蒼紅の決意 Re:start   作:零っち

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「自分…自分がいい」

親父さんを止められず項垂れていると、コツコツと足音が聞こえてきた。

 

音の方を見ると、ユイがなんとも言えない顔をしていた。

 

放心してないだけマシだが、色々な思いが入り交じっているみたいだ。

 

それでも一番感じ取れるものは、悲しみだった。

 

「お母さん…大丈夫だよね…?」

 

「………………っ」

 

親父さんは言っていた。

 

『今度倒れれば身体は保たない』

 

「ね…?」

 

縋るような目と声に、躊躇してしまう。

 

「……お袋さんは…」

 

でも、だからってここで嘘をついたってどうにもならないのは分かってる…

 

「……わかんねぇ」

 

迷った挙げ句、俺は一番中途半端な嘘を告げた。

 

でも、本当のことは言えない、絶対に大丈夫なんて期待を持たせることも言えない俺にはこう言うしかなかった。

 

「とにかく今は手術が終わるのを待とう…な?」

 

「……うん。ね、先輩」

 

「なんだ?」

 

「ありがと…お母さんを助けてくれて」

 

ぐさっ

 

ユイの笑顔を見て、そんな音が胸から聞こえた気がした。

 

俺は…なんにもしてねぇ…

 

俺はただ言われるがままに行動しただけで、自分の意思で動いてなんかいない…

 

しかもいざ自分で決めろって言われたらなんにも決められねぇ…

 

「…先輩?」

 

「あー、いや…なんでもねえよ。ちょっと考え事してたわ」

 

「考え事って?」

 

話を逸らそうかと考えたが、これ以上嘘をつくことは耐えられず、言葉を選びながら口を開く。

 

「……俺は…お前のためにどうしたらいいんだろうって」

 

「…なんで今そんなこと?」

 

お袋さんとの会話は話しちゃいけないとは言われてないはず…だよな。

 

「それは…」

 

そう思い、一言発したのと同時に、手術中のランプの灯りが消えた。

 

静かに開かれた扉から、ドラマで見るような格好の医者が出てきた。

 

「あの、手術は…?」

 

「お母さん…お母さんは…?」

 

俺とユイが駆け寄ると、ゆっくりマスクを外し鎮痛の面持ちで話し出した。

 

「…最善を尽くしましたが…恐らくもう目を覚ますことはありません」

 

これもまた、ドラマか何かで聞いたような台詞だった。

 

既に親父さんから聞かされている俺は別として、ユイはきっと、そんな言葉を飲み込めてはいないはずだ。

 

その証拠に、医者に何かを言うわけでもなく、泣くわけでもなく、ただ立ち尽くしている。

 

「…どうにか、ならないんですか?」

 

代わりに俺がそう言う。

 

でも、分かってる。

 

どうにか出来るんならもうやってるんだ。

 

「すみません…」

 

医者はただ頭を下げる。

 

ここで俺がこの人を責めることに意味なんてない。第一、ただの知り合いの俺が責めていい資格なんてない。

 

それでも反射的に声を荒げて、胸ぐらを掴んでしまいそうになる。

 

それをぐっと拳を握りこむことで制す。

 

「あの…おふく…コイツのお母さんは、今どうなってるんですか?」

 

「今は状態が安定しています。けれど、一週間後が峠ですね…」

 

「そう…ですか」

 

「今から患者様を病室へ移しますので、落ち着いたらお越しください」

 

そう要件を伝え、医者はもう一度頭を下げてどこかへ去っていった。

 

落ち着いたらっていうのは、多分俺じゃなくユイのことを言ってるんだろう。

 

でも…

 

「ユイ…」

 

なんて声をかけたら良い…?

 

そもそもこんな状態のユイに俺の声は届くのかすら疑ってしまう。

 

「…ひなっち先輩」

 

しかし意外なことに、ユイは自ら口を開いた。

 

落ち着いてきた…のか?

 

「あの人…お父さんは…どこ?」

 

「―――――っ」

 

安堵しかけた俺の耳に届いたその名前は、今一番訊かれると困る人物だった。

 

真実は教えられない。

 

だけど嘘はつきたくない。

 

「お父さんは…このこと知ってるの?」

 

「…ああ、知ってる」

 

「それで…来ないんだ…!」

 

俯いて震える姿からは、泣いているのか怒っているのか、判別が難しい。

 

「やっぱりあの人は家族より仕事の方が大事なんだ…!」

 

違う、そう一言言うことも出来ない。

 

言ってやれば、今感じてる憎しみを消してやれるのに。

 

言ってしまえば、憎しみの代わりに罪悪感が生まれてしまうから。

 

でも、じゃあこれからユイは両親の本当の気持ちを…愛を知らずに生きていくのが正解だってのか…?

 

そんなわけない…そんなことあっちゃいけない。

 

「ね…ひなっち先輩、さっき何か言いかけてましたよね?あれ…なんて言おうとしてたんですか?」

 

さっきのって、確か…

 

「ああ…お袋さんにさ、頼まれた。お前のこと」

 

「あたしの…こと?」

 

「お袋さん、こうなることを薄々勘づいてた…のかもしんねえ。今日放課後来てくれって言われて…まあ色々話した」

 

「だからひなっち先輩が病院に付き添ってくれてたんだ」

 

内心不思議に思ってたのか、得心のいったように頷く。

 

「でも…お母さん、気づいてたんならなんであたしに言ってくれなかったんだろう…」

 

「…どうしても俺に訊きたいことがあったみたいでさ、俺がはっきり答えるまで何回も訊いてきた」

 

「何を…?」

 

「お前のこと…大切にしてくれるか、ってさ」

 

好きかどうか訊かれたことを今言うことは躊躇われた。

 

相手が俺のことを好きだって知ってから好きだって言うのはずるい気がしたし、何より今は完全に場違いな上、俺はまだ何も決められていないから。

 

「大切に…って、ひなっち先輩はなんて…返したの?」

 

とは言っても、こう期待を含んだ上目遣いをされると少し揺らぎそうになる。

 

「そりゃ…断れないだろ普通」

 

「…そっか、そうだよね」

 

しかもこんなあからさまに落ち込まれたら……

 

「まあ…こんな状況じゃなくても、答えは一緒だっただろうけどな」

 

そうそっけなく付け足すと、嬉しそうに目を輝かせる。

 

くそ…可愛いなコイツ…

 

「あ、あたしも…」

 

「?」

 

「あたしも…ひなっち先輩が居てくれたらちょっとだけ…ほんのちょーーーっとだけ、安心します」

 

虫眼鏡で見ないと隙間があるのかどうかも分からないくらい人差し指と親指を狭めながらそう言う。

 

でも、ようやく少しいつも通りに振る舞える程度には落ち着いたみたいだな。

 

「あーそうかよ。とりあえず落ち着いたんなら、お袋さんの病室に行こうぜ。顔…見たいだろ」

 

「…うん」

 

「じゃあ行くか。あ、でもまず病室がどこか訊かねえと…」

 

と、歩き出そうとした時に、くいっと服の裾を摘ままれた。

 

「どうした?」

 

「ちょっと不安なんで…手、繋いでください…」

 

「は……」

 

動揺して振り返ると、ユイは本当に不安そうで、少し怯えているような顔をしていた。

 

俺は馬鹿か…こんな時に変なこと考えてんじゃねえよ…!

 

「…おう。ほら」

 

手を差しのべると、きゅっと軽く握りこまれる。

 

気づかなかったけど、やっぱ手…小せぇな…

 

いや…手だけじゃねえ。いつも虚勢は張ってるけど、俺の肩程度しかないくらい小さな身体だ。

 

コイツに…重い罪悪感を背負わせるなんて…

 

「先輩?」

 

「あ、ああ、悪い。行こうぜ」

 

…今は余計なこと考えてる時じゃないな…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受付で病室の場所を教えてもらい、そこへ向かった。

 

どうやら個室みたいで、お袋さんは酸素マスクを着けて静かに眠っていた。

 

すぐそばにある機械が規則正しくピッ、ピッ、と音を出しているのがやけに耳に残る。

 

「なんだか、家にいるのとあんまり変わんないね」

 

用意されていたパイプ椅子に腰をかけて、ユイはそう呟いた。

 

もしかしたらもっと苦しそうな姿を思い浮かべていたのかもしれない。

 

「そうだな」

 

「むしろ家よりも楽そうっていうか」

 

「麻酔が効いてんのかもな」

 

「本当に……」

 

ユイは何か言いかけて、それをぐっと飲み込んだ。

 

何て言おうとしたのかは訊かない。

 

言いたいことは大体わかるしな…

 

酸素マスクを除いたら、調子のいい時みたいに穏やかな寝顔なんだ。

 

今にもいつものように起きて、笑って、見守ってくれそうな気がしてくる。

 

「お母さんはさ…いっつもあたしのこと、心配してたんだ」

 

数拍の沈黙を破ったのはユイのそんな台詞だった。

 

「自分は病気で、絶対あたしなんかよりも辛くてしんどいのに、一言目には絶対に大丈夫?って訊いてくるんだ」

 

「…そっか」

 

「あんまり何回も訊かれたらめんどくさいな~って思ったりするんだけどね…」

 

「…ああ」

 

「でも……でも……」

 

堰を切って、ユイの目から涙が溢れていく。

 

「そう訊かれると…安心…したんだ……!」

 

しゃくりあげるユイに黙って肩を貸す。

 

「嫌だよぉ…まだまだお母さんと話したいもん…」

 

「そう…だよな…」

 

ユイの言葉に、俺は聞こえない程度にそう呟いた。

 

お袋さんも親父さんも、ユイを俺に任せるって言ってた。

 

俺なら任せられる。

 

そりゃそう言われて嬉しいよ。好きなやつを親から任せられて嬉しくないわけねえ。

 

でも…そうじゃねえだろ…!

 

泣きついているユイを肩からひっぺがす。

 

「なぁユイ」

 

ぐしゃぐしゃの泣き顔のユイに問いかける。

 

「親父さんのことは…嫌いか?」

 

「え…?」

 

ユイは戸惑うように二、三度瞬きをしてゆっくりと頷いた。

 

「なんでだ?」

 

「なんでって…あの人はお母さんを見捨てたんだよ?!許せないに決まってるじゃん!」

 

「ああ…だよな」

 

優しいコイツは、お袋さんのことを蔑ろにしたことを一生忘れないはずだ。

 

今のままなら。

 

「許せないのはそれだけか?」

 

「え…う、うん」

 

自分だって不安なときに放っておかれたってのに、このあっけらかんとした言いようだ。

 

正直もっと自分を大事にしろとは思うけど…親が親なら子も子ってやつだろう。

 

「最後にもう一個訊いていいか?」

 

「…うん」

 

「自分が傷つくのと、大事な人が傷つくんならどっちがいい?」

 

親父さんとは言わない。

 

きっと今言っても意地を張って本当のことは言えないだろうから。

 

だから今ユイが誰を思い浮かべているのかはわかんねえ。

 

ユイは、あまり迷うそぶりを見せず、顔を上げた。

 

「自分…自分がいい」

 

「…そっか」

 

想像通りの返答に、思わず笑みがもれる。

 

大丈夫だ。コイツなら、きっと大丈夫。

 

いざとなったら、傷が治るまで俺が支えてやりゃあいいだけの話だ。

 

そうっすよね…お袋さん。

 

お袋さんの顔を見て、もう一度決心を固める。

 

「なぁユイ」

 

「今度はなに?」

 

「明後日の球技大会、見に来てくれ」

 

「へ…?今そんなこと言ってる時じゃ――――「頼む」

 

限られたお袋さんとの時間を奪うのは心苦しい。

 

けど…

 

「球技大会で優勝したら、話したいことがあんだ。だから頼む」

 

今しかない。ここしかないんだ。

 

「…分かりました、行きます。その代わり優勝しなかったらボコボコにしますからね、先輩」

 

「いい笑顔で怖いこと言うなよ…」

 

でも、負けたらボコボコにされるくらいなんてこたねえよ。絶対勝つ。勝たなきゃいけねえんだから。

 

「俺はちょっと今から行くとこあんだけど、ユイはどうする?」

 

「あたしはもうちょっとここに…」

 

「…だよな。じゃあ行ってくるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユイに別れを告げて、まず親父さんへ電話をかけた。

 

念のため親父さんの電話番号を登録しておいて良かった。

 

今から話がしたいと伝えると了承の返事と、場所と時間を指定された。

 

言われた通りの時間と場所に向かうと、既に親父さんは待っていた。

 

「すみません、呼び出しておいて待たせちゃって」

 

「構わん。そうなるよう時間を指定したんだ」

 

よく分からないけど、多分待つより待たせる方が嫌いなんだろう。

 

「そんなことより、話がしたいと言っていたが?」

 

多分話の内容は大体見当がついてるだろうけど、あえて試すように訊いてくる。

 

ていうかまあ、試してんだろうな。覚悟ってのがあるのかどうか。

 

だから精一杯虚勢を張って、目をそらさずに言ってやる。

 

「俺、ユイに本当のことを言おうと思います」

 

「……一応訊いてやる。なんでだ?」

 

分かってはいたんだろうけど、呆れたようにそう問われる。

 

「君のやろうとしてるのは、ユイを傷つける道をあえて選ぶということだぞ?」

 

そして更に、そう言い連ねる。

 

「…アイツは…ユイは、自分が傷つくのと大事な人が傷つくんならどっちがいいって訊かれたら、自分が傷つくのを選ぶやつです」

 

「……………」

 

「自分が放っておかれたことより、お袋さんが放っておかれたことに対して怒るやつです」

 

「……何が言いたい?」

 

「前に親父さん言いましたよね?親父さんを嫌いながらでも、真実を知らずに俺と生きるのが一番幸せだって」

 

それは確かに、そうなのかもしれない。

 

「だからなんだ?」

 

ただしそれは、真実を知らずにいられればの話。

 

「ユイは馬鹿だけど、人の辛さをわかんねえ程鈍くはないっすよ」

 

親父さんは黙って何も言わない。

 

「もしこのまま嘘をついて過ごしたとして、何年後かにユイが嘘に気付いたら、アイツは傷つきます。自分が騙されたことに対してじゃない。大事な家族をずっと傷つけていたことに対してです」

 

それはきっと、ユイが一番傷つくことだ。

 

「……ふん、迷いはないようだな」

 

「はい」

 

「覚悟があるのなら、そもそも俺に口を出す権利はない。好きにすればいい」

 

「いや、その前に言っておかないと駄目なことがあります」

 

「なんだ?」

 

「このことをユイに伝えるのは、球技大会で優勝してからにします」

 

「………は?」

 

初めて親父さんの表情が呆気に取られたようなものになる。

 

「なぜわざわざそんな条件をつける必要がある?そもそも、球技大会ごときにこんな大事なことを賭けると言うのか?」

 

「けじめです」

 

「何のだ?」

 

「何が一番ユイのためになるのか、本当は分かってたのに…俺は揺らいじまいました」

 

両親の愛を知らないことが幸せなわけがない。

 

そんなのは分かってた。

 

分かってたけど、怖かったんだ。

 

俺が本当にユイを支えられるのか。

 

そして、その選択肢を怖がったくせに、嘘をつくことも出来なかった。

 

そんな情けない俺の行動へのけじめだ。

 

「まともにやれば優勝は難しいです。でも、死ぬ気でやります。何をやっても勝ちます。だから、優勝したらユイに本当のことを伝えてもいいですか?」

 

数秒、親父さんはその問いかけに対して答えを返さなかった。

 

やがて、はぁ…と深くため息をついた。

 

「好きにしろ。言っただろう、俺にとやかく言う権利はない」

 

「ありますよ!あるに決まってる!あんたはユイの親父だろ!」

 

「――――っ、全く…敬語くらいきっちり使え」

 

「あ…すいません!」

 

「ふ…そうだな。ならいい。球技大会で優勝すれば、ユイに本当のことを話すことを許す」

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「礼などいらん…と、そろそろ戻らないといけないな」

 

言われて時間を確認してみれば、話始めた頃から中々時間が経っていた。

 

「わざわざ時間を作ってくれてありがとうございました」

 

「いや、いい。お陰で少し分かったこともある」

 

「え?」

 

「ユイとアイツ…伊織がなぜ君を選んだのかが…だ」

 

伊織っていうのは確かお袋さんの名前だ。

 

「なんでですか?」

 

「ふん、ユイと同レベルで頭が悪いからだ」

 

「えぇ…そ、それだけ…?」

 

「それが重要なんだよ。同じ考えを共有出来るのかどうか…それが夫婦円満の秘訣だ」

 

少しおかしな発想をするお袋さんの夫であるこの人だからこそ、説得力のある台詞だ。

 

でも…

 

「ふ、夫婦になるかなんてまだ……」

 

「…なるさ。でなきゃこんなに深入りさせていない」

 

「……………」

 

「そろそろ本当にやばいな…俺は戻るぞ?」

 

「あ、はい!ありがとうございました」

 

最後に親父さんは、今までより少し柔らかい笑みを残して去っていった。

 

……なんであの人たちはこんなに俺を信用してくれるのか分からねえけど…

 

「でも…やんなきゃな」

 

絶対、球技大会で優勝してやる。

 

 




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