チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足14話「遙か久遠の貴方」

1.王都に至る道:デクラン山窟

 

 王都モルタリスに繋がる道の一つにデクラン山窟がある。

 この山窟は中級ダンジョンに位置づけされているが、モンスターはさほど強くない。

 適切な準備をしていれば初級並みのレベルのようで、実際に過去は初級だったようだ。

 

 ――では、なぜ今は中級なのか?

 

 答は、死亡者が多いからである。

 

 南方から王都へ向かうルートは三つ。

 山窟以外のルートは、ゼノム山岳を東西に大きく迂回するため時間がかかる。

 どうも人間は時間という制限を背負うと正しいリスク判断ができなくなる。

 そして、判断を誤った商人と未熟な冒険者がたくさん命を落とした。

 

 その結果が中級ダンジョン――デクラン山窟という訳だ。

 

 もちろん私は残り二つの道など無視し、このデクラン山窟を選ぶ。

 それに、こちらを通るメリットがもう一つある。

 

『こっちなら余裕で間に合うね』

 

 そうか、ゆっくり攻略できそうだな。

 

 他の商人や冒険者と同じく時間短縮のメリットだ。

 

 明後日から王都でアルヒ祭とかいう大きな祭典があるらしい。

 ソレダー王の生誕四十年とも重なり盛大に執り行われるという話だ。

 

『でも、祭りが目的じゃないでしょ……』

 

 うむ。

 正直、お祭りだの王様の生誕四十年だのはどうでもいい。

 祭りがあると近くのダンジョンに挑む人間が減って、気ままに攻略できる。

 ダンジョンで周囲に他の冒険者がいたりすると、声かけられたり、奇異の目で見られるからな。

 

『ソレダー王も体調を崩して大変だって聞くけどね』

 

 らしいな。

 顔も知らないし、名前すら最近知ったんだけど……。

 

『世事にうといのはよくないですぞ』

 

 いいんだよ。

 王様の体調なんて、私には関係ない。

 最悪、死んでしまっても大して問題ない。

 どうせ私とはまったく関係のない、無縁な世界だ。

 ダンジョンがあればそれでいい。

 

『甘い』

 

 何が?

 

『あのね、メル姐さん。九割方の物語で、王都に行くと問題が起きる。しかも祭りとなれば確実と言ってもいい』

 

 はぁ、そう。

 で、問題とは?

 

『王都にモンスターが襲撃したり、王子や姫様との邂逅、祭りに乗じて動く謎の組織、あと他には――』

 

 あっ、もういい。

 よくわかった。

 

『メル姐さん、「よくわかった」という言葉はだね。まったくわかってない奴か、わかろうとする気のない奴が言う台詞なんだよ。簡単に使っちゃいけない』

 

 はいはい。

 

『まあ、さっき言ったようなことはさすがにないとしても、臭くても極限級冒険者なんだから、王と面会くらいはする機会はあるかもね』

 

 それ、腐ってもの言い間違いだよな。

 次に間違えてみろ。宿屋の蜘蛛の巣掃除にお前を使うからな。

 

『よくわかった』

 

 

 

 あれやこれやとやり取りをしているうちにデクラン山窟近くのギルドにたどり着いた。

 

『多いね』

 

 ……あぁ。

 

 人が、なんか、うじゃうじゃいる。

 一週間ほど前に西の道が土砂崩れで通行止め。

 こっちに一部冒険者が流れて来てるってのは聞いていたが、ここまでとは。

 

『いや……、流れそのものが止まってるから他の理由がありそうだね』

 

 ふむ、たしかに怒号が飛び交っている。

 人混みの脇に立ち、話を盗み聴くこととするか。

 

 

 

 しばらく突っ立ってると、シュウが報告を始めた。

 

『どうも、ギルドじゃなくて政府側が入場を止めてるみたいだね』

 

 政府が?

 珍しいな。

 

 ダンジョンの管理・運営の権限は原則、政府にある。

 しかし、実質のところはギルドがその大部分をおこなっている。

 安全上の問題が起きたとき、ダンジョンへの入場を封鎖するのも大抵はギルドがしている。

 政府もギルドからおこぼれをもらっているため、特に運営について口出しや手出しをすることは少ない、と聞いている。

 実際に私も積極的に政府が管理するダンジョンを見た記憶があまりない。

 

『行ったことがあるところだと神々の天蓋とウェルミス監獄。知ってるところだとセルメイ大聖林、ランプスィ金山に跨幻橋パンタシアくらいかな』

 

 ランプスィ金山は有名だな。

 国の金のだいたい全部がそこで出てくるんだっけ。

 

『らしいね。相場の維持が大変そうだ』

 

 難しいことはよくわからん。

 それよりも目先の問題を片付けるべきだろう。

 

『通行止めの理由は公表されてないけど、通行止めの前に誰か複数人が入ったって噂がある』

 

 いきなりだな。

 それで?

 

『おそらく、政府のやんごとないご身分の方が通ってるんだろうね。他の冒険者と事故を起こしたら大変だから』

 

 事故というよりは諍いか。

 ダンジョン内での冒険者同士の諍いはよくあることだ。

 

『他の冒険者がモンスターを狩る安全性よりも、イレギュラーに巻き込まれるリスクの方を高く見たようだね』

 

 なんにせよ、その高い身分の人が通過するのを待たないといけない訳か。

 いつ通行可能になりそうだ?

 

『通行止めになったのが六日前』

 

 六日前?

 じゃあ、そろそろ通れるか。

 それにしても、ずいぶんとゆっくり攻略しているんだな。

 

『それが問題。ドロップアイテムも不要で、道もわかってるなら三日あれば通過できる。ゆっくり行くなら四日か五日でもいいけど日を跨ぐとかえって疲労が溜まる危険性はある』

 

 そうだな。

 安心して眠れる環境とは言えないから疲れは溜まる。

 疲れが溜まれば、モンスターとの戦闘にも当然支障が出るだろう。

 

『政府、あるいはギルドも次の手段を講じるでしょう』

 

 次の手段?

 

『安否確認。救助部隊と言い換えてもいい』

 

 ああ、そりゃそうだ。

 救助部隊が編成される訳だ。

 その中に私が入ればダンジョンに入れるな。

 

『おしい。本当の問題はね。誰を、どれだけ、どういう金額で行かせるかだよ』

 

 ここにいる冒険者は少なくとも三十はいる。

 これが全員ダンジョンの中に入ればおそらく混乱が起きるだろう。

 ある程度の人選をしていく必要があるのは違いない。

 

『さっきの条件を決めるのにも半日はかかるだろうね。反対側からの救助部隊を考えて、意見を合わせる作業も含めて考えるともっとかかる』

 

 それで?

 何か良い手段があるんだろ。

 そのむかつく得意げな口調は何か策があるときだ。

 

『政府もしくはギルドが捜索班を編制する前に、捜索班に先行する救助員として志願すればいい』

 

 ……?

 よくわからんのだが。

 

『メル姐さんは、極限級冒険者って肩書きをもってる。実力に関しては申し分ない』

 

 なんだかこそばゆいが、そうだな。

 

『その極限級冒険者が事情を察して、報酬なしで救助員として行くと言ってくれれば向こうとしてはとてもありがたい』

 

 そう、なのか?

 

『先行してモンスターを蹴散らして、ドロップアイテムを拾わずにおけば続く部隊までモンスターがリポップしない。まあ、長くて一日だろうけど』

 

 なるほど。

 

『それにソロで行くなら他の冒険者とも争いにならないし、やんごとない身分の方に関しての情報漏洩……口止めが楽』

 

 それに金はいらないしな。

 

『いや、払う方が安心できるって言うなら少額でいいから払わせればいい。あと、こっちが先行している間に、続く部隊の編制を練ることができる』

 

 ふむふむ、その話でいくと、問題はドロップアイテムが拾えないことか。

 

『ゆっくり攻略も無理かな。全ルートを見てみるってのは諦めたほうがいい。最短ルートを辿りつつ、行方不明者の痕跡を探っていくことになりそう』

 

 まぁ、それは仕方ないだろう。救助員として向かうわけだし。

 それに人工的な山窟だからさほどおもしろいものが見つかるとは思えない。

 何か不思議なことが起きる噂も特にない。

 

 よし。

 それで行こう。

 

『言い忘れてたけど、問題が二つほど』

 

 シュウの口調が真剣なものになる。

 

『一つは面倒ごとに巻き込まれる可能性があるってこと』

 

 もう十分巻き込まれてるし、ダンジョンに入れるなら別に問題ない。

 

『甘いなぁ』

 

 小声でぼそり。

 それでもう一つの問題はなんだ?

 

『この冒険者の人混みを縫っていって、ギルドの人に「私は極限級冒険者のメルだが」って話をする必要があるってこと』

 

 前を見れば冒険者がうじゃうじゃ。

 

 最大の難関に違いなかった。

 

 

 

 話はまとまった。

 私が救助員として、他の捜索隊より先行してソロで探索に向かうこととなった。

 

 話を切り出した当初はごちゃごちゃ揉めていたが、モルタリス側と通信したところトントン拍子で話が進んだ。

 ロイエというモルタリス側のギルド長が国ともパイプを持っているようであっという間であった。

 珍しくシュウもロイエの手腕をなかなかやるもんだと褒めていた。

 こいつが男を褒めるなんていつ以来だろうか。

 ネクタリスのギーグだろうか……。

 でも、あれは褒めていたというより不気味がっていたような。

 

 さっそくデクラン山窟へギルド職員と赴く。

 入口を守る兵士らにギルド職員が先の事情を話す。

 渋々といった様子で道を開けた兵士の隙間を潜りダンジョンへ入る。

 

 ようやくデクラン山窟の攻略が開始となった。

 

 

 

 攻略と言っても中級ダンジョン。

 状態異常や経路、モンスターの対策ができていれば初級。

 まったく手こずることもなく、順調すぎるくらいに進んでいる。

 すでに捜索対象の一日目と二日目のビバークの形跡を見つけてしまったほどだ。

 

『待った。右前方の壁』

 

 言われた方に目を移すと、石壁に線上の傷がある。

 

『まだ新しい。この辺りから足並みが崩れてる。モンスターに襲われたんだ』

 

 ぬかるんだ地面にいくつもの足跡がばらばらについている。

 その足跡は、先ほどまでのものより深く、歩幅も大きくなっていた。

 

『ちょうどボスも出てくる深度だからね』

 

 ボスは三ツ目コウモリ。

 名前の通り三つの目を持ち、歯には毒を持っている。

 一番やっかいなのは特徴的な第三の目で、目を合わせれば軽い催眠効果にかかる。

 暗闇の中に光るものを見つけたらボスの目であり、催眠状態に陥ることが多々あると話に聞く。

 

『モンスターの足跡がないから遭遇したのはボスみたいだね。逃げつつ後方の二人が応戦』

 

 シュウの解説を聞きながら、足跡を追いかけていく。

 

『ここで一人が負傷』

 

 黒ずんだ血玉の跡が点々と地面に続く。

 

『催眠にかかり、足下がふらついたところで、さらにかみつかれ毒が回る』

 

 シュウの言うとおり、一人分の足跡が蛇行している。

 その後、歩幅がどんどん狭まっていく。

 

『薬に手を伸ばすも、毒の浸食とモンスターの攻勢に押され敢えなく脱落、と』

 

 視線の先には、儚い光を纏う小瓶が転がっていた。

 その隣には、かつて兵士であっただろう鎧を纏った肉塊が一つ。

 

『回収しといて』

 

 シュウの声に従い、私は亡き兵士を見下ろす。

 うーむ。冒険者なら冒険者証と剣などを遺品として回収するものだが、兵士の場合は剣だけでいいのだろうか?

 

『違う違う。回収するのは薬の瓶。兵士の遺品回収は後続の捜索隊がする』

 

 薬を?

 必要ないだろ。

 状態異常は効かないだから。

 

『そりゃメル姐さんには必要ないよ。でも、毒に冒されてる人がいたら必要でしょ。もちろんメル姐さんが拙い口調で唱える魔法で治してもいいけど、薬の方が確実だしなにより速い』

 

 呆れた声で返された。

 これには私も無言で頷く他ない。

 

 必要ないかもしれないけどね、シュウは小さくそう付け加えた。

 

 

 

 その後、さらに一人の亡骸を見つけた。

 

『対策が不十分すぎる。この狭い道で長剣に、槍ときた』

 

 たしかにひどいな。

 死体の手前の壁には槍が突き刺さっていた。

 コウモリを突き刺そうとして、外してしまったようだ。

 

『毒の対策も不十分』

 

 死体の顔は毒が回り黒ずんでいた。

 

『体つきを見た感じだと人間相手ならそこそこ戦えるはず。元々は東の道を行く予定だったけど、通行止めでこっちに変更したってところかな』

 

 少し待てば良かったものを。

 祭りには遅れるかもしれないが、無事にたどり着けただろう。

 

『どうしても祭りに間に合わせる必要があったんだろうね』

 

 やれやれだ。

 まあ、こっちは他人の目を気にせずダンジョンが楽しめてありがたいんだが。

 で、正直どうなんだ?

 生きてそうか?

 

『ダンジョンに入ったのは五人。兵士四人と偉いのが一人。偉い人は足跡から見て女。魔法の痕跡がないから、戦える人間ではない。それで兵士二人は死亡。残る兵士一人もここで負傷』

 

 言われて足下を見ると、またしても血痕がついていた。

 

『お偉いさんが生きてるかどうかは、兵士が生きてるかどうかにかかってる』

 

 そりゃ兵士が死ねば戦えないから、偉い奴も死ぬだろうな。

 

『逆。兵士が死ねば偉い奴が助かる可能性は上がる』

 

 は?

 なんで?

 

『スポットが異常に多いから』

 

 ダンジョン内はなぜかモンスターが襲ってこない安全地帯のようなものが存在する。

 多くの人間が挑んでいるダンジョンでは、そういった場所がよく知られている。

 それに見つけた場合はギルドに報告すると、多額の報酬をもらえる。

 呼び方はスポットやらゾーン、安全地帯と様々ある。

 なんらかの印がつけてあることも多い。

 

 言わてみれば、たしかにこのダンジョンは多い。

 ここまでたどり着く途中に、何度もスポットの印を見かけた。

 兵士らの三日目と四日目のビバークにもあったはずだ。

 

『まあ、南方からの最短ルートで、たくさんの人が挑んでるからなのかもしれないけど、この多さは疑問だね』

 

 ギルドからそんな話は聞いていない。

 みんな知っていて当然だから話をしなかっただけなのかもしれない。

 

『ギルドの地図にないところもあった。魔術ギルドか……』

 

 ああ、そうかもしれないな。

 魔術ギルドの本部はモルタリスにあると聞く。

 あいつら、こういうところを探すのがかなり上手いって話だ。

 それに冒険者ギルドとあまり仲がよくないから見つけても知らせないだろう。

 

 それで、なんで兵士が死ぬと、偉い奴が助かる可能性が上がるんだ。

 

『兵士が死ねば、戦えない偉い人は足を止めるしかない。スポットが多いからそこでジッとしてくれれば生き残る可能性は高い』

 

 なるほど。

 でも、まあ、正直なところ全員死んでてくれた方が楽ではある。

 

『生きてたら、救護隊を待つか、出口まで送らないといけないしね』

 

 待つのは退屈だから、出口まで送るだろうな。

 ……生死に関わらず。

 

 そして、三体目の遺体が見つかった。

 

 

 

 残るは兵士一人とお偉いさん一人だ。

 追う足跡も減っていき、ちょっと寂しさを感じる。

 

『おおっと! 残る兵士一人もまさかの負傷ッ!』

 

 シュウは楽しげである。

 

『ここで道を逸れる! 脇道に逃げるもモンスターがそれを許さないッ! ついにお偉いさんも負傷! そして、二手に分かれた……』

 

 おい、急にトーンをおとすなよ。

 なんか不気味じゃないか。

 

『右の方に行って』

 

 明らかな血が残る左の道を無視して、右手へ進む。

 小さな血の粒がところどころに見える。

 途中、何かに躓いた。

 

『松明を落として、視界を失った』

 

 私はチートで普通以上に見えているが、火も魔法もなければ真っ暗だろう。

 

『這いつくばりつつ手探りで移動。火を失ってよかったかもしれない。雑魚のコウモリ以外は灯りと音で追ってくるし』

 

 ……雑魚のコウモリは何で追ってくるの?

 

『エコーロケーション……って言ってもわからないよね。自分で出した音の反射を使ってる』

 

 よくわからんけどすごいな。

 

『あっ、いたよ。』

 

 前から飛んでくるボスをシュウで軽く消し去ると、シュウが声をあげる。

 道の奥の方に倒れ込んでいる人間を見つけた。

 

『まだ生きてるね。スポットに入ることができたみたいだね』

 

 体がわずかに動いていることから生きていることは私にもわかった。

 

『げぇ……』

 

 おい、声が出せるか。

 返事はない。目をうっすら開くもまたすぐ閉じた。

 

 どんなおばさんかと思ったが、どうやらかなり若い。

 汚れてはいるが、顔に皺はなくむしろ瑞々しい。

 というか、少女だ。私よりもやや年下だろう。

 

 はて?

 お偉いさんですごい衣装を着ていると思っていたがかなりみすぼらしい。

 そのへんの町娘が着ていそうな服と同レベルかちょっと下だ。

 目に見えるアクセサリーもネックレスだけときた。

 

 死んでいるなら引きずって運ぶつもりだったが、生きているなら処置はしよう。

 目の前で死なれても、気分ばかり悪くなるというものだ。

 

 おい、シュウ。

 発情してる場合じゃないぞ。どうすればいい。

 

『髪の色が、緑なんだけど……』

 

 少女を見直すと確かに緑だった。

 それで?

 

『いや、だから、髪の色がね……うぅ。怪我は浅いから、とりあえず解毒。さっき拾った薬』

 

 先に拾った瓶の栓を開け、少女の口にゆっくりと付けて傾ける。

 

『ゆっくりね。はい、それで十分。次に体力回復増進薬』

 

 腰の袋から青い液体の入った瓶を取り出し、続けて少女の口に付けて嚥下させる。

 

『パーティーリングを付けてパーティ登録。それでモンスターを倒せば、怪我もすぐ治る』

 

 パーティー登録は済ませたが、近くのモンスターは狩り尽くしてしまっている。

 

『背負って移動するしかないね。ゆっくり背負ってあげて』

 

 能力プラスを得ているため、少女一人を背負うことに重さの問題はない。

 落とさないよう片手を支えることに使ってしまうのが問題なくらいだ。

 

『あんまり激しく動かないでね。疲れてる体に負荷がかかるから。まあ、敵も弱いから大丈夫でしょう』

 

 シュウの言うとおり問題はない。

 片手でも余裕でモンスターは消し去れる。

 かすっただけで断末魔すらなく消え去り、アイテムを残す有様だ。

 

 念のため戻って確認したが最後の兵士はすでに事切れていた。

 

 

 

 特に問題もなく王都側の出口へと向かっていく。

 もうじき山窟の出口だということだ。

 時間はもう深夜だろうか。

 

 背負った少女の意識はまだ戻っていない。

 知りたいとも思わないが、未だに名前さえ知らない。

 なんにせよ、さっさとダンジョンを出て休ませるべきだろう。

 

『おっ、おいでなすったね』

 

 前方を見ると、天井からたくさんの目が私を見つめている。

 一人なら問題ないが、荷物を背負いかつ無茶するなと言われるときつい。

 私はそこまで器用ではない。

 

 仕方ない、いったんおろすか。

 

『必要ない。でも、構えといて』

 

 道の奥の光源から一際煌めく光源が一、二、……六つ?

 

『七つ』

 

 光源は急激に近づき、私へ襲いかかろうとするコウモリの背中に激突した。

 

 光源は炎の塊だった。

 炎の一つが私にも向かってきたのでシュウで弾く。

 逸れて壁にぶつかった炎が白く散り、ひりひりする熱風を浴びせてくる。

 

『無詠唱……? いや、既書並文による詠唱破棄からの炎弾七連。しかも追尾の効果も仕込んでる。やるもんだなぁ』

 

 シュウはヒューと口笛を吹き、褒め称える。

 

「止まれ」

 

 男の低い声が私に制止を命ずる。

 命じた男とそれに従う二人が私の方へと歩いてくる。

 

「俺は、冒険者ギルド・モルタリス支部のギルド長――ロイエ。そちらは何者か?」

 

 男は堂々と名乗る。

 背はちょうど他の二人の中間だがそれでも高い。左の男が高すぎるだけだろう。

 髪は刈り上げ、口元には立派なひげをたくわえている。

 

 ロイエと言えば、ギルドで聞いた名だ。

 モルタリス支部のギルド長と言ったから間違いないだろう。

 

『……強い』

 

 ああ、いかにも前衛の戦士って感じだな。

 

『違う、そいつはそこそこ。強いのは後ろの二人。何者だ』

 

 珍しくおちゃらけ成分が消えている。

 

 なに、そんなに強いの。

 片方は魔法使いで間違いない。先ほど私に炎弾を撃ってきたほうだろう。

 もう片方はかなり変わった装備だ。両手に大小違うサイズの盾を付けている。

 はて? どこかで聞き覚えがあるような……。

 

「何者か?」

 

 おっと、とりあえず名乗っておこう。

 

 メルだ。

 冒険者をしている。

 デクラン支部から先行して救助に向かった。

 背負ってるのが、例の遭難者だ。他の兵士は死んでた。

 

「……先行したのは、今朝のはずだが?」

 

 少し沈黙したあと、質問が飛んできた。

 

 ん?

 そうだな。今朝だった。

 

『早すぎたから訝しがられてるんだ』

 

 ああ、そうか。

 かなり急いだからな。

 実質初級くらいならこんなもんだろう。

 

「ロイエさん。彼女も極限級です。しかもソロでダンジョン攻略を専門にしていると聞いてます。これくらい訝しがることではありませんよ」

 

 魔法使いと思われる女性がロイエに優しく声をかける。

 両盾の異様に背が高い男も無言で頷き女性の言に賛同した。

 

『なるほど。「彼女も」ってことは、この二人が極限級冒険者「悠久の紙片」の一員か』

 

 えっ、悠久の紙片!

 魔法使いに両盾ってことはまさか、符片のリベルと双盾ガレア!?

 えっ、嘘? 本物? 他の二人は?

 霊弓のティポタと穿天のセラスもいるの?

 

『ちょっと落ち着いてよ。ミーハー姐さん』

 

 馬鹿野郎!

 これが落ち着いていられるか!

 本物だぞ! 本物の極限級冒険者「悠久の紙片」だぞ!

 世界に三組しかいない極限級冒険者なんだぞ!

 私を抜けば実質二組! 冒険者の頂点!

 絶対サインはもらわなくちゃ。

 握手もしてもらおう。

 

「ロイエさんそろそろ戻りませんか?」

 

 憧れのリベルがロイエに声をかける。

 

「そうだな。メル殿、その娘は私が預かろう。紙片のお二人は前衛、メル殿は後衛を頼みたい」

 

 一番弱い人間が荷物を背負う。妥当な判断だ。

 やっばい、あの悠久の紙片と一緒に戦うとか冒険者冥利につきるってもんだ。

 

「なっ……」

 

 ロイエが私に近づき、背負っていた少女の顔を見たとき彼の足が止まった。

 堂々とした顔つきに初めて戸惑いが浮かんだ。

 

 どうかしたのか?

 

「いや……、少しな……」

 

 先ほどの様子と比べると、少しとは思えない狼狽だが気にしても仕方ない。

 

「リスィ様……?」

 

 高い声がして一瞬誰の声だと思ったらガレアの声だったようだ。

 リベルがガレアを驚いて見て、その後、私の背負う少女を見てさらに驚いた。

 

「まぁ、ほんと瓜二つ。この髪の色といい顔立ちといい」

 

 リベルも近づいて、私が背負う少女の顔を見つめる。

 やめて。それ以上近づかないで、緊張して私がどうにかなりそうだ。

 

「とにかく今は早く戻ろう」

 

 改めてロイエが提案する。

 他の二人も首を縦に振り、私も断る理由がない。

 そのままロイエに少女を引き渡し、山窟の出口へと向かう。

 

 紙片の二人と一緒に戦えることに緊張をしてしまい、そこから先のことをよく覚えていない。

 

 あまり記憶もないままデクラン山窟を通過した。

 

 

 

 さて王都モルタリスに到着したものの深夜である。

 祭りの準備のため多少騒がしいこともあるが、基本的に静かな夜だ。

 

 深夜で宿が取れるはずもなくどうしようか困っていたところ、

 

「良いところを紹介しよう」

 

 ロイエからの助け船があり、共に歩いて宿へ向かう。

 

 紙片の二人はすでに宿へ戻ってしまったようで、つまらない深夜の散歩だ。

 

「……あの娘は、何か話してたか」

 

 かなり歩いてから、独り言のようにロイエが口に出した。

 

 いや、一言も話をしていない。

 あの少女は結局どういう身分の人間なんだ?

 

「わからない……。だが、よく似ていた」

 

 ああ、誰だったっけ?

 

『リスィ』

 

 そう、それだ。

 リスィとかいう人にそっくりなんだっけ。

 どういう人なんだ?

 

 聞き返したものの返答はなく、夜の王都に二つの足音だけが響く。

 

 

 案内された先には立派な建造物があった。

 メインストリートをひたすらまっすぐ行くだけで迷う心配もない道だ。

 

 目の前にはやたら大きな門。

 その横に人が一人入れる門があり、そこから入った。

 警備の兵もロイエが話すとあっさりと門を開いてしまったのだった。

 門を超えると、広々とした通路、その先にはこれまた縦にも横にも長い建造物。

 

 ……というか城だった。

 町の外からでも見えていた城。

 たぶん王城ってやつだよね、これ。

 

 ロイエの顔パスで城の入口も通る。

 

 入ると見渡せるほどに広いロビー。

 なんなの、こんな広い空間が必要なの?

 ここでボス戦でも始められるって言うの?

 

 駆け寄ってきた兵士にロイエが説明すると兵士はビシッと決まった型で返す。

 

「ご案内致します。どうぞこちらへ」

 

 案内された部屋はやはり無駄に広いものだった。

 

「どうぞごゆっくりおくつろぎください」

 

 無理だ……。

 

「何かあれば、遠慮無くお呼びつけください」

 

 さっそくだが帰っていいか?

 

「失礼致します」

 

 一礼して静かに扉を閉め去ってしまった。

 

 困った。

『汚い私がこんなきれいな部屋で寝られる訳がない』

 

 蹴ってやろうかと思ったが、なんか壊したらいろいろとまずい。

 ひとまず落ち着いてベッドに腰掛ける。

 

 やわらっ!

 なんだこれは。

 今まで高い宿に泊まったことはあるがここまで柔らかいベッドはなかった。

 やばいな、これじゃ緊張して眠れない。

 うーむ、とりあえず横になるか。

 

 

 

2.アルヒ祭の前日:旧書館アディス

 

 気づいたら朝だった。

 ……あれ、いつ寝たんだろう。

 

『「眠れないが、横になるか」って言った後、二十秒経たずに寝てた』

 

 うーん、腰があまりよくない。

 柔らかすぎるというのも考えものだな。

 

 よし、朝飯食べてダンジョンへ行こう。

 

 

 さて、モルタリスの近辺にはダンジョンが四つある。

 

 一つ目は昨日、通ったデクラン山窟。

 二つ目は、旧書館アディスで初心者クラス。

 三つ目は、クバーレ湿原で初級クラス。

 四つ目は、跨幻橋パンタシアでランク外。

 

 四つ目の跨幻橋パンタシアは国が管理しているためすぐに挑むことはできない。

 正式に測れないためランク外ではあるが、極限級と噂されている。

 事情が事情のため、挑むにはたくさんの手続きが必要だ。

 

 とりあえず跨幻橋は後回しにして、近場から攻略していく。

 

 まずは旧書館アディスだ。

 まず文句なしの初心者クラス。

 危険性がほぼ皆無なダンジョンだ。クリア自体もやり方さえ知っていれば楽勝と聞く。

 初回クリアのみドロップがあるものの、それ以外は何も手に入らない。

 というよりもボスはいるが、雑魚はいない。

 正確にはいるが基本的に出てこない

 ボスも倒す必要がまるでない。

 

 元は大昔の国王が外敵から、国の重要書物を守るため防御機構を組み込んだ図書館だ。

 かつての大魔法使いが魔法の粋の粋を込めてこの防御機構を作ったらしい。

 その結果、図書館が自ら学習し外敵を排除するようになった。

 

 どうなったか?

 

 誰も入れなくなってしまった。

 作った魔法使いですら外敵と見なされ入れない。

 ようやく入ることができたのは、かの国王と魔法使いが死んでからだった。

 入れたのも特別な手段を用いたのではなく、図書館が外敵についての概念を学習したためだったという。

 

 要するにだ。

 外敵と見なされないように入れば簡単にボスまでたどり着けてしまう。

 しかも、そのボスは倒さなくても、ちょっと話を済ませばアイテムをくれる。

 ダンジョンと言えるようなものではないが、重要書物との兼ね合いもありダンジョンにしているらしい。

 冒険者じゃなくても一度、誰かと一緒に入ってアイテムをもらえば一人で入れるというぬるさ。

 まあ、ドロップアイテムが入館証だしな。

 

 正直に言うと、あまり行く気がしない。

 昔から図書館という奴はどうも好きになれん。

 しかし、ダンジョンと呼ばれるからには行かねばならないだろう。

 

 

 あまり乗り気がしないまま歩いていると、壁に絵が描かれていた。

 なんだこれ?

 

 赤と青、黄色でぐちゃぐちゃっとよくわからない模様が描かれている。

 王都の壁にでかでかと描かれているくらいだ、高名な画家が描いたものに違いない。

 

『へぇ、これはなかなか……』

 

 シュウも意味ありげな声を漏らす。

 絵の素養があれば、良さがわかるのかもしれないがあいにく微塵もなかった。

 

 気づけば隣に誰かが立っている。

 金髪で耳が尖っているからエルフだろう。

 思わず記憶の中の誰かに似ていると思ったがこちらは男性だ。

 それに背中に大きな弓を背負っている。彼女は杖だったような気がする。

 彼女の名は果たしてなんと言ったか……。

 

「どう思う?」

 

 記憶をさまよっていると、金髪エルフは壁の絵を指さして尋ねてきた。

 どうと言われても困るんだが、もしかして絵の作者だろうか?

 よくわからんけど、適当に褒めておこう。

 

 素晴らしい絵だな。

 

「どこがそう思う?」

 

 えぇ……、そんなの私が聞きたいよ。

 

 この複雑極まるラインが素晴らしい。

 色使いも鮮やかで独創的だ。特に青が目に残るな。

 

 私とは思えないくらい流暢に発言できたと思う。

 

「……この落書きを、そう見る人間もいるのか。なるほどな」

 

 エルフはふむふむと頷いて歩き去ってしまった。

 

 

 ……恥ずかしい。

 未だかつてないほど恥ずかしい。

 なんで私はあんなことを言ってしまったのか。

 思った通りに、「さっぱりわからん。でたらめだな」

 そう言えば良かったのに…………。

 

 いっそ笑ってくれればいいのに、笑いを噛み殺そうとしているシュウが余計に腹立たしい。

 

『良い線、いってたと思うよ』

 

 そう言うと、声をあげて笑い始めた。

 むかついたので落書きに突き刺してやった。

 

 

 むしゃくしゃしながら旧書館アディスに到着した。

 王都の外れのためあっという間だ。

 

 入口を通ったところで先ほどのエルフに会った。

 勢いよく扉を開けたため、向こうも振り向いて目が合った。

 先ほどの出来事を思い出して赤面してしまう。

 

『逆にあの落書きについて尋ねてみて』

 

 お前はこれ以上、私に恥をかかせるつもりか?

 

『いや、真面目な話。ちょっと聞いてみてよ』

 

 あの落書きについてどう思う?

 渋々ながらも尋ねてみた。

 

「あの落書き――に類似したモノは、王都の至る所に描かれている。消しても消してもまた描かれる。キリがないから逆に落書きではなく、流行りのアートとして飾っている風潮だがどうにも様子がおかしい」

 

 考え深げにゆっくりと話し出す。

 

『誰が描いていると思う?』

 誰が描いてるんだ?

 

「流行ってからは、いろいろな人間が描いているだろう。しかし、描き初めがわからない。複雑な絵柄だが、微妙に違っている。自分は、単独犯ではない、と考えている」

 

 よくもまあ、そんなことを考えるものだ。

 今日の夜飯を何にするか考えた方がよほど有益だろうに。

 

『何が描かれているか聞いてみて?』

 あの絵は結局何なんだ?

 

「最初はただの落書きだと思っていた。だが、貴方が言うように美術的な側面もあるのかもしれない。もしくは別の意味あるのか」

 

 そう言って、また考え込む。

 

『描かれてる場所を調べた?』

 どこに描かれてるか調べたか?

 

「……いや、まだだ。今日はその件を含め、知り合いと、ここで落ち合う予定だった」

 

 あっ、そう。

 邪魔してしまったな。

 

「かまわない。予定の時間よりも、かなり早めに来てしまった」

 

『最後の質問。あれは何で描かれてる?』

 これで最後だ。あれは何で描かれてる?

 

 質問の意図がよくわからないので、そのまま伝える。

 エルフは静かに私を見つめてくる。

 

「……それより貴方はその姿で入るのか?」

 

 思い出したようにエルフが聞いてくる。

 

 私も思い出した。

 こんなところで立ち話をしに来たわけではない。

 ダンジョンに挑みに来たのだ。

 

 エルフの横を歩むと、けたたましい警報が鳴った。

 

“警告! 警告! 図書館への武器の携行は認められません!”

 

 同じ台詞がもう一度流れる。

 周囲の視線が私に突き刺さる。

 

 ……あれ、もしかして私か?

 

『まあ、俺だよね。剥き出しだし』

 

 無視するとどうなるんだろう。

 そのまま警告を無視して突き進む。

 

“対象を外敵と判定! 排除します!”

 

 おもしろくなってきたな。

 

『来いよ、アディス。本なんて捨ててかかってこい』

 

 そうだ!

 やれるものならやってみろ!

 

 奥の扉になにやら図形が浮かび上がる。

 

『あ、まずい』

 

 なにが? と聞き返す必要もなかった。

 魔法陣が緑色に光り、直後に突風が吹いたのだ。

 前に進むどころか、立つことすらも、うおっ飛ぶっ。

 

 そのまま飛ばされ、入口も飛び超えて勢いよく外に投げ出される。

 

 来たときはむしゃくしゃしていて気づかなかったが、入口の横に武器預かり所があった。

 なるほど、そういうことか。武器を預けないと入れないと。

 預けて入るのもいいが、それでは負けた気がする。

 

 というか、あの図形はなんだったんだ。

 

『魔法陣だね。詠唱を図形に押し込めて魔力を流して発動させてる。詠唱が要らないんだよね』

 

 そんな便利なものがあるのか。

 

『便利? まさか。あれ一回発動するともう使えない。もっかい書き直し。しかも、図形がずれると発動しないし』

 

 めんどくさいな。

 でも、一回発動すると消えるんなら、次は発動できないんじゃないか。

 

『いや。おそらく魔法陣の図形を記憶させる魔法を使って呼び出してる。それをこっちの行動パターンに応じて使ってきてるね。かなり高度なラーニング』

 

 なるほど、わからん。

 

 入口の近くに立ち、走る準備をする。

 警報が鳴るちょっと前に立ち、一気に走ればなんとかなるだろ。

 

『それくらいやってる人はいると思うよ』

 

 私がやればどうなるかわからないだろう。

 

『オチが見えた』

 

 入口の横には先ほどのエルフが顎に手を付けてなにやら考えている。

 あまり私のやっていることに興味はない様子だ。

 周囲も生暖かい目で私を見ている。

 

 よし。

 行くぞ!

 

 第一歩目を踏み出せなかった。

 床が消えてしまった。

 

 その勢いのまま穴に落ちる。

 暗い穴を右に左に転がされ、ようやく明かりが見えたと思ったら地面に転がされた。

 見渡せば図書館の入口横だった。

 

 どういうこと?

 

『入る前から、顔を認識されて危険人物だって判断されてる。武器も携行してたから、床が消える魔法陣を用意してたんでしょう。今度からは武器を持ってる限り床を落とされて終わりだね』

 

 なにそれ?

 反則だろ。どうすりゃいいんだ。

 

『複数人で一斉に行動して向こうの計算処理を重くする』

 

 あいにくソロだ。

 金髪エルフはずっと考えっぱなしで手伝ってくれそうにない。

 

『まあ、それくらい過去に何度もやってるだろうから無駄だろうね。――となれば、相手が学習してない手法で入る』

 

 例えば?

 

『わからない。過去にいろんな方法が試されてるだろうからこれも難しい』

 

 ……あれ?

 初心者クラスって舐めてたけど、このダンジョン、かなり難しくないか?

 

『できた頃ならまだしも、かなり学習してきてるだろうから滅茶苦茶難しいよ。超上級と比べても遜色ないと思う』

 

 武器を離せば入れるのか?

 

『警戒はされるだろうけど、入れると思うよ』

 

 だが、ダメだ。

 それは攻略と言わないだろう。

 全力を出した状態のダンジョンに勝ってこその攻略だ。

 それに一人で入ったところでおもしろみもない。

 

『嬉しいことを言ってくれるじゃないの。やっと俺を人生の伴侶として認めて――』

 いや、お前はただの相棒だから。

 

『まぁ、それなら俺も全力でやらせて頂くとしようか。見せてやるよ世界を歪めるチートの力を!』

 

 そんな訳でまたしてもスタート地点に立った。

 で、具体的にはどうするんだ?

 無敵スキルは意味ないだろ?

 床を抜かれたら落ちるし。

 

『黒竜を倒したときに手に入れたスキルが有効かな』

 

 おぉ、あれか。

 そう言えば、まともに使う機会がなかった。

 

『制限時間と視線に気をつけてね! それじゃあ、カウントダウン開始!』

 

 3!

 

 シュウの薄黒い刀身が黒ずむ。

 

 2!

 

 刀身はますます黒ずんでいく。

 全てを飲み込んでしまいそうなほどの漆黒だ。

 

 1!

 

 そろそろ目を逸らしておく必要がある。

 最初に使ったときは刀身を見つめて視界が点になり焦ったものだ

 

 ゼロという合図と共に地面を蹴る。

 全力で図書館のロビーを走り抜けていく。

 床も落ちていないし、魔法陣も描かれていない。

 

 黒竜撃破の取得スキルは吸収だ。

 あらゆる攻撃・魔力を飲み込みなくしてしまう。

 この図書館の防御機構が魔法で構成されているなら、このスキルは天敵となるだろう。

 

 そして、実際にロビーを超えて私は図書館に入った。

 開けられた扉に驚いた人間がこちらを見るが、おそらくスキルの影響でまともに見ることはできないだろう。

 話に聞いていたボスモンスターがカウンターに突っ立っているのが見える。

 そちらに向けて全力で走り抜ける。

 

 問題は間に合うかどうかだ。

 このスキルは強力な分、効果時間が短い。

 せいぜい三秒と言ったところか。

 

『効果切れたっ!』

 

 ボスモンスター――司書アイ君の周囲に、膨大な数の魔法陣が浮かび上がる。

 私はと言えば、少なくとも膨大な魔法陣が見えるくらいの距離が開いていた。

 

 くそったれ、間に合わないかっ……。

 

 周囲の魔法陣が一斉に光り出す。

 

 だが、発動はしなかった。

 私の後ろから何かが無数に飛んできて魔法陣が全て消し去られる。

 

『おぉぅ……』

 

 シュウも何か変な声を漏らしている。

 何が起こったのかはわからないが、振り向きはしない。

 

 勢いのままカウンターの前まで突っ走り、シュウを構える

 

 司書アイ君が自分を守るように魔法陣を張る。

 

 遅いっ!

 

 描かれた魔法陣ごとシュウで突き刺した。

 手応えはないが、魔法陣からは何も発動しない。

 周囲に再度展開されていた魔法陣も砂が崩れるように消えていく。

 

 残ったのは小さく光るアイテム結晶。

 さっそく手にとってのぞき見る。

 

 ――みんなの魔法陣 第五版(アイ君のサイン入り)

 

 ……本か、いらね。特にサイン。

 

『いやいやいやいや! 確かにサインは不要だけど、これ滅茶苦茶すごいよ! 禁書指定される代物!』

 

 そうかぁ?

 なんかもっとわかりやすくすごいものが良かった。

 まあ、特殊ドロップも手に入れたし、クリアもできたので万々歳としよう。

 

 しかし、ぎりぎりだったな。あの大量の魔法陣に……そうだ。

 急に魔法陣が全て消え去ったが、あれはなんだったんだ。

 

『後ろ』

 

 振り向くと金髪エルフが立っていた。

 

「見事だ」

 

 ん、もしかして。

 

『この人がやってくれた』

 

 そうか。

 さっきのはあんたがやってくれたのか。

 なんかでかい弓も背中にしょっていたしな。

 今は持っていないようだが、預けてしまったのかな。

 

 助かった。いや、ほんとに。

 あの援護がなければ、クリアはできなかった。

 矢を使ってしまったならいいやつを買って返すぞ。

 

「不要だ」

『だろうね。弓すら不要なんだから』

 

 いや、弓すら要らないってことはないだろ。

 私は笑ったが、シュウは笑わなかった。

 

「最初、走ったときに、使っていた魔法……いや、術技? あれはなんだ?」

 

 一瞬、返答に窮するが正直に答える。

 あれはチートだ。

 

「チィトか。聞いたことがない術技だ」

 

 ゆっくりと首を縦に振る。

 

「その術技は――」

「騒がしいが、何事か」

 

 金髪エルフの台詞を切って、一人の男性が図書館に入ってくる。

 細い体型に鋭い目つき、銀色の長い髪が冷たい雰囲気を醸し出していた。

 

「司書アイ君を彼女が倒した。名前は……、まだ聞いていない」

 

 金髪エルフが私を紹介しようとしたが途中で躓いた。

 そう言えば、まだ名乗ってなかった気がする。

 

 メルだ。

 冒険者をやっている。

 

「図書館で剣を振るって得意顔をするのは冒険者しかいないでしょう」

 

 抑揚のない声で言われて、中身を吟味するのに時間がかかった。

 

「私はレゾン。モルタリスの魔術師ギルドの長を務めています」

 

 これまた、抑揚のない自己紹介である。

 ん……? モルタリスの魔術師ギルドの長ってことは魔術師ギルドのトップか。

 

「そんなことはどうでもいいことです。特殊ドロップはあったのですか?」

 

 なんだろう。

 ものすごくイライラする。

 シュウとは違う方向の苛立ちを覚える。

 金髪のエルフも私を見て来るので、仕方なくドロップを見せる。

 

「なんと……」

「素晴らしい」

 

 どちらも感嘆の台詞のはずなのに。

 声に抑揚もなく、表情も変わらないためほんとにそう思っているのか疑わしい。

 

「これをどうするつもりですか?」

 

 ……さて、どうしよう。

 いつもどおり、冒険者ギルドで換金してもらうかな。

 

「やめておきなさい。お金で売ったものは、お金で買われます。この本に書かれていることは安易に売買されるべきものではない」

 

 では、あんたにやれと言うのか。

 

「そうは言っていません」

 

 軽く嘆息しながら述べる。

 

「書いてある情報に相応しい管理の仕方をすべきという話です」

 

 じゃあ、どうしろと。

 

『金髪エルフにあげればいい。彼の協力がないと手に入らなかったんだし。それにリアル名人伝を見せてもらった分でお釣りが来る』

 

 なんか後半はよくわからんが、どうせ卑猥なことだろう。

 ……まあ、こっちに渡すなら。

 

『どっちみち、レゾンに渡すと思うけどね』

 

 でも、結果的にこいつに渡るとなると……。

 

『魔術師ギルドの活動を見る限り、彼らは魔術の探究とそれによる暮らしの改善に徹してる。それはトップの教えがきっちり守られてる証拠。言い換えれば、トップが公明正大な意志を持って裁決をおこない、かつ実行している証拠でもある』

 

 いや、そういうことじゃなくてだな。

 なんか納得いかない。

 

『感情的だね』

 

 シュウはくすりと笑う。

 馬鹿にしてる……いや、違うな。微笑ましく思っている?

 誰をだ……まさか、私を?

 

『言い方に難はあるとしても、中身は間違ってない。逆よりはよほど好感を抱くね』

 

 そこまで言われては仕方ない。

 息を大きく吐いて、アイテム結晶を金髪エルフに伸ばす。

 

 やる。

 

「感謝する」

 

 金髪エルフは頭をキチッと下げて礼を述べる。

 その後、考えこみつつ見つめてくる。

 何か?

 

「弟子のことを、思い出していた」

 

 弟子?

 あんたの弟子ならさぞ弓が上手いんだろうな。

 

「弟子は弓を捨てた」

 

 えっ?

 

「魔法に専心している」

 

 あらら。

 じゃあもう弟子じゃないのか。

 

「いや、弟子だ。一つの物事に徹し究めようとするなら、私の教えから何一つ逸れてはいない」

 

 ……で、それが私と何の関係があるんだ?

 

「貴方といれば、きっと気づくのではないかと考えた。魔法があるのは書の中ではない、と」

 

 …………よくわからんのだが。

 

『おっと、そろそろ時間かな。その人に伝えといて、召喚型の第三――世界系、変異項あたりを調べろって』

 

 シュウの言ったとおり伝えると金髪エルフはしかと頷いた。

 ……そういや、あんたの名前を聞いてなかったな。

 

 金髪エルフは一瞬記憶を巡っていたが、記憶にないと悟り、自らの名を口にした。

 

「ティポタ」

 

 自己紹介はそれだけだった。

 飾り気がなくて良い…………えっ?

 えっ!?

 

 私の周囲におびただしい魔法陣が展開される。

 カウンターを見れば司書アイ君が復活していた。

 

 ちょっと、待っ――

 

 言い終わるよりも先に床が消えて、私は落ちていった。

 

 その後、どうやっても図書館には入れなかった。

 完全に私を危険人物扱いし、立ち入り禁止にしてしまったようだ。

 

 うわぁ、マジかよぉ。

 霊弓ティポタにアンタとか言ったし、タメ口も使っちゃったよ。

 絶対、生意気な奴って思われてるよ。

 

『久々にワロタ』

 

 何が久々だ。

 お前いっつも笑ってるだろ。

 どうせ気づいてたんだろうから、教えてくれれば良いのに。

 

『教えたらちゃんと話せなくなるでしょ』

 

 それにしたってだ。

 

 あー、もう嫌だ。鬱だ。お腹減った。

 飯食って宿に戻って寝よう。

 

 

 

3.黄昏時:王城にて

 

 どうやら寝過ぎてしまったようだ。

 外の様子を見るにもうじき日が暮れる。

 ダンジョンへ行くには少し時間が遅すぎるな。

 

 暇なので城内を散歩していた。

 話は伝わっているようで、だいたいの場所は通れた。

 それに前夜祭がまもなく始まるようで、城の人間も私にかまっている余裕はなさそうだ。

 

 のそのそ歩いていると、どこからか音が聞こえた。

 雑音ではなく、高い音できちんと旋律として響いてくる。

 

『この曲……』

 

 シュウの呟きは気にせず音のする方へ向かう。

 城を出て、広々とした庭園をさらに突っ切った先にその建物はあった。

 

 城ではない、神殿だろうか?

 城ほどではないがこちらもそこそこに大きい。

 城が堅牢さを表すのだとすると、こちらは静謐さだろうか。

 大きさの割にどこか儚さと神秘的な印象がある。

 それにまだ汚れが目立たず新しく見える。

 

 ともあれ音の出所はここで間違いない。

 兵士もいないので入ってみる。

 

 重い扉を開けると、幾十にも重なった音が私を迎えた。

 中はだだっぴろく、入口からまっすぐ奥まで通路が延びている。

 その通路の左右には無数の長いすが正面を向くように整列していた。

 

 音の正体は最奥にあった。

 奥の壁には金属の棒が無数に建っている。

 そして、その床の近くには人一人が座れる台座。

 

『パイプオルガン。楽器だね』

 

 なるほど、こんなでかい楽器があるのか。

 どこで演奏しているんだろうか。

 

 曲を邪魔するのを極力控えるため小声で話す。

 

『いや、演奏は正面の席で弾くはず』

 

 もう一度、正面を見るが椅子には誰も座っていない。

 いないけど……?

 

『魔力を感じるから、自動演奏でもさせてるのかも』

 

 ふーん、便利なものだな。

 

『儀式で使われる施設なのかと思ったけど趣が違うね』

 

 ……というと?

 

『普通、演奏席は横か後ろにつける。あくまで演奏は場の演出で正面はメインのイベントを執り行うために。でも、ここは――』

 

 ああ、正面についているな。

 観客席もそちらを向くように傾きがついている。

 

『コンサートホールだね。パイプオルガンの演奏を見て聴いて楽しむための施設だ』

 

 建てた奴はよほどこの楽器が好きだったんだな。

 

『さて、パイプオルガンが好きだったのかは微妙なところだね。……やっぱり面倒ごとか』

 

 最後は小声でよくわからなかった

 

 いつまでも立っているのもあれなので前の方へ歩いていく。

 楽器の迫力に押されて意識していなかったがぽつぽつ人が座っていた。

 

 中段の左隅におっさんが一人。

 

 後方の二人は……あっ!

 この前会ったから間違いない!

 符片のリベルと双盾のガレアだ!

 なんという偶然! しかもリベルはこちらに気づいて手を振ってくれた!

 しかし、この二人に近づく勇気が私にはない。二人とも黙って音楽に聴き入ってしまったし。

 

 あと一人、前列の通路沿いにいるな……。

 

 おや。

 すぐに誰かわかった。

 きれいな緑髪が見えているため後ろ姿で判断がついた。

 名前も知らないし、話してすらいないため声もわからないが……。

 

『やめよう。これ以上この娘と関わり合いたくない。嫌な予感しかしない』

 

 気になって近づこうとしたろシュウがぼやいた。

 私の足は止まらない。こいつの場合はただ緑髪にトラウマがあるだけだ。

 

 足音に気づいて、少女がこちらを振り向いた。

 前は汚れていたが、今はすっかり顔も服装もきれいになっている。

 

 どうやら私が誰かわからない様子だ。

 隣に座るのも憚られたので、通路を挟んで向かいの椅子に腰掛ける。

 

 体調は、もう大丈夫なのか?

 

「……その声」

 

 少女は少し警戒したものの、何かに気づいた様子で私を見据える。

 

「あの、もしかして私を助けてくださったという方ですか?」

 

 そうなるかな。

 

「失礼しました。このたびは本当に――」

 

 気にしなくていい。

 私はダンジョンに潜りたかっただけだからな。

 そのついでみたいなものだ。お礼はギルドから十分にもらっているから不要だ。

 

「……そうですか。あ、私はフリージアといいます」

 

 お礼を重ねるとかえってこちらが嫌になることをわかってくれたようである。

 フリージアはそれ以上何も言わなかった。

 

 私はメルだ。

 

「……もう一人の方はどちらに?」

 

 いや、私はソロだ。

 

「え? 男の方がおられませんでしたか?」

『ほら、パーティー登録してたから』

 

 あぁ……いや、空耳だろう。

 

「そうでしたか。でも、なんだか懐かしい気がしてたんです」

 

 ん?

 

「昔、誰かに背負われてあの道を通ったような……。私は泣いていて、誰か男の人があやしてくれた、そんなおぼろげな記憶があるんです」

 

 他の記憶と何か混ざってしまってるんじゃないか。

 子供のときの記憶は曖昧だからな。

 

『だね。メル姐さんも小さいときに、友達と遊んだ記憶があるって話してたけど怪しいもんだ』

 

 いや、待て。

 私にだって友達の一人や二人はいる。

 

『へぇ、名前は?』

 

 ……あれ、なんだっけ?

 ちょっと思い出せない。

 

『じゃあ、顔は?』

 

 はっきりとは覚えていないが、ぼんやり浮かぶぞ。

 

『そう、なら声は?』

 

 高かったような……。

 

『性別は?』

 

 ……男か女。

 

『あっそう、最後。触ったことは?』

 

 …………あれ、いや、あれ?

 

『その友人はメル姐さんの心が作り出した幻想では?』

 

 なぜだ。

 遊んだ記憶は確かにある。

 それ以外の記憶が何一つ思い出せない。

 いや、うん、でも子供のときの記憶なんてこんなものだろ。

 

『治療の第一歩は自分が病気だと認めるところからです。まあ、真面目な話、それはイマジナリーフレンドだから大丈夫でしょう』

 

 よくわからんけど、私の思い出は大丈夫じゃない気がする。

 

「あの、どうして私はここに連れてこられたんでしょうか?」

 

 ……え?

 フリージアはお偉いさんで、祭りに参加するためだったんじゃないの?

 

「いえ。私はただの庶民です。おじさんもおばさんも同じです」

 

 まあ、服装がそんな感じだったもんな。

 おじさん、おばさん? 両親は?

 

『まぁた、デリカシーのないことを……』

「私がまだ幼いころに亡くなったと聞いています」

 

 あぁ、すまん。

 

「いえ、おじさんもおばさんもとてもいい人ですから」

 

 フリージアはにこやかに答える。

 おそらく作った笑顔ではないだろう。

 

 連れて来られた理由ね……。

 

 あれかな?

 誰だったっけ?

 誰かに似てるって話してたんだが。

 

「リスィ様ね」

 

 唐突な後ろからの声に驚き、さらにその声がリベルのものとわかりさらに驚く。

 リベルの隣にはガレアも立って、こくこくと頷く。

 

「リスィ、様?」

 

 フリージアは首を傾げて私を見る。

 私も知らないため首を振る。

 

「リスィ第一王妃。ソレダー王の正妃」

 

 あれ?

 たしか今は違う人だよな。

 

「ええ。十八年前に逝去されたわ。今のピウス王妃は第二王妃で、アヴラ王子もピウス王妃の嫡男ね」

 

 ぽわぽわとリベルが答える。

 

 なごむわぁ……。

 さすが羊人族だけあってこののんびり感は半端じゃない。

 いるだけで空気をなごませ、喋れば心は穏やかに、戦う姿は凛々しく優雅。

 さすが極限級冒険者、符片のリベルだなぁ。

 

「えっと、私がそのリスィ第一王妃に似てるんですか?」

 

 リベルは小さく頷く。

 その横で大きな図体のガレアも無言で何度も頷いている。

 その目は軽く潤んでいた。

 犀人族は基本的に図体が大きいが温厚な人物が多い。

 大きさこそあれど威圧感はない。安心感のみが伝わってくる。

 

「今流れてるこの曲。リスィ様が作曲されたの」

 

 リベルは、フリージアから目を逸らし正面の演奏席に目を向ける。

 

「ここがリスィ様のために建てられたようなもの」

 

 一人のために、わざわざこんな施設を建てたのか……。

 

「誰も文句なんて言わなかった。それくらい素晴らしい演奏だったから。……いえ、レゾンだけ言ってたかしら」

 

 レゾンってあの苛つく奴か

 どうしてそこであの男の名前が出てくる。

 

「あら。レゾンとはもう会ったの? ソレダー王と冒険者ギルド長のロイエ、今言ったレゾン、それにリスィ様は冒険者をしてたのよ」

 

 えっ?

 王様が冒険者?

 

「ええ。王位の継承権が十三位と低かったから好き勝手に振る舞ってたんだけど、他の人たちがみんなぽくぽく死んじゃってね」

『ぽくぽくって……』

 

 なんかすごく黒い話を軽く流した気がする。

 

「四人で『銀色の旋律』ってパーティを組んで活動しててね。上級までいったかしら。その頃に知り合ったの」

 

 そこからリベルの昔話は止まらなかった。

 ガレアも途中で泣き出して、リベルの話に相打ちする。

 正直、もうどうでもよかったのだが、この二人を相手にもうやめろという言うこともできない。

 

「リスィ様のことはわかったのですが、私とリスィ様にいったいどんな関係が? それにどうして私はここに連れて来られたんでしょう」

 

 リベルの話の合間に、見事、フリージアが質問を差し込んだ。

 

「どんな関係かはわからない。リスィ様は死産なされたって話だから……。でも、無関係とも思えない。こんなに演奏が活発なのだし」

 

 ……ここの演奏がなんか関係あるのか?

 

「この演奏、誰も魔法を使っていないの」

 

 はい?

 でも、誰かが魔法を使って演奏させてるんじゃ。

 

 リベルはゆっくり首を横に振る。

 

「リスィ様の演奏は魅力的、いえ、魔力的だった。誰もがその音色に、旋律に引き込まれた。私を始め、ガレア、ソレダー王、ロイエ――そして、この音楽堂すらさえも」

『さすが神のお気に入り……。メル姐さん、どうして優秀な芸術家が得てして早死にするか知ってる? 神の御許に喚ばれるからさ。まあ、それなら確実に死んでるね。いやぁ、めでたしめでたし』

 

 なんかシュウは勝手に安堵している。

 

 ……ということは、この音楽堂とやらが勝手にピアノを演奏していると?

 どこかのダンジョンのごとく。

 

「ええ、これまでは年に数回だったけれど、昨日からはずっと弾きっぱなし。特にこの娘がここに入ってからは特別。この曲が流れたのは初めてじゃないかしら」

 

 ガレアはすごい勢いで首を縦に振っている。

 彼の目から流れ出る泪はとどまるところを知らず、頬を伝い床に幾十もの染みを作っていく。

 

 耳を澄ませてみれば、確かに良い曲だ。

 あいにくと批評家ではないため、どこがどういいかは言えないが……。

 

『微妙だね。魔力がこもってるから似てると錯覚してるだけだよ』

 

 なにお前、この曲を聴いたことあるの?

 

『俺も彼女ほど近くないけど、神様のとこにいたからね。オリジナルを聴いたことがある』

 

 剣で変態だから忘れがちだが、そういやお前はマジモンの神の使いだったな。

 

「それと――ここに連れてこられた理由は、私に聞くよりも連れてきた本人に聞いた方がいいでしょう」

 

 リベルはオルガンに向いていた目をフリージアに向ける。

 

「本人って、ソレダー王にですか? 私なんかが王様に会うなんて……」

「問題ないと思いますよ。本人も話があるようですし。それに、私も知りたいから。ね、教えてくれるのでしょう、ソレダー王」

 

 リベルがくるりと後ろを向けば、中段に座っていた男が席を立ちこちらへ歩いてくる。

 

「初めましてフリージア、それにメル。国王のソレダーだ」

 

 顔色の悪い男が挨拶と自己紹介を簡潔に行う。

 国王とか言ってるが、まったくそんな風に見えない。

 城にいるよりも、診療所かベッドの上にいるほうがふさわしいだろう。

 

「少し話がしたい。場所を、変えようか」

 

 男が踵を返すと、ガレアは彼に付き従い歩いていく。

 

 私とフリージアもリベルに背を押され、音楽堂から出た。

 

 

 

 終点は城内の一室だった。

 

 そこそこの広さの部屋に大きな円卓とそれを囲む九の椅子が並んでいる。

 すでに三人が席についていたが、ソレダー王が入ってきたのを見て同時に席を立つ。

 王が軽く手を上げ、座ってくれてかまわないというような意志表示をしたものの、三人は王が奥の席に腰掛けるのを確認してから座った。

 

 王の左手には、冷徹な瞳でこちらを見るレゾン。

 王の右手には、王よりも威厳を感じるロイエが座る。

 さらにそのロイエの右手に考え込む姿のティポタが腰掛ける。

 リベルとガレアはティポタの隣に連なって座る。

 

「セラスは?」

「体がなまると言って出て行った」

 

 リベルの問いにティポタが返答する。

 

 残念だ。本当に残念だ。

 悠久の紙片が全員揃っているところを見てみたかった。

 

 さて、そうするとどこに座ろうか。

 ガレアの隣が一番近くていいんだが、どうも腰が引ける。

 それに右側がスカスカだからそちらに座りたいが、レゾンの隣はなんか嫌だ。

 かといって、あえて一つ開けて座るのもどうかと考えてしまう。

 仲がいいというティポタが奴の隣に座ればいいだろうに。

 

 こういうときはあれだ。

 私と同様、座る席に困っていたフリージアにレゾンの隣を勧める。

 レゾンはフリージアを軽く一瞥し、微かに顎を動かした。

 フリージアの隣に私が座り、空席が二つ残った形だ。

 

「各位。アルヒ祭前日で多忙のところ、時間を割いて申し訳ない」

 

 会合の主催者であるソレダー王が音頭を取る。

 軽く断りをいれた後、席に座る面々を眺めていく。

 

「いや、それにしても壮観だな。冒険者と魔術師のギルド長が二人に、極限級冒険者が――」

「時間を割いて申し訳ないと思うなら、早く本題に入って頂きたい」

 

 感想を最後まで待つことなくレゾンがぴしゃり。

 フリージアと私が心配して状況を見つめるものの、王は苦笑するのみだ。

 他の参加者も特に変化がない。どうやらよくあるやり取りらしい。

 

「この会合は非公式かつ個人的なものだ」

 

 席も円卓で身分の上下をほぼ示さない上に、列席者に国の直接的な関係者がソレダー王ただ一人という状況である。

 

 むしろ、なんで私がここにいるんだろう。

 おろらく右隣のフリージアもそう思っているはずだ。

 

「ここでのやり取りを口外しないよう――リベル」

「展開しています」

 

 なにをだろうか?

 

『防音障壁と防視遮層の魔法。さっき壁に飛ばしてた』

 

 気づけば壁に何か札のようなものがついている。

 いつ飛ばしたのだろうか。まったく気づかなかった。

 今さらだけど、あれが符術ってやつか?

 

『そうだね。魔法陣の文字ヴァージョン。予め紙片に、詠唱を呪文の形式で並べて詠唱を省いてる』

 

 なんだか、すごそうだ。

 

『覚えるのと準備するのがすごくめんどくさいんだろうけど、特化できれば普通に魔法を使うよりも実戦的かな。記述する魔法構成と紙を飛ばす魔法だけ使えば良いし。一言で規模の大きな魔法も発動できる』

 

 うむ、さすが極限級だ。

 

「議題はフリージアの件だ」

 

 場の雰囲気が変わった。

 私でもわかるくらい張り詰めたものになっている。

 

「落ち着いて聴いて欲しい。フリージアは特にだ」

 

 ソレダー王も緊張しているのか、深呼吸をする。

 レゾンも早く言えと急かさない。

 

「フリージア、君はリスィの娘だ」

 

 誰も何も言わない。

 フリージアも状況が掴めないのか、どう反応していいのかわからないのか黙っている。

 

「なぜだ?」

 

 沈黙を破ったのはロイエだ。

 本当か、でも、嘘だ、といった真偽の確認ではなく、なぜだである。

 誰も王の発言を疑ってはいない。それは、なによりも彼女の外見が示している。

 

「フリージアが産まれた日……リスィが死んだ日でもあるが、俺は怖くなった。リスィの冷たくなった手と、俺の胸で泣く小さな命が――」

「気持ちの解説は要りません。経緯だけお話しください」

 

 訥々と熱い思いを零し始めた王に対し、レゾンは極めて流麗かつ冷徹であった。

 

 ……普通、この場で言うか。

 ここはゆっくり話を聞く状況だろう。

 レゾンとティポタ以外の面子も口をぽかんと開けている。

 確かに気持ちの解説はお前に必要ないだろう。

 だが、王や隣に座るフリージアには――、

 

「お前はァ!」

 

 ロイエが席を勢いよく蹴った。

 しかし、その激流は突如削がれた。

 隣に座っていたティポタに腕を掴まれていた。

 

 どうしてティポタがレゾンの隣に座らずロイエの隣に座っていたかわかった。

 ロイエを止めるためだ。こうなるとわかっていたのだ。

 

「リスィ様は死産なされた、それはけっこう。赤子をどうなされたのです?」

 

 渦中のレゾンが質問する。

 一部から厳しい眼差しがレゾンに向くが、彼はいっこうに気にしない。

 

「王都から連れ出させた」

 

 確かに何をしたのかはわかるが、なぜそうしたのかがさっぱりわからない。

 

「けっこう。それでは、どうして今になって呼び戻し、真実を告げることにしたのです?」

 

 なにもけっこうじゃない。

 

「デクラン山窟を通過中に、兵士が魔物に襲われ死んだ。フリージアも死んでしまったと思っていた。最近になって、リスィによく似た娘がいると噂で聞き、正確な確認が取れたのが今だったんだ。だが、フリージアはリスィの娘であることに間違いないが――」

「『今になって』の部分は理解しました。『呼び戻して真実を告げる』理由を簡潔かつ理性的にお答えください」

 

 長くなった感情的になりつつあった王の説明を中断せさ、レゾンが尋ねる。

 王は口をつぐんだ。

 

「彼女に王位を継いでもらうためですか?」

「違うっ! 最初からそんなことは考えていない! 彼女には! フリージアにはこれまで通り普通の生活を送ってもらいたいと思っている!」

 

 声を荒げて王は返答する。

 

「それは違うでしょう」

 

 レゾンは静かに首を横に振って否定する。

 

「彼女を呼び戻して真実を告げたということは、普通の生活を送ってもらいたいという意志に反します。真に、そう思っていたのなら、静かに見守っているにとどまっていたでしょう――にも関わらず、王はそれを行なった。それは――」

 

 鋭い目が王を見据え、

 

「単に王の自己満足です」

 

 慈悲のない音の氷柱が王を突き刺した。

 

 ……場は、完全に凍り付いた。

 

『言ってることは正しいだろうね』

 

 シュウが批評しているが、私には返す言葉がない。

 

「彼女を連れて来るにあたり、四人の兵士が命を落としました。王国兵士は王の私兵ではありません。王の自己満足のために、兵士の命を失わせて良いという法も風習もありません。彼らにも、家族はいたでしょう」

 

 凄絶という言葉の意味を私は初めて実感した。

 

 問題はその凄絶さを正面から浴びた方だ。

 王の顔色は最悪をすでに突き抜けてしまっている。

 口は喘ぐように震え、視線は机の上を力なく彷徨い続ける。

 

「話は済んだようですね」

 

 言い終わるや否や、レゾンは無駄のない動作で立ち上がり、扉へと歩いて行く。

 

「レゾンッ!」

 

 またしてもロイエが席を立つ。

 勢いのあまり椅子は倒れてしまったが気にとめない。

 

「なにか?」

 

 こちらも気に掛ける様子なく問い返す。

 

「どうして……、どうしてお前はっ! 人の話を聞いてやれないっ!?」

 

 握りしめた拳が机を叩く。

 

「伺いました。故に退席するのです」

「違うっ! どうして相手が語るに任せないのかと言っている!」

 

 荒々しく吐き出される息に対して、レゾンは短い嘆息で応える。

 

「私には吃緊の課題があります。貴方もこの時期は暇でない。ゆっくりと話がしたいのならば、時期を選ぶべきでしょう」

 

 ロイエの口は何かを叫ぼうと小刻みに動いているが、何の声も出てこない。

 

「失礼」

 

 わずかな礼を示し、レゾンは退室した。

 

 

 

4.前夜祭:クバーレ湿原

 

 眠れん。

 

 前夜祭には興味がない。

 さっさと寝て明日のダンジョン攻略に備えることとしたのだが……。

 どうにもこうにも寝付けない。

 

 昼寝をしたのがまずかったか。

 それともあの会議での出来事が気にかかるのか。

 

 結局、レゾンが退室してから話はうやむやになってしまった。

 話を聞こうにも、王は体調どころか精神まで崩してしまったし、フリージアは心ここにあらずであった。

 実際、ロイエも仕事があったようですぐに席を立った。

 

『レゾンは正しかったという訳だ』

 

 あの場ではロイエと似た憤りを感じたものの、振り返ってみるとたしかにレゾンは正しかったように思える。

 ただ、素直にその正しさを認め難いことは疑いない。

 

『正論はその正しさ故に人から疎まれる。勝つことはおろか、逃げることすらできないからね。逃げ足が取り柄のメル姐さんが苦手意識を持つのも無理はない』

 

 ……それはちょっと違うんじゃ。

 

 しかし、あんな奴は初めて見たな。

 

『あんな奴?』

 

 なんていうのかな……、人の心がわからないというか。

 温かみに欠けてると言うのかな。

 

『そう思う気持ちはわかる』

 

 そうだろ。

 まったく、あいつには人の心がないんじゃないか。

 

『それはない』

 

 あっさり否定されてしまった。

 

『メル姐さん。人間が正論を使うときっていうのはだ。自分の気持ちを隠すときだよ』

 

 いや、あいつには気持ちなどなくて、正論しかないんじゃないかってことだが?

 

『一度だけならまだしも的確に正論を言い続けるってことは、他の暴論、空論もわかってるはずだ。彼は誰よりも他の理論にも通じてる。理論に通ずるってことは多くの視点や考えが持てるってこと。逆説的に、彼は誰よりも人の心の動きや感情がわかってる。だから、正論を言い続けられる』

 

 わかってるだけじゃないか?

 あの男はまったく人間らしくないだろ。

 墓場とかのダンジョンで歩いてるゾンビやスケルトンのほうがまだ人間らしいぞ。

 

『俺とは全く逆の見解だね。俺はあの場にいる他の誰よりもレゾンが人間らしく見えたよ』

 

 これは……、話してもわかりあえそうにない。

 

 

 とにかく現状で最大の問題は眠れないことだ

 昨日はあれだけ早く眠れたのに、今日はどうしてこうも眠れない?

 目を閉じてみても、視界が暗くなるだけでまるで寝られない。

 そもそも私は普段どうやって寝ていたのか。

 意識すると余計に眠れなくなる。

 

 おいシュウ。

 

『ここに――』

 

 知ってるよ。

 なんでそんな意味深げに返すんだ。

 

 お得意の小難しい話をしてくれ。

 理屈っぽくてつまらない話を聞けば、退屈になって眠くなること万に一つも疑いようがない。

 ほれ、早くつまらん話を。得意だろ。

 

『……そうだね、メル姐さんの熱いリクエストにお応えして――第三種召喚魔法の大規模行使による現世の人為的変異の可能性について話そうか』

 

 おっ、いいね、いいね。

 もうタイトルの各単語からして意味がわからない。

 そういうのを待ってたんだ。

 

『まず、召喚魔法には三つの種類がある。第一に、人や物といった固有の対象単体を転移させるもの。第二に、固有の単体を含む空間そのものを転移させるもの。そして、第三に、世界そのものを転移させるもの』

 

 第三がまったくわからん。

 ダンジョンで言えば、第一はモンスターを呼び出して、第二はモンスターのいる部屋そのものを呼び出すって感じだろ。第三はなんなの?

 

『その例でいくと、第三はモンスターと部屋に加えて法則性まで転移させる。仮に南の世界を召喚させたなら、その部屋でモンスターを倒すと南の世界みたいにアイテム結晶が出ずにモンスターの死体が残る』

 

 ほぉん。

 いいぞ、いいぞ。

 ちょっと眠くなってきた気がする。

 もっと教師っぽく喋ってくれればより眠れそうだ。

 

『じゃあ、それっぽくいこう。世界の召喚という理論はたくさん出てきましたが、誰一人として成功させることができませんでした。ここで魔法都市イガナクタに住んでいた魔法陣研究者デスコベルタは、世界の召喚は少なくとも口頭での詠唱では不可能だと結論づけました』

 

 いいな。すごくいい。

 かなり眠気が襲ってきた。

 で、なんで口頭の詠唱じゃ無理なんだ?

 

『世界召喚というのは、要するに別の世界をこちらの世界に転移させることです。転移させる対象となる世界の法則性、対象物、座標を把握しないといけません。見たこともない何かのある、全く知らない場所の、謎の法則が働く世界――これをどうやって言葉で唱えるんだって話です』

 

 まあ、無理だな。

 私でもわかるくらい無理だ。

 

『でも、魔法陣なら可能性はあると示唆しました。なぜなら三角形は他の世界に行っても三角形であるはずですから。魔法の体系が同じようにあるなら、魔法陣でいけるんじゃねとイガナクタは考えました』

 

 ……ふぅん、そんなものか。

 ねむねむ。あと、ちょっとだな。

 

『です、が! やっぱり無理です。法則性はこれであるいは無視できるかもしれません。対象物もこの世界にあるようなものを無差別に当たっていけばヒットするかもしれません。しかし、座標だけはどうやっても拾えないのです』

 

 ふわぁっ……、どうして?

 

『別世界はあるのかもしれないが、今の世界を基準にしてどういう座標軸を設定すれば別世界を表せるのか誰も知らないし、知りようがないから』

 

 …………ぁそ。

 

『別世界の召喚が実質不可能だとわかり暗黒時代の到来です。長く世界召喚は不可能だと考えられ、研究する人は変人扱いやただ飯食い扱いされてきました』

 

 ………………。

 …………。

 すやぁ。

 

『ここで一人の魔法使いが現れます。泉冷の都エレナイで活動していた冒険者パニコスです』

 

 ……冒険、者?

 

『魔法陣を得意とした彼女は、他の冒険者と同様、毎日のようにダンジョンへ通っていましたが、あるとき、ふと気がつきました――ダンジョンは異世界じゃないかと』

 

 ダンジョン。

 

『そう。ダンジョン』

 

 ダンジョンが異世界?

 

『倒すと光に消えるモンスター。そして、倒したモンスターはアイテムを落とします。しかも復活さえしますね』

 

 うむ。そうだな。

 

『一方、我々……いえ、ここではダンジョン以外の世界としましょう。そこでははどうでしょう? 死んだら遺体が残りますし、アイテムは落としません。当然、生き返ることもない。そう考えると、ダンジョンは立派に異世界と言えませんか?』

 

 ……たしかにそうだ。

 同じ世界ではあるものの、狭い視野で見れば異世界と言えなくもない。

 

『実はこの考え、遙か以前にもありました。ですが、その当時はまだ魔法陣の研究も進んでおらず、デスコベルタが世界召喚とか無理だろとか言っちゃったせいで研究されていなかったのです。しかも、研究者は書斎か研究室に閉じこもり、ダンジョンに潜ることがなかったため発見が遅れてしまったのでした』

 

 やっぱダンジョンってすごいな。

 生きる上で大切なものが全部つまってる。

 

『パニコスは実験しました。町の中で魔法陣を描いてダンジョンという別世界を召喚できないか、と』

 

 うん、それで、それで。

 どうなったの?

 

『なんと成功しました』

 

 おおっ!

 町がダンジョンになったのか?

 

『残念ながらごくごく短時間でわずかな範囲だけです』

 

 それでもすごい。

 今さらだけどそういう話ってどこで仕入れてくるんだ?

 

『アイラたんとパーティー組んだときに、チートで魔法史アーカイブにアクセスできたからね』

 

 へぇ、アイラたんってのが誰かよくわからんが便利なモノだな。

 

『……うん。それでパニコスはいろいろ試しましたが、どうしても安定したダンジョンを召喚することはできませんでした』

 

 あらら。

 何が悪かったんだ?

 

『まず魔法陣そのもの。形が複雑なことに加え、描く素材も選ばないといけません。そのへんの顔料ではダメです。良質な血や希少な鉱物粉が必須となります。さらに魔法陣の数。範囲を広げるには複数の魔法陣を適切な位置に記述しないとダメです。なお、召喚するダンジョンを変えても持続時間は変わりませんでした。ダンジョンならどこでもいいってことです』

 

 どこでもいいにしても他の条件がきついな。

 数に素材に場所って……。

 

『なんともはや。パニコスさんは多難を乗り越え、条件の全てを揃え発動させました』

 

 なんという執念か。

 私も冒険者としてそうありたいものだ。

 

『結果は失敗。ダンジョンは召喚できましたが、すぐに消え去りました』

 

 どうしてだ?

 準備は完璧だったんだろ。

 

『これは後の研究でわかるのですが、世界には維持力と浸食力いうものがあるんです。今のままで有り続けようする力と、別の世界を飲み込んでしまおうとする力です。世界召喚をすると、この二つに引っかかります。元々あった世界は、召喚されてくる世界に対して維持力で押し返そうとします。さらに維持力を押し切って召喚されたとしても、周囲の世界にあっという間に飲み込まれて元の世界に戻っちゃうんですね』

 

 戻っちゃうんですかー?

 じゃあ、やっぱりダンジョンの召喚は無理なのかぁ。

 

『ところがぎっちょん。条件を三つほど付けてやると、理論的にはいけちゃうんだなー』

 

 いけちゃうのかー。

 で、条件は?

 

『一つ目は、召喚の種類を法則性に限りなく絞ること。具体的な対象、座標とかは曖昧にする。物とかをそっくりそのまま持ってくるのは諦めて、法則性に絞るって考え。実質は、法則性だけを持ってくる形になるから召喚じゃなくて、現世の変異って形で現れると言われてる。第三召喚の変異項って呼ばれることが多い』

 

 なんだ思ったよりも簡単そうじゃないか。

 喚び出すものが減るんだから。

 

『そうだね。で、二つ目は、維持力の緩和。上書きされる方の世界、ダンジョンじゃないほうね。そっちに、ダンジョンの法則性を認めさせる。これはその世界を構成する環境――建物や出来事、人、その意志に大きく依存する』

 

 さっぱりわからん。

 もうちょっとわかりやすく。

 

『ダンジョンになってもいいよなーってそこにいる人が思ったり、そこにある物がダンジョンにふさわしいよなぁって思われればそれでいい』

 

 そんなもんでいいのか。

 ダンジョンっぽければいいってことか?

 

『まぁ、そう。明らかに周囲と違う雰囲気が元からあれば、異世界を受け入れる抵抗が減る』

 

 これはいけそうな気もする。

 なんだ。それくらいならいけそうだな。

 

『残念。三つ目が難しい。周辺世界からの浸食作用への拮抗。まず二つ目に話した維持力の緩和が強ければ強いほど良い。加えて、特に召喚当初なんだけど周辺世界と現世界が直接ふれあわないようにする』

 

 ……そんなことができるの?

 

『世界の間に魔力の層を挟めば、理論的には可能。実際、ダンジョンで人間が倒れても復活しない。元の世界の法則が働いてるよね。これは人間が無意識に纏ってる魔力が、ダンジョンからの浸食を防いでいるからだって言われてる』

 

 ほぉん、知らんかった。

 

『ほとんどの人は知らないと思うよ。話を戻すと、召喚当初――いや、変異直後の世界がかなり不安定なんだ。安定するまでは、浸食を防ぐために魔力の層が必須』

 

 よくわからんのだけど、すごい魔法使いとかならできるんじゃないか?

 

『悉く失敗してる。魔法使いが作れるのは、魔法による現象の層であって魔力の層じゃないんだよ』

 

 魔法と魔力って違うの?

 

『魔法は現象を起こすもの。火をつける、物を動かす、壁を形成する――とかだね。魔力は魔法を起こすためのエネルギー源。厳密には魔法にも魔力が混ざってるんだけど、層を作るには純度も量もまるで足りない。魔力量の測定はできるけど、意図的な操作はせいぜい己のうちから生成するところまで。層を作るなんて細かい操作は無理。そもそも魔力自体に未解明の部分が多すぎる』

 

 ……つまるところだ。

 ダンジョンは作れないってことか?

 

『現時点では、ね』

 

 いつになったらできるんだ?

 

『うーん、明日かなぁ』

 

 そうだといいんだがなぁ

 私は笑って同意するも、シュウは笑わない。

 突っ込み待ちの発言にそのまま乗られておもしろくないようだ。

 

 やれやれ……長い割にはつまらん結論だな。

 

『つまらない話をご所望とのことでしたからな。おもしろければいいってもんじゃないんじゃないかな』

 

 ところでシュウよ。

 一つ問題がある。

 

『何かね?』

 

 眠れない。

 

『……メル姐さん』

 

 なんだ?

 

『今夜は寝かさないぜ』

 

 

 

 馬鹿な発言からどれくらいの時間が過ぎただろうか。

 目を閉じ、頭を空っぽにしてもやはり眠れない。

 

『頭は最初から空っぽでしょ。もう諦めてダンジョンに行けば?』

 

 先ほどから何度も寝返りをうつ私に、とうとうシュウが沈黙を破った。

 心を読むな、と突っ込むこともなければ、誘いに乗ることも私はしない。

 

『ダンジョンは楽しい。ダンジョンはおもしろい。ダンジョンは救い』

 

 ふんっ、どこかの馬鹿が意味のわからない言葉を並べ立ておるわ。

 

『……これ、元は全部メル姐さんの台詞』

 

 くそ、悪魔め。

 人の心を読み取り、揚げ足まで取ってくるときた。

 

『祭りとは言っても、昼のダンジョンには人がいるかもしれない。だけど、夜のダンジョンならどうだろう?』

 

 夜の……、ダンジョン?

 

『想像するのだ! 自由気ままにダンジョンを走り回る自分を! 独り言をぼやき、叫び、騒ぎ、はしゃいでみても奇異の目を向けられない。そんな世界を!』

 

 そんなものは理想だ。ありえない。

 理想を夢みれば、現実はよりつらくのしかかる。

 悪魔の声に従えば、今はよくなるだろうが未来には絶望が待つ。

 ひとたび悪魔に対して口を開いてしまえば、奴はその隙を逃さず容赦なく私を狩りに来る。

 

 だから――、私は理想を見る目を閉じ、悪魔の声を聴く耳を塞ぎ、独り言を漏らすこともない口を噤んだ冒険者になろうと考えた。

 

『夜のクバーレ湿原にはなんか珍しい生物が出るって話もあるね』

 

 ――だがならざるべきか。

 

 

 

 決めてしまえばあっけないもので、さっさと支度をして部屋を出る。

 

 城内を歩いていると音楽が聞こえてきた。

 どうやらあの音楽堂には時間帯など関係ないらしい。

 

 もしかしたらと思い、音楽堂に寄ってみると案の定フリージアが座っていた。

 前回と同じ場所に座って俯いている。他の人間は誰もいない。

 

 寝ているかもしれないと思い、静かに近寄ったが途中で振り向いてきた。

 

 手を軽く挙げて挨拶すれば、彼女も小さく会釈で返す。

 何も言わずに私も前回と同様に、通路を挟んで反対側の席に座る。

 

 さて、なんとなく座ったはいいものの何を言って良いのかわからない。

 元気づけるような言葉が浮かんでは、口にできないまま消えていってしまう。

 黙れば黙るほど何か言わなくてはいけない衝動に駆られてしまう。

 

 元気出せよ……、これは直球過ぎるな。

 気持ちはわかる……嘘だ、さっぱりわからん。

 もう遅いから寝ろ……私の言って良い台詞じゃない。

 明日の祭りどうする……ちなみに私はダンジョンに行くんだ。

 

 ……どうにもしっくりこないな。

 …………よし、これだ。

 

「一緒にダンジョンへ行こう」

 

 ちょうど曲が切れたところだったので、予想よりも声が響いた。

 

 フリージアがこちらを見る。

 その後、周囲をちらりと確認する。

 

「もしかして、私ですか?」

 

 頷いて応える。

 

「明後日ですよね?」

 

 今から。

 

「えっと……、遠慮しておきます」

 

 遠慮する必要なんかないぞ。

 私は全然問題ない。

 

「どうしてダンジョンなんですか?」

 

 ダンジョンは良いぞ。

 ダンジョンを攻略していると迷いや悩みなんてどうでもよくなる。

 

『それはただの逃げでは……』

「ありがとうございます……。たぶん元気づけてくれようとしてくれてるんですよね」

 

 最初はそのつもりだったな。

 でも、あまり……まったくそういうのは得意じゃないから、結局、ダンジョン攻略の勧誘になった。

 

「本当にダンジョンがお好きなんですね」

 

 言葉は不要。

 彼女の顔を見て頷くのみ。

 

 そっちは何か好きなことはないのか?

 

「ガーデニングは好きですし、刺繍も好きなんですが、熱中できるほどではないです」

 

 そうか……。

 じゃあ、やっぱダンジョンに行くしかないな。

 

「そこまで言うのなら、祭りが終わったら連れて行ってください……」

 

 よしよし、まかせておけ。

 約束だ。

 

『ひどいパワハラを見た』

 

 いいんだよ。

 ダンジョンに行けばきっと彼女もわかる。

 

「ちょっとだけ、やってみようかなと思うことが一つできました」

 

 おっ、そうか。

 何をしてみたいんだ?

 

 彼女はおずおずと指を差す。

 その先には、椅子と鍵盤があった。

 

「でも、触ったこともなくて」

『誰だって最初は初めてさ』

 

 その通りだが、お前が言うとなんかいやらしい。

 

 別に問題ないだろ。

 弾いてみたらどうだ。

 

「曲も流れてますし」

 

 話を聞いていたかのようにピタリと曲が止まった。

 私とフリージアが鍵盤を眺めると、誘うように鍵盤が音を鳴らす。

 

 弾いてみろってよ。

 

 さすがにここまで誘われては断ることもできず、彼女は席を立って演奏席へ歩む。

 躊躇しつつも椅子に浅く腰掛けて、鍵盤のキーを人差し指で押し下げる。

 

 堂に一つの音が鳴り響いた。

 

 自分の出した音に驚きつつ、彼女は他のキーを押し下げる。

 いろいろと音を出していたものの、到底音楽と呼べるものではなかった。

 それでも彼女は楽しいようで、子供のように無邪気に鍵盤を叩く。

 

 後ろで物音がしたため、振り向くと扉が閉まるところだった。

 扉の端から銀色の髪がちらりと見えた。

 もしかしてレゾンがいたか?

 

『ちょっと前に入ってきたね』

 

 気がつかなかった。

 あいつも音楽に誘われてきたクチだろうか。

 まったく、来たのなら挨拶くらいしていけばいいだろうに。

 

 さて、私もそろそろ行くとするか。

 夢中になっているフリージアを邪魔しないよう、私も音楽堂から出ることとした。

 

 

 

 クバーレ湿原は王都モルタリスの西方に位置する。

 ゼノム山岳より流れ出るオムニス川の傍らにある初級ダンジョンである。

 ぬかるんだ草原地帯と点々と存在する池が見渡す限りに存在する場所と聞いている。

 木の板で作られた木道とかいうものが、古くから整備されており基本的にはその上を進めばよい。

 

 木道から落ちても死ぬわけではない。

 元々、木道は冒険者のために作られた訳ではなく、湿原の環境保全のために整備されたという話だ。

 魔法も厳しく制限されており、水と風属性以外の攻撃魔法は禁止されている。

 水に耐性のあるモンスターが多いため、有効なのは風だけだろう。

 

 

 

 そんなクバーレ湿原に向かう道すがら、対面から何かが歩いて来た。

 

『おおっとぉ! メル姐さん以外に、深夜のダンジョンへ挑むバ――』

 

 シュウはそこで言葉を切る。

 何事かと歩調を緩めたがなんてことはない、ただの獣人だった。

 わずかな緊張を帯びつつ擦れ違う。

 

「待ちな」

 

 呼ばれて振り返れば、先ほどの獣人がこちらを見ている。

 

 長い髪を後ろで一本に束ね、束ね損なった髪が獣らしい耳にかかっている。

 腰の付近からは縞模様のしっぽが見えていた。

 虎人族の女性であった。

 

 姿にも目を引かれたが、一番は彼女の獲物だ。

 スマートな体格に似合わないゴツい剣。

 

『違う。あれは槍。それよりも構えたほうがいい』

 

 ふぅん、そうなのか。

 剣みたいな槍と剣の違いが私にはわからない。

 それに構えろと言うが、相手はモンスターではなく獣人だ。

 大げさというものだろう。

 

 それで、何か用か?

 

「一人で挑むつもりならやめときな」

『構えて』

 

 喧嘩でも売られるのかと思ったが、気をつかってももらったようだ。

 それならこちらも丁寧に返しておこう。

 

 いや、心配してもらってアレだが、ソロで慣れてるから大丈夫だ。

 どうかお気遣いなく。

 

 やれやれというように女性は首を振る。

 

『構えてっ! 早くっ!』

 

 えっ?

 

「自分の実力を――」

 

 女性は担いでいた槍を肩からスッと離す。

 私もようやくシュウに手をかける。

 

「知るべき――だ!」

 

 言うと同時に槍の柄が私へ伸びる。

 ギリギリのところで、私はその突きををシュウで弾いた。

 

 何をっ!?

 

 驚きつつ間合いを取ると、虎人族の女性も驚いてこちらを見ている。

 それも一瞬、口元を緩ませて笑うと一足で間合いを詰めてきた。

 

『右! 足ッ! 距離狭めて!』

 

 右からの切り払いに、足へのなぎ払い――順にシュウで弾いてから、距離を詰める。

 鼻白んだ相手の胸元に肘を入れようとするが、柄で防がれつつ距離を取られた。

 

『突きが来るよ――』

 

 シュウが言うように、連続した突きが襲いかかる。

 右、左と弾くのが精一杯で、反撃ができない。

 それよりも能力半減が効いてないのか?

 

『害意はないね。遊んでるだけ』

 

 これでかっ?!

 確かにちらりと顔を見れば、敵意は見えない。

 ただただ楽しげである。

 

 シュウの助言が少ないとは言え、接近戦でここまで何もできないのはボス含めて久々だ。

 大抵は余裕で斬りつけれるし、相手の攻撃も弾いてしまえば体勢を崩してくれる。

 そこそこ強い奴でも能力半減で、相手になんかならない。

 遊びでこれってことは、本気になったら……。

 

『本気……というか敵意が出たら、かえって能力半減で楽になるかもしれない。でも、間合いが長いから、ギリギリの距離で戦われたら厳しそう』

 

 能力半減は強力だが、有効範囲が短い。

 相手の獲物の長さと腕の長さを利用されれば、あるいは範囲外から届くのかもしれない。

 

 徐々に相手の突きも速くなり、こちらも考えている余裕がなくなった。

 特に強い一撃が胸元に伸び、それをなんとか防ぐとようやく虎人族の女性は手を止めた。

 構えを解き、額に軽く浮かんだ汗を軽くぬぐって歩み寄ってくる。

 

「悪かった。見誤っていたのはあたしだったようだ。あたしはセラス。あんた、名前は?」

 

 メルだ。

 

 疲れほうけて回転しない頭でなんとか答える。

 彼女は近寄って私の肩をぽんと叩く。

 

「良い腕だ。あたしはしばらくモルタリスにいる。また遊ぼう。じゃあ」

 

 それだけ言うと、何事もなかったかのように道を歩いて行く。

 その背が見えなくなるまで私は見送っていた。

 

 あのさ、もしかしてなんだけど。

 彼女って……、

 

『極限級冒険者パーティー「悠久の紙片」、最後の一人――穿天のセラスでしょうな』

 

 やっぱりそうなのか。

 驚きはない、納得するばかりだ。

 でも、やっぱりちゃんと話せなかった。

 

『他の誰よりも話したでしょ。剣と槍で』

 

 口で話したかったんだが……。

 でも、遊びとは言え、あのセラスと刃を交えたとはなんと誇らしいことか。

 

『惜しむらくは誇る相手がいないことですな』

 

 ほんっと腹立つわ、こいつ。

 

 

 

 なんやかんやでクバーレ湿原にたどり着いた。

 

 誰もいない木道を私一人が進む。

 ときおり吹く風で草がさらさらと揺れる。

 空に月はなく、数多の星が自らを煌めかせ主張している。

 モンスターも襲いかかってくるのだが、所詮初級、物の数ではない。

 

 なんかいいな。心が落ち着く。

 特にここ最近は慌ただしい攻略が多かったため、ゆっくりした攻略は久々だ。

 

『深夜の散歩って良いよね』

 

 そうだな。

 静かで暗くて心が安まる。

 

『いやいや。スリルと羞恥心が刺激されるというか』

 

 ……夜の散歩の話だよな?

 

『うん? 夜の散歩の話だよ』

 

 言葉を尽くせば尽くすほど、きっと私たちはわかり合えない。

 そんな気がした。

 

 

 一通り歩き回ったし、そろそろ帰ろうかと思った頃だ。

 

『なんか聞こえない?』

 

 そりゃ、いろいろ聞こえるだろ。

 耳を澄ませば様々な音が、先を競い合うように入り込んでくる。

 

 キーキーとした虫の鳴き声。

 ざわざわりと草が風で揺れ擦れる音。

 ズルズルやパタパタといったモンスターが動き回る音。

 ウェ、ウェックという…………これ何の音だ?

 

『泣き声かな?』

 

 確かに嗚咽を漏らしている声に聞こえなくもない。

 でも、周囲の木道に人の姿は見当たらない。

 

『夜に出てくる生物ってやつじゃない?』

 

 ああ、なんか話はあったよな。

 モンスターじゃないので見かけても、攻撃せずにほっといてくださいって話を聞いた。

 

『ミツチって呼ばれてるらしいね』

 

 そうそう、それだ。

 なんでも滅多に会えないので、見つけたらラッキーだとか。

 声からして近くにいるようだが、草に隠れているのか姿が見えない。

 

『あ、いた』

 

 え、どこどこ?

 

『もうちょい左に行ってみて、草が分かれてる池の手前。目線はもうちょい下。気持ち左かな』

 

 んー、あっ、あれか。

 なんか小さな物体が小さく揺れている。

 聞こえてくる音と動きが合っているからあれに違いない。

 

 さてどうしたものか。

 せっかくだから近寄ってみようか。

 

『足下、水張ってるからちょっと待って。オッケーぬかるんでるから気をつけてね』

 

 木道をゆっくり降りて、どろどろした地面に足を入れる。

 音がしないようにゆっくりゆっくりと目標に近づく。

 

 近づいて見ると、肌の色こそ違えど少年だった。

 頭がキラリと光り、禿かと思ったが、なんか頭についてる?

 

『河童じゃん』

 

 カッパ?

 

 私の声に驚き、少年は振り向いた。

 確かに人間ではなかった。唇は嘴のように尖っている。

 目をこする手の指の間に大きな水かきがついていた。

 

 目と目があって、数秒間はお互い固まっていた。

 先に動いたのは河童と呼ばれた少年。

 

「うぇ、うぇえええん!」

 

 目を細め、口を広げて何か喋るかと思ったら泣き出してしまった。

 しかも大泣き。ぐすぐすとかそんなレベルじゃない。

 周囲に響き渡る大声でだ。

 

 襲いかかるなり逃げるなりしてくれれば、私も対応できる。

 しかし、泣き出されては手の出しようがない。

 困ったときのシュウ頼み。

 

『うるさいし、切り捨てれば』

 

 あ、だめだこいつ。

 そもそもこいつは子供が苦手だった。

 しかも、男ときたら、こう言うことは自明の理だ。

 

『言い過ぎた。ほっとこう。自分でなんとかするでしょ、男の子なんだから』

 

 さすがに「切り捨てろ」はないと思ったのか訂正してきた。

 それでもなお対応は冷ややかだ。

 

 仕方がない。

 まずは泣き止んでもらう必要がある。

 

 

 その後、なんとかなだめ、今は二人並んで木道に腰掛ける。

 言葉が通じないためチートで意志を疎通した。

 

 それで名前はなんと言うんだ?

 

「……カパァ」

 

 手に持った休肝バーとか言う食べ物を囓りながら答えた。

 ここのモンスターからドロップするアイテムで、ミツチ族の大好物のようだ。

 なんだかんだ言いつつ、シュウがなだめる方法を提案し、見事に話ができるようになった。

 

 それでカパァ――、

『やめろ。これ以上名前を増やさんでくれ。登場人物が多すぎるんだよ。何がカパァだ。河童でいいだろ。もしくは「くぱぁ」か「カウパー」を所望するものである』

 

 それでカパァはどうして泣いてたんだ?

 馬鹿は無視して尋ねる。

 

「……おとたんと、おか、おかたんが、うぇっうぇっ」

 

 また泣き出してしまった。

 おとたんとおかたんとやらはおそらくお父さんとお母さんのことだろう。

 

 ゆっくりだ、ゆっくりで良いぞ。

 お父さんとお母さんがどうしたんだ?

 

「……っれてかれた」

 

 かなり時間が経ってからカパァは答えた。

 

 連れていかれた。

 喧嘩でもしたのかと思ったが、なんだか物騒な話になってきた。

 

 誰に、連れて行かれたんだ。

 

 カパァは答えない。

 ただ指先を私のほうに向けてくる。

 

『事案発生』

 

 ちょっと待て、私は知らんぞ。

 

「人間が連れてった」

 

 ああ、そういうことか。

 人間はみんな同じに見えるって話だろう。

 南の世界でも魔族は人間の細かい判別はできていなかった。

 

 連れてったのはどんなやつだったんだ?

 

「みんな鎧着てた。そいつらが、おかたんとおとたん、うぅっ、他のみんなも、ぅぇえ」

 

 また泣き出してしまった。

 

『黙れ! 小河童!』

 

 お前が黙れ。

 

 複数人で鎧を着用。

 うーむ、心あたりが多すぎる。

 鎧を着ている冒険者なんていくらでもいる。

 

『そいつらの鎧に剣と盾の印が付いてなかった?』

 

 シュウの問いをそのまま聞いてみる。

 河童は嗚咽を漏らしながらもコクリと頷いた。

 

『あぁ、残念』

 

 何が?

 

『秘密の組織ではなかったようだ』

 

 だから何が?

 

『剣と盾の印は、国の兵士に貸与される鎧の証。河童を連れて行ったのは国兵』

 

 国の兵士がカパァの両親を?

 聞くところ他の河童も数週間前から連れていかれているらしい。

 

『まぁ、そうだろうね。重要なのは――』

 

 何のためにかだな。

 

『違う。そいつの両親がいつ連れて行かれたかだよ』

 

 尋ねたところ昨夜のようだ。

 

『使われてないなら助かるかもね。もっとも、根本的に手遅れだろうけど……』

 

 そろそろ教えてくれる。

 

 カパァの両親は何のために連れていかれたんだ?

 それに使われてないって?

 

『そいつの右腕、肘の近くを見てみなよ』

 

 カパァの右肘の近くを見る。

 怪我をしているようで血が出ていた。

 そして、その血は人間のような赤ではなく青であった。

 

『画材に使えば、良い青色が出ると思わない?』

 

 …………えっ、まさかあの絵?

 私の脳裏に昼に見たよくわからない落書きが想起する。

 あの落書きに青が使われていたはずだ。

 

『そうだね』

 

 まさか全部、カパァたちの血で描かれているのか?

 

『いや、血に顔料を混ぜてた。これは触ったから確実』

 

 そう言えば、こいつを落書きに突き刺した気がする。

 だとしても、あの落書きは大量に描かれていたぞ。

 

『いや、使われてるのは本物だけ。偽物ばっかりで本物はそんなに多くない。最初の落書きも流行を作るための偽物だろうから、思ってる以上には使ってない』

 

 落書きにミツチ族の血が使われていることはわかった。

 その血を集めているのが国の兵士達たちということも把握した。

 だが全体的な事態がいまいち掴めていない。一度王都に戻る必要がありそうだ。

 

 すでに東の空は明るみ始めている。

 

 

 

 カパァに休肝バーをやり、いったん分かれる。

 彼が住んでいるという、池の中に帰ってしまった。

 日が出ているときに、外に出ると頭の皿が乾いてしまうらしい。

 とりあえず、私がカパァの両親については調べてみると伝えておいた。

 

 クバーレ湿原の入口付近に戻ると、誰かが大剣を振るっていた。

 攻撃をひらりと避け、その後、見事にモンスターを一刀両断。

 

 やるもんだとよくよく見るとロイエだった。

 あちらも私に気づき近づいてくる。

 

「おはよう。……まさか夜通しで攻略してたのか?」

 

 ああ、眠れなくてな。

 そっちは今から攻略か?

 

「いや。気分が落ち着かなくてな。体を動かしていた。もう帰るところだ」

 

 額に浮かび上がる汗を腕でぬぐう。

 

 別々に帰る必要性もなく、並んで王都まで歩く。

 ロイエは隣に馬を連れて歩いていた。

 

 そう言えば、昔は冒険者だったんだろ。

 お前と王、リスィってのと、レゾンの四人で。

 

「ずいぶんと昔だな」

 

 どこか遠くを見て懐かしむようにロイエは語る。

 大半のことはリベルが話してくれていたことと同じだった。

 

 ロイエが女性にもてていたこと。

 多くの女性と関係を持ったが、一番好いていたリスィには手が出せなかったこと。

 レゾンとは昔から喧嘩ばかりで、リスィやソレダー王、他の冒険者に仲裁をしてもらったこと。

 なんだかんだ言いつつもレゾンの正しさと実力は認めていることも。

 

 それに攻略したダンジョンの話も聞かせてくれた。

 

「クバーレ湿原でリスィがミツチ族を見つけてな」

 

 私もさっき会ったぞ。

 

「そうか。彼らは元気だっただろうか」

 

 いや。

 国の兵士に連れ去られてるそうだ。

 

「なんだと?」

 

 私はカパァの話を伝える。

 どうやらロイエも初耳だったらしい。

 王都に戻ったら、一直線にソレダー王のもとに行くと話す。

 

『間に合わないだろうね』

 

 何に?

 ああ、そうか祭りか。

 かなり早い時間に開始だったな。

 お前はギルド長だろ。いなくていいのか?

 

「問題ない。始まってしまえば、俺は不要だ。このためにいろいろと準備してきたのだからな」

 

 そっちは大丈夫でも、王の方は時間が取れないかもな。

 

「そちらも問題ない。ソレダー王は――いや、ソレダーは今日で王位を退く」

 

 えっ?

 王じゃなくなるのか?

 

「ああ。一部の人間しか知らないが、執政は半ばアヴラ王子……いや、アヴラ王か。そちらに移っている。アルヒ祭の開幕一番でソレダーの口から退位宣言が行われる段取りだ。そろそろか」

 

 なんとそうだったのか。

 確かに体調が悪そうだったからな。

 王の退位発表とはなかなか歴史的な出来事だ。

 一瞬、聞いてみたかったと思ったが、人混みを考えると別にどうでもよくなった。

 

 私はともかくそちらこそ聞いておくべきじゃないのか?

 

「いや、俺は……聞きたくない」

 

 朗々と受け答えしてきたロイエだが、ここに来て返答に詰まった。

 

「あいつが王になると言い出してから、『銀色の旋律』は崩れ始めた。リスィを正妻に迎え、彼女が死に、子供も死んだと思ったら実は生きていて……。あいつが王として動けば何かが壊れていく。王としてのあいつはもう見たくない。退位したらまた一緒に――ソレダーとレゾン、それにリスィも一緒にダンジョンへ行きたいなぁ」

 

 一人は病床で臥せている。一人は魔術師ギルド長で多忙。

 最後の一人に至っては死んでいる。

 

「俺が無茶を言って、レゾンが正論で口を挟んで、ソレダーが困り顔でうろたえる。それをリスィが演奏でなだめる。あの時間が永遠に続けば良いと思っていた」

 

 ――どうしてこうなってしまったのだろう。

 

 ロイエはそれっきり口を噤んでしまった。

 私もこれ以上は何も聞けない。

 

『永遠なんて幻想を抱くべきじゃない。過去に冒険者をやってたならなおさらだ』

 

 辛辣だった。

 だが、私もそう思う。

 きっと、私たちの冒険も終わる日が来るだろう。

 悔いのないように今日という日を、今を走り抜くべきだ。

 

 

 無言のまま並んで歩いていると、道の先から小さな影が見えた。

 徐々に近づき影は明確な形として映る。

 

「あれは、レゾンか?」

 

 馬に乗る細身の男の銀髪が風になびいている。

 

「お二方、ダンジョンの協力をして頂きたい」

 

 挨拶や前置きを一切合切省いてレゾンは言う。

 私はそういった単刀直入な物言いは好むところだ。

 しかし、ロイエは気にくわなかったようで口を開く。

 

「俺とメル殿はすでにクバール湿原に行ってきたところだ。行くなら一人で行け」

 

 さっきまで一緒にダンジョンへ行きたいと言っていた人間の台詞と思えない。

 この二人がまともに会話するには緩衝材が二人くらい必要そうだ。

 

「クバール湿原ではない」

 

 レゾンは静かに否定する。

 

「じゃあどこだ? デクラン山窟か? それとも旧書館アディス?」

「どちらでもない」

 

 その二つじゃないとすれば、答は一つだ。

 私も行きたかったところである。

 

 跨幻橋パンタシアだな。

 

「違う」

 

 レゾンはまたもや首を横に振り否定する。

 

「じゃあ、どこの攻略を協力しろと言うのだ!?」

 

 とうとうロイエが怒声を張った。

 最初からどこどこを協力して欲しいというべきだろう。

 

『どうしてそう言えなかったかも考えるべきだね』

 

 レゾンがようやく口をうっすら開いた。

 

「魔都モルタリス」

 

 私たちが帰ろうとしていた都市の名前をロイエは口にした。

 

 そして、その枕詞は王都ではなかった。

 

 

 

5.永遠の都:魔都モルタリス

 

 モルタリスに向かう道中、レゾンは何があったのか報告した。

 ロイエも事態を察し、彼自身の感情を引っ込めた。

 

 出来事を端的にまとめてしまえば――。

 

 ソレダー王の退位発表。

 続いて、アヴラ新王の挨拶。

 同時に新王からアルヒ祭の開始宣言。

 王民は、大いに盛り上がり絶頂を絶頂を迎えたのだが――、

 

 まさにそのとき、何らかの術式が起動された。

 

 王都中で大規模な魔法が展開。

 人々はモンスターに変わってしまった。

 

 レゾンはアディス図書館に向かう途中でその状況に遭遇し、たまたま無事だったと話す。

 彼の推論によると展開された魔法は、第三召喚魔法の変位項。

 おそらく近くの魔法陣に不備があり助かったとのこと。

 即座に都を脱し、こちらに来たという訳だ。

 

 一言でまとめると

 

「モルタリスはダンジョンになりました」

 

 ロイエが絶句している横で私は気づいてしまった。

 

 これはあれだ。

 昨夜、聞いた話だな。

 ダンジョンは作れるかどうかってことだ。

 

 たしか三つの条件が必要だったはず。

 

 一つ目は――、

 

「王都に描かれていた落書き。あれは、第三召喚――ダンジョン召喚の魔法陣です」

 

 そして、それはカパァたちの血で描かれている。

 青の線だけでなく、赤の線もあるいは血なのかもしれない。

 昨日、一カ所刺してしまったが、そこの機能が不十分でレゾンは助かったのだろう。

 

『へー、変異時にいなけりゃ大丈夫なのか。でも、すぐ逃げないと異世界側に飲み込まれるか……』

 

 なんかぶつぶつ言ってる。

 

 二つ目は――、

 

「三年に一度のアルヒ祭。都の雰囲気は絶頂に達し、あらゆる事態を受け入れる体勢ができていたでしょう」

 

 王は退位し、若き王が立つ。

 新たな王の宣言と祭りの開始宣言。

 その場の盛り上がりは想像に難くない。

 

 三つ目。

 これが難問だったはず。

 世界と世界の間の魔力層形成。

 これができないと、すぐ元に戻ってしまうとか。

 

「ダンジョンは不安定ながらも存在し続けていました」

 

 ――ということは魔力の層ができているってことだろ。

 どうやって魔力の層を作ったんだ。

 

『音楽堂のパイプオルガン』

 

 思い出した。

 あの楽器は一人でに演奏を行なっていた。

 しかも、シュウはあの演奏には魔力がこもっているとも話していた気がする。

 

 それでは、あの演奏が魔力の層を作っているのか?

 

「私はそう考えています。昨夜、確認しましたが魔力の層を形成できるだけの純度はありました」

 

 そういや、こいつはフリージアと話していたとき、後ろにいたんだったな。

 

『ダンジョンに行くって話も聞いてただろうから、こっちの方に来たんだろうね』

 

 なるほど。

 王都がダンジョンになったことはわかった。

 大変なことに違いはないが、同時に嬉しいことでもある。

 

「誰が、そんなことを……」

 

 忘れていた。

 それが一番大切なことではないか。

 私は一体誰に、ダンジョンを作ってくれた感謝の言葉を伝えれば良いんだ?

 

『メル姐さん。ちょっと落ち着いて』

 

 レゾンは横目で鋭くロイエを見ている。

 

「貴方はお気づきのはずでしょう」

 

 二人の会話はここで終わった。

 

 カパァの両親の件もあるため、なんとなくわかっていた。

 しかし、はっきりと答合わせをしておきたい。

 

 ……誰なの?

 

『ソレダー』

 

 こっそり尋ねると教えてくれた。

 どうやら珍しく予想が当たっていたようだ。

 

『彼は間違いなく歴史に名を残すだろうね。それが悪名、美名のどちらになるかは俺たちのこれからと、後世の歴史家に委ねられてる』

 

 そんなことはどうでもいい。

 もう一つだけ気になることがある。

 どうしてこんなことをしてくれたのかだ。

 

『してくれたって……。まぁ、なんとなくだけど理由はわかる。でも、本人に聞くのが一番でしょう。言葉が通じれば、だけど』

 

 うむうむ。

 そうすることにしよう。

 

 私たちは一路モルタリスへ向かう。

 それぞれの思惑を胸に秘めて。

 

 

 外壁の辺りですでに異変は見受けられた。

 

 正門の周辺にいた人たちが踊り回っている。

 彼らの顔には、間抜けな化粧が塗りたくってあった。

 

『ピエロみたい』

「なんだあれは?」

 

 ロイエが疑問を口にするが、私だって知りたい。

 

「モンスター化した市民です。私が脱出したときよりも範囲が広がっていますね」

 

 レゾンは淡々と応じる。

 

『まずいなぁ』

 

 なるほどな。

 モンスターか。それならちょっくら倒してみるか。

 

『ちょい待ち』

「お待ちください」

 

 ふざけた声と冷たい声に呼び止められる。

 どうかしたか? さっそく攻略していこうと思ってたんだが……。

 

『このダンジョンはまだ安定してない』

「彼らが復活するとは限りません。倒すのは得策ではないと考えます」

 

 ……そうなんですか。

 じゃあ、安定するまで待つとしようか。

 それなら復活するだろ。

 

 ロイエとレゾンがこちらを凝視する。

 

 えっ、何?

 何かまずいこと言った?

 

『スタンスの違いだね。メル姐さんはモルタリスをダンジョンと捉えて、攻略する術を考えてる。一方、この二人はモルタリスを王都と捉えて、ダンジョンから元に戻す術を考えてる』

 

 あぁ、そういうことね。

 じゃあ、私のスタンスをはっきり明言しておくとするか。

 

 私は魔都モルタリスを攻略しにきた。

 戻す術など知らんし、考えてもいない。

 

「モルタリスには多くの市民がいるんだぞ! 彼らを見捨てる気か!」

 

 市民?

 それはあそこで踊り狂ってる奴らのことか。

 

『楽しそうだねぇ、まずいことに……』

 

 よく見ろ。

 あれはもう市民ではなくモンスターだ。

 それに私は知っている。彼らが心のどこかで望んだからこそあの姿になったと。

 

「私のようにモンスター化していない市民もいるでしょう。彼女らを助けようとは思わないのですか」

 

 思わないな。

 知り合いならまだしも、知らない奴がどうなろうと私は知らん。

 しかし……なんというか、そんな台詞がお前から出てくるとはちょっと意外だ。

 少しくらいの犠牲は厭わないものだと思っていた。

 

 そう思ったのは私だけではないようだ。

 ロイエも熱くなった表情を冷ましてレゾンを見ている。

 なんだろうな、最後の台詞は正論と言うよりも感情に訴えているような。

 

『……フリージアもまだモンスター化せず生きてるかもよ』

 

 それは、そうだが。

 うーむ……。

 

『是非もない。俺が話そう。二人とパーティー登録して』

 

 …………珍しい。超珍しい。

 こいつが自分からパーティ登録を言い出すなんて。

 しかも登録させる二人とも女ではなく、男だ。

 

 レゾンが何か変なことを言ったなんて比じゃない。

 そりゃ、王都もダンジョンになる。

 

『照れますなぁ』

 

 何が照れますなぁ、だ

 なんにせよ私では手詰まりに違いない。

 やると言ってるなら、こいつに任せるのが確実だろう。

 

 

 パーティー登録をしてシュウが挨拶をした。

 ロイエは素直に驚き、レゾンは眉がわずかに動いただけだった。

 予想を裏切らない反応でおもしろみに欠ける。

 

『まず、方向性は王都をダンジョンから戻すこととしよう』

 

 二人は頷くが私は渋らざるを得ない。

 

 お前、せっかくの人工的なダンジョンだぞ。

 これ戻しちゃってどうするの。

 

『政治的な話はおいとくとして、このダンジョンが安定してもさほどおもしろくないよ』

 

 なぜだ?

 ダンジョンはダンジョンであるだけで十分おもしろいだろ。

 

『モンスターはただの住人だから雑魚。城のロビーでたくさんの兵士が出迎えて、奥に進んだらボスのアヴラ王。戴冠したばかりだから弱いことも確実。挑まなくてもわかるくらいだ』

 

 まあ、そうかもな。

 

『だが、しかし。今なら別のボスと戦えること疑いない』

 

 別のボス?

 

『おっと、その前に話すことがあった。ダンジョンから戻す手段ね。これは単純』

 

 全然わからんけど、どうすんの?

 

「音楽を止めることでしょう。さすれば魔力の層は消え、たちまちダンジョンはより大きな世界に飲まれることとなります」

『その通り』

 

 ロイエと私は頷く。

 

 ……ということは、だ。

 要するにあのオルガンを壊せばいいわけだ。

 

「待て! さすがにそれは!」

 

 あぁ、そう言えば思い出の楽器なんだっけ。

 

「それで良いでしょう。最悪建物ごと破壊してかまいません」

「レゾンッ、貴様ッ!」

 

 またしても二人でいがみ合う。

 

「建物はまた作り直せばいい。しかし、都の民は作り直すことができません」

 

 眉一つ動かさず、ロイエを静かに見据えてレゾンは述べた。

 

「だとしてもだっ! 貴様はそれで本当に良いのか!」

「私の意志など些細な問題です。戦略目的を見誤るべきではない」

 

 さらにレゾンは続ける。

 

「あれが残っているから、誰も彼もが過去にとらわれてしまう」

 

 だから、いっそ破壊してしまうべきなのです。

 口には出していないが、そんな声が聞こえたような錯覚を覚えた。

 

『それについては問題ない。俺が近くにいけば壊さず止める手段がある』

 

 もっと早く言えよ。

 ほら、また二人が険悪な雰囲気になっただろ。

 

『とにかく。今の不安定なダンジョンにとって、あの音楽堂は命綱なんだ』

 

 そうだな。それで?

 

『存在が安定するまでは、出来うる限りの手を尽くして、あの建物を守るだろうね』

 

 そうか。

 建物の近くに、そのボスがいるってことだな。

 

『うん。安定してからでも戦えるだろうがね。……俺としてもできれば、安定した後で戦いたい。本気出されると厳しいし』

 

 いや、やはり全力のダンジョンと戦わないとな。

 

『うーん。でも、やっぱ、危険すぎる。やっぱ安定させたほうがいいかなぁ。だけどなぁ……』

 

 そんなに強いボスがいるのか?。

 お前はどちらかと言えば安全志向だろ。

 それなら最初から安定するまで待つように言えばよかっただろ。

 そうすれば私もこの二人を見送れた。

 

『あのダンジョンのモンスターさ。みんな楽しそうに踊ったり、歌ったりしてるじゃん。それに、明らかに魔法陣の効果範囲よりダンジョンが広がってきてるし』

 

 そうだな。

 気づけばかなり近くまで来て踊り狂っている。

 なんか歌えよ、踊れよと言わんばかりに誘ってくるし。

 

『こういうドンチキ騒ぎが大好きなヤバイ存在を俺は知ってる。ここを放置すると世界中にこのダンジョンが広がって、全てを飲み込むかもしれない』

 

 それってどうなの?

 

『他のダンジョンも、この馬鹿騒ぎに飲み込まれる』

 

 他のダンジョンも?

 

『飲み込まれてなくなるね』

 

 やばいじゃん。

 早く音楽止めないと。

 

『うーん。でも、やっぱり危険なんだよなぁ』

 

 どっちみち危険ならダンジョンを突き進む方の危険に私は挑みたい。

 

 

 こうして私たち三人は魔都モルタリスに挑むこととなった。

 

 モンスターは弱い。

 まだ人の存在とあやふやになってる節がある。

 ときどき強い奴がいるのを見るに、元の人間の強さが土台にありそうだ。

 

 能力プラスと様々なチートを得た二人も問題なく進めている。

 シュウもチートの能力を二人にひたすら教え込む。

 

 道自体はとても単純だ。

 正門からひたすらメインストリートをまっすぐ。

 開いている城門を抜けた後は城内に入らず、城壁に沿って進む。

 

 なんだ、余裕じゃないか。

 兵士のモンスターは襲ってくるが余裕で対処できる。

 

『……ここからが本番だよ』

 

 ここからってお前。

 演奏もすでに耳に入ってきている。

 音楽堂までは、あと庭園があるだけだろ。

 ボスってのはそこにいるのか?

 そもそもボスって何だよ?

 

『本当にわからないの?』

 

 わからんのだけど……うん?

 ロイエとレゾンを見やるとなんだか二人とも険しい顔をしている。

 

 二人ともわかってるのか?

 

 ちょうど道を折れて、庭園の入口に着いた。

 広々とした庭園に影が四つ。

 

 その姿を見て、私の足は止まった。

 止めたつもりはない。無意識に足が止まってしまった。

 

『さて、それじゃあボスを紹介しようか』

 

 ……いらん、よく知ってる。

 初めて自分で買った本が、彼らについての情報誌だったからな。

 

 極限級冒険者パーティ「悠久の紙片」

 世界に三組しかない極限級パーティの一つだ。

 

 一番左に立つ小さな影が符片のリベル。

 札に術式を刻み込み、複数の魔法を同時に発動することもできる。

 そのバリエーションの多さは比類すべきものがない。

 

 左から二番目の大きな影が双盾ガレア。

 左右に持つ大小違う大きさの盾であらゆる攻撃を弾く。

 超上級ボスモンスターの大魔法を盾で防ぎきった話はあまりにも有名だ。

 

 そして、三番目は穿天のセラス。

 彼女については、昨夜、私自身の腕を持ってよく知らされた。

 本気の突きは、空に浮かぶ雲を突き刺すと言われている。

 

 一番右に立つのが霊弓のティポタ。

 彼が見えない弦を弾けば、数十の矢が飛ぶ。

 弾く姿は見ていないが、たしかにその芸当を実感した。

 

 彼らの顔にはモンスターと同じような化粧がしてある。

 踊りこそしていないが、それが逆に威圧感を醸し出していた。

 

 こちらの姿は見えているはずだが、手を出してこない。

 手を出してくる領域が有るのだろう。

 

 ……シュウ、それに二人とも。

 作戦会議だ。

 

『あいよー』

 

 普段ならとりあえず挑んでみて、ダメそうなら相談だが今回は違う。

 生半可な作戦で挑んでも勝てそうにないし、仮に勝てるのだとしても彼らに対する冒涜だ。

 シュウの策に、二人の助っ人、それに全力全開のチートと持てる限りの手段を用いて挑ませて頂く。

 

 早足で作戦会議は行われた。

 このときばかりはロイエもレゾンもいがみ合わない。

 シュウの作戦が戦況からして妥当のものだったことも大きいだろう。

 

『……あ、まずいかも』

「そのようですね」

 

 作戦の詰めをしていると、シュウとレゾンがなにやら呟いた。

 

「何がまずい?」

 

 私の代わりにロイエが尋ねる。

 

「時間がありません」

『場が安定してきてる。今、始まったこの曲、おそらくこれを弾き終わるまでがタイムリミット』

 

 耳を澄ませば、昨日音楽堂で聴いた曲だ。

 

「リスィが、一番最初に作った曲だな……。曲名は――」

「銀色の旋律」

 

 その名は確か……。

 

「時間がありません。始めましょう」

『それではおのおの、抜かりなく』

 

 こうして私たちの最初で最後の作戦が始まった。

 

 

 最終目的は、音楽堂への到達だ。

 決して彼らに勝つことが目的ではない。

 

 一番簡単なのは、間違いなく無敵スキルで私一人が音楽堂まで行くことだ。

 しかし、それではおもしろくない。せっかく挑める良い機会だから全力で挑みたい。

 二人にはこのスキルのことを伏せている。最後の最後でどうしようもなくなったら使う手はずである。

 

 まずは相手の分散と一人の脱落を図る。

 

 シュウを体の前に捧げた。

 

 いくぞ、ゲロゴン!

『ブレェエエエス!』

 

 声だけ大きめで、威力据え置きの一撃をぶつける。

 一直線に伸びる火炎の脇をロイエとレゾンが連れ合って駆け抜ける。

 上手く散らばってくれれば良いが………………あれ?

 

 なかなか散らばらない。

 ガレアだけは避けないことは確実だった。

 彼の後ろには音楽堂がある。避けては音楽堂が壊れる。

 しかし、まさか直撃して全員死んでしまってるんじゃなかろうか。

 

『……うっそだぁ』

 

 火炎が収まるとそこには一つの盾があった。

 盾が動き、ガレアの顔が映る。

 無傷、だと?

 

『威力の確認もかねて全員防御に回ったみたい』

 

 どうやら他の三人も彼の後ろに控えているようだ。

 

『プランC!』

 

 私は再度シュウを構えてゲロゴンブレスを放つ。

 固まっているなら好都合、その場で足止めしてしまおうというものだ。

 今回はゲロゴンブレスの切れる直前に、レゾンの魔法も彼らに襲いかかる。

 

 その隙に私も走り抜けていく。

 途中、いくつもの札がぼろぼろの状態で地面に散らばっていた。

 

『やっぱ仕掛けてたな』

 

 符術の神髄は、攻めよりもむしろ迎撃にある。

 大量に罠を仕掛けておき、相手の動きを封じさせることができる。

 ゲロゴンブレスで地面ごと焼き払い、相手の動きを封じつつトラップを消し去ったのだ。

 

 こちらも手を休めることはない。

 走りながら、第三のゲロゴンブレスを構える。

 目標は音楽堂だ。最悪、ガレアが防ぎきれず建物に直撃してしまってもいい。

 私が四人を足止めし、レゾンとロイエが先行する。

 

 ここでようやく動きがあった。

 ガレアの横から一つの閃光がロイエに向かって走った。

 閃光を、ロイエは彼の大剣で弾く。

 

 閃光はセラスだった。

 セラスとロイエが切り結ぶ。

 チートがなければおそらく五秒も持たないだろう。

 しかし今は互角以上に戦っている。

 

 なにあれ?

 すごすぎじゃないか。

 あのセラスの攻撃が容易に弾かれてる。

 それどころか、ティポタの見えない矢まで切り払われている。

 

『剣士専用スキル「踏み込みが足りん!」。魔法以外の攻撃を確実に切り払える』

 

 私もそういうの欲しかった。

 

『剣士じゃないと無理だね。これに大剣専用スキル「堅魂一擲」を組み合わせるとそこそこ戦える』

 

 なにそれ?

 

『反動がなくなる。もうちょっと言うなら、防御に使えば相手の勢いをそのまま相手に返せて、攻撃に使えばエネルギーが倍近くなる』

 

 なんかよくわからんのだけど、すごいな!

 

『それだけじゃ速さが足りないけど、そこはレゾンが的確に支援魔法で援護してる。二人への妨害魔法も的確だ。おもしろみはないけど、機械みたいに正確な戦い方をしてる。相手にしたくはないタイプ』

 

 とりあえずセラスとティポタはあの二人に任せ、私はガレアとリベルの相手をするとしよう。

 

 いよいよ接近戦になる。

 トラップの符術は全力で破壊したものの問題は盾のガレアだ。

 こいつが突破できずリベルに魔法の使用を許してしまう。

 

 左の小さな盾で斬撃は防がれ、弾かれたところに右の大きな盾をぶつけてくる。

 能力半減が効いているにも関わらず、突破することができない。

 

『今! ゲロゴンブレス!』

 

 この距離でか、と思うがとにかく使用する。

 さすがにガレアも全力で防御をしてくる。

 ガレアの盾だけでは間に合わず、リベルの符術も盾を作りブレスを緩和させている。

 

『全力で走ってリベルを!』

 

 ゲロゴンブレスを撃ちつつ全力でガレアの方へ走る。

 

『ステルス・オン』

 

 ガレアはすぐに盾を傾け、こちらを伺うも私の姿は確認できない。

 音ですぐに気づかれたが、もう通り過ぎている。

 

 そして、リベルに近づきシュウを振るった。

 魔法使いと言ってもさすがに極限級。

 かするだけであった。

 

『いや、単にメル姐さんが下手なだけ』

 

 シュウは小言を漏らす。

 小言を漏らすだけの余裕ができていた。

 

 私のチートスキル「盗人」は姿を隠すだの、逃げるだのに特化している。

 その中でも、とりわけバリエーションが多いのは状態異常付与だ。

 相手がボスモンスターでもかすれば動きが一瞬鈍る。

 

 状態異常を全てセットにして、極限級とはいえ人間に使うとどうなるか?

 間違いなく過剰付与だが、モンスター化してるから大丈夫だろう。

 その程度の考えだったし、間違いではなかったと思う。

 

 実はどうなるか、私もよくわかってなかった。

 人間相手には原則としてシュウは使わないようにしているからだ。

 

 だが今回、初めて知った。

 知りたくなかった。

 

『毒、麻痺、盲目、恐怖、痛覚逓増、サイレント、石化は微妙か、微呼吸、鈍化などなど』

 

 声のない絶叫をして喉を掻きむしり倒れてしまった。

 近くにいたガレアも感染により同様だ。

 

『リベルをあの二人の近くに投げて』

 

 抵抗を感じつつもリベルをセラスとティポタの中間くらいに投げつけた。

 ガレアと同じく感染により二人とも倒れてしまった。

 

 実際には倒れるまでにいろいろと動作があったが、細かいことは省いておく。

 ロイエとレゾンも合流し、音楽堂へ駆け抜ける。

 曲もあと少しで終わってしまう。

 

『待った!』

 

 シュウの停止の声と同時に、数十枚……いや数百枚の札が地面と横に浮かび上がる。

 

『……やるもんだねぇ』

 

 あれ?

 特に何も起きていない。

 爆発も発生してないし、音も出ていない。

 

 なんだ不発か……。

 右を見るとロイエが走る姿のまま止まっていた。

 左を見れば、レゾンが微妙に驚いた顔をして止まっている。

 

 なにこれ?

 

『時間停止の魔法』

 

 初めて聞いた。

 そんなすごい魔法があるのか?

 

『ある。まともに詠唱すると数日かかる代物。しかも、この空間範囲でこの持続時間を設定してるなら一ヶ月は軽くかかる。魔法陣で初めて存在が実証された魔法だよ』

 

 数百枚の札が絨毯のように牽かれ、左右には壁の如く並ぶ。

 確かにこれは準備するのにも時間がかかりそうだ。

 

 視点はまともだし、音もきちんと聞こえてる。

 無敵スキルではない。耐性スキルか。

 二人にも付けてやれよ。

 

『無理。この時空間耐性は、白竜倒したときの特殊スキルだから、メル姐さんにしか付けられない』

 

 あるってことは聞いてたけど、今まで使われたことがないため忘れていた。

 

『たまに発動してるんだけどね。転移魔法トラップを無効化したりしてくれてるし』

 

 それよりもこれを止められないのか。

 斬――

 

『ダメッ! 絶対俺を札に付けないでよ! 無理矢理解除したら時空が歪む!』

 

 なにやら洒落にならない代物らしい。

 札まであと少しのところでシュウを止めることができた。

 

『もしも、このトラップが全部攻撃魔法なら、俺たちの負けだったよ』

 

 ……そうだな。

 さすが極限級冒険者パーティ「悠久の紙片」だ。

 

 

 音楽堂の扉を開けて中に入った。

 

 時間もなく、時間停止魔法を解除できないので私一人だ。

 他があれだけ賑やかだというのにここだけは変わらずオルガンの音だけが響いている。

 

『罠はない』

 

 広い空間に私を除けば二人だけだ。

 

 演奏席に座り、手を動かすフリージア。

 なんかめっちゃ弾いてるけど、上達するの速すぎないか?

 

『モンスター化の影響と、魔力で操られてるだけ』

 

 なんだそういうことか。

 

 あと一人はそんな彼女を最前列の席で見ていた。

 

 通路を進みフリージアに行く途中でただ一人の観客が席を立ち私に対峙する。

 顔色は依然として悪いままだが、モンスターの化粧はしていない。

 

「お願いだ。邪魔をしないでくれ。もう少しで、あと少しで曲が終わるんだ。頼む……」

 

 今朝まで王だったとは思えないほど弱々しい声色だった。

 邪魔をしないで欲しいのも、ダンジョン化を阻むためなのか、純粋に曲を止めないで欲しいと思っているからなのか判別がつかない。

 

 悪いが止めさせてもらう。

 そう決めたんでな。

 

「どうしても止めるというのなら私を殺してからにしろ」

 

 彼は手を広げて私の進行を阻止しようとする。

 

「この演奏が終われば、僕たちは永遠になる。僕とロイエ、レゾン、リスィの娘であるフリージア、それに多くの人たちが一緒にだ」

 

 で?

 

「みんなで歌って、踊って、演奏を続ければきっと彼女は戻ってきてくれる! リスィは帰ってくるんだ! またここで――」

 

 よくわかった。

 

 ソレダー。

 私は貴方を尊敬する。

 王ではなく一人の人間としてだ。

 ダンジョンを作るなんて、普通は思わない。

 思ったとしても、実際に作るなんてできないだろう。

 

 私もシュウから話を聞いたが、大部分は理解すらできなかった。

 それを調べ上げて、思考し、実践して、実行に移す段取りも見事だった。

 他の人間は貴方を責めるかもしれない。カパァの仲間達も貴方を許さないのかもしれない。

 

 私は全て許そう。

 

 王都をまるごとダンジョンにする。

 悠久の紙片とも戦うことが全力で戦うことができる。

 

 全てを見る必要もない。

 素晴らしい。素晴らしすぎるダンジョンだ。

 見てくれ。感動のあまり涙まで出てきてしまった。

 

「だろう。そうだろう。この曲が終わればまた挑める! 何度でも挑めるんだ! モルタリスは永遠のダンジョンなんだ! 待っていてくれ! あと少しだ。ここにさらに一人加わる! 最高の音楽が! リスィが帰ってくる!」

 

 そうか、それはすごいな。

 きっと私の想像を超えているに違いない。

 王城の中も、ロビーから謁見の間まで見事なダンジョンなんだろう。

 

 挑みたくて……攻略したくて仕方がない。

 

 

 ――だが、消す。

 

 

「やれ、シュウ」

『合点承知之助兵衛』

 

 シュウの刀身が黒に染まる。

 

「なぜだ! そこまでわかっているなら――」

 

 私だって悲しい。

 素晴らしすぎるダンジョンだ。

 こんな素晴らしいダンジョンを自分の手で消すなんて。

 涙も流そう。

 

 シュウはますます黒くなる。

 私の涙すら黒で塗りつぶしてしまうように。

 

「どうして……?」

 

 約束したんでな。

 一緒にダンジョンへ行く、と。

 

「馬鹿、な」

 

 なんだ、わかってるじゃないか。

 私は馬鹿なんだよ。

 

 

 

 そして、全てはシュウに飲み込まれた。

 

 

 

6.遙か久遠の貴方:音楽堂

 

 あのダンジョン攻略から五日が経った。

 

 ダンジョンは消え去り、王都はただの街になった。

 悲しい。ほんと悲しい。

 

 恐ろしいことに、ダンジョンから戻ってすぐアルヒ祭が再開。

 みなダンジョンになった記憶が曖昧で、時間が昼になっていることに首を傾げていた。

 

 私は例の音楽堂にいる。

 今、ここには一人の人間を偲ぶ者たちが集まっていた。

 偲ばれている人間は演奏席の前に置かれた棺の中で静かに横たわる。

 

 かつて国民にソレダー王と呼ばれた男は、退位した翌日に死去した。

 人々は病気がよほど進行していたと話すがそれは違う。

 永遠に生きられないことを悟っただけだ。

 

『なぁにカッコつけてるの? 「永遠に生きられないことを悟っただけだ」キリッ』

 

 そこ、式の途中だぞ。

 静粛に。

 

 葬儀は、彼が好きだった音楽堂で行われている。

 私も隅っこのほうに参列させてもらっているわけである。

 

 後で大々的に国葬が行われるため、ここにいるのは親しかった者。

 それと社会的ステータスが高い者に限られる。

 

 もちろん悠久の紙片の四人とロイエ、レゾンもいる。

 ついでに私の隣にはフリージアが座る。

 

 フリージアは世間的には一般人だが、彼女からすれば父親の葬儀だ。

 私とロイエ、レゾン、悠久の紙片の面々で参列を推せば断れる者などいない。

 

 ちなみにもう一人の息子のアヴラ王とやらはよくやっている。

 いろいろな問題の後始末と新しい仕事の両方で休む暇もなさそうだ。

 

 カパァの両親らも城の地下で発見され、無事にクバール湿原へ返された。

 両親らは無事だったが、いくらかは殺してしまったことは事実。

 いろいろと問題になるだろうが、私の知ったことじゃない。

 

 送り届ける際にフリージアも連れて一緒にダンジョンを巡った。

 夜にはカパァも加わり、三人で散歩を楽しんだ。

 

 あとはこの葬儀が終わるのを待つだけである。

 しかし、式というのは眠いな。

 

 よくわからん服装をした、身分のよくわからん奴が、よくわからん話を長々としている。

 まったく、眠くなるというものだ……。

 ……………………。

 ……すやぁ。

 

 

 再び目を開けると音楽堂だった。

 

 もしかして寝てた?

 

『ぐっすりと』

 

 周囲を見れば、人がほとんどいない。

 悠久の紙片の四人に、ロイエとレゾン、それにフリージアが棺近くの席に座っている。

 リベルが喋っているところを見るに、長話に巻き込まれている模様だ。

 

 そんなことを思っているとリベルが席を立った。

 他の三人も続いて、通路を歩く。

 

 リベルが私に気づいて手招きする。

 ほいほいと私は彼女へ近寄った。

 

「ご飯、食べに行きませんか?」

 

 ……理解が追いつかなかった。

 

「一緒に行きましょう」

 

 他の三人も頷いて私を誘ってくれている。

 

 ――ここに最高のディナーが約束された。

 

 私を誘ってくれるなんて……。

 極限級パーティーは気遣いも極限級なのか。

 

『そうだね。あの三人がゆっくり話をできるよう、邪魔者を外に出す。最高の気遣いだね』

 

 演奏席を見ればロイエとレゾンにフリージアが棺を囲んでいる。

 

 ……なるほど、そういうことか。

 彼女たちも落ち着けて、私も幸せになるウィンウィンだな。

 

 音楽堂を出て地平線にかかりつつある夕日をみた。

 じきに日が暮れ、ご飯を食べて寝れば、あっという間に明日になる。

 

 王都での問題は全て片付いた。

 

 明日は王都を発ちフリージアを護衛して南西へ向かう。

 彼女の住んでいた街へ赴く。

 

 そして、彼女はソレダーが望みどおり、元の普通の生活に戻る。

 ……とは言っても、いろいろ知ってしまった。

 完全に元どおりとはいかないだろう。

 

 …………はて?

 何かがひっかかる。

 

 音楽堂でソレダーは、彼女もモンスター化させ永遠に生きるのだ、みたいなことを言っていた。

 でも、その前には普通の生活を送ってもらいたい、とも話していた気がする。

 

 どちらも嘘を言っていたようには見えなかった。

 だが、これら二つの言葉は相反しているのではないだろうか?

 

『同時に思ったら、確かに矛盾する』

 

 だよな。

 どっちかが嘘だったんだろうか。

 

『いいや。最初の直感通りだよ。どちらも嘘は言ってなかったと思うね』

 

 は?

 でも矛盾するって言ったじゃん。

 

『「同時に思ったら」ね。時間差があったでしょ』

 

 時間差って、お前。

 半日くらいしかなかったぞ。

 そうか、あの男はダンジョンに当てられておかしくなったのか。

 

『その疑問――メル姐さんにしては鋭かった。問題はまだ残ってるんだ』

 

 どういうことだ?

 カパァとフリージアの件も片付いた。

 例の音楽堂も魔力が吸い尽くされ、勝手に演奏しない。

 なにより一番重要であろうダンジョンの件も私自らの手でけりを付けたぞ。

 

『……エンディングまで言うんじゃない。――彼も言わなかったんだから』

 

 待ってみたがシュウは語らない。

 

 おい、どういうこと――、

 

 詳しく尋ねようと口を開いた――まさにそのときである。

 

 音楽堂の方から音が聞こえた。

 パイプオルガンの音だ。

 

『……馬鹿な』

 

 音は列を成し、旋律となる。

 そして、この曲は私も知っている。

 フリージアの母が最初に作ったという曲だ。

 

 どういうことだ!

 音楽堂の魔力は全て吸い込まれ、演奏はできないんだろう!

 それともフリージアが弾いているとでもいうのか!?

 

『違う。そんなちんけなものじゃない』

 

 悠久の紙片の四人は立ち尽くしていた。

 一人の例外もなく、目に涙を浮かべている。

 

『本当に来るとは……、やっぱりあのダンジョンは消して正解だった』

 

 落ち着いて聞けば、私でもわかる。

 音の一つ一つが超上級のボスモンスター並みだ。

 しかも、それが連続で絶え間なく襲いかかってくる。

 ドロップアイテムを拾う暇もない。

 

『ごめん。例えがダンジョン過ぎてまったくわからない』

 

 なあ、音楽堂の中にいるのってまさか。

 

『元凶――もとい、リスィだろうね。あぁ、この演奏だけ弾いたら帰るだろうから、音楽堂の中に入ろうだなんて思わない方がいい』

 

 さすがに入ろうとは思わない。

 ここで聞いているだけでも精一杯だ。

 中に入れば、いったいどうなるかわからない。

 

 今の心情に一番近い言葉はなんだろうか?

 美しい、綺麗、素晴らしい……どれもかすってはいるがたぶん違う。

 これはきっと「怖い」だ。

 

『それでいい。神のいる世界なんて人間が知るべきじゃないし。この世界は、神に近い人間がいるべき世界でも無い。それが例え、親だろうとだ』

 

 なんだかよくわからんが、皮肉なものだな。

 会いたくて、そして、聞きたくて仕方なかった人とその演奏が、死んでからじゃないと聞けないなんて。

 それに死なないと親子三人が揃わないなんて……。

 

『……そんなことないさ。きっとみんなが満足しているよ』

 

 そうだな……、私も信じよう。

 ずっと前に死んだリスィが出てきたくらいだ。

 きっとソレダーも棺の中で目を覚ましているに違いない。

 

 彼らの冒険は終わってしまったが、それは彼らの終わりではない。

 こうやってまたみんなで集まることもできる。

 永遠のパーティーなんだ。

 

 そう信じて私は立ち尽くす。

 

 

 

 こうして王都モルタリスでの日々は終わった。




 るるらーん。

『それにしてもこのメル、ノリノリである』

 そりゃ、そうだろ。
 そりゃ、そうですよってお前!
 跨幻橋パンタシアの攻略申請が通ったんだぞ!

 フリージアを難なく街まで送った私は、その足で跨幻橋パンタシアへ向かっている。
 前回のダンジョン――魔都モルタリス攻略は楽しかったが不完全燃焼だ。

 王城も入りたかったが、消してしまったものをどうこう言っても仕方ない。
 だが、もしも音楽堂にフリージアがいなかったら、きっとダンジョン化を止めなかっただろう。

 …………あ、そうだ思い出した。
 結局、なんでフリージアは音楽堂にいたんだ?
 ソレダー王は普通の生活を送ってもらいたいとその直前に話してただろ。
 矛盾を指摘したら、なんか問題が残ってる云々と言ってたよな。
 その後の出来事で今の今まで忘れていたが……。

『あぁ、それね。まあ、今ならもう話してもいいか。エンディングも迎えたし、フリージアもいない』

 いたらまずい話なのか?

『まあね。話すのはいいんだけど、王都で感じた思いとかがだいぶ変わるかもしれない』

 思いが、変わる?

『うん。俺の考えてる話を聞いたら、メル姐さんの中で綺麗に完結してる王都での印象が大きく崩れると思う。本当にそれでもいい?』

 思い返す。
 私の中で気になってることと言えば、先に感じた疑問のみ。
 ソレダーがダンジョンの気に当てられたとか、誤差の範囲と言われれば別にそれでも良い程度だ。
 確かに王都での出来事は、私なりに締めくくられている。
 それが崩れる可能性があるとシュウは言う。

 果たして私はシュウの話を聞くべきだろうか?

























 
 やはり気になる。

 教えてくれ。
 どうしてフリージアがいると話せなかったんだ?
 王都に残っている問題とは何だったんだ?

『……ところで、メル姐さんはレゾンをどう思った?』

 出たよ。
 伝家の宝刀――質問返しだ。
 しかし、質問返しをするときは割と重要な話だったりする。
 それに、答えないとそのまま話を流すからな。
 素直に答えておこう。

 冷たい奴だと思ったよ。

『うん。なるほど。でも、俺はそう思わない』

 そういやそんな話もしたな。
 わかりあえそうになかったから途中でやめてしまったはずだ。

 なぜそう思わないんだ?

 人の話はまともに聞いてやれない。
 相手の意志を容赦なく突き貫ぬく正論。
 思い出の音楽堂も壊してしまえばと良いという有様。
 これで冷たい奴じゃなかったら何だと言うんだ。

『そうだね』

 そうだろ。
 あいつには人並みの感情がないんじゃないか。

『それはない』

 ……はぁ。
 やっぱりわからない。

 なぜだ?
 どうしてお前はそう思うんだ?

『いろいろ疑問はあったけど、俺はふと思ったんだ』

 お前、妄想好きだもんな。

『ヘヘ、よせやい』

 褒めてない。
 で、何を思ったんだ。

『思ったと言うより、一つの仮定だね。本当に合ってるかどうかは知らんよ。でも、この仮定が真だとすれば、大抵のことは説明できる』

 私とお前のレゾンへの印象の違いもか?

『うん。それに王都で見たことの印象もまるっきり変わるね。メル姐さんは思ったことをぺらぺら語ってたけど、俺はほとんどそう思わなかった』

 もういい。長い。
 早くその仮定とやらを言え。

『では……、フリージアの母親はリスィ』

 うん。
 わかってる。
 父親はソレダーだろ。

『違う。彼女の父親はレゾン』



 …………は?

 理解が出来ず、当然納得もできない。
 こいつは今なんと言った?

『あくまで仮定だよ。彼女の父親はソレダーではなくレゾンと仮定。さらにレゾンはフリージアが自分の娘だと産まれる前からわかってるとする』

 なかなか受け入れづらい仮定だな。
 まあいい。そう仮定するとどうなるんだ?

『フリージアは産まれてすぐ、王都から連れ出された』

 ああ、ソレダーが話してたな。

『兵士は魔物に襲われて死んだ。でも、フリージアは生きてた。なぜ?』

 赤子がモンスターを倒せるはずはない。
 誰かが助けたんだろう。

『それがレゾンだ。彼が兵士の後を追って、どこに連れていくのか見ていた。でも、途中で魔物に襲われてレゾンが助けて、そのままフリージアを信用のおける誰かに託した。自分の娘を危険から遠ざけた。ソレダーは明らかにやってることがおかしいかったからね』

 ……まぁ、ありえるのかもしれない。
 仮定が正しければ。

『王がこの話をしたときに、まったく驚かずに経緯だけ話させたのは、そんなことはとっくに知ってるし、気持ちの解説なんて聞いたって馬鹿らしくて呆れるだけだから』

 そう、だな。
 きちんと理由を聞いてないが、王都から連れ出した意味がわからない。
 それにデクラン山窟を通ったのも意味不明だ。
 危なすぎる。

『連れ出した理由はなんとなくわかる。まぁ、そんなことは今はいいや。フリージアも、あの山窟を通った朧気な記憶があるって話してたからね』

 言ってたっけ?

『言ってた。赤子のときだから、本当は別の記憶かもしれない。さてさて、時は流れてフリージアは大きくなった。その姿は母親にそっくりで、どちらの父親にも似てなかった』

 ……少なくともソレダーには似てなかった。

『ソレダーはリスィに似てる娘がいるって噂を聞いて、その真偽を確認した』

 言ってたな。

『でも、残念。母親はリスィで間違いないけど、父親はソレダーじゃなく別の誰かだった』

 そいつはショックだろう。

『ソレダーがダンジョン召喚を決めたのはおそらくこのときだ。パイプオルガンで魔力供給ができるかもしれないし、死んだリスィへの情熱が戻ったからだ。でも、フリージアはリスィの娘だけど、自分の娘じゃない。どこの馬の骨ともわからない奴の血が混ざってる。それが彼には受け入れられなかった。だからフリージアには彼のダンジョンの及ばないところで普通に生きて欲しかった』

 ……それで?

『でも、ソレダーは気づいてしまったんだ――フリージアがレゾンの娘だと。友人であり戦友でもあるレゾンとの娘だ。そして、もちろんリスィの娘でもある。それなら、彼女も永遠のダンジョンに、リスィが帰ってくるかもしれない世界に入れてもいい。だから、半日前の言とは打って変わって彼女はあそこにいることになった』

 なるほど、それならいてもおかしくない。
 そもそもだ。なんでレゾンが好きなのにソレダーと結婚したんだ。

『本当は、結婚するつもりなんてなかったんじゃないかな。大好きだったレゾンに振り向いてもらいたかったがために、付き合ったふりをしてたのかも。それが、ソレダーが急に王になることになって、退くに退けず流れで王妃になっちゃった』

 待て。
 どうしてリスィがレゾンを好きだったとわかる?
 たしかにレゾンがリスィを好きになるとは考えづらいが……。

『あの音楽覚えてる? リスィが最初に作ったとかいうの』

 あぁ、良い曲だよな。
 それに彼女の演奏はすさまじかった。

『うん。演奏のすさまじさでみんな忘れがちだけど、曲のタイトル覚えてる?』

 なんだっけ?
 パーティーの名前と一緒だったよな。

『「銀色の旋律」だよ。わかる? 銀色はレゾンで、旋律はリスィだ。つまり、レゾンのリスィ。私は貴方のものですって、タイトルで堂々と告白してるんだ。しかもパーティー名にもするとか惚気もいいところじゃないか!』

 なんか怒ってる。
 羨ましいのかもしれない。

『妬ましいの! 最後にリスィが降りてきたじゃん。そのときにこの曲を演奏したんだよ!』

 そうだったな。
 ソレダーの死を弔って――

『ンな訳ないじゃん! リスィにとってソレダーはね。何か勘違いして、勝手に自己満足してる哀れな男くらいだったと思うよ。「自己満足君が死んで、ようやく私は遙か久遠の貴方の元に帰ることができました。たしかにソレダーとは寝ちゃったけど、私は今もこの通り貴方を愛しています。貴方だけのものです」って示してるのがあの演奏だよ。すさまじかったでしょ。愛って怖いんだよ。しかもそこにはレゾンの他に二人の愛の結晶と、佳き友人がいた。死んで世界から消え去ったソレダー以外のみんなが満足した終わりだね』

 なんか……、なんだろう。
 私が思っていたのとかなり大きく違う。
 跡形もないくらいだ。でも、不思議と納得はできた。

『俺もすごい勘違いしてるなぁとは思ってたけど、言えなかったからね』

 ああ、それだ。
 なんで言えなかったんだ?

『レゾンは、フリージアに自分が父親だとは言わなかったでしょ』

 たしかにそんなそぶりは見せなかった。

『そぶりはちょこちょこ見せてたよ。思い返してみるといい。でも、ただ一度の例外を除いて、フリージアには極力見せないようにしてたね。彼は彼なりに彼女を愛してたんだ。ずっと、彼女を影ながら見守ってきたし、すごい心配もしてた』

 だから、なぜだ?
 どうしてあいつは自分が父親だと言わない?

『言わない理由は、その一度の例外で明言してた。そして、その発言でレゾンがリスィの父親だとソレダーに気づかせてしまった』

 …………だめだ、思い出せない。
 あいつは何と言ったんだ?

『「フリージアに普通の生活を送ってもらいたいと思っていたのなら、静かに見守るにとどめていたはずだ」――レゾンはそう言った。その後の台詞もそうだ。一度ならず二度までも彼女を危険に巻き込んだ馬鹿野郎に激怒してたんだよ。正論で隠してはいたけどね』

 ……ソレダーは父親がレゾンだと気づいた、と。
 でも、フリージアには伝えなかったんだな。

『言えるわけがない。俺だって言えなかった。彼は正しい。しかし、その正しさ故に人に口を挟ませない』

 レゾンがフリージアを愛していたのはよくわかった。
 でも、リスィは本当に好きだったのか?

『何をいまさら。他の誰よりも彼女を見てたでしょ』

 心底呆れた声で返された。

 いや待て、しかしだな。
 奴は音楽堂を壊してしまえばいいと言ってたぞ。

『他の人間が彼女のどこを好きと語った? 誰もが口を揃えて「演奏」が好きだって抜かしたんだ。その大好きな「演奏」を見て、聞くための音楽堂? 馬鹿馬鹿しい。誰も「彼女」を見てない。だが彼は違う。こう言ったんだ――「建物は壊れたら作り直せば良い」ってね。その通りじゃないか。音楽堂のどこにリスィがいた? どこにもいない。いたのは演奏を真似るだけの魔力体だけだ』

 だがレゾンはリスィを想うのに音楽堂を必要としていなかった。
 彼だけが真に「彼女」を見ていた、と

『そう。彼だけが正しく見ていた』

 演奏でもなく、音楽堂でもない。



 遙か演奏の彼方にいる彼女ではなく、無為にして此方にいた彼女を。

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