エクストラダンガンロンパZ 希望の蔓に絶望の華を   作:江藤えそら

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chapter2 (非)日常編③

 ◆◆◆

 

 

 八日目。

 昨日のプール大会で疲れたのか、今日は朝の集まりが悪かった。

 かくいう俺も起きたのは6時50分前くらいで、食堂についたころには7時10分ほどになっていた。

 その時点で食堂にいたのは入間君とリュウ君と小清水さんと伊丹さん。

 厨房を覗き込むと丹沢君と夢郷君と山村さんが朝食づくりに励んでいた。

 

「葛西」

 突然、横に座るリュウ君が問いかけてきた。

 彼は両手に新聞紙を広げており、さながら朝刊を読む大人の人のようだ。

「今日が何月何日か、分かるか?」

 それは、理知的な彼が発するにはあまりにも単純な問いだった。

 ところが。

「何日って……俺達がここに来たのが………あれ?」

 俺達がこの学園に来たのが八日前。それは分かる。

 だが、その八日前が何月何日だったかが全くもって思い出せないのだ。

「偶然ではあるまい」

 俺の胸の内を察したかのように、彼は呟いた。

「俺でさえ覚えていないのだ。恐らくほかの連中も同じだろう」

 なんでだろう?

 ここに集められた人間全員が、入学の日付を覚えていないなんて。

 

「うぃ~す。おっはよー」

 あくびをしながら前木君が食堂にやってきた。

「ねえ、前木君」

「ん?」

 俺は我慢できず、隣に座った前木君に日付のことを聞いてみた。

「……あれ、えっと…? 何日だったっけ?」

 やはり彼も、キョトンとした顔でそう呟くのみだ。

「でもまあ、日付なんて分かんなくてもよくねーか? 今日が何月何日かなんて別に知らなくても困らないだろ」

 前木君の言うことは正しい。

 でも…なぜだろう。

 妙に気になってしまう。

 まるでそれが、今置かれているこの状況に直結する問いであるかのように。

 

 だが、いつまでも解けない問題のことを考えていても仕方ないのもまた事実。

 俺は黙って朝食を待つことにした。

 

 ◆◆◆

 

 

 いつも通りの朝食をいつも通りに食べ終わり、何気なく部屋に戻った俺は、ゴミ箱が満載になっていることに気付いた。

 思えば、事件の前に丹沢君にトラッシュルームの説明を受けた時以来、ゴミ出しに行っていなかった。

 だって、トラッシュルームなんて訪れたら、あの事件のことを思い出してしまいそうで……

 

 …ダメだな、こんなんじゃ。

 もう踏ん切りをつけないと。

 ゴミ出しはしなくちゃいけないことなんだから、いつまでもウジウジしているわけにはいかないんだ。

 

 ゴミ袋を引っ提げて、俺は廊下を歩く。

 あの部屋に向けて一歩踏み込むごとに、いろんな思い出がよみがえってくる。

 津川さんの屈託のない笑顔。

 土門君の悲痛な叫び。

 焼き焦がされた黒炭の塊。

 親友の死を嘆き、跪く安藤さん。

 

 様々な記憶、想い、悲しみを引きずって……

 再び俺はその部屋に入った。

 

 ……そこには。

 

「……!」

 

 そこには、自らの命を犠牲にしてみんなを助けようとした津川さんの死を惜しむ花束が無造作に置いてあった。

 置かれてから二日ほどが経過したと思われるその花束はすでにしおれかかっている。

 

 そしてその横には、釜利谷君がしゃがみこんで花束の花を新しいものに取り換えていた。

「釜利谷君……」

 彼は俺の声に答えず、花の差し替えを終えて立ち上がった。

「どけ」

 そして、入口の前に突っ立っていた俺にぶっきらぼうにそう告げてさっさとトラッシュルームを後にした。

 俺は思わず、ゴミ袋を置いて彼の後を追っていた。

 

 次に彼が訪れたのは、案の定土門君の部屋の前だった。

 津川さんの時と同じように花を差し替え、ふう、とため息をついた。

 黙って花束を見つめるその横顔は、怒りも悲しみも感じられなかった。

 何か言いようのない複雑な感情が渦巻いているのが一目で見て取れる。

 

「その花束……君が添えたものだったんだね……」

 意外だった。

 彼がそんなことをするなんて。

 もっと現実主義的な人なのだとばかり思っていた。

 

 …いや、違う。

 

『チクショオオォオオォオオ!! 俺は友達一人守れねえダメ医者だ!!』

 

 土門君のオシオキが執行される直前、彼は確かにそう言った。

 前木君を通じて土門君とも仲が良かった彼は、土門君を助けられなかった自分を悔いていた。

 それが彼の本当の姿だ。

 

「フン、柄にもねえことしちまったな」

 釜利谷君はそう言って食堂の方へ歩き始めた。

「死んだ人間に何をしたところで、本人は死んでるんだからその気持ちを受け取ってもらえるわけがねえ。こんなの、俺の自己満足だ」

 いつもの不愛想な口調で呟く。

「はあ、俺らしくもねえ。いつからこんなにクサい奴になっちまったんだ、俺は……」

「それでいいと思うよ」

 俺はそう告げた。

「……」

 彼は何も答えなかった。

 

 食堂に戻ると、釜利谷君はしおれかけの花を花瓶に戻し、椅子にどっかりと座った。

「ガキの頃は、ダチなんて作るだけメンドクセーだけだと思ってた……」

 そして、過去を振り返りながら、呟くように語り始める。

「ガキの頃から、俺は好きなことばっかりして生きてきた。中学に上がっても、高校生になっても、人と関わることに楽しさなんて見いだせなかった」

「なのに今は、土門と津川の……死んだダチのことばかり考えてやがる。昔とは大違いだ。これが、成長ってやつなのかね」

「………」

「今更俺が何をしようが、死んだ人間は死んだままだ。何したって無駄なんだ。分かってるはずなのによ……あいつらのことを考えるのが…やめられねえ」

 肘をつき、苛立たしげに天井を見上げる。

「『もう考えるのはやめよう』って何度も思ったさ。一昨日の朝食の時もそう言った。けど、結局俺が一番記憶に引きずられてやがる。情けねえもんだ。ガチモンの医者になったらもっと悲惨なことを味わうかもしれねえのにな」

 俺は終始、彼の独白を複雑な面持ちで聞いていた。

 彼の気持ちが痛いほどわかり、それゆえ溢れ出ようとする涙を必死にこらえながら。

 

「愚か者め」

 突如、その声は聞こえてきた。

 

 

 俺と釜利谷君が厨房の方を向くと、ブラックコーヒーの入ったカップを片手に持った御堂さんが立っていた。

 朝食の後から厨房にいてコーヒーを淹れていたのだろうか。

「貴様はもう少し賢いと思っていたのだがな、釜利谷三瓶。物事を合理的に割り切れない人間は等しく愚かだ」

 釜利谷君のことだからムッとして言い返すのかと思ったが、押し黙るのみだった。

「御堂さん……最近見てなかったけど、どうしてたの?」

「貴様と会話しに来たのではない」

 御堂さんは相変わらず厳しい言葉で俺の問いを無視した。

「釜利谷三瓶、貴様に用がある。葛西幸彦は直ちに出ていけ」

 え、そんな!?

「別にこいつがいてもいいだろ。口外するような奴じゃねえ」

 釜利谷君がフォローするが、御堂さんは舌打ちして睨むばかりだ。

「口外しないだと? それは貴様の一方的な見解にすぎん。口外しない証拠などどこにもない。こういう軟弱そうに見えるやつほど裏では何を考えているか分からないものだ」

 ちょ、それは言い過ぎだよ!

 期待外れかもしれないけど、俺はただの軟弱者だよ! 胸を張って言うことじゃないから黙ってるけど!

 

「おい」

 突如、釜利谷君が低い声で凄んだ。

「ダチの悪口は許さねぇ。撤回しろ」

「…!?」

 釜利谷君、俺のこと”ダチ”って……

「フン、所詮貴様も仲良しごっこがしたいだけか」

「”ごっこ”じゃねえ!!」

 ダン、と釜利谷君がテーブルを叩いた。

「遊び扱いしてんじゃねぇ。俺はガチだ。なめてんじゃねぇぞ」

 

 釜利谷君の表情は、裁判の終わり際、モノクマとモノパンダに見せていたものと同じ。

 ”ダチ”を侮辱された怒りと悔しさのにじみ出た表情。

 

 俺は涙をこぼしそうになっていた。

 今まで、ずっとぶっきらぼうで、相手にもされていないかと思っていた彼が。

 俺をダチと認め、ここまで一生懸命になって守ってくれるなんて。

 

「……」

 御堂さんは不気味な沈黙を貫く。

「俺をどう言おうが俺は気にしねぇから構わねぇ。だがな、こいつはデリケートなやつなんだ。ちょっとシリアスな話を聞かされただけで涙目になるくらいにはな。そんな奴に面と向かって悪口を言うのは俺が許さねぇ!」

 えっ、涙目なのがばれてたなんて。

 恥ずかしさに顔を赤らめながら俺は慌てて目元をぬぐった。

「ちっ………」

 苛立たしげに舌打ちするが、気圧されたのか反論の言葉は出ない。

「お前がどうしても葛西を追い出すなら俺は何もしゃべらねえぞ。それが嫌ならさっさと用件を言え」

 

「…貴様が研究していたという『記憶』の話だ」

 不機嫌そうに腕を組んで目線をそらしながらも、御堂さんは近くの椅子に座って話し始めた。

「『記憶』が貴様の研究分野なのだろう? それをどれくらいまで研究したか知りたい」

「それを知りたがる理由はなんだ」

「それが知りたければ……私の部屋のシャワールームまで来てもらうしかないな」

 小さく、囁くような声で彼女は……って!

 なんてこと言ってんだ!!

 だが、釜利谷君は事情を推察したかのように「そうか」と頷いた。

 そして、意味が分からず顔を赤くする俺を向き、監視カメラの方へ顎をしゃくった。

 監視カメラ?

 確か、個室のシャワールームには監視カメラはなかったっけ。

「(…そ、そっか。モノパンダやモノクマに聞かれちゃ困る話、ってことなのか)」

 ようやく俺は事の次第を知った。

 

「まあいいさ。っつっても、『記憶』に関する研究はまだ始まったばっかでな。ほとんど進んじゃいねえよ。進めようと思った矢先にここにぶち込まれたからな」

「……ふん、やはりそうか」

 顎に手を当てて考えながら御堂さんは呟く。

「まあ、そうなるだろうな…。ということは……やはり神経学者が…」

 ブツブツと独り言を呟きながら思考に集中している。

 それを俺と釜利谷君は不思議な目で見つめていた。

 

「…あら。珍しい面子ね」

 扉を開ける声とともに聞こえた声は。

「何の用だ。伊丹ゆきみ」

 御堂さんが横目で睨みながら威嚇した。

「そんな目で見ないで。紅茶を飲みに来ただけ」

「…フン。一応聞いておくが、さきほど私と釜利谷三瓶が交わした会話を聞いてはいないだろうな?」

「聞いてない。今ここに来たばかりだから」

「まあ、そんな言葉、信ずるに値しないがな」

「私は嘘をつかない。嘘は嫌いだから」

 この二人、本当に水と油だ。

 どうしてこんなに短時間で険悪になれるんだろう?

 

 伊丹さんが紅茶を入れるため厨房に入っていくと、御堂さんは立ち上がった。

「貴様への用は済んだ。失礼するぞ」

「なんだよ、もうちょっといてやればいいじゃねえか」

 釜利谷君は去ろうとする彼女にやや不可解な言葉をかけた。

「貴様への用事は済んだのだ。ここにいる意味はない」

 手短に述べて食堂を出ていこうとする彼女に釜利谷君がかけた言葉は衝撃的なものだった。

「お前と伊丹、ダチじゃねえのか?」

 その意外すぎる一言が御堂さんの動きを止めた。

 何をどう捉えたら彼女たちがダチになるんだ!?

「ふざけるな…! あんな雑魚と一緒くたにされるほど落ちぶれたつもりはない」

 いつも通り、額に青筋を浮かべて反論する。

「喧嘩するほどうんたらって言うだろ。俺にしてみりゃあおめえらはそっくりなんだよ」

 わからなくもない。

 両者とも、普段の辛辣な態度のせいで苦労していそうだなあと思う。 

 でも、だからって二人がダチだなんて…。

 

 そうこうしていると、湯気の立ったカップを片手に伊丹さんが厨房から出てきた。

「誰かさんがお湯を沸かしてくれてたから、すぐに紅茶ができたわ。後でお礼を言わないとね」

 珍しく笑顔を浮かべながら、席について紅茶を飲み始める。

「おい、貴様!」

 声を張ったのは御堂さんだ。

「それは私がコーヒーを飲むために沸かした湯だ! 人の湯を勝手に使うほど常識のない人間であったとは、失望したな」

「あら、ポットのお湯ぐらい置いてあれば使うでしょう? そんなに嫌なら私がポットに大きく『あきね』って書いてあげようかしらね」

「絶対に書くな。私の名を汚す気か」

「安心して。あのポットがあなた専用の物になった暁には思う存分薬品実験の容器に使わせてもらうから」

「それは確かに安心だ。どんな毒薬を入れられようが貴様という名の毒薬には遥かに劣るだろうからな」

 

「ほら見ろ、あんなに仲いいじゃねえか」

 ニヤリとして釜利谷君が言う。

 確かに、心なしか少し気が合いそうに見えなくもないけど…。

「御堂の奴だって、根っからひん曲がったやつじゃねえんだよ。人間ってのはみんな、根っこは同じようにできてる。津川が死んで伊丹が本気で苦しんだのと同じような感情を、御堂も持ってるはずなんだ。そう言う気持ちに素直になれれば、あのふざけたヌイグルミ共の思う壺にもならねえんだろうがなあ…」

 二人の口論を眺めながら釜利谷君は呟く。

 

「ちっ……私としたことが熱くなってしまった。雑魚一人に感情をむき出しにするなど、情けないものだ…」

「ふふ、むき出しにできる程度の感情はあるじゃないの」

 伊丹さんが笑うと、御堂さんはギロリとそれを睨む。

「あなたのこと、勘違いしてた。捜査の時、淡々と物事を処理するあなたを見て、感情の欠落した人なのだと思ってた。でもそんなことなかったわ。少しだけ安心した」

「知った風な口をきくな、反吐が出る」

 くるりと向きを変え、食堂を出ていく御堂さん。

 彼女の顔が赤いのは怒りゆえか恥じらいゆえか、俺には分からなかった。

 

「彼女も人間なのよ。私はこの数日間でそれを学んだわ」

伊丹さんは紅茶を呷りながら言った。

「ふん、お前も初日に比べりゃあ随分丸くなったじゃねぇかよ」

釜利谷君が悪戯っぽく笑いながら語りかける。

「根本は変わってないわ。今だって、私はいろんな可能性を考えている…。でも、それを安易に口に出して誰かを傷付けるようなことはもうしない。あれだけのことがあったのだもの、流石に学ぶわ」

 へっ、と笑った後、釜利谷君は真面目な顔になって語り始めた。

「…人生ってのは”関わり”だ。ダチと出会うのも成長、遊んで騒いで喧嘩するのも成長、死別するのもまた成長だ。俺たちがこの前の裁判で失った代償はあまりにもデカかったが、だからこそ俺たちは成長したのかもしれねえ。だからもう絶対に同じ過ちを起こすわけにはいかねえんだ。俺は忘れねえ。一緒に遊び、汗流し、夢を語り合ったダチの死をな。伊丹、お前も忘れるんじゃねえぞ」

 紅茶を一口飲み、彼女は遠い目をしながら答えた。

「…忘れたくても忘れられないわ。私が傷付けてしまったお友達、それでも私を…私達を助けようとしてくれたかけがえのないお友達。忘れられるはずもない。…私、こんな性格だから本当に仲の良い友達なんてほとんどいなかったのよ。だからこそ、あんなに真摯に接してくれるお友達ができて…とても嬉しかったの。いえ…今もいるわ。莉緒ちゃんとか。そうよ…まだ終わったわけじゃない。だから…もう二度と、悲劇は見たくない」

落ち着いた表情で静かに、しかし紅茶を持つ手を僅かに震わせて伊丹さんは言った。

表情に出さないけれど、他のところに感情が現れてしまうあたり彼女らしい。

 

 俺はその時、どんな表情をしていたのだろうか。

 ただただ胸の中が何かでいっぱいになるような気持ちで、何も言えなかった。

 

 無駄な死だとばかり思ってた。

 あの裁判で真相が明かされた時、2人はなんの意味もなく殺されたのだと思っていた。

 でも、そうじゃなかった。

 伊丹さんと釜利谷君、御堂さん。

 他のみんなも、あの悲惨な事件を通して、学んだ。

 仲間を大切にすることの重さ、人の死の悲しさ、そういったことを。

 人の死に意味を見出すなんて不謹慎で失礼かもしれないけど。

 二人の死が全くの無駄じゃなかったと分かって、二人が少しだけだけど浮かばれたような気がして。

 俺は涙を禁じ得なかった。

 

 釜利谷君は黙って、俺の目の前にハンカチを突き出された。

「メソメソしてんじゃねぇ。胸糞悪ぃんだよ。ニコニコしてろ、俺の前ではな」

 俺は黙って頷き、目元を押さえた。

「それと、すまなかった。裁判の後、津川を真似して必死で俺らを笑わせてくれようとしたお前を、俺はシカトしちまった」

「…私も、ごめんなさい。彼女も浮かばれると思うわ」

 二人に相次いで謝られて、俺は涙収まらぬままきょとんとしてしまった。

 

 

 

「…ふぅ。なんだか朝っぱらから疲れちまった。部屋戻って寝るわ」

 頭をガサガサと掻きながら彼が立ち上がった直後。

「いたぞ、三ちゃん! ジョーンズがお前とテニスで勝負したいって言ってんぞ!」

「理系男子如きに負けは致しませんぞ! 先日のプールでの雪辱、ここで晴らしてやりましょうともーー!!」

 前木君、入間君のハイテンションコンビが颯爽と現れ、彼の両腕をがっちりと掴む。

「おいコラ、離せ! 俺の意見ガン無視か、おい!」

「お? 逃げる気でございますか? 男の勝負から逃げる気でございますか? お? お?」

「んなメンドクセーことしたくねーよ、お前の勝ちでいいよ」

「んなもんで納得できるかよっ! 負けるならちゃんと戦って負けろ!!」

 

 結局、喚く釜利谷君の意向は無視され、ホールへと引きずられていったようだった。

「ふふ、やんちゃな子たちね」

 そんな様子を見て、まるで遊ぶ子供たちを眺める母親のように伊丹さんは呟いた。

 

 

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 

 その後、何気なく休憩室を訪れた俺は、意外な組み合わせの三人を見つけた。

 そこにいたのはリュウ君、夢郷君、安藤さん。

 夢郷君は昨日の件があるので正直ちょっと距離を置きたくなってしまう…。

 男二人は束になった原稿にじっくりと目を通し、安藤さんは向かい側に座ってそんな二人の姿をじっくりと見つめている。

「おお、葛西殿! お二人に吾輩の原稿の推敲をお頼みしていたところなのだ! よろしければお主もいかがか?」

「え! それなら先に言ってくれればよかったのに!」

 俺は声を荒げながら夢郷君の隣に座った。

 安藤さんの作品の愛読者の一人としては、彼女の原稿を先読みできるなんて夢のような話だ。

「むわっはっは! 嬉しい反応よのぉ。ささ、こちらから読むがよいぞ」

 彼女に勧められた原稿をひったくるように掴むと、俺はむさぼるようにそれを読み始めた。

 

 案の定、俺は彼女の世界観に引き込まれていった。

 何十分という時間が一瞬の間のようにすぎていき、そして……

 

「夢郷君、早くその原稿読んじゃってよ」

 俺は彼をせかす羽目になっていた。

 なにぶん、彼は漫画を読むのが非常に遅いのだ。

 『ウ●ーリーを探せ』を呼んでいるかのようにゆっくりじっくり原稿を眺め、読み終わったかと思うとふと新たな疑問が浮かび上がってきたかのようにまた読み直す。

 こんなんじゃ読んでいるうちに日が暮れちゃうよ。

「夢郷は俺が来る前からここで原稿を読んでいたのだが、一向に進んでおらんようだな。俺はこいつと同じ作品を読むのをあきらめて別作品を読んでいる」

 リュウ君ですらあきれ果てたようにそう言っている。

「おかしい……やはりおかしいぞ」

 夢郷君は口元を手で覆って考え事をしながら呟く。

「構成、バトル展開、キャラクターの豊富さ、全てにおいて文句はないと僕は思う。だがしかし」

 

 

「これだけ女性キャラがいてなぜ豊満な人物がいないのか、僕は非常に疑問に思うぞ」

 

 ……ッ!?

 またその話かよ!?

「メイン、サブ、モブ。全てを数え上げると本作における女性キャラクターの数は28人に及ぶ。それだけいれば一人ぐらいボインがいてもいいのではないのか?」

 ついにボインとか言い出したよ。末期だ。

「だが本作の女性キャラクターはペタンばかりだ。これはいわば作品全体の整合性、および現実性を著しく欠いていると僕は思う。ここにほんの数人のボインが加わるだけで一気に作品の重みが増す」

 正直に言いなよ。ボインがみたいだけなんでしょ?

「ほ、豊満な女性が足りないと……? うむぅ…されど吾輩はこの通りの貧相な体つきゆえ…どうもうまく描けなくてなあ……」

「心配はいらない」と夢郷君は人差し指を立てて笑みを浮かべた。

「この校舎内に最高の題材となってくれる方がいる」

 あ、この流れは昨日の……

「さあ葛西君、小清水君を呼「ばないよバカ」

 今度は冷静に返してやった。同じ手は二度食らうもんか。

「ぐ……さては君の制作した作品にもペタンな子しかいないのだな? 僕の美学を理解してくれないとは悲しい限りだ」

 それは違うよ、と言いかけたけどやめた。反論の無駄遣いだ。

 俺の作品ではあんまり女性の容姿なんて気にかけたことないと思うけどなぁ…あまり覚えてないけど。

 

「若いな、夢郷」

 そう重苦しい声を発したのは、他ならぬリュウ君だった。

「哲学者の考えることにケチをつけようとは思わん。だがな、今のお前はボインにとらわれすぎている。頭の中で想像しろ。サハラ砂漠のように果てしなく平坦なペタンを。果たしてそれは本当にお前の美学に反するものなのか?」

 なんなの、この談義。

「なん……だと……」

「なぜ男児が豊満な胸に魅せられるか、それは俺にも分らん。だがな夢郷、果たしてそのトキメキはペタンには存在しないというのか?」

「ボイン…ペタン…ボイン、ペタン。ボインペタンボインペタンボインボインペタペタタン」

 怖い怖い、怖いよ。何のおまじない?

「ボインペタンボインペタンボイペタボイペタボイボイボイボイペタペタペタボボペペボペ…」

 顔を汗だくにしながら一心不乱に言葉を呟き続ける夢郷君。

 

 突然、彼の目から光が発せられたかと思うと、彼は呟きを止め……

「……悟ったぞ!!」

 そう宣言した。

「限りなく平坦で、ともすれば男子とも大差ないであろうペタン。しかしなぜだろう…今僕はそこに興奮を覚えているではないか!」

 悟ったんだね。最悪の方向に。

「なるほど、ボインかペタンかなど確かに小さなこだわりだった。大切なのはどのような胸も等しく愛する心。ひいては女性を愛する心だったんだ!」

 聞けば聞くほど最悪だな。原稿を読むはずだった時間を返してくれよ。

「ふん、つまりはそういうことだ」

 どういうことだよ。リュウ君も大概だな。

「うむむぅ? 吾輩にはよく分からんが、貧相な体つきも魅力の一つということで良いのかえ?」

 こんな場に巻き込まれた安藤さんがただただかわいそうだ。

「ああ、その通りだ。記念に一つ、君のペタンを触らせてはもらえないかい?」

 あまりにもぶっ飛んだ要求に俺は絶句していた。

「胸をか? むむぅ、男性に触られた子などないのだがのぉ……まあ、減るものでもないしいいk「よくない」

 俺が突っ込むまでもなくリュウ君が冷静に割って入った。

「その描写は流石に読者のドン引きを招く。現時点でさえ、耐えきれずに読むのを中断している者が相当数いると俺は睨んでいる。それ以上は危険だ」

 描写とか読者とか何言ってるのか分からないけど、とにかく常識を欠きすぎだよ。

「ははは、今のは流石に冗談だよ。まさかオーケーしてくれるとも思っていなかったがね」

 珍しく夢郷君は笑顔をのぞかせた。こんな場面では見たくなかったけど。

 

「…そういえば、なんでこの三人がここにいるの? 普段は見かけない組み合わせだけど」

 ずっと聞こうと思っていたことを、俺はようやく口に出せた。

「いやあ、吾輩がここで原稿の推敲をしていた時にたまたまやってきた二人に推敲をお頼みしただけだぞよ。はっはっは!」

「僕はあまり漫画というものをじっくり読むことがなかったのだが……こうして読んでみると面白いものだな。これからも読ませていただこう」

「…俺も同意する。くれぐれも休載などするなよ、安藤」

「むははは、吾輩に休載の二文字など存在せぬわ! 首を洗って待っておれ!」

 安藤さん、慣用句の使い方違うよ。二人を殺す気なの?

 

 

「お三方とも、推敲に協力していただき感謝するぞい! ではでは部屋にて描きなおすとしようかの!」

 安藤さんは意気揚々と原稿を引っ掴んで休憩室を後にした。

 まだ読み切れてないのがあったんだけど……まあ、後でも読めるか。

 

 

「…面白い人物だな、君は」

 突然、夢郷君がそう呟いた。

 どうやら俺に言ったのではなく、リュウ君に言ったようだった。

「あまり君と話したことはなくて君のことをよく知らなかったのだが、そんな君に新たな知見を教わるとは思っていなかった。君という人物が非常に興味深くなったよ」

「ふん、詮索しても何も出ないぞ」

 そう言いながらリュウ君は立ち上がり、その場で軽く柔軟運動を始めた。

「気になるな。君がいかにしてあの身体能力を得るに至ったのか、いかにして胸の真理を追究するに至ったのか」

 後者は余計だけど、前者は確かに気になる。

 一昨日の発言も気になるしな……。

「俺の正体、俺の本名、いずれも時が来たら話すさ。今はその時ではない」

 そう言って彼は休憩室を後にしようとする。

 一昨日と全く同じ構図だ。

 

「何か、ヒントはないのかい?」

 そんな彼に、夢郷君は不気味な笑みを浮かべて尋ねた。

「直接君の正体には繋がらずとも……現時点で教えても支障はないような情報とか」

 振り返るリュウ君の顔が険しくなる。

「……そうだな…。ならば、質問で返すのは悪いが、一つ聞くとしよう。夢郷、お前は仕事で世界中を回ったと聞く」

 夢郷君は小さく頷く。

 

 

「”戦刃むくろ”。この名を聞いたことはあるか?」

 ……戦刃むくろ?

 全く知らないな、少なくとも俺は。

「…存じないな。君の関係者かい?」

「いや、直接会ったこともない。名前を聞いた程度だ。だがまあ、少しばかり気になっているのでな……知らぬのならいい。また後でな」

 リュウ君はすぐに休憩室を後にしてしまった。

 夢郷君は顎に手を当てて思考しながらも「知っているかい?」と聞きたげな顔で俺の方を向いた。

 当然、俺は顔を横に振る。

 

 

 …突如として現れた謎の名前、”戦刃むくろ”。

 その人が男性なのか女性なのかすらわからない。

 その人の素性が分かれば少しはリュウ君のことも分かるかもしれないのに……

 世界中を訪れているはずの夢郷君ですら知らないなんて。

 

 いや、待てよ。

 もう一人、世界中を駆け巡っている人物がいる。

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

「……どこでその名を?」

 夕食の場で、入間君の隣に座った俺は早速彼にあの名を伝えてみた。

 帰ってきた第一声が、これである。

「……なるほど、リュウさんから。…何やらただならぬ事情がありそうですねえ」

 気難しい表情で入間君は呟く。

「そんなにヤバい人なの?」

「ヤバいかと聞かれれば、激ヤバなのは間違いないですね。彼女は若くして”フェンリル”と呼ばれる傭兵集団に属していたという女性兵士です。言ってみれば、”超高校級の軍人”といったところですかねえ」

 …”超高校級の軍人”。

 そんな人物が、リュウ君とどう関係しているのだろう?

「私は以前、中東の小国家で民族同士の和平交渉において通訳を行ったことがあります。和平はうまくまとめることができたのですが、その際に”フェンリル”の仕業と思われる破壊された集落をこの目にいたしました。…あれは言葉にできぬ悲惨さでしたね…とても人の所業とは思えないものでした」

 めちゃくちゃに破壊され、無残に人が殺された集落が目に浮かぶ。

 思わず冷や汗が止まらなくなった。

「リュウさんはフェンリルの関係者なのでしょうかね……考えたくはありませんが、それならば彼の異常な戦闘力も納得がいきます」

 俺と入間君はそろってテーブルの端で黙々と箸を進めるリュウ君を見た。

 

 

 納得しちゃダメだ。

 そんな集団と彼が関わっているなんて考えちゃダメだ。

 考えちゃ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ”ピンポンパンポーン”

 

 

 

 

 

 

 その時。

 

 鳴った。

 

 

 悪夢の鐘が。

 

 

 

 

 

『オメーラ、久しぶりだなー! 新しく開かれた二階は楽しんでくれてるかーい? ぎひゃひゃひゃひゃ!!』

 

 

「この野郎……!」

 前木君が拳を震わせてモニターを睨む。

 

『このコロシアイ学園生活も一週間を過ぎて、オメーラの絆も深まってきて、オイラ嬉しい限りだね! さて! そういうわけでオイラからオメーラに素敵なプレゼントをあげちゃいたいんだぜ~!』

 

 無邪気な声でモノパンダは告げる。

 

『夕食が終わってからでいいからよ、全員視聴覚室に集まってくれよ~!』

 

 

 視聴覚室。

 以前も、こうやってアナウンスがかけられてそこに集められたことがある。

 

「視聴覚室なんぞに集めて、何をする気だ?」

 御堂さんが苛立たしげに聞く。

 

 

『またまたぁ。オメーぐらい賢い人ならもう分かってるだろ?』

 

 

 

 目を背けたくても背けられない恐怖。

 無理やりにでも直視させられる現実。

 

 

 

 

 

 それは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『みんなお待ちかね! 動機の発表だよ~ん!!』

 

 

 

 

 

 

「…クソッタレが」

 釜利谷君が吐き捨てるように呟いた。


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