エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

15 / 65
chapter2 非日常編① 

 ◆◆◆

 

 

 

 死体が、あった。

 

 

 

 椅子の背もたれから後ろ向きに垂れ落ちた顔が、目と口を開いたままこちらを見つめていた。

 

 

 その顔、服装、髪形、全てが”超高校級の脳科学者”釜利谷三瓶君そのものだった。

 

 

 だが、それは釜利谷君ではない。

 

 釜利谷君の形をした血と肉と骨の塊。

 

 物言わぬ死体。

 

 ただの物体にすぎない。

 

 

 

 

『死体が発見されました! 一定の捜査時間の後、学級裁判を行います!』

 

 モノクマの声のアナウンスだ。

  

 いや、そんなことはこの時の俺には至極どうでもいいことだった。

 

 

 前木君の慟哭がうっすらと知覚される中、俺はただその遺体をぼんやりと眺めていた。

 

 

 思い出す。

 蘇る。

 

 トラッシュルームで、”あれ”を見た時の感覚。

 

 

 死んだあとの人の抜け殻を、ただ何もできず見つめる感覚。

 

 

『ダチの悪口は許さねぇ!』

 

 

 つい一昨日にかけられた言葉が脳内を反響する。

 

 

 俺は。

 俺は”ダチ”だったのに。

 助けてあげられなかった。

 守ってあげられなかった。

 気付くことすらできなかった。

 

 

『”ごっこ”じゃねぇ! 俺はガチだ!』

 

 彼が生前に見せた優しさが蘇ってくる。

 

 

 もう、耐えられなかった。

 

 

 俺は床に膝をつき、涙をとめどなくこぼしていた。

 声は出さなかったけれど。

 

 …いや、出したくても出せなかったのだ。

 悔しさと悲しさの相乗効果は、俺に声を出す自由すら与えてくれなかった。

 ただうめき声のような音が喉の底から出てくるばかりであった。

 それでも涙は止まらず。

 止められるはずもなかった。

 

 

 

 

「釜利谷三瓶……こいつが被害者か」

 直後、背後から声が聞こえた。 

 この声は……御堂さんだ。

 でも、そんなことももうどうだっていいんだ。

 俺はただ、この爆発しそうなほどのやるせない感情をどこに持っていけばいいのか、その答えが知りたかった。

 

 

 

「ちくしょう…!!! ちくしょう!!! ちくしょう!!! なんで…なんでなんでなんでなんで!!! なんで三ちゃんなんだよ!!! 俺じゃダメなのかよ!!! 俺じゃ!!!」

 前木君の泣き叫ぶ声がガンガンと頭に響く。

「男のくせにいつまでも喚くな、騒々しい。我々が何をすべきか、もう分かりきっているだろう?」

 そう言って御堂さんは釜利谷君の遺体に近づいた。

「ちっ……抜けているように見えて油断はない男だと思っていたのだがな……」

 そして遺体に顔を近づけて凝視する。

 

 前回と同様、彼女は異様なまでに冷静だった。

 彼女の人間性を認め、評価した釜利谷君に対してでさえ。

 彼女は平然としていた。

 

 彼女はそういう人間だ。

 それが彼女という人間なのだ。

 前回はそれで納得していたはずの俺の心は、しかし今回はそうはいかなかった。

 

 河口を噴き出る溶岩のごとく、心の底から湧き上がってくる何かを感じた。

 一言でいえば憤り。

 だが、厳密にはそれとも違うよく分からない感情がこみ上げていた。

 それはきっと、やるせない感情の矛先が彼女に向けられたことの表れなのだろう。

 

「なんで……」

 自然と声が出ていた。

 顔を上げ、涙を拭って御堂さんを見つめた。

「なんで、大人しく捜査なんかできるんだよ…」

「逆に問おうか。なぜ二度目なのにそうやって馬鹿みたいに泣きむせぶのだ?」

 御堂さんは遺体の瞳を見つめて瞳孔が開いているのを確認しながらそう言い放った。

「我々は殺人が起きないように最善を尽くした。だが起きてしまった。ならば捜査するしかあるまい。何を不思議に思うことがある?」

 

 的外れだ。

 俺が言ってるのはそんなことじゃない。

 なぜ分からない?

 分かっていないのはお前の方だ。

 

 死んだんだぞ。

 俺の、俺のダチが死んだんだぞ!!!

 もっと悔しがれよ!!! 悲しがれよ!!!

 

 今まさに御堂さんに殴りかかろうとすらしそうだった俺の襟首を掴んだのは、前木君だった。

「やめろ…! もういい、もう無駄だ」

 赤く腫れた目で俺をしっかりと睨みつけていた。

「うるさいっ!! 黙れっ!! なんで!!」

 前木君の方を振り返りながら俺は咆哮する。

 その瞬間、前木君は俺の襟をつかんだ腕をぐっとたぐり寄せ――――

 

 

 一瞬、何が起きたか分からなかった。

 急に朦朧とし始めた意識の中で額に激痛を感じたのは、数秒後のことだった。

 その時になって、俺は彼に真正面から頭突きを浴びせられたのだと認識した。

 全力だったのだろう、俺の意識は宙に飛びかけ、前木君の額からも僅かに血が流れだしていた。

 

「いいか!! よく聞け!!  三ちゃんは死んでるんだ!! 三ちゃんの脳ミソはもう止まってるんだよ!!

 俺らが何したって、もう何も感じないんだよ!!!」

 分かってるよ、そんなこと。

 言いたかったけど、言葉が出てこなかった。

「…俺らが何かを感じるのは、何かを思うのは、脳ミソがそうさせてるからなんだよ……。脳ミソが止まったら何もなくなるんだ…! 記憶も消えて、無になっちまうんだ! それが死ぬってことなんだよ!!!」

 流れ出る血も涙も気に留めず、前木君は叫ぶ。

 御堂さんはそんな俺達の様子を時々横目で見ながら、死体の調査に取り組んでいる。

「だから……もう何したって無駄なんだよ!! お前が御堂に何したって!! もう三ちゃんには伝わらねえんだよアホ!! 三ちゃん自身が…そう言ってたんだよ!!」

 

 知るか。

 納得できるかよ。

 そんな言葉だけで、納得できるかよ。

 

「お前らがどう騒ごうが、起きてしまったことは元には戻らないのだ。今我々がすべきは捜査、それだけだろう?」

 遺体の方を向いたまま御堂さんが告げる。

 

「…すまねえ……つい…ムキになっちまった……傷はねえか」

 急に萎びたような声で前木君は俺の額を覗き込んできた。

 その様子はまるで、釜利谷君の死によって引き起こされた一時的な興奮や動揺から解放され、現実を認識し始めているようだった。

「勝手なこと言って…すまなかったな……。ちょっと、落ち着かせてくれ……」

 そう言って、前木君はふらふらと釜利谷君の方へ歩み寄った。

「軽率に遺体に触れるなよ。調査したいのならどこを調べるのか私に教えてからにしろ」

 衣服のポケットを調べながら御堂さんが言ったが、前木君は遺体に触れることなく、近くにしゃがみこんだ。

 何も言わず、ただ濁った瞳で釜利谷君を見つめる彼の姿を、俺は茫然と眺めていた。

 

 

 彼の背中がより一層寂しく見えるのは、彼が既に一度親友を失ったのを見ていたからだろう。

 土門君という親友を失った彼は裁判の日、今の俺なんかとは比べ物にならないくらい苦しんだはずだ。

 それでもそれを乗り越えて、頑張って生きていたのに。

 もう一人の大切な親友を失ってしまった。

 

 

「妙だな」

 ふと御堂さんが立ち上がって言った。

「動機を発表した。殺し合いも起きた。死体発見アナウンスも鳴った。もうそろそろ”奴”が出てきてもおかしくはないはずだが」

 そう言ってあたりを見回す。

 彼女の言う”奴”……間違いなく、あの忌まわしいヌイグルミのことだろう。

 今この状況であいつらの姿なんて想像もしたくないが、殺し合いが起こってしまった以上意気揚々とあいつらが出てくるのは必定。

 

 

 だが、今回は出てくる様子がない。

 

 

 

「おーーい!!」

 場の静寂を突き破って廊下から大声が響いてきた。

 声からして夢郷君なのだろうが、寡黙な彼が大声を出しているということ自体、状況の異常さを物語っている。

「どこにいるんだ、みんな!!」

「私ならここにいるぞ」

 御堂さんが廊下に出て呼びかけた。

「絶望とやらに目を向ける覚悟があるのなら、教室の中に入ってみるがいい」

 御堂さんのその言葉も意に介さぬかのように、彼はすぐに教室に入ってきた。

 そして、教室の中の光景を見て、硬直し……

「……っ!! そんな…バカなっ……!!!」

 

「貴様も先ほどアナウンスを聞いたのなら分かるだろう? こいつは、釜利谷三瓶は、殺された」

 重く、静かな、しかし現実味のある声で御堂さんは告げた。

 夢郷君は目を見開いて遺体を見つめ、がくがくと顎を震わせた。

「な、なんてことだ……こ、こんなことが……」

「全く、どいつもこいつもこんなでは困るな。捜査には我々の命がかかっている。前回、土門隆信がどうなったかはっきり見ただろう? ああなることを受け入れられるのか? 嫌だったらさっさと現実を認めろ」

 しばし茫然とした後、夢郷君は暗い表情で足元を見つめながら呟いた。

「違う……そうじゃないんだ…」

「…なんだと?」

 御堂さんが怪訝そうな顔をする。

「この校舎内で、僕らの理解を超えることが起きてしまったようだ……なんということだ……」

「おい、夢郷郷夢。事実をぼかすな。貴様の言うことは何を意味する? 理解を超えることとはなんだ?」

「……大ホール。そこに行けば、全て分かる」

「……ちっ」

 舌打ちだけを残して、御堂さんは廊下へと出ていった。

 

 

 自然と、俺はその後を追っていた。

 前木君の必死の訴えのおかげで幾分か冷静になれたためだろうか。

 しかしながら、胸の内では夢郷君が放った言葉への探求心と不安とが混ざり合って複雑な感情を織りなしていた。

 それでも、目は背けられない。

 

 

 俺が続けてエレベーターに入ってきても、御堂さんは何も言わなかった。

 ただ押し黙って何かを考え込んでいるかのような様子だった。

 

 

 やがて、エレベーターはホール階に辿り着く。 

 

 

 薄暗く、短い廊下に足を踏みつけて俺はしっかりと歩を進めた。

 

 

 心はもう、半ば自暴自棄といってもよいものだった。

 俺達の前途、既に絶望は確約されている。

 鬼が出るか蛇が出るか、そのくらいの心持ちで臨まねば耐えきれない。

 俺はもう、大切な友人を三人失った。

 もう、どうにでもなれだ。

 

 

 

 だが、そんな気持ちですら押しつぶされそうになるほどの光景がそこには広がっていた。

 

 

 

 大ホールは、いつもとは打って変わって薄暗く照らされていた。

 それは恐らく、大ホールの巨大で絢爛な照明のほとんどが割られてしまっているためだろう。

 木造りの床は無事な個所を見つけるのが困難なほど傷がつき、あちこちに砕けた硬球や金属片、折れ曲がった刀や槍が転がったり突き刺さったりしている。

 向かって右の方には巨大なショベルカーが横向きに倒れこんでいるではないか。

 

 何より異常なのは、そこら中に落ちている機械片を内包した綿の塊。

 辛うじて無事な部分の外形を見るに、それはモノクマやモノパンダたちの残骸である。

 

 この異様すぎる光景に対する効果的な説明について、俺は何もそれらしいものを思い浮かべるには至らなかった。

 横に立つ御堂さんですら戦慄したかのように押し黙っている。

 

 

 

 

 そう……すべての疑問の終着点は。

 

 大ホールの中央にあった。

 

 

 

 俺たちから見て真正面。

 

 

 『補習』と書かれた巨大な鉄塊が床にめり込むように落ちている。

 

 その鉄塊にもたれかかるように倒れていたのは。

 

 

 

 

 

 

 いや。

 

 あってはならない。

 

 こんなこと、ありえるはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 なぜだ。

 

 

 

 なぜなんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達の正面には。

 

 

 

 

 

 

 

 胸に槍が突き刺さったリュウ君が、物言わぬ死体となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 ―――”力など、絶望の前には無に等しい”

 

 

 

 ―――”残念ながら、お前はただの敗北者だ”

 

 

 

 

 

 ――――――”龍雅・フォン・グラディウス”

 

 

 

 ――――――”さようなら”

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。