エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

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元々一話として投稿するつもりだった話なので短いです。
結局五章も一年以上かかってしまいました…。


Chapter5 (非)日常編⓪ 追憶編後編

 ◆◆◆

 

 

 

 

 伊丹ゆきみには年の離れた姉がいた。

 

 

 両親が多忙であまり触れあえなかった伊丹にとって、姉の存在は”親”であり”友達”であり”それ以上の何か”でもあった。

 

 

「ゆきみ、今日はどこにお出かけする?」

「お姉ちゃんとならどこでも楽しい」

「本当?? お姉ちゃんもだよ~!!」

 

 

 伊丹は姉を愛していた。

 姉もまた、妹を愛していた。

 

 

 はたから見ればさほど珍しくもない家庭だった。

 その平穏な日々は突如として破られることとなる。

 

 伊丹が小学校を卒業しようかという頃、姉は大学で交際していた男と別れた。

 伊丹には詳しい事情が分からなかったが、よほど異様な別れ方をしたようだった。

 その時、初めて彼女は気付いた。

 姉が妹と同じくらいかそれ以上に、その男性を愛していたということに。

 

 伊丹や両親がどれだけ慰めても、姉はただ泣きじゃくるだけで聞く耳を持たなかった。

 大学にも行かなくなり、部屋で自傷行為を繰り返すようになると、両親は精神科への入院を検討するようになった。

 つい数日前まで何事もなく平穏だった家庭は、一瞬で重苦しい空気にまとわりつかれることとなった。

 

 

「ゆきみ、またお出かけしよう」

 思い悩んでいた伊丹にそう声をかけたのは、他ならぬ姉だった。

 姉を慰めたい一心で、その申し出を伊丹は了承する。

 

 それが伊丹にとっての”絶望”の始まりであるとは知る由もなかった。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 葛西や前木達はタワーで各々の時間を過ごした。

 

 楽しい時間は一瞬で過ぎ去り、あっという間に次の夜が訪れる。 

 

 

 

 

 

「で、今夜はお前が相手ってワケだ」

 植物園の中央広場に立つ釜利谷がそう言った。

「ん、昨日も誰かとやり取りしてたのか?」

 そう答えたのは、ベンチに座る土門隆信だった。

「こっちの話よ。気にしないでちょうだいね」

 釜利谷の横に立つ伊丹が笑みと共にその言葉を投げかける。

 

 御堂の姿はなかった。

 

「…話を始める前に、植物園の扉はきちんとロックしてあるか?」

「問題ねえ。外からは"施設メンテナンスにつき閉鎖"って表示されてるから力ずくで開けるやつもいねえだろ」

 釜利谷の説明を聞くと、土門は少しベンチから身を乗り出した。

「…よし、分かった。じゃあ例のものを渡すぞ」

 そう言って土門は傍に置いてある薄汚れたカバンの中から、ホチキス止めされた数枚の紙を手渡した。

「"第五の脚本"だ。状況によって多少ブレる可能性もあるが、大体その筋に沿ったモノになるはずだ」

「ご苦労さん。あれこれ言う前に目を通させてもらう」

「終わったら私にも見せてぇ〜」

 受け取った紙を次々にめくって読み進める釜利谷。

「…おぉ。喜べ伊丹。次はお前が主役だぞ」

「………!!!」

 その言葉を聞いた瞬間、伊丹の全身に衝撃が走る。

 

 コロシアイの脚本で主役になるということ。

 それが何を意味しているのか、想像に難くなかった。

 

「……ふぅん。第一案が伊丹クロの小清水被害者、第二案が伊丹被害者の入間クロと。どっちに転んでも伊丹はダメだな。まあ俺はとっくの昔に死が決まってるからなんとも思わねーけど、お前にとっては残念だったな」

「……あら、そうなの。……どんな死に方をするのかだけ聞かせて頂戴…」

「第一案だと"まえなつに近付く小清水に伊丹が嫉妬して殺害"、第二案だと"恋人亡き後、恋を育む伊丹とまえなつに嫉妬した入間が伊丹を殺害"だとよ。…これを読む限り、第一案と第二案だとこっちから提示する動機が若干違うみたいだが、どのタイミングで見極めるんだ?」

「…カギになるのは入間の状態だ。具体的な指標までは聞いてないが、その時になってモノクマが見れば分かるんだろう。俺はそれまでと同じように入間や小清水、伊丹がうまく動くように水面下で働く」

 土門は淡々とそう答える。

 

 だが、釜利谷だけが知っている。

 この脚本が繰り広げられる時、土門は既に黒幕から切り捨てられていてこの世にいない。

 土門を介さず、”契約主”から直接聞いた脚本でそう知らされていたのだ。

 もちろん、それを教えるつもりもない。

 それも"契約主"との約束の一つだからだ。

 

「…あぁ、頑張ってくれ」

 釜利谷は短くそう答えた。

 と、同時に伊丹が崩れ落ちるように座り込んだ。

 そして過呼吸になりながら両手で顔を覆う。

「おいおい大丈夫か伊丹。そんなにショックだったのか?」

 釜利谷は呆れたような表情を浮かべて伊丹の顔を覗き込む。

「違う……違うの………」

 伊丹は必死に呼吸を整えながら掠れた声で答える。

「嬉しいの………常夏に私の愛を刻んで死んでいけることが……」

 伊丹の目からはぼろぼろと涙が零れ落ちる。

 それは、彼女自身の純粋な"悦び"に基づくものだった。

 

「なんだ、嬉しすぎてへばってたのか。人のことは言えねえが、とんだ変態野郎だな」

「…お前達はこの脚本に不満はないんだな」

「いいんじゃねえか? 伊丹も喜んでるし、いい感じに絶望的にもなりそうだ」

 釜利谷はヘラヘラと笑いながらそう言う。

「…だが釜利谷、お前もまたこの脚本の鍵を握っているんだ」

「あ? この時には俺はもう死んでるだろ? 蘇れってか?」

「お前には伊丹と葛西達に向けてビデオメッセージを撮ってもらわなくちゃいけない。いくつかの脚本を見越して数パターン録画と録音する必要があるが」

「うぇ、出たよ……そういうメンドクセーやつ……」

 釜利谷はあからさまに嫌そうな顔をした。

 

「その映像の出来具合によっても脚本の出来が左右されるんだ。だるい気持ちは分かるがしっかりやってくれ」

「…モノクマに言わせるんじゃダメなのか? 俺がわざわざ言わなきゃいけないことか?」

「この時点で葛西達にとって明確に"絶望"と判明しているメンツで、一番説得力のあるメンバーはお前しかいないんだよ。悪いがこの配役は譲れないな」

「はぁ~、分かったよ。近いうちに録画環境は整えとく」

 髪をわしゃわしゃと掻き乱しながら釜利谷は答える。

 

「…で、ここから先は俺の勝手な感想だが」

 と、釜利谷は話を仕切り直す。

「俺的には第二案の方がいいと思うんだが、確率的にはどっちになりそうなんた?」

「…"アイツ"が言うには、()()()()()()()()()()()第一案になるみたいだ。第二案は確かに脚本としては第一案より数段重みがあるが、状況的に起こりうる可能性は高くないらしい。まあ実際は何が起こるか分からんから、第二案の準備もしっかりするつもりではあるけどな」

「……私はどちらでも構わないわ。どちらに転んでも、常夏にとって一生忘れられない女になれるから……」

 真っ赤に染まった頬に手を当ててそう呟く伊丹。

「しかしここで死ぬ人間がパターンによって場合分けされるとなると、その次の脚本が難しいんじゃねえか?」

「…いや、小清水も入間も、次の脚本では大体同じような動きをするらしい。もちろん大なり小なりの違いもあるが、根本から結末が変わるわけでなさそうだな。そこらへんは俺も詳しくアイツから聞いていないから曖昧だが…」

「ほお~お。こりゃ次の脚本を受け取るのが楽しみだよ。ま、せいぜい頑張れや。全部読んだから返すぞ」

 そう言って釜利谷は脚本の束を土門に突き返した。

 

「…こうして俺達だけで会うのも何度目かになるが、御堂には感づかれてないか?」

「心配すんなよ。あいつもあいつで夜は機械の改良で忙しいんだ。どっちかっていうと"絶望"としての活動よりそっちの方がメインだからな。お前が俺とコンタクトしてることも昨日知ったから、今後は御堂個人からお前に対してコンタクトがあるかもしれんが、適当にはぐらかしてくれ」

「…分かった。御堂は”第二の脚本”の主役だ。なんとしてもコロシアイには参加してもらわなくちゃならん。ここで変に勘付かれて脱走でもされたら大変だからな」

「へへへ…あいつ、0号機の緊急起動コードなんぞを切り札にしてて笑いそうになっちまったよ。俺がそれを上回る緊急停止コードをずっと昔から持ってたことも知らずによ。いかにお前が愛着を持って改造してようが、所詮は機械。機械は既定のプログラムにしか従わねえんだよ……」

 釜利谷は肩を震わせて笑う。

「…じゃあ御堂のことは大丈夫だな。あと気がかりなのは……」

「……常夏の”幸運”……でしょう?」

「…………」

 伊丹の言葉に土門は答えない。

 

「そーいや、まえなつの”幸運”が脚本に()()をもたらす可能性があるとか言ってたな。お前らが頑張って用意したその紙切れが無駄にならないといいな」

 先ほど返した脚本の束を指さして皮肉を言う釜利谷に、土門は表情を変えずに答える。

「正直……俺は反対だったんだ。あの”幸運”がなければ脚本の制作はもっと簡単になるし、予想だにしないアクシデントに見舞われることもないだろう。だが……まえなつをコロシアイから外したらお前ら二人が納得しないだろうし、”アイツ”も『彼がいないと脚本が成立しない』なんて言い出す始末だ。そこまで言われたら反対もできねえだろ」

「うふふっ、ありがとう……。おかげで私も救われるわ……」

「結果オーライってやつだろ。結果が良けりゃそれでいいんだ。その結果を完璧にするためにお前がいるんだろ?」

「ああ……。正直、お前たち”絶望”がここまでちゃんと協力してくれるとは思わなかった。結果的には”アイツ”の言った通りだったけどな」

 土門は胸の内を語る。

「水臭いこと言うなよ。俺達は”ダチ”だろ? ずっと同じクラスで仲良くやってきたじゃねえか。これからも仲良くしようぜ。お互いのためによ」

「……確認だが、このコロシアイさえ行われればお前たちの目的は果たされるんだな? それだけでいいんだな?」

「おいおい、俺達の目的の話はもう何回もしてるだろ? 俺達じゃなくてお前らの目的の話をした方が建設的だと思うがな。結局のところ、お前らの狙いはなんなんだ?」

 釜利谷の視線が少し鋭くなった。

 

「俺達の目標はただの”絶望”。だからコロシアイさえ起こせればそれでいい。だがお前らの目的は”絶望”だけじゃないんだろ? わざわざシナリオまで限定して事細かにセッティングする手の込みようだ、よっぽどすげぇ目的があるんだろうなぁ。その目的が絶望じゃないんだとしたら一体何だ? もうそろそろ教えてくれてもいいんじゃねえか?」

「うふふ。私からもお願いしたいわね…。私、嘘と隠し事は好きじゃないの」

「………別に言えないわけじゃない。ただ、言ったところで理解されるとは思えない」

「んなモン、聞いてみなきゃわからんだろ」

 

()()の目標は”脚本の成就”。ただそれだけだ」

「ま~たそんなよく分かんねえ言い方すんのか。おちょくんのも大概にしろよ?」

「おちょくるも何も、そうとしか言えないんだ。”アイツ”が考えることは壮大すぎて俺なんかには理解しきれない」

「うふふ、面白ぉい…。理解もできないのに従っているの?」

「……どうしてだろうな。俺にも分からん。でも、気付いたら俺は”アイツ”が生み出す世界に心を奪われていた。”アイツ”が何を成して何を残すのか、一番間近で見たくなっていたんだ。それほどに……”アイツ”の才能は恐ろしかった………」

 二人に対して冷静にそう語る土門だったが、その声にはその言葉が虚構ではないと確信させる確かな響きがあった。

「お前たちにもあるだろう? ”絶望”とかよりももっと根本的で、無条件に自分の心を突き動かすもの…。伊丹なら”愛情”、三ちゃんなら”友情”がそれにあたるんじゃないか? 俺にとってはそれにあたるものがこの脚本だった。ただそれだけのことだよ」

「誰が道徳の授業しろって言ったよ? やっぱお前とは分かり合える気がしねえぜ。……おっと、随分と長く話しちまったな。俺は部屋に帰るぞ」

 唐突に釜利谷は踵を返し、土門に背を向ける。

「もう聞きたいことはないのか?」

「伊丹には昨日言ったけどなあ、俺は20分以上頭を使えねーんだよ。もう今夜はやめだ。これ以上考えると脳が腐る。じゃーな」

 勝手に会話を終わらせたかと思うと、釜利谷は扉を開けて植物園を後にした。

 

 

 

「…伊丹は戻らないのか?」

「どうしようかしらね。あなたに聞きたいことはもうないけど、ちょっと寝るには惜しい気分なのよね」

 手にした注射器を弄びながら伊丹は答える。

「自分の死が決まったのに、随分と落ち着いてるな。…まあ、”絶望”なんてそんなもんか」

「うふふふ。あなた…”絶望”がみんなおんなじ思考回路だと思っちゃダメよ? ”絶望”にもいろんな”絶望”がいるの。それに、”絶望”の一員になっていなくても既に”絶望”に染まりきっている子もたくさんいるの……」

 

「例えば………常夏とか」

 伊丹は人差し指を立てて嬉しそうに語り掛ける。

 

「…………あの件か」

 土門が小さな声でそう言うと、伊丹はクスクスと声をあげて笑った。

「あれだけ真っすぐで、夢と希望をもって、みんなを引っ張ってくれる常夏があんなふうになっちゃうなんて…。うふふふ……常夏も結局は人間なのよね。聖者になんてなれはしない。…だからこそ私は常夏が好きなの」

「……ある意味お前は…この脚本の登場人物の中では一番幸せなのかもしれないな」

 土門はぼそりと呟く。

「そうね……。脚本を見る限り私は悲惨な死を遂げるようだけど……。でも、私の存在が常夏の心に刻まれるなら何の悲しみも不安もない…。常夏が背負ってゆく絶望に思いをはせながら、私はただ消えてゆく……」

 

 そう言って、伊丹は植物園の天井に向けて手を伸ばした。

 その手の上に蝶が乗り、すぐに飛び立ってゆく。

 

「…三ちゃんも素直になればいいのにな。あいつも本当は羨ましいんだろ? 愛したり、愛されたりするのがどんなモンなのか、味わってみたいんだろうな。でも、自分にそれが無理なのが誰よりも分かってるから、違う建前で行動してるかのように見せてる。…きっと、最後まで素直じゃないまま死ぬんだろうな…」

「いいじゃないの。彼はそうなりたくてそうなっているのだから。私は、彼のそういうところが好きなの」

「……そうか。やっぱり、お前たち”絶望”と”俺達”は違うな。でも、()()()()()()()()()()()は、間違いなくお前らの中にある。こんな時に言うのも変だが…。お前らに出会えて本当に良かった」

 土門がそう言うと、伊丹はまたしてもクスリと笑った。

 

「…俺ももう戻るぞ。また明日、な」

「いい夢を。()にもよろしく伝えておいてね」

 去ってゆく土門の背中に、伊丹はそう呼びかけた。

 

「ふふふっ」

 一人きりになると、伊丹は軽快な足取りで小さな花畑の周りを歩く。

 まるで公園に遊びに来た幼子のように、無邪気な顔で自然の中に溶け込んでいく。

 

 不安なんてない。

 たとえ記憶が消されても、私は私のままであり続ける。

 そして私は私のまま、死んでゆく。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 ずっと引きこもっていた姉から外出に誘われた伊丹は、喜んで付いていった。

 

 元気だったころのように、二人で手を繋いで最寄りの駅に足を運んだ。

 だが、姉は電車に乗らなかった。

 

 姉はやけに神妙な面持ちでこう言った。

 

「結局、お姉ちゃんを本当に愛してくれたのはゆきみだけだったね」

 

「お姉ちゃん、もう疲れちゃったよ」

 

「お姉ちゃんね、あの人のこと、本当に本当に愛してたんだよ」

 

 突然泣き出す姉に、伊丹はただ戸惑うばかりだった。

 

 

「ごめんね、ゆきみ」

 

 そう呟く姉の声は、響き渡る蝉の声に負けそうなくらい小さく、弱々しかった。

 

「お姉ちゃんと約束して。お姉ちゃんの分まで、みんなを愛してあげるって」

 

 その言葉の真意も分からないまま、伊丹は頷く。

 

「ゆきみはいい子だから、きっとみんなに愛されるよね。だからゆきみもみんなを愛するのよ。約束ね」

 

 姉のことを愛する一方で、尊敬する偉大な大人のようにも思っていた。

 だが、それは違った。

 

 弱く、小さく、身勝手で、愛に飢えた一匹の人間に過ぎなかったのだ。

 

「愛してるよ、ゆきみ」

 

 その言葉を残して姉は跳んだ。

 

 そして、頬に当たる肉片となって帰ってきた。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 何故姉がわざわざ自分を連れて自分の目の前でこんなことをしたのか、伊丹には分からなかった。

 だが、時を経た今の伊丹には、その心が痛いほど分かる。

 

 愛する人の目の前で、壮絶に散る。

 そうすれば、もう二度と愛する人は私のことを忘れない。

 

 大切な人の愛を失った姉は、妹に永遠に消えぬ愛を刻み付けたのだ。

 

 

 嗚呼、反吐が出る。

 

 姉を手にかけた運転手は、もう人並みの生涯は送れない。

 姉の肉片を目の当たりにした子供は、その様を頭に刻み付けたまま大人になる。

 

 どれだけ多くの、無関係の人間に無意味な苦しみを与えたのだろう。

 たった一人の妹を、永遠に自分のものにするためだけに。

 言葉で表しきれぬほど愚かで身勝手な死。

 

 嗚呼、反吐が出る。

 反吐が出るが。

 

 

 私の心は、私の魂は。

 私は永遠に姉のものだ。

 

 もう一生、この愛を忘れられないのだから。

 

 

 

 そう。

 それこそが答えだったのだ。

 

 常夏への、抑えられないほど膨大で破滅的な愛を彼自身に刻み付けるには。

 私自身が、姉のように死ぬしかないのだ。

 

 そしてそのための最高の舞台が、このコロシアイの中に用意されている。

 

 記憶を消された私は。

 最初は愛のことも、常夏への想いも忘れて生きていくだろう。

 けれど、必ずいつか思い出す時が来る。

 

 そして私は、最低の死によって最高の愛を紡ぐ。

 

 

 私の死を見た常夏は、私のことを生涯忘れられない。

 そして―――常夏もまた、新しい誰かを好きになる。

 その時、常夏も気付く。

 

 究極の愛の形に。

 

 

 

 

 そして常夏も、私と同じように命を絶つ時が来る。

 

 愛と死の連鎖は永遠に続く。

 

 ああ、なんて絶望的だろう。

 

 

 

 

 

 常夏。

 

 私の愛しい常夏。

 

 どうかその愛おしい顔を見せて。

 

 

 常夏。

 

 私を忘れないで。

 

 私を胸に秘めたまま、生きて。

 

 

 

 常夏。

 

 愛してる。

 

 永遠に。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 そして時はコロシアイの夜へと進む。

 

 

 

 雨が降りしきるタワーの屋上。

 

 そこで伊丹が自ら命を絶とうとしていた矢先、前木常夏たちは現れた。

 

 

「やめて!! 来ないで!!」

 

 自らがクロになるしか、常夏を救う方法はない。 

 そう信じていたからこそ、伊丹はそう叫んだ。

 

 しかし前木常夏は、伊丹をその腕に抱いて自殺を阻止した。

「俺は殺さない。誰も死なせない。お前も仲間も、みんな守ってここから出る。今そう決めた」

 無限の愛に包まれ、甘く力強い言葉を囁かれた。

 

「二人で幸せになろう」

 

 常夏なら、本当に脚本を打ち破れるかもしれない。

 二人でここを出られるかもしれない。

 

 

 そう伊丹が思った矢先……。

 

 

 雷鳴とともに、爆炎が周囲を包んだ。

 伊丹たちは空中に放り出され、天を舞う。

 

 

 

 

 強い衝撃が引き金となったのか、その時、伊丹は―――。

 思い出したのだ。

 全ての記憶を。

 

 釜利谷から告げられた真実。

 脚本の結末。

 

 

 ああ。

 そうか。

 私が自殺なんてできるはずがなかったんだ。

 

 

 

 


 

 

 

「第一案だと"まえなつに近付く小清水に伊丹が嫉妬して殺害"、第二案だと"恋人亡き後、恋を育む伊丹とまえなつに嫉妬した入間が伊丹を殺害"だとよ」

 

 

 


 

 

 

 この爆発は、入間君が―――。

 

 

 

 全てを悟った時、伊丹はタワーの僅かな突起にしがみつき、高さ1000mの虚空に半ば身を投げ出されていた。

 

 

 

 そうか。

 絶望に身を堕とした私は”究極の愛”を求めて―――。

 

 

 

 

 

「…………伊丹ッッ!!!」

 

 

 叫び声と共に必死にこちらに手を伸ばそうとする前木の姿が見えた。

 だが、その手が届くことはない。

 

 

 伊丹は悟る。

 

 

 これが”脚本”。

 これが”運命”。

 

 私はこうして死んでゆくのか。

 

 

 

 

 

 

 しがみつく手は今まさに限界を迎えようとしており、人生最期の瞬間が刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 私は、自分が願った通りの死を迎える。

 常夏の目の前で、常夏に永遠の愛を刻める。

 愛と死の連鎖に、新しいバトンを繋いで消えていける。

 

 

 全ては私の願い通り。

 私の愛は成就したんだ。

 

 

 私の、命を懸けた願いがかなったのだから。

 心の底から喜ぶべきことだろう。

 だけど、私は――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、私は馬鹿だ。

 どうしようもない馬鹿だ。

 

 ずっと気付いていたはずなのに。

 

 

 

 

 

 私は。

 

 本当の私は。

 

 愛の連鎖を断ち切りたかったんだ。

 

 

 

 常夏に同じ苦しみを背負わせたくなかったんだ。

 こんなに苦しい愛じゃなくて、もっと違う形の愛を探していたかったんだ。

 

 それなのに、私は。

 ”負の自分”に敗れてしまった。

 ”絶望”の自分に呑まれてしまった。

 

 

 

 嗚呼、私は馬鹿だ。

 姉と同じくらい、いやもっともっと、馬鹿だ。

 

 

 

 なにが究極の愛だ。

 こんなひとりよがりの愛なんて―――。

 

 

 

「常夏」

 

 

 

 残せる言葉は一つだけ。

 クロの名を告げるべきかもしれない。 

 でも、それよりも伝えなきゃいけないことがある。

 

 懺悔なんて、もう遅い。

 でも、この連鎖だけは止めなければ…。

 

 

 だから私は、こう言ったんだ。

 

 

 

 

「私を、見ないで」

 

 

 

 

 

 

 その言葉と同時に、私の手は自然に滑り落ちた。

 体が空を切って転落する。

 

 1000mの虚空から、奈落の底へと一直線に。

 

 

 

 

 遅すぎた。

 思い出すのも、後悔するのも、遅すぎたんだ。

 

 

 イヤだ。

 こんな終わりなんて、イヤだ。

 

 

 

 

 ごめんなさい、常夏。

 

 ごめんなさい。

 

 

 

 全部全部、私のせいだ。

 私なんて存在しなければ良かったんだ。

 

 

 

 

 

 一緒に落ちていく雨粒を目で追いながら、私は次第に感情を失っていった。

 だんだんと時間が遅くなっていくような気がして、頭の中に穏やかなメロディが流れてきた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 伊丹の死から二時間ほど前のことだった。

 

 夕食後、入間に渡すためのピアノ線を加工しようと、伊丹は工具を隠し持って音楽室に赴いた。

 

 

「……あ」

 

 そこには先客がいた。

 

「あらゆきみん、あちきのピアノが聞きたくなったんでありんすか?」

 ピアノを弾く吹屋は嬉しそうな顔で呼びかける。

 

 時間は少しある。

 無理矢理追い出すのも不審に思われるだろう。

 

 そう思った伊丹は、少し笑みを浮かべて答えた。

「ええ。私も気分転換に弾こうと思ったんだけど、吹屋さんの曲を少し聞かせてもらってからにするわ」

「えへへ。ゆきみんに感動してもらえるといいな~」

 吹屋はその言葉を言い終わると、一度手を止めた。

 

 そして、再び彼女の手が動き出すと同時に新たな曲が紡ぎだされる。

 

 暗く、静かで、しかし心の底を洗い流されるような美しさの旋律が、伊丹の胸の奥に流れ込む。

 

「ドビュッシーの……”月の光”ね」

「本当に…いい曲でありんしょ?」

 珍しく、少し儚げな表情を浮かべながら吹屋は弾き続ける。

 

「この曲を弾くと……。妙に心が洗練されて、前を向いていけるような気がするんでありんす。あちきの本業は”噺”でありんすけど……。音楽には音楽にしかできない感情の伝え方がある…。あちきはそう思っているでありんす」

「……そうね」

 

 

 伊丹もまた、妙に洗練された気持ちで吹屋が奏でる曲を聴いていた。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 空から大地に投げ出される伊丹の頭の中に、その旋律がレクイエムのように鳴り響いていた。

 

 そして、彼女の心は次第に洗練されていく。

 

 

 

 

 ”絶望”にまみれ、”絶望”に消えていく人生の中で、自分は何を残すことができただろう。

 

 

 

 

 

 旋律の中にこだまする前木常夏の声。

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 常夏。

 

 私の愛しい常夏。

 

 

 

 あなたはきっと勝つわ。

 この裁判に勝って、黒幕と最後の勝負をする。

 

 

 

 常夏。

 

 

 私のせいで苦しめてしまってごめんなさい。

 

 償いきれない罪だけど、本当にごめんなさい。

 

 

 

 

 私ね、とっても楽しかった。

 とっても幸せだった。

 

 あなたと出会って、同級生のみんなと過ごした日々。

 

 すごくすごく、幸せだった。

 

 

 

 

 だから、私のことはもう愛さなくていい。

 私のことは忘れて、幸せになって。

 

 

 あなたなら、きっと黒幕に勝てるから。

 

 

 

 

 

 最悪の終わりだけど、最期くらいは胸を張って終わりたい。

 

 

 

 

 

 

 さようなら、常夏。

 

 

 

 ずっと

 

 

 

    ずっと

 

 

 

 

  愛 して  る 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 凄まじい衝撃とともに、伊丹は空中を浮遊する自分の下半身と臓物の欠片を見た。

 

 そして三半規管の狂いを微かに感じつつ、永遠に意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【Chapter5 愛 can do it! Can 勇 do it? 完】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アイテムを入手した!

 

 

 

 

 

『天に人あり』

 Chapter5をクリアした証。

 入間ジョーンズの愛読書。西洋の哲学者が記した哲学書で、宗教史にも触れられている。

 入間は、結梨や夢郷とこの本について語り合うのが何よりも好きだった。

 

 




例の如く入間と彼女が報われなさすぎるので、番外編で救済をしたいなーと思ってます。
釜利谷ももうちょっと酷い死に方させるべきだった。

ついに次は六章です。ここまで積み上げた全てをぶつけていきたいので、どうかもう少しだけお付き合いください。

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