「あ、おーい直井ー」
放課後、部室へ向けて歩いている途中、直井を見かけたので声をかける。
「チッ、また貴様か…」
本気でうんざりしてるという風に睨んでくる直井。
まあうんざりもするだろう。
遊佐との1件、1件と言うとなんだか事件でも起きたみたいに聞こえて大袈裟にも思えるが、とにかく1件を終えてから、俺は度々直井を見かけるとこうして声をかけている。
それは音無も同じで、関根は言わずもがなだろう。
だからうんざりもしてくると思う。
けどやめるつもりなんて更々ない。
俺はコイツと友達になると決めている。勝手が過ぎるだろうが決めたのだ。
「まあそんな嫌そうな顔すんなって」
「なら話しかけるなこのマヌケめ」
「おいおい、仮にも先輩に向かってマヌケって」
「知らん。敬って欲しいのならそれ相応の威厳を見せてからにしろ。いつも意味のないことばかりペラペラと」
「はは…返す言葉もない…」
直井の言う通り、他の二人は知らないが、俺は直井を見かけて話しかけるのは良いが、特にこれといって話題があるわけでもなくただただとりとめのない世間話を繰り返すだけだった。
やれこの間のテレビが面白かっただの。
やれ朝出かける時に靴紐が切れただの。
やれ黒猫に前を横切られただの。
やれ勝手に皿が割れただの。
…なんか不吉なことばっかり話してるな…
ともかく、ここは1つ先輩の威厳とやらを少し見せてやらないといけない。
なにか含蓄のある話題を提供しよう。
「………日経株価についてどう思う?」
「それ本当に貴様は語れるのか?」
「…………………」
数字が絡むものは苦手でした…
「帰る」
「あっ!ちょっと!まだ先輩の威厳が…」
俺の静止を毛ほども気にせずそのまま本当に帰っていってしまった。
「やれやれ、柴崎先輩は本当に駄目ですねぇ」
「うおっ、関根いつの間に?」
呆れられてしまい、肩を落としていると知らない間に近づいていた関根が肩を竦めていた。
「ふっふっふ~まあまあそんなことは置いておいて、先輩はなってないですよ。まず話題のチョイスが最悪っすね~」
「んだと?日経株価の何が悪い?」
「悪いのは日経株価じゃなく先輩の頭でしょうに」
「んなっ?!」
こんなアホそうな奴に頭が悪いと言われるのは心底納得がいかないが、話せもしない日経株価を見栄を張って話題に出した俺が何か言い返せるはずもない。
とはいえ、このまま黙ってバカにされっぱなしは癪だ。
「んじゃあお前ならまともに話せんのかよ?」
「ん~、良いですよ。とくと見ときなさいあたしのテクニックをー!」
なので、適当にそう訊ねてみると思いの外食い付き、前を歩く直井に追い付くため走り出した。
「やっほー直井くん!」
「うるさい黙れ」
一蹴された。
わざわざ走って追い付いたが、一切目を向けられることなく切り捨てられた。
「ぷっ、駄目じゃねえか」
「あー!笑ったな!?今バカにしたなー?!」
思わずそう言葉を漏らすと、すごい勢いでこっちに戻ってくる。
「そりゃそうだろ。なんだテクニックって?無視されるテクニックか何かか?」
「違うわボケぇー!」
「なっ?!てめえ仮にも先輩に向かってボケだと?!」
あれ?なんかこんな感じの台詞さっきも言った気が…デジャヴかな?
「失礼な人に先輩も後輩も同期も関係なーし!」
「あるわ!大いに関係あるわ!」
「まあいいじゃん?無礼講無礼講。な、柴崎?」
「無礼講が起きる要素が微塵もねえよ!敬語使え敬語!」
「えぇ~」
「えぇ~、じゃねえ!」
「何やってんの二人とも。大声出して」
声をかけられ後ろを振り返ると、そこには岩沢が立っていた。
「いやそれがだな」
「はっ?!もしかして関根も柴崎のことが好きになったのか?!やらないぞ!」
「え?いりませんよ。ぶっちゃけまるでタイプじゃないっす」
「ちょっと待てなんで今の光景を見てそう思った?!そんでお前とことん失礼だな!?」
俺のメンタルがどんどん底をついてくるわ!
「違うんだったら何でそんな騒いでたんだよ?」
いや仮にお前の予想が当たってたとしてもあんな風に騒いだりはしないと思いつつも質問に答える。
「コイツが先輩に対してあまりに失礼だったから礼儀を教えてやろうと思ってな。つーかお前ら礼儀くらい教えとけっての」
「礼儀?悪い?」
「悪いわ!ボケとか言ってきたぞ!」
「そうなの関根?」
「え、あ~、まあはい。言いました」
流石に岩沢に叱られると思ったのか、俺の時とは違い少し緊張している様子だ。
だが、岩沢は特に怒ったりする素振りもなく、うーんと考えこんでいる。
「関根、お前あたしとかにはあんまりそういう風にしないよな?」
岩沢は少しして思案を止め、そう切り出した。
そういう風、というのはボケとか言ったりすることのことだろう。
「え?ええ、はい」
「何で?関根って本当は柴崎と話す時みたいな態度が自然なんだと思うんだけど」
「えぇ…いやそれはやっぱり同じバンドの先輩ですし、失礼じゃないですか」
「おい。俺も一応同じ部活の先輩なんだけど」
「…なぁんか先輩には敬語だと話しにくいです…ぶっちゃけ今も…」
「なんだそりゃ?結局俺に威厳がないって話か?」
またぞろ俺を小馬鹿にするための言葉なのだと思ったのだがどうやらそうではないらしく、そうじゃなくて…とこめかみに指を当てて唸っている。
「みゆきちも言ってたんだけど、どうも敬語で話そうとすると違和感があるんだよね…」
「入江も?」
俺まだまともに話したこともないんだけど。
「人見知りとその違和感のせいで余計話しにくい、みたいなことをこの前話してて」
「だからまだ話せたことがないのか…」
とは言っても、その違和感っていうのは俺にはよく分からない。
まあ俺も関根と入江には、というよりSSS部の全員に対して思うところがある。
それは言葉にはしにくいもので、あえて言うのなら馴染みやすさ、親しみやすさというような言葉が近いと思う。
俺も色々あって少し人見知り気味というか、人間不信の気がある。
だけど、あそこの皆や関根、入江、そして実は直井に対しても俺は何となくだが話しやすいのだ。
直井の場合は少し特殊なケースというところもあるので何とも言えないが。
つまり関根や入江の言う違和感というのはもしかしたらその親しみやすさだったりを二人も感じ取っているから故なのかもしれない。
とはいえ、それを俺がどうにか出きるわけでもない。
そう考えていると、おもむろに岩沢が口を開く。
「だったらもう敬語やめちゃえば?」
「え?」
「は?」
「ん?」
いやいや聞き返されてもこっちが困るわ。
「敬語やめるって…いいんすか?一応後輩なんですけど?」
「いいんじゃない?話しにくいなら」
「ちょっと待て。俺の意思は全く関係ねえのか?」
「駄目なの?」
「駄目だろ!」
「なんで?」
「なんで、って…」
じっと見詰められ言葉に詰まってしまう。
なんでって…先輩と後輩なわけだし…って、それなら俺が気にしなきゃいいだけの話なのか?
…なんかコイツに言われると頭が混乱してくる。
まるで自分の考えがただの固定概念でしかなくて、岩沢の言ってることこそが本当の物事の真意を突いているものなんだと思わされそうになる。
「わかんねえけど…」
だから俺は答えられなくなる。
「なら、あたしには敬語無しでいいよ」
「えぇぇぇ?!ぜぇったいに無理ですよ!?恐れ多すぎます!!」
軽い調子で言ってのける岩沢に全力で手と首を横に振る関根。
「おい!なんだその俺の時との反応の違いは?!」
「いやだから先輩はなんていうか敬語が使いにくいから」
「あたしとかひさ子は?」
「むしろ敬語以外が使いにくいっす…まあヒートアップしたら話は別ですけど…」
そう言って目を逸らす関根。
だが言ってやりたい。
~っす、は多分敬語として不正解だと。
「じゃあ他の皆は?」
「うーん…別に使いにくいとか思ったことはないですかね」
「何?やっぱり威厳?俺だけ威厳がねえの?」
「そーじゃなくってぇ…大体、威厳無いとか言い出したら日向先輩とかの方が無いし…」
「それはそれで酷い言い草だな…」
少し軽いがそれでも気の良い友人の顔を思い浮かべて憐れむ。
「要するに…そう!」
閃いたという風にポン、と手を打つ。
「先輩っていうよりも友達になりたいんだ!」
「とも…だち…」
「うんうん!そうなるとさ、友達に敬語っておかしいでしょ?」
「ん、まあ確かにな…」
と言いつつ頭の隅には常時敬語で話す幼馴染みの顔が浮かんできたが、まああれは稀有な例なので置いておく。
しかし…
「友達、か…」
顎に手をやり考える。
友達…
確かに俺も関根や入江に感じている感覚を表すなら友達というのが最もしっくりくる。
それに、こんな俺に対してそう言ってくれるのが素直に嬉しい。
友達になりたい、なんて言ってもらえることは滅多にないだろうから。
「…なら、仕方ねえな…」
「え?」
気恥ずかしさから声量が小さくなりすぎたようで、聞き返されてしまう。
だから、今度はちゃんと聞こえるよう声を少しだけ張り上げる。
「仕方ねえなって言ったんだよ。なろうぜ、友達」
「本当?!じゃあじゃあ敬語無しでいい?!」
「ああ、友達だからな」
「よっしゃぁ!じゃ、今度からよろしくな、柴崎。あ、パン買ってこいよ」
「それはパシリだろうが…!」
「ぎゃぁぁぁ!痛い痛いぃ!」
あまりにも調子に乗っている関根のこめかみを両側から拳でぐりぐりとしめつける。
「ふふっ」
そうしてお灸を据えていると、不意に岩沢が笑い声を洩らした。
「ちょっとぉ!笑ってないで助けて下さいよぉ!」
「ていうか、何がそんなに面白いんだよ?」
「いや…何て言うか、ね。ちょっと楽しくってさ」
何故か少しだけ目を潤ませて微笑む岩沢。
それを見て、楽しい?と疑問符を浮かべて関根と顔を見合わせる。
「ごめん、ちょっと先に行くよ。あ、早く入江とも仲良くなりなよ」
じゃあね、と言って岩沢は足早に歩き始めた。
「どうしたんだ急に?」
「さぁ…?」
先に行くと言っても、俺たちももう部室には行くし一人だけ先に行く意味はなんなのだろう?
「あれ?どうしたんだ二人とも。まだ部室に行ってなかったのか?」
とりあえず俺たちも行こうかと思った矢先、後ろから音無がやって来た。
「あー、いやちょっと話し込んでてな。お前はもう日直終わったのか?」
「ああ、今終わったんだ。話って何の話?」
「まあ他愛もない話ってとこだな」
「ふーん?まあいいか、折角だし一緒に行こうぜ」
「だな」
つーかそろそろ行かないと仲村の機嫌を損ねそうだ。
俺たちの通う百合ヶ丘学園は、校舎を3つに分けて、校門から近い順に、第1校舎、第2校舎、第3校舎となっている。そしてその校舎が並び建つすぐ横にグラウンドが配備されている。
俺や音無たちのクラス、そして関根や入江、直井のクラスは学年が違うが偶然にも同じ、校門から最も遠い第3校舎の中にある。
そして俺たちの部室はというと、第3校舎から少し離れた場所にある。
第1校舎から真っ直ぐグラウンドの端を突っ切るとそこが俺たちの部室なのだが、第3校舎から向かうとなると、グラウンドを斜めに突っ切るか第2、第1校舎に沿うように外回りをするというこの2択になる。
授業が終わってすぐに部室に向かう場合なら斜めに突っ切ることも出来るのだが、今日はもう既に関根や岩沢と話し込んでいたこともあり運動部の練習が始まっていてそれも叶わない。
だから俺たち3人は外回りを選んだ。
これが功を奏した。
第1校舎から部室へ向かう直線。
その道の左側、校門と第1校舎のちょうど中間辺りに体育館がある。
すると必然的に第1校舎と体育館の距離は近く、そこに細いが奥行きのある路地のようなスペースが生まれる。
人が3人横に並んで入れない程度の幅のその場所。
そのすぐ側に鬱蒼とした木々や草むらがあることもあり、ちょうど良い死角のようになっている。
もしグラウンドを斜めに突っ切って部室に向かっていたら、さすがの俺の眼でもそれには気づくことが出来なかったかもしれない。
だが、話し込んで外回りをすることになったことによって直線上になったその路地に、俺の眼はその光景を捉えた。
「直井…?」
体育館と第1校舎、そして木々達の間に生まれる路地の中、そこに直井の姿が。
人は見慣れたものを優先的に視界に捉えやすくなると言うが、全くもってその通りのようだ。
ここ最近で見慣れた直井を真っ先に捉え、何をしてるのかと注意深く見てみれば、直井の周りに柄の悪そうなのが数人居ることが窺えた。
それは誰がどう見ても直井が何か因縁をつけられ絡まれているようにしか見えなかった。
「え?どこだ?どこにもいないけど」
俺の言葉を聞いた音無がキョロキョロと辺りを見回すが当然気づかない。
しまった…と内心臍を噛む。
眼のことは出来れば知られたくなかったからだ。
もうこの眼のことで誰かにとやかく言われたくない。
このまま勘違いだとうやむやにして、近づいてから改めて直井がいることを伝えようかという考えが一瞬頭によぎる。
でもそれじゃ直井が絡まれているのをみすみす見逃すことなる。
そんなのは駄目だ…でも…眼のことは…
そう悩んだ時、遊佐の姿が脳裏に浮かぶ。
中学時代のトラウマを乗り越え、一歩前に進んだ幼馴染み。
…そうだよ。何考えてんだ俺は…俺も前に進むって決めたばっかだろうが…!
俺は路地の方に指を向け、あそこだと伝える。
「あそこ…って、お前よく見えるな?!」
「昔から眼だけは良いんだよ」
そのせいで苦労した時期もあったけどな、と心の中で付け足す。
「ていうか、今そんなこと言ってる暇はねえわ。どうも絡まれてるっぽい」
「絡まれてる?!直井がか?!」
「それってヤバイんじゃ?!」
「ああ。早く先生を…って!?」
呼ぼうと言おうとしたところで、音無はもう直井たちのいる路地に向かい走り出していた。
馬鹿…!一人で行ってもどうにも出来ないだろ…!
「くそ!関根、先生を呼んで来といてくれ!」
「お任せ!」
「おい、お前だろ?調子こいてる一年ってのはよ」
「…………………」
「けっ、ビビってなんも言えねえのか?」
目の前には、薄汚い表情を浮かべる下卑た輩が数人。
明らかに知性も品もなさそうなその喋り方。
自分たちが圧倒的に有利だと確信して思い上がっているその態度。
腹正しい。
こんな特別不良が集まるような学力でもない高校に入っておいて自分は不良だと粋がるその思考。
虫酸が走る。
「…臭い」
「ああ?」
「貴様の吐く息が臭すぎて口を開く気にもならん。とっとと僕から離れろ。この下衆が」
「んだとこらぁ!」
「ぐっ!」
左の脇腹に鈍い痛みが走る。
少し煽られただけですぐに頭に血が上る浅はかさ。
年だけ食ったクソガキめ…
とは言っても僕がコイツらに勝てる見込みは0だ。
いくら浅はかで幼稚で知性も品も無かろうと、頭を使わないただの暴力になればそんなものは関係がない。
僕が一方的に殴られて終いだろう。
「はぁ…触るな。汚いだろうが」
「いちいち癇に障る野郎だなぁ!」
「がっ!」
今度は土手っ腹に拳を叩き込まれる。
一瞬息が出来なくなり、さすがに踞る。
こんな下らない奴らの前で膝をつかなければならない屈辱。
しかしどうしようもない。
ここで僕が反撃しようと無駄だ。
コイツらには数の利がある。
独りの僕には、抵抗する術もない。
こんな周りから見えにくい場所では助けなど来ないだろう。
そう考えてからははっ、と乾いた笑いが漏れる。
馬鹿か僕は。
例え見えていたとしても僕を助ける酔狂な奴なんて存在しない。
こんな明らかに喧嘩慣れをしている輩から僕を、僕なんかを助ける奴なんて居ない。
そうなるよう振る舞った。
周りからの接点を自ら断った。
もう誰かを信じることなどしないと、そう決めたから。
「おい、お前らも見てねえでやっちまえよ」
「おう」
「よっしゃぁ、精々痛がっている姿見せてくれよぉ?」
僕の周りにハエか何かのように群がり出す。
コイツらがハエなら、群がられる僕は糞か何かか…
「お前ら何やってんだ!?」
そう自嘲した時、怒気を隠そうともしない叫び声が光の方から聞こえた。
声の主は、橙色の髪の毛をした見覚えのある人物。
確か…音無。
「ああ?んだお前?」
「俺のことなんてどうでも良い!直井から離れろ!」
何で…?
「はっ、なんだヒーロー気取りの痛い奴かよ」
「ほっとけよ」
「だな…おら!」
「うぐっ!」
「直井!?」
踞っている僕に横から蹴りを入れてくる。
「やめろぉ!」
「邪魔すんじゃねえ!」
「がはっ」
衝撃に耐えきれず倒れ込んだ僕を見て不良たちに突っ込んでいく音無。
しかし、恐らく僕と同じく喧嘩に慣れていないのだろう。あっけなく蹴りを正面から受けはじき飛ばされる。
「…っ、馬鹿か貴様は!?何で来た!?」
その様を見て堪えきれず柄にもなく大声で問う。
音無はゆっくりと立ち上がりながら口を開く。
「決まってるだろ…!お前が、俺の友達が危ない目に会ってるからだ!助けに行かないわけないだろ!!」
「っ!?」
友達…?
あれは、口から出任せで言っていたんじゃないのか?
だって、部活の勧誘だって初めに言っていた。それを僕が断ってから撤回していたけど…でも、本当に勧誘目当てじゃなかったなんて、1度足りとも信じなかった。
あれは本心だったのか…?
僕と本当に心の底から話したいと思っていたと言うのか…?
そんな…そんなの…あり得ないだろ…?
「友達とか何とか寒すぎだろコイツ」
「つーかちょっとキモいわ」
「腹立つしコイツからやるか」
「お、おい!やめろ!」
さっきの発言が気に障ったのか、標的を僕から音無に変更する。
「死んどけ!」
「ぐっ…ぁ…」
不良たちの一人から膝蹴りを鳩尾あたりに食らわされる音無。
痛みからかはたまた息が出来ないからか、両手で腹を押さえてもんどりを打つ。
「まだまだぁ!」
「がはっ」
更にそこに追い討ちをかけるように脇腹を蹴り込む。
「やめろ…やめてくれ…!そいつは関係ないだろ!」
そいつは僕を助けに来てくれただけなんだ…こうなるような態度を取っていた自業自得の僕を助けに…
「関係なくないだろ?お友達、だもんなぁ?なあ?!」
「がぁぁぁ…っ」
仰向けに倒れこんでいるところを思いきり踏みつける。
下手をすれば肋骨を折られてしまうかもしれない。
誰か…助けてくれ…せめてアイツだけでも…!
「おい」
そう願った時、またしても光の方から声がした。
その人物もまた、見覚えのあるものだった。
「音無から足どけろよクズ野郎」
音無は普段の態度や性格からして文化系かと思っていたのだが、俺よりもかなり足が速く、出遅れたこともあり追い付いた時にはもう音無も直井も酷く痛めつけられていた。
音無は踏みつけられ、直井も立てなくなっているその状況を見て、俺は久しぶりに誰かを殴り飛ばしてやりたいというドス黒い気持ちが湧いてきた。
「音無から足どけろよこのクズ野郎」
だからこんな明らかな挑発を言ってのける。
「ああん?」
「言葉理解出来ねえのかエ〇ゴリ君」
「誰がエネ〇リだ!?こらぁ!?」
まんまと挑発に乗ってきたゴリラ顔。
俺を殴るために音無から足をどけてこっちに拳を振りかぶって走ってくる。
「おらぁ!!」
目一杯の力を込めたであろうそのパンチ。
だけど俺には当たらない。
「お、おおっと」
当たるつもりで全力で振り切った拳は空を切り、ゴリラ自身がよろける結果になる。
「おいどこに向かってパンチしてんだよ。顔も頭も悪けりゃ目も悪いのか」
「ん、だとぉ…?!たまたま避けられたくらいで調子こいてんじゃねえぞ!?」
またしても易々と挑発に乗り真っ直ぐに突っ込んでくる。
さっきとまるで同じ。
俺を目掛けて放つ拳は呆気なく空振りする。
「くっそぉ!お前らも見てないで囲め!一気にやるぞ!!」
「お、おう!」
恐らくコイツがリーダー的な役割なんだろう。周りで呆気に取られていた奴らに指示を送る。
囲むと言ってもここは狭い上に今俺は校舎を背にして後ろを取られないようにしている。
相手全員が視界に入るよう位置取ったこの状態。
この状態の俺には、俺の眼には避けられないものはない。
「死ね!」
「おらぁ!」
「どらぁ!」
「ボケがぁ!」
頭の悪そうな掛け声と共に飛んでくる拳を全て避ける。
力加減の知らないバカ達は勝手に壁を殴って自らの拳を痛めつける。
「いってぇ!?」
「なんだコイツは?!」
いつもならこれくらいで許してやっただろうけど――
「柴崎…」
――痛めつけられた二人の分くらいはきっちり落とし前つけないといけないよな。
「ふぅ」
とりあえず全員に数発ずつ拳や蹴りを見舞ってそこら辺に転がして一息つく。
さすがにここまでボコボコにしたのは初めてかもしんないな…
まあそんなのは些細な問題だ。
それよりも…
「柴崎…お前強いんだな…?」
踏みつけられていた腹を痛そうに押さえながら話しかけてきた音無にビクッと肩を震わす。
眼の事がバレたことはしょうがない。そうしないと直井を見捨てることになったから。
でも、その眼がこんな風に相手を傷つけるためにも使えるんだと気づかれてしまったことは俺の心に重くのし掛かってくる。
「…ああ。俺の眼は動体視力も良いらしくってな。コイツらくらいならこれくらいは余裕で出来る」
危ない奴なんだと思われてしまったらどうする?
距離を取った方が良いと思われたら?
そんな考えが頭に過る。
「化け物…」
更に後ろから聞こえた不良の一人の呻き声に、その考えが加速させられる。
「化け物…か。確かにそうなのかもな…」
思わず漏れた自嘲。
「そんなことない!」
しかし、それを音無が吹き飛ばさんばかりに否定した。
「俺と直井を助けるために使ってくれたんだ。そんな優しい奴が化け物だなんて、そんなわけないだろ?」
「音無…」
「少なくとも俺はそんな優しい化け物は見たことないよ」
「…アホか、そもそも化け物を見ることなんかねえだろ…」
でも、ありがとな。と小さく付け足す。
「あ、そうだ!直井、大丈夫か?」
「え、あ…」
「柴崎くん!先生連れて…あれ?」
「関根…と…先生…」
「これはどういうことだ…?」
一連の流れのせいで放置してしまっていた直井の下に駆け寄ろうとした時、丁度関根が先生を連れてきてしまった。
やべ…この転がしてる奴らのことなんて言おう…
「これはお前がやったのか…?」
当然この光景を見れば無傷の俺がやったのだとバレてしまう。
少し年のいっている教師は微かに震える指先を俺に向けた。
「まあ…そうっすね」
そして理由はどうあれ、やったことは確かだ。頷かざるを得ない。
「ちょっと職員室に来い!こんな所で喧嘩なんて非常識な!」
「わわわわ!待ってくださいって先生!そもそも先生を呼ぶように言ったのは柴崎くんなんですよ?!」
「そうです!柴崎は俺たちを助けるために仕方なく手を出しただけで…!」
先生はつかつかと俺に詰め寄り首根っこを掴んで連れていこうとした。
だがすかさず関根と音無が俺の代わりに弁解をしてくれ先生の足を鈍らせてくれる。
「しかし手を出した生徒に何も罰を与えないわけには…」
「こんなの正当防衛の範疇でしょう!?」
「そーですよ!柴崎くんよりここらへんの邪魔な不良たちを連れてってくださいよ!」
「音無、関根、もういいよ。殴ったのは確かなんだから」
「でも…」
「それに音無は見てたから分かるだろうけど、コイツらくらいなら先生が来るまで手を出さずに避け続けることだって出来たんだ。それをせずに殴ったのは俺が悪い」
だから良いんだって。と精々明るく笑って言う。
こんなに俺のことを庇ってくれる奴らがいるってだけで俺は満足なんだ。
「良いわけ…ない…」
それじゃあ、と歩き出そうとしたその時、後ろから小さな声が聞こえてきた。
「え?」
「良いわけない!そんなの!」
振り向くと、殴られて倒れていた直井がいつの間にか座り込んでいた。
そして力強く地面をダンッと殴る。
「この人は…僕を助けに来てくれたんだ!こんな…こんな僕を!!」
「直井…」
「自業自得で殴られていた僕を助けてくれたんだ…!僕が痛めつけられているのを見て怒ってくれたんだ…!」
叫んでいく内に感情が昂ってきたのか、両目からツーっと雫が流れていく。
そして直井は勢いよく頭を下げた。
「僕が何でもします!だから…だからこの人には何もしないで下さい!!」
「だ、だが…」
「よく言ったわ!!」
直井の鬼気迫る懇願に怯みかけた教師の言葉を切り裂いて俺達に届く凛とした声。
直井の方を見ていた俺たちは一斉にその声の主の方に振り返る。
そこには腕を組み、まさに威風堂々という言葉が似合うような仁王立ちで不敵な笑みを浮かべる仲村の姿があった。
「ゆり、なんでここに?!」
全員の気持ちを音無が代表して言葉にする。
するとたちまち目をキッと吊り上げて怒りを露にする。
「あんたたちがおっそいからでしょうが!!」
「そ、それは済まない…」
「まあいいわ。お陰で面白い状況になってるし?」
ふふん、と今度は上機嫌に笑ってみせる仲村。
「直井くん。さっき、柴崎くんが無罪放免になれば何でもするって言ったわよね?」
「い、言ったが」
「OK OK。なら1つ条件を呑んでくれればあたしが何とかしてあげてもいいわよ」
「本当か?!呑む!どんな条件でも呑む!」
「ふふ、良い返事よ。それじゃあ…」
一体この状況で何を言うんだと誰しもがごくりと生唾を飲む。
「私たちの部に入りなさい」
「部…?」
「そうよ。柴崎くん達が誘ってたでしょう?それに入れば何とかしてあげる」
「……………」
仲村の出した条件。
それは納得のいくものだった。仲村が直井に求めるリターンにそれ以上のものはないだろう。
だけど、それを聞いて押し黙る直井を見て俺はただ見ているわけにはいかないと思った。
「ちょっと待てよ。そんな無理矢理部に入れたって何の意味もないだろ?」
「俺も柴崎と同じ意見だ」
仲村に意見した俺に音無も同調してくれる。
「ふーん」
「ふーんって、お前な…今の直井は人間関係を作りたくないって言ってんだ。それをこんな形で入れてどうなる?」
「だーかーらー、あたしは無理強いなんてしてないわよ。あくまで直井くん自身がどうしたいかを訊いてるの」
口うるさく意見する俺にうんざりしたように肩を竦める。
「こんな状況のどこか無理強いじゃないってんだよ?!」
「あなたバカなの?」
「はぁ?!」
俺は間違ったことは言っていないはずだけど…
「本当に人間関係を作りたくないなんて思ってる人が、なんでもするから助けてなんて、たとえ罪悪感からでも口にはしないとあたしは思うけど?」
そう言われてハッとする。
確かに俺が最初に勧誘した時の直井なら、間違ってもこんな懇願はしなかったはずだ。
関係ない。コイツが勝手に出てきただけだ。
そんな風にこの場を終わらしていたんじゃないか?
ならこれは直井も自ら1歩前に進んだということなんじゃないか?
「それで?どうするの?」
なら、俺がとやかく言うことではないのかもしれない。
「僕は…」
後は直井がどう答えるのか、それをただ待っていればいい。
「…入る。入るに決まってる。この人たちなら僕は信じられる!」
「上出来ね。なら後はあたしに任せなさい。あ、入部届けはあたしが勝手にやっとくから今日はもう帰って良いわよ」
「ちょ、ちょっと仲村くん、そんな勝手に…」
「あーら何かしら?もしかしてあたしに何か言いたいことでも?」
「い、いやそういうことでは…」
忘れかけていたが仲村はこの学校の理事長のご令嬢。それもかなり溺愛されているらしい。
そんな彼女に粗相でもあれば教師としての立場も怪しい。
だからこその任せときなさい。
まあ本当はこんなことしちゃいけないんだが、今日はこの権力に甘えさせてもらおう。
「行くぞ」
「あ、は、はい!」
仲村としどろもどろの教師、ついでに不良たちを置いて細い路地を抜け出し校門に辿り着く。
「じゃあ直井、また明日な」
「はい!」
「んーと、さっきも思ったんだけどなんで敬語?」
俺の知る今までの直井とのギャップに戸惑い頬をポリポリと掻く。
「…僕は信じられる人が居ませんでした。理由はあまり言いたくないんですが…」
「良いよ、話したくないなら訊かない」
「…ありがとうございます。でも、今日僕がピンチの時に自分の身も省みず駆けつけて下さったお二人を見て、この二人なら、そう思いました」
「はは…俺は見事にボコボコにされてカッコ悪かったけどな…」
「そんなことないです。真っ先に駆けつけてくれた姿は本当にカッコ良かったです」
そう。今回は俺が相手をのしたからうやむやにされているが、本当に称賛されるべきは危険を省みない音無の勇気なんだ。
俺は先生を呼んだ方が確実だとかうだうだと考えてしまったのだから。
「そして決め手は条件を出されて一瞬黙ってしまった僕を見て、無理強いをしても意味はないと言ってくれたことです」
「でもあんなの当然だろ?」
「当然じゃないです。人というものは自分の進退がかかっていると保身しか考えられなくなる奴らが大半なんです。ですが、柴崎さんは違いました」
確かにあんまり自分がどうなるとか考えてはなかったけど…
でもそれはただそこまで頭が回らなかったってだけなんだけどな。
「だから、僕はお二人についていこうと決めました。そしてこれまでの無礼の数々も謝罪させてもらいます。本当に申し訳ごさいませんでした!」
「良いって良いってそんなの!なあ?」
「ああ。嫌がってたお前に付きまとってたのは俺たちなんだから」
「そうそう!気にしないでいいよん!」
「「「…………………」」」
「ん?どしたの?」
「…お前居たのか」
「居たわ!!?先生連れてきてからずーっと居たわ!!」
あまりに影の薄かった関根に皆の気持ちを代弁して伝えると、物凄い形相で詰め寄ってきた。
「貴様!柴崎さんに無礼だぞ!」
「ええぇ?!あたしは?!あたしだって先生連れてきたのにそれは無視なの?!」
「貴様はそれ以外なにもしてないだろうが。連れてくるのも全部終わった後だしな」
「そんな殺生なぁぁぁぁ!!」
「やかましいぞ!!」
「ま、まあまあ落ち着けって二人とも。直井もそんなに叫んだら殴られた所に響くだろ?」
互いに大声で騒ぐ二人に音無が仲裁に入る。
「つーか、音無もかなり殴られてんだろ?今日のところは二人とも早く帰って手当てしとけよ」
「そうだな。怪我も重くはないけど、一応そうするか。柴崎は部活に行くのか?」
「ちょっとぉ!あたしにも訊いて下さいよぉ!?」
「あ、ああ悪い」
「だから貴様は大したことしてないんだから行くのは当たり前だろ!」
「ちょっと二人とも落ち着けって」
「はぁ…もう放っとけ…」
この二人はこうやってきゃんきゃん騒いでるのが似合ってるような気がしてきた。
「まあ俺も行くよ。大して疲れてないし、それに行かないとうるさい奴が約1名いるしな…」
1日休んだだけで次の日やたらめったら引っ付いてきそうな紅髪を思い浮かべて嘆息する。
すると何が可笑しかったのか音無がははっと笑いを洩らした。
「なんだよ?」
「いや、すっかり岩沢のことを考えるようになっちまってるなぁと思ってな」
「なっ?!ちげえよ!行かないとめんどくさいって思っただけだ!!」
「そうやって思っちまってること自体、岩沢の思う壺なんじゃないか?」
「だぁーもぉ!うるせえ!断じてそんなことはない!この話は終わりだ!さっさと帰って寝ろ!」
「はいはい。じゃあ直井、行こうか」
「はい!音無さん!」
未だにクスクス笑っている音無には納得がいかないがとりあえず帰る気にはなったらしい。
音無に促され関根と言い争いをしてたはずの直井はまるでそんなことを感じさせない程自然に音無の隣に移動していた。
「では柴崎さん、また明日!」
「おう」
「ねえ!だからあたしは?!」
「うるさいバカは放っといて帰りましょう音無さん!」
「ちょっとぉぉぉぉ!!」
「もう今日のところは諦めろ。また明日、改めて部活で話せ」
直井はお前のパートナーになるんだから、と言外に付け足す。
まあきっと反対するんだろうけどな。
「わかったよぅ…」
俺の真意が伝わったのかは定かじゃないが、とりあえず引いてくれたようだ。
「じゃあな」
「はい!」
大きく手を振り校門を出ていった直井。そしてその隣でそれを微笑ましそうに見ている音無は、まるで仲の良い兄弟のようだった。
「あ、そういやお前早く行かないと岩沢とかはともかくひさ子にキレられんじゃねえか?」
「え…?い、いやぁ流石にそんな…理由を話せばきっと…」
「理由なぁ。ちゃんと聞いてもらえればいいけど」
ひさ子って体育会系っぽいからとりあえず怒鳴りそうだなぁ。
「ちょ、ちょっと…お先に失礼!」
顔を青ざめたまま猛烈なスピードで走り出した関根を見送って俺もゆっくり歩き始める。
「柴崎!」
「…………………」
二人と関根を見送った後、部室に向かうとあたかも待ち伏せていたかのように部室の前に岩沢が立っていた。
いやまあ実際俺を待っていたのは間違いないんだろうけど。
ていうか関根はどうなったんだろうか。
「遅かったな?別れてから待ってても全然来ないから何かあったのか心配したんだぞ」
「………………………」
それはさておき、予想通りの反応を受けてやはり俺の考えは正しかったと確信する。
そうだ。このまま部室に顔を出さなければきっと明日何度もしつこく何があったのか訊かれていたに決まっている。
「柴崎?」
「違うからな!!」
「へ?な、何が?」
「断じて違う!」
そう。決してお前のことを真っ先に考えたとかじゃない!
何なんだよ~?と困惑している岩沢を尻目に部室のドアを開けた。
校門
木々 体育館
駐 第1棟 部室
輪 第2棟 グランド
場 第3棟
恐らく文章では校舎などの位置関係がまるで伝わらないと思ったので簡単な図を載せておきます。位置関係のみを書いていますので、後はなんとかこれを学校っぽく脳内補完して頂けると幸いです。
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