エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を 作:江藤えそら
chapter1 (非)日常編①
「さあさあ、暗い気分をキープしていても仕方がありません! 助けが来るまでの間、ここで気ままに暮らしていようではありませんか!」
昼食が済むと、入間君が両手を広げて高らかにそう言った。
「のんきな野郎だな…。いつあいつが俺らを殺すかわからないんだぞ?」
前木君がふてくされたように肘をついて呟く。
「モノパンダ氏が本気で我々を殺したいなら、とっくの昔にそうしてますよ。『校則を破らなければ危害は加えない』という言葉は信ずるに値すると思いますが?」
入間君は笑顔を絶やさないまま平然と答える。
「そうだよ、”まえなつ”! ウジウジしてちゃあなんも始まんねえぞ?」
土門君が前木君の背中をたたきながら陽気に言った。
「はあ…? ”まえなつ”って俺のことか?」
前木君があんぐり口を開けて呆れたように言うと、「ったりめーだろ!」と土門君は答える。
「あはは。まえなつ、ね。こりゃいいネーミングだわ」
亞桐さんが悪戯っぽく微笑む。
「そんな呼び方されたの、初めてだわ……」
前木君は恥ずかしそうに頭をかくが、まんざら嫌でもなさそうだった。
◆◆◆
そして、一同は校内を自由に散策し、交流する流れになった。
「さて、何しよっかな……」
俺はしばらく食堂に残ってのんびりお茶を飲んでいた。
リュウ君のもとに食事を運びに行った山村さんとそれに付いていった小清水さんはここにはいない。
そして相変わらず仲のいい前木君と土門君は体を動かしにホールに行き、そこに何故か釜利谷君も巻き込まれていた。本人は相当嫌がっていたようだが……。
入間君は散歩(?)するとか言ってどこかに行ってしまったし、安藤さんは「新作漫画のネームを評価してもらいたい」と丹沢君を引っ張っていった。
津川さんは「婦警さんの格好をする」とか言って飛び出していったきり戻ってこない。
そんなこんなで、今ここに残っているのは俺、亞桐さん、夢郷君、伊丹さん。
「あのさぁ、あんたらってもっとスキンシップとか大事にした方がよくない?」
亞桐さんが机に上半身を乗せながらつまらなさそうに言った。
”あんたら”っていうのは俺も入っているのかな?
…確かに俺もしゃべる前にいろいろ考えてしまって中々話さない性格だとはよく言われる。
「あ、ごめんね。じゃ、じゃあ……なんかお話ししよっか」
俺は慌てて場を取り繕おうとした。
しかし、そこから先の言葉が出てこない。
「では、僕から一つ聞いていいだろうか?」
読んでいた本を閉じ、夢郷君は口を開いた。
「なぜ、我々はここにいるのだと思う?」
………?
「そりゃあ…あのモノパンダっていうわけわかんないヌイグルミに閉じ込められてさ」
「そうじゃない。なぜ世界がここに存在し、なぜ我々という存在がここに生きているのか。すべての根本に位置する問いだ。君たちはこの問いをどう処理する?」
そう語る夢郷君の表情は固く、本人は大真面目であるということが痛いほど伝わる。
「…この世に存在する”根拠”というものは、必ず『なぜ』と問うことができる。例えば、『重力があるからリンゴが落ちる』という根拠に対して、『なぜ重力があるのか』と問うことができる。その問いに『質量が時空を歪めるからだ』という根拠を示せば、『なぜ質量は時空を歪めるのか』と返せる。そうやって問いを繰り返していくと、やがて一つの”究極の問い”に辿り着く。『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか』という問いだ。宇宙がビッグバンによって生まれ、紆余曲折を経て地球が生まれ、我々が生を受けたという事実はある。しかしなぜそれが起こりえたのか? なぜ今ここに『存在』が在るのか…。君たちはどう思う?」
まるでさっきの前木君のように見事に口が開いていた。
彼の言う内容はともかくとして、彼が俺とは別次元の世界を生きていることは分かった。
「えぇーっと……? なんでウチらが存在するかってこと…?」
一生懸命話についていこうとする亞桐さんは立派だと素直に俺は思った。
「でもさ…そんなもん…分かるわけないじゃん。神サマにでも聞けば?」
「神、か………」
夢郷君は顎に手を当て、うずくまるような態勢で思考を始めた。
……ん? この格好……
間違いない! ”考える人”だ!!
「バカみたい……」と小さくつぶやいたのは紅茶のカップを片手に持つ伊丹さんだった。
「そんなことを考えるのに時間を使って、無駄だって分からないの……?」
「…確かに、僕が…いや、人類がこの問いの答えをつかむことは永遠にないだろう。だが僕は知りたい。例え真理でなくとも、僕自身が満足する答えを見つけたい。だって、分からないまま死ぬなんて嫌じゃないか。僕は人生という刹那の時の中で全てを知りたい。傲慢かもしれないが、それが僕の夢だ」
相変わらず大真面目な口調で夢郷君は言った。
「ま、まあ……知ってるか知らないかって言ったら、知ってた方がいいよね…」
俺は苦笑いしながらもそう言った。
「あはは……ウチは…なんてゆーか、なんも考えずに生きてきたからさ。自分がやりたいことだけやってた感じ? ダンスが好きだからずーっとダンスだけやってたってだけ。だから、あんたみたいにしっかり考えられるやつが羨ましいわ」
亞桐さんがそう言うと、夢郷君は「謙遜することはないよ」と微笑んだ。
「僕だって、やりたいことをやって生きてきただけさ。たまたまそれが『考えること』だっただけだ。君の生き方も僕は素晴らしいと思うよ」
「そうかな……」と亞桐さんは照れ臭そうに笑う。
言っていることは難解でとても俺がついていけそうなものではなかったが、少なくとも彼は俺が思っていたほど石頭で絡みづらい人物ではないようだ。
少しだけ夢郷君のことが分かって、俺はちょっぴり嬉しかった。
「トリャーーー!! リャン様婦警モード、参上おおおおお!!」
突然、食堂の入り口から大声が響いた。
振り向くと、婦警の格好に身を包んだ津川さんがよく分からないポーズを決めていた。
「ってあれ? みー様は? リャン様婦警モードを楽しみにしてたみー様はどこーーーー!?」
”みー様”は恐らく安藤さんなのだろう。
まさかあの自己紹介に乗っかってくれる人がいるとは…。
「みーちゃんなら、丹沢を連れてどっかいったよ」
亞桐さんが教えると、津川さんは「なんと!」と声を上げた。
「勝手にどっかいっちゃうなんて、ひどいなり! 根掘り葉掘り探してリャン様の可憐なお姿を見せつけてやるなりよ!!」
ガッツポーズを決めて食堂を去ろうとする津川さんを、亞桐さんは「ちょっと待ってよ」と引き留めた。
「ウチにももっと近くで見せてー。すっごいリアルじゃん、その恰好」
「ほいさっさー!」と津川さんはこちらに駆け寄ってきた。
近くで見てみると、その変装の完成度の高さには驚かされた。
腰についている拳銃はレプリカだろうが、細かい装飾まできめ細かに作られている。
「リャンちゃんかわいいねー。めっちゃ似あってるよ」
亞桐さんがそう言って津川さんの頭を撫でると、津川さんは子供か小動物のように無邪気にはしゃいでいる。
……本当に彼女は高校生なのだろうか?
間違って小学生が希望ヶ峰に紛れ込んできたんじゃないのか?
「最初は魔女の格好をしていたし、食事のときはコックの姿だったよね。どれくらい衣装持ってるの?」
俺が尋ねると、津川さんは「う~ん」と頬に指を当てて考え込む。
「一千着は下らないなりよ!」
「い、一千着?」
一千着といえば、俺の一生分の服、いやそれでも余裕で足りないぞ。
「コックに婦警はもちろん、ナースや教師や女医やetc…。職業の他にもアニメや漫画のキャラも古今東西取り揃えておるなりー!」
「す、すごいね……。これが”超高校級のコスプレイヤー”か…」
「でも、リャン様のお部屋には三百着ほどしか置いてなかったなり…。アニメキャラの大半がどっかにいっちゃったなりよ……」
津川さんは暗い口調でそう言うと、ふう、とため息をついた。
「え? ちょっと待って? 個室には俺たちの私物が置いてあるのかい?」
「まだ部屋に行ってなかったなりか? 個室にはプライベートアイテムが溢れんばかりに置いてあったなりよ!」
それは知らなかった。
ということは、俺が脚本を作る際に世話になった蔵書なんかも送られているのだろうか。
なるほど。夢郷君や入間君が読んでいた本も部屋から持ってきた私物だったんだな。
…でも、考えてみれば確かに千着の服全部は個室には入りきらないだろう。
だから三百着ほど(それでも十分すごい数だと思うが…)しか送られていなかったのだ。
「なーんか、ほんっとヘンなところで親切だよね、あのパンダ」
亞桐さんが監視カメラを睨みながら不機嫌そうに呟く。
「あんな残酷なことさえ言われなければ、ここもいいところなのに。残念なりよ……」
津川さんも不安げに監視カメラを見上げる。
「そんなことを言っていると、またテーブルからモノパンダが出てくるぞ」
いつの間にか本を読む作業に戻った夢郷君が釘を刺す。
伊丹さんは相変わらず何食わぬ顔で紅茶を飲んでいる。
少しの沈黙ののち、亞桐さんは口を開いた。
「唐突で悪いけどさ。リャンちゃんってさー、なんでコスプレ始めよーと思ったの?」
「んむむ? じゃあ逆に聞くけど、莉緒たんがダンスにのめりこんだ理由はなんなりか? たぶんそれと同じ理由なり!」
津川さんは二カッとした笑みで答えた。
「単純にコスプレが好きだったから…なんだ。でもさ、ダンスと違ってコスプレってお金かかるし、そう簡単に始められるもんじゃないじゃん? どうしてコスプレなわけ?」
「うーんとね……」と考え込んだ後、津川さんは語り始めた。
「昔、おばあちゃんが都会まで連れて行ってくれたなり。初めて見た都会は何もかも新しくてビックリだったけど、一番ビックリしたのがコスプレだったなり。金とかピンクの髪をして、見たこともないド派手な格好をしてたなり。それで、わけのわからないセリフやポーズを決めてて……。正直言って、怖かったなり。まだ小さかったから、おばあちゃんに泣きついたのを覚えてるなりよ。
でも、帰りにもう一度その人たちを見ると……オタクさんたちをいっぱい集めて、ヘンな踊りしてたなり。思わず笑っちゃったなりよ。それが忘れられなくて、次の日おめかしして変な踊りの真似をしてたなり。化粧品をいっぱい使っちゃって、おばあちゃんに怒られたなり。
……ざっと話すと、こういういきさつなりよ。コスプレって、知らない人が見ると気持ち悪くて怖いかもしれないけど、慣れるととっても楽しくて、みんなを笑顔にできるなり。生まれつき体が小さくてみんなの役に立てないアタシでも……いっぱい笑顔を作れるのが嬉しいなりよ!」
そう語る津川さんの表情は、心底恍惚としていた。
そう。これだ。
俺が作った脚本を見て、じっくり感傷に浸ってくれるお客様を見た時、俺はこの表情になる。
自分が生まれてきた意味、ここにいる意味、”脚本家”である意味を一番実感した瞬間の表情。
それは希望。
「…オタク界隈の話ってあまり知らなかったけど、こうやって聞くと案外楽しそうね。そうだなー。ウチだけ聞くのもアレだし、ウチもなれそめ的なの言ってもいい?」
「もちろん! 聞きたいなり!」
亞桐さんもその希望の表情に感化されたのか、自らの境遇を語り始めた。
「ウチの場合は何度も言うけど好きだから始めたわけで、きっかけみたいなものはないんだけどさ。一人、めっちゃ影響受けた人はいてね。中学の先輩で、ダンスクラブのリーダーやってた人。ウチはダンスが好きで好きで、寝る間も惜しんでずっと踊ってたから…まあ、自分で言うのもあれだけど、みんなに上手いって言われてて。でも、その先輩はあたしなんかじゃ敵わないくらいすごかったワケよ。ほんと、人間の動きに見えないくらい。だからって悔しい感情もなくて。ただただ憧れてた。先輩と肩を並べて、同じ風に踊りたいって。
だから、先輩と一緒にずーっと練習した。来る日も来る日も、飽きなんて全然来なかった。めちゃくちゃ楽しかったし、充実してた。
でもね。楽しいことでも、永遠に続くわけじゃないじゃん? 先輩が三年になって、引退する前の最後のイベントの直前、『転校する』って言われて。地方の遠い学校にね。先輩も人が悪いよ。イベント終わってから言えばいいのに。イベントの前の晩、死ぬほど泣いたんだもん。でも、不思議なくらいイベントは普通にやれた。終わった後は前の晩よりもっと泣いてたね。だって先輩ったら、『アタシより上手かったよ』なんて言うからさ。そんなこと言うから、先輩じゃなくてウチが希望ヶ峰に選ばれちゃったじゃん。だからウチは一人で二人分頑張らなきゃなの。先輩からとんでもないプレッシャー押し付けられちゃったからね。
……はい。これで終わり。どう? よくあるドラマみたいな下手くそな展開でしょ?」
そう言って微笑む亞桐さんの眼元が少し潤んでいたのを俺は見逃さなかった。
かくいう俺も、すっかり目頭が熱くなっていた。
「……そんなことないよ。最高の脚本だ!」
思わず叫んでいた。
「うぐぅう……青春なり~……」
顔を涙で汚しながら津川さんも呟いた。
「津川君も亞桐君も、れっきとした経験と目的をもって希望ヶ峰にいるんだね。ますます見直したよ」
いつの間にか本を置いて聞き入っていた夢郷君も満足げな顔で二人を称賛する。
「……なにそれ」
そんな幸福の中に水を差したのは、他ならぬ伊丹さんだった。
「なんでも都合よくとらえる人間って便利よね。…その先輩……たぶんあなたのこと恨んでるよ」
「はあ? どういうこと?」
亞桐さんはムッとして言い返す。
「…だって、その先輩にとっては…そこが最後の舞台なのにさ。後輩のあなたが…自分より上手く踊ってたら……嫌な気持ちになるでしょ…? 『アタシより上手かったよ』なんてのは…精一杯の嫌味だったと思うけど」
「………なんだよ、それ!!」
亞桐さんは急に立ち上がり、顔を真っ赤にして伊丹さんを睨みつける。
「何も見てないくせに、何も知らないくせに、勝手なこと言うな!! あんた、秋音ちゃんとなにも変わらないよ!!」
「あんな人と一緒にしないで…。私はただ……可能性の話をしてるだけ。…そういう可能性もあるかもって」
「あるワケねーだろ!! あってたまるか!! あーもう、気分悪くなった!」
亞桐さんはそれだけ言って、さっさと食堂を出て行ってしまった。
どうすればいいのだ。この空気を。
くそ……小清水さんさえいれば……。
「ご、ごめんなさい。嫌な気分にさせようとしたんじゃなくて……」
伊丹さんはうつむきながら呟いた。
「なんであんなこと言うなり……? せっかくいい話だったのに……」
「だって、気づかせてあげたかったんだもん。”そういう可能性もある”って…」
「そんなのはただの可能性なり! 確実じゃないことを言ってもしょうがないなり!」
「…確かに私が言ったことは確実じゃない。でも……その先輩が心から亞桐さんを愛してるっていうのも確実じゃない。現実はそうじゃないかもしれない。だから気づかせてあげたかったの。…この世に、『絶対治る薬』なんて…存在しないんだから」
伊丹さんは声を震わせながらもそう言った。
「偏った見方しかできない人は嫌い…。嘘をつく人も嫌い…。真実を端的に述べて、その上であらゆる可能性を……最悪の可能性も含めて、常に視野に入れておくの。そうしないと……いい薬はできない」
薬を作ることなんてない俺たちにそんなことを言われてもという感じだが、彼女の言い分も少しわかるような気がした。
「私は……思ったことは正直に言う。今みたいにね。嫌いな人には嫌いって言う。好きでもない人に好きって言って、偽りの関係を作るよりも……そっちの方がいい。偏見や虚飾は麻薬と一緒なのよ。一度抱くと離せなくなる」
「でも、あの言い方はあんまりなり……。もっとナチュラルに言ってもよかったなりよ」
伊丹さんの口調は次第に冷静さを帯びてきていた。
「物事ははっきり端的に述べるべきもの。余計に言葉を柔らかくしたら、本人のためにならない。…それと、私はあなたも好きじゃない」
「えっ……」
津川さんの表情が固まった。
「変な語尾をつけるのは何? 癖と呼ぶにはあまりにも不自然。作っているんでしょう? オタクの受けをよくするために。平たく言えば、かわいこぶってるのよね。そんな髪型にしているのも、周りからもてはやされたいんでしょう? 有象無象から金を巻き上げて、あなたは満足? 周りから可愛い可愛いと言われて、あなたは満足? あなたのような人間は一概に好きになれないのよ」
厳しい言葉の暴力が容赦なく津川さんを襲う。
「い、伊丹さん。さすがにそれは言い過ぎだよ」
「…あ、ごめんなさい。傷つけようとして言ってるわけじゃないの。私があなたを見て思ったことを正直に言っただけ。私の言うことなんか気にしないで」
「………」
本当にそうなのか?
傷つける気満々のようにしか見えなかったけど。
俺が驚いたのは、そんな言葉を浴びせられた津川さんの反応だった。
てっきり『リャン様婦警モードに向かってなんてこと言うなりー!!』とか『にゃはははは! 罵詈雑言受けるはコスプレイヤーの宿命なりよ!!』とか、ハイテンションに返すものだと思っていた。
津川さんは、顔を真っ青にして、黙ってうつむいていた。
さっきのような希望に満ち溢れた目の輝きは見る影もなく、光を失った目がうつろに足元を見つめていた。
「ごめんなさい」とかすかな声で津川さんは呟いた。
「アタシが……調子に……乗って…ました。今日は……部屋で……休みます」
語尾のことを言われたためか、津川さんはそう言って静かに食堂を後にした。
「つ、津川さん!」
あまりにも見ていられない変貌ぶりに俺は慰めようと声をかけたが、ビクッと肩を震わせて津川さんは廊下を走り去ってしまった。
「……あんなに傷つく人だと思わなかった」
伊丹さんも彼女の反応には驚いたようで、落ち着かない様子だった。
俺だって驚きだ。
非難の声なんかなんとも思わない人だと思っていた。
いや……”そう見せていただけ”というのが真実なのだろう。
気丈で、何があっても明るい人物であると周りに思わせ続けていた彼女の本性は、誰よりも傷つきやすい無垢な少女だったんだ。
俺は思わず伊丹さんを強い目つきで睨みつけていた。
君が何も言わなければ。
君が水を差しさえしなければ。
みんな幸せな気分のままだったのに。
ただ、伊丹さんに対してだけではなく、彼女の行いを引き留めることすらできなかった自分自身にも同様に腹が立っていた。
「…人には、各々の思想というものがある」
口を開いたのは夢郷君だった。
「ある人には価値のないものでも、ある人には命を懸けても守りたいと思うものある。ある人にとっては何気ない言葉でも、ある人には身を切られるより辛い言葉かもしれない。伊丹君と亞桐君と津川君の価値観が三者三様に異なるのは当然のことであり、何も否定すべきことはない。ただ、伊丹君。君はそのことに対する”理解”が浅い。
自分の価値観は自分にとって絶対でも、世界にとってそうであるとは限らない。はっきりものを言うことは確かに大事だが、それをすべきでない事象というものも確かに存在するんだよ」
夢郷君は穏やかな口調で、しかし鋭いまなざしで忠告した。
「そ、そうだよ! 何でもかんでも素直に言えばいいってもんじゃないし……」
完全に夢郷君に便乗しただけだが、俺も言葉を連ねる。
「分かってる。そんなこと分かってるわよ……でも…」
伊丹さんは少し苛立たしげに紅茶のカップを握りしめた。
「バカみたい。私って……なんなんだろう」
そしておもむろに立ち上がり、カップを厨房に置きに行った後、
「……謝ってくる」と食堂を後にした。
そこに残ったのは、やはり沈黙。
なんということだろう。
やはり超高校級と呼ばれる人たちは一癖も二癖もある。
俺なんかが口をはさむ余裕もなかった。
もうちょっと自分を主張できるようにならなければ……
「おーやおや、夢郷君に葛西さん!! お暗い顔していかがなさいました? スマイルスマイル!!」
だが、そんな空気の中に救世主が現れた。
入間君だ。
「わたくし、校内を散策していましたところ面白いものを見つけましてね! 『モノモノマシーン』とか言うガチャガチャでして、それはそれは興味深いアイテムが出てくるのですよ! お二人とも、校内で不思議なメダルを見つけましたでしょう? それを投入すると一回引けるのですよ!」
「…さあね。僕はそんなメダルを見た覚えはない」
夢郷君は本から目線をそらさないままぶっきらぼうに答えた。
そういえば夢郷君は入間君とよく話していたな。友人なのだろうか?
「俺は持ってるよ。このメダルのことでしょ?」
「そうそう、まさしくそれでございます! さあそうと決まれば早速ゆきましょう! 自分のメダルを使い果たして消化不良だったのでございます!」
言うが早いか入間君は俺の腕を強く引っ張った。
「え? うわっ…!」
そして引きずられるままに一階の端、売店エリアまでたどり着き、死ぬほどガチャを引かされた。
夕食は昼食と同じように全員で食堂に集まって行われた。
しかし、昼と比べて明らかに全員の口数が少なかった。
前木君と土門君は昼にさんざん体を動かしたためか、疲れ切っていたのが手に取るように分かった。
それに巻き込まれた哀れな釜利谷君は、箸を持つのすら億劫なほどうとうとしていた。
俺が一番気にかかっていた津川さんは、辛うじて食事には来ていたが、終始沈んだ表情で黙々と箸を進めていた。
同じく伊丹さんに傷つけられた亞桐さんもムスッとして何も口を開かなかった。
彼女と俺に挟まれた位置にに座る小清水さんは俺に「莉緒ちゃん、何かあったの?」と尋ねてきたが、真実を話すということは小清水さんの伊丹さんに対する印象を悪くしかねない。
わからない、と言っておいた。
「いやあ、しかし黄金銃だなんて中々面白いものを引きましたねえ、葛西さん!」
こんな時でもうるさいのは入間君だった。
でも、こんな時にはそのうるささが心地いい。
「な、なんと!? 黄金銃とな!? 是非とも吾輩に見せてはくれまいか!?」
食いついたのは安藤さんだった。
この人もぶれないな。
「いいよ……てか、もしよかったらあげちゃうよ?」
「ぬおおお!? それはまことか!? よぉし! 吾輩も後でそのモノモノマシーンとやらを引いてしんぜよう! 景品を交換しようではないか!」
「…そんなことしなくても、普通にあげるよ?」
「いやいや、恩を売られたままでは吾輩の気が済まんでな、楽しみにしておれ!! むわっはっはっは……」
「…うるさい。ご飯の最中」
伊丹さんが苛立たしげに声を上げた。
「ぬ、ぬう!? これは失礼、ちとはしゃぎすぎたか…」
安藤さんはしょんぼりとして椅子に座りなおす。
この人も結構傷つきやすいのかな。
それにしても伊丹さん、また言っちゃったよ…。
いつかいじめられないか心配だ。
「あのさ!」と机をたたいて声を張り上げたのは亞桐さんだった。
「あんたって人の揚げ足とることしかできないの!? そーやって人の気持ち嫌にさせて満足!? ウチのことは謝ったからもういいけどさ、もっと空気とか読めよ!」
「まあまあ落ち着いて、スマイルスマイル! 怒りはトークをダメにしてしまいますよ?」
入間君が満面の笑みで緊迫した空気の中に入りこんできた。
「そうですよ、お二人とも! 我々はもう高校生なのですから、些細なことで仲違いなんていけません! 女性同士仲良く、百合百合しておればよいものを!」
そこに丹沢君も仲介に入った。
……百合ってなんだ?
「……ごめん。ムキになりすぎた」
「…安藤さん、ごめんなさい。傷つけるつもりはなかったの」
亞桐さんと伊丹さんは相次いで謝罪した。
「い、いやあ吾輩も少し羽目を外しすぎましたし……な~んにも気になどしておらぬよ!?」
安藤さんはそう言ってまた先ほどのような高笑いを見せるのだった。
「よし、そうと決まればみんなでカラオケだ!!」
突然声を上げたのは前木君……って……
カラオケ??
「知らねーのか? 食堂の向かいの休憩室にはな、室内カラオケがあったんだぜ!」
そうなのか。知らなかった。
ほんと、殺し合いなんて馬鹿げた脱出手段を除けば至れり尽くせりだな。
「まえなつ~、俺もうそんな体力ないぜ……」
土門君が机に肘をついて言った。
「んだよ、俺より身体でかいくせに情けねーのな! カラオケでぱーっと盛り上がって疲れを吹っ飛ばすもんだろーが!」
わからない。その思考回路が。
「仕方ねえ、葛西! 土門の代わりに付き合え!」
……へ?
なんで俺なんだ。
男子はたくさんいるじゃないか……。
しかしその場で断るわけにもいかず。
俺、前木君、安藤さん、丹沢君、亞桐さんの五人で夜時間まで付き合わされた。
といっても、安藤さんと丹沢君のアニソンメドレーをひたすら聞かされるという苦行に満ちたカラオケだったのだが……。
◆◆◆
「…ここが、俺の部屋、か」
ホテルのようにきれいに整えられた部屋で、俺は静かにため息をついた。
未だに、きょう一日の出来事が現実とは思えない。
今朝挨拶を交わした家族の顔が目に浮かぶ。
俺は本当にここから出られるのだろうか?
あのヌイグルミは何がしたいのだろう?
わからない。
ダメだ。今はやめよう。
何も考えず、気楽に過ごそう。
落ち込んだり絶望したりなんてしない。
なぜなら、俺には同じ境遇の仲間がいる。
知り合ったばかりで互いのこともよく知らないが、ここから出たいのはみんな同じだ。
大丈夫。何も怖くなどない。
恐れてはいけない。
俺は希望なんだ。