エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

34 / 65
始まってからしばらく経ったChapter4ですが、ここにきて初めて日常編らしい日常編になります。信じられるか?もう④だぜ?


Chapter4 (非)日常編④

 今日は珍しく目覚めがよかった。 

 

 

「おはよう、オメーラ! 7時だぞ! 起床時間だ! 今日も頑張れよな!」

 

 毎回のように聞いていたはずの朝のアナウンスだけど、こうしてちゃんと聞くとどこか懐かしいような感じがしてしまうな……。

 まあ、できればもう聞きたくはないんだけどさ…。

 

 朝のシャワー、歯磨き、着替えなど最低限の準備をして朝食に向かった。

「……あら、葛西君。今日はちょっと早いのね」

 食堂では、伊丹さんがコーヒーを飲みながら読書をしていた。

「おはよう。うん、なんだか今日はいつもより目覚めがよかったからさ」

「……そう。よく眠れたのね。……良かった」

「………?」

 伊丹さんの様子がちょっとおかしいような…。

 まあ、いつもこんな感じだと言われればそんな気もするけど。

 

「おっはよー!! いやぁ、ギリポンの部屋は意外と綺麗で過ごしやすかったでありんす!」

「何が”意外”だよ! フツーに綺麗だっつーの!」

 そこに、亞桐さんと吹屋さんが現れる。

「つーかアンタ、何回ウチの顔蹴ったよ? 寝相悪すぎだって!!」

「うるさいでありんす! あちきが気持ちよく寝られればそれでいいでありんすから文句言わない!」

「部屋使わせてもらってる身分でなんだお前オイ!!」

 朝からスピーカーのようにうるさい二人だ。

 でも、微笑ましいやり取りが見られるようになったのはちょっと嬉しいかも。

 

「おはようございます! おやおやこれは、レディ二人で痴話喧嘩ですか?」

 そう言って入ってきた入間君も心なしか少し元気に見える。

「オイ入間! こんな奴レディって言わなくていいから!」

「そうでありんすよ! こんなギャルの呼び名なんて、淫乱雌豚でいいでありんす!」

「いんっ……!? おっ、お前なあ!! もうちょっと言葉考えろよ!!」

「まあまあ吹屋様、あまり汚い言葉を使うとせっかくのお美しい顔が台無しですよ。ほら、亞桐様もこんなにお顔を真っ赤にしておりますし…」

「あーっ! さては清楚系気取っちゃってるタイプでありんすか? この〇〇〇!! アンタなんて男子の群れに攫われて〇〇〇を〇〇に〇〇〇〇れて背後から〇〇〇を」

「ストーップ!! 吹屋様、ストップです」

 吹屋さんの口から聞くに堪えない卑猥な語句が次々に飛び出してきたので、思わず俺は耳を塞いでしまった。

 入間君が止めてくれなかったらもっとひどいことを言われていたかもしれない。

 俺の横にいる伊丹さん、表面上は平然と読書をしているけど、表情からは血の気が失せている。

 

「あ、あわわわわ……」

 意外と卑猥なネタには弱いのか、顔を真っ赤にして倒れ込む亞桐さん。

 夢郷君でもここまで酷いことは普段言わないもんなぁ…。

「へっ! ざまーねーな! でありんすね!」

 心底悪い顔をして立てちゃいけない指を立てている吹屋さん。

 なんだか、彼女のとんでもない闇を垣間見た気がするぞ……。

「さあ吹屋様! 私と一緒に楽しいモーニングにしましょう!」

 そう言ってなんとか吹屋さんを亞桐さんから引き離す入間君を見ると、彼も本当に苦労人だなあとつくづく思う。

 御堂さんをなだめる時もあんな感じだったな。

 

「うい~す……ってあれ? もうみんないるじゃん」

 目をこすりながら現れたのは前木君。

 いつもの朝食の時間よりまだ早い時間だが、それでもほぼ全員が揃っていることに少し驚いたようだ。

「おはようございます! 今山村様が朝食を用意してくれておりますから、もう少ししたら食べられますよ」

「いつもあいつばっかりに作らせて申し訳ないな~。昼と夜は俺が作るか」

「じゃあ夜は俺も一緒に作るよ」

「ダメ!」

「なんで!?」

 俺も一緒に作ろうと声をかけたのに、即答で断られた!!

「だってお前下手だろ?」

「いやいやいや! それはみんなが俺に作らせてくれないからであって、俺は決して…」

「はぁ、分かったよ‥‥」

 えぇ!? 

 なんでそんなに諦めた風に答えるの!?

 なんだかすごく悔しい気分になってきた……!

「こうなったら、腕で分からせてやる…!」

「葛西が熱くなるなんて珍しいね! 雨でも降るかも?」

 いつの間にか復活を果たした亞桐さんがからかってきた。

「やる気があるのはいいことではありませんか! 一応私が一緒について見守ってあげますよ」

 入間君も俺の腕を全く信用していないらしい…。

 俺のご飯を食べたら絶対後悔するよ、みんな。

 まあ、お茶漬けぐらいしか作ったことないんだけどね。

 

「皆さん、お待たせしました! ベーコンエッグとサラダ、トーストをお作りしました!」

 厨房からひょっこり顔を出した山村さんが言った。

 王道中の王道の洋風朝食、って感じだな。

 こんな日にはこういう食事がちょうどいい。

 みんなで分担して料理を運び終わると、その時……。

 

「…やあ、僕が最後だったか」

 夢郷君が食堂に現れた。

「………」

 ん?

 なんだろう、この沈黙は。

「…おはようございます、夢郷君!」

 やがて入間君が口火を切って挨拶すると、みんな口々に「おはよう」「おはようございます」と挨拶を述べていった。

 いつも通りの風景…だよね。

 

「いただきまーす」

 目覚めがよかったからか、食事もよく喉を通る。

 最近は気持ちが沈むことが多くてご飯も少なめに作ってもらうことが多かったんだけど、久しぶりにガッツリと腹に溜まる食事をして気分もいい。

 トーストを三枚もおかわりして今日の朝食は終了。

 

「そーいえばさー」

 朝食後、入間君と伊丹さんがお皿を洗っている間のんびりしていると、亞桐さんがふと口を開いた。

「夢郷、アンタなんで今朝は遅かったの? いつも朝食の30分前くらいにはいるのに」

 確かに夢郷君の生活リズムはとても規則正しい。

 というより、睡眠時間が人より短いのかな。

 男子で彼ぐらい早起きできる人といえば……丹沢君と土門君ぐらいか。

 

「ああ。昨夜、休憩室で読書をしていたらうっかり寝そうになってしまってね。後で起きて部屋に戻って寝直したんだが、睡眠が浅くて寝坊してしまったようだ」

 超高校級の哲学者ほどの人でも寝落ちしそうになることがあるんだなあ。

「ええっ!? そんなことして大丈夫でありんすか!? 仲間を疑いたくはないけど、こんな状況でありんすから、個室以外で寝落ちしちゃうのは危ないでありんすよ!」

 吹屋さんにしてはまともなことを言った。

 確かに、ここまで一緒に過ごしてきた仲間に殺されるなんて思いたくないけど…。

 休憩室なんかで無防備に寝ていたら何をされるかわかったもんじゃない。

 …小清水さんの動きも怪しいし。

「ああ、そうだね。忠告ありがとう。これからは肝に銘じておくよ」

 夢郷君はにこやかに答えた。

 

「夢郷……」

 亞桐さんが呟くように小さな声で言った。

 …って、泣きそうな顔になってるし!?

「アンタさ…変なことでドジやって死なないでよ…? 約束だからね……?」

「…………」

 亞桐さんの本気度がすごすぎて、俺も吹屋さんも山村さんも言葉を出せない。

「心配することはない。僕は常にあらゆる可能性を追求している」

「心配なんだよボケ!! ホント、アンタみたいなのがここまで生きてるのが奇跡っていうか…。ウチもだけどさ……。アンタみたいに好奇心旺盛なやつって、すぐ変な誘いに乗っかって殺されたりしそうだから……」

 言われてみればそうなのかもしれない。

 亞桐さんは、こう見えてずっと、夢郷君のことを心配してたんだな…。

「ははは。返す言葉もない。だが僕も、以前よりずっと気をつけるようになった。小清水君のような不安定要素もあるしね。君こそ身の回りには十分気をつけたまえよ。…では、また」

 それだけ言って夢郷君は食堂を後にした。

「分かってるよ……分かってるけどさ…」

 亞桐さんは自分に言い聞かせるようにそう呟いていたが、浮かない表情は変わらなかった。

 

「でも、夢郷君なら」

 大丈夫だよね、と山村さんの方を向きながら言うつもりだった。

 だが俺は咄嗟に言葉を引っ込めてしまった。

「山村さん……?」

 彼女は、ものすごく。

 ものすごく、辛そうな顔をしていたのだ。

「あ、いえ…」

 その表情を隠すかのように、慌てて山村さんは立ち上がる。

「ごめんなさい。ちょっとお腹が痛いんです。失礼します…」

 そう言うとそそくさと食堂からいなくなった。

 

「…本当に腹痛かな?」

 思わず口に出してしまった。

「まー、ユメちゃんはあちきが知ってる頃からタフネスはかなり高いでありんすから、きっと大丈夫でありんすよ!」

 吹屋さんが自信満々に言うと、亞桐さんも少し表情を和らげる。

 

 そんな時、部屋に置いてきたアルターエゴの言葉が脳裏をよぎった。

 

 

 

 

『…夢郷様は、恐らく”夢郷郷夢”ではありません』

 

 

 

 

 本当に、彼は夢郷君じゃないのかな。

 とてもそうは見えないけど…。

 後でアルターエゴともじっくり話してみよう。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 同じころ、入間と伊丹は全員が食べ終わった後の皿を洗っていた。

「……昨晩は申し訳ありませんでした」

 不意に入間が口を開く。

「山村様と伊丹様がいれば黒幕にも勝てると甘い見込みで踏み入ってしまった私の責任です。どう償えばよいのか…」

「気にしないで。短絡的な思考に走ってしまったのは私も同じだから」

 伊丹は洗い終わった皿を一枚一枚拭きあげて棚に戻しながら答えた。

「あの後、結局眠れなくて校内を探索したんだけど…。大ホールでたくさんのモノパンダが遊んでいるのが見えたわ。『大量のモノシリーズを発注した』っていう彼の言葉…。ブラフじゃなくて本当だったみたいね」

「だとすれば、尚更黒幕に対抗する手段がなくなりましたね。と、なれば…」

「黒幕の言うとおり、学園の謎を解いて黒幕に勝つしかない。私たちの勝負を、向こうがルール通りに受けてくれればの話だけどね」

 入間は使い終わったスポンジや器具を洗い、元の場所に戻した。

「こうも黒幕の言いなりになり続けなくてはならないとは…。嫌な予感しかしないんですよ…。ここまで凄惨なことを我々にさせておいて、勝ったからと言ってみすみす逃がすと思いますか…?」

「その疑惑は最もだけど…。でも彼が言ったとおり、モノクマやモノパンダが校則を破った例は一度もない。向こうにどんな目的があるのかは分からないけど、こればかりは”敵”を信じるしかない」

 

 その時、天井からシンクのど真ん中にモノパンダが飛び降りてきた。

「ウワサをすれば…」

「ぎーひゃひゃひゃ!! オメーラのその心配も最もだけどよお? 今はそんなことより仲間の心配をしろよな! いつ誰がコロシアイに動き出してもおかしくはねーんだぞ!」

「…止めてみせますよ。止めるしかない。あなたに勝つまでは、ね」

「いい心がけだぁ!」

 ぎひゃひゃひゃ、とモノパンダは汚い笑い声をあげる。

「でも、仲間全体に私たちの情報を共有できないのはアンフェアじゃないの? 彼らにだってあなたの正体を知る権利はあるはずよ。正々堂々と最終裁判で戦いたいのなら…ね」

 伊丹がモノパンダに毅然とそう言うと、モノパンダはさらに笑い声をあげた。

「ぎひゃひゃひゃ! 分かってねえなあ! オイラは『オメーラの口から教えるのはダメ』って言っただけであって、あいつらがオメーラの助けを借りずに自力でオイラの正体を突き止める分には全く制限していないんだぜ!」

「……? ではなぜ、あんな校則を設けたのですか? 自分の正体を知る人物を最小に絞りたかったからではないのですか……?」

「違うよ! それこそ”フェアじゃない”からさ! 一部の賢い人間ばかりが謎を解くんじゃなく、みんながそれぞれ活躍して黒幕をやっつけるのが一番オイラの好きな【ストーリー】なんだからさ!」

「………?」

 入間と伊丹は不可解な表情を浮かべた。

「ま、そこらへんも頑張って解き明かしてくれよな! そんじゃ、バイナラ~」

 モノパンダは通気口へと潜っていき、姿を消した。

 

「…まだまだ、敵は余裕綽々、ってところね」

 伊丹がため息交じりにそう言った。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「ユキマルー!! 一緒に弓撃つでありんす!!」

 吹屋さんがとても物騒なことを唐突に言い出したのでずっこけそうになった。

 話を聞くと、どうやら弓道場で弓を撃つ体験をしてみたいんだとか。

「え? でも」

「ほーらー! さっさと行くー!」

 危なくないの?とかやり方わかるの?と聞く間もなく俺は腕を引っ張られて四階へと連れてこられた。

 ヤバいぞこの人、出会って二日目にして相当曲者であることが分かってきた。

 

「うっひょー! かっちょええ~! でありんす!」

 弓道場につくと、早速置いてある弓を取り出してはしゃいでいる吹屋さん。

 弓の構え方や撃ち方、道着の着方まで、壁に貼ってある紙に全部丁寧に載せてある。

「へえ…。せっかくだから道着に着替えてみようかな」

「おっ! ユキマルもノッてきたでありんすね? じゃああちきも…」

「おや、何か騒がしいと思ったら」

 と、弓道場の入り口から顔をのぞかせてきたのは入間君だ。

「いいところに! ジョーちゃんも一緒に弓撃つでありんす!」

「だからさ、その物騒な言い方やめようよ……」

「いいですねえ! 私もご一緒させていただきましょう!」

 乗り気で弓道場に上がり込んできた入間君は、折りたたんである道着を持つと更衣室へ入っていった。

 俺も後に続く。

 

「え。入間君、着替えるの早いね」

 更衣室の壁に貼ってある指南を読みながら四苦八苦する俺に対し、スムーズに道着を着こなして胸当てもつけ終わっている入間君に驚きを隠せなかった。

「仕事柄、世界のあらゆる衣装を勉強して着こなせるようにしているのです。その民族に合わせた衣装を着ることもコミュニケーションの一つですからね! もちろん和の衣装も例外ではないのです!」

 なんだか入間君って、仕事柄とかいって何でもできる気がするな。

「そうなんだ…。君を見てると、俺もいろんなことを勉強しなきゃなって思うよ」

 やっと袴の紐を締め終わると、胸当てをつけ始めた。

「脚本家とはストーリーを生み出す職業ですからね。様々なことに触れておくのは大切なことだと思いますよ。そこから生まれてくるインスピレーションもあるでしょうし」

「本当そう思うよ。入間君も脚本書いてみたらうまくいくんじゃないかなあ?」

「ほ、本当ですか? 超高校級の脚本家にそう言われますと、いやはや照れますね! もっぱら既に存在する物語を翻訳することばかりやってきましたが、今度は自分の手で新しい物語を作ってみるのも面白そうですねえ!」

 彼なら成功しそうな気がするな。

 まあ、ここから出られたらの話にはなっちゃうけどね。

 

「もう! 二人とも遅いでありんすよ! なに更衣室でイチャついてるでありんすか!」

 弓道場に戻ると、吹屋さんが腹立たし気にそう言ってきた。

 いや、イチャついてはいないんだけどな。

 俺の着替えが遅くて申し訳ない気持ちだ。

「これは失礼! 彼のアプローチがあまりにも熱烈なものですから」

「まあ、俺が着替えにもたついてたからn…っておい!!」

 思わず夢郷君に突っ込むときの亞桐さんみたいな声が出てしまった。

 アプローチなんてしてないですけど?

「さあ、では初めていきましょうか! どなたから撃ちますか?」

 そんな俺のツッコミは意にも介せず話を続ける入間君。

 話術メインの才能なだけあって、面倒なやり取りをスルーしたり会話をスムーズに進めるのは上手いんだな。

 

「はいっ! じゃああちきから!」

 真っ先に手をあげて意気揚々と射的台の正面に立つ吹屋さん。

「実は子供の頃にちょっとかじったことがあるんで要領はある程度分かるでありんす!」

 なるほど、着替えが早かったのもそのためか。

「では、お手並み拝見と行きましょうか」

 と、不敵に笑う入間君。

 

 射的台を眺めて呼吸を整える吹屋さん。

 その横顔は次第に笑みが消え、凛とした精悍な顔つきに変わる。

 吹屋さん、変なことさえ言わなければめちゃくちゃ美人なんだけどな…。

 

 バシュッ!

 吹屋さんの手から、一直線に矢が飛んでいく。

 そして……。

 

 バン!

 という音と共に矢は的に突き刺さった。

 ど真ん中ではないが、かなり惜しいところに当たっている。

 

「うわあ、すごい……」

 俺はそんな月並みな言葉しか出すことができなかった。

「へっへーん! あちきは天才美少女でありんすから!」

 所謂”どや顔”で腕を組む吹屋さん。

 見かけによらず運動神経はいいようだ。

「お見事ですね! では次は私が……」

 そう言って入間君が前に歩み出る。

 弓を引き絞り、一気に放つ。

 

 ヒュッ。

 矢が空気を切る。

 だが、的に当たった音はしない。

 見ると、入間君の放った矢は的の僅かに外側に突き刺さっていた。

「うーむ……やはり初めてだと難しいものですね」

「いやいや、十分凄いでありんすよ! まああちきなら一発目でも的にぶち当てられるんでありんすけど、それでもジョーちゃんは凄いでありんす!」

 凄く嫌みったらしい笑みを浮かべて入間君に皮肉を言う吹屋さん。

 朝に亞桐さんに見せた顔のように憎たらしい表情だ。

 やっぱこの人、闇深いな……。

「では次は葛西さんですね! よろしくお願いします!」

 そんな吹屋さんを見事にスルーしつつ入間君は俺を促す。

 

 しかし、ここまでの流れで俺の緊張はピークに達した。

 初めてであんなに至近距離を撃ちぬける時点で、入間君も弓道は非常に上手いじゃないか。

 よりにもよって俺が三番手だなんて、自信なくすなぁ……。

 

 壁に貼ってある指南書を見ながらゆっくり構え、息を吐く。

 草原の奥に鎮座する的は、俺が放つ矢を待ち構えているかのように見える。

「おお~、なんか構えだけはカッコいいでありんすね!」

 吹屋さんの余計な一言は耳に入れないことにした。

 心が落ち着いてきた。

 いける。今ならいける。

 

 

 数分後、俺は草原に膝をついてうなだれていた。

「まあ、誰でもはじめは上手くいかないものですよ……」

 入間君の慰めの声が俺の背に降りかかった。

「ま、まあ、あちきが天才過ぎるだけでありんすから! 気にしない気にしない!!」

 吹屋さんでさえ自分を持ち上げつつ俺を慰めている。

 

 だってさ。

 思いっきり引き絞った矢が、まさか前じゃなくて後ろに飛んでいくなんて思わないじゃんか。

「どうして弦じゃなくて弓の本体を離してしまったんですか?」

「だ、だ、だって、腕に力が入りすぎちゃって……」

 俺は泣きそうな声で答えた。

「…もう一本やらせて。このままじゃ終われない」

 俺は立ち上がりながら言った。

 せめて的に当てるまではこの道着は脱がないぞ……!!

 

 

 そして半日が過ぎた。

「ふぇー!!! ユキマルー!!! もう動けないでありんす!! 今日は終わりにしましょー!!!」

「わ、私もビックリのスタミナですよ……! 彼にこれだけの体力があったとは……!」

 二人とも床に寝っ転がって息を荒げている。

 でも俺はもう一本の矢をつがえる。

 

 的の周りにはハリネズミのように矢が突き刺さっているが、的には一本も刺さっていない。

 …俺にこんなにセンスがないなんて思わなかったよ!

 

「はぁ……はぁ……くそっ……! 次こそは的に当ててみせるぞ‥‥!」

 俺は胸当てを外しながら二人と同じように床に寝っ転がった。

「ユキマルって変なところで負けず嫌いでありんすよね…? あちきが知ってる頃からずっとそうでありんすよ」

「私もそう思います…。その根性はどこから生まれてくるのでしょうか……?」

 ご飯のくだりもそうだったけど、俺は馬鹿にされるとやけに意地を張っちゃうところがあるんだよなあ。

 でも結局能力が追い付かなくて、こんな感じに時間を無駄にしちゃうんだ。

 

 

 ◆◆◆

 

「よーし葛西、やるぞ! やるからには全力だ!」

 その後、俺は前木君と共にキッチンに立たされていた。

 そう言えば晩御飯作るって約束してたもんなぁ……。

 あの時はやる気満々だったけど、今は全くそんなことはない。

 なんだか急速にだるくなってきた。

 だって弓道であんなに疲れちゃったし……。

「ふぁぁ……」

 見守り役を買って出た入間君も大きなあくびをする始末だ。

 

「でさ、俺献立考えたんだけど、イタリアンでいこうと思うんだ! どうかな?」

 それに比べ、前木君はやる気満々だ。

「う、うん…。いいんじゃないかな」

「やった!! 今日一日中図書室で料理本を読み漁った甲斐があった!」

 えっ、そんなことしてたの…。

 どうりで見かけないと思ったら。

「じゃあまず入間! オリーブオイルとニンニクとベーコン持ってきて! あとパスタも!」

 前木君は滅菌されたエプロンを着て腕をまくると、入間君にそう言い放つ。

「えっ、私も作るんですか?」

 てっきり見守るだけだと思っていた入間君は驚愕の声をあげる。

「当たり前だろ! ほら早くエプロン着て準備する! 葛西は包丁洗っといて!」

 急にお母さんのような貫録を醸しだした前木君にそそのかされて、俺達は慌ただしく準備に取り掛かる。

 

 最初にたっぷりのお湯を鍋に入れて、塩を豪快にさじ一杯投入。

 ぐつぐつ煮立ったら生麺を大量に投げ込んだ。

「あちっ! あちっ!」

 お湯が俺の手に跳ねて何度もそんな声が漏れた。

「そんな乱暴に投げ込むからですよ。食材を扱う時はもっと女性を扱う時のように優しくしませんと」

 トマトを角切りにしている入間君からダメ出しを喰らう。

「その言い方、俺にクリティカルヒットするって分かってて言ってるよね?」

 片や彼女持ちの入間君、片や好きな人に壮絶にフラれた俺。

 嫌みったらしいったらありゃしない。

 

 そうこうしている間に、もう一つのコンロではパスタソースづくりが始まった。

 フライパンにオリーブオイルを敷き、弱火でじっくりとニンニクを炒める。

 油にニンニクの香りが移り、この時点で堪えがたいほどの空腹感に支配される。

「あ~…いい匂い…」

「本当ですねえ……」

「おい! ぼさっとしてないでパスタを混ぜろよ! 硬さにムラができちまうだろ!」

「あっ、ご、ごめんなさい!」

 前木ママに注意されて慌ててパスタをかき混ぜる俺達。

 

 十分にオリーブオイルに香りが移ったら、次は中火でベーコンを炒める。

 最初のうちは敢えてベーコンを混ぜたりひっくり返したりせず、じっと待つ。

 こうすることでベーコンの片面に焼き色が付き、香ばしい匂いと肉のうまみが引き立つのだそうだ。

「美味しそう………」

 ニンニクとベーコンの香りだけで幸せの絶頂に達しそうだが、この程度はまだまだ序の口。

 ベーコンに火が通ったら角切りしたトマトをたっぷりと投入。

 加熱されて柔らかくなったトマトを潰し、液状にしてソースの形にしていく。

 

 その時、壁につけてあるタイマーがピーピーと音を鳴らす。

「お、麺が茹で上がったみたいだな」

 茹で上がった麺を、俺と入間君で湯切りして皿に移していく。

「あちっ! あちっ! 入間君絶対俺にかかるように湯切りしてるでしょ!!」

Talk to the hand!(この手に言いな!)

 よく分からない返しをされて困惑する俺をよそに、前木君はソースの仕上げに取り掛かる。

 

 泡を立てて煮立つトマトソースに、一切れのバターの塊を入れる。

 やがてバターは黄色い池になってソースに溶けていった。

「バターを入れるとコクが増して味に深みが出るんだよな」

 そして香辛料の棚からオレガノの小瓶を取り出し、何振りかかけると、葉っぱの清涼感のある香りが鼻に広がっていく。

 

 こうして完成したソースを、皿に分けられたスパゲッティの上にかけていく。

 仕上げに刻んだパセリを上に乗せれば…。

「よし、完成だ! みんなのところへ運ぼうぜ!」

 

 冷静になって考えてみると、前木君がこんなに手際よく料理できたなんて信じられないな。

「う~ん、素晴らしい出来上がりですね! ボロネーゼともマリナーラとも違う独特の調理法でしたね! ここにグアンチャーレとペコリーノ・ロマーノが加わればアマトリチャーナ風にもなるのですが…」

 職業柄身に付いたであろうイタリアン知識を語る入間君の話は適当に聞き流して、俺と前木君はパスタの皿をお盆に、そしてそのお盆を台車に乗せていく。

 

 

「いっただっきまーす!」

 食堂で待っていたみんなの元にパスタを運ぶと、ようやく実食の時間だ。

 散々疲れていたからか、はたまた自分の手で作り上げたからか、泣きそうなぐらい美味しい。

 …いや、本当に美味しい理由はただ一つ。

 前木君が頑張って料理の方法を勉強していてくれたからだ。

 俺達が遊んでいる間も、たった一人でずっと勉強してたんだなあ…。

「いやー、前木と葛西がこんなに料理できるなんて知らなかったよ! ウチ見直しちゃった!」

「前木っちはともかく、ユキマルに妄想以外の取り柄があったことが驚きでありんす!!」

 亞桐さんと吹屋さんが口を揃えて褒め称えると、俺は照れ臭そうに頭を掻いた。

「いえ、葛西さんはほとんど何もしていませんでしたよ!」とほざく入間君をどつくことも忘れずにね。

 

「…そういえば、お昼に食堂に来た人は少なかったのだけど、みんな何をしていたの?」

 パスタを食べ終わりそうになっているころ、伊丹さんが尋ねてきた。

 昼ご飯は朝の残りだったり出来合いのものを各自で食べたりすることが多いのでみんなが集まることは少ないのだが、今日はいつにも増して少なかったらしい。

「あちき達は弓道場でおにぎり食べてたでありんす! あちき達はユキマルのワガママで一日中あそこに缶詰めだったでありんすからね!!」

 吹屋さんはそう言って「ベー!」と俺に向かって舌を出した。

「な、なんだよ! 元はといえば君が弓を撃ちたいって言ったんじゃないか!」

「でも、あんなに長くやるつもりは無かったでありんす! これだから強情な男は困るでありんすよ!」

 フンっと鼻を鳴らして吹屋さんは立ち上がる。

「ご馳走様!」

 そして皿を置いたまま食堂を後にする。

「ちょ、ちょっと! お皿くらい片付けろよ!」

「急ぎの用事があるでありんす!」

 亞桐さんの呼びかけにもそう答えて吹屋さんはいなくなってしまった。

 

「やれやれ…。悪い人ではないのですが、どうも気難しいところがあるようですね……」

 入間君は困ったように腕を組んで言った。

「全くもう! こんな些細な喧嘩でシャレにならない段階までいっちゃったらどうすんだよ‥!」

 ぶつぶつ言いながらも自分の分と吹屋さんのお皿を同時に片付けてあげるだけ、亞桐さんはとても優しいな。

 それに比べ、あんな小さなことでムキになっちゃう自分が情けない。

「みんな…。ご、ごめん…。俺がムキになったばかりに…」

「人には人の考えがある。それが対立するのもまた人の多様性さ。なに、心配はいらない。吹屋君はさほど怒っているようにも見えなかったしね」

「そうだよ。そんなガチな喧嘩でもないし、あいつの性格的にも次会った時には忘れてるだろ」

「そうかな…。ありがとう……」

 夢郷君と前木君のフォローでいくらか俺の心も落ち着いた。

 一応、彼女に会ったら謝っておかないと。

 

 

 

 

 結局その後吹屋さんに会うことはないまま、夜時間になった。

「…おかえりなさいませ、なり」

 部屋に帰ると、閉じたままのノートパソコンからアルターエゴの声がした。

 この声に出迎えられると、なんだか津川さんと同棲しているみたいで背中がむず痒いな……。

「ただいま。…ごめんね、どこかに連れて行ってあげればよかった」

 俺はノートパソコンを開いて津川さんのアバターを画面に浮かび上がらせつつ、彼女に謝罪の言葉を告げた。

 思えば、一日中部屋に置きっぱなしというのも酷な話だ。

「いえ、私は機械ですから。そのような気遣いは無用ですなり」

 そんな俺に、アルターエゴはあくまでも冷静に答えた。

「ところで葛西様、今日は何か進展がありましたなりか? ここからの脱出について」

「あ…。それは…その…特に進展はない、かな…。今日は一日中、弓道場で遊んでて……」

 急に脱出の手がかりのことを問われて俺は面食らった。

 そうだよな、呑気に遊んでいる場合じゃないよな…。

「了解ですなり。最近は私との出会いも含め、様々なことがありましたから。心を休める日も必要ですなり。むしろそのようにして交流を深めることが、コロシアイの防止にも繋がりますなり。今日のような日を大切になさってくださいなり」

 てっきり調査を怠った俺に怒るのかと思いきや、アルターエゴから発せられた言葉は存外に優しいものだった。

 

「私には皆さんが羨ましいですなり。私と違って、皆さんには肉体がある。遊ぶことも、探索することも、戦うこともできる。私はただの知能。考え、伝えることしかできませんなり」

 ずっと無表情だった津川さんのアバターが、初めて寂しそうな表情をした。

「そっか……そうだよね。……ごめん。こんな時、なんて言ってあげればいいのか…」

「…いえ、謝るのは私の方ですなり。どうにもならないことを言って、悪戯に葛西様を戸惑わせてしまうようでは人工知能失格ですなりね…」

 アルターエゴはますます下を向いて悲しそうな顔をする。

 その姿はまるで……。

 

 思い出す。

 自分に自信を失っていた時の津川さん。

 普段見せる健気な姿とは打って変わって弱くか細い姿を。

 でもその弱さは、絶望に立ち向かう強さと表裏一体。

 上手く助け合うことができれば、モノクマたちを打ち破る大いなる力にだって変わりうるんだ。

 

「でも……肉体が無くても君は俺達の立派な仲間だよ。絶対に、絶対に誰かに殺させなんてしないよ! 俺が君を守るから!」

 だから俺は、津川さんに言ってあげられなかった言葉をアルターエゴに言った。

 

「…………!」

 アルターエゴは驚きの表情を浮かべ、そして頬を紅く染めた。

「か…葛西様……。私はっ……」

 その顔は見る見るうちに真っ赤になっていく。

「……っい、いけませんなり……。人工知能が、人間にこんな感情を抱くなど……。許されざることですなり…。でも……でも私は……」

 顔を両手で押さえて、恥ずかしそうに悶え苦しむアルターエゴ。

 

 …意外とちょろいんだな、人工知能って。

 まさか人間相手に失恋して、人工知能相手に恋が実るなんてことになるとは…。

 でも今はまだ、本気で相手をするのはやめておこう。

 

 あの人のことを気にしている自分を、切り捨てることができないからね……。

 

 

 結局この日は、聞こうと思っていた夢郷君の話を聞くことがないまま寝床についた。

 

 

 ◆◆◆

 

 

「いいんですか? そんなに呑気に遊んだりして……」

 同じころ、食堂で山村は入間にそう言葉を投げかけていた。

 黒幕からの勝負を申し込まれた入間達には、一分一秒が惜しい。

 一刻も早く黒幕の正体と学園の謎を解き明かさなくてはならないのである。

「遊んでいる間にも、弓道場の探索はくまなく行いましたよ。特にめぼしい発見はありませんでしたがね。それに、皆様とスキンシップを深めてコロシアイを防止するのも重要な役割です」

「まあ……それはそうですけど……」

「次の”動機”が発表される前に、少しでも皆さんの繋がりを強くしておかなくては。また誰かが過ちを起こすことになりますからね……」

 ”動機”。

 それは、モノパンダが彼らに仕組んだ恐るべき潤滑油。

 希望の生徒たちをコロシアイへと駆り立てる点火剤。

 それが刻一刻と近付いていることは、入間も薄々予感していた。

 

「ところで、山村様は伊丹様と調査を?」

「はい…。図書室で蔵書を読み漁っていたのですが、そこに前木君が来たものですから事情を隠すのが大変でしたよ」

 ため息をつきながら山村が述べる。

「それで、何か発見は?」

「…どうせ黒幕にも盗聴されているでしょうが、話します。実は、”超高校級の絶望”という組織について」

「あら、こんな遅くに二人で何してるの?」

「!?」

 山村の言葉を遮ったのは、食堂に現れた小清水だった。

 

「…何用ですか」

 どこで話をしようと黒幕には聞かれてしまうから、黒幕を警戒しても意味はない。

 しかし小清水となると話は別だ。

 黒幕打倒のため一定の協力はしているが、一度は同級生を殺害した”敵”。

 図書室で得た有益な情報を漏らしたくはなかった。

「ご飯よ、ご飯。食堂なんだから当たり前でしょう?」

 そう言って小清水は厨房へと入っていく。

 

「あの人……何が目的なんでしょう……」

 山村は立ち上がって警戒しつつ呟いた。

「目的はただ一つ、”人類絶滅”でしょう。しかし、目的は分かっていてもそれに至るまでの思考は全く分かりません。ある意味、黒幕よりも恐ろしい敵かもしれませんね」

 小清水との対話を諦めていない入間だが、その道のりは遠い。

 

「あら、ずいぶん人聞きの悪いことを言うのね?」

 そう言いながら、小清水は厨房から戻ってきた。

 その手にはホクホクと湯気を立てるパスタの皿があった。

「このパスタ、やけに美味しそうだけど誰が作ったの?」

「それは……前木君です」

 山村がたどたどしく答えた。

「そう。前木君は優しいのね。私のためだけにちょうど一食分パスタを残しておいてくれるなんて」

 不気味な笑みを浮かべながら席に着き、小清水はパスタを食し始めた。

「意外ですね。あなたが皆さんと同じ食事を疑いもせず食べるとは」

「だって、モノパンダが毒殺の可能性を封じちゃったじゃない。私が勝手に誰かを毒殺しないための措置なんでしょうけど、そういうことなら私もその措置を有効に使わせてもらうわよ。労せずしてこんなおいしいご飯が食べられるし、願ったりかなったりじゃない?」

 パスタを食べる彼女の顔は、心なしか幸せそうに見える。

「……行きましょう。今日は疲れましたから、私はもう休みます」

 入間は立ち上がって食堂を後にしようとする。

「あっ、では私も……」

 山村もその後に続く。

 

「入間君」

 そんな二人の背に、小清水が声をかける。

「前木君に伝えておいて。『パスタ、美味しかった、ありがとう』」

 

 

「……『どうか無理はしないでね。あなたはとても幸運な子だから』」

 

 

「………分かりました。一言一句間違いなく伝えておきましょう」

 その言葉を残して、入間は去った。

 

 

 

「さて、と」

 小清水はパスタを食べ終わると、一息ついて独り言をつぶやいた。

「もうそろそろ、かしらね」

 

 

 




というわけで、まだ死体は出ませんでした。
次回はエクロン史上初となる(非)日常編⑤です。乞うご期待!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。