チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足21話「冥王計画メルハイマー」

 私は今、エウレシス村にいる。

 エレウシス村は、近くにダンジョンがあるだけのただの村である。

 

 もちろんダンジョンがなく本当に何もない村よりは、ギルドがあるだけ活気はあると言える。

 しかし、初心者級ダンジョン――ニューサ野に魅力のあるドロップはない。

 そのためギルドに冒険者は少なく、寂しい様相を見せていた。

 

 昨日の時点で、ダンジョンはさくっとクリアしてしまっている。

 特にこれといって何もない初心者級ダンジョンだと思っていたが、シュウは違和感があったようだ。

 こいつが何かを感じたときはだいたい何かあるので、今日も喜んでニューサ野に行く予定である。

 

 村から出る途中、目に包帯を巻いている少女を見かけた。

 肩にかかる亜麻色の髪を風に揺らしながら、木の椅子にちょこんと座る。

 線は細く、周囲の木々の枝のように力を入れたら折れてしまいそうな脆さを感じた。

 

 昨日もいたよな?

 なんか絵になる姿が、印象的だったので覚えている。

 

『いたね。やれやれ……、俺に口説かれているのを待っているようだな。罪な男だぜぇ。――よし』

 

 何がよしなのかはさっぱりわからない。

 冗談はさておき、何をしているのだろうか。

 日光浴にしてはやや風があって肌寒い。

 それに咳もしているようだ。

 

 大丈夫か?

 

 近寄ると少し体をこわばらせた。

 

「はい、大丈夫です」

 

 そうか。

 だが、今日は風が強い。

 体調が悪いなら帰った方がいいんじゃないか。

 

「……ありがとうございます。でも、もう少しだけ」

 

 どうも帰る気はないらしい。

 まあ、それは本人の自由ってもんだ。

 私もダンジョンに行こう。

 

「冒険者を、されているんですか?」

 

 ああ。

 冒険者をしている。

 昨日、ニューサ野をクリアした。

 少し気になることがあるから今日も行くんだ。

 

「失礼しました。足音が冒険者の人とは違っていましたので……」

 

 ここでようやく緊張が解けたように見えた。

 足音で判断したってことはやっぱりその目は見えないのか。

 

「はい、小さいときに事故に遭って。もう慣れました」

 

 そう言って、また咳き込んだ。

 顔色もやや白く、あまり良くは見えない。

 

『送ってあげた方がいい。ここに座ってて良い体調じゃない』

 

 真面目な声だったので、本当に体調が良くないのだろう。

 これが男だったら『死ぬまで座らせとけばいいでしょ』とか本気で言うからな。

 

 送っていこう。

 家はどこだ?

 

「もう少し――もう少しだけですから」

 

 もう少しというのは具体的にいつのことだ?

 

 少女は俯いた。

 悪いことをして見つかった子供のように黙りこくる。

 

 けっきょく少女は私におぶられて家に帰った。

 ベッドに横になり、その横で私は母親に礼を言われていた。

 少女は母親にコレーと呼ばれており、何やら持病があったようだった。

 

 これ以上、礼を言われるのもこそばゆい。

 ささっと出て行こうとしたところでコレーに止められた。

 

「冒険者さん。お願いがあるんです。もしも……もしもプルートゥという冒険者に出会ったら」

 

 そこで少女は言葉を止めた。

 出会ったら何なの?

 

『コレーはあそこに座って、「もう少し、もう少しだけ」と誰かを待っていたように俺は見えたがね』

 

 ……ああ、わかった。

 そのプルートゥとやらに会ったら、コレーが待っていたと伝えておこう。

 

 コレーは喜び半分、安堵半分の表情を浮かべて床につく。

 私は彼女を起こさないよう、静かに歩いて部屋を出た。

 

 

 

 私は今、ニューサ野にいる。

 今日もニューサ野は穏やかである。

 

 膝下まで伸びた草を踏みつけ、道を作りつつ進む。

 出てくるモンスターはニュンペーとか呼ばれる精霊だった。

 光の球に、同じく光の小さな羽が生えているだけのモンスターである。

 昼はふわふわ飛んでいるだけで攻撃してこない。夜になると攻撃もするがそこまで脅威はない。

 

 この手のモンスターはあちらこちらで見られる。

 名前もニュムペー、ニンフなど場所によって呼ばれ方が違う。

 初級や中級に出てくるものもおり、それらは魔法を使ってくることもある。

 

 それで、何が気になるんだ?

 私にはよくある初心者クラスのダンジョンにしか見えないんだが。

 

『もうちょっとだけ歩き回ってみて』

 

 言われたとおりに歩き回る。

 ときどきモンスターを斬りつけるがアイテムは拾わない。

 

『いた。あいつだ』

 

 見える限りだと、だいぶ先にモンスターがいた。

 ただのモンスターじゃないか?

 それとも別のやつか?

 

『いや、今見てる奴であってる。明るさがちょっと違うでしょ』

 

 ……そうか?

 他の奴と全然変わらない気がするけど。

 

『やや明るい。夜だともっとはっきりわかると思う。それに魔力量も桁外れに多い』

 

 視界の色がおかしくなった。

 赤と青の二色が混ざった世界である。

 シュウがたまに見せてくる魔力量を可視化したものだ。

 周囲の景色が青で描かれているのに対し、モンスターだけが真っ赤だった。

 

 確かに赤いな。

 でも、他のモンスターも赤いんじゃないか。

 

『右の方にいる奴と比べてみなよ』

 

 右を見ると、紫に近い球体がふよふよ浮いていた。

 赤と言うよりも青に近い。

 

 もう一度、前方の球体を見ると真っ赤である。

 

『ね?』

 

 本当だ。

 なんか異常に赤いな。

 

『ちょっと倒してみよう』

 

 ああ。

 言われた通りに一気に距離を詰めて倒す。

 手応えは特にない。出てきたドロップアイテムも他のモンスターと変わらない。

 

『うーん。ポイントはやや多いんだけど、なんでだろう?』

 

 魔力量がちょっと多いだけだったとか?

 たまにこういうのいるんでしょ。

 

『他のダンジョンだと、レア扱いで特殊なドロップがある』

 

 同じだったぞ。

 

『うん。そうすると、まずは倒す順番、倒す手法、倒す時間あたりか。精霊ってことだから時間が本命かな』

 

 確かにこの手のモンスターは夜に活発になる。

 一度、街に戻るとしようか。

 

 

 

 ここのダンジョンでモンスターの種類が違うなんて話はなかった。

 そうなると、これは新たな発見ということになる。

 

 新発見の喜びに思わずスキップで街に向かっていると、前方を歩く男を見つけた。

 男だとわかったのは、彼もまた私に気づき振り返ったからである。

 

 その身なりは異常だった。

 上から下まで真っ黒な装束に身を包んでいる。

 腰辺りまで伸ばした長い黒髪は油に浸していたのかというくらジトッとしていた。

 着ていたマントは夜闇の帳が降りているくらいに光を感じさせない。

 唯一、やや黄色みの肌と赤い瞳が黒から浮き上がる。

 

 その赤い瞳に補足され、背筋をぞわりとしたものが走る。

 この気持ち悪さは、つい最近感じたものだ。

 

『な、んで……、こんな奴が、こんなところにいる? メル姐さん――』

 

 シュウの声もややひきつっている。

 わかってる。こいつ、すごい強いんだろ。

 私でもはっきりわかる。立っているだけで威圧感を覚える。

 

「どうか、されましたか?」

 

 男は、私に声をかける。

 ジトッと湿度を多分に含んだ声だった。

 おっさんかと思ったが、顔はまだ若そうである。

 やや下がり気味の眉が、なんだか頼りなさげな印象だった。

 

「冒険者ですか。ニューサ野で攻略をした帰りでしょう。一緒にエレウシスまでどうです」

 

 真面目な表情でそう提言してきた。

 いきなり敵対するということはなく一安心である。

 相手からの敵対意識も消えたせいか冷や汗もすでに収まっている。

 なんだ、すごく強いというだけで別に普通の人じゃないか。

 別に何もおかしなことはない。

 

『いやいや、おかしいでしょ。エレウシス村に向かって歩いてるけど、この道って本当にニューサ野以外に何もないよ。こいつはどこから出てきて、エレウシスに向かってるの? 少なくともニューサ野にはいなかったよ』

 

 ……ダンジョンに行く途中で引き返したとかじゃないの?

 

『聞かなくて良いからね。やぶ蛇はしたくないし』

 

 それもそうだ。

 私は今、沈黙を覚えた。

 

「お名前はなんというのですか?」

 

 しばらく沈黙を貫いて歩いていたが、男が疑問を投げかけてきた。

 喋りすぎるのもあれだが、何も話さないのはまずいだろう。

 とりあえず、名前だけは返しておこう。

 

 メルだ。

 

「メルさんですか。初級クラスでしょうか?」

 

 いや。

 もっと上だ。

 

 ソロで極限級なので名前は割と有名になったのだが、心当たりがなかったようだ。

 もしくは実力から測られて、それはないと考えたのかもしれないな。

 

 そっちは?

 

「これは失礼しました。私は初級です」

『お前みたいな初級がいるわけねぇだろ』

 

 いや、クラスじゃなくて名前を聞いたつもりなんだが。

 

「あぁ、そうでした。聞くだけ聞いて名乗っていませんでしたね。重ね重ね失礼を。私は……プルートゥです」

 

 あれ?

 どこかで聞いた名だな。

 ……あっ、コレーが話してた奴だ。

 

「彼女を、知っているのですか?」

 

 男の紅い瞳が、ジィっと私を見つめた。

 またしても背筋にぞわりとしたものが這いあがる。

 

 村の出口付近でお前が来るのを座って待っていたぞ。

 でも、体調を崩してな。家まで送って、今はベッドで休んでる。

 

「それは――そうでしたか。ありがとうございます」

 

 驚いた様子で謝辞を述べた。

 とりあえず殺気のようなものを消してくれたのはありがたい。

 

 恋人か?

 

「違います」

 

 そうなの?

 

「私にその資格はありません」

 

 男はハッキリと断言した。

 資格がないとはどういう意味だ?

 

「そのとおりの意味です。それに、私と彼女では――違いすぎる」

 

 少し寂しげにそう答えた。

 何が違いすぎるのかはさっぱりわからない。

 これ以上は聞いても答えてくれなさそうなので私も口を閉じた。

 

 しかし、確かに感じた。

 

 これは――恋バナ、だと。

 

 

 

 村に戻り、ギルドの近くにある宿屋に入った。

 ここのギルドは、規模が小さいため飲み屋がついてない。悲しい。

 

 頼めば料理と酒も出してもらえるので、私はさっそく注文した。

 軽くお腹に入れて、昼寝をしたらまたダンジョンへ行く。

 ただ、問題が一つ残っている。

 

 なんでついてきたんだ?

 

「気になることがありますので」

 

 反対側の席に、やたら黒いというか暗い男が座っている。

 村に入って別れるかと思ったら、そのまま私についてきてしまった。

 

「会いには行きませんよ。コレーも体調がすぐれないようですから」

 

 いや、確かにそうだけどね。

 たぶん会ってやった方が元気出すと思うよ。

 

「しかし、体調を悪化させる訳にはいきませんし」

 

 ずいぶんと常識的な奴だ。

 頭が固いというか。とにかく会ってやれよ。

 別に会ったからといって、すぐに体調が悪くなるわけじゃないんだからさ。

 

「なりますよ」

 

 迷うかと思ったが、すぐに切り返された。

 なぜだ、と聞き返そうとしたところで料理が運ばれて来たので会話を止める。

 

 スープの皿が私の前に置かれる。

 もう一皿のスープも私のすぐ前に給仕は並べた。

 

 いやいや、私は二つもいらんぞ。

 そいつにやってくれ。

 

「……そいつって」

 

 私は目の前の男を指さすが、給仕はうろたえるばかりである。

 

「私の姿は、通常、生者には捉えることができません」

 

 給仕は気持ち悪そうな顔を浮かべ、スープを置いて立ち去った。

 

「私を捉えられる生者は二種類あります。貴方は一つ目ですね。――異常な力を得ている」

 

 男の目がじとりと私を見た。

 その後に、その視線はシュウの方へ移る。

 

『うーん、やっぱり気づいてたか。レイスの類かな』

「私はレイスではありませんよ。シュウさん、でよろしかったでしょうか?」

 

 ……えっ。

 聞こえてるのか?

 パーティー登録もしてないのに?

 

『……転生者かな? それともトリッパー?』

「転生者? とりっぱー? それが何かは存じませんが、貴方は死んでいますね。死者の声に近いものがあります」

 

 死者の声ってこんな声だったのか、どうりで気持ち悪いはずだよ。

 

『そういうことを言ってるんじゃないでしょう。で、何者かな?』

「知らない方が良いかと。あまり関わらない方がいいでしょう」

 

 ごもっとも。

 ただでさえ一人で喋ってて気持ち悪がられてる。

 そのうえ、見えない誰かと喋ってるときたら、もうどうしようもない。

 そもそも私は関わり合いたくなかった。ここまでついてきたのはそっちじゃないか。

 

「それは、そうですね。すみませんでした」

 

 謝りつつも席を立つ様子がない。

 何なの? 黙って俯かれても、居心地が悪くて仕方ないんだけど。

 

「コレーに……伝えて欲しいことがあるんですが」

 

 さっき関わらない方が良いって自分で言ったでしょ。

 

「一つだけですから」

 

 仕方ないな。一つだけだぞ。

 何て伝えて欲しいんだ?

 

「ありがとうございます。それでは、『もう会うことはできません。どうかお元気で』とお願いします」

 

 …………おい。

 お前、それを本気で私に言わせるつもりか?

 

『へいへい、ミスタープルートゥ。もうちょっと女心ってもんを考えようや』

 

 ほんとだよ。

 何でそこでわからないって顔してるんだよ。

 自分で直接会って言えよ。

 

「会えば彼女の体調に障ります。私は生者と関わることのできる存在ではないのです」

 

 くっそ真面目な表情で語る。

 仮に会えていたら、その言葉を告げるつもりだったのか?

 

「もちろんです。今日はそのつもりで来ました」

『マジメか』

 

 お前……、良かったな。

 

「何がですか?」

 

 もしも、コレーが体調を崩しかけてるところにそれを言ってみろ。

 彼女、間違いなく死ぬぞ。

 

「そんな馬鹿な」

『馬鹿ばっかり』

 

 ほんとだよ。

 だいたいお前はそれでいいのか?

 コレーのことを何とも思ってないのか?

 

「好いてはいます。しかし、私と彼女では違いすぎる」

 

 またそれだ。

 別に違いすぎててもいいでしょ。

 

『そうだそうだ。俺とメル姐さんでも全然ありでしょ』

 

 それは全然ない。

 とにかく会いに行こう。

 さっきの台詞は口にするなよ。

 

「しかし、彼女が――」

 

 おい、シュウ。

 

『コレーとパーティ登録すれば大丈夫でしょうな』

 

 そういうことだ。

 行くぞ。

 

 

 

 食事をほどほどに済ませ宿を出た。

 亭主と給仕はもう戻ってこないでくれという目をしていた。

 今日は野宿かな……。

 

 

 

 コレーの家を訪ねると、母は出かけているようだった。

 声を掛けると「入って」と、微かな声が聞こえてきたのでズカズカ踏みいる。

 

 先に、コレーにパーティーリングを付けて登録しておく。

 いいぞ、入ってこい。

 

「この足音――」

 

 ベッドで横になっていた彼女は上体を起こす。

 

「コレー」

「プルートゥ」

 

 プルートゥがコレーの名前を呼び、彼女も彼の名を呼ぶ。

 ……呼んだが、それから先が続かない。

 

 私は今、なぜここにいるかわからなくなってきた。

 

 体調は大丈夫なのか?

 

「はい、なんか急に元気が出たみたいです」

 

 それは良かった。

 なぁ?

 

「体調を崩したと聞いて心配しました。良かったです」

「プルートゥ。体調が良くなったら、東の菜の花畑に連れていって。とても綺麗だって聞いたの」

「見えないでしょう」

 

 マジメに返すなよ。

 そこは二つ返事で引き受けるところだろ。

 

「私には見えないけど、貴方がどんな光景なのか教えてくれるでしょう。それに臭いも楽しめる。きっと良い香りがするはずよ」

『菜の花は臭いよ……』

「誰?」

 

 空耳だろう。

 気にしないで続けてくれ。

 黙っていろとシュウを蹴っておく。

 

「本当は、貴方と一緒ならどこでも良いの」

 

 けっこうぐいぐい攻めるな。

 プルートゥは困ったような顔をさらに困らせる。

 眉は外側に向かって急勾配になってるし、口の端も下に向かっていた。

 

 まぁ、まずは体調を整えることだ。

 死んでしまったらどうしようもないからな。

 

「もしも死んでしまっても、ハデス様にお願いするから大丈夫」

 

 ハデス様って何だ?

 

「冥府を統べる王様よ」

 

 あぁ、だいたいどこに行ってもそんな話があるな。

 死後の世界ってやつだ。地域によって天国やら地獄やらとバリエーションが多い。

 それでハデスってのがメーフの王として、何てお願いをするんだ?

 

「地上に戻してくださいって」

 

 冗談交じりでコレーは話す。

 一方のプルートゥはまじめ腐った顔をしていた。

 

「ハデスは、死者を地上に戻さない」

 

 視線を逸らしてぽつりと言った。

 

「そんなことない。ハデス様はマジメって聞いてる。きっと私の話もマジメに聞いて、引き受けてくれる」

「ハデスは、引き受けない。彼は自身の職責を果たす。死者への裁きを見届けるだけだ」

 

 断言した。

 そして、そのまま言葉を続ける。

 

「奴は部下もまとめられず、その責任もまともに取れない駄目な奴だ。あてにするべきじゃない」

「じゃあ、プルートゥを連れてきてくださいってお願いする。一緒に深淵まで来てもらう」

 

 プルートゥは困った顔に戻って、どう答えたものかと考えていた。

 

「ヘカテーに頼むべきだ。ハデスなんかと違って彼女は優秀だ。大抵の事は何とかしてくれる」

「そうね。ヘカテー様にお願いして、ハデス様にもお願いする。二人にお願いすればどうにかなるでしょ」

 

 それってさ。

 そもそも死後の世界の話でしょ。

 生きて楽しむって選択肢をまず考えるべきだと私は思うんだが……。

 

「そのとおりだわ」

 

 プルートゥも頷いた。

 

「君には、生きていて欲しい。どうか元気に生きて欲しいんだ――」

 

 その後に「だから、もう会うことはできない」とは続かなかった。

 けっきょく彼はまた来ると告げて、私と一緒に家を出た。

 

 互いに何も語らない。

 コレーと歩くときもこんな感じか。

 いや、彼女がぐいぐいプルートゥに話しかけるだろう。

 

 あぁ、今さらだがコレーはお前の声が聞こえるんだな。

 彼女も異常な力を得ているのか?

 

「彼女にそんな力はありません」

 

 じゃあ、どうしてお前と話ができるんだ?

 

「私を捉えられる生者は二種類あります。一つ目は異常な力を持つ者」

 

 ああ、私の場合はそうだな。

 じゃあ、コレーはもう一つのパターンになるわけだな。

 

 それは何なの?

 

「……生と死の境界に在る者」

 

 私は返事ができなかった。

 

 プルートゥは深刻そうな顔をしてどこかに歩き去ってしまった。

 

 

 

 夜になってニューサ野に再びやってきた。

 例の魔力量が違うという精霊を探し、とりあえず倒してみる。

 やや凶暴になっていることはわかったが、それでも昼間と何も変わらない。

 ドロップアイテムは同じだし、ポイントも増えていないとのことだ。

 

『うーん、時間帯でもないし、順番も違うと来た』

 

 倒し方もいろいろと変えてみたが何も変わらない。

 これはなかなかの難題だな。

 

『いや、なんとなくわかった』

 

 おっ、さすがだな。

 

『でも、現状じゃどうしようもないなぁ。明日にしようか』

 

 明日になったらどうにかできるのか?

 

『たぶん』

 

 たぶんか。

 明日の楽しみにしておこう。

 

 

 私は今、エウレシス村に戻っている。

 野宿をして朝になって村に戻ると、村唯一の魔法使いが慌てた様子で走っていた。

 

『いやぁーな予感がするね』

 

 お前もか。私もだ。

 魔法使いの走って行った方向はコレーの家がある。

 追っていくと案の定だった。魔法使いはそのままコレーの家に入った。

 

 前に踏み出そうとしない足を何とか進ませて、開けられたままの戸口を潜る。

 コレーがベッドに横たわり、その周囲を母親や父親、それに魔法使い達が囲んでいた。

 魔法使いがおそらく治癒の魔法を唱えるが、コレーの様子は変わらない。

 呼吸は短く荒い、胸は大きく上下し、彷徨う手を母親が握った。

 目を覆っていた包帯は外され、傷ついた目元が見える。

 

『体力回復増進薬をコレーに。それと治癒術士に魔力回復促進薬を。治癒魔法は、体力の回復から体温の安定に切り替えるよう伝えて。急いで』

 

 シュウの言ったとおりに、コレーに薬を与え、魔法使いにも薬と伝言を与えた。

 よし、これでよくなるんだな。

 

『ならない。ちょっとした時間稼ぎが限界だよ。さっさと死なせてやった方が本人も楽でしょうな』

 

 はい?

 それじゃあ、何で?

 

「……プルゥ、ト」

 

 コレーの口から掠れた声で、一人の男の名が紡がれた。

 その目からこぼれた雫を私は確かに見た。

 

『ニューサ野の道に行こう』

 

 ……そうか。そうだな。

 せめて死に目に会わせてやるべきだろう。

 

 家を飛び出て、村の出口に向かう。

 そして、ニューサ野への道を走った。

 

『走れメルス』

 

 私は今、焦燥のただ中にいる。

 

 もう少し走れば見つかる。

 そう信じて走り続けたが、道にプルートゥはいなかった。

 

 道を最後まで行ってしまいニューサ野にたどり着く。

 引き返すべきか?

 

『いや、いたよ』

 

 どこだ?

 

『右前方』

 

 その姿はすぐに見つけられた。

 緑の野原に、黒一色があれば嫌でも目につく。

 私が急いで近づくと、あちらも私の様子に気づき体を強ばらせた。

 目が合って、私は気づいた。この目はよく知っている。逃げている者の目だ。

 

 コレーが危篤状態だ。

 今はなんとか命を繋いでる、早く行くぞ。

 

「私は、行けない。行けば彼女が死んでしまう」

 

 お前が行かなくても彼女は死ぬ。

 最期を見届けてやれ。

 

「しかし、私が行けば――」

 

 このヘタレ!

 

 シュウの腹で、男の頬を叩いた。

 すごく良い音がして、男は野原を転がる。

 男に触れた部分の草が、死に枯れていっていた。

 

 しかししかしと、ぐだぐだ言い訳するな!

 お前はコレーの死ぬところを見るのが怖いだけだろ!

 違うか!

 

『違うか! 違うかぁ! なぁ……プルートゥ』

 

 プルートゥはそのまま立ち上がらずに地面を見つめている。

 

「違わない。私は怖い……怖いんだ。恐怖の主と言われた私が、たった一人の人間の死に怯えている」

 

 そうか怖いか。

 だがな、コレーはもっと怖がっている。

 お前に会えずに、このまま死ぬんじゃないか、とな。

 

 さっきも口に出していた。

 両親の名でも、友達の名でもなく、ましてや私の名でもない。

 お前だ。お前の名だ。掠れた声で、手を彷徨わせて、涙も流してその名を呟いた。

 

 ――プルートゥとな。

 

 お前はここで何をしている?

 いつまでそこに座っているつもりだ!

 立て! それとも自分の足で立つのは嫌か!

 

 一歩近づくと、男は顔を上げた。

 その顔から迷いは消えていた。

 

 プルートゥは立ち上がった。

 同時に、私の背筋に気持ち悪い感覚がよみがえる。

 

 彼が地面と水平に手を伸ばすと、その手は途中で暗闇に呑まれた。

 宙に暗闇の裂け目が生じ、そこから手を引くと一本の槍が握られていた。

 その槍は暗闇そのものだった。端から端まで真っ黒で、先端が二叉に分かれる。

 

 あの槍……。

 この気持ち悪さはあの槍からか。

 

『バイデント。やっぱりそうなのか』

 

 何がそうなのかはわからない。

 しかし、あれがやばいものだとはわかる。

 

 彼が槍を手にすると、周囲の草が生気をなくしたようにしなだれていく。

 同時に、空も雲一つないというのに光が奪われ暗くなった。

 

「開け。冥府の扉よ」

 

 槍を地面に刺すと、穂先から円上に黒い淀みが広がっていく。

 

「エレボスの主たるハデスが命ずる。来たれ、我が忠犬――ケルベロス」

 

 地面に広がった暗闇から、獣の手が這い出てきた。

 その手の大きさは優に私の体を超えている。

 

 体に続き、すぐに頭も出てくる。

 その頭は三つで、獰猛そうな見た目の割に目はまん丸で可愛らしかった。

 

 バウバウと三つの頭が、プルートゥにすりすりと頭を寄せる。

 彼はその頭を軽くさすってやると、一足で地を蹴り、犬の背中に飛び移った。

 

「メルさん。感謝します――行け」

 

 男は私に一礼したあと、三つ首の犬に声をかける。

 犬は地面を力強く蹴って、野原を駆けていく。

 あっという間に視界から消え去った。

 

『気持ちはわかるけど、追いかけないの?』

 

 あまりの光景と出来事に立ち尽くしていた。

 プルートゥがコレーの元へ向かったのなら、私もけしかけた以上、見届ける必要がある。

 

『いや、そんな必要ないでしょ。見たいだけだよね』

 

 はい。

 

 正直に答えて犬を追いかける。

 ちょうど村に到着したところで、犬に追いついた。

 並走するようにプルートゥとともに、コレーの家に入る。

 

 コレーはまだ生きてくれていた。

 しかし、その顔色は蒼白で、目を瞑っている。

 すでに周囲は為す術がなしと、静かに見守るだけだ。

 

 彼女は、もう声を出せそうになかった。

 それでも男の足音に気づいたのかぴくりとまぶたが動いた。

 

「コレー。遅れて済まない」

 

 返事はない。できない。

 ただ、彼女の表情が少しだけ和らいだ気がした。

 

 彼女の手が、わずかに持ち上がった。

 男に触ろうとしているようだったが、力がもう入らず、そのままベッドへ静かに落ちた。

 プルートゥもそれに気づいたが、何やら逡巡している。

 

 私は後ろから、彼の肩を軽くつつく。

 彼は振り返って躊躇いを見せるが、私は首を振り顎で彼女の手を示した。

 

 恐る恐るだったが、彼は彼女の手を握った。

 

「うれ、しい……やっと、さわって、くれた」

 

 途切れ途切れであったが、彼女はその喜びを伝える。

 目には涙が滲むものの、頬を伝うほど溢れることはなかった。

 

「済まない。訳あって、ずっと君にふれることができなかった」

 

 こんなときでもマジメに返答していく。

 彼女も視線を天井にむけたまま、脆そうな微笑みを浮かべた。

 きっとそういうところに惹かれていったのだろう。

 

「ぷるーとぅ。みて、ほしが、あんなにも、きれい」

「星は見えないよ。部屋の中だ」

 

 ……もう何も言うまい。

 言われた方も嬉しそうだから静かに見守ろう。

 

「なのはな……みたかった、なぁ……」

 

 言葉は徐々に力を失っていく。

 

「――あなたと、いっしょ、に」

 

 プルートゥは何も返さない。

 言っても無駄だからではない。言えなかったのだろう。

 

 コレーは目を閉じ、もう何も語らない。

 その手を最期までプルートゥに握られたまま、安らかに息を引き取った。

 

 

 

 私は今、哀傷の中にいる。

 

 泣き叫ぶ両親を置いて、私とプルートゥは外に出た。

 彼は拳を握り、何かを噛み締めるようにふらふらと村の出口へ歩く。

 私にはその背を追うことができず、見えなくなるまで立ち尽くすだけであった。

 

『あいつ、これからどうするつもりなんだろう』

 

 さあ?

 好きな彼女にもう会えなくなったんだ。

 しばらくは悲しみにくれて、何も手につかないんじゃないか。

 

『あぁ……、いや、そういうことじゃなくてね』

 

 どういうことなの?

 コレーは死んだんだ。それで終わりだろう。

 あいつが新しい恋でも始めるかどうかって話を言っているのか?

 

『ダンジョン以外をすぐ恋バナに結びつけるのはどうかと思う。でも、あえて恋バナで語るとすればあいつらの恋はまだ終わってない。むしろ、ここからが肝心なんだ』

 

 はぁ? 何を言ってるんだ?

 コレーはもう死んだんだぞ。

 お前も一緒にいただろ。

 

『そう。コレーは死んだ。死んだ人間は冥府に行く。そして、あの男は冥府の王だ。プルートゥってのは地上に出るときの仮の名だね。本当はハデスって名前だよ』

 

 名前なんてどうでもいいんだけど、そんな世界が本当にあるのか?

 

『ハデス本人がそれらしいこと語ってたしあるんじゃないの。全ての死者が通るかは知らないけど、この辺りで死ぬとそこに行くんじゃないかな。それに、メル姐さんもあの力は見たでしょ』

 

 ……確かに見たのは見た。

 すごい力だった。黒いのがブワッーって出てきて、槍もぞわぞわした。

 犬もなんかでかくて黒くて不気味だったけど、ちょっと可愛かったような気がする。

 

『感想は置いとくとして、奴はマジモンだよ』

 

 そうだな。

 ボスみたいな奴だ。

 

『「みたい」じゃない。ボスだよ』

 

 あいつがボス?

 じゃあ、冥府ってダンジョンなの?

 

『この世界に冥府エレボスなんてものがあるんだとしたら、そこはダンジョン以外にあり得ない。あいつはそこのボスだ』

 

 なんと。

 恋バナを追っていたらダンジョンにたどり着いてしまった。

 これはもう運命だな。しかし、ボスがあいつか。正直、勝てそうな気がしないんだが。

 

『タイマンで正々堂々じゃあ、まず無理だね』

 

 だよな。

 誰かと組もうにも頼る相手がいない。

 

『そうでもないかもしれない』

 

 仲間がいると?

 

『うーん、仲間というより仲魔かな。人に優しい部類のはずだけど、会ってみないと何とも言えない。それに――』

 

 よし、それなら行こうじゃないか!

 とりあえず様子見。駄目そうなら退いて、対策をして挑めば良い。

 

 行こう!

 冥府エレボスに!

 私は今! 喜びの中にいる!

 

 …………ところで、どうやって行くんだ?

 

 

 

 冥府エレボスを探し求め、やって来たのは夜のニューサ野である。

 こそこそと例の魔力量が多い精霊の後をつける。

 

 なんでもプルートゥ――ハデスが犬を呼び出したときにあの精霊もおまけで出てきていたとのこと。

 あの精霊が特殊ドロップをする条件は時間でも、順番でも、倒し方でもなく、倒す場所じゃないかとのことだ。

 

 要するに、そもそもあの精霊はこのダンジョンのモンスターじゃない。

 冥府エレボスから出てきてしまった冥精で、地上に出てしまい弱体化しているとシュウは見込んでいる。

 

 そういうわけで、こうやって後を追いかけて冥府の入口まで案内してもらおうという訳だ。

 

『来た! あれ!』

 

 おお!

 ほんとだ!

 

 見れば精霊が、暗闇の中に吸い込まれようとしているところだった。

 私もその精霊に向かって走り、そのまま暗闇の中に飛び込む。

 

 すぐに起き上がって見渡せば辺りは一変していた。

 

 数多くの精霊がふよふよと浮いている。

 周囲は暗く、草も木も何もない。不気味なところだった。

 

 私は今、どこにいるんだ?

 

 私の追ってきた精霊がピカりと光り、紫色の光弾を放つ。

 それをシュウではじき返し距離を詰める。

 

 斬ろうとしたが、避けられてしまった。地上での速さとはあきらかに違っている。

 精霊は戦わずにどこかへ逃げ去ろうとするのでその後を追っていく。

 

『追え! あいつを殺すんだ! 絶対に逃がすな!』

 

 なんでそんなに怒ってるの?

 

『あいつは冥精。おそらくランパースだ。あれを元にしたキャラに何度殺されたか……。00/99+の借りをここで返してやる!』

 

 あっそ。どうでもいいな。

 こいつの恨みはともかく、他に当てもない。

 とにかくどこかへ行くようだから追ってみるとしよう。

 

 精霊を追っていくと、そこには人が立っていた。

 人ではないのかもしれないが、少なくとも私に人に見えた。

 

「どうしたの? そんなに慌てて」

 

 女性の声だった。

 きさくな声で精霊に話しかけている。

 

『……いきなり本命か。メル姐さん。絶対に敵対しないでね』

 

 声の主が振り返る。

 紫色の髪をさらりと揺らして、私と目が合った。

 

「誰? ……って、え、え! 貴方もしかして人間! しかも生きてる?!」

 

 目を見開いて、こちらを見る。

 その顔は驚きと言うよりも楽しんでいるようだった。

 

 死んだ記憶はまだないな。

 そいつを追ってきたらここに着いた。

 

「この子を追ってきた! すごい! 生者がこんなところに入ったら一瞬で消滅しちゃうはずなんだけど!? どうやってるの?!」

 

 なんだか異常にテンションが高い。

 

『俺がやってる』

 

 シュウが話すと、女の視線がジッとシュウを見つめる。

 どうやら、この女もシュウの声が聞こえる存在のようだ。

 彼女は立ち位置を変え、私の周囲を回ってシュウを観察した。

 

「私たちとは違う系統の奴らの仕業ね!」

『そうだろうね』

 

 うんうんと一人で納得している。

 

「それで――冥府まで何をしに来たのかな?」

 

 ……やばい。

 ハデスのときよりも、気持ち悪さが勝っている。

 絶対に戦ってはいけない相手だ。私は今、かつてない強敵の前にいる。

 とりあえず正直に答えておこう。

 

 ダンジョンと聞いたので攻略しに来た。

 

 女神は「へ?」と口を小さく開き、その後でお腹を押さえて笑い始める。

 お腹痛いといって地面にごろごろ転がる。

 

「何なの? 人間はいつからこんな馬鹿になったの! ダンジョンだからって冥府に挑むって!」

 

 目に涙を浮かべながら笑って叫ぶ。

 

「おもしろい! 名前はメルね! その馬鹿さ、気に入ったわ! 私が許すから、好きに見て回って良いよ! 何なら一緒に行こうか?」

 

 それじゃあ、頼む。

 

『俺は、メル姐さんを見直しそうで怖い』

 

 何を言ってるんだか。

 それよりもそっちは何と呼べば良いんだ?

 

「あたしはヘカテー。知ってるでしょ?」

 

 いや、知らんけど。

 有名なの? そう言えばどっかで聞いたかも。

 

 ヘカテーはまたしても笑い出した。

 

『知らないって恐ろしい』

 

 さて、まずはどうしようか?

 ボスに行く前に、あいつを探すとしようか。

 

「誰か探してるの? あっ、わかった! 彼氏でしょ」

 

 ヒヒヒと笑って、距離を詰めてくる。

 

「会わせてあげる。名前を教えて」

 

 いや、彼氏じゃない。

 女性だ。

 

「そういう嗜好なの? そっち方面だとあたしは加護できないなぁ」

 

 そっち方面?

 どっちの方面なのか知らないが、コレーという女の子だ。

 

「あっ……そういうこと――わかった! 行きましょう!」

 

 彼女は、どこからか松明を取りだして周囲を照らす。

 松明を軽く振ると、その明かりが右の方へと道のように伸びていった。

 

「こっちね」

 

 ヘカテーが歩き始め、私もその後を追う。

 何もない場所だと考えていたが、ついていくと川やら山やらといろいろあった。

 

 大きな道に出て、丘を越えるとようやく精霊以外の灯りが見えた。

 左から右へと一直線に延びている。

 

 近づくと、小さな火の玉がずっと並んでいるものだとわかった。

 色も赤から緑、黄色、青と様々な火の玉が、少しずつ移動をしている。

 精霊や馬みたいな奴、犬まで出てきて火の玉が列を乱さないようにしている。

 

 何だこれ?

 

『死者の魂でしょうな』

 

 あの火の玉が?

 

「みんな個性的でしょ」

 

 確かに大きさや色、燃え具合は違うけど、これを個性的と言っていいのか。

 

「いたいた。ほら、あれ」

『ほんとだ、大丈夫そうだね』

 

 どれだよ……?

 火の玉から人を判断する術なんて知らないぞ。

 

「白に薄い黄色がかかってるがあるでしょ、あれ。隣にデカい黒く燃えてるやつがいる」

 

 ああ、黒く大きく燃えているのは目についた。

 その隣にやや黄色みを帯びた炎が控えめに浮かんでいる。

 

「あの黒いのはタルタロス行きね」

 

 タルタロス、なんだかおいしそうな名前だな。

 

「おっかない奴らがいる場所。罪深い死者はそこに送られちゃうの」

 

 おどけながらそう説明する。

 さて、見つけたのはいいが火の玉ではどうしようもない。

 

「あっちも気づいたみたいね」

 

 コレーの火の玉が動きを止めていた。

 それを咎めるように精霊や犬が側に寄る。

 

「かまわなくていい。そいつはあたしが導く」

 

 ヘカテーが一言かけるだけで、精霊と犬は自分の持ち場に戻っていく。

 

「おいで」

 

 彼女の声に導かれるように、火の玉も近づいてきた。

 背を向けて、ついてくるように暗い丘をまた上がっていく。

 私とコレー(火の玉)はそれを追うようにしてとことこついていった。

 

 

 私は今、ヘカテーの屋敷の前にいる。

 

 つまらない風景を超えていくと、ぽつりと建てられてた屋敷に案内された。

 だだっぴろい割に、人がいないので寂しく見える。

 

「あたしの屋敷。何もないけどゆっくりくつろいで」

 

 本当に何もなかった。

 家具や調度品の類が見当たらない。

 さらに吹き抜けで、壁こそあるものの扉すらない。

 

「椅子と机くらいは必要ね」

 

 えい、と彼女が松明を振ると、目の前に素っ気ない椅子と机が出てくる。

 勧められたのでそのまま腰掛ける。ヘカテーも座った。

 火の玉が椅子の上に浮かぶ光景は初めて見た。

 

「ここなら話せるでしょ。何でも聞いてあげる」

 

 フフンと得意げな顔をしている。

 

「ここはどこですか?」

 

 火の玉から声が聞こえた。

 聞き覚えがある。たしかにコレーの声だ。

 

「ここは、冥府エレボス。あなたは、死んだからここにいる。死んだときのことは覚えてる?」

「はい。やっぱりここは冥府なんですね。……メルさんがいますよね。死なれたんですか?」

 

 いや、死んでないぞ。

 私はダンジョンだから攻略しに来ただけだ。

 それに、お前ともう一人がこの後どうなるのか気になってな。

 

「もう一人……プルートゥ?」

 

 ああ。そうだ。

 

「彼は……、一緒じゃないんですね」

 

 そうだな。

 一緒には来ていない。

 

「ところで、こちらのかたはどなたでしょうか?」

 

 ヘカテーって名乗ってたぞ。

 

「えっ……? 本当に? ヘカテー様」

「ふふん、そう、あたしがヘカテー様よ。ほらほら、なんか言いたいことがあるんじゃない。特別に聞いてあげる」

 

 自分で様をつける割には、さほど偉そうな感じはしない。

 

「ヘカテー様、お願いがあります。私を地上に戻して下さい。プルートゥと一緒に菜の花を見に行きたいんです」

「それは無理ね。死者を地上に戻すことはエレボスの理に反する。我が主が決して許さない」

 

 コレーは一瞬だけ落胆した様子を見せたが、まだ諦めない。

 

「それではヘカテー様。プルートゥを連れてきてはいただけないでしょうか? 一緒にいたいんです」

「それも無理ね。彼を連れて来る権力があたしにはない」

「そんな……、なんでも聞いてくれるって言ったのに」

「聞くとは言ったけど、叶えてあげるとは言ってないでしょ」

 

 ああ、そうか。

 どうしてこいつと気さくに話すことができるのかわかった。

 こいつはシュウに似てるんだ。人をからかって遊んでいる種類の奴だ。

 

「あなたは、じきに裁きを受けることになる。それで、どこに行くのか定まる。エーリュシオンとタルタロスはないから、エレボスになるでしょう」

「……エレボスにいれば、プルートゥに会えるでしょうか? ハデス様にもお願いしてみます」

 

 プルートゥがハデスだ。

 

「えっ?」

 

 あいつが冥府エレボスの王であるハデスなんだ。

 

「そんな、だって彼は地上にいました」

 

 私だって地上にいたけど、今は冥府にいる。

 なんか行き来できるみたいだぞ。

 

「プルートゥがハデス様?」

 

 そうなる。

 

「なんで?」

 

 さあ?

 それは知らない。

 

「あなた、生きてるときに目を怪我したでしょ」

 

 そういや包帯をしてたな。

 怪我も確かにあった。

 

「あれは主の部下が、地上に出たとき誤ってあなたに負わせたもの。あなたが失明したのも病気になったのもそのせい。我が主は部下の不始末の責任を取るために、あなたの元へ自ら謝罪に出向かれた。覚えてない?」

「……あっ」

 

 どうやら心あたりがあるようだ。

 

「え……じゃあ、もしかして…………、彼が私に会いに来ていたのは――」

「我が主は責任感の強いかた。きっとあなたを負傷させてしまった責任を感じておいでだったのでしょう」

「そんな……、それじゃあ、彼、本当は私のことなんて――」

 

 違う。

 それは違う。

 最初は責任感によるものだったかもしれない。

 それでも、あいつはお前のことが好きだと話していたぞ。

 

「でも、思えば触ってくれたのも最期だけでした……。ずっと近寄るのを避けられてた」

 

 あいつが触れると生者は死ぬ。

 それどころか近寄るだけで体調を崩すとも話していた。

 あいつはお前にもっと近寄りたいが、近寄れないジレンマを背負っていたんだ。

 

「……本当に?」

 

 見えなくてもわかるだろ。

 あいつはそんなやつじゃなかったか。

 すごい力を持ってるくせに、ヘタレで、マジメで。

 それに――、

 

「はい、誰よりも温かい心を持っていた」

 

 ……ああ。

 そうだ。そのとおり。

 

『ダウト。ほんとは「空気が読めない奴だった」とか言おうとしてたでしょ』

 

 ちょっとうるさいよ。

 

「誰?」

 

 空耳だから。

 本当に気にしないでくれ。

 

 とにかくあいつはお前が思っているような奴だ。

 他人の意見に惑わされるな。お前が思っているあいつを信じろ。

 

 ヘカテーを見るとニマニマと楽しそうな笑みを浮かべている。

 こいつ、最初からこうなるとわかってて誘導したな。

 

 ……しかし、温かい心なんてあったか?

 私が見たあいつに、そんな印象はなかったぞ。

 

「ありました」

「あるよ」

 

 火の玉とヘカテーに断言された。

 そこまで言うってことはあるんだろう。

 見たことはないし、見ることもなさそうだ。

 

「きっと気づくときがきます」

 

 それはどうかな。

 もうあいつのことはいいから、話を進めないか。

 

「それで、あなたはどうなりたいの?」

 

 ヘカテーが火の玉を向き直り尋ねた。

 

 そうだな。

 それこそが大切だ。

 お前は、どうしたい?

 

「私は、プルートゥと一緒にいたい」

 

 そうか。

 それじゃあ、どうすれば一緒にいられるか考えてみることにしよう。

 ――とは言っても、考えるのはシュウと、このヘカテー様とやらに任せるがな。

 私はそのアイデアが成就するよう実際に動く方を担当する。

 

「問題は二つ」

 

 ヘカテーがすぐに問題を挙げる。

 

「一つは、あなたに死者としての存在価値しかないこと。冥府の住人とは認められていない」

 

 同じじゃないの?

 

「死者はこんな火の玉。冥府の住人は体を持つ」

 

 ああ、そういうことね。

 ……どうやって実体を得るんだ?

 

「冥府の食べ物を口にすれば得るよ」

 

 なんだ、思ったよりも簡単じゃないか。

 

「ただし、食べたらタルタロス行きが確定しちゃうけどね」

 

 タルタロス行きっておそろしいところだろ。

 そこでもハデスに会えるのか?

 

「会えない。おっかない怪物達と永劫に暮らすことになる」

 

 何が楽しいのかヘカテーは笑っている。

 難しそうだな。もう一つの問題は?

 

「我が主に、『一緒にいること』を認めさせること。主は融通がきかない。あなたが主にコレーとして扱われていたのは生きていたから。死者には死者の待遇しかしない。一己のあなたとして認められるには、コレーとしての存在を捨て、冥府の住人として認められる必要がある。そして、王の決定を覆えさなければならない」

 

 わからん。

 つまり、どういうことなの?

 

『まず、冥府の食べ物を食べて死者を辞める。肉体を得て、冥府の住人の最低条件を満たす』

 

 でも、それだとやばいところに行かされるんだろ。

 

『そのとおり、だから、その裁きを退ける。王の決定を覆す。――ハデスを倒すんだよ』

 

 ……そうなるのか。

 でも、そもそもコレーを前にしたら裁定が緩くなったりするんじゃないか。

 

「絶対にない。我が主は職務に私情を持ち込まない。誰であろうと裁きは平等に行うよう取りはからう。このあたしが――このヘカテー様が主のご兄弟様達ではなく、主一人に従うのは、ひとえに職務に対するその真摯さがあるから」

 

 このヘカテーは、私よりもずっとずっと強いのだろう。

 自分でヘカテー様などと言っているが、傲慢さはさほど感じない。

 それは、もしかしたらその主の影響を受けているのだろうか。

 

 ハデスも自分が強いだの、偉いだのとは一言も語らなかった。

 彼には傲慢さを感じるところが全くない。

 

「それと手伝いこそするけど、あたしは我が主とは直接戦えないから」

 

 それもそうだよな。

 そうすると厳しいよなぁ。

 

 どうなの?

 

『厳しいけど、条件を満たせばなんとか。アイドスキューネをなんとか借りられたりしない?』

 

 何それ?

 食べ物か何か?

 

『ハデスと来れば、俺の知ってる知識の中じゃ、バイデントとアイドスキューネだよ』

 

 いや、だからアイドスキューネって何なの?

 

「バイデントは無理だけど、アイドスキューネならなんとかなる。けっこう貸し出しされてるから」

 

 けっきょく何かよくわからないまま流される。

 

『それと実際に裁きを下すのは、ハデスじゃないよね』

「基本はアイアコス、ミーノス、ラダマンティスの三人が裁定を下し、それを認可するのが主の役割ね。エリュシオン行きを裁定する場合は主も加わるけど……」

『その三人の強さは?』

「私の冥精に毛が生えた程度。彼らの本質は腕っ節じゃなくて、高潔さ、法への知識、厳格さ、公正さ。彼らを従えている主の品性がわかってくるわね」

 

 うんうんとヘカテーは頷き、自らの主への信奉ぐあいを示している。

 具体的な内容については、どこから聞いて良いかわからないので、成り行きを見守る。

 私は今、傍観者に徹している。

 

『その裁定の場にハデスは来る?』

「出られるときは出るようになさってる」

『うんうん。裁定される側もその場にいる?』

「もちろん」

『じゃあ、いける』

 

 「たぶん」や「と思う」はつけなかった。

 へー、とヘカテーは頷いている。

 

『それと、コレーにも無理をしてもらうけど大丈夫?』

「やります。彼と一緒にいられるなら、なんだってやります」

 

 よし。

 何をするのかわからんけど、やってみよう。

 

「ところで、ずっと気になっていたんですが、この空耳さんは誰なんです?」

 

 聞けばわかるだろ。

 変態だよ。

 

 

 

 話が終わった後、精霊が小さな赤いつぶつぶを持ってきた。

 

「じゃあ、これ。ザクロの実。食べたらもう引き返せないから」

 

 ヘカテーはにたにたしながら、ザクロの実とコレーを見つめる。

 

「――いただきます」

 

 コレーは迷うことなくザクロの実を、火の玉の体に取り込んだ。

 

『インスタンス・アブ○アクション!』

 

 火の玉が徐々に人の体へと移り変わっていく。

 ついに、生前と同じコレーの姿に……あれ、なんか違ってる?

 モンスターの扮装をした人間みたいな姿に変わってしまっているぞ。

 

「冥府の住人になると、魂の在り方に姿が左右されるからね」

 

 そうか。

 それでも人間っぽいからあまり変わってないか。

 

「おもしろくないなぁ。もっと葛藤しながら口にするのが好みなんだけど」

 

 首を傾げながら、ヘカテーは語った。

 やはりこのあたりの性格の悪さがシュウに似ているな。

 それでも、きちんと本人にとって佳き方へ導くところも似ているのかもしれない。

 

「じゃあ、裁定の場に行きましょう! 打倒! 我が主!」

『始めようか。「冥王計画メルハイマー」を!』

 

 もっと良い名前はなかったのだろうか……。

 

 ヘカテーは片腕を挙げて、えいえいおーと声を出して道を進んで行く。

 私とコレーもその後を追って進む。

 道は悪く、足下は暗い。

 

 それでも足取りに迷いはなかった。

 私は今、ボスの挑戦を前に昂揚している。

 

 

 

 裁定所は、建物なのかと思ったが外にあった。

 暗くて開けた場所に、机やらが整えられている。青空裁定所だ。

 

 並んでいた火の玉が次から次へと、椅子に座る三体のモンスターに裁かれ行き先を決められている。

 三体のモンスターの奥にその男は腰をかけていた。

 

 暗い顔に、黒い長髪でそこに座っているだけで陰鬱にさせる。

 さらに、見るからに元気がない様子だ。

 

「次のもの、進め」

 

 骸骨の下半身が馬になっていたモンスターがコレーを指さした。

 

 コレーは裁定を受ける位置まで歩いて行く。

 私も彼女の側を離れない。後ろにはヘカテーも控え、遠くからこちらを見ている。

 

 ちなみに私の姿は誰にも見えていない。

 私自身にすら、私が見えなくなっている。

 

『これ、すごいね。借りパクしたい』

 

 ほんとにな。

 私は今、姿が消えている。

 ヘカテーに借りた無骨な兜の効果だ。

 元はハデスの兜らしく、かぶると誰からも認知されなくなるらしい。

 

 その効果は現在進行形で示されている。

 コレーと横を歩いていてもまったく気づかれることはない。

 それどころか一人言を話しても、誰にも気づかない。シュウの声すら聞こえないらしい。

 

『ステルスの完全上位だよ。ただ、つけすぎると存在が薄れて消失するね。スキルに良い部分だけ取り込めないかな』

 

 コレーが裁定の場に立つと空気が変わった。

 まず三体のモンスターが、コレーに敵意を向けている。

 奥の高台に座っているハデスは、俯いて意気消沈しており、こちらに気づいていない様子だ

 

「貴様、冥府の果実を口にしたな」

 

 向かって右に座っていた髪と髭がもじゃもじゃの男がコレーを睨む。

 髪と髭がつながっており、どこまでが髪で、どこからが髭なのかがわからない。

 

「肉体を得て冥府の住人を気取るか」

 

 左に座っていた頭が鷲の青年が眼鏡を指で上げた。

 

「灯の魔女にそそのかされたな。その罪を知れ。汝をタルタロス行きとする」

 

 中央に座っていたもこもこな羊のモンスターが裁きを告げる。

 

「プルートゥ、会いたかった」

 

 三体のモンスターなど、コレーは眼中になかった。

 奥に座っていた本命を青い瞳で見つめ、ついにその名を呼んだ。

 

 呼ばれた方は、体をぴくりと震わせた。

 恐る恐るその顔を上げる。紅い瞳がコレーを貫いた。

 

「コレー……馬鹿な。冥府の果実を、口にしたのか」

 

 男の声は震えていた。

 

「あなたと一緒にいるためには、これしかないって教わったの」

 

 ハデスはゆっくりと首を横に振った。

 

「何を……、何を言っているんだ、コレー。そんなことをしたら、君はタルタロスに行ってしまう。いったい誰だ、誰が君に、そんな甘言を」

「ヘカテー様よ。あなたと一緒にいたいってお願いしたら、ザクロの実を勧めてくれた。それで体が戻った。それだけじゃないの。この眼も私に授けてくれた。あなたの姿が見える。全部、ヘカテー様を勧めてくれたあなたのおかげよ」

 

 ヘカテーはお守りにと群青色の宝石を授けた。

 これを眼に嵌めれば、なくしてしまった視力も戻ると話した。

 そんな馬鹿な話があるかと思っていたが、本当だった。ヘカテーさますごい。

 

「あ、あぁ、嘘だ。私の助言で……」

 

 立ち上がったハデスは、自分の助言が彼女を追い詰めてしまったと知った。

 

『精神攻撃は基本だよね』

 

 よく効いてるな。

 

「プルートゥ――いえ、ハデス様。お願いです。私をプルートゥと一緒にいさせてください」

 

 さらに、ハデスに「彼女への責任」と「自らの職務」を天秤にかけさせる。

 

 ハデスは手をぶるぶると震わせた。

 その震えを収まらせるように拳を握った。

 どれほど堅く握られているのか、拳からは血が垂れている。

 唇も噛まれているのか口の端からも血が流れる。

 

「コレー……すまない。私は、私の職責をまっとうしなければならない。憎んでくれてかまわない」

 

 手には以前に見た黒い槍が握られていた。

 三体のモンスターがそれを見て、椅子から立ち上がりハデスに礼を示した。

 

「冥府の王――ハデスが下す。コレー、私が君をタルタロスに送る」

「本当にマジメで、不器用、融通も利かない。それでも必死に考え、迷いながらも自分の責任を果たそうとする。私はあなたのそんなところが好き」

 

 ハデスの紅い瞳から一条の雫がこぼれた。

 

「私も、君が好きだ。しかし――」

「私のために泣いてくれる。そんな優しいあなたと一緒にいたい」

 

 ハデスはまぶたをぎゅっと閉じた。

 眼を閉じたまま、首を横に振る。

 

「王令は発せられた。もう――」

「駄目。引き返してもらう。振り返ってもらう。あなたと一緒にいるために、私たちは冥府の王たるハデス――あなたを倒す」

 

 相手の迷いと混乱を誘う台詞をコレーが発した。

 それは開戦の合図だ。

 

 さて、戦闘開始だな。

 私は兜を脱いで、ハデスの方に投げ捨てる。

 ステルスと同じで、兜をつけたまま攻撃はできないらしい。

 すでに場所は移動している。一番軽そうだった左の鷹頭のすぐ側だ。

 

「なっ、生者だと」

 

 鷹頭を軽く斬りつけ、状態異常を付与する。

 そして、そいつを掴んでハデスに投げつける。

 

「メルさん、なぜここ――ぐっ」

 

 ハデスはすぐに私へと振り返った。

 部下を躱したところまでは良かったが、状態異常は防げなかったようだ。

 

『いや、効きが悪いな。なるべく近づいて。能力半減もつけないときつい』

 

 シュウの言に従い、ハデスとの距離を詰める。

 能力半減を受けつつもなんとか私の攻撃を捌いた。

 

『あそこから防ぐのか。強すぎでしょ』

 

 そうだな。

 私の必勝パターンなんだが、防がれたのは初めてだ。

 

 その後、打ち合いを続けたが、軽く避けられるようになってしまった。

 能力半減の間合いも見切られてしまい、いよいよ私の打つ手がなくなってしまう。

 

「メルさん。いや、シュウさん。あなたの差し金ですね。あなたたちには感謝していますが、限度を超えています。惜しいですがここで死んでいただきます」

 

 どうやらいよいよ私を本格的に殺すつもりらしい。

 槍を構え、私へと向かってきた。

 その槍は私を捉えている。

 

『どうやらここまでのようかな。左から来るからね』

「左? これで終わりです」

 

 ああ――私たちの勝ちだ。

 

「何を……」

 

 よく見ろ。

 私は今、お前の目と鼻の先にいる。

 

 だが違うよな。

 お前が真に見るべきは私じゃない。

 

「コレーはどこにいる?」

 

 ハデスの目が迷いで揺れた。

 その刺突も鈍る。

 

「ッ!」

 

 突如、私と槍の間に人が現れた。

 私に背中を見せる彼女の手には、外された例の兜が持たれている。

 

「また、私を看取ってくれるの?」

 

 ハデスの表情は見えないが、飲まれた息から察するに相手の意表を突くことはできたようだ。

 

 槍が逸れて、コレーの左すれすれのところを通っていく。

 逆に、私はコレーの右からシュウを伸ばして、槍の持ち主めがけて突き刺す。

 

 手応えはあった。

 

「まだだ……冥府の王として、ここで倒れるわけにはっ」

 

 シュウを突き刺されながらも倒れず、槍を逆手に短く持っている。

 やば、さっきので勝てる予定だったからこの後が続かない。

 

「私はあなたと一緒にいたい。ずっとあなたの隣に」

 

 またしてもコレーが私とハデスの間に割り込んだ。

 

「嫌なら振りほどいて」

 

 そして、彼の両肩に自分の両手を置き、背伸びして彼の顔に自分の顔を近づける。

 

『二人は幸せなキスをして終了』

 

 それ以上の説明は無粋というものだ。

 

 振り上げられていたハデスの腕が、ぷるぷる震えた後に力なく下ろされた。

 槍は手からこぼれ落ち、その腕がコレーを抱きしめる。

 

「私も――君と一緒にいたい」

 

 ずっとくっつけていた唇が離れたとき、ハデスは一言そう告げた。

 そこで、ようやく力が尽きたのか光の粒子へと消えていく。

 

 この戦いは冒険者とダンジョンボスの戦いではなかった。

 ヘタレな男と恋する女の戦いだったのだ。

 

 私は今、勝利の乙女の後ろにいる。

 

 

 

 ハデスが復活すると、冥府の主な住人が裁定所に集まっていた。

 馬やらスケルトンやら縦に半分に分かれてるモンスターなど様々であった。

 ちなみに私は今、数多くのモンスターの中で唯一の人間としてやや離れて立っている。

 

『冥府でもぼっちである』

 

 うるさいな。

 何で冥府まで来て、こんなことを言われなければならないのか。

 

 たまには一体感とやらを得てみたいものだ。

 一緒にいる温かさ? シンパシー? 

 そんなものを知りたいものだね。

 

『敗北を知りたい――そっか、それは良かった』

 

 何も良くねぇよ。

 

「……これは、どういうことだ?」

 

 ハデスはぽかんと口を開き、状況を把握していない。

 集団の中心から、紫色の髪の女が前に出た。

 

「我が主よ。このたびのご婚儀――誠におめでとうございます!」

 

 ヘカテーが大声で祝詞をあげる。

 周囲もそれに合わせて「おめでとうございます」と斉唱した。

 

「……婚儀? 何のことだ? 何を言っている?」

「やだ、おとぼけになられて! 不肖、このヘカテー、拝見させていただきました! あれだけ熱いキッスを交わしておいて、それはないでしょう!」

「…………あ、あれは!」

 

 何のことか理解して頬を真っ赤に染め上げた。

 

「『私も君と一緒にいたい。どうか私の隣に立って、冥府を共に管理してくれ』。プロポーズも、ちゃんと! 拝聴致しました!」

「それは……いや、待て! そこまで言ってなかっただろう」

 

 まったくお前は言い訳ばかりだな。

 

『そんなに言い訳してばっかりで良いわけ? 何つって』

 

 ハデスにヘカテー、さらには他のモンスター達も一斉に私を見つめる。

 その目は、真剣そのもので、何も言わずに私を貫く。

 いやいや私じゃないぞ。見る方が違う。

 

『審議中、審議中――タルタロォォォォス!』

 

 何だ、そのノリは?

 

『俺たちの魂の行き先を、組み○け帽子っぽく言ってみました。タルタロス行きで決定』

 

 周囲のモンスターも頷いて、元の空気に戻る。

 当然のように私を巻き込むのやめてくれるかな。

 

 私は今、この世界の不条理さを感じた。

 

「……彼女はどこに?」

 

 そう、ここにはコレーがいない。

 ハデスもようやくそのことに気づいてヘカテーに問いかけた。

 

 ハデスの問いにヘカテーは道を開けることで示した。

 周囲のモンスターたちも彼女にならい、中央の道を開けていく。

 

 開かれた道の奥には、黒いドレスに身を包んだコレーがぽつんと立っていた。

 その顔には黒いベールがかかっており、表情を窺うことができない。

 彼女は、開かれた道をゆっくりとハデスへと歩いていく。

 ドレスの長い裾を冥精が後ろで支える。

 

「ミュージック、スタート」

 

 ヘカテーが、隅にいたモンスター一群に指をパチンと鳴らして指示する。

 すると、それらのモンスターが、おごそかな曲を演奏し始めた。

 

 これ……、ちょっと曲と雰囲気があってないんじゃないの。

 披露宴というより、葬式に流すような曲じゃない?

 

『冥府だからね。そんな曲しかないんでしょう』

 

 まぁ、あれだ。

 とりあえずなんとかここまで来たな。

 

『そうだね。――さて、メル姐さん。冥王計画もいよいよ最終段階だ』

 

 ……は?

 もうハデスは倒したぞ。

 そのふざけた名前の計画は終了しただろ?

 

『いいや。違う。ここからが大詰めなんだ』

 

 そういう大切なことはもっと早く言えよ。

 

 それで、何をすればいいんだ?

 早く言わないとコレーがハデスにたどり着いてしまうぞ。

 

『いつもどおり、思ったとおりにやればいい』

 

 なんだそりゃ。

 まぁ、それならそれでありがたい。

 言われたとおり、思ったとおりにやらせてもらおう。

 

 それにしてもヘカテーの段取りはすごいな。

 ハデスを倒した直後、冥府の住人をすぐさま集めて説明をした。

 コレーに着せた黒のドレスも、彼女がどこからか取りだしてきたものだ。

 もちろん音楽隊を集めて、準備をさせたのも彼女である。

 

『ああ、それは最初から計画してたからでしょう』

 

 コレーを冥府の住人にしたときからってことか。

 さすが、準備がいいな。

 

『違う。コレーがハデスに出会う前からだよ』

 

 ……えっ?

 

『コレーを見定めたのも、怪我をさせたのも、ハデスが直に謝罪に行くこと――二人が互いを好きになることまで、全てがあいつの計画のうちだ』

 

 そんな馬鹿な。

 

『別に馬鹿な話じゃない。時空間の三相――過去、現在、未来。地上、冥界、異世界を担うあいつなら可能だ。名前の由来も「意志」の他に「遠くまで力が及ぶ者」だったはず。あいつにとってはお手のものだろう』

 

 じゃあ、私が来ることもお見通しだったのか。

 

『いや、そこは本当に見えなかったみたいだね。ずいぶんと楽しそうだったし。本当はもっと時間をかけて進展させるはずだったんでしょう。俺たちは利用されたんだ。ほぼ全て彼女の手のひらの上にあったんだよ』

 

 嘘だろとヘカテーを見れば、彼女は得意げに微笑み返す。

 

『で、せっかくだから彼女の計画に、俺の計画も乗っけることにした。それが冥王計画メルハイマー』

 

 名前……、じゃあ、なんだ。

 冥王計画とやらはハデスを倒すための計画ではなかったのか?

 

『そのとおり。冥王計画の真の目的は、討伐じゃない。幇助だよ。そして、そこからの――来た』

 

 コレーがモンスターが脇を固める道を進みきった。

 彼女はハデスのすぐ隣で立ち止まると、ハデスの方を向いた。

 ハデスは見るからに緊張しているが、コレーから目が離せない様子だ。

 

「我が主よ。お妃様のベールをお上げになられてください」

 

 ベールを上げたら引き返せないとはわかりつつも、彼はそのベールに手をかけた。

 素顔が露わになり、その青い瞳がハデスの紅い瞳を見つめる。

 やがて青い瞳がまぶたで閉じられた。

 

 空気の読めない奴だが、さすがにこれは何を求めているかわかったらしい。

 助けを求めるようにヘカテーを見るが、彼女はニタニタと笑うだけだ。

 次いでモンスター達を見た。彼らも期待の眼差しで彼を見返す。

 最後に私を見た。その目は、いつかのヘタレの目だった。

 

 私は今、自らの果たすべき役割を悟った。

 

 シュウで彼を叩く仕草をし、コレーを指さす。

 口パクで「コレーは怖がっているぞ」とゆっくり伝える。

 ハデスはそれをなんとか読み取って、ようやく気づいたようである。

 

 コレーはヘカテーによってドレスを着させられた。

 しかし、着せられた当人は本当にハデスに迎え入れられるか不安であった。

 

 目を閉じた彼女はまだ不安で、体を震わせている。

 ハデスはそれを認め、意を決した。

 

 前回とは逆で、彼が彼女の両肩に手を添え、彼女の震えを止めた。

 今度は、彼の方から彼女の方へと顔を近づけていく。

 唇が触れると、コレーはハデスに腕を回した。

 

 長く触れていた唇が離れ、互いが目を開き、赤と青の視線が交わる。

 周囲のモンスターはその光景を拍手という形で祝った。

 

『メル姐さん、気づいた?』

 

 ……ああ。

 私が間違っていた。

 ヘカテーやコレーの言うとおりだ。

 この光景を見ていれば、冥府がどういった場所かわかる。

 また、その冥府を治めるハデスがどういった人物なのかも自ずとわかってくる。

 

 死者達が裁かれる場所で、厳格で、マジメで、融通がきかない。

 住んでいるのも恐ろしい姿形の奴らばかりだ。

 

 誰も彼もが異形であったが、その誰もが二人への手を止めることはない。

 嫌々と、仕方なく祝う者がここに一体でもいるだろうか。

 もちろん、私も手を叩いて彼らを祝福する。

 

メルは今(メルハイマ)、そこにいますか?』

 

 ああ……私は今、彼らと共に、そこにいる――

 

 

 

 冥府の確かな(ぬく)もりの中に。


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