたいものである。

 本当に警察は来ないというのか?

「なんだか、本当に映画のような世界観ですねえ」

 入間君はそう冗談めいたことを言っているが、目は笑っていない。

「ぎひゃひゃひゃ! 映画なんて目じゃないぜ! こいつはこの世で最も素晴らしい絶望物語、”コロシアイ共同学習”なんだからな! なあ、”超高校級の脚本家”君?」

 モノパンダはそう言って俺に向けて気味の悪い笑みを浮かべた。

「うるさい…。こんな脚本があってたまるか」

 俺は精一杯モノパンダを睨みつけてそう言ってやった。

 自分の才能を馬鹿にされたような気分で、非常に気分が悪かった。

 

「貴様らは黙っていろ。私が質問する」

 口を開いたのは御堂さんだった。

「貴様の正体は何者だ、などと傲慢な質問はしない。聞いたところで教えてなどくれまい? だが、それを踏まえて一つ尋ねる。なぜお前は警察が我々を捜索しないと、もしくは捜索してもその目をごまかしきれると確信している?」

「教えねーよバッキャロー!」

 モノパンダは即答した。

 御堂さんは表情を変えなかったが、わずかに額に青筋が浮かんだように見えた。

 あの迫力はある意味、キレた山村さんより怖いかもしれない。

「…今のオイラから言えるのは、警察みたいな国の力がオメーラを助けてくれることは絶対にねえってことだけだな」

「ふん、そうか。ならばもう一つ聞く。ここはどこだ? 希望ヶ峰学園の校舎ではあるまい?」

「だ・か・ら! ここは希望ヶ峰学園の特別分校! 本校とは違うけど、立派な希望ヶ峰の校舎なんだよ! 三日前に言ったじゃねーか! オメーはニワトリか? 三日たったら忘れるのか?」

「…そうか。もういい。消えろ」

「なんだよ、聞くだけ聞いて答えたらそれかよ! 全く、オイラはカーナビじゃないんだぞ! カーナビどころかNASAも顔負けの技術が搭載されて……って夢をぶち壊しになることを言わせんなコラ―――ッ!!」

「誰も言えなんて頼んでないなりよ…」

「ぷんぷん! もういいよ、オメーラの顔を見てるくらいなら笹の葉を数えてる方がマシだね!」

 それだけ言ってモノパンダはまたテーブルの下に入り、いなくなった。

 

 国家権力は俺たちを助けてくれない。

 言葉だけでは何の説得力もないが、今の今まで誰も助けに来てくれないという事実が、その言葉のこれ以上ないくらい強い裏付けになっていた。

 

 

「……助け、来ないのね…」

 小清水さんがうなだれて言った。

「そんな……私……どうすれば……。どうやってここから出ればいいんですか!」

 山村さんが悲痛な叫び声をあげた。

 

「簡単だろう?」

 御堂さんの答えが返ってきた。

「この中の誰かを、犯人とバレないように殺す……だったな? そうすれば出られるんだろう?」

「いけませんよ、淑女がそのような物騒なことをおっしゃられては」

 すかさず入間君が笑顔でなだめにかかる。

 彼も苦労人だな…。

「あなた、やるつもりなの?」

 伊丹さんが無機質な声で御堂さんに問いかけた。

「この中の誰かを殺して、卒業するつもり?」

 昨日の朝食と同じだ。

 この二人の言い争いで、場の空気が凍り付いている。

 ダメだ。俺が何とかしなくては。

 

「そんなこと、絶対に「ダメよ!!」

 俺が言い終わる前に、小清水さんが叫んでいた。

 なんだか面子をつぶされたような気分だが、ここは黙っていよう。

「あなた、誰かを殺すってことがどういうことか分かってるの!? その人の一生を、未来を奪うってことなのよ!?」

「偉そうに語るな。そういうことは誰かを殺したことがある人間だけに語る資格がある。殺したことがないのなら黙っていろ」

 御堂さんは微動だにせずそう答えた。

「それに、勘違いするな。私は誰かを殺すなど微塵も考えていない。私は学ぶためにこの学園に来たのだ。罪を犯すためではない。訳も分からぬままこのような状況にさせられてはいるがな。少なくとも私は目先の欲に囚われて人の道を踏み外すような真似はしない」

「……どうかしらね。口ではどうとでも言えるものね。今も一生懸命トリックを考えてるんじゃないの?」

 伊丹さんは厳しい目つきのまま言い寄る。

 …本当に、この二人は相性が最悪だ。

「やめようよ。こんな言い争い、不毛だって」

 亞桐さんが悲しげな顔で言った。

 いつもは感情の起伏が激しい彼女も、今ばかりは本当に参っているようだ。

「ふん、私が怪しいなら監視でもなんでもするがいい。そうすることによって殺人を企むほかの人間への注意が緩慢になるだけだろうがな」

 耳に痛い捨て台詞を残し、御堂さんは食堂を後にした。

 

 

 いや、これじゃダメだ。

 このままじゃいつまで経っても俺は御堂さんのことを理解できない。

 行くんだ、彼女のもとに。

 

「葛西君!」と呼ぶ小清水さんの声も気にせず、俺は御堂さんの後を追って食堂を後にしていた。

 

 

 

「……何の用だ、雑魚が」

 食堂を出るとすぐ、背を向けたままの御堂さんから厳しい言葉を浴びせられた。

「くだらん綺麗事や理想論を聞く気はない。絵空事しか言えないのであれば消え失せろ」

 一言一言が胸に突き刺さるが、俺は負けないぞ。

 これは君のためでもあるんだ。

 このままじゃ、君は……

 

「君、殺されちゃうよ」

「……!」

 少し警戒した表情で御堂さんは振り返ってきた。

「いや、もちろん俺たちの中に殺人をする人がいるなんて思わないし、そう信じたいけど。俺たちの中で一番恨みを買っているのは……間違いなく君だ。俺は、そうやって孤立していく君が心配なんだよ」

「慣れあう気などない。ここの連中で私が心を交わすに足ると判断した人間はいない」

 それって、俺も関わる価値がないということか?

 うぐぐ……なんて的確に人の心を抉れるんだろう。

「人に価値なんか求めちゃダメだよ。人に価値なんて概念はない。みんな平等なんだから、価値なんてものを定めちゃダメなんだよ」

 その瞬間、御堂さんの表情は一気に強張った。

「貴様、もう一度言ってみろ」

 静かにそう言うが早いか、すぐに俺に詰め寄って襟首をつかんできた。

「え? うわわ……」

「二度と言うな……。”人がみな平等”だとか、”価値なんて定めるな”とかいったことを二度と言うな!!」

 それは、正真正銘の怒りだった。

 でも俺は負けられない。

「なんでだ! こんなこと、小学校の道徳でも習うことじゃないか! 当たり前のことじゃないか! それをなんで否定するんだ!!」

「私が否定したいんじゃない。世界が否定しているんだ。世界はそうできている。皆が平等になれないようにできている。貴様に分かるはずがない。分かられたくもない!」

 そう叫ぶ御堂さんの顔は、先ほどより必死さを増しているように聞こえた。

「道徳など滑稽だ。世界のほとんどは道徳と真反対にできているというのに。なぜあんなものを子供に教え込むのか。それよりだったら、この世の現実を叩き込んでやった方がよほど建設的というものだ。これだからここの連中のような雑魚どもが現れるのだ」

 そう言って個室へと歩いていく御堂さん。

 だが俺は、そんな彼女になおも追いすがった。

 

「聞かせてくれ。君がどうしてそういう考えを持つに至ったのか。君がどんな過去を背負っているのか」

 それは、今までここで出会った様々な人の過去を知り、そこからかけがえのない信念を見出してきたからこそ聞けることだった。

 きっと彼女にだって、今の彼女を形成するきっかけがあったはずだ。

 それを聞いて、彼女という人間がどうやって出来上がったのかを知って。

 そして彼女を理解してあげたい。

 そうしなければ、彼女は…少なくともここにいる間はずっと一人のままだ。

「過去? そんなものは捨てた。思い出したくもない。私にとって過去など最早ないようなものだ」

 御堂さんは平然と述べた。

「……辛いことがあったのかもしれない。思い出したくないってことは、そういうことなんだと思う。だったら言わなくてもいい。でも、俺は」

「願い下げだと言っているのが分からないのか」

 御堂さんは低い声で威圧してきた。

「偽善を押し付けるな。安穏とした人生を送ってきた人間の同情など浴びるつもりはない。貴様のように言葉だけで分かったつもりになる連中には心の底から虫唾が走る」

「………」

 自分と同じような凄絶な過去をたどった人しか、彼女は信用できないのだろうか。

 平凡な人生を送ってきた自分が恥ずかしくなった。

 

 彼女は、人に話すことはおろか思い出すのもはばかられるほどの凄まじい過去を過ごしたらしい。

 真の天才とも呼ばれる才能はそういった環境の中で育まれてきたのだ。

 それなのに俺は、大した苦難にぶち当たることもなく。

 情けないものだ…。

 

「もう私に付きまとうな、雑魚が。私は激情に駆られて殺人を起こす単細胞でも、誰かにむざむざ殺される俗物でもない。貴様の心配を受ける筋合いなどないのだ」

 それだけ言って立ち去っていく彼女の背中を、俺は黙って見つめていた。

 所詮俺の力では、彼女の信頼を得ることはできなかった。

 

 でも、俺は…いや、俺たちはあきらめない。

 黒幕の正体を暴くには、彼女の天才的な頭脳が必ず必要になるはずだ。

 今度、小清水さんや入間君にも頼んで、彼女を説得してもらおう。

 きっと分かり合えるはずだ。

 彼女も希望の一人には違いないのだから。

 

 みんなでここから脱出するんだ。

 

 

 そう、そう思った直後だった。

 

 

 ピンポンパンポーン、とスピーカーから音が響いた。

「オメーラ! 今すぐ視聴覚室に来い! 変な気は起こすなよ、すぐに来るんだぞーーー!」

 聞きなれたモノパンダの声だった。

 

「視聴覚室……?」

 なぜ、そんなところに。

 第一、ここに閉じ込められてからあいつが全体の放送をかけるのは初めてだ。

 あいつは何の意図でこんなことを?

「葛西殿、今の放送を聞きましたか」

 食堂から出てきた丹沢君に声をかけられた。

「今すぐ視聴覚室に来いと…。いったいどういうつもりなのでしょうか?」

「分からない。…行った方がいいのかな?」

 

「逆らわない方が、いいと思う」

 そう言ったのは、丹沢君に続いて出てきた伊丹さんだった。

「三日前、あいつに逆らった山村さんがどういう目にあったか、はっきり見たでしょ」

「…………」

 入学式での恐ろしい記憶がよみがえる。

「私は行く。あなたたちも行った方が賢明だと思う」

 伊丹さんは毅然とした足取りで視聴覚室へと向かって行った。

「伊丹殿の言うことも最もですが……我々に殺し合いを強いるやつのもとに無防備なまま行ってよろしいものでしょうか?」

 丹沢君の不安はまさに俺が感じていたものと同じだった。

 

「心配するな」

 背後から声をかけてきたのはリュウ君だった。

「やつの目的が本当に俺たちの殺し合いにあるのなら……やつが俺たちに直接手を下すことはあるまい。”校則”とやらを守っている限りはな。……それに」

 リュウ君はギロリと廊下に取り付けられた監視カメラを睨んだ。

「何かあれば、俺がやつを食い止めるさ」

 これ以上ないくらい頼もしい宣言だ。

 視聴覚室へと歩いていく彼の背中に隠れるように、俺と丹沢君はそのあとをついていった。

 

 

 

 

「ぎひゃひゃひゃひゃ! 全員集まったか―?」

 視聴覚室に着くと、奥のスクリーンの前にモノパンダが立っていた。

「そんなら、ほい! この段ボールに入ってるDVDを持ってけ! ここで見てもいいし、個室のプレイヤーで見てもいいぞ!」

 そう言ってモノパンダは横に置いてある段ボール箱をボンとたたいた。

「いったい何なのですか! いきなり呼び出して、DVDを渡すなど! ご説明願いたい!」

「ほんとそれ! こっちはただでさえあんたにワケわかんない状況に追い込まれて腹立ってんのにさー!」

 丹沢君と亞桐さんが口をそろえて反発する。

「全く、イマドキのティーンはやれと言われたらすぐ口答えだもんな。『どういう意図なんですか!』とか『説明しなきゃやりません』とか! 言う前に黙ってやれっつーの! 流石に温厚なパンダも肉食獣としての本性を現したくなるぐらい激おこだよ!!」

 お前の怒りなんて知ったことか。

「…でもまあ、いーや。これは”動機”だよ」

「…動機、だと?」

「そ! オメーラがここに来てもう四日目になるけど、一向にコロシアう感じがしねーからさ。凶器を磨くとか、トリックの下準備をするとか、そういう奴らが全然出てこないから、オイラも暇になっちまってよ。どーすればコロシアイしてくれるかなって考えた結果がこれなわけ」

「……これを見れば、我々が殺し合いをすると?」

 御堂さんがモノパンダを睨みつけながら尋ねた。

「どーだかねえ。最終的な判断はオメーラにお任せするよ。これを見てもなおコロシアイをしないってならそれでもオイラは構わねーよ」

 

「…ふん。そんなことを言われてこれを見る愚か者がいると思うか?」

 御堂さんはモノパンダを冷たく見下ろしながら言い放った。

「そうだそうだ! 何を収めた映像か知らねーが、殺し合いの動機になるような物なんか見る馬鹿はいねーよ、あほパンダ!」

 土門君もそれに続く。

「見ねーのかよ、つまんねーな。…まあ、見ないなら見ないでいいさ。外の世界のことを知らずにいてもいいってことなんだろ?」

「…何? 外の世界……だと?」

「そのまんまの意味だよ。オメーラは今ここに閉じ込められていて、外とは隔絶されてんだ。このDVDにはその外の世界についての情報が詰まってんの! でも、見ないってことは知りたくないんだろ?」

「見ないも何も、私たちはつい数日前まで外の世界にいたじゃないですか! その情報なんて…」

「違うね」とモノパンダは山村さんの言葉を切り捨てた。

「数日前? いやいや、オメーラが外の世界にいたのはだいぶ昔の話だよ」

「……はぁ!? 何言ってやがる! 俺ははっきり覚えてんぞ! 俺達は四日前、希望ヶ峰学園に初めて入ったんだ! でもそこで眩暈がして……なあ!」

 前木君の言葉に全員が頷く。

「ぎひゃひゃ、そう来ると思ってたぜ。だよなー、いきなりそんなこと言われても信じられるわけないもんな。でもさ、”外の世界で何かが起きてる”ってのは、オメーラだって分かってるはずだぜ?」

 モノパンダは不敵に笑う。

 

「外の世界での異常…? そんな、俺たちがこうしている間にも世間はいたっていつも通りに…」

「いや、そうではないかもしれませぬ」

 口を開いたのは丹沢君。

「”我々のもとに助けが来ない”というのがその根拠として考えられます」

「…それについては、私も考えてた」

 伊丹さんも議論に参加する。

「私が考えていた可能性は二つ。『黒幕には警察などの組織から私たちごと身を隠す術がある』ということと、『そもそも警察そのものが機能しなくなった』ということ。どちらにせよ、限りなく現実離れしている事象だわ。でも、もしモノパンダの言う通り外の世界で何かが起きて、それで警察が崩壊したというなら……」

「ちょ、ちょっと待ってほしいなり! いくらなんでもそんなの、映画もビックリな超常現象なりよ!」

 津川さんはパニックになりかけているようだ。

「でも、今こうして私たちはこんな目にあわされていている…。それは紛れもない事実。モノパンダがどこまで嘘をついているかは分からないけど、今言った可能性もあり得ることは視野に入れておいた方がいい」

「そ、そんな……視野に入れろっつったって、実感わかねーって…」

 全くもって、土門君の言う通りだ。

 俺がふだん映画で創作しているような世界観の出来事が、本当に起きているというのか?

 今俺たちがこうしている間に、いったい外で何が起こっているのだろうか…?

 

「……吾輩は、そのDVDを見たい」

 安藤さんが静かに告げた。

「…!? 未戝ちゃん、見たらどうなるか分からないのよ!?」

 小清水さんが止めに入ろうとするが、安藤さんの表情は固い。

「吾輩とて、現実離れした世界観は日々描いておる。吾輩の漫画の中でかようなことが起きることもある。だがな、まさかそれが現実になるなんて夢にも思わないであろう!? だから吾輩は確認せねば気が済まんのだ! モノパンダよ、吾輩にDVDをよこすのだ!」

 誰も、安藤さんを止められなかった。

 だって、俺も知りたいのだから。

「ほいほい、安藤さんのは、これね」

 安藤さんの名前が書かれたディスクを受け取ると、彼女はそそくさと視聴覚室を後にした。

 

「わ、わたくしも見たい…のですが……ダメ…でしょうか?」

 次に進み出たのは入間君だ。

 こうなると後は早い。

「ごめん、ウチも、見たい……」

「すまねえ、俺にも見させてくれ。どうしても気になるんだ……」

「ひぐっ……みんなが見るなら、リャン様も見るなり」

「まんまと黒幕の罠にはまるなんて、バカみたいだけど…。それでも、私は見るわ」

 みんな、次々にディスクを受け取ってゆく。

「雑魚どもが……自分が何をしているのか分かっているのか。わざわざ餌に釣られに行くなど……」

 御堂さんがギリギリと歯を食いしばりながら呟いた。

「ならばさっさとここを出ていけばいい。迷っているのだろう?」

 ディスクを手に取りながらリュウ君が言った。

「……葛西。お前も、これを見たいか?」

 リュウ君の問いに、俺は言葉を詰まらせた。

 

 モノパンダが殺人の動機と語るDVD。

 そこにどんな狂気が込められているのか、俺には想像もつかない。

 見るべきじゃないのは、分かってる。

 でも、でもさ……

 

 君が悪いんだよ、丹沢君。

『外の世界で何かが起きているかもしれない』なんて言ってさ。

 君もだ、伊丹さん。

 君たちが俺たちの不安をあおったりしなければ、こんなことにはならなかった。

 こんなことにはならなかったんだ。

 責任……とってくれよ……!

 

 俺は黙って、モノパンダからDVDを受け取っていた。

「ぎひゃひゃひゃ、そんじゃお楽しみ映像をご堪能あれ~!」

 モノパンダの声を背に浴びて、俺は視聴覚室の席の一つに腰掛け、すぐさまプレイヤーにディスクを差し込んだ。

 好奇心からか恐怖からか、心臓がバクバクと波打っていた。  

 パソコンを起動すると、すぐにDVDの再生が始まった。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 最初に映ったのは、とても見慣れた光景。

 都内の有名な映画館だ。

 ここで幾度となく俺が脚本を手がけた作品を上映した。

 そして、たくさんのお客様の声援を受けてきた。

 この映像の中でも、映画館は満席に近いほど多くのお客様であふれかえっていた。

 

『希望の蔓』

 スクリーンに大きく文字が浮かび上がっていた。

 これは、俺の代表作というべき作品のタイトルだ。

 

 核戦争をただ一人生き残り、人類に、世界に絶望した一人の男。

 一生分の簡易非常食を引きずって世界をさまよう彼は、とっくの昔に生きる気力を失っていた。

 しかし、世界にはもう一つ生き延びていた命がいた。

 それは、小さな小さな豆の蔓。

 己が孤独でないことを知った男は希望を取り戻し、残った生涯のすべてをその蔓の育成にささげた。

 やがて、蔓は天を貫くほど大きな命となる。

 最後には、天寿を全うした男の死骸を糧として、蔓の周りに新たな命が芽生え始める。

 希望の蔓が、死の瞬間まで男が信じ続けた希望が、世界を復活させたのである。

 

 そんな物語だ。

 希望を信じれば、いつかきっと救われるという主題の話だ。

 

 しかし、今まさに上映が始まるというタイミングで、画面は暗転した。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 次の瞬間、俺は信じられないものを目にしていた。

 

 

 

 映りこんだのは、確かにさっきと同じ映画館。

 俺が慣れ親しんできた映画館のはずだ。

 

 じゃあ……なんで?

 客が全員、血を流して突っ伏しているんだ?

 なぜ、スクリーンに血がほとばしっているんだ?

 

 …そして、スクリーンに映し出されているエンディング映像。

 本来は天高くそびえたつ蔓の根元に多くの草木が生えているという内容のはずなのに。

 

 蔓は紫に変色し、ところどころに毒々しいオレンジ色の華が大きく咲いている。

 花のめしべからは胞子のような粉がまきちらされ、それを浴びた草木は見る見るうちに枯れてゆく。

 

 中央に表示されているはずのタイトル、『希望の蔓』。

 そこには、絵の具で描いたような薄汚い文字でこう書き足されていた。

『に絶望の華を』

 

 

『希望の蔓に絶望の華を』

 

 

 

「なんだよ……これ!!」

 俺は思わず叫んでいた。

 

 ぐるぐると視界が回る。

 俺の作品が、俺の才能が。

 跡形もなく、何者かに蹂躙されている。

 

 

 こんな、こんなことが。

 

「あってたまるかあああぁぁぁああぁぁーーー!!!!」

「葛西君!!」

 はっと気が付くと、涙を浮かべた小清水さんが俺を見つめていた。

「はっ、はっ、はっ……」

 呼吸を整えながら、俺は自分が見た映像を脳内ではっきりと咀嚼した。

 見た。確かに見た。

 大切なお客様が倒れているところを。

 俺の作品が汚されているところを。

「こんなの……こんなの、嘘だよね??」

 声を震わせながら、小清水さんは俺に答えようのない問いを向けてきた。

 彼女が見た映像も、彼女の精神を大きく傷つけるものだったに相違ない。

 

 嘘だ。

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!!!

「嘘に決まってるんだ!!」

 自然と体が叫んでいた。

 嘘でなければならない、こんなこと。

 現実であってたまるか。

 

「おいおいお二人さん、いい感じになってないでこっち向いてくれよぉ?」

 モノパンダの声だ。

 俺は興奮冷めやらぬまま、精一杯の力を込めてモノパンダを睨んでやった。

「なんだよ、つれないなあ。オイラからのプレゼントにはまだ続きがあるってのによお」

「……続き、だって?」

「そ、まずは葛西君! ほれ!」

 そう言ってモノパンダは段ボールから何かを取り出してきた。

 受け取ってみてみると、それは万年筆だった。

 

 いや、ただの万年筆じゃない。

 こいつは、俺に脚本家の何たるかを説いた父からの贈り物。

 造形と言い、上に彫り込んである俺の名といい、間違いない。

 だがなぜ、俺の家にあるはずのこれを、こいつが……?

 いや、それよりも。

 

 

 なんでこの万年筆に血が付いているんだ??

 

 

「オイラはさぁ、根拠もなしに人に何かを教えるのって嫌なんだよ。どうぜ、今の映像もねつ造とかって思ってんじゃねーの? だからそれっぽい根拠を用意してやったの! オイラはぜーったいに嘘なんかつかないからな!」

 考えたくもない予感が頭の中に広がる。

「これは間違いなくオメーの万年筆だよな、葛西君? あれれ? なんで血なんか付いちゃってるのかな? もしかして、オメーの家族に何かあったりして」

「そんな馬鹿な……そんなことが…」

 もう、反論の言葉すら出てこなかった。

 四日前、家を出るときに何気なく挨拶を交わした家族のみんな。

 いったい、どうしちゃったって言うんだ?

 何が起きたんだ?

 頼む、頼むから教えてくれ。

 

「さて、ここで問題! 天才脚本家である葛西幸彦君の家族とお客様に降り注ぐ悲劇! 彼らは果たして、どうなったのでしょうか~~??」

 悪意に満ちた笑みでモノパンダは告げる。

「正解は……”卒業”のあとで~~!! ぎひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

 

 

 ”卒業”。

 その一言が俺の胸に突き刺さる。

 次に浮かんだのは、御堂さんの言葉。

 

 ”この中の誰かを、犯人とバレないように殺す……だったな?”

 

 これこそが、黒幕の目的。

 俺達の大切なものを奪って、それを餌に変えて俺たちに殺し合いを起こさせる気なんだ。

 どこまで残酷で、卑劣なんだろう。

 

「うぐっ…うぅ……嘘よぉ……こんなの……うっ……うぁあぁ~…」

 ふと横を見ると、小清水さんが顔に手を当てて泣き崩れていた。

 

「ふざけてんじゃねーぞテメーボケゴラァッ!!」

 咆哮を上げたのは、逆鱗に触れられた山村さんだ。

「オレの家族を……仲間を師範代をぉぉぉぉおおおお!!! 卑怯者がぁああぁあああ!!!」

 激情に駆られて怒鳴り散らす彼女の目には涙がいっぱいに溜まっている。

「卑怯者? そんな言い方はひどいんじゃねーの? オイラは”ありのまま”を映像に収めただけなんだけどなぁ」

「ありのまま、だと?」

 御堂さんが立ち上がって呟いた。

 彼女も自分の映像を見たはずなのに、やけに冷静だ。

「そうだよ! 別にオイラはみんなの家族に手を出してねーし、みんなの大切な人々に危害を加えたりなんかぜってーにしてねーよ! ただ外の世界で起きていることを”そのまんま”映しただけだからな!」

「なん……だと……?」

 山村さんでさえもその言葉に唖然とする。

 

 これが?

 この映像に収められた恐ろしい出来事が?

 今実際、ここの外で起きているっていうのか?

 

 訳が分からない。

 どうすればいい。

 俺はどうすればいいんだ。

 

「…まあ、オイラから教えられるのはここまでだな。あとはオメーラ自身で考えな。じゃあな、オメーラ!」

「! おい、待て! もっと詳細を教えろ!」

 御堂さんの要求もむなしく、モノパンダはデスクの下に滑り込んでいき、それっきり出てくることはなかった。

 

「ちっ……だから言わんことじゃない。見ない方が身のためだったのだ。それを貴様らは、たかが好奇心のために……」

 苛立ちを残したまま、御堂さんはそそくさと視聴覚室を後にした。

 

 

 小清水さんや亞桐さんのすすり泣く声、山村さんが歯を食いしばる音、丹沢君や土門君の涙をこらえるうめき声がこの教室を支配していた。

 視界がぐるぐると回るような気分だった。

 混乱とはこのような状態を言うのだろうと嫌というほど痛感させられる。

 何をするのが正解なんだろう。

 ダメだ。何も考えられない。

 頭が正常に働かない。

 

 この感情はきっと、ここにいる全員が抱いていたのだろう。

 だからこそ、この空気を突き破ったあの人の一言は衝撃だった。 

 

 

「皆の者っ!! 希望を捨ててはならぬ!!」

 高く甲高い、しかしはきはきとした声。

 津川さんだ。

 見ると、どこから取りだしたのか、彼女は戦隊ヒーローのような仮面を被ってポーズをとっているではないか。

「皆、辛いものを見たのだろう! 自分の大切な家族、友人、ファンや客…。そういったものたちが傷つき、倒れる姿は非常に痛々しく、身を切られるような辛さであっただろう! しかし! こんな時だからこそ! 笑うのだ! 笑ってやり過ごすのだ!! それこそが! 愛と希望の戦士、ホープ仮面の生き様だッ!!」

 

 

 訳が分からない。

 その一言で片づけるのは簡単だ。

 でも……なんでだろう。

 感情がごちゃごちゃになっているからだろうか。

 笑えるような状況じゃないのに。

 

 

「あはっ……はははははは……」

 自然と笑い声が漏れていた。

 

 家族に何かがあったかもしれないのに、否…”かもしれない”ではなく、はっきりと何かが起きたらしいことは確かだ。

 彼らが無事だという保証は何もない。

 心配で心配で胸が張り裂けそうだ。

 とても笑っていられるはずじゃない。

 いや……だからこそなのかもしれない。

 笑っていないと正気を保てないのかもしれない。

 

 

 その証拠に……

 

 

「くすっ…なにそれ……うふふ…ふふ……」

 小清水さんも目元の涙をぬぐいながら笑っていた。

「ふふふ…ふふふ……そうですよ!! いやあ、わたくしが先に言おうと思ったのにホープ仮面様に言われてしまいまいしたよ! さあさ皆さん! スマイルスマイル!」

 入間君がここぞとばかりに両手を広げて言った。

「夢郷君、そんな難しい顔をしないで! さあ!」

 そう言って入間君は夢郷君の頬をつねり、無理矢理笑顔を作ろうとする。

「おい、おい。やめてくれって言ってるだろ。おい…」

 初日に見た構図だ。

「は…はははっ! そうだな! こんな状況、笑ってねえとやってられねえよな! みんな、気遣わせてわりいな」

 土門君もいつもの能天気な笑みをのぞかせた。

「あはははは! あんたらさあ、今の状況、分かってるの? ほんと、みんなしてバカじゃないの? バカすぎて笑える! あははは……」

 泣きじゃくっていた亞桐さんも笑顔を見せてくれた。

 

 笑うしかない。

 大切な人々と自らの才能を蹂躙されて、それが真実らしいという証拠まで突き出させられて、あげくここから脱出できないなんて。

 どこまで絶望的なんだろう。

 もう、笑うしかないな。

 

 

 

 みんなはそれぞれ、引きつった笑みを浮かべながら視聴覚室を後にした。

「ふふ…ふふふ……ふ………」

 一人になると、それまで壊れたように笑い続けていた表情はその動きを停止した。

「………」

 場を沈黙が支配する。

「あーあ……」

 

 やっぱり、俺は強がっていたんだ。

 本当は怖くて怖くて、泣き出しそうだったのに。

 無理して笑っていただけだったのだ。

「なんでだよ……」

 俺は頭を抱え込み、机に突っ伏した。

 

 訳が分からない。

 

 俺は学ぶためにこの学園に来たんだ。

 こんなことに巻き込まれるなんて夢にも思っていなかったんだ。

 なんでこんなことに…?

 

「大丈夫なりか?」

 小さな声が耳に差し込まれてきた。 

「津川さん……」

 いつの間に視聴覚室に戻ってきたのか、津川さんは薄暗い表情で俺の隣の席にちょこんと座った。

「みんな…本当に悲しそうで……なんとか力になってあげたかったけど……ほんとはみんな、無理して笑ってただけなり。あたしなんかじゃ、みんなを…」

「いや、君のおかげで心が安らいだよ。きっと、みんなそう思ってるよ」

 俺は本心を正直に述べた。

 実際、津川さんがさっきみんなを笑顔にしてくれなければ、俺はどうなっていたかわからない。

 精神をまともに保てなかったかもしれないのだ。

「…本当なりか?」

「うん。君は……強いよ。決して、弱くなんかない。あんな状況でみんなを笑顔にできるんだもん」

「そっか。えへへ……嬉しいなり」

 

 誰よりも先にみんなを元気づけようとした津川さんの態度は意外だった。

 だって、本当は誰よりもナイーブで傷つきやすいはずの彼女が……。

 これが、コスプレイヤーとしての彼女の強さなのかもしれない。

 大人しくて弱々しい姿は彼女のほんの一部分でしかない。

 誰もが打ちひしがれるような逆境でこそ、彼女は誰よりも強いのだ。

 

 少しの間、沈黙が流れる。

 

「リャンちゃん……ここにいたの」

 入口の方から声が聞こえた。

 入ってきたのは、亞桐さんだ。

「リャンちゃん、ごめん…。せっかく笑顔にしてくれたのに、ウチ、もうどうしたらいいか分からないの。だって先輩が……うっ……うぅ~~…」

 亞桐さんはすがりつくように津川さんの膝元に顔を埋め、わんわん泣き始めた。

「…ごめん。もしよかったら、莉緒たんのお話、聞かせてもらってもいいなりか?」

 亞桐さんは顔を上げ、顔をぬぐいながら二、三度頷いて話し始めた。

「…最初は…ひぐっ……中学時代の…クラブの…仲間が……倒れてて…血まみれで……うぅ…」

「…そっか。辛かったなりね。泣いていいなりよ」

 自らも目に涙を浮かべ、津川さんは何度も亞桐さんの背中を優しく叩いていた。

「そしたら……次に…大好きな…先輩が倒れてて……どうなったか知りたかったら……」

「”卒業”しろ、ってことか」

 俺は思わず亞桐さんの言葉の続きを呟いていた。

「…俺はお客様と自分の作品をめちゃくちゃにされてた。父さんからもらった万年筆付きでね。…めちゃくちゃなのは俺の頭の中だよ。あんなの見せられて、いったいどうすりゃいいんだ……」

「……リャン様が見せられたのは…ファンのみんなと…おばあちゃんだったなり。笑うのも大事だけど、泣きたいときはやっぱり泣いていいなりよ。莉緒たん、涙枯れるまで泣いちゃっていいなりよ。その代わり、枯れたら今度は笑ってほしいなり」

「ごめん……ありがと……うぅうぅ~…」

 津川さんの心遣いに感動したのか、亞桐さんはまた声をあげて泣き始めた。

 ギャルっぽい見た目と言動で先入観を抱いていたが、実際のところ彼女はかなり繊細な女子高生なのだろう。

 だからこそ、自分の大切な人間が傷つくのは見ていられないんだ。

 

 

 二人を置いて、俺は複雑な気分で視聴覚室を後にした。

 

 

「葛西さん」

 廊下に出てすぐ、横合いから声をかけられた。

 入間君が待ち構えていたかのように、腕を組んで廊下の壁にもたれかかっていた。

 常に笑顔の彼だからこそ、真面目な顔になると鋭い目つきが心に突き刺さる。

「お辛いでしょうが……くれぐれも変な気は起こしませんよう、よろしくお願い申し上げます」

 いやに重苦しい口調で彼はそう告げた。

「あの方の目的は殺し合いのみならず……もっと深く、もっと狂気的なところにあるのですから」

「……? どういうこと?」

 俺が首をかしげて尋ねると、入間君はちらりと監視カメラを見て、くるりと俺に背を向けた。

「いえ、蛇足でしたね。本日はもう休みましょう。お疲れ様です」

 つかつかと歩み去っていく彼の背中を、俺は茫然と見つめていた。

 

 

 

 

 そして。

 

 

 部屋に戻り。

 

 

 

 やるせない半日を過ごした。

 

 

 

 混乱と、恐怖と、絶望を残したまま。

 

 

 

 夜は更けた。

 

 

 

 時間は過ぎていった。

 

 

 

 

 

 過ぎてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 眠っていたのか、ただ寝っ転がっていただけなのか分からなかった。

 疲れは全く取れていない。

 肉体的な疲れも、精神的な疲れも。

 

 とりあえず俺は、考えるのをやめることにした。

 

 最低限の身支度を終え、ふらふらと食堂を訪れた。

 

「おはようございます…葛西殿」

 丹沢君の低い挨拶が聞こえてくる。

 もともとこけていた彼の頬はさらに肉を失い、今にも骨と皮だけになってしまいそうだ。

「うん……おはよう」

 辛うじて声を絞り出し、答える。

 

「みんな……今日は遅いね。まあ、昨日あんなの見せられたんだから、無理もないけどさ……」

 亞桐さんの言う通り、食堂には半分ほどの面子しかいない。

 みんな、大なり小なり傷ついているんだろう。

 

 

 そう思った直後だった。

 

 

 

 

 

 

 ”ピンポンパンポーン”。

 

 

 

 昨日、俺たちを視聴覚室に呼び出すために行われたアナウンスと同じチャイムが鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『死体が発見されちゃったぜ! 現場はトラッシュルームだ! とりあえず全員、現場まで集まってくれよな!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達は黙って顔を見合わせていた。

 

「し、し、し………」

 …死体?

 

「…は? へ? 何? どういうことよっ!?」

 亞桐さんは立ち上がり、取り乱して叫んだ。

「…まさか、そんな……本当に、殺人が……」

 夢郷君の一言が俺の、そして全員の心に突き刺さった。

「…行くしかない。例え待ち構えているのが…絶望でもな」

 リュウ君はやけに冷静な足取りで食堂を後にした。

 

「皆さん! 今の放送は……」

 厨房から入間君と山村さんが飛び出してきた。

 

「いや…いやよ! 私は行きたくない…! 行けないよ……」

 涙ぐんだ声で足を震わせ、亞桐さんにしがみつく小清水さん。

 俺も同様の気持ちだった。

 でも……

 

 

「拙者は…参りまするよ。葛西殿も、…か、覚悟をお決めくだされ」

 ビクビクと震えながらも食堂を出ていく丹沢君。

 俺は言葉を発せぬまま、その陰についていった。

 

 

 

 

 

 場所は、トラッシュルーム。

 

 

 

 

 

 薄暗い空間を、焼却炉の炎が赤く照らす。

 

 その空間に立つ数人の人間は、言葉を発することもできず、ただ虚ろな目で焼却炉を見つめていた。

 目の前の現実を、誰も認識できていない。

 

 

 昨日受けた衝撃と絶望なんか、どこかに吹っ飛んでしまいそうだった。

 

 

 

 

 

 

 だってこれは、生まれて初めて目にする”人の死”。

 つい昨日まで何事もなく動き、笑い、泣いていた人の成れの果て。

 

 

 

 

 

 

 

 認めない。信じない。

 これが。

 

 

 

 

 

 

 

 焼却炉の投入口からだらりと垂れた白い手が。

 物言わぬ炭の塊と化した肉体が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”超高校級のコスプレイヤー”、津川梁さんだなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶対に、信じるものか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『こんな時だからこそ笑うのだ!

 

 

 

 笑って  やり過ごす  のだ! 

 

 

 

 

 それ   こそ    が !

 

 

 

 

 

 

  愛と  希望  の   戦士     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホー   プ 

 

 

 

 

 

   仮 面の  

 

 

 

 

  生き  様 

 

 

 

 

                                    だッ  ‼︎   』


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