デッドボール。
突然俺を襲った衝撃はまさにそれだった。
でも勘違いしないでほしい。俺は今野球なんてやっていない。
確かここには謝罪しに来たはずだ。
その証拠に…
「さっさと謝らんかいボケがぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
俺にボールをぶち当ててきたやつがそう叫んでいる。
無論俺だって謝りに来たんだから謝る意志はある。むしろその意志しかない。
いやなかった。
しかし、顔面に衝撃が走り、そいつの叫び声を聴いた瞬間に、俺の中に別の意志が生まれた。
「いってぇなてめぇぇぇぇ!!」
逆襲だ。
やられたらやり返す。
そういう本能のような何かに突き動かされていた。
俺にボールをぶつけやがった女子は、顔面にボールが直撃したのにすぐさま飛び起きた俺を見てぎょっとしていた。
その隙をついて近づき、身体に腕や脚を絡め、そのまま一思いに力を入れる。
「いだいいだいいだいですぅ~!!」
「顔面にボールが直撃すんのとどっちがいてぇと思ってんだこらぁぁぁぁぁ!!」
「け、ケースバイケースぅぅ…!」
「正論吐いてんじゃねぇぇぇぇ!!」
「うぎやぁぁぁぁ!!」
少女の断末魔を聞き届けて、ハッとする。
あれ?俺、仮にも女子に何をしてんだろう?
「わ、わりぃ!」
急いで極めていた肩や首から離れる。
当然そのまま少女は地面へダイブした。
「だ、大丈夫か?」
「大丈夫な…わけあるかぁぁぁぁ!」
「うぉぉぉ?!」
心配してやったっていうのに、あろうことか覗きこんだ顔に噛みつこうとしてきやがった。
…いやまあ俺が間接技なんて極めたからなんだけどさ。
「がるるるる…!」
「獣かお前は!?」
「きしゃー!」
「う、うわぁぁぁぁ!?」
俺のツッコミに対して最早人語での返事などなく、獣状態のまま襲いかかってきた。
な、なむさん!
「ユイちゃん?どうかしたの?」
ピタッ。
玄関から出てきた女性の声を聞いた途端に、襲いかかってきた体勢のまま空中で動きが止まった。
人間業じゃねえ…
「あら?その人は?」
「お、お母さん!動いちゃ駄目だよ!体に悪いよ!」
「大丈夫よ、最近は体調も良いんだから」
「でも…」
「いいの。それよりも…どうかしたの?」
首をかしげてこっちを見る、凶暴女の母親。
「いや…この人があたしの部屋にボールを打ち込んできてガラスが割れて…」
「す、すいませんっした!」
「なんじゃあその態度の違いはぁ?!」
そりゃ第一印象の違いだこの野郎。
「もう、ユイちゃん。駄目よ、女の子がそんな言葉遣いしちゃ」
「あ、う…でもぉ」
「だーめ」
「……はぁい…」
しかし俺がやってしまったことや謝罪のことなどまるで気にもとめず、まず凶暴女を叱りだした。
叱るっていうのには、なんつーかほわほわしすぎだけど…
「え、えっと…あの今回の件は俺が悪いんで、あんま叱んないでやってくんないすか?」
「あらごめんなさい。えっと窓ガラス割っちゃったんでしたっけ?」
「え?えぇーっとぉ…そうっすね」
なんだか噛み合わない会話に困惑しながらもとりあえず訊かれたことに答える。
「野球してたのかしら?」
「あ、はい。しばらくしたら球技大会あるんでそれの練習に」
「まあまあ、微笑ましいわねぇ」
いやいやあんたの方が100倍微笑ましいんだけど…
「えっと、それでボールを飛ばしすぎて割っちまったんで謝りに来たんですけど…」
「謝ってないけどねー。間接技極められたけどねー」
「うぐっ。そ、そりゃお前がいきなりボールぶつけてきたからだろぉ!」
「そんなの謝りに来たくせに玄関で騒いでる人が悪いですぅ~!」
「おまっ…聞いてたのか…」
そういや顔面にボールが当たる直前に『さっさと謝らんかい』とか聞こえてたっけ…
「まあまあ、仲がいいのね。ふふっ」
……変な誤解されてるけど、それは一旦置いといて…
「悪かったな…ちょっと揉めちまって謝るの遅れてよ…しかも間接技まで極めて…」
「………こっちも顔に当てるのはやり過ぎました…ごめんなさい」
「「…………………」」
お互い素直に非を認めたところで、気まずい空気が流れだし、どうしたもんかと考えた時――
―――パンっ!
と、何かに区切りをつけるような破裂音が響いた。
その音は母親によるもので、俺たち二人をニコニコと微笑ましそうに見つめていた。
「はい、これで仲直り。ね?」
「い、いや仲直りって言っても俺たち初対面…」
「そ、そうだよお母さん」
「あらそうなの?」
あらそうなの?って……どんだけボケてんだこの人…
「じゃあ今から遊んでらっしゃい。ほら、このボールで」
「え、いやでも流石にそんなの娘さんもやりたくは……あー……」
女子がキャッチボールなんてしたくないんじゃないかと断ろうとしたが、少し視線を移すと、目を輝かせたアホの子がいた。
「やりたいのか?」
「う、うぇぇ?!ぜ、全然?!全然やりたくねーっすよぉ!」
「ふふ、ほーら」
「っ?!」
母親が笑みをもらしたと思えば、ボールを持っている手を高く挙げると、食い入るようにそれを目で追うアホ。
「ほーら」
「っ?!」
「ほーら、ほーら。ふふっ」
「っ?!っ?!」
右へ左へと更に大きく動かしても、目を輝かしたまま追うのをやめない。
なーにがやりたくないっすよぉ、なんだよ…?
「わかったわかった…やろうぜ。やりたいんだろ?」
「や……でも…」
あれだけやりたいオーラ全開の癖に、まだ何か気にしてるらしく、ちらっと母親の方を見やる。
「いいのよ、ユイ。お母さん、今調子いいんだから」
えっへんと胸を張り、そっと娘に歩みよった。
そして持っていたボールを握りこませ、ポンポンと、2度頭を叩いた。
「いってきなさい、ユイ」
「――――うんっ!行こっ!」
まるで背中を全力で押されたかのように、走りだし、俺の手を取る。
「うぉぉぉ?!ちょ、行く、行くから離せっての!」
そんな言葉など耳に届かないのか、お構いなしにそのまま引っ張られる。
「おかーさーん!ちゃんと手ぇ洗うんだよー!」
「わかってるわよー」
公園へ向かう途中のそんな親子の立場が逆転しているかのような台詞が印象的だった。
………あれ?ていうか柴崎いなくね?
「しっかし、珍しいな。女子なのにキャッチボールしたいってよ」
俺は改めて思ったことを言葉にしながらボールを相手の胸元へ投げる。
場所はさっき練習をしていた公園。
幸い逃げていった誰かがグローブを投げ捨てていたおかげ(せい?)でキャッチボールには事足りた。
「そんなことないよー。女子野球だってあるでしょ?」
「そりゃあるけどお前やってねえんだろ?」
「野球だけが好きな訳じゃないもん」
そう言いながらボールを投げ返してくる。
投げ方は様になってると言えばなってるが、実力とは比例していない。
肩も強くないし、コントロールも悪い。
まるでフォームだけ何度も練習してたような感じだ。
「へへー!」
でも、やたら楽しそうなんだよな…
「なぁにが、へへー!だよ。しっかり胸元に投げてこいっつーの~」
「んだとゴラァ!殺人シュート脳天にぶち当てんぞゴラァ!」
「てめえは危険球で退場だ!」
ていうか、軽口の代償に殺されるとか割りに合わねえ。
「…つーか、今更なこと言ってもいいか?」
キャッチボールを続けながら、言葉を交わす。
「奇遇ですね、あたしも1つ気になってます」
「じゃあ先訊いていいぜ?」
「ではお言葉に甘えて。えっと…名前なんでしたっけ?」
「だよなぁ…」
出会い方が強烈すぎて名乗る暇もなかった。
「俺は日向秀樹、百合ヶ丘学園の2年生だ。気軽にひなっちって呼んでくれていいぜ?」
「ひなっち先輩百合ヶ丘学園なんですか?!」
コイツなんの躊躇いもなくひなっちって呼びやがっただと?!
呼ばれたの始めてだぞ。
「そうだけど、それがどうしたんだ?」
「百合ヶ丘学園って言ったら今ネットでちょっと話題になってるじゃないっすか!ガルデモ!!」
「あー、そういやそうだな」
学校にいると、しかもわりと関係的にも近くにいると、世間がどういう反応なのかわかんねえけど、こういうの聞くと実感沸くな。
「岩沢たち、マジで有名になってんだな~」
「ちょっと!岩沢さんのこと気安く呼び捨てにしないでくださいよ!」
「なんでだよ?!同級生!クラスメイトだぞ俺は?!」
「えぇ?!マジすか?!」
「マジだ。なんならひさ子もクラス同じだぜ?」
「えぇぇぇ!!羨ましぃ~!!」
ただたまたまクラスが同じだけだってのにこの優越感……
これが有名人と同じ学校だった人の気持ちか…
「やばいっすよそんなの~!ひさ子さんの殺人的なリフ捌きとかマジ昇天しちゃいますよ~!!」
「いや流石に教室では弾かねえからな?……つーか、楽器詳しいのか?」
「ふふん、これでもあたしギターには結構自信あるよ?」
このきゃんきゃんうるさい小娘がギターを上手く引いてる姿は想像出来ねえなぁ…
ライブ中に弦切れるとか、そういう奇跡的なドジはおかしそうだけど。
「ていうかお前、ギターまで手ぇ出してんのな」
「うん。ギターは…一人でお家でも出来るからね」
「え?」
「サッカーだってプロレスだって好きだよ!シュートとか家でちょ~練習してるんだから!」
果てはメッシみたいに五人抜きしちゃうんだから!と、元気に足を振る。
…気のせい…か?
なんか一瞬…ほんの一瞬だけ、寂しそうに見えた。
「で、ひなっち先輩の言いたいことってなんすか?」
なんだか上手いこと話題を変えられた気がするけど、まあ今気にしたってしょうがねえよな。
「ああ、俺も名前のことだよ。ユイ…でいいんだよな?」
「はい、ユイにゃんです!」
………いら。
「あん?てめえ今なんつった?」
「ユイ☆にゃん」
………………あ、やべえ殴りてえ。
「おい、お前それ2度と言うんじゃねえぞ。次やったらお前が殺人シュートを喰らうことになる」
「そんな…!ユイにゃんの可愛さが効かない…?!」
「誰も効かねえよ。むしろ腹立つ」
このペッタンコな子ども、略してペッタン子が。
「今なんか失礼なこと考えたなぁ!?」
「悔しかったら育ってみろぃ!」
「これからですぅ~!あたしまだ中3なんだからこれから色々育つんですぅ~!!」
確かに年齢的にのびしろはあるのかもしれないが、ゆりっぺなんかは中3の頃には中々実ってたからなぁ…
「なんだその遠い目はぁ!?」
「わーったわーった。機嫌直せって、ほーらフライだぞ~」
「おぉ~!お、お、お」
そろそろキレられるのがめんどくさくなってきたので、変化を与えてやると、たちまちそっちに夢中になる。
「とやっ!」
しかし全く落下点に入れておらず、飛びつきも空しくボールは転がっていく。
「そんな目ぇ輝かすくらい好きなのに、この実力かぁ」
ん…いやむしろ好きなのにこの程度のことで目を輝かせすぎなんじゃねえか?
「なぁ、ユイ」
「なんすかぁ?」
「お前ってさ…友達いねえの?」
「え……」
ピタッとボールを追っていた動きが止まった。
「そう見えます?あたし」
「いんや、全く」
訳のわからんところでキレるとこはめんどくさいけど、基本的には人の輪の真ん中にいそうなタイプだ。
会ったばかりの俺とこれだけ喋るとこを見ても、人見知りってわけでもないみたいだし。
「だから不思議なんだよ。なんでお前友達と野球どころかキャッチボールもやったことないのかがさ」
しかもさっき、ギターは一人で、家で出来るから良い、みたいなこと言ってたし。
「お母さん…病気なんだ」
「え…?」
「それも、結構重い病気…今はさっき言ってたみたいに調子いいみたいだから歩けるけど、酷いときは指一本動かすのも辛いみたいなんだ…」
「あの…おばさんが?」
ふわふわと朗らかに笑って、辛さなんて微塵も感じさせなかった。
何かの悪い冗談かと疑うほどだ。
だけど…だとしたらここに来る前の、親子が逆転したみたいな会話も得心がいく。
きっと、ボールを触った手を洗わずにいることも、あの人にとっては危険なんだ。
「それでね、あたしは学校終わったらすぐ帰るようにしてるの。お母さんが心配だから」
「親父さんは?」
「……仕事」
いない、という言葉が返ってこなくてひとまず胸を撫で下ろす。
「それで今まで遊べなかったのか」
「…うん。でもへっちゃらだよ!小さい頃からで慣れっこだもん!ユイにゃんは強い子なのです!」
……いら。
無性に腹が立つ。
理由はアイツの鬱陶しい一人称もあるかもしんねえけど、きっとそうじゃない。
なんか、やせ我慢が見え見えで腹が立つんだ。
「俺が…手伝ってやんよ」
気づけばそんな言葉が口からもれていた。
「手伝う?」
「お前のお袋さんの…世話?介護?なんて言ったらいいかわかんねえけど、なんかそういうの。だからさ、遊べよ」
「……へ?い、いやいやいやいや!」
俺の突然の申し出にきょとんと呆けたかと思えば、猛然と首を横に振りだした。
「なんで会ったばかりの人にそこまでしてもらわなきゃいけないんっすか?!」
「う、うっせえな!そんなの知るかよ!」
「ひなっち先輩が知らなきゃ誰が知ってるんすか?!」
「だから知らねえよ!!」
本当、自分でも何言ってんのか訳わかんねえよ。
ホワァーーイって叫びてえよ。
そんでも、嘘とか冗談のつもりで言ったわけでもねえ…
そんで、男に二言はねえ!
「やるっつったらやんだよ!とにかくお前のお袋さんに許可貰いにいくぞ!」
「え?!えぇぇぇ!!?ちょ、ひなっち先輩ー?!」
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