エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を 作:江藤えそら
そして最後には私の大好きなシリアスな笑いも差し込んでいます。悪趣味全開。
◆◆◆
アナウンスとともに知らされた衝撃の事実。
コロシアイを起こさせるための第二の動機。
「そんなものを見せられると言われてわざわざ行く馬鹿がどこにいる」
御堂さんはモニターを威嚇するように睨みながら吐き捨てるように言った。
「けっ、無駄だよ」
そんな彼女の言葉に突っかかったのは釜利谷君だ。
「このヌイグルミ共のことだ、逆らえば容赦なく処刑するとか言うに違いねえ」
『クマ聞きの悪いこと言わないの!』
モニター内にモノパンダを押しのける形で現れたのは、モノクマだった。
『ボクはねぇ、むやみやたらにオシオキとか罰則とかの権力を乱用するようなクマじゃないの! 校則にさえ違反しなければ別に何も』
その時、俺のポケットから奇怪な音が鳴った。
それに気づいて電子生徒手帳を取り出してみると、見たことのない表示がなされている。
『 校則追加:校長から提供された動機は一回は必ず見るようにしましょう 』
『おやおや! 残念だけど校則になっちゃったみたいだね! これじゃあ君たちには見てもらう以外の選択肢はないよね!』
そう言って二体のヌイグルミは意地悪く笑う。
「ちくしょう……結局全部思い通りってことかよ…!」
前木君が悔しそうに呟く。
俺達に逆らう手立てはない。
奴の命令に従うしかないんだ。
視聴覚室につくと、部屋の奥でモノパンダが不敵に笑っていた。
その横には、DVDが入った段ボール。
そう、四日前と全く同じだ。
あのDVDにこそ、俺たちを殺人に追い立てる恐るべき動機が隠されている。
「ぎひゃひゃひゃひゃ!! 全員集まったかー!? そんならここから自分の分のDVDを持ってって見てくれよなー! 自分の分を見ないと校則違反だから、気をつけろよー!」
みんなが委縮して静まり返る中、御堂さんはいち早く進み出て自分のDVDを引っ掴んだ。
「ふん。避けられないのならさっさと済ませるまでだ」
そう言って視聴覚室を後にしてしまった。
それに続くようにリュウ君も無言で自らのDVDを取り出し、端の方の席に腰かけた。
「どうしても、見なきゃダメなのですか……」
小さく丹沢君が声を漏らした。
「……大丈夫ですよ…。私たちは前回の事件で学んだはずです。もう、絶対にあんなことには……」
山村さんが呟き、段ボールの前に恐る恐る進み出る。
そして自分のDVDを拾い上げ、まじまじと見つめるのだった。
「どうだかな。そんぐらいこいつも承知してるだろうよ」
釜利谷君がモノパンダの目の前に立って睨みつけると、モノパンダは不気味な笑みで返した。
「まあ、御堂が言う通り避けられねえ以上は見るしかねえ。お前ら、覚悟はしとけよ」
釜利谷君は自分のDVDを持って部屋を後にした。
「えっとさ……見終わった後、みんなで集まるのはどう?」
亞桐さんが提案する。
「秋音ちゃんとかは来てくれないかもだけど……みんなで慰め合ったり励まし合ったりした方が、前回みたいな事態にならなくて済むかなって思うんだよね…」
「…いいと思う。できるだけみんなの負担を減らすにはそれが一番だと思う」
伊丹さんが同意する。
「……よし。じゃあみんな、動機のDVDを見終わったら休憩室に集まろう。どうしても来れそうにないって奴は無理して来なくてもいいからな」
前木君の言葉に全員が同意する。
そうして俺達は部屋に戻るなり視聴覚室の席に座るなどしてDVDを視聴する準備を整えた。
俺は深呼吸する。
四日前、お客様と家族の行方に疑問を投げかけたあの忌まわしい映像を思い出す。
俺の作品を、才能を蹂躙したあの映像を。
呑気にこんなところにいていいはずがない。
プールで騒いだり、漫画を読んで感動している暇なんてなかったじゃないか。
一刻も早く家族の安否を確かめないといけないのに。
俺はこんなことろで何をやっているんだ。
疑問は晴れぬまま、眼前のディスプレイは新たなる映像を映し始めていた。
◆◆◆
暗い画面に映りこんだ一人の人影は、なんと俺自身だった。
『超高校級の脚本家、葛西幸彦君!』
モノクマの耳障りな声が聞こえる。
『彼は父親の影響で幼い頃から脚本関連の仕事に携わっていました! 彼の才能が最初に開花したのは幼稚園児の頃。その脚本の出来栄えには父親をはじめ多くの人が魅了されました! その後も…』
なんだ、これは。
モノクマは俺の経緯を語っているだけだ。
こんなことは言わずもがな俺自身が分かりきっていることだ。
『…このように、葛西君は自身の半生において数多くの脚本を生み出し、人々に感動を与えてきました。そんな葛西君の夢は………』
『”作品を以て人々に希望を与えること”でーす!』
……!!
モノクマの言葉は、俺がここに来て今に至るまですっかり失念していたことを思い出させた。
『脚本とは、その物語の中にうっすらと込められた主題を視聴者にぶつけるもの。葛西君はその主題として”希望”を選んだんだね!』
希望。
俺が希望ヶ峰学園に入学すると知らされ、慌ただしく準備にいそしんでいた間。
俺は希望ヶ峰でどんな脚本を作ろうか考えていた。
その結果選びだした主題。
それこそが”希望”だ。
人類の希望として選ばれた俺達。
そんな俺達―――希望が希望を描き、世界に希望をもたらしたい。
そんな望みを胸に、俺は希望ヶ峰に来たのだ。
だが、実際はどうだ?
わけもわからぬままに閉じ込められ、わけのわからないヌイグルミに殺し合いをしろと言われ。
事実二人死んだ。
これのどこが希望だ?
むしろ絶望だ。
『でも、このまま君がこの学園にい続けたら一生脚本を誰かに見せることはできません!! 君の夢は一生叶わないんです!!』
ふつふつと湧き上がる感情を俺は必死に抑えた。
お前のせいだろうが。
お前が俺の夢を阻止しているんじゃないか。
そんな言葉に惑わされて卒業したいなんて思うかよ。
『でもね、我が希望ヶ峰学園は苦難を乗り越えた生徒の夢は全力で応援します!!』
突然、モノクマはこちらの意図せぬ言葉を繰り出してきた。
『つまりー、君がこの学園から抜け出せたら……君が今まで書いてきた脚本のコピーを全て返却し、さらに君が脚本を書くために必要な環境を全て』
「いい加減にしろよっ!!!」
俺は立ち上がりながら怒鳴っていた。
頭が熱くなっているのがよく分かる。
勢いでディスプレイを殴りそうになるのをこらえながら、奥の教卓に座るモノパンダを睨む。
「どこまで俺の才能を侮辱すれば気が済むんだ……ふざけるな!!」
感情の堰はもうすでに切れていた。
だが一つ、モノパンダに対して優位に立っていることはある。
少なくとも俺はもう絶対にコロシアイなんか起こさないということだ。
何が動機だ。
こんな言葉に惑わされて殺人を犯すとでも思っているのか。
「ぎひゃひゃひゃひゃ!! あんまりお気に召さなかったのかなー? 自信作だったんだけどなー」
ダメだ。
これ以上こいつの声なんて聞いていられない。
俺は休憩室めがけて真っすぐに駆け出していた。
休憩室に着くと、亞桐さんと夢郷君と小清水さんが既に座っていた。
三人とも重苦しく暗い表情をしている。
俺は深呼吸して気分を落ち着かせながら夢郷君の隣に座った。
「DVDの内容……聞いてもいい?」
亞桐さんが小声で尋ねてきた。
「俺の将来の夢についてだった」
俺はそっけなく答えた。
「やっぱりそうなんだ…」
亞桐さんの反応から察するに、ここにいる三人も自身の”夢”に関する映像を見せつけられたようだ。
「ウチ、なんでこんなとこにいるんだろ……」
亞桐さんが涙声で呟く。
「今まで以上にダンスを楽しみたくて、新しい仲間も作りたくて、そのためにこの学園に来たのに。なんでこんなことさせられてるんだろ…」
彼女がすすり泣く声が響く。
「こんなの、僕だって不本意さ。本音を言えば一秒たりともこんなところにいたくはない。僕にはまだまだ得るべき知見が山ほど残っているのだからね」
夢郷君も暗い声で呟く。
小清水さんはうつむいたままずっと何かを考え込んでいるようだった。
その後、しばらくしてリュウ君と御堂さん以外の全員が休憩室に揃った。
「…で、結局DVDの内容は全員の”将来の夢”に関することであったということでござりますか」
丹沢君の言葉に反論する者はいなかった。
みんな揃って意気消沈している。
なんでみんなそんなに落ち込んでいるんだろう?
怒りを覚えたのは俺だけだったのだろうか?
「…確かに”将来の夢”を再確認させられたのは辛かったけどよ…。でも、夢なんて改めて言われるまでもなく元々全員が心の中に持っていたワケで……。つまり何が言いたいかって言うと…そんなことのために殺人を犯す奴なんていないんじゃね?っていう……」
前木君が恐る恐る口にした言葉を聞いて、全員が顔を見合わせる。
確かにみんなは俺より心に傷を負ってしまったようだが、それでもヌイグルミ共の卑劣な罠にはまるなんて思えない。
「それが甘ぇってんだよ」
水を差したのは釜利谷君だ。
「それなら始めっからあんなモン動機に選ばねぇだろ。俺やまえなつにとって大したことねえ動機でも、他の奴らにとって大したことねえとは限らねぇ。この中の誰かに命に代えても叶えたい願いや野望があるかもしれねえだろ」
ぞわり、と背筋が凍り付くのを俺は感じていた。
”命に代えても”。
それはつまり、他の誰を犠牲にしてでもということ。
「つ、つまり……釜利谷殿はまたここでコロシアイが起きると……」
「そうしねえためにここに集まってんだろうが。いいか、心して聞け」
釜利谷君は一瞬間を置いた。
「この中に、脱出してでも夢を叶えたくてウズウズしてるやつがいたら名乗り出ろ」
静寂。
誰も答えない。
「…ま、この場じゃ言えねえよな」
釜利谷君はため息とともにソファーにもたれかかる。
「だが、心が揺れている奴がもしいるなら、誰でもいいから誰かに相談しろ。間違っても殺しなんてアホなこと考えつくんじゃねえぞ」
重い声で念を押す。
「あの」
小さく挙手しながら声を上げたのは山村さんだ。
「私、今晩寝ないで校舎内の見回りをしたいのですが」
「…殺人を防ぐため?」
伊丹さんが問うと、山村さんは強く頷いた。
「はい。皆さんが自分の部屋に篭っていれば私は干渉できませんから、私が殺人をするという可能性は排除できます。私が気を緩めなければ誰かに不意打ちで襲われることもありません。一晩くらい寝なくても私は平気です!」
なるほど、と夢郷君が呟く。
確かにそれなら今宵殺人が起こる可能性はない。
「待ってください」
しかし、その意見に待ったをかけたのは入間君だ。
「いるじゃありませんか。一人だけ、あなたを倒しうる方が」
いつになく気難しい表情で述べられたその言葉から連想された人物はただ一人。
この会合にも参加しておらず、それでいて常人をはるかにしのぐ戦闘力を有する人物。
リュウ君だ。
「私は信じています。彼は絶対に殺人なんてしません」
山村さんは強い目つきで反論する。
「なぜそう言いきれるのですか? あなたに彼の何が分かると?」
入間君も声を荒げて山村さんに詰め寄る。
そう、彼は昨日の”フェンリル”の一件以降、リュウ君に対して懐疑的な感情を抱き続けている。
「あなたこそ彼の何を知っているんですかっ!!」
山村さんは感情のままに大声を発する。
このままだといつ人格が豹変するか分からない。
「やめなさい」
割って入ったのは伊丹さん。
「こんなところで内輪もめをするのはモノクマの思う壺って分からないの?」
「申し訳ありません。私としたことが……」
「……すみません」
幸いにも両者ともすぐに引き下がってくれた。
「心配には及ばないわ。山村さんを殺しうるのがリュウ君だけという状況下で山村さんの死体が発見されれば、彼が疑われるのは必定。そんな状況で彼が殺人を犯すとは思えない」
感情論を抜きにしても彼が殺人には及ばないことを彼女は説明した。
「いずれにせよ、『今夜は山村さんが校舎内を見回る』ということと『今夜は誰も部屋から出ない』ということの二点をリュウ君と御堂さんの両者にはっきりと伝えておく必要があるわ」
「…じゃあリュウには俺が伝えとくよ。御堂はお前に頼みたい」
「分かった」
前木君の頼みに伊丹さんが頷く。
結局、幕切れも定かでないままこの夜の会合は終わった。
みんな動機のせいで気が滅入っているのか、トボトボとした足取りだ。
だが、俺は絶望なんぞには負けない。
山村さんを信じて、この夜が過ぎるのを待とう。
そう思い、休憩室を出た俺は……
「……?」
食堂の中に人影を見た。
そっと覗き込んでみると……
一人椅子に腰かけるリュウ君の姿があった。
いや、それだけなら驚いたりはしない。
彼はタバコを吸っているじゃないか!
「葛西か。そんなところで何をしている?」
あっ、と俺は声を漏らしてしまった。
隠れていたつもりが、驚きのあまり身を乗り出してしまっていたようだ。
「お前には言っていなかったかな? 俺は成人しているんだぞ」
リュウ君はタバコを口から離して煙を吐き出すとそう言った。
知らなかった。
確かに大人びて見えてはいたけど、まさか成人していたなんて。
てことは、何年くらい留年しているんだろう…?
「まあ、人前では吸わないようにしているさ。副流煙は体に悪いからな。…だが今はこうして気分を落ち着かせておきたい」
その言葉とともにリュウ君は箱からもう一本の煙草と高級そうなライターを取り出した。
なんだろう、一つ一つの仕草がとても渋くて似合っている。
「お前も一本吸うか?」
「え、いや!いいよ! ってか俺未成年だし!」
いくら見ているのがあのヌイグルミだけとはいえ、タバコを吸うのは気が引ける。
煙なんか吸ったところで気持ちよさそうに見えないしなあ。
「ふ、冗談だ」
リュウ君はうっすらと笑みを浮かべながら煙草に火をつけ、咥える。
「…それはそうと、お前が来る直前に前木が言伝を伝えに来てな。大体の状況は把握した。今夜は部屋に篭ってくつろぐとしよう」
「…そっか。それは良かった」
みんなが決定に従ってくれれば、殺人なんて起こるはずがない。
だが、この言いようのない漠然とした不安は何なのだろう?
そううまく事は運ばない。
初めからそう決まっているかのような気すらしてしまうのだ。
そんな時だった。
いつの間にか俺の横に立っていたリュウ君がポン、と俺の肩に手を乗せていた。
「そう暗い顔をするな。心を病んでは奴の思う壺だぞ」
その力強くて優しい表情に、俺はどことなく安堵を感じていた。
「あの山村のことだ、しくじることはあるまい。こと精神の強さに関しては俺の上をゆくかもしれん女なのだからな」
そう言ってリュウ君はタバコとライターを懐にしまった。
「そ、そうだよね。俺がみんなを信じてあげないと…」
俺は慌てて顔を上げて笑顔を作った。
「もう間もなく夜時間だ。食堂は閉まる。もう部屋に戻った方がよかろう」
「あ、うん。そうだね。…おやすみ!」
「うむ」
食堂を出た俺達は廊下で別れた。
彼の励ましはとても心強かった。
どんな絶望も跳ねのけてくれそうな、絶対的な父性を宿した彼の声が忘れられない。
…それなのに。
『彼は殺そうと思えば全員を殺せる。そんな人なのよ』
『リュウさんはフェンリルの関係者なんでしょうかね……』
『リュウなんて…何人も人殺してきたみたいな雰囲気だしさ!!』
彼を蔑む声が蘇る。
俺の目に映る彼の背中は、とてつもなく寂しく見える。
おかしな予感がした。
彼が今後、俺達の運命に大きくかかわってくるような、そんな気が。
これから激しくなっていく”絶望”との戦いの中で、彼という存在が全てを狂わせてしまうような、そんな予感が。
一体、いつになったら彼の本性を知ることができるのだろう?
そんな折だった。
「葛西君」
呼び止められ、振り向くと。
「小清水さん?」
先ほどの会合で全く言葉を発さなかった小清水さんが俺の後ろに立っていた。
その目に涙が浮かんでいるのを見て、彼女の不穏な心中を察した。
「ごめん……お部屋、上げてもらってもいい?」
「え、部屋に……。……うん、君がいいなら別に……」
俺は一瞬不安になったが、彼女を信じてあげることにした。
「葛西君の夢、聞いてもいい?」
俺の部屋のベッドに腰かけると、彼女は重い声で早速尋ねてきた。
動機のことが気になっているのだろうか。
「…俺の夢は……”脚本で人々に希望を与えること”だよ」
「脚本で……。そっか、葛西君らしいね」
「脚本には主題があってね。俺はいろんな作品を通じて、その主題を”希望”にしようと思ってたんだ」
あくまでも淡々と、俺は自分の夢を語る。
「……その夢、叶えたいよね」
小清水さんは感情を押し殺したような声で小さく呟く。
「確かに叶えたいけど……でも、そんなことのために人を殺したいなんて俺はこれっぽっちも思ってないよ」
俺は強くそう言い切った。
人として当然のことじゃないか。
「私……怖くて」
小清水さんは震える声でそう切り出してきた。
「子供の頃から虫さんを観察するのが好きで、世界中のいろんな形質を持った昆虫を調べるのが大好きで。今も知りたいことがいっぱいあって……! それなのに……それなのになんにもできなくて! ここにいたら何もできないのよ!!」
「小清水さん、落ち着いて!」
俺は彼女の両肩に手を乗せ、声を張った。
彼女が取り乱しているのは、それだけ夢に対して情熱的だという証拠だ。
だからこそ、謝った道を踏ませるわけにはいかない。
「どうして……どうしてこんなことさせられてるのよ……どうして…」
涙を拭いながら彼女はしきりにそう呟いていた。
その言葉は、DVDを見せられていた時の俺と全く同じだった。
だから、彼女の気持ちは痛いほどわかる。
叶えるべき夢が確かにあるのに、それを叶えることはおろかそれに向かう努力すら封じられ、殺人という忌まわしい行為を強制されている事実。
辛くないはずがない。
初日、出会ったばかりの彼女は俺にこう言った。
『学者というものはやりたいことさえできれば同じ場所に閉じ込められていても問題ない』と。
だが、現実はそう甘くはない。
生活に不自由はないとはいえ、やりたい研究すらさせてくれないのがこの学園での現状だった。
思えばあの時、『この学園から絶対に脱出する』と声高に言ってのけた俺が今こうして外に出たがる彼女を慰めることになるなんて皮肉が効いている。
「家に帰りたいよ……餌をあげないと…あの子たち死んじゃうよぉ……」
家で飼っている昆虫たちを案じているのか、彼女は涙声でそう囁いた。
「落ち着こう、小清水さん…。辛いのは俺も、ここにいるみんなも同じなんだよ。君だけの苦しみじゃないんだ」
「だから何なのよっ!!」
逆上して俺の肩をつかみ、激しく揺さぶってくる。
「みんな苦しいから、だからどうしたって言うのよ!! そんなこと、何の解決にもならないのよ!!」
「それは違う!!」
彼女の言葉を打ち破るのは忍びないが、彼女のためだ。
俺は言葉という名の弾丸を以て彼女の言葉を撃ち抜く。
「みんなで背負っているからこそ、俺達は団結できる!! みんなで協力して、脱出の道を探ることができるんだよっ!! 永久に出られないわけないじゃないか!! きっと、きっとここを出る方法が他にあるはずなんだよ!!」
「綺麗言わないでよ!! そんなの今まで散々探したじゃない!!」
「でも、これから見つからないとは限らないじゃないか!! 俺達には仲間がいるんだ!! 誰よりも強いリュウ君や山村さん、類稀な頭脳を持つ御堂さん、どんな時でも前向きな前木君。みんなみんな、超高校級の才能を持つ仲間なんだよ!」
「……っ!」
初めて小清水さんが言葉を詰まらせる。
「モノクマも、モノパンダも、俺達の実力を見誤ってるんだ。俺達は希望。この学園に選ばれた希望なんだ! 分かってくれよ、小清水さん!」
「………っっ!!」
静寂。
数秒ののち、小清水さんは涙を流しながらがっくりと頭を落とした。
依然として俺の両肩はつかんだままだ。
そしてそのまま俺を抱き寄せるようにして俺の胸に顔をうずめてきた。
「ご…ごめんなさい……。怖くて怖くて、わけわかんなくなっちゃって……。ごめんなさい……」
少し戸惑いながらも、俺は彼女の髪をそっと撫でた。
暖かくて、さらさらとした美しい赤髪だ。
「いや…俺もムキになりすぎちゃった。ごめんね」
実際のところ、言っていることは小清水さんの方が正しかった。
俺が言った言葉は全部気休め。
小清水さんが言った現実的な言葉の方がよほど重要なはずだ。
でも今は、彼女の、そして他ならぬ俺自身の精神を保つため、気休めであってもああ言うしかなかったのだ。
感情のタガが外れたのか、小清水さんは大声を上げて泣いていた。
俺にできることといえば、そんな彼女になけなしの言葉をかけて慰めてやることだけだった。
彼女に対して恋のときめきやそれに近い感情を感じる余裕はなかった。
内心、俺だって救われたような気分だったんだ。
苦しみを吐露してくれる仲間がいるというだけでも、俺には十分だ。
「ぐすっ……本当にごめんなさい…。こんな遅くまでいちゃって」
「いや、全然大丈夫だよ」
実に一時間近く彼女は俺の部屋で泣き明かしていた。
時刻は間もなく夜時間になろうとしている。
夜時間が始まれば話し合い通り山村さんが見回りを始めるはずだから、部屋に戻るタイミングは今しかないだろう。
随分と長居していた小清水さんだが、俺にとっては別に不快でもなんでもなく、むしろ彼女が部屋を去るのが寂しいとすら思えた。
「明日の朝……また、会えるよね?」
不安そうに彼女が問うてくる。
「大丈夫だよ。山村さんを信じよう」
俺は強く言った。
「絶対に無事に夜を明かすって約束しましょ…?」
そう言って彼女は小指を立ててきた。
「あ、うん。いいよ」
少し恥ずかしそうに笑いながらも俺は小指を組む。
「約束ね」
そうして。
俺は部屋から一歩も出ることなく、夜を明かした。
ベッドに入ったはいいが、ほとんど寝付けなかった。
不安なんか抱いちゃいけない。
何も考えるな。
寝ろ。
そう自分に言いかけせているうち、時間だけが無駄に過ぎてゆく。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
ようやくウトウトしかけた、そんな折だった。
朦朧とする意識の中で、”あの人”の幻影がちらついていた。
『葛西きゅん! いや、ゆっきーきゅん! リャン様があげたホープ仮面は気に入ってるなりか? うしし、それは嬉しい限りなり! それじゃあリャン様がゆっきーきゅんを”ホープ仮面二号”に任命してあげるなりよ!!
これでゆっきーきゅんもリャン様の仲間なりー!
希望のために一緒に戦う、
希望 の
戦 士 に
えっ何
いやっ 熱い
熱い熱い熱い熱っひぃいぃい
ぎぇえっ げげっ あっ
熱い
あっつぅぅひぃいぃいぃいぃぃぃ 』
炎に巻かれ、体を大きくうねらせながら床に倒れる少女。
そんな少女を、俺は何もできぬままに見つめていた。
妙に冷静だった。
『 ぐっ げっ
えっ え え
あっ
っぎ ぃ 』
およそ人のものとは思えぬ面妖な悲鳴とともに少女の皮膚の表面は黒い炭と化していく。
金色の艶やかな髪も燃え去り、眼球も燃え尽きて灰と化す。
そして少女は、こちらに手を伸ばした体勢のままおぞましい遺体へと姿を変えた。
それを俺は、不気味なまでに冷静に見つめていた。
”これが、死か。”
漠然と、そう思った。
それだけだった。
なぜ、こんな夢を今見たのか。
その答えがほんの数十分後に分かるなんて、俺は予想だにしていなかった。
……ポーン……
ピンポーン……ピンポーン………
「………?」
チャイムが、鳴っていた。
アナウンスではなく、部屋のチャイムだ。
それが絶えまなく聞こえていたにもかかわらず、俺はぼんやりと天井を眺めたままだった。
理由は語るに及ぶまい、あの忌まわしい夢だ。
津川さんの死を間近で、極めて冷静に見つめていた俺。
”これが死なのか”と、傍観者のごとく客観的にそれを見下ろしていた俺。
まるで、脚本の題材を吟味するかの如く。
奇怪、という言葉のみで修飾するにはあまりにも不可思議すぎるその夢。
単純にトラウマをほじくり返された以上の意味を持つ気がしてならない。
だが、そんな考えも俺の意識が目覚め、はっきりしてくるにつれて別の感情に支配された。
その時になってようやく、俺は自室のチャイムが鳴り響いていることを思い出したのである。
俺は慌てて飛び起き、扉に駆け寄った。
勢いよく扉を開くと……
「葛西君!!!」
小清水さんが涙を浮かべて立っていた。
彼女の目元には隈ができ、心なしか疲労困憊しているようにも見える。
しかし、とりあえずは生きていた。
ああ、よかった。
昨晩の約束、守れたね。
…なんて、悠長なことを考えている暇はなかった。
「来て!! 巴ちゃんが……巴ちゃんが…っ!!」
ゾワリ、と背筋が逆立つ。
彼女は、昨晩においては俺達の命綱ともいえる存在だ。
その彼女に何が……
廊下へと駆け出した俺が真っ先に見たもの。
それは。
廊下にうつ伏せに倒れている山村さんの姿だった。
「山村さん!!」
俺は迷わず彼女に駆け寄った。
何も考えられず、ただ彼女の状態を確認することだけを考えていた。
「脈はある」
山村さんの横にしゃがみこむ夢郷君が声をかけてきた。
そんな言葉にもお構いなく、俺は彼女の首筋に触れていた。
どく、どく。
指先に、確かに彼女の鼓動を伝える感触を覚えた。
安堵ゆえなのかは分からないが、大きいため息が出ていた。
「朝、起きたら巴ちゃんが倒れてて……大急ぎでみんなを呼んだんだけど…」
小清水さんが恐怖を押し殺すように呟いた。
「まだ目覚めていない人も多い。小清水君はここで山村君を見ていてはくれないか? 僕と葛西君は校舎内で異変が起きていないか確かめたい」
夢郷君が声をかけると、小清水さんと同時に俺は強く頷いた。
「僕はこの階を調べよう。葛西君は二階を見てくれ!」
「わかった!」
答えるが早いか、俺は一目散にエレベーターへと駆けこむ。
そして素早くボタンを押し、エレベーターが動き出すのを待つ。
グン、とエレベーターが上に上り始める。
胸がバクバクと波打つのをはっきりと感じる。
何を恐れている。
何を不安げにしている。
殺し合いなど、殺し合いなど、起きるはずがない。
だが、既に一度その恐怖を味わったが故なのか、その恐るべき予想は俺の頭にこびりついて取れなかった。
誰かが、死んだ。
誰かが、殺した。
そう言った事象が、まるでそれが既に起きた現実の出来事であるかのように、俺の頭の中に何度も何度も反芻されるのである。
チーン、という音ともにエレベーターが止まる。
その扉がゆっくりと開く瞬間は、俺の人生の中で最も極限まで時が圧縮されたかのように長く感じられた。
「……は」
声が漏れていた。
廊下には、膝をついて茫然としている前木君の姿が見えた。
授業用の一般教室……”2-A”の方を向いている。
その目は生気と光を失い、虚ろに教室の中を向いていた。
「前木君!!」
俺は迷わず駆け出していた。
彼が教室の中に見たものとは、一体……
答えはすぐに出た。
「アホ」
光を失った目のまま前木君が呟く。
整然と並んでいるはずの机は隅の方に片付けられ、一つだけ真ん中にポツンと置かれた机と椅子。
そこに、”彼”は座っていた。
「アホ、アホアホアホ…アホ……」
だらりと両腕を垂らし。
首をありえないくらい後ろに曲げ、椅子にもたれかかっている。
頭部はもはや逆さにぶら下がっていると言っても過言ではない。
逆さを向いたその顔は、目と口を虚ろに開いたまま、永遠の静止状態へと移行していた。
「アホっ……アホアホっ……アホ……」
壊れたように怨嗟の言葉を呟き続ける前木君。
誰に対しての”アホ”なのか、俺に知る術はない。
ただ一つ分かっていることは。
この教室で、今俺の目の前で……
首の骨を折られて死んでいるのが……
”超高校級の脳科学者”、釜利谷三瓶君だということだ。
「…………あぽ…」
その言葉を最後に前木君は床に崩れ落ち、この世で最も悲痛な雄叫びを上げた。