チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足15話「幻想、見果てたり(前編)」

1:歪みの力

 

 王都モルタリスの北西に大地の裂け目がある。

 南北に走る大きな断崖はポルタ渓谷と呼ばれ、人々の行く手を遮る。

 遮ると言っても、渓谷の北と南には数本の橋が架けられており、通行の不便はほぼない。

 そう、ただ一カ所を除けば……。

 

 渓谷の中央部は南北では見られない靄に覆われている。

 この地域をパンタシアと呼び、そこに架かる問題の橋を跨幻橋パンタシアと呼ぶ。

 橋の片側からでは反対側が靄に霞んで見えず、まるで幻に橋が架かっているようだ、というのが所以らしい。

 

 誰が、いつ、どうやってこの橋を築いたのか知られていない。

 国の情報でも図書館からの情報にも、不明という文字のみが記されているのみだ。

 絶対的に知られていることは唯一これのみである。

 

 ――渡りきった者は存在しない。

 

 渡っている人間が消えるのだ。

 反対側は間違いなく存在しており、両端に人が立って魔法や音での交信もできる。

 しかし、渡って出会うことはできない。

 

 体に縄を巻き付け、橋の端で人が手に持つといった実験も行われた。

 縄は途中で進まなくなり、引くと片端が輪になった縄がむなしく地べたを引きずって戻るだけであったという。

 

 ダンジョンに指定されてからも、このような実験は何度も行われているようだ。

 ただし、人が消える理屈がわかるまでダンジョンとして挑戦することは無期限の禁止になっている。

 そのためダンジョンとしてのランク付けもされていない。

 橋の両端に小さな柵が建てられ、関所まで付いている。

 

 今回は国から許可も得たため、特別に挑むことが可能になった次第である。

 クリア歴のないダンジョンとは素晴らしいものだ。

 さあ、準備も万全。挑むとするか。

 レッツダンジョン!

 

『ここ、ダンジョンじゃないよ』

 

 ……は? 今何と?

 

『この橋はダンジョンじゃない』

 

 出端をくじかれた。

 なんなのこいつ。空気読めないの?

 どうでもいいときは騒ぐ癖に、こういうときだけなんでマジメなの。

 

『ちょっと見せてあげようかな』

 

 ん……うわっ!

 なんだこれ。

 

 突如、視界が薄い赤に染まった。

 

『魔力の存在量に色をつけたもの』

 

 この赤いのが魔力?

 

『魔力の大きさを色で示したものだね。青が標準よりやや少なめで、赤くなるほど多い』

 

 ほー。

 青がまったくない。

 周囲がほぼ薄い赤だな。

 橋の先が真っ赤……というより黒に近い。

 それで、なんかぐるぐる渦巻いているのはどういうこと?

 

『大規模魔法の破砕による歪み』

 

 うん、ちっともわからんね。

 つまり?

 

『橋の中心付近でとんでもない魔法を使った馬鹿がいて、しかも途中で破壊されてる』

 

 ふーん。

 そうなのか。

 

『そう。時空間超越クラスの魔法、もしくは戦略級魔法を現象の途中で壊すとこうなる。収束していってるだろうけど、この大きさだと元に戻るのに数千年はかかるだろうね』

 

 そっか。

 触るとどうなるの?

 

『どこかに飛ばされるよ。いしのなかにいるもあり得る。時間軸もどこになるのやら』

 

 あっそう。

 なんかもうどうでもいいや。

 せっかく楽しみにしてたのにダンジョンじゃないと知って、完全にやる気がなくなった。

 

『この靄も魔力が混じってる。ただの靄じゃない』

 

 はぁ、とりあえずギルドに事情の報告だけはしておくか。

 

『いや、報告の必要もないね。こんなもん、わかる人が見ればすぐわかるから。ギルドじゃなくて国がここを管理してるのはダンジョンじゃないのが明白だからでしょう』

 

 えぇ。

 それなら攻略許可とかわざわざ出さなくても良いだろ。

 

『極限級冒険者ならそれくらい気づくだろうし、他に何かわかるかもって微かな思案があったんだろうね。実はダンジョンじゃないですよ~って聞いてたら来ないでしょ』

 

 まあ、来なかったな。

 で、来てみたはいいが収穫なし、と。

 そういうことなら迂回して西のダンジョンにでも行こ、ん……?

 

 橋から眼を逸らす直前に、何か黒い点が視界の端に映った気がした。

 今、なんか黒いのが見えなかったか。橋の上のあたりなんだが。

 

『いや、ちょうど死角に入っててわからない。もしかしたら時空の歪みによるものかも』

 

 そんなこともあるものなのか。

 

《やややっ!》

 

 今度はなんだか気の抜けた声が聞こえた。

 周囲を見渡すが誰もいない。

 黒い点も見えない。

 

《これはこれはメル殿!》

 

 誰だ? ……というかどこだ?

 

 周囲を見渡すが、靄に囲まれているだけで姿は見えない。

 思い出すと、耳からではなく頭の中に直接聞こえていたような気がした。

 

『どしたの?』

 

 ん? 聞こえないのか?

 誰かが頭の中に話しかけてきてるんだが。

 

『……ぁそう』

 

 ちょっと待って!

 なんでそんなに悲しそうな相づち打つの!

 ほんとだから! ほんとに誰かの声が聞こえてるから!

 

《相変わらずですね》

 

 何の話かまったくわからん。

 そもそもお前はなんなんだよ。

 

《やややっ、これは失敬。ここが出発点でしたな。自分は幻竜! 幻竜ヌルです!》

 

 ヌル? 幻竜?

 知らんぞ、そんなの。

 

『幻竜……、もしかしてほんとに声が聞こえてるの?』

 

 だから、さっきからそう言ってるだろ。

 幻竜ヌルって名乗ってるぞ。

 

『竜か。普通に話せないか聞いてみてよ。モンスター程度ならまだしも、竜クラスの直通会話は指向性が高すぎて聞き取れないんだよね』

 

 ヌルとやら、普通に喋ることができないのか?

 

《喋るですか。灰坊や青助のように化ける必要がありますな。難しいですが……メル殿の頼みとあっては仕方ない。やってみましょう》

 

 そう言うと、靄が集まっていき人の形を取り始めた。

 背の低い、ずんぐりと丸いフォルムの人間……ドワーフか?

 でも、なんか違うな。なんだこれ?

 

「やっ! こんなものでどうでしょう?」

 

 うーん、どうだろう?

 

『オッケー、聞き取れる。指輪を渡してパーティー登録して。それでこっちから会話できるし、攻撃も無効化できる』

 

 指輪を渡してあっさりパーティー登録をする。

 シュウが話しかけても驚く様子はない。

 

『おぉ、ほんとに竜なんだ! 幻竜専用スキルとか出てきたよ!』

「や! これでも竜ですからな! それでメル殿、さっそくですがダンジョンに行ってもらえませんか?」

 

 行く。

 

『頼むから話をちゃんと聞いてから返事してよ』

 

 しかしだな。

 ダンジョンと言われたら挑むしかない。

 

「やややっ! さすがはメル殿!」

 

 で、どこに挑むんだ?

 

「アニクスィ蛍林ですな!」

 

 ……はて、まったく知らないな。

 ダンジョンの名前ならそれなりに知ってるつもりなんだが。

 どこにあるんだ、それ。

 

「あの先です」

 

 幻竜ヌルが短い腕で示した先には跨幻橋が架かっている。

 

 まさかとは思うが。

 

「や! 明察の極み! 歪みの先です!」

 

 いやいや。

 あそこってやばいんだろ。

 

『それって何年前? それとも――』

「ややっ! 約一万二千年前になります」

 

 は?

 一万二千年前?

 なにそれ、どういうこと?

 

『あれは空間だけじゃなく、時の歪みでもあるからね』

 

 過去に行っちゃうの?

 しかも大昔に?

 

『らしいね。で、戻ってこれんの?』

 

 どゆこと?

 

『あの歪みは一方通行だよ。一万二千年前に行ったきりにならないかってこと』

 

 やばいじゃん、それ。

 

「や! 心配有りません! 戻って来られます!」

 

 だってさ。

 

『こら、簡単に信じない。それで、どうやって戻って来られるの?』

「や! 自分は竜の中でもとりわけ特殊でして! 幻想の特性を持ってます! それしかありませんがな!」

 

 そう言って幻竜ヌルはヤハハハと笑う。

 

 ……?

 幻想の特性ってなに?

 

「や! 私は今でこそ、このような形を取り、ここに固定されていますが、本来は形もなく場所も不定でしてな。どこにでも、いつにでも存在しうるものなのです」

 

 いや、よくわからんのだが……。

 

『なんとなーくわかったけど、それは信用する理由にならない』

「や! それでは言い方を変えましょう。私は何度もメル殿と会っています。まず、メル殿はアニクスィ蛍林で、とある二名に出会います。ここは固定です」

 

 はぁ、それで?

 

「……会います」

 

 うん、それはわかった。

 会ってどうなるの?

 

「そこから先は様々なパターンがありまして……」

 

 幻竜ヌルは言いづらそうに黙っている。

 

『それ以上は言わなくていいよ。パラドックスの問題になるだろうし』

「やややっ! 助かります!」

 

 久々の完全においてけぼりである。

 それで、私はけっきょく戻れるの?

 

『いや、俺もそう考えてたけど、戻れるかどうかってさほど重要じゃ無いんだよね。どうせ過去に行ってもダンジョンに行くだけでしょ』

 

 ……それもそうだな。

 で、私はダンジョンに挑めるのか? そこが重要だ。

 

『挑めると思うよ。しかし、時間跳躍か。貴重な体験ができそうだ』

 

 シュウのお墨付きも出たことだし、跨幻橋を進む。

 横風が強く吹き、私の髪を乱した。

 

『あと一歩だね。時空間耐性は切ってるから、好きなタイミングで踏み出して』

 

 視界から色が消えているため、ただの靄しか見えない。

 

 よし、行くぞ。

 

「や! メル殿、それにシュウ殿。よろしくお願いします。彼らと共に、どうか私を――」

 

 その声は途中で途切れ最後まで聞こえなかった。

 

 

 

2:竜の力

 

 周囲は靄がかかっており、よく見えない。

 気づけば私は橋の上でなく湿った地面を歩いている。

 

 幻竜ヌルもどこかへ消えてしまった。

 先ほどまでは存在しなかった、ぼんやり光る木々の中をただただ歩く。

 

『なんか、地味……。もっと歪んだり、不思議空間を通るのかと思ったのに』

 

 なぜだか悲しそうにシュウがぼやいている。

 

 それよりもここは本当に一万二千年前なのか。

 全然そんな気がしないんだが……。

 

『そうだねぇ。実感が――構えて、右方向、何か来る』

 

 シュウの声が変わったのを感じ、私も意識を切り替える。

 時間は違うようだが、ここはすでにダンジョン。

 それなら私のやることは一つだけだ。

 ただ攻略するのみ。

 

 靄の奥から小さな影がこちらにゆっくりと歩いてくる。

 灯りをもっているのか、発しているのか知らないが、白い光が上下左右に揺れている。

 

「に、人間……」

 

 先に喋ったのは影の方だった。

 こちらからもすでに姿は見えている。

 見覚えのある姿だ。

 

 低い背に、ずんぐりとした丸っこい体系。

 ドワーフと違うのは髭がないことと手足が短いこと。

 その短い手にはなにやら灯りの入った黒っぽい瓶を持っている。

 

 お前、幻竜ヌルか……?

 

 ずんぐりした存在は、返答も無く背を向けて逃げ出した。

 

『逃がすな! 追え!』

 

 なんでそんなに悪党っぽい言い方なの。

 

『なんか雰囲気で、つい。それと、あれは幻竜じゃないね』

 

 じゃあ、なんなんだ。

 あんな種族は見たことがないぞ。

 

『さあ、なにしろ一万二千年前だからね。本人に聞いてみたらいいんじゃないの。あっ――』

 

 なにやら叫び声が聞こえた。

 ちょうどさっきのやつが逃げた方角だ。

 叫び声の他に、なにかの雄叫びも聞こえてくる。

 

『助けよう。情報も集めたい』

 

 そうだな。

 

 少し走るとずんぐりした存在が、猿みたいな三頭のモンスターに囲まれていた。

 一頭が私に気づき攻撃を仕掛けてきたがあまりにも遅い。

 シュウを軽く振って消滅させる。

 

 さらに、続けて襲ってきた二頭も切り捨てた。

 アイテム結晶の光が三つ、靄の中で煌めいている。

 

『初級だね』

 

 それくらいだな。

 単純な強さは、初級も中級も今ではもう区別がつかない。

 だが、中級だと初級と比べ、もっと連携を上手く取ってくる気がする。

 一頭が死んだ時点で、仲間を呼ぶか逃げるかするだろう。

 

 さて、私はずんぐりした存在に歩み寄る。

 ずんぐりした存在は尻餅をついたまま、ずりずりと後ずさる。

 

 私はメル。お前の名前は?

 

「お、おで、ヌル」

 

 それだけ言うと、また黙ってしまう。

 しかし、ヌルと言うことはだ。

 

『幻竜の関係者だろうね』

 

 シュウが言うと同時に、ヌルの持つ灯りが青から赤に変わる。

 

「あ、あいつらがまだ来るだ」

 

 あちこちから鳴き声が響き、さらに蠢く気配を感じる。

 初級レベルなら一斉に襲いかかって来てくれれば、むしろ一気に斬り伏せるチャンスでもある。

 

 さあ襲ってくるぞと思った瞬間に、猿共は何かを察し一斉に逃げていった。

 拍子抜けもいいところだ。

 

「ヌル。遠くへ行ったら危ないと言っただろう」

 

 緩やかで穏やかな男の声が靄の中で木霊した。

 ヌルは声の主へ走っていき、そのまま後ろに回って姿を隠した。

 

「ランダン、白く光っだ」

 

 黒のローブを纏った男は、ヌルの頭に手を置き撫でている。

 

「助けで、もらっだ」

 

 男はこちらを見つめて軽く頭を下げた。

 

「ヌルを救って頂いたようでありがとうございます。私はゼバルダ。貴方は、見たところ人間のようですが?」

 

『ほぉ』

 ゼバルダって、ゼバルダ?

 

「……ゼバルダですが、それが何か?」

 

 いや、ちょっと聞き覚えがな。

 それと私はメル。冒険者をやっている。

 アニクスィ蛍林を攻略しに来た。

 

「この森に逃げてきたのではないのですか?」

 

 逃げる?

 ダンジョンに?

 

「街は、大変だと聞きますが?」

 

 大変?

 すまんな。

 世事には疎くて。

 

「そうですか。ここではなんです。ヌルを助けてもらったお礼もかねて、食事でもご一緒しませんか」

 

 私は首を縦に振った。

 

 不思議な男だ。

 威圧感はないが、言葉に力を感じる。

 

『ないとは思うけど、念のため言っとく。戦おうなんて思わないでね。たぶん強いよ』

 

 やっぱり強いの?

 なんか雰囲気あるよな。

 あと、たぶんを付けるなんて珍しいな。

 いつもならはっきりと弱いなり強いなり言い切るのに。

 

『身体的な強さならせいぜい中級の上か上級の下なんだけど、装備が釣り合ってない。いろいろ隠してる。とにかく不気味だね。それに――』

 

 それに?

 

『いや、いいや。一万二千年前で、ゼバルダと来たらそういうことなんだろうね』

 

 どういうことなんだ?

 

 返答なし。

 まったく、どういうことなんだろうね。

 

 

 

 林を進み、盛り上がった土とそれを覆う蔦で行き止まりになっているところで、ゼバルダは立ち止まった。

 ゼバルダが指で軽く蔦に触れると、土を覆っていた木の蔦がするすると動き入口ができあがる。

 隙間を通っていくと、鍋にベッドといった生活感のある空間についた。

 

 三人で食事を取る。

 ヌルは疲れたのかゼバルダの膝を枕にして眠ってしまった。

 ゼバルダは今もフードを被り続けている。

 

「メルさん、貴方はどこから来たのですか?」

 

 跨幻橋パンタシアからだが。

 

「跨幻橋パンタシア……、すぐ東にあるパンタシア都市群のことですか?」

『えっ?』

 

 たぶんそれ。

 

 ちょっと驚いたな。

 パンタシアってこんな昔からあったのか。

 

『俺はかなりびっくりした。「どこそこ?」ってなると思ってたのに』

 

 驚きつつも話は続く。

 

「そう言えば、奇妙なものを付けてますね」

 

 私の手を見てゼバルダは呟く。

 

「その指輪はかなり奇怪な作りがされています」

 

 まあ、そうだな。

 私も詳しくは知らんが。

 そういうのは見てわかるものなのか?

 

「ええ。物作りが特技なもので。だいたいのものは見れば構造を把握できます。こちらにもそれほどのものを作る者がいるんですね。複雑ではありますが、作れないことはないでしょう」

 

 ほう。

 それはすごい。

 

「ただそれよりも――」

 

 視線が手を離れ、傍らに投げ捨てていたシュウに移る。

 

「そちらの剣は理解不能ですよ」

 

 そうなんだ、いつも理解できなくて困ってる。

 

 パーティーリングは……、だめだ予備が無いな。

 余ってたらやろうと袋を探ったが、幻竜に渡した分で指輪はなくなってしまっていた。

 次にギルドへ行くことがあれば補充しておこう。あると便利なのだ。

 

『ランタンのこと、聞いてみて』

 

 ランタン?

 

『ヌルが持ってた灯り』

 

 ああ、あれね。

 

「あれは私が作ったお守りです」

 

 尋ねるとゼバルダはすぐに答えてくれた。

 なんでも火の色の変化で、持ち主の危機を知らせてくれるらしい。

 赤が危険。青が安全となっていると話す。

 

『お守りぃ? 馬鹿言え! あれはそんな生やさしいもんじゃないだろ!』

 

 シュウはなんか騒いでいる。

 赤が危険で、青が安全……はて?

 最初に会った時は、白だったような気がするが。

 

「白は、持ち主と仲良くなれる存在が近くにいることを示しています」

 

 ゼバルダは小さく微笑み、ヌルを見下ろした。

 よくわからない奴だが、少なくとも悪い奴では無いと感じた。

 おそらく彼も灯りの色の話をヌルから聞いて、私を信用しているのだろう。

 

「この子も人間と上手く折り合いがつきませんで。私が以前住んでいたところでも、自分たちと違う存在は除け者にされてしまっていました。除け者も力があれば孤高になるんでしょうが、みながみなそうとは限らない」

 

 誰か一人でも自分を理解してくれている存在がいるだけで救われるんです。

 最後の言葉は彼の膝で眠るヌルに言ったのか、それとも――。

 

 

 

 翌日になってダンジョンの攻略が始まった。

 ゼバルダとヌルも付いてきている。

 

 戦うのは基本的に私一人だ。

 ヌルは、私が倒したモンスターのアイテム結晶を右と左と集めている。

 ゼバルダは私たちをぼんやりと眺めるだけだ。モンスターも彼には襲いかかる気配がない。

 むしろ彼から逃げているように見える。

 

 ゼバルダの戦闘は初めて見る種類のものだった。

 木の蔦や枝が動き、ヌルを狙うモンスターを追い払っている。

 魔法かと思ったが、詠唱はしておらず、その手には杖すら握られていない。

 

 それ、どうやってるんだ?

 木を操る魔法とか初めて見た。

 

「いえ、魔法ではありません。私は、体の半分が木で出来ていまして」

 

 ゼバルダが自身の袖を捲る。

 そこには白い肌と毛のように伸びる幾本の枝と腕に絡む蔦があった。

 

『やっぱりか』

 

 なんだ気づいてたのか。

 

 しかし、すごいな。

 こういうのは初めて見た。

 

「あまり……、驚かれませんね」

 

 まあ、そうだな。

 腕から翼が生えてる奴も見たことがある。

 それに完全に人間じゃない奴らともつるんでた時期もあったし。

 

「そうですか。こちらにもそういう人がいるんですね」

 

 私は特殊だから参考になるかどうか。

 そもそも時代が違うし。

 

「それでしたらヌルとも――」

『なんだろう?』

 

 ゼバルダの言葉は最後まで紡がれなかった。

 

 鳥たちが一斉に枝から飛び立ったのだ。

 枝の上からこちらを見ていたモンスターも一目散に逃げ始めた。

 揺さぶられた枝から落ちる葉が私たち三人の上を舞う。

 ヌルも怖くなったのかゼバルダの膝にしがみつく。

 

 ゼバルダはヌルをなだめると近くの木に手を当てた。

 

「こちらです」

 

 ゼバルダが先導し、私が追う。

 ヌルはゼバルダの背に器用にくっついている。

 

『いや、蔦でヌルを括り付けてるね』

 

 よく見ると、ヌルの腕と胴体に細い枝が巻かれていた。

 

 木々を縫って走っていると、逆方向に逃げる動物やモンスターと擦れ違った。

 今では周囲に生物の気配は感じられない。

 

 日の光は強くなり、とうとう林から抜けた。

 開けた光景の先には、灰色の雲とその雲を支えるように何本もの柱が立っていた。

 

 すげぇ!

 ずいぶんとでかい柱だな。

 この時代にはすごい建物があるもんだ。

 

『違う。建物っていうのはあれの下にあるやつだよ』

 

 よく見ると柱の下には点々としているものがあり、それが建物だということがわかる。

 遠くから見ているためか、ほとんど点にしか見えない。

 

 では、さらにその先に見える、複数の大きな柱はなんなのだろうか?

 わずかだが太くなったり細くなったりしている。

 というか動いてないか?

 

『竜巻だよ』

 

 竜巻?

 竜巻ってあの竜巻か?

 外で何度か見たことはある。

 風の高位魔法として使ってるエルフもいた。

 しかし、あれは……。

 

『比較にならないほど大きいね。それにあの本数は異常だ』

 

 ああ、ここからでもあれだけ大きく見えるということは近づけば相当でかいだろう。

 さらに、その竜巻が一本ではなく、軽く五本は蠢いている。

 

「ついに来ましたか」

 

 ゼバルダが小さく呟いた。

 

 あの竜巻について知ってるのか?

 

「次から次に街が竜巻に襲われていると、逃げてきた人から伺いました。第一都市アナリスに続き、第二都市クルベシムも消滅してしまった、と」

 

 なんだかよくわからんが、すごいことになっているようだ。

 こういうことはよくあることなのか?

 

「いいえ、そんなことはありません。私も何度か竜巻は見ましたが、あの規模は初めて見ました。それに一カ所ならまだしも街が次々と消えているということは……」

 

 ということは?

 

「誰かが意図的に発生させているということでしょう」

『うん。間違いなく自然発生ではないね』

 

 ……あの規模をか?

 

「人間にはおろか、長耳族でも無理でしょう」

『そうだね。火と水と風の魔法で複合させて、数百人規模で行使してようやく作れるかどうかかな』

 

 じゃあ、誰がどうやってアレを作ったんだ?

 

「あのような現象を起こせる存在を、私は知っています」

 

 神か?

 

「神? いいえ、違います。竜です」

 

 ゼバルダは神妙な面持ちで呟いた。

 

 あぁ。なるほどな。

 たしかに白や緑はすごい魔法使ってたな。

 白は時間停止に加えて氷魔法を連発してたし、緑は水の激流を出して津波を止めた。

 

「竜に会ったことがあるんですか?」

 

 倒したこともある。

 出会った中で倒せなかったのは緑だけだな。

 倒す必要もなかったし、なにより守人みたいな奴を突破できる気がしなかった。

 

『幻竜も倒してないよ』

 

 そう言えばそうだ。

 でも、あれと戦いになる気がしないぞ。

 

「メルさん、どうやら貴方は私が思っていたより遙かに強いようですね」

 

 強いというのは少し違う気がするな。

 借り物の力を利用しているだけだ。

 ん、どうかしたか?

 

「……昔、貴方と同じことを言った人がいました。その人は――」

 

 なにやら虚ろな目で私を見てきていたが、首を振ってすぐに元に戻った。

 

「失礼。それで、どうしますか?」

 

 どう?

 どうとは?

 

「戦うか、放っておくか」

 

 戦うと言っても竜巻が相手じゃあな。

 そもそも、まだ姿を見たわけでもないから竜と確定したわけでもない。

 

『いや、竜であってるみたい』

 

 視線を竜巻に戻すと、その一つの色が薄くなっていた。

 

 その竜巻の中からそいつは現れた。

 

 全身は青みを帯び、ゲロゴンほど大きくはなさそうだが、少なくともここから特徴が見て取れるほどの大きさはある。

 トカゲみたいな頭に、六本の羽が背中から生えている。

 細身の体型に腕と脚が生え、その爪は鋭い。

 

 十分に距離はあるが、ここでもその威圧感が窺える。

 ヌルがゼバルダの脚にぎゅっとしがみつく音が聞こえた。

 

「降りますね」

 

 ゼバルダの言葉通り、青竜はゆっくりと地上に降りた。

 

 すでにその足下に建造物は残っていない。

 点々としていた建物は全て消え去ってしまった。

 

『いや、待った。何かある』

 

 よく見えないが、言われてみればあるような気がしないでもない。

 

 青竜もその何かを凝視している。

 その大きな腕をゆっくりと上げ、小さな何かに向け振り下ろした。

 

 腕を振り下ろした直後に青竜は飛び跳ねた。

 視界が揺れるほどの力で大地を蹴ったことがわかる。

 青竜はそのまま空を飛ぶこともなく、蛙のように地面に墜ちた。

 脚で着地はできなかった。そもそも脚がすでになかった。

 体を起こすにも腕すら青竜から失われている。

 青竜の悲鳴が空気を震わせる。

 

『この時代にはもう存在したのか』

 

 なにがだ、と問う必要もなかった。

 視界に鮮やかな色が付く。

 

 周囲の景色が青の中で竜巻が薄い赤の柱として立つ。

 そして、真っ赤に彩られた青竜のシルエット。

 その青竜の下には禍々しい黒が渦巻く。

 

『え? 渓谷はこの後にできた? でも、それだと……』

 

 竜巻が次々に薄く消え去り、竜の姿も萎んでいく。

 

「殺りましょう。今が好機です」

 

 丁寧な物言いで理解が遅れたが、かなり物騒な台詞だった。

 しかし、たしかに今がチャンスなことは違いない。

 

「ヌル。ここで待っていてください」

 

 それでもヌルはゼバルダの脚を掴んで離さない。

 首をぶんぶんと必至に横へ振っている。

 一人でいるのが怖いのだろう。

 

「ちょっとランタンを貸してもらえますか」

 

 ゼバルダがヌルの頭を撫でる。

 小さな手からランタンを受け取ったゼバルダが、それを私に向ける。炎は白く燃えあがる。

 次に、ランタンをヌルへ向けた。中の炎は同じく白に煌めいた。

 そして、ゼバルダはランタンを青竜のいた方へかかげる。

 炎は――青く揺らめいた。

 

「ねっ、大丈夫です」

 

 にこりと笑顔をヌルに見せた。

 

「おでもっ! おでもだだがう!」

 

 やや震えつつも、それを隠すように大きな声を張り上げる。

 ゼバルダは腰を沈め、ヌルの高さに顔を合わせる。

 

「ヌル。戦とは、武器を持って斬りつけあうことだけではありません。彼らの帰りを待ち、無事を祈り、生きて帰りたいと思える場所を作り、留守を預かることもまた戦なのです。今回は貴方にその大任を与えます」

 

 頭から肩に手を移し、ゼバルダはヌルの瞳を見つめた。

 ヌルは確と頷き、その任に応じた。

 

 

 

 走る私に、ゼバルダが空を飛び並行する。

 手に持った灰色の風車が、くるくると回っている。

 このおもちゃのような風車が、彼の身体を宙に舞わせているようだ。

 

 それ、私も欲しい。

 超便利そう。

 

「素材があれば作りますよ」

 

 うむ。

 ちょっと集めてみよう。

 

『素材はともかく、使いこなせないと思うよ。魔力操作が必須だし』

 

 そういうものか、残念だな。

 それより力が弱っているとはいえ、相手は竜だ。

 パーティーリングもないから、私に任せてくれてもいいんだが。

 いざとなればさっさと逃げるし。

 

「大丈夫です。竜とは些かならず縁がありましてね。私なりの誓約があるんです」

 

 彼の横顔はこの先にいるはずの青竜を向き、表情がよくわからない。

 

 

 ついに目標を視界に捕らえた。

 

 目標は最初の姿と変わっていた。

 宙に浮いてこそいれど、大きさは人と同程度。

 脚は失われ、片腕もなくなり、六枚の羽で地面のやや上を飛んでいた。

 

「ああぁぁぁ! いてぇぇえええ! なんでこんなもんがッ! ココにあるんだァ!」

 

 私たちが近づいても、こちらに気づいてないのか背中を向いて叫んでいる。

 

「貴方は竜で間違いないですね?」

 

 ゼバルダが淡々と青竜に確認を取る。

 私はその横ですでにシュウを構えて臨戦態勢だ。

 

「あぁぁ!?」

 

 青竜が宙に浮かんだまま、身体の向きを変えてこちらを睨む。

 縦に割れた瞳が、私とゼバルダを捉えている。

 

「竜で違いないですね、とお尋ねしました」

 

 ゼバルダは青竜の睨みなど気にせず、先ほどの質問を確認する。

 

「この……この、カス共がァ!」

 

 叫びとともに青竜の羽がうっすらと青く光る。

 

『体勢を低くして!』

 

 シュウの声の意味を理解したのはすでに宙を飛んでいた後だった。

 全身に風が叩きつけられ、立っていることもかなわず宙を飛んでいた。

 

 青竜を見れば、またしても羽が青く光った。

 

 今度は下向きの力が私に襲いかかる。

 空中で何もできる事はなく、そのまま地面に叩きつけられる。

 

 叩きつけられこそすれど、痛みなどないに等しい。

 むしろ地面に降ろしてくれて感謝しているくらいだ。

 いまだ風により地面に抑えつけられている感覚はあるが気にするほどでもない。

 

 砂煙が晴れ次第、このまま全力で地を蹴って、疾走し突き刺すのみ。

 いくぞ、シュウ。

 

『待った。あれ見て』

 

 砂煙が晴れて二つの影が見えた。

 一つの影は宙に浮き、六枚の羽を光らせる青竜。

 そして、もう一方は黒のフードを手で押さえ、最初の位置から動いていないゼバルダだ。

 

 どうしてあの突風を浴びて微塵も動かずにいられるのだろうか。

 もしかして最初の突風は私にだけ向けられたのか?

 

『いや。全方位に向けられてたよ。彼の足下を見てみなよ』

 

 ゼバルダの足下に目を向けると、彼の横の地面が大きく抉れている。

 彼の立っているところと、その背後の地面だけが最初と同じ様子で残っていた。

 今もなお、彼の周囲にある土は削られていっている。

 その嵐の中で彼だけが静かに立ち尽くす。

 

『脚から根を下ろしてるね。それにあの手に持ってるのは――』

 

 よく見れば、ローブの下から根が出て地面にささっている。

 さらに彼の片手に持った灰色の風車が猛烈な勢いで回る。

 

「乱暴ですね。それで、質問の答は『竜』ということでよろしいですね」

 

 青竜の羽の光が収まる。

 

「人間風情が俺に対して問いを投げる?」

 

 青竜はトカゲのような顔でひゃっひゃと笑う。

 

「カスはぁ……、カスらしくぅ」

 

 笑いが止まり、またしても六枚の羽が光り出す。

 今度は先ほどのような淡い光ではない。

 まばゆいくらいの青だった。

 

「逃げ惑うかァ! 地面に這いつくばっていりゃいいんだろぉよォ! それさえ嫌だって言うならァ!」

 

 青竜が叫ぶと横からの風が私を襲った。

 どうやら私だけではない。目に見える範囲全てで、土埃が青竜を中心に渦巻き始めている。

 何が来るのかと構えたが、風量は思ったほどではない。

 これなら――、

 

『……無敵スキル使うから』

 

 無敵スキルを使う。

 それはつまり、他に打つ手なし宣言である。

 

 なぜだ?

 別に使わなくてもいけるだろ。

 一気に突っ走って突き刺すだけだ。

 

『よく見て。あいつの周囲で塵が上昇してるでしょ』

 

 ……ああ。

 でも、それがどうかしたのか。

 

『この距離だと、たどり着く前にメル姐さんがお空に飛んじゃうね』

 

 黒竜のスキルを使って無効化すればいいだろ。

 

『いや、あのスキルは攻撃と魔法を吸収するものだから、新しい風を起こす魔法は止められても、すでに生じている風は止められない。それは攻撃でも魔法でもなくてただの現象だから。それに、反応速度がわからない。予想よりも速かったら上に飛ばれる。そうすると本当に打つ手がない。なにより――あいつの前であのスキルを使うのは不味い気がする』

 

 ゲロゴンブレスは……、同じか。

 発動までに時間がかかるから逃げられる。

 

『パーティーリングをあいつに渡せていたら、地面から根を這わせて青竜の動きを止めるようこっそり伝えられたんだけどね』

 

 ないものをどうこう言ってもしょうがない。

 

『まったくそのとおり。――だから、あるものを使う』

 

 それで無敵スキルか。

 だが、逃げられないか?

 

『今から起こることは想像がつく。間違いなくあいつの必殺技だろう。攻撃と同時に防御も兼ねる大技だけど、間違いなくあいつ自身の視界を塞ぐ。そこで一気に突き刺して終わりだ』

 

 よし。

 それなら私は立ってればいいな。

 位置は覚えたから、後は攻撃するタイミングを教えてくれ。

 

『オッケー』

 

 風がいよいよ強くなってきた。

 ――そう思えた感覚が消え去った。

 

 視界は広がり、音はなく、ここに立っているという感覚すら残っていない。

 何度体験してもあまり良い感覚ではないな。

 無敵スキルは発動された。

 これで詰めだ。

 

 

 

 …………待った。

 青竜の大技って何だ?

 

『今さら? 最初に見たじゃん。竜巻だよ』

 

 そうだった。

 人を、家を、街ごと消し去る風の柱。

 それは確かに必殺だ。代わりに、風による塵芥で奴自身の視界が塞がるだろう。

 

『上昇気流を伴う風の渦の半径を狭めてやれば、回転速度は高まる。この範囲の風を狭めるんだ、十分な竜巻ができるだろうね』

 

 そんな理屈はどうでもいい。

 無敵スキルだから私は無事だろう。

 

 あいつはどうなる?

 

 私の前には、相変わらず棒立ちのゼバルダがいる

 

『大丈夫でしょう。これくらいでくたばるようなら、あいつは――』

 

 そんなことを言ってるうちにゼバルダが動いた。

 動くと言っても腕をローブに突っ込んだだけだが……。

 

 すぐにローブから手を出した。

 その指の隙間には先ほどの灰色の風車が挟まっている。

 その数は四。さらにもう片方の手にも四つ挟まり合計八つ。

 

『まさか』

 

 私も想像がついた。

 そのまさかに違いなかっただろう。

 

 彼の両手に挟まれた八つの風車が猛烈に回転を始める。

 一方向に回転していた渦が、徐々にばらばらの方向を向き始めた。

 

『もう、全部あいつ一人でいいんじゃないかな』

 

 シュウの呟きと共に音や風のぶつかる感覚が戻ってきた。

 そしてついには風は落ち着き、砂埃も薄れ視界がクリアになった。

 中心には目を見開いていた一匹の青竜がいた。

 

「さすがに七つは使ってしまいますか」

 

 凝視されている方は至って平然としている。

 両手に持っていた風車が、一本を残して灰のように粉々に崩れていっている。

 

「なんだっ! なんだそれはッ!!」

「ただの道具ですよ」

 

 本当に何でもないことのようにゼバルダは呟いた。

 

「それよりどうして貴方は、街を襲っていたのですか?」

 

 あいかわらず落ち着いた声で、青竜に疑問を投げかける。

 

「どうして? どうしてだってぇ~?」

 

 青竜はヒャハヒャハと笑う。

 

「そんなの決まってるだろ。楽しいからだよ!」

「楽しい?」

 

 なんだろう?

 嫌な気配を感じる。

 この場にいてはいけない。

 そんな感覚だ。

 

「オマエらカス共が作った建物をな。粉々にすると超キモチイイんだァ!」

 

 青竜は片腕で口元を抑えるように笑い続けている。

 

「試練を課しているとか、人間を嫌っているから――という訳ではないですね」

 

 青竜はさらに笑う。

 今度は口元を抑えることすらしない。

 

「おいおい。勘違いしてくれるな。俺はオマエらカス共が大好きなんだ」

 

 急に笑いを止めて、真顔で語り始める。

 

「こうやってぶっ壊しても、数千年ほど寝て起きたら、また新しいおもちゃを作ってくれている。文明とか呼んでる戯れ事を何度も何度も繰り返してくれる。まったく学習しないオマエらカス共がッ! 俺は、大好きだ……」

 

 そこまで言うと青竜はきしゃきしゃとまた笑い始めた。

 

「やはり人が竜とわかり合うことなんてありませんね。そんなものは幻想でしょう」

 

 ゼバルダも笑い始めた。

 しかし、その笑いは乾ききっていた。

 

「これだから――これだから竜は嫌いなんです。半歩譲って灰は許すとして、黄にしても、紫にしても、あいつにしても」

 

 ゼバルダはそう言うとフードを下ろす。

 落ち葉のような茶褐色の髪が露わになった。

 腕だけではなく首元や耳、頭からも枝が伸びている。

 

「メルさん、離れていてください。なるべく遠くが良いでしょう」

 

 ゼバルダは優しげな微笑みを私に向ける。

 その笑みはこの場面でするには、あまりにも柔らかで不気味さしか感じられない。

 

「ヌルに戦う姿は見せたくなかったですからね」

 

 言葉を吐き出し、ゆったりとしたローブを脱ぎ捨てた。

 

『ひぇ……』

 

 相変わらず彼の両手は何も持っていない。

 腕に枝があったように、体中からも枝が生じ、蔦が巻き付いている。

 

「な、なぁんだぁお前は!?」

 

 青竜の声がうわずる。

 私も思わず後ずさりしてしまった。

 枝が出ているとか、そんな身体の特徴などは驚くに値しない。

 

 驚愕はその枝と蔦の先にあるものだ。

 無数に伸びる枝の先にはそれぞれ道具や武具が絡まっている。

 灰色の砂時計、紫色のノコギリ、黄色の杭、黒の盾……と同じ色でもさらに別の種類がある。

 それらがゼバルダの体から無数の歪な腕のようにぐにゃぐにゃと伸びていく。

 

 おい、シュウ。

 なんなんだあれは?

 

『竜から作ったアイテム――いや、兵器だよ。一つ一つにキチガイじみた効果も織り込んでる。あのローブも黒竜の皮から作られてるね。収納量と気配を誤魔化してたんだ』

 

 確かにあのローブの見た目以上の武器が出てきてる。

 それに……、あぁ、だめだ、これはいけない。

 背中からぞわぞわしたものが体を巡る。

 これ以上ここにいてはいけない。

 ――逃げなければ!

 

 私はゼバルダに背を向け駆けだした。

 脇目で見たのは、同じく逃げようとした青竜が地面から伸びた蔦に捕まる瞬間だった。

 

『そっちは駄目!』

 

 シュウは叫ぶが、足はもう止まらない。

 

「フィロス。シグ・ゼバルダは忘れない。君と誓った約束を――」

 

 声は静かだ。

 しかし風は唸りを上げている。

 これから起こる惨劇に大地が耐えられるだろうか。

 

「世界のあまねく竜どもに――僕らが望んだ殺戮を」

 

 優しい声だが慈悲は無い。

 背後から青竜の断末魔が流れてくるのを聞きながら、私は全力で駆け抜けた。

 

 

 

3:チートの力

 

 気づけば靄の中を歩いていた。

 もう大丈夫だと感じ、足を緩めるとすでに周囲は靄だった。

 

『あのね、メル姐さん。考えなしに時空の歪みに突っ込んだら洒落にならないよ』

 

 いや、あのときは逃げるのに必死でそんなこと考える余裕がなかった。

 あそこにいたらもっとやばいものに巻き込まれていた気がする。

 

『まぁ、間違いなく巻き込まれただろうね。配慮はしてもらえただろうけど』

 

 青竜は、どうなったんだろうか。

 

『俺たちの心の中で生き続けてるよ』

 

 それ死んでるじゃん。

 

『生きてないとは断言できる』

 

 だよな。

 ものすごーくやばい気配だったし。

 ……でも、倒したとところで復活してしまうじゃないか。

 

『メル姐さんが倒したら復活するだろうけど、あいつが倒したら復活しないだろうね。材料になるだけ。死んでいるとも言い難い。モンスターが近寄ろうとしなかったのは、それがわかってたからだ』

 

 復活しない?

 どういうことだ?

 

『まぁ、それはさほど重要なことじゃない。それより、ポルタ渓谷の誕生はあのときだろうね』

 

 えっ?

 ポルタ渓谷って跨幻橋が架かってたところだろ。

 

『うん。ぱっと見、あの竜製アイテムはどれも戦略級の代物だったから。それをあいつ、少なくとも四つは青竜に使った。でも……』

 

 うん?

 でも、なんだよ?

 

『一番やばいのは、あのランタン。他の竜製アイテムを全部寄せ集めても、あれには遠く及ばない』

 

 ランタンってヌルが持ってた灯りだろ。

 なんか色が変わって持ち主に危険だの仲良くなれるだのを知らせるだけじゃん。

 どこにやばさがあるというのか。けっきょく仲良くなる前に別れてしまった私への揶揄なの?

 

『アナライズスキルという便利なものがあってね。生物以外なら竜製アイテムでも大まかには読み取れる。だけど、あのランタンは表面しか読み取れなかった』

 

 それはつまりどういうことなんだ?

 

『あれは竜程度を加工したものじゃない』

 

 竜程度って、お前。

 竜だぞ、竜。

 

『竜程度で間違いないよ。あのランタンは神の領域に足を突っ込んでる。外側の容器はただの黒竜の頭蓋だけど、中の炎は――おっと、足止めて』

 

 シュウの真面目な声を聴き、反射的に構える。

 そこで何やら金属の叩きつけ合うような鋭い音が聞こえた。

 

『やれやれ、いつの時代のどこに飛んだのやら』

 

 靄が徐々に晴れて行き、どうやら私は高台の上に立っていた。

 その端に進めば、眼前にはどこまでも広がる平原。

 そこでは有象無象の人間が蠢いている。

 

 彼らは甲冑に身を包み、手には剣やら槍やらを持ち互いに斬りつけ合っている。

 右を見ても、左をみてもどこもそんな光景だ。

 

『戦争ねぇ。武器と鎧がずいぶんと古めかしいなぁ。魔法も使われてない』

 

 戦争……。

 話で聞いたことはあるが、実際に見るのは初めてだ。

 人間と人間が斬りつけあい、死屍累々で見るに堪えない。

 暇な奴らだ。そんなに死にたいならダンジョンへ行けば良いのに。

 

「貴様、どこの所属か!?」

 

 いきなりの怒声に振り返ると白銀の鎧を着込んだ女がいた。

 真っ赤な剣をたずさえ、切っ先を私へと向けている。

 

『赤髪ロングのストレート。これは女剣士の香ばしいスメルがしますな』

 

 シュウが抜けた評価をしているところを見るに、さほど脅威はないのだろう。

 

『確かに胸囲は無いね。小さいのは本来減点要因ですが、まな板の方が映えると思わせる凛々しさがある。うぅむ、実に良い』

 

 駄目だ。意思疎通ができない。

 

「何をぶつぶつ言っているか! 貴様、エルネアの斥候だな! 覚悟!」

 

 女は距離を詰め、斬りかかってくる。

 そろそろだなぁと思ったところで、女剣士は足を崩してこけた。

 助走の勢いがあったため、そのまま私の足下へ転がってきた。

 

「なん、だ。これは……」

 

 慌てて上体を起こそうとするも、それすらできていない。

 久々に能力半減スキルで人間が倒れるところを見た。

 通常は何も着ていない状態でも起き上がれない。

 

『お、やるじゃん』

 

 能力半減スキルを受けつつも女剣士は上体をわずかだが起こしつつある。

 見るからに重そうな鎧に包まれているにもかかわらずだ。

 

「くっ、妖術……忌術士か。卑怯者っ!」

 

 女は地面に這いつくばったまま、私を睨み付ける。

 そんな睨まんでもいいでしょ。

 

『バッカ! これだよ! これがいいんだ! この反抗的で悔しそうな目つき! 次に言うのは「こんなことをしてただで済むと思うな!」に違いない!』

 

 そんなわけ――、

 

「貴様、こんなことをしてただで済むと思うなよ!」

 

 あったよ。

 

『しかし「妖術」に「忌術士」ときたか。俺の見たアーカイブに魔法をそういう風に呼ぶ記録はなかった。そうなると、ここは……どっちかな。うん、ひとまず情報収集といこう。俺をくっつけてみて』

 

 シュウを女剣士に躊躇いつつ近づける。

 正直あまり触れさせたくない。面倒なことになること疑いない。

 

『くっ……殺せ!』

「くっ……殺せ!」

 

 シュウが近づいたところで二つの声がシンクロする。

 なにお前、読心のスキルでも使ってるの?

 

『そんなつまらんスキルはないよ』

「何を言っている?」

 

 どうあっても面倒なことに変わりはないと悟り、シュウを女にくっつけた。

 女剣士は歯を食いしばりつつ、私をいっそう強く睨む

 

『睨まれると、興奮するんです』

「な、なんだこの声は?」

 

 私も知りたい。

 なんだこの不気味なほど優しげな声は。

 

『ふふっ、睨まれるとね。興奮するんですよ』

 

 同じ言葉を繰り返す。やたら穏やかな声で。

 なんだろう。ちょっと怖くなってきた。

 

「くっ、頭に直接。忌術士は別にいるのか。卑怯者め! 出てこい! 姿を見せろ!」

 

 最初から出てるんだが。

 まぁ、これはわからなくて無理もない。

 

「貴様は剣士なんだろ! その剣は飾りか! 正々堂々と私と勝負しろ!」

 

 シュウを相手にできないと悟り、矛先を私に変えてきた。

 

『その女は剣士ではない。盗人だ』

 

 盗人違う。

 確かに私は剣士ではないかもしれない。

 だが、そう――冒険者だ。

 

「……冒険者? 冒険者とは何だ?」

『およ?』

 

 はぁ?

 そりゃ、冒険者ってのは――。

 

 次の言葉が出てこない。

 思考が宙を彷徨ってしまった。

 

 果たして冒険者とはいったい何なのか?

 

 ことあるごとに私は自分自身を冒険者と名乗ってきた。

 そして、それは当然のように受け入れられていた。

 だが今、その肩書きに疑問を投げかけられた。

 

 シンプルに言えば冒険をする人で違いはないだろう。

 そも冒険とは何か?

 

 ダンジョンに挑むことか?

 いや違う。ダンジョンに挑むことのみを冒険と呼ぶ訳ではないだろう。

 実際にダンジョンに潜らなくても立派な冒険者たる人物は何度も見てきた。

 逆に冒険者じゃないのにダンジョンに潜る奴も見たことがある。

 

 はて?

 冒険、ひいては冒険者ってなんだ?

 

 冒険者ギルドに所属している者だろうか?

 

 いや、違うな。

 ギルドは冒険者の集まりではある。

 でも、入る前から冒険者のやつだっているはずなんだ。

 その逆に、入ったら誰でも冒険者になるわけじゃきっとない。

 

 じゃあ冒険者とは?

 

 困ったときのシュウ頼み。

 こいつなら教えてくれるに違いない。

 

『俺が思ってることを言えば、メル姐さんは納得するだろう』

 

 ほう。自信ありげだな。

 聞かせてもらおう。

 

『――でも、俺は言わない。なぜだかわかる? 出会った当初はまだしも、今は確かに「メル姐さんは冒険者」だと思ってる。というよりもメル姐さんは冒険者でしかない』

 

 さっぱりわからんな。

 馬鹿にしてる?

 

『冒険者であることのみが、メル姐さんの存在意義なんだ』

 

 否定も肯定もされなかった。

 内容はよくわからんが、馬鹿にはしていない。

 そこそこ長い付き合いだ。それくらいはわかるようになっている。

 

『そして、存在意義は他人に与えられるものじゃない。自分で見つけ出すもの』

 

 わからんような、さっぱりわからんような。

 やっぱりわからん。

 

『つまるところ。冒険者は何かって問いの答えは、メル姐さんは何かって問いの答えにつながる。俺から「メルって女は、これこれこういう奴なんだよ」ってわかったように言われるのも癪でしょ』

 

 むかつくな。

 それに、なんか……なんだろう。

 この思いは、名状しがたいものがある。

 

『実は俺もそうなんだよね。だらだらそれらしく語ったけど、要は感情論で言いたくないだけでもある』

 

 ……そっか。

 

 冒険とは――冒険者とは何か?

 私も少しまじめに考えてみることにしよう。

 

 

 女剣士はシュウとの空気を読んで何も言わなかった。

 ――という訳ではなく、状況を静観しているだけだろう。

 

 状況は刻一刻と変わるものだ。

 私と女剣士の周りには先ほどから十数人の鎧を着込んだ男達が立っている。

 どいつもこいつも私とシュウの会話を、端から黙って聞いていた。

 

 シュウが特に警戒しろと言わず、会話も止めなかったので問題なしと判断し無視していたのである。

 こちらの会話が終わり、あっちの包囲も完了したためかようやく動き出した。

 パッと見たところ、地面に寝ている女剣士とは別の陣営だろう。

 女を助けようという意志はまるで見られない。

 

「へへっ、あんた。どこの所属か知らねぇが、そいつを俺たちに引き渡しちゃくれねぇか?」

 

 私に相対していた男が、握っていた剣で赤剣士を示す。

 

『感動したね。なんと小物らしい台詞か』

 

 シュウにふざけている様子はない。

 本当に心からそう感じているようだった。

 

 こいつを、お前らによこせと?

 

「白銀の鎧に、燃えるような赤髪ときたら、そんな奴ぁ一人しかいねぇ――緋剣のイストリア。そいつの首をあげりゃあ、どんな褒美だって思いのままだ」

『……イストリア?』

 

 見下ろせば、いよいよ睨みだけで人が殺せるような目つきで女は男達を睨んでいる。

 なんだ、こいつはそんなに有名な賞金首だったのか。

 

 それより渡さなかったらどうするつもりなのだろうか。

 まぁ、取り囲んでいる時点で明白だが……。

 

 渡すのは別に構わない。

 その代わり情報をもらいたい。

 

「情報? いいぜ、なんだって教えてやらぁ」

 

 このあたりにダンジョンはないか?

 

「だんじょん……? だんじょんったぁなんだ?」

 

 ダンジョンってダンジョンだろ。

 モンスターやボスが出てくるとこだよ。

 

「もんすたぁ? ぼす?」

『あぁ……ここはそうなのか』

 

 男達はお互いに顔を合わせて首を横に振る。

 ダンジョンどころかモンスターがわからないとはどういうことだ?

 シュウはなんかわかったようだが、まだはっきりしていないのか話そうとしない。

 

「すまねぇな。俺たちじゃわからねぇ。代わりに知ってそうな奴を紹介する。それと、褒美も分ける。だから、そいつをよこしてくれねぇか。こうやって囲んじゃいるが、俺たちもイスタリアを無傷で組み敷けるような奴とはやりあいたくねぇんだ」

 

 ……仕方ないか。それで手を打とう。

 こいつらについて行って、他のところで情報を集めることにしよう。

 

「離せっ! 私はこんなところで死ぬわけにはいかないっ!」

 

 さっきは「殺せ」って言ってたのになんか変わってる。

 

「安心しな、緋将様。殺しはしねぇよ」

「ぐっ……」

 

 男は私に近づいて屈み、イストリアの髪を掴んで顔を見つめる。

 

「ほぅ、噂の緋将様はなかなか可愛い顔をされてるじゃないか」

「けがれた手で私に触るなっ!」

 

 ……お前らはその女に仲間を殺されたのか?

 

「いいや。俺たちは戦場の外れで、逃げてきた奴を安全に狩ってるからな」

 

 あぁ、そう。

 それも一つの手段だろうな。

 

「さっさと私を連れて行け! そこでお前らの大将を殺してやるっ!」

 

 必死に抵抗するものの、動きは取れない。

 握られていた赤い剣も男達の一人に奪われている。

 

「それは怖いなぁ、本陣で暴れられちゃぁ困る。連れて行く前に、身包みを剥いで武器を隠してるか確かめる必要が出てきちまった。それに、ここにいる全員でマワせば、少しは抵抗する気力もなくなるだろ。なぁ、緋将サマ」

 

 男はイストリアの髪を引き、ニタリとした顔を見せつける。

 周囲の男達も同類の笑みを浮かべた。

 

「ゲスめ! 私はそんなことでは屈しない!」

『そうだね。陵辱なんて序の口だよ。引き渡された後は、情報を引き出すために身体を徹底的に痛めつけられることは決まってるんだから……。魔法、いやこの時代では妖術なんだっけ。それで情報を引き出してから、イストリアちゃんを操り人形にして味方を斬らせるってのもあるだろうね。もちろん意識だけは残しておいて。憎い敵の駒になって味方を斬りまくるのはどんな気分なんだろう?』

 

 シュウが淡々と今後について語り、そして問いかける。

 

「そんなこと――」

『簡単にできるよ。そもそもイストリアちゃんの意志なんてどうでもいいんだ。君の名声と力があればあるほど、敵からすれば利用価値が上がる。それだけの話』

 

 イストリアが「うぅ」とわずかに呻くが、シュウはその隙を逃さない。

 

『あぁ、ごめん。最初に殺せって吠えてたけど、あの時点で殺してあげるべきだったね。でも――もはや簡単に殺してもらえるとか思わないほうがいい』

 

 この静かな物言いはかなり本気のときだ。

 イストリアもそれを察してか、言葉に詰まっている。

 

 それとちゃん付けはやめたげて。

 どこ睨んでいいかわかってないから、私を睨んで来てるけど割とマジでキレてる。

 

『うぅむ、良い目つきだ……股間にガツンと来るね。イストリアちゃんも睨めるときに睨んでおくと良いよ。いつまで心が保つかわからないんだから』

「くそっ、くそぅ……」

 

 今後の展開を想像したのか、さすがのイストリアにも怯みが生じた。

 

『おや、メル姐さん。その顔……、まさかだけど後悔してるの? 気軽に「情報と交換だ。ヒャッハー!」なんて言わなきゃ良かったとか思ってるんじゃなかろうね』

 

 ヒャッハーとか言ってない。

 それに、後悔など……。

 

『そうだよ、後悔することなんてなぁんにもないよ。メル姐さんは正しい。こんなのよくあることだし、冒険者ってそんなもんでしょ?』

 

 ……冒険者が?

 

『襲ってきた相手を無力化して、他の勢力と情報を交換する。同時に今後の安全を得る。見知らぬ地での選択として何一つ間違ってない。情報入手と自己の安全確保の両方を同時に行い、先に繋げるなんて――さすが冒険者は違うなぁ! あれ? でも、そうすると目の前の男達も冒険者なのかな?』

 

 違う。

 それは違う。

 少なくともこいつらは冒険者じゃない。

 

「冒険者? 何ぶつぶつ言ってるかよくわからねぇが、そろそろ運ぶぞ」

 

 男はイストリアの両腕と足を器用に縛り上げていっている。

 あとは口枷として布を巻くだけだろうか。

 

「この、畜生ぅんぐぅ、ぅっ――」

 

 口枷もされて、いよいよ何も言えなくなってしまった。

 

 しかし、最後の言葉には同感だ。

 賞金首ならさっさと縛って連行すべきだろう。

 恨みや憎しみがあるわけでもなく、自ら戦った訳でも無い。

 ただ性欲を発散させるだけなら獣と変わらん。

 もはやシュウと同レベルだ。

 

「へへ、そう言うなよ。あんたも混ざるか?」

 

 男は冗談じみた口調で発し、下卑た顔で私を見上げる。

 

 

『殺そう』

 

 一拍おいてシュウが静かにただ一言。

 

 奇遇だな。

 私も同じ事を思った。

 

 そして思うが先か、すでに行動に移っている。

 私の足が男の顔面を蹴り上げていた。

 手加減はしていない。

 

 男の首から上は弾け、もぎたての果実にも劣らぬ瑞々しい赤を周囲に散らした。

 誰もが現象の把握を出来ておらず、ぼんやりとその花火を見つめる。

 

『巻き込むとまずいんで感染スキル外すから。手間だけど全員斬っちゃって』

 

 人間相手にシュウを使うのは好きじゃない。

 だが、自ら獣に成り下がるような相手を人間扱いするのはもっと好きじゃない。

 

 イストリアからシュウを離し、一番近くにいた奴を鎧ごと斜めに切り落とした。

 そのまま二人目へ移る。三人目からようやく武器を構えようとしたが、こちらの速さにまるで対応できていない。

 他の奴らも同様だ。最後の一人がようやく逃げだそうと踵を返し、そしてその足は二歩目を踏み出すことはなかった。

 

 始末し終えてイストリアに歩み寄る。

 口枷、それに手足の縄も注意深く斬って外す。

 男に奪われていた彼女の赤い剣も拾って渡してやった。

 彼女は依然として寝そべったままでその表情には驚きが張り付いていた。

 

「貴様、たちは……どこ、いや…………何だ?」

 

 途中で何度か言いあぐみ、最終的にはそんな質問が飛んできた。

 

 私はメル。冒険者だが――。

 

 冒険者が何なのか、私自身まだはっきりしていない。

 わかったら答えるからもう少し待ってくれ。

 

 それと、この剣はシュウという名の変態だ。

 

 

 

 どこに向かっているのかわからないまま、私とイストリアは並んで歩いている。

 イストリアの警戒がなかなか解けない。

 

「それでその剣がシュウだと?」

 

 ……主にシュウに対する警戒が。

 未だにこの剣がシュウだとわかってくれない。

 

 仕方ないのでもう一度、腕にくっつける。

 

『はぁい、イストリアちゃん。いま君の腕にソフトタッチしてる俺がシュウだよ! よろしくね~』

 

 イストリアのまなじりがつり上がった。

 私もイラッとしたくらいだ。言われた本人は苛ついて当然だろう。

 

「その呼び方はやめろ」

 

 怒りをかなり抑えこんだ声で抗議をする。

 片眉と頬がピクピクと動いて今にも爆発しそうである。

 

『うん。たしかに呼びづらいと思ってた。よし! じゃあ、イッちゃんにしよう! では、改めて。よろしくね、イッちゃん!』

「違う! そうではないッ!」

 

 ついにイストリアは声を荒げた。

 むしろよくぞ今まで耐えていた方だと思う。

 この二人で話させても火に油だと感じ、シュウを離した。

 

『いやー。期待を裏切らない反応をしてくれるからおもしろいね!』

 

 どうにもシュウはイストリアを気に入ってるらしい。

 もちろんイストリアはシュウを嫌っている。

 

『予想も裏切らずいて欲しいものであるが、果たして……』

 

 ぼそりとなにか呟いたが意味はわからない。

 だいたいこいつの呟きは後でわかることが多いので放っておく。

 

「それでメル殿の風貌を見るにカルナセアの出身か?」

 

 どこそこ?

 

「違うのか? では、どこだ?」

 

 エルメルだ。

 

「聞いたことがない。どこだそこは?」

 

 たぶん南東のあたりじゃないかな。

 

「南東――なるほどコルセンナのあたりだな」

 

 ああ、そうだ。その辺りだ。

 

 面倒だから適当に相づちを打っておく。

 大抵の問題はこれで片付くものだ。

 

 で、ここはどこだ?

 

「決まっているだろう。我が祖国――ガラギオーウェンだ」

 

 胸を反らせ誇るように宣言する。

 

『誇るほどの胸でもあるまいに、大げさな』

 

 馬鹿なことを言ってないで、ここはいったいどこなんだ?

 地名のようなものをさっきから聞いてるが、一つも心当たりがないぞ。

 お前のアーなんちゃらでわかるだろ。

 

『俺の知ってるアーカイブにもまったく該当するものがない。間違いなく大昔だよ。まだ、ダンジョンもモンスターも、魔法すらその呼び方が定着されてない時代だ』

 

 ……なんとすごい時代に来てしまったものだ。

 

「何を話している?」

 

 いやなに、すごいところに来てしまったなと。

 そもそも始まりから……そうだ。

 なんか戦争してるの?

 

「そうだ。エルネアの野蛮人どもと戦をしている」

 

 そう言ってイストリアは話を始めた。

 

 なんでも隣のエルネアとかいう国が力を付けてきて、勢力を拡大しているという。

 本来はイストリアの国とメルネンなんちゃらとかいう国の間にあり、常に戦火に巻き込まれる弱小国だとか。

 しかし、エルネアの西にあるメルネンなんちゃらとかいう大国が、ちょっと前にエルネアに併呑されてしまった。

 調子に乗ったエルネアが今度はイストリアの国に矛を向けてきたという。

 すでに軍を挙げ、こちらへ行軍しているらしい。

 

「ガラギオーウェンはすでに迎え撃つ構えを築きあげている」

 

 有り体に言えばどうでもよかった。

 国がどうのとか関係ないし、そもそも時代が違う。

 私はただダンジョンに挑むことさえできれば、他は二か三の次だ。

 

 ……迎え撃つって言ってたが、もう戦は始まってなかったか?

 私が見たときには互いに斬りつけあってたぞ。

 

「あれは唯の小競り合いだ。彼らは、正式な軍に所属している者ではない。お互いの勢力を名乗り、武勲をもらおうとしている雑兵だ」

 

 ふーん、そう。

 イストリアもその一人と……。

 

「馬鹿を言え! 私はあのような有象無象とは違う。我がガラキオーウェンが誇る精鋭軍団クレイブ・ソリッシュの第十五師団――突撃隊長、緋剣のイストリアとは私のことだ!」

 

 へぇ、そうなんだ。

 で、お前はあの有象無象の中、たった一人で何をしてたんだ?

 

「……気になることがあった」

 

 気になること?

 

「フランベルジェが猛っている」

 

 フランなんちゃらが猛る?

 ペットでも飼ってるの?

 

『たぶんイッちゃんが持ってる剣のことだよ』

 

 剣?

 

「そうだ我が剣。フランベルジェは戦いに呼応する」

 

 イストリアは赤い剣の刀身を見せてくる。

 赤い模様が刻まれていたが、よく見たら模様が動いている。

 いや、模様ではない。炎だ。刀身の中で炎が激しく揺らめいていた。

 

「フランベルジェがここまで揺らめいたのは初めてだ。この度の戦、何かがあると感じた」

 

 それで気になって一人で出てきてしまったと。

 

「信じがたいことだがエルネアの軍勢は我らの想像を超えているかもしれん。実際にこの目で見てみる必要があった」

 

 さっきの話だと、その敵の本隊が来るにはまだ七日はかかるんじゃなかったか?

 見に行くにしても馬にでも乗らないと距離があるだろ。

 

「それは本道を通った場合だ。この先に別の道がある」

 

 そうなんだ。

 ずいぶんと険しい道なんだろうな。

 馬でも越えられないとなると。

 

「道もさることながら、霊獣を前にすれば馬の脚が進まなくなる。すでにこの付近から馬は近寄ろうとしない。人間も同様だ。そのような霊獣が道に蠢いている」

 

 霊獣?

 

「コルセンナではいったい彼らを何と呼ぶのか。ただの獣ではない。背丈は軽く人のそれを超え、通常の刃では傷すら付かぬ頑強さを持つものもいる。妖術すら行使すると言われているほどだ。倒せば光の結晶を残すのだが……」

 

 それ!

 それだよ!

 

「そ、それとは?」

 

 イストリアは怯んでいる。

 

『ダンジョンあったね』

 

 ああ、あったな。

 それがモンスターなんだよ!

 いやぁ~、よかった。本当によかった!

 ダンジョン攻略はしばらくお預けかと思ってたところだ。

 で、そこはなんて呼ばれてるの?

 

「スリプスィ峠――私たちはそう呼んでいる」

 

 イストリアが見つめる先には、鬱蒼とした山があった。

 

 良い。実に良い。

 いかにもなダンジョンだ。

 行き先は決まった!

 

 いざ、ダンジョン――スリプスィ峠へ!

 

 

 

 麓には林が広がっていた。

 

 頭上は木に覆われ、さらにその上も曇っているため昼だというのに暗い。

 鳥の鳴き声や獣の声も聞こえてこない。静かな林だ。

 

 廃れかけているものの道がまだ残っている。

 イストリアが生まれるよりも、ずっと昔には人が通っていたらしい。

 

 ただし、通っていた人というのは旅人や商人ではなく罪人だ。

 イストリアの国で罪を犯した人がこの道を通り、スリプスィ峠を越えて西に流される。

 何人もの罪人がこの道で命を落とした。何人もの無実の人間がこの道を歩かされた。

 幾人が振り返って故郷を見ようとしたのかもはや知ることはできない。

 

 そんな陰鬱な道がダンジョンになってしまった。

 この暗さも納得というものである。

 

『出たよ』

 

 道なりに進んで行くとついにモンスターが現れた。

 ただれた外面に、蛆の湧いた眼窩。

 アンデッドだった。

 

 犬や猪に紛れて人だったものもいる。

 

「ゆくぞ! 死を忘れた者どもに救済の刃を!」

 

 イストリアが先陣を切ってアンデッドの群れに斬りかかる。

 以前に霊獣と戦っている経験があると話していたが、いったい何と戦ったのだろうか?

 少なくともアンデッドはないだろう。

 

 私も彼女の背後に回ろうとしているアンデッドを払っていく。

 わかっていたことだが進みが遅い。

 

『入れ替わった方が良い』

 

 そうだな。

 シュウで斬るとモンスターは問答無用で倒せる。

 しかし、ただの剣でモンスター、しかもアンデッドを斬るのは効果的ではない。

 粉々に斬るならまだしも、表面を斬るだけではダメージがない。

 上半身だけで襲ってくるものもあるくらいだ。

 

 メイスや斧ならまだしもちょっと切れ味の良い剣ではあまりにも無力。

 それでも剣を使うなら、剣にアイテムで光か炎の属性を付与する必要がある。

 たしかに良く斬れる剣を使っているし、本人の力量は私が見ても高いとわかるのだが、いかんせんあれだな……。

 

『ダンジョンが全然わかってないね。人は上手に殺せるんだろうけど、モンスター相手の戦い方がなってない。あ、まずい。イッちゃんをモンスターから離して』

 

 ん?

 あ、ほんとだ。

 

 イストリアはちょうど人型のアンデッドを切り伏せたところだった。

 

 すぐさまイストリアに近づく。

 甲冑をまとった腕を掴み、半ば投げるようにモンスターから引き離した。

 

「ぐっ、何をっ!」

 

 地面に転がった彼女が糾弾の声を上げる。

 だが、その声はすぐに力を失った。

 

 先ほど倒したアンデッドが破裂して、体液を四方に散らす。

 その体液を浴びた他のアンデッドは悲鳴を上げ、木や地面からはその表面が溶ける短い音がした。

 もしもあのまま同じところにいたら、あの腐食液が全身にかかっていただろう。

 

 特にアンデッドで多いが、倒したあとに破裂するものがいる。

 アイテム結晶が出るまで油断してはいけない。

 

 イストリアは、「あ、あぁ」と小さく頷く。

 

『……懐かしいなぁ。まだ初級だったころにアンデッドを倒しきれず、全身に体液浴びてべとべとになったこともあったね』

 

 ああ、あまり思い出したくないことではあるが、けっして忘れたくないという相反した思い出だ。

 

『ひとまず、ここのモンスターを片付けたらイッちゃんとちょっと話をさせて。このままだと峠を越える前に死ぬ』

 

 モンスターもそこまで強くないし、私が全面に出て戦えば問題ないだろう。

 

『彼女の性格を鑑みるに、後衛にいて見てるだけという自らの立ち位置を佳しとするタイプじゃない。それに、これからもダンジョンに潜る状況があるかもしれない。そのときに今と同じだと――』

 

 間違いなく死ぬな。

 今もアンデッドに足を捕られてしまってるし。

 

 

 

 そんなわけでモンスターを一掃した後、シュウとイストリア、ついでに私も交えて話をすることになった。

 最初はあからさまにシュウと話すことを嫌がっていたイストリアも、内容が非常にまともだったためきちんと聞いている。

 

 何、お前!

 めちゃくちゃまともじゃん!

 

「そうなのか?」

 

 有り得ん。

 こんなまともに喋ってるのは上級ダンジョン以上に潜るときくらいだ。

 今までで一番まともに会話が成立しているかもしれない。

 

『相手が綺麗な女性で、胸がなかったら、そりゃまともになるよ』

 

 その発言がすでにまともじゃないんだが。

 

「シュウ殿……」

『まあ、ぶっちゃけイッちゃんみたいなのは、怒ってる顔と恐怖に怯えてる顔を見てるのが一番楽しい!』

 

 あっ、あっという間にイストリアの顔が蔑んだものに変わった。

 

『ふふふっ、その顔も嫌いじゃないんだな、これが! 是非、泣いてる顔も見せて欲しいくらいだ。でも、死に顔は見せないでね』

 

 こんな具合に、シュウの講習は進んだ。

 

 

 そして、実践に移ったがすぐ実用レベルに達することはなかった。

 

『そのへんはやってれば慣れる。それよりもアレを使ってみて』

 

 アレとはシュウが細かく教えていたものだろう。

 確かにアレが使えれば、モンスター戦でも細かいところを気にしなくて済むようになるだろう。

 

 イストリアは小さく息を吸う。

 シュウをイストリアの肩に置く。

 

『最初みたいに驚いて手を離さないように。それと動けなくなるまで戦ってね。倒れてもメル姐さんがなんとかするから』

 

 ああ、任せとけ。

 

『じゃあ、元の詠唱とそのときの成功イメージを頭にしっかり浮かべて』

 

 イストリアが小さく頷く。

 

「……できた」

『よし、じゃあ俺の声に続けて――』

 

〈宿すは赫炎。燃えよ――フランベルジェ〉

 

 シュウに続いてイストリアが呟く。

 

 端から見ている私でも成功したことがわかった。

 彼女の持っている赤い剣が、より赤みを帯び、燃えていた刀身はもはや内側のみならず外側に顕れている。

 

 武具に対する炎属性付与の魔法だ。

 単純にエンチャントとも呼ばれることがある。

 魔力を宿す武器を持ち詠唱することで、その武具に様々な効果を付けることができるものだ。

 ただの安っぽい武器でやると、一発で武器が壊れる。

 

『成功したね。それじゃ進もうか』

 

 炎の剣を惚けて見つめていたイストリアが我に返った。

 

「緋剣のイストリア――参る!」

 

 その口上いらないだろと思ったが口には出さない。

 こういうタイプの人間は言わないと気が済まないのだ。

 

『短縮詠唱で弱くなってるけど、この辺の雑魚なら十分でしょう』

 

 そうだな。

 今、詠唱したものは実戦向けに短縮されたものだ。

 一度本来の長ったらしい詠唱をして、真のエンチャントをさせていた。

 短縮詠唱を習得する際には、本来の長すぎる詠唱をさせるのが一番効果的らしい。

 

 そのときに付与された炎は、今のようにうっすらとしたようなものではなかった。

 剣の延長線上にあった木々が燃え、その剣幅もイストリア本人を焼き尽くすほどに広がっていた。

 驚いて落とさなかったら、腕を持っていかれていたとシュウは話す。

 

『剣と炎属性の相性が恐ろしく良かったね。「燃えよ」だけでよかったかもしれない。後で他の属性のエンチャントと、強化魔法も教えとこうかな』

 

 そうだな。

 使えるにこしたことはない。

 

 問題はどれだけ保つかだ。

 魔法の才能とは要するに現象のイメージ構成力と魔力量、魔力の回復速度、それに魔法自体の利用法ということになる。

 私は全部ない。あのエンチャントを私が使うと二秒保たない。

 

 少なくともイストリアはイメージ構成は優れている。

 後は、あの炎を維持したままどれだけ戦えるかを測る必要がある。

 自分の限界がどれくらいなのか、魔法の行使による疲れを知るために、倒れるまで戦闘を今させているらしい。

 

 エンチャントの効果はすさまじかった。

 何度も斬りつけていたモンスターが一撃で光に消えていく。

 そのため斬り伏せたモンスターの対処を考える必要がなくなった。

 

『利用法の才能もあるね。炎の幅を広げたり、長さを伸ばしたりしてる』

 

 本当だ。

 よく見ると剣が纏っている炎を長くなったり太くなったりしている。

 

 イストリアの快進撃は続いた。

 ついには林を抜け、山道に入った。

 モンスターの種類が変わったがまだ進めている。

 

『そろそろかな』

 

 岩を纏うゴーレムタイプや空を飛ぶ鳥にはさすがに剣では対処しづらい。

 とうとう最後のモンスターを倒すと同時に彼女も倒れてしまった。

 

 彼女を担ぎ、スポットのような場所を見つけて入る。

 念のために持っていた魔力の回復促進薬をイストリアに渡した。

 

 彼女は咳き込みつつそれを飲み干した。

 そうなんだよな、あれめっちゃ苦いんだよ。

 以前、試しにどんな味か飲んだが吹き出してしまった。

 

『魔力量も人間にしてはかなり多い。ペース配分を間違えず、油断も驕りもしなければ初級ダンジョンは十分ソロでいけるでしょうな』

 

 ここのモンスターは初級ダンジョンだと話していた。

 そうするとイストリアはここを一人で攻略できるということになる。

 

『いや、山道に入ってからは中級になってるね。道も悪いし、敵の種類がなかなか豊富だから。それにボスがまだ未知数』

 

 そうだったな。

 フィールド型のダンジョンだからボスがいつ出てきてもおかしくない。

 

『まぁ、ちょっと休憩かな』

 

 こうして一日目の攻略は終わった。

 ちなみに夜もシュウの講義は行われた。

 ダンジョンの歩き方から始まり、アイテムの使い方に続く。

 特にダンジョンの歩き方はトラップの気づき方や、スポットの見つけ方と私自身も勉強になった。

 

 暗いダンジョンや夜のダンジョンは、ソロで極力攻略しないことなど耳に痛いことを話していた。

 どうしても行く必要があるときに使用する魔法や、松明の作り方までを実際にやらせてみせた。

 火や光の魔法は広範囲を照らせる反面、モンスターの注意を引きつけてしまうこと。

 逆に身体強化の一つとして、拾光の魔法を眼に使うことで暗くてもよく見えるが、激しい火や強力な光の魔法を使うとしばらく視界が失われることもやってみせていた。

 チートでさほど気にしたこともなかったが、暗闇の対策は難しいものだろう。

 

 最後に、ダンジョン攻略で一番大切なことは休息だとして、この夜の講義は終わった。

 

 

 

 朝が来てさっそく行動に移る。

 イストリアの魔力もすっかり回復したようだ。

 

 まずはゴーレムタイプのモンスターの戦いだった。

 基本は眼や関節といった弱そうな部分を狙うことが先決。

 それができないなら無視を決め込むのもありだということだ。

 動きは遅いものが多いから、ある程度数が増え固まったところでどれか一体の足を切ると一斉に崩れる。

 実際に集めて一気に倒して見せた。

 

『このとおり。でも、ボスクラスのゴーレムは魔法使いがいないと難しい。次は飛んでるタイプか』

 

 ちなみに私も飛んでいるモンスターは苦手だ。

 弓はセットするのが面倒だし、一体ずつしか倒せない。

 最近は石を投げて倒しているが、チートありきなので真似できるものではない。

 

『相手が本当に上空だったら、逃げてチャンスを窺うしかない。比較的低いところを飛んでるなら――』

 

 シュウが新たに教えたのは風属性のエンチャントだった。

 炎ほどではないがこちらもエンチャントすることをできた。

 炎と合わせることで炎を飛ばすという炎弾まがいのものだった。

 斬撃に合わせて炎が飛び広範囲が攻撃できる。

 

『相手が魔法を使って来る場合や大群の場合だけ使う方が良い。理由はわかるでしょ?』

「魔力の消費が大きいからだな」

 

 シュウは肯定する。

 数が少ないなら無視しておけばいい、どうせ攻撃するときは近づくからそこを狙うほうがいいとのことだ。

 もちろん滑空してくる相手を斬り伏せるだけの力が必要となる。

 

 そこで次に教えたのが身体強化の魔法だった。

 こちらは短縮だが、効果がはっきりとわかった。

 ゴーレムを剣のまま砕き、鳥型モンスターは襲いかかってきたところをなんなく叩き斬る。

 

「すごいなこれは……」

 

 本人も自身の変化に驚いている。

 

『どれも便利で強いのは確かだけど、魔力を使うから配分にはくれぐれも気をつけたほうがいい。特に身体強化の魔法は使いすぎると、筋肉痛で動けなくなるから。その代わりきちんと休息を取ると基礎能力が上がる』

 

 さて、いろいろと教えたが魔法についてはこんなところだろうか。

 

『まさか。重要な魔法を教えてない』

 

 他に何かあるっけ?

 

『二つある。片方はメル姐さんも使えるし、使ってる』

 

 ああ、あれか。

 私が唯一短縮詠唱できる魔法だ。

 たまにしか使わないけど、知っておいた方がいいだろうな。

 

『もう片方は、メル姐さんには必要ない魔法だね。でも、ソロでダンジョン攻略をするなら、これは絶対に知っておかないといけない魔法。常に発動させておいてもいいくらいのものだ。こっちからいこう』

 

 私もイストリアも息を呑んで続く言葉を待つ。

 

『その魔法はずばり保護魔法』

 

 私はわかったが、イストリアはいまいちよくわかってない様子だ。

 

「身体強化魔法で十分じゃないか。ゴーレムの攻撃を腕だけで防げる」

 

 そんな方角の違うことを言ってる時点で、これがどれほど重要なのかわかってない。

 

『まあ、対人ばかりであんな前時代的な戦をしてればわからないか』

 

 今の話は物理的な防御の話じゃない。

 状態異常の話だ。

 

「状態異常?」

 

 よくわからないと首をひねっている。

 

『一般的な言葉じゃないもんね。ものすごく簡単に言うと毒とか麻痺が効きづらくなる』

「そういうことか。たしかに毒を使う奴らもいるからな。力が強くなった上に毒も効かないとなると、戦場で無双の働きが出来てしまうな」

 

 うんうんと軽く笑ってイストリアは頷く。

 

『あぁ、全然わかってない』

 

 シュウが静かにぼそり。

 

 あ、これはまずい。

 けっこう怒ってるときだ。

 ちなみに、さらに怒るとわんわん騒ぎ出しておもしろくなる。

 この状態の時が頭も回ってるから一番よくない。

 

『状態異常がどれだけ致命的で破滅的なことなのか知っておくべきだ。メル姐さん、ちょっとだけ斬ってやって』

 

 当然手加減をしているだろうから、私はイストリアの首筋にシュウを軽く触れさせる。

 小さな傷がイストリアの首筋にできた。

 

「えっ……」

 

 イストリアは軽く首を振り、何度も瞬きをする。

 剣を持っていない方の手が眼の辺りを彷徨う。

 

『これが盲目。メル姐さんもう一回』

 

 軽く頷いて、再度傷を付ける。

 イストリアは口をパクパクと何か言おうとするが何も音は出てこない。

 

 サイレントだな。

 詠唱ができなくなる。

 魔法使いには致命的な状態だ

 

『次』

 

 新たに傷を付けると、イストリアはその場で崩れ落ちた。

 途中、身体を腕で支えて静かに横にしてやる。

 身体は完全に私に預けられ、指の一本も動かせない。

 口の端からは涎がなすがままに流れる。

 麻痺だな。

 

『ラスト』

 

 もういい。十分だ。

 どうせ、あとは恐怖か毒、もしくは痛覚アップだろ。

 恐怖はお前がイストリアの泣き顔を見たいだけだろうし、残りは――、

 

『違う。メル姐さん、これで最後だから』

 

 しばしシュウを睨み付ける。

 私は何も言わず、シュウも何も言わない。

 

 おい、シュウ。

 もしもイストリアを一方的に苦しめたいだけならな。

 私はお前を許さんぞ――、

 

『はは、一方的に苦しめるだけのものだよ。別に許されなくても良い……いや、ちょっとつらいかな――だけど、この状態異常があることだけは彼女に教えておかないといけない』

 

 けっきょく私のほうが根負けしてイストリアに傷を付ける。

 

 ……特に何も起こらない。

 しばらくすると他の状態異常も解けた。

 よくわからないままお互い立ち上がる。なんだ、結局何もしなかったのか。

 

 状態異常の怖さがわかっただろ。

 攻撃を受けなくても、返り血や臭いだけでさっきの状態になることもある。

 

「状態異常の怖さ、よくわかった」

 

 イストリアも深く頷く。

 

 まだ体調は完全に戻ったわけではないようで疲れが顔に出ている。

 疲れのせいか、気の強さもなりを潜めてしまっているようだ。

 

『構えて』

 

 は?

 

〈燃えよ――フランベルジェ〉

 

 突如詠唱を行い、イストリアは燃えさかる剣を私に振るった。

 反射的にシュウで防ぐものの、熱波が私にかかる。

 

 何をっ!?

 

 私は驚いてイストリアを見るが、彼女も私を、そして彼女自身の剣を驚きつつ交互に見ている。

 

「身体が勝手に――」

〈力よ。我が身体に満ちよ〉

 

 彼女は次いで身体強化の魔法を使う。

 詠唱する彼女自身、わけがわからないといった顔をしていた。

 

 おい、シュウ!

 なんだこれは?!

 

『洗脳っていう状態異常。初めて見せたね。使い勝手が悪いし、好きじゃないから使わなかった』

 

 シュウが説明している間にも、イストリアは私に襲いかかってきている。

 

「なぜ勝手に!」

 

 彼女は叫ぶ。

 それでも身体は勝手に動くようで私に襲いかかる。

 

「止まれ! 止まってくれ!」

 

 それでもイストリアは私に襲いかかってくる。

 動きが先ほどまでの彼女とは比べものにならなかった。

 剣を防いでも炎を調節し視界を塞ぎ、見えない位置から受けづらい場所に攻撃をしかけてくる。

 

『さすがにまだ届かないか』

 

 おい、シュウ。

 お前がやってるのか。

 

『そうだよ』

 

 受け答えしている間にも、イストリアの動きは止まらない。

 

「止まって! お願いだから!」

 

 イストリアの叫びが悲痛なものに変わってくる。

 その叫びがシュウに伝わったのか、ようやく彼女の身体は止まった。

 

 身体が自由に動くとわかったが、力なく立ち尽くす。

 息が荒々しく吐き出されている。

 

『甘い』

 

 えっ

「えっ」

 

 私とイストリアの声が重なった。

 彼女の腕がまたしても勝手に動いた。

 赤い剣の切っ先が彼女自身の喉に向く。

 

 剣はそのまま喉に向けて勢いよく突き進んでいった。

 自らの喉を刺し貫こうとただ一直線に――。

 

 しかし、剣は喉仏の直前で止まった。

 

『俺をイッちゃんに付けて。効果が切れるからなるべく速くね』

 

 もはや考えることはできなかった。

 私自身もシュウの言葉に従い、身体が勝手に動いている。

 いまだ自らの喉仏に剣を突きつけているイストリアにシュウを付けた。

 

『イッちゃん、これが状態異常だよ。安易に一人で敵に突っ込んで捕まるとしよう。もしも、そこそこの魔法使いがいるなら、君自身が友人や仲間を手にかけることになる。よく覚えておくことだね』

 

 そこでようやく状態異常が解けたのか、腕がぶらりと下りた。

 剣も手から離れ、地面に突き刺さる。

 

『じゃ、気を取りなして。それを踏まえて保護の魔法を……ちょっと休もうか』

 

 それがいいだろう。

 

 イストリアは膝を崩し、目頭から涙がこぼれている。

 声には嗚咽も混じっていた。

 

 シュウ、お前にちょっと言いたいことがある。

 

 

 

 彼女は動けなさそうだったので、私が彼女から離れた。

 なぜ泣いているのかはよくわからないが、下手に声をかけるよりそっとしておくべきだろう。

 

 それよりだ。

 お前、イストリアのこと嫌いなの?

 

『いや、大好きだよ』

 

 本当か? いつものお前なら女にはもっと優しくしてるだろ。

 相手が男ならともかく、さっきの最後の状態異常は使わなかったはずだ。

 それに思い起こすと、最初のときからけっこうきついことを言ってる気がするぞ。

 

『男なら口もきかないよ。ただ、ちょっと厳しくしてるってのは認める』

 

 なぜ?

 まさか胸がないからと言うまいな?

 

『いや、あの胸はあれでいいんだ。俺もその辺りは、広い心を持って受け入れることにしたよ』

 

 いや、違う。胸の話がしたいんじゃない。

 どうしてイストリアに厳しくしているのか聞いてるんだ。

 

『自分から胸に話を逸らしたくせに……。うーん、まぁ、話してもいっか。メル姐さんは冒険者の歴史って知ってる?』

 

 は?

 何でいきなり歴史の話になるんだ?

 

『いいからいいから。一番古い冒険者は誰で、何年くらい前?』

 

 誰かは知らないけど、冒険者ギルド発祥の地がアラクトだからその辺だろう。

 あそこが千年くらい前だったはず、千五百年前か?

 

『違う。少なくとも一万二千年前にはあった。ゼバルダと話したときに冒険者って言葉も自然に受け入れられてた』

 

 そういえばそうだった気がする。

 じゃあ、けっきょく何万年前なんだ。

 

『わからない』

 

 クイズ出しといてわからないって……。

 

『それくらい昔なんだよ。約三万年前に書かれたとされている最古の魔道書物――「歳儀史典」にはすでに冒険者が出てる。つまり、冒険者の誕生はそれ以上に昔なんだ。そして、その中で冒険者の始まりに関してこう記されている――「赫炎の担い手ヒストリエ。冒険神メランディッシュにいざなわれ未知の大道を歩む。冒険者、ここに誕生せり」――。俺は、このヒストリエってのがイストリアなんだと思ってる』

 

 ……話がいきなり大きくなりすぎて理解が。

 そうするとつまりどういうことなの?

 

『イッちゃんが冒険者の始祖。一番最初の冒険者ってこと』

 

 えっ、あいつが!

 でも、冒険者になりそうな感じじゃないぞ。

 

『冒険神メランディッシュが導いたんでしょ』

 

 なんだよ、冒険神って……。

 メラなんちゃらってのも初めて聞いたぞ。

 

『ここにしか記載がないからね』

 

 眉唾ものだな。

 まぁ、なんとなくわかった。

 お前が厳しくしてるのはイストリアを冒険者にするつもりだからか。

 

『最初はそうだった。でも、今は違う』

 

 ほぉ。

 

『本人にも言ったけど、俺はイッちゃんの死に顔を見たくない』

 

 ……言ってたな。

 私だって見たくないぞ。

 

『俺はダンジョンで生存率を上げる方法を教えた。それはなにより生きて欲しいからだ――だというのに、イッちゃんは何て言った? 戦場で無双するだってよ。ふざけてるのかと思ったね。確かに、与えた力を何に使おうが彼女の自由ではあるが、少なくとも俺は効率的な人殺しのやり方を教えたつもりはないし、そんなことをして欲しくない』

 

 そうか。理由はわかった。

 もはや何も言うまい。

 

『とりあえず、俺はイッちゃんが生き延びる術は教えられるだけ教えるつもり』

 

 それがいいだろうな。

 私は別に彼女に冒険者になって欲しいとは思わないから、積極的な協力はしないぞ。

 

『うん。それが一番伝わるだろうからね』

 

 伝わる?

 何が?

 

『俺が教えられるのは、特定の状況で生き残る具体的な術だけ――謂わば冒険者のやり方のだけだ。冒険者の在り方は俺じゃ無理なんだよね』

 

 つまり私が冒険者の在り方を教えると?

 

『教えるとはちょっと違う。気づかせる、いや感じさせるってのが正しいかな。とにかく、今までどおりにイッちゃんと接してあげて』

 

 よくわからんがわかった。

 

 

 

 しばらく経つと彼女も気を取り戻したようで、再度講義が再開した。

 講義が終わると、そのままダンジョン攻略に移った。

 

 順調に山道を進んでいく。

 途中で術を詠唱する奴が出てきて、ここでも対処の仕方をシュウが教えていた。

 

 魔法の行使はかなり控えめになっている。

 保護の魔法を常に張っているため、そこに一定量のリソースを確保せねばならないようだ。

 その分、他の魔法に使う魔力を温存せねばならず、魔法を使うべきタイミングを考えるようになるとシュウは話す。

 

 

 いよいよ峠に到達するというところで、叫び声が聞こえてきた。

 獣のような雄叫びが私たちを襲う。

 

「なんだこの声は」

 

 男の声だ。

 何かに対して怒り、吠えているように聞こえる。。

 

『うーん、これは怒りというよりむしろ……』

 

 さらに登ると、頂上が見えた。

 そこには一人の男が立っている。

 

「あれは、エグリマティアス」

 

 何?

 知り合いなの?

 

「大修練場に彼の像が立っている。武の化身とされている人物だ」

 

 はぁ、そう。

 どういう奴なんだ?

 

「五十年ほど前に、力を付けすぎた我が国をカルナセア、コルネンディアラ、ケルベセアンゲスの三カ国が手を組み襲った。そのとき三カ国の部隊長全員を討ち、連合軍を撤退に追い込んだ護国の大英雄だ」

 

 めっちゃすごい奴じゃん。

 でも、なんで英雄がこんなところにいるんだ。

 

「国を護ったエグリマティアスの力を恐れた当時のディロス王は、彼に無実の罪を着せ、都から追放した。引致の際にこのスリプスィ峠で崖から身を投じ、命を絶ったと聞いている」

 

 髪はぼさぼさで、髭も伸び、服装はみすぼらしい。いかにもな囚人だ。

 しかし、一目見てわから身体の屈強さと堂々とした立ち姿は彼が強者であることを感じさせる。

 何よりも、彼が両手に持つ棍棒は確かな脅威をこちらに知らせてくる。

 

「アイムールとヤグルシ。こんなところに……」

 

 どうやらそれがあの棍棒の名前らしい。

 さて、ボス戦だ。どうしたものか。

 

『かなり強いよ。今のイストリアじゃ無理。メル姐さんが戦って』

 

 わかった。

 それじゃあボス戦といこうか。

 

「エグリマティアスと戦うのか?」

 

 大英雄ね……。

 お前にとってはそうなんだろう。

 だが、私には人型のボスモンスターだ。

 いつも通りぶった斬るのみ。ここで見ていてくれて構わない。

 

 道を進めば、ボスもこちらに向き直る。

 さらに歩を進めれば、先方も一対の棍を構えて迎撃態勢を取る。

 

『最初から全力でいこう』

 

 ああ。

 どうやらそのようだな。

 私でもわかる。こいつからはかつて戦った極限級冒険者と同じ気配を感じる。

 

 シュウを構えたところで、私の横を赤い髪をなびかせイストリアが走り抜ける。

 あまりにも突然のことでその背をぼんやり眺めてしまっていた。

 イストリアはそのままボスの前で止まる。

 剣は構えていない。

 

『助ける準備だけはしておいて』

 

 何やってるんだ、あいつ?

 死ぬ気か?

 

「私はイストリア! ガラギオーウェン――クレイブ・ソリッシュ第十五師団の突撃隊長を担っている! 貴公を護国の大英雄エグリマティアスとお見受けし、話をさせて頂きたい!」

 

 そんなことを言ったところで意味はない。

 相手はただのボスモンスターなのだからな。

 

『さて、それはどうかな?』

 

 ボスは、棍棒を構えたままだがイストリアに襲いかかることはない。

 静かに先を促しているようだ。それを確認したのか、イストリアも続ける。

 

「現在、我が祖国を目指しエルネアの軍勢が進行している! 我が剣――フランベルジェは彼らとの戦いが、これまでのものとは比較にならない戦になることを示唆している! 私はエルネアの軍勢の状況を把握し、本国に知らせなければならない! 公にあってはその事態を察し、どうか我らがこの峠を越えること、なにとぞお許し願いたい!」

 

 ボスは、棍棒をぐるりと下に回して地面を打ち付ける。

 背を向けて崖の方へと歩み、屹立したままどこか遠くを眺めている。

 

 ……嘘だろ。

 話が通じたのか。

 

『みたいだね』

 

 なぜだ?

 どうして奴はイストリアを通すんだ?

 

 奴が話にあった大英雄だったとしたら国に対して怒っているんじゃないのか。

 無実の罪で追放されて、しかもここで絶望して自殺したんだろう。

 だから、モンスターになった今も怒って叫び続けていた。

 

『彼は怒っていたんじゃない。嘆いていたんだ』

 

 嘆く?

 

『彼は、どこまでも英雄だったんじゃないかな。この峠を越えれば、もう彼が護ったものは見ることさえできなくなる。彼にとって、それは死と同じだ。それならいっそ、国がよく見晴らせるこの場所で――』

 

 身を投じたと?

 

『そう。問題は彼と彼の意識が強すぎたことだ。死んでも死にきれずモンスターになってしまった』

 

 前の理由は知らんけど、モンスターになったのは確かだな。

 でも、大好きな国がよく見えるところだろ。

 嘆くところがないじゃん。

 

『国が良く見えるんだろうね。彼はずっと見守ることができる、国が滅びるその日さえね。声は届かず、手を差し伸べることもできない。ただ見続けなければいけない』

 

 ……嘆く理由はわかった。

 じゃあ今、その嘆きが止まったのは。

 

『祖国を想う者が――そのために行動している者がいることを知って安堵したから』

 

 ボス戦としての物足りなさは感じつつも、ここまでされれば背中からシュウを刺すこともできない。

 

 彼の背を横目に見ながら峠を越える。

 振り返ればイストリアもボスの背中を見つめている。

 

『違うって、彼女たちが見ているのはその先だ』

 

 私もさらに奥を見る。

 そこには小さな建物が映る。

 あれが彼女たちが生きてきた国なんだろう。

 

 ないに等しい感慨を抱き、坂を下り始める。

 

 

 

 山道を下り、さらにその先の林を抜けたところで私たちは見た。

 イストリアの国に敵対するという軍勢を。

 

 遠くから素人目で言えることは、きれいということだけだ。

 長く伸びた隊列は整然としていて乱れがない。

 お前から見てアレはどうなんだ?

 

『……完璧だ。あれは野蛮人なんかにできることじゃない』

 

 シュウはただただ感嘆するのみ。

 

『しかし――整然としすぎている』

 

 一方のイストリアと言えば、口をぽかんと開けたままで軍勢を見つめている。

 こちらはわざわざ尋ねる必要もない。

 

「数は――」

『三万といったところかな。迎撃側は十万だったね。数では圧倒的に有利。兵糧も十分ある。。加えて敵の補給線は延びきってる。一般的に言って、防御に徹すればまず負けはない』

 

 そんなものなのか。

 余裕じゃないか。どうしてそんな顔をするんだ?

 

「シュウ殿の言うとおりだ。負ける要素はない。数も、兵糧も、地形でも圧倒的に我が軍が勝っている。だが、なぜだ? わからない。それでも勝てる気がしないのだ」

 

 あんだけの数を間近で見たからじゃないか。

 とりあえずさっさと国に帰って伝えればいいだろう。

 

『敵の数は三万。我が軍が圧倒的に有利。そう伝えればいい』

 

 それでいいじゃん。その通りなんだから。

 

「いや、しかし……」

 

 だいたい三万というけど十万って三倍以上だろ。

 剣で一人が三人以上を倒すってのは、厳しいんじゃないか。

 

『その通り、ただの武器ならまず無理。じゃあ、もし魔法使いがいたらどう?』

 

 それなら……なんとかできるんじゃないか。

 防城って、要するに一カ所にかたまるってことだろ。

 魔法の良い餌食になるんじゃないか。集まってるところに撃てば一網打尽だ。

 

『いかにも。そして、あの軍には魔法使いの部隊もある』

「なんだと?」

 

 イストリアは目を凝らす。

 

『黄色い旗が並んでるあたり、杖を持ってる集団がいるでしょ。あいつら全員魔法使い』

 

 ほんとだ。それっぽいのがいるな。

 全体から見たら少ないが、あちこちにいるから数百はいるんじゃないか。

 

『言っとくけど、本物の魔法使いが撃つ魔法はエンチャントとは比較にならないよ。岩で作ったくらいの城壁なら簡単に崩せる』

「馬鹿な……。それでは――」

 

 イストリアはその先を言うことができない。

 代わりにシュウが継いだ。

 

『クレイブ・ソリッシュ軍は魔法を組み込んだエルネア軍に敗れ、ガラギオーウェンは落日を迎える。イッちゃんの予感は正しかったね』

 

 イストリアはまたしても言葉を失った。

 

「急いで……急ぎ伝えなければ!」

『もう遅い』

 

 イストリアの叫びは短く打ち消された。

 

『エルネア軍はすでに喉元まで迫ってる。今さら魔法対策はできない』

「では! それではどうすれば良いと言うんだ!」

 

 逃げれば?

 そのままだと死ぬってわかってるなら逃げればいいじゃん。

 

 イストリアは口をぱくぱくと魚のように何度も開閉させている。

 

 ん?

 なんか変なこと言った?

 

「ガラギオーウェンには私の仲間や家族、友もいる」

 

 じゃあ、連れて逃げれば?

 さっさと戻って、荷物をまとめて退散すればいい。

 

 イストリアは今度こそ完全な絶句である。

 なんなの?

 

『価値観が違いすぎて話になってない。メル姐さん、国とかどうでもいいでしょ?』

 

 うん。

 国が滅んでもダンジョンは残るからな。

 

『だろうね。イストリアにとってはあの国を護ることが、メル姐さんのダンジョン攻略並みに大切だってことだよ』

 

 国がねぇ……。

 でも、今から帰って守りを固めても間に合わないんだろ。

 

『うん、無理無理。情報を伝えたところで「魔法? あっそう、でも数は圧倒的に俺たちが有利だろ。怖いのか、HAHAHA!」で終わるだろうね』

「そんなことは……」

 

 最後まで否定しきることはできなかった。

 どうにもそうなりそうな具合だ。

 

『じゃあ、残る道は一つだね』

 

 そうだな。

 逃げるのも駄目、戻るのも駄目とくればそれしかないな。

 

「それ、とは?」

 

 ここであいつらを止める。

 

「……馬鹿な」

 

 確かに馬鹿だが、それが何か?

 国とやらがお前にとって大切だというなら、それくらいの真似をしないと無理じゃないか。

 私も面倒な問題は大抵逃げて解決するが、ダンジョン攻略に関してのみは必要とあれば立ち向かうぞ。

 

 イストリアは息を深く吸うと、真一文字に結んだ。

 遙か左から、これまた遙か右に流れる人の地平線へと歩を進める。

 

 ……あれ?

 

『やっぱ俺じゃ駄目だったか』

 

 彼女は立ち止まり、こちらを振り返ることもなく口を開いた。

 

「メル殿。見届けて頂きたい」

 

 は?

 

「聞け! 我が名はイストリア! ガラギオーウェンがクレイブ・ソリッシュ――第十五師団の突撃隊長である!」

 

 彼女はそう名乗りを上げ、詠唱を行い、自身に強化魔法をかけていく。

 

 この距離では敵には聞こえない。

 私と自分自身に宣言しているようだ。

 

「いざ! 参るッ!」

 

 身体をやや低くして、走り出す体勢だった。

 

「おい、イストリア」

 

 足を踏み出す前に、彼女の肩に右手を掛けて止める。

 

「何だ、止めな――ぃぎょぉ!」

 

 振り向いた彼女の顔面にそのまま左手をぶち込んだ。

 スパイラルに宙を舞い、地面を何回転もしてようやく勢いは止まった。

 

『今の……、強化魔法かけてなかったら破裂してたよ』

 

 あ、そう。

 加減はしてるし、殺すつもりはまったくないぞ。

 

『珍しいね。いつもだったら蹴るのに。文字通り手を出すなんて』

 

 ちょっと頭にきてな。

 

『深呼吸して気持ちを落ち着かせたら、イッちゃんに傷薬をつけてあげて。あの腫れた顔はちょっと見てられない』

 

 返事はしない。

 イストリアを視界から外して息を深く吸い込んだ。

 

 

 

 起きたか。

 

「あれ」

 

 まだ意識がもうろうとしているようで上手く受け答えできていない。

 

 あの後、雨が降り出してな。

 エルネア軍も足を止めた。

 

「エルネア……、そうだ。私は!」

 

 彼女は周囲を見渡す。

 場所はほとんど変わってないからわかるだろう。

 変わっているのは時間くらいのはずだ。

 すでに日は暮れてしまった。

 

「行かなければ!」

 

 座れ。

 

「しかし!」

 

 やれやれ。

 仕方ないので、私もゆっくり立ち上がる。

 

 そのまま彼女の首元にシュウを付けた。

 かなり速くしたので、イストリアはまったく反応できなかった。

 

『動かない方が良い』

 

 シュウがイストリアに制止を要請した。

 

 これは前にも話したことになるんだが――。

 ダンジョン攻略でどうしても逃げることができないとき、私は問題に対峙する。

 

 しかし、それは「一人で」ではない。

 対峙せねばならない問題は、だいたい私の手には余る。

 そんなときは、こいつに丸投げする。

 

『はい! 問題対処係のシュウでっす!』

 

 大抵の問題はこいつだけで解決するが、ときどきどうしても他の人間と手を組まないといけなくなることがある。

 俗に言えば、パーティーを組むって奴だ。

 

 滅多に組むことはないが、私はパーティーを組んだ奴には全幅の信頼を置くことにしている。

 彼らは私にはない力を持っているし、なにより私を――私の大好きなダンジョン攻略を助けてくれているんだからな。

 

 ――逆に、私も彼らを全力で支援するつもりでいる。

 彼らの目的がダンジョン攻略ではなく、それに付随するものだとしたらその要望も叶えるつもりだ。

 目的は違えど、互いに目的のために全力を尽くし補い合う。

 それがパーティーを組むことだと私は考えている。

 

 パーティーリングこそないが、私は、お前とパーティーを組んだつもりでいた。

 だからこそ、私はお前がボスモンスターに話しかけたときも全力で走る準備をしていた。

 シュウもお前が生き延びるための術を、口調以外は真剣に教えていた。

 

 珍しく長話をしてしまったな。

 それでは、問おうか。

 

 ――お前にとって私たちはなんだ?

 

 イストリアは私の言わんとしていることを理解した。

 それでも、彼女にはまだ後ろ髪をひかれる思いがあるようだった。

 

「……しかし、私たちは出会ってから三日ほどしか経っていない」

 

 時間は重要ではない。

 パーティーなんて一日だけのとき、ひどいときは半日のことだってある。

 それでも互いに助け合って、悪い言い方をすれば利用し合う。

 

「私は……、教わることばかりで、何も貴公らに与えることができていない」

 

 そんなことはない。

 ボスを会話だけで済ませるというものは私も初めて見た。

 私は、お前から確かに学ばせてもらった。

 

「それに、相手の数は……」

 

 数の有利は重要ではない。

 十万を抱える城塞とその兵が、三万の魔法使いの混成軍に敗れることだってあるだろう。

 三万の整然とした軍勢が、チートを使う二人と一本のパーティーに破れることだってあるかもしれない。

 

「……死ぬかもしれない」

 

 ああ、死ぬのは怖いな。

 しかし、恐れてばかりでは冒険はできない。

 

「…………私は、エルネアの軍勢を止めなければならない」

 

 そうか。

 

「貴公らをパーティーと見込んで頼みたい。どうか、私とともに――戦って頂きたい」

 

 今、お前は私をパーティーの一員と語った。

 私も、先に言ったとおりお前とパーティーを組んでいると考えている。

 

『おいおい二人とも、誰か忘れてないか? そう、ここにいるイケメンのことをさ』

 

 よし、全員揃ったな。

 作戦会議といこう。

 

 よっこらせと私は地べたに座る。

 顎でイストリアにも座ることを促す。

 

 早く座れ、お前には涙ぐんでいる暇などないはずだ。

 

「メル殿、貴方は……」

 

 私が?

 

「貴方は……何なのだ」

 

 言っただろう。

 私はただの冒険者。

 そして、お前と同じパーティーだ。

 

 そう言えば冒険者が何か考えることを忘れてたな。

 もうしばらく待ってくれ。考えとくから。

 

「冒険者……」

 

 そうだ。

 それよりシュウ、お前の出番だぞ。

 

『キタコレ!』

 

 なんなのその返事……。

 まあ、それくらいのほうがいい。

 私もちょっとマジメに話しすぎて頭が痛かったし。

 

 今はそんなことより、どうやって攻略するかだ。

 ダンジョンに見立てるならモンスターはエルネア軍か。

 あいつらがいる平野はなんか名前はついてるのか?

 

「あの地域一帯は、パンタシア平野と呼ばれている」

『なんだって?』

 

 パンタシア平野とイストリアは繰り返す。

 

『……エルネア軍の中で有名な魔法使いって誰がいる?』

 

 イストリアは首を振る。

 それもそうだ。魔法使いがいることがわかってたらとっくに魔法の対策をしている。

 

「ただ、エルネアが力を振るい始めてから、ある軍師の存在が噂されている」

 

 ただし、誰も名前を知らないし、顔もわからないとのことだ。

 

『仕方ないか。可能性は入れておくとして、予定通りいこう。それでは、作戦案を伝えようかな』

 

 シュウが作戦を話し出す。

 攻撃は二回。どちらも奇襲だ。

 

 一度目は夜襲をかける。

 相手の補給物資を燃やすことを目的とする。

 ただし、全ての補給物資、食料を燃やすことはしない。

 背水の陣で城に攻めてこられては困るからだ。

 

 さらに相手の対応速度と連携を見る。

 どこにまとめ役がいて、全軍の支配権を持つのが誰なのかを確認する。

 そのため、そこそこ燃やしたら速やかに撤退し、遠くから隠れて様子を窺う。

 

 

 二度目は、時間をおいてからの相手本陣への強襲だ。

 一度目の奇襲により確認した本陣に向け、全速力を持ってぶつかり将を討ち撤退する。

 撤退する際に、ゲロゴンブレスを数発撃って、ガラギオーウェンへ至る道を抉り進路を絶つ。

 進むことよりも退くことが易いと思わせて撤退させる。

 長い目で見れば時間稼ぎにしかならないが、これが現時点で最善だと判断した。

 

 

 ゲロゴンブレスを相手に撃ち込んで、チートの感染で相手を倒したほうがいいんじゃないかと提案はした。

 

『そんなに虐殺したいの?』

 

 シュウから返ってきたのはそれだけだった。それだけで十分だった。

 殺しは極力避けて、状態異常も麻痺を中心に行うこととした。

 

 

 さっそく実行に移る。

 

 闇の中でも私はしっかり見えている。

 イストリアは魔法で見えるようになっているが、いろいろ不便はあるから無茶はできない。

 敵の補給物資の位置はシュウが補足しているから、そこに向かうだけだ。

 

 ステルスで姿を消し、見張りに近づき背後から軽く斬って麻痺させる。

 近くにいた兵士は感染してばたばたと倒れていく。

 その様子を見たイストリアが補給物資にエンチャントした剣で炎を付ける。

 

 あっというま火が上がった。

 あちらこちらからにもざわめきが生じる。

 

「敵襲! 敵襲だ! 各隊は、部隊長を守って、陣を固めよ!」

 

 イストリアと私が声を張って伝える。

 さらに他の地点の補給物資も同様の手口で燃やしていく。

 

『展開が速いな。まあいい、目的は達した。よし、撤退』

 

 イストリアに合図を送り、燃えさかるエルネアの野営地から離れた。

 

 遠くの木陰からイストリアと共にエルネアの野営地を見る。

 補給物資からの火はかなり収まっていたが、それ補うように奇襲に対するかがり火が焚かれていた。

 

「上手くいったな」

 

 ああ、そうだな。

 

『予定通り補給物資は燃やせた』

 

 成功だな。

 

『だけど包囲の展開が速すぎる。流言しても、的確にこちらを囲んで来てた。最初こそ乱れたけど、混乱が少なすぎる』

 

 そうだろうか。

 私にはよくわからない。

 

「確かに兵の乱れはなく、それぞれが自らの役割を把握していたように見える。よく教練されている証拠だろう」

 

 この場はそういうことで、この話は終わりになった。

 二回目のタイミングはシュウが伝えるようなので、しばらくは休息だ。

 

 

 

 ちょっと寝たつもりがすでに朝だった。

 

『やっと起きた。じゃあ、軽くご飯食べたら行こうか』

 

 散歩に行くような軽さでシュウは言う。

 

『敵の本陣の場所はわかった』

 

 そうなんだ。

 もぐもぐとパンを口にしながら答える。

 

「後は乗り込むだけだ」

 

 そうだな。

 予定通りにやってしまおう。

 

『敵の大将を討ったら撤退と話したんだけど、変更するかもしれない』

 

 具体的にはどうするんだ。

 

『どうするかはまだ決めてない。討ったときの様子しだいかな』

 

 そこはお前に任せる。

 大将を討つことが大前提だ。

 

 それでは始めようか。

 

 

 イストリアを一人、本陣からわずかにずれたところに攻めさせる。

 相手から見えるよう、堂々と歩かせてだ。

 

 もちろん強化魔法と保護魔法をかけている。

 剣に対してエンチャントも忘れない。

 

 敵は予定通りイストリアに気づき、重厚な陣を敷く。

 たった一人に対してこの陣容。これで相手が魔法の脅威を知ってることがはっきりした。

 

 一方の私と言えば、すでにステルスで相手の本陣に入っている。

 イストリアに攻撃が向かう直前に姿を現し、大暴れする手はずだ。

 

 そして、それは成功した。

 突然現れた私に、敵の兵は大いに慌てた。

 見せてやろう。感染の脅威を!

 

『パンデミックだ!』

 

 兵の一人を斬る。

 あくまで軽めに傷をつけるだけだ。

 しかし、私の役目はそれで全てが終了した。

 

 一人の麻痺は周囲の数十人に、その数十人麻痺はさらにその周囲の数十人に移っていく。

 私を敵だと思った人間全ての動きを止めるように、エルネア軍の中を麻痺が蔓延した。

 

 イストリアを狙っていた兵士達にも波及し、倒れ伏せた。

 彼女もこちらに走ってくる。

 

 倒れ臥す兵士達の中を私とイストリアは進む。

 他のところから応援が来るのでそれまでにさっさと大将を屠る。

 

 そいつはすぐに見つかった。

 イストリアも顔を知っているようで、彼が大将だと言う。

 

『肉の付き方は武官のそれだ。替え玉じゃないね』

 

 まあ、こいつには運が悪かったと言うことで死んで頂こう。

 

「本来なら正々堂々と相まみえたいかったが……致し方なし。覚悟!」

 

 イストリアの剣が敵将の首を斬った。

 その首を掴みあげ、彼女は勝ち名乗りを上がる。

 

「ガラギオーウェンがクレイブ・ソリッシュ――第十五師団突撃隊長イストリア! エルネア軍総大将――カツァリダの首、討ち取ったり!」

 

 大地を震わせるような声がパンタシア平野に響く。

 

 よし撤退だな。

 

『待った。様子がおかしい』

 

 何がおかしいんだ。

 

『反応が薄すぎる。普通、総大将を討たれたとなれば、意気消沈するか、報復に燃えるかのどちらか。こいつらの目はそのどちらでもない。ただ俺たちを標的として見ているだけだ』

 

 イストリアも何か違和感を覚えているようだ。

 

「何だこいつらは、気持ち悪いぞ」

 

 私にはよくわからない。

 モンスターも似たようなものじゃないか。

 

『その通りだよ。モンスターと同じなんだ。人間の反応じゃない。感情が薄すぎる。ただ与えられた命令に従う傀儡だ』

 

 遠くにいた兵士たちが、私たちを取り囲んでいく。

 

『推論――魔法か何かで操られてる』

 

 魔法だろ。

 何かって何だよ?

 

『それを確認する。このままだとこいつらは殺すまで止まらない。頭を潰す必要がある』

 

 魔法を使ってる奴を叩くってことだな。

 わかったが、そいつはどこにいるんだ?

 

『それもこれから確認する。ゲロゴンブレスを相手の頭上に撃って! 太陽がある方向』

 

 言われたとおりにゲロゴンブレスを、太陽の方角、相手の頭上に向けて撃つ。

 流石の傀儡たちも驚いたの動きを止めた。

 

「な、なんだそれはッ!?」

 

 傀儡以上に驚いたのがイストリアだ。

 軽く話してはいたが、聞くのと見るのでは大違いだったと見える。

 

『次は反対側にもう一発』

 

 イストリアには構わず私はもう一発ゲロゴンブレスを撃つ。

 腰を抜かしたイストリアは悲鳴を上げていた。

 

『俺をイッちゃんにくっつけて、速く!』

 

 言われるがままに尻餅をついているイストリアにシュウを付ける。

 

『よく聞いてね。今からメル姐さんには、俺を上空へ投げてもらう。俺が飛んでる間、このメル姐さんは本当にポンコツになる。落ちてきた俺を拾うまで守ってやって欲しい。わかった?』

 

 イストリアは立ち上がる。

 先ほどの悲鳴を上げていた様子はもはやない。

 

「任せろ」

 

 彼女はしかと頷いた。

 

 私も不安はない。

 シュウの立てた作戦で、守るのはイストリアだ。

 

『じゃあメル姐さん。なるべく、真上に投げて。全力でね』

 

 わかった。

 一度、お前を全力で投げつけてやりたいと思っていたんだ。

 

 柄の握りを軽くし、腰を低くし力を溜める。

 そして、全力でシュウを真上に投げた。

 

『I'll be back』

 

 投げてすぐに身体から力が抜けた。

 力が入らない。いや、違う。元々の力に戻っただけか。

 

「こっちだ」

 

 イストリアが腕を引くが、腕が千切れてしまいそうな力だ。

 身体が重く、足も思うように動かない。

 

 イストリアの腕が離れ、彼女は敵軍の中に突っ込んでいく。

 敵の攻撃も、イストリアの攻撃も目で追うことがまったくできない。

 

 自分本来の力を感じて虚しくなる。

 それを慰めてくれる声も聞こえてこない。

 

「来たぞ!」

 

 私の前に剣が落ちてきた。

 

『待たせたなボウズ』

 

 シュウを握るとそんな気取った声が聞こえてきた。

 身体に慣れ親しんだ力が戻ってくる。

 誰がボウズだ。

 

『見つけたよ。さすがにゲロゴンブレスは食らいたくないと見える。わかりやすく動いてくれた。かなり後方。雑魚はほっといて一気に行こう』

 

 うむ。

 イストリアにも伝えて、敵を散らして進んで行く。

 雑魚ではあるが、人間にしてはかなり動きが速いような。

 

『力を付与してるね。それに隊列と配置がすごい的確だ。これを魔法でやってるならそいつは紛れもない天才だ。殺すのが惜しいな』

 

 隊列や配置は知らないが、完全に力任せで押し通る。

 こちらに向かうか、立ちふさがる傀儡の中で、唯一こちらから遠ざかる馬車が見えた。

 

「あれだな」

 

 私とイストリアが、馬車についている左右の車輪をそれぞれ破壊する。

 荷台は地面に落ち、速度が落ちて馬の首を引っ張る。

 中にいる人間の悲鳴も聞こえた。

 

 イストリアが炎の剣で荷台の幌を焼く。

 

「うわっ!」

 

 そう言って荷台から這いずり出てきたのは細い男だった。

 

『あぁ、やっぱり』

 

 黒髪で線の細い色白の男だ。

 着ている服は他の人間と同じだが、明らかに戦える種類の人間ではない。

 

 なんだお前の知り合いか?

 

『俺と同じ国の出身だね』

 

 えっ、そうなのか。

 じゃあもしかして、こいつもチート持ちか。

 

『チート持ちだろうね』

 

 イストリアに剣を突きつけられ怯えていた男が声を出す。

 

「待て! 待ってくれ! この声、日本人だろ! 助けてくれ! 俺も日本から来たんだ!」

 

 何やら叫んでいる。

 

『俺の声が聞こえるってことは、チート持ちで間違いないようだね。名前は?』

 

 そう言えば、シュウと触れてないのに言葉に反応していたな。

 

「田中だ! 田中裕二だ!」

『あっそう。で、田中なにがし君はどうやってこの世界に来たの?』

 

 シュウはさほど興味もなさそうに尋ねる。

 

「タブレット! タブレットで変なアプリを入れて! 寝て気づいたらこっちにいたんだ!」

 

 たぶれっとってなんだ?

 

『手に持ってる板みたいなやつだね』

 

 そう言えばなんか銀色の薄い板を持っている。

 

『そんな連れて来られかたもあるのか。それで与えられたチートは、この兵士を操ってた力で間違いないね』

 

 そうだ、と首を何度も縦に振る。

 

『チートを使って、この程度か』

 

 ぼそりとシュウは呟く。

 

『はぁ、わかった。日本に帰そう。イッちゃん、悪いけどこいつの処分は俺に任せて』

 

 私がイストリアに告げると、タナカは首を振る。

 

「嫌だ。俺は帰らない」

『どうして?』

 

 タナカは縋るような声を出す。

 

「日本に帰っても、学校で勉強の毎日だ。特に才能もない僕じゃ、何も楽しくない。でも、ここは違う。俺の力を発揮できる! みんなが俺を必要としてくれるんだ!」

 

 こいつ……。

 何か勘違いしてないか。

 

『可哀想にね。田中君、君はいろいろ誤解してる』

 

 何を、とタナカは問いかける。

 

『まず、チートの力はただの預かりもので君自身の力じゃない。次に、力を発揮すると言ってたけど、あれくらいの統率はわざわざチートを使わなくてもできること。あと、必要とされてるのは君の力であって、君自身じゃない。それと最後に、みんなと言ってたけど、それは国の偉い人だけだよ。ここにいるイストリアは君を敵と見なしているし、メル姐さんもどうでもいいと思ってる。一番まずいのは同じ国の兵が、誰も君を助けようとしていないってこと』

 

 そういえば、確かにそうだ。

 先ほどまで襲いかかってきていた兵士は、今ではざわつくだけで誰もかかってこない。

 

『メル姐さんは一人といえどもイストリアを助け、彼女もまた大軍を前に怯むことなくメル姐さんを守った。ひるがえって君を見てみよう。三万の兵士がたった二人を恐れて、誰も君のために戦わない』

 

 私は勘違いしていた。

 イストリアに厳しいことを言ってるなとか思ってたけど、あれはまだ優しかったようだ。

 今のシュウは本当に容赦がない。

 

『人との繋がりを作る切っ掛けに、チートを利用するのはまだ良い。でも、人との繋がりそのものはチートじゃなく、君自身の言葉と考えで築かないと駄目だった。それを怠った君に為せることなど何もない』

 

 一言一言がタナカの表情を崩していく。

 

『さあ、国に帰そう。いや還すが正しいかな。君のようなガキがここにいたところで、だぁれも幸せにならない。思う存分に力を振るうのは、課金したゲームのアカウントだけにするんだね』

 

 シュウは晴れやかな声で告げる。

 

『俺で斬ってあげて。それで還るだろうから』

 

 私は一歩踏み出して、シュウを構える。

 

「わかったような――わかったようなことを言うな! 僕にだってできることはある!」

 

 タナカは吠えた。

 迫力はないが、問題は手に持っている板だ。

 かれがその板を指でなぞる。板の表面が光り、文字が浮き上がっている。

 

「見ろ! 読めるだろ!」

 

 読めないんだが……。

 

『竜召喚。そう書いてある』

 

 竜の召喚?

 そんなことができるのか?

 

『チートだからね。それくらいは余裕で出来る。……そうか、可哀想に。こいつはこのためだけに呼ばれたのか』

 

 先ほどまでの馬鹿にしている様子ではない。

 シュウはタナカに同情を寄せている。

 

「何を言ってるんだ。竜だ! 竜なんだぞ。それが操れればお前達なんて一撃だ!」

 

 なに言ってるんだか、竜が召喚されるよりも私が斬る方が遙かに早い。

 

『イッちゃんと話をさせて』

 

 シュウの言葉を伝えると、今まで蚊帳の外だったイストリアがようやく会話に入る。

 

『今からここに竜が召喚される』

「竜? 伝承にある破壊を司るの青き竜のことか?」

 

 いまいちピンときていない。

 実際に見ないと、あの強さは感じられないだろう。

 

『さっき俺たちが使ってた炎の激流を見たよね。あれは灰竜のものなんだ。あんなのをぽこぽこ撃ってくる存在がここに出てくる』

 

 顔つきが変わった。

 事の重大さを把握したようだ。

 間違いなくエルネア軍の脅威などとは桁が違うだろう。

 

「止めなければ。こいつを殺せばいいのか」

 

 イストリアは剣をタナカの首元につける。

 タナカはひっと竦むだけだ。

 

『いや、もう術式は起動しつつあるから殺しても無駄だろうね』

「そ、そうだ。ここで僕を殺したら制御できる奴がいなくなるぞ」

 

 タナカはシュウの言葉を裏付けていく。

 

「どうだ、今なら、謝れば許して――」

『うるさいから斬っちゃって』

 

 ああ。

 

「えっ」

 

 タナカが気づいたときにはすでに、彼の首は宙を舞っていた。

 

『ポトリもあるよ』

 

 首は地面に落ちた。

 その後、モンスターのように光の結晶となって消えた。

 彼の身体も同様である。

 

 残る問題は彼が持っていた光る板だ。

 それだけがいまだここに取り残されている。

 

『イッちゃん。竜の出現は俺たちが食い止める』

 

 イストリアは黙って聞いている。

 

『もう起動段階だから、無理矢理止めればここに次元の断層ができる。落ち着いたらここを固く封鎖して欲しい。良いかな?』

 

 そろそろだな。

 

「メル殿は、どう……、なるんだ?」

 

 どうなるの?

 

『来たときと同じだよ。またどこか別の時代、別の場所に飛ばされる。今までの傾向からおそらく場所はそこまでずれないだろうね。でも、今度はかなり大きく飛ばされるかな』

 

 なんかそんな気配だな。

 魔力に色をつけなくても、空間が歪んで来ているのがわかるくらいだ。

 

「メル殿。貴方に私の国を案内したい。私が護りたかったものを見て頂きたい」

 

 そうか。

 私も見てみたいな。

 ダンジョン攻略をした後はおいしいものを食べるのがいいんだ。

 

「任せて欲しい。上手い料理が山ほど食べられるところを知っている」

 

 それはいいな。

 是非、行ってみたいもんだ。

 

「……また、会えるよな?」

 

 「また」という言葉は幻想だ。

 冒険をしていて、再び会うなんてことはまずない。

 だから、今このときを全力で生きることが大切だと私は思っている。

 

 お前と過ごした時間は短かったが、とても楽しいダンジョン攻略だった。

 私の攻略はきっとまだ続くし、お前もまだ終わってないだろう。

 国に帰って魔法対策をするなり、残党勢力の一掃がある。

 お互い、やるべきことをやっていこうじゃないか。

 結果として互いの道が交わることもあるだろう。

 

『ここにいると巻き込まれるから、スリプスィ峠まで一気に走るんだよ』

 

 一気に走るとなるとあの魔法の出番だな。

 覚えてるか?

 

 頷き、イストリアは一歩退く。

 

〈陣風よ。我が身を包め〉

 

 それは私が唯一短縮詠唱できる魔法だ。

 本来は風を生じさせ、矢や小規模の魔法を防ぐ目的のものだ。

 私の場合は、そこまでの規模にならない。ただ空気の抵抗を減らして速く走ることができるようになるだけだ。

 

『うん、できてるね。峠の進み方はわかってるね。休息はちゃんと取るんだよ。魔力のペース配分に気を付けて。ボスとは戦っちゃ駄目。今のイッちゃんじゃ絶対に倒せない。前と同じようにきちんと事情を話して通してもらうように。それと発動途中の魔法を消すことは危険だから絶対に真似しちゃいけない。それと――』

 

 もういいよ、長ったらしい。

 何がちょっと厳しくだ。甘々じゃないか

 バランスを取って、私からは一言だけ送らせてもらおうか。

 

 生き延びろよ。

 

『……本当に一言ってどうなの』

 

 これで十分だろ。

 

 そう言って、イストリアの肩を手で押して、さっさと背中を向かせる。

 彼女の凛々しい顔が崩れていくのが見るに堪えなかったからだ。

 

 ――じゃあな。

 

 それだけ言って、彼女の背を押す。

 

「メル殿、シュウ殿。私は生き延びます。冒険――」

 

 最後の部分は聞き取れないまま、イストリアは走り去る。

 振り返ることもなく、どんどんと遠くへ駆ける。

 

『さてやっちゃいますか』

 

 ああ。

 やると言っても斬るだけだがな。

 

 私は竜が召喚される空間に向き直る。

 その歪みを断ち切るようにシュウを振るった。

 

《やややっ! メル殿! 初めましてですな!》

 

 歪みが広がる直前、そんな声が聞こえた。

 

 

 

 そして、私はまたしても靄に包まれた。


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