エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

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プロローグ その2

 いつしか全員が壇上を見つめていた。

 そして、驚きに言葉を失った。

 壇上に座っていたのは、大きめのヌイグルミだったのだ。

 

 右半身は可愛らしい顔つきの白いヌイグルミで、左半身は邪悪な顔の黒いクマ型のヌイグルミだ。

 いや…正確に言うと、右半身が”白地に黒斑”で、左半身が”黒字に白斑”だ。

 クマというより、パンダのように見える。

 

「おいおい……何の冗談だ?」

 土門君が冷や汗を流しながら呟く。

「冗談なんかじゃねーよ! オイラはこの”希望ヶ峰学園特別分校”の”教頭”様なんだゾ! お前らの恩師様だゾ!」

 なんと…ヌイグルミは腕を振り上げてそう喋ったではないか。

「なんだこいつ⁉︎ 思いっきり喋ってんぞ‼︎」

 前木君が悲鳴のように叫んだ。

「当たり前だろ! 教頭ともあろうものが、喋れなかったらどうやって生徒と意思疎通すんだよ!」

 ヌイグルミは反論する。

 間違いなく、声はあのヌイグルミから発せられているようだ。

 

 困惑する一同をよそに、「ほう…」と興味深そうに笑う人がいた。

 御堂さんだ。

「どんな精密機械が中に入っている? 見せてもらおうか」

 つかつかとヌイグルミに歩み寄りながら御堂さんはそう言った。

「お、おいコラ! 精密機械とか夢ぶち壊しなこと言ってんじゃねーよ! オイラに中身なんてないんだからな⁉︎ どこぞの梨の妖精にだって中の人なんていないだろ‼︎」

 なんだかよく分からない話を引き合いに出されたが、御堂さんが言うように機械が内蔵されていると考えるほか、納得する手立てはないようだ。

 

「とにかく、よく聞け! オイラはこの特別分校の教頭、”モノパンダ”様だ! これから行われる共同生活のルールを教えるから、よーく聞けよな!」

 モノパンダと名乗ったヌイグルミはそんなことを言い始めた。

「共同生活⁉︎ どういうことですか?」

 山村さんが尋ねると、「あーもうめんどくせーな!」とモノパンダは苛立たしげにぼやく。

「オメーラは希望ヶ峰学園に入学したくて来たんだろ⁉︎ だから入れてやろうって話。ここは希望ヶ峰学園の施設なのーー‼︎」

「なんだ、そういうことでしたか。それを聞いて安心いたしました」

 入間君が安堵のため息とともに胸をなで下ろした。

 それにしても、希望ヶ峰学園はこんな奇怪なヌイグルミを所有しているというのか。

 サプライズで入学式を行うのが慣例なのだろうか?

 

「そーそー! オメーラはこれからここで共同生活を送ってもらうの! ルールの説明もめんどいんで、先に電子生徒手帳配っとくぜ! そこのガリ眼鏡、カモーン」

「む、某でありますか」

 不遜な呼び名で呼ばれたことも気にせず壇上に歩み寄った丹沢君に、モノパンダは薄いタブレットのようなものを15人分渡した。

「ここ押すと持ち主が表示されるからさー、持主のところに渡してきてくれねー?」

「分かりました、教頭先生‼︎」

 丹沢君はきちっと気をつけで返事をして受け取ると、その場にいる連中にそれを渡し始めた。

 

 この時はまだ、なんの疑いもなく”モノパンダ”の指示に従っていた。

 少し怪しくはあるけれど、これは全部希望ヶ峰学園のサプライズだと思い込んでいた。

 僅か数十秒後に思い知らされる絶望など、予想だにせず。

 

 それは”電子生徒手帳”というらしく、起動するといくつかのメニューが揃っていた。

「んじゃーまず、校則ってとこ見てくれねー?」

 モノパンダの言葉に従ってそれを開く。

 

 

 

 

 

「……え、」

 思わず声が漏れていた。

 

 

 

 

校則① あなた達はこれから、この希望ヶ峰学園特別分校で共同生活を送ってもらいます。共同生活に期限はありません。

 

 

 一瞬、その言葉の意味が理解できなかった。

 だが、モノパンダの言葉がその意味を無理矢理俺の頭に叩き込ませてきた。

「オメーラはここで一生過ごすことになりま〜す‼︎ ”何も起こらなきゃ”ね‼︎」

「はあ⁉︎ なんだよそれ!」

 土門君が声を上げる。

「い、一生でございますか!? それは承認できません!!」

 入間君の反論も最もである。

「教頭先生! どういう了見か、ご説明願います!!」

 丹沢君が強い口調で問い詰めると、モノパンダは「まーまー、そうカリカリすんなって」となだめた。

「ここはとってもいい場所なんだぜ? 食料は無制限に供給してやるし、どんな”外敵”に襲われることもねえ! 一生ここにいるのが間違いなく一番安全だと思うぜけどなぁ」

 

「ふざけんな!! 卒業できない学校になんていられるか!! 俺にはやりたいことがたくさんあるんだ!!」

 土門君が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 俺も終始黙ってはいたが、彼らのように内心は穏やかではなかった。

 いきなり現れたかと思えば一生ここで過ごせなどとほざくわけのわからないヌイグルミの言うことになど従えるはずがない。

 

 

 ……だが、ここまでの話はモノパンダの狂気のほんの一部でしかなかった。

 モノパンダのこの後の言葉がそれを示していた。

「わーったよ!! そこまで言うなら卒業の条件を設けてやるって! それでいいんだろ?」

「…条件? 試験などを行うんですか?」

 小清水さんの問いにモノパンダは「まあ、試験みたいなもんかなー!」と笑った。

 

 

 

『この中の誰かを殺せば卒業ってことで、どーっすか?』

 

 

 瞬間。

 その場の空気が凍り付く。

 

 ”殺す”だと???

 俺たちの中の誰かを?

 

 

「こ…殺…………何言って……」

 小清水さんが口元に手を当て、声を震わせて呟く。

「……いい加減になさってください。ご冗談が過ぎますよ」

 終始笑顔を絶やさなかった入間君も、ここにきて敵意のこもった表情になった。

「こ、殺し合いだなんて……下手なB級ホラーみたいなこと……考えたくもないなり……」

 津川さんも瞳に涙を浮かべて恐怖する。

 

「ぎひょー! その表情! オイラ、ワクワクすっぞ!」

 モノパンダは狂った笑い声をあげる。

 こいつはいったい何がしたいんだ。

 

「こ、こ、こいつ……なんで笑って…」

 前木君がそれを見て戦慄している。

「…人の命をなんだと思ってんだ、クソグルミが……」

 釜利谷君は怒りに顔をゆがめ、モノパンダをにらみつける。

 

「あぁ、先に言っとくけどな。オイラがオメーラに求めるのはただ一つ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  『絶望』な。

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶望だけしてくれればオイラは十分だから。なんもいらねーからな」

 

 

 悪寒が、背中を駆け上っていくのを感じた。

 狂ってやがる。

 普通じゃない。何もかもが。

 

 

 誰もが目の前の現実を受け入れられず、茫然と立ち尽くしていた。

 

 言葉も発せず、ただぼんやりと虚ろに壇上で大笑いするヌイグルミを見つめることしかできずにいた。

 

 津川さんが言った「B級ホラーのような展開」が冗談ではなく、現実として降りかかっているということを誰も受け止めきれなかったのだ。

 

 

 

 

 ―――そう、ただ一人を除いては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ふざけたこと……」 

 

 

 

 

 

 

 全員がモノパンダの狂気に怯え、押し黙る中、”彼女”だけは違っていた。

 

 

『言ってんじゃねーぞヌイグルミ風情があぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』

 

 

 

 ホール中に響く怒声が空間全体を震わせる。

 俺が驚いて振り返ると、そこでは山村さんが咆哮を上げていた。

 おしとやかで生真面目な彼女の姿はどこにもなく、怒りにゆがんだ表情は見るものにモノパンダ以上の恐怖を与え、全身から炎のように真っ赤なオーラが溢れ出ている。

「山村殿の覚醒キタコレ!!」と目を輝かせる安藤さん以外は皆、むろん俺も含め、より一層怯えていた。

 

 

「ここから出たきゃ誰かを殺せって、あぁ? んなモンにオレが従うと思ってんのかゴラァッ!!! だったら最初にテメーをぶっ殺してやらぁあぁぁああぁ!!!!」

 雄叫びとともに山村さんの体は瞬時にモノパンダに肉薄していた。

 そして腰を深く落とし、息を吸いながら空手の構えをとる。

 

 

 その動作は、ほんの刹那の間のことだったにもかかわらず、俺の脳裏にこれ以上ないほど強く刻み込まれた。

 

 極限まで時が縮められ、彼女が構える動作はゆっくりと、コマ単位で視覚情報として現れていた。

 

 まるで清流の流れのように、微かな乱れもない、完璧な所作。

 

 空手はおろか、武道に全く関心のないものですらその所作には釘づけにされてしまうだろうと俺は確信した。

 

 そして、一連の動作が終わった瞬間、彼女の目が強く見開かれ、巨大な”闘志”が溢れ出る。

 

 これが、”超高校級の空手家”の本気。

 

 俺は戦慄していた。

 

 

「おいお前! 校則に」

「おっらぁあああああぁあ!!!」

 モノパンダの言葉を遮るように、炎を纏った山村さんの拳がその体に打ち付けられた。

 凄まじい勢いで吹っ飛んでいったモノパンダは壁に勢いよく激突する。

 床に落ちたモノパンダの残骸は、精密機械の破片と綿を散らして横たわり、二度と動くことはなかった。

「す…すげえ……」

 前木君が冷や汗とともに呟く。

 

「中身ないんじゃなかったのか、オイ? ウソを暴かれてどんな気分だ?」

 山村さんはガラクタと化したモノパンダに吐き捨てるように言った。

 だが………

 

 

『おいコラーーー!! よくもやってくれたなオメー!!』

「!?」

 もう二度と聞こえるはずのない声がホールに響いた。

 

 壊されたはずのモノパンダは、再び壇上に飛び上ってきた。

「校則に書いてあっただろ!? オイラに危害を加えるのは校則違反なんだゾ!!」

「……だったらどーしたよ」

 手をパキパキと鳴らし、山村さんは再びモノパンダに相対する。

「あと何匹いる? オレは何千回でも殴れるぞオラァアアァアァ!!!」

「あのなあ、オイラの言葉聞いてた? オイラに危害に加えるのは校則違反なんだよ! 万死に値するんだゾ!」

「それがどーしたっつってんだよ!!!」

 山村さんの怒号がモノパンダを威嚇する。

 しかし、モノパンダは不敵に笑っていた。

 

 

「……悲しいぜ。さっそく一人お別れなんてよお」

「っは、お別れすんのはテメーだろ?」

「まあいいや、オメーラもよく見とけ。人ってのはこんなにあっさり死ぬんだってことをよぉ」

 

 

 俺は何もできなかった。

 山村さんを止めることも、モノパンダに食って掛かることもできなかった。

 この時に何かしていれば、状況はもっとマシになってきたのかもしれない。

 何もできなかった自分が憎い。

 

「召喚魔法発動!! 来いよ、”グングニルの槍”ーーー!!」

「はあ?」

 

 そこからの出来事は、俺のような常人が理解するにはあまりにも短すぎる出来事だった。

 

 

 天井から何かが降り注いだ。

 山村さんめがけて、細い何かが。

 だがそこに何かが飛び込んできて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさに一瞬だった。

 

 

 すべてが終わった時、そこに立っていたのは……俺が予想だにせぬ人物だった。

 漆黒のコートをなびかせ、立ち尽くす長躯の男。

 リュウ君だった。

 何かに吹き飛ばされた山村さんの体は奥の壁に激突し、力なく床に尻餅をついた。

 

「きゃああああ!!」

 津川さんが悲鳴を上げる。

 そう、リュウ君が前に突き出している右腕には、黒い棒切れのような物が二本、突き刺さっていたのだ。

 その二本の棒切れは完全に彼の腕を貫通し、とめどなく血が床に零れ落ちていた。

 

 ぼんやりとだが俺は状況を理解した。

 天井からあの黒い槍が降り注ぐ刹那……場に介入してきたリュウ君が山村さんを突き飛ばしたのだ。

 俺の後ろにいたはずなのに、あの一瞬で、である。 

 

 

「おおっと、オシオキ失敗しちまったぜ~」

 モノパンダは相変わらずへらへらと笑っている。

 リュウ君は眉ひとつ動かさず、左手で腕に突き刺さった槍を引き抜き、床に投げ捨てた。

「あ、え……? わ、私……」

 山村さんは目に涙を浮かべ、ガタガタと体を震わせていた。

 

「お、お前……平気なのか…?」

 土門君が問う。

「すぐに命に関わる傷ではない。が、少し出血がひどいな」

 リュウ君はまるで、他人の傷口を見る医者のように客観的に言い放った。

「……モノパンダとやら。お前が本気になれば、ここにいる全員をたやすく殺せると言いたいのだな?」

「まあ、平たく言うとそういうこと! 仕方ねー、今回は初犯だしリュウ君が頑張って体張ってくれたからこれで不問にしてやるよ! でもまあ、オイラが本気だってことは十分に伝わったよな?」

 誰も言葉を返すことはできなかった。

「でも安心しろよ! オメーラが校則をまもってくれさえすりゃあオイラはなーんにも危ねえことはしねーからよ! 神サマに誓ってそれだけは本当だぜ!」

 モノパンダははっきりとそう言い放った。

 果たしてその言葉を信用していいのだろうか?

 わからない。

 恐怖と混乱が大きすぎて俺には何の判断も下せなかった。

「じゃあ、こんぐらいで入学式は終了ってことで。オメーラも、心残りなくコロシアイできるように精々交友の輪を広めるこったな! ぎひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!!」

 気味の悪い笑みを残し、モノパンダは壇の下へと潜り込んでいった。

 

「一階に保健室があったな。行ってくる」

 モノパンダが去るや否や、その言葉を残し、リュウ君は廊下へと出ていった。

「あ、待てよ! 俺が傷を診てやるって!」

 そのあとを釜利谷君が慌てて追いかけていった。

 

 

 

 

 

 そのあとに残ったのは沈黙。

 ただ沈黙。

 

 

「なに…? なんなのよこれ……?」

 やがて、亞桐さんが歯を食いしばった表情で声を漏らした。 

「殺し合い…? ふざけてるとかそういう次元じゃないっしょ」

「し、しかし……現に今山村殿が殺されかけたのは事実ですし……」

 安藤さんが不安げな顔で言った。

「ここにいても仕方がありませぬ。全員で校内の探索を行うことを提案いたしまするぞ」

 そこに、青い表情ながらも丹沢君が提案を加えた。

「…俺もそれがいいと思う。さっさと脱出できそうなところを見つけて、こんなところは出てしまった方がいい」

 俺は丹沢君の意見に同意する意を述べた。

 

 あんな異常者に監視カメラで見つめられているような空間にいるなどごめんだ。

 とっととこんなところからは脱出して、警察でもなんでも頼ろう。

 一時的とはいえ俺たちを監禁したのだし、今目の前で山村さんを殺そうとし、リュウ君に大怪我を負わせたのだ。

 あのふざけたヌイグルミの正体を逮捕するには十分だ。

 

「あ、ああ……そうだな…。じゃ、じゃあ……俺は一階を探してみる」 

 未だに青い顔の前木君がそう言ってふらふらとホールを後にした。

「んじゃあ俺は鉄板が外せねえか試してみるわ。工具があれば楽なんだけどなぁ……」

 土門君は窓に張られた鉄板の調査に当たるという。

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 そんなこんなで、全員が手分けして調査を行うこととなった。

 俺はまず最初にホール横の用具室を当たった。

 バスケやバレーに使うであろうボール、ネットなど様々な用具が所狭しと置かれている空間であり、暗さも相まって部屋内を移動するのも一苦労だった。

 人が入れるダクトでもないかとしばらく調査していたが何も有用なものは得られず、見つかったのはおかしなコインが数枚だけだった。

 コインに描かれているのはモノパンダだろうか…? なんだか少し違う気もするが。

 

 とぼとぼとホールに戻ると、俺はそこに二人の人物がいることに気付いた。

 山村さんと小清水さんだった。

 山村さんはさっきと同じように壁にもたれかかってうずくまっており、小清水さんは彼女の肩に手を置いて慰めているようだった。

 

「えっと、どうかした?」

 俺が問うと、小清水さんは困った顔でこっちを見た。

「巴ちゃんね、さっき自分のせいでリュウ君に大怪我させちゃったって落ち込んでるのよ」

 山村さんの顔を覗き込んでみると、さっきの赤いオーラを纏った闘士と同じ人物とは思えないほど涙ぐんでゆがんだ顔になっていた。

「ひっ…ぐ……私が……私が…あんなこと…したせいで……」

「し、仕方ないって。リュウ君だって別に君には怒ってなかったじゃないか」

 俺は彼女を慰めようと言葉を模索したが、彼女の表情に変化はなかった。

「私……時々…ああなっちゃうんです…。感情が高ぶると……周りが…見えなくなっちゃって……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 周りが見えないどころの変化ではなかったと思うが……。

 あの時の彼女は完全に人格が違っていた。

「私に謝ってもしょうがないのよ。きちんとリュウ君のところまで行って、彼に謝りなさい。そして、ありがとうって言うの。彼がいなきゃ、あなた死んでたんだから」

 小清水さんは山村さんの目をまっすぐ見て、強い口調で言った。

「……偉そうにこんなこと言うけど、私もね、ほんとはすごく怖かったのよ。生まれて初めて目の前で人が死ぬところを見るかもしれなかったんだから。あなたもそうでしょ……葛西君?」

「……うん。これ以上ないくらい怖かった」

 それは決して小清水さんに合わせて言ったのではなく、俺の本心だった。

 

 怖かった。

 俺は自然に想像してしまっていた。

 漆黒の槍が無数に彼女の体を刺し貫いている姿を。

 大量の血だまりに沈んでものも言わなくなった彼女の死体を。

 もし本当にそんなものを見ていたら、俺は今頃正気ではいられなかったのかもしれない。

 

「ね。だからもう無茶はしないで。モノパンダに怒りを覚えるのは当然だけど。いきなり出てきてあんなこと言われて、怒るのは当然だけど……。我慢して。私もあなたも、もう怖い思いしたくないでしょ?」

「はい……。約束します……」

 涙に震える声で微かに頷きながら山村さんは言った。

「…良かった。あなたが死ななくて、本当に良かった」

 そう囁いて山村さんの頭を撫でる小清水さんの声も少し震えている気がした。

 

 ふらつく足取りでホールを後にした山村さんを見送ると、小清水さんは「うーん」と背伸びをした。

「……これって、夢じゃないんだよね」

 不意にそう言われたので俺は自分の頬をつねってみたが、感じる痛みはいつも通りだった。

「現実…みたいだね」

「あーあ。プラナリアちゃん達にもっとたくさん餌あげてくればよかった」

 小清水さんはそっけなくそう言った。

 俺を元気づけようとしてこんな冗談を言っているのだろうか?

 少し申し訳ない気持ちになった。

「えっと…まずはこの階の探索を」

「葛西君はさ」

 小清水さんは俺の言葉を遮って強い口調で言葉を重ねてきた。

「もし本当に一生ここにいなきゃいけないとしたらさ、どうやって過ごす?」

「え……?」

 一生、こんなところに……?

 そんな生活、考えられない。

 確かにここは快適だし、一か月くらいならいてもいい。

 でも……。

「やっぱり、好きな脚本を構想しながら過ごすの?」

「いや。俺は絶対ここから出るよ」と俺は強く言い放った。

「そりゃあ、暇があれば脚本を考えるかもしれないけどさ。一生ここにいたらそれをお客様にお見せすることもできないじゃないか。脚本っていうのは、それをご覧になるお客様に何を訴えられるかが一番大事なんだ。人に見せない作品なんてものは作者の自己満足で終わってしまう。主題がない作品ならそれでもいいと思うけど、俺はきちんとした主題を多くの方々にぶつけて、いろんなことを感じてもらいたい」

「へえ。すごいね…。さすが超高校級の脚本家」

 小清水さんは感動の面持ちで俺を目を見つめてきた。

 彼女のような美人に正面から見つめられると、意図せずとも目をそらしてしまう。

 

「…でもね、私は違う。私は私の知りたいことを研究できればそれでいいの。たとえ一生同じ場所から出られなくても」

 え? 本気なのか?

 こんなところに一生いてもいいっていうのか?

「あなたの言葉を借りるとね。学者っていうのは自己満足の職業なの。自分のやりたいことができればそれでいい。だからこそ面白くて、だからこそ時々とても虚しくなるのよ」

「……虚しく?」

「私は誰にも必要とされていないんじゃないかってね。でも、慣れてくるとそれも平気になってくる。他人なんかどうでもいいって。学者ってそんなものよ。あ、でも釜利谷君やゆきみちゃんは違うみたいだけどね。あの人達には”人を助けたい”っていう立派な目的があるもの」

 そう語る小清水さんの顔は少し寂しいような、悲しいような雰囲気を宿していた。

「……ごめんなさい。今は探索しなきゃいけない時なのに。私の話なんかに付き合ってもらって」

「いや……。小清水さんのことがよく分かって嬉しいよ」

 と言ってしまったところで俺は自分の失言を悔いた。

 これではまるで下心があるようだ。

「そんなこと言ったところで、私は落とせないぞっ!」

 小清水さんはくすっと笑って俺の頭を小突いてきた。

 まずい。本気で惚れてしまいそうだ…。

 

 そんなこんなで俺たちは二人でホール階をくまなく探索したが、残念ながら脱出に使えそうなものはなかった。

 ちょうど昼になったので一階の食堂に訪れると、探索を終えた一同が席に座っていた。

「おお、ちょうど今安藤殿と津川殿と山村殿がみんなの昼食を作っているところでございまするぞ! 報告がてら昼食会といたしましょう!」

 丹沢君の呼びかけに応じ、俺と小清水さんは席に着く。

 しかし、山村さんはともかくとして安藤さんと津川さんに料理が作れるのだろうか?

 

 その場にはほぼ全員が集まっていた。

 療養中と思われるリュウ君と、予想はしていたが御堂さんがいなかった。

 

 食事を待つ風景を見るだけでも、それぞれの性格がわかって面白い。

 夢郷君は分厚い本をじっと読んでいる。恐らく哲学書だろう。

 入間君も分厚い本を読んでいるが、タイトルからして訳のわからない文字が使われている。どこの国の本だろう?

「はっはっは、これは面白いジョークだ!」

 そして時々このように声を出して本にリアクションをとるのである。正直言って薄気味悪い。

 前木君と土門君はずっと話し込んでおり、時たま大声で笑っている。

 それにたまに丹沢君が口をはさむが、基本的に彼は姿勢正しく座っているだけである。

 釜利谷君は騒がしい食堂の様子も気にせず、テーブルに突っ伏して寝ている。図太い神経だ。

 伊丹さんは肘をついて考え事。新薬のイメージでも浮かべているのだろうか?

 そして、俺のすぐ横では小清水さんと亞桐さんが話し込んでいる。

「へえー、彌生ちゃんはブレイクダンス練習したことあるんだ」

「小学校の頃ね。できなくてすぐやめちゃったけど……」

「時間あるときに教えてあげるから、来なよ。慣れると簡単だし、楽しいよ」

「いいの? じゃあ、お願いしようかしら」

 

 などと二人の会話に耳を澄ませていると。

「皆の衆ー! 飯ができたぞい!」

 厨房から料理が並んだ台車を運ぶ安藤さんが現れた。

 ポトフ。俺の大好物だ。

「鍋は真ん中に置いておくから、好きな分皿にとっていくなり!」

 ご丁寧にコックのコスプレを決めた津川さんが元気いっぱいに言った。

 土門君が台車から鍋をテーブルの真ん中に置くと、コンソメベースの素晴らしい香りが俺の鼻を刺激する。

 

 数分後。

「それでは食材に感謝して、いただきます!」 

 丹沢君の言葉とともに食事会が始まった。

 

「それでは皆様方、非常口はいずこにございましたかな?」

 気になってしょうがなかったのか、早速入間君がコーヒーカップを片手に尋ねた。

だが、誰もそれに答える者はいなかった。

「…おやおや、ここは学校なのですよね? 非常口がない学校など、火災にでも遭ったらどうするのです? 避難訓練にも事欠きますよ?」

「ぎひゃひゃひゃひゃーーー!!!」

「わあぁっ!!」

 突然、あの不快な笑い声が再び響いた。

 なんと、テーブルの下からモノパンダが飛び出してきたではないか。

「なな、なんだお前!? なんでこんなところに!!」

 前木はそう言いながら慌てて食堂の出口の方へと後ずさる。

「ビビんなよ~。オメーラが校則を破らない限りオイラはなんもしねーから。早く飯食わないとスープ冷めちまうぞ?」

 テーブルの上に乗っかり、鍋に寄りかかってモノパンダは不敵に言った。

「…何の用だい? 食事の邪魔をするとは感心しないね」

 夢郷君が不機嫌そうに問いかける。

「いやあ、食いながら聞いてて構わないぜ? 入間君が面白いこと聞くもんだからさ。『非常口はないのかって』な。心配すんなって! この分校内で火災が起きようが地震が起きようが洪水がなだれ込んでこようがオイラが責任をもって迅速に対応するからさ! オメーラは何が起こってもここから逃げる必要はねーの!」

「俺たちに殺し合いをさせたいんじゃねえのか? 変なところで随分と優しくなるんだな」

 土門君が苛立たしげに言うと、モノパンダはチッチッチと舌を鳴らした。…鳴らせる舌があるとは思えないが。

「コロシアイをさせたいからこそ、だよ。変な原因で死んでもらっちゃあ困るんだよ。オメーラがここにいる限り、オメーラの死因は「オシオキ」か「コロシアイ」か「寿命」だけなの!」

 「オシオキ」とは、モノパンダに逆らった際の制裁のことを言っているんだろう。

 ちょうど、さっきの山村さんのように。

 思い出すだけで背筋が震える。

 

「んじゃ、必要なことは伝えたんでオイラは帰りまーす。グッドラック!」

 それだけ言うとモノパンダは素早い動きでテーブルの下に潜り込んでいった。

 俺はすぐにテーブルクロスをめくって中を覗き込んだが、もうそこにはみんなの足が並んでいるだけだった。

 

「ったく、飯がまずくなったぜ」

 前木君はそう愚痴をこぼしながら席に戻り、食事を再開した。

「……一つ、収穫はありましたね。この施設に…少なくとも今現在は脱出口はないということが分かりました」

 丹沢君が重い口調で述べた。

「み、みんな! そう落ち込んじゃダメなりよ! ずーっとここに閉じ込められていれば、家族が怪しんで連絡してくれるなり! そうなればすぐに警察がやってきて事件解決なり! なんならリャン様が婦警さんの格好をしてあげてもいいなりよ!」

 津川さんが明るい声でみんなを元気づける。

「それは眼福眼福! 是非とも吾輩に見せてたもれ!」

 すかさず安藤さんがそれに乗っかり、「よかろうなりー!!」と津川さんは笑顔で答える。

「うぬぬ……。拙者ともあろうものが失念しておりました。この状況は決して絶望などではない。多少の困難などに屈してよい時ではありませぬ!!」

 丹沢君も便乗して声を張る。

「…あはは、そうだよね。ウチとしたことが、暗くなっちゃってバカみたい」

 てへ、と舌を突き出して亞桐さんも笑った。

「皆様方! わたくしたちが何と呼ばれて希望ヶ峰学園に呼ばれたか、ご存じでしょう? 我々は希望です! 常に笑顔を絶やしてはなりません! さあ口角をぐぐーっと上げて! さあ!」

「おいおい、やめてくれ」

 入間君に頬を触られて彼の手を払いのける夢郷君の表情も、心なしか笑っているように思える。

「おお!! よく分かんねーけど、なんかみんな元気そうでなによりだ!! 俺も燃えてきたぜえええぇぇ!!」

 土門君が立ち上がり、力いっぱいそう叫ぶ。

「…分かりやすい人たちね。まあどうでもいいけど」

 伊丹さんは冷静にパンを口に運んでいる。

 

 

 

「個性が強すぎてバラバラな気はするけど、彼らとなら何とかなりそうね」

 小清水さんが俺の方を見てクスリと笑った。

「うん。俺もそんな気がする」

 俺も彼女に笑みを返した。

 

 

 

 少なからず不安はあるがーー否、不安があるからこその屈託のない笑みだった。

 そこには、笑うことで不安を紛らわそうという単純な気持ちが込められていた。

 

 

 


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