チートな剣とダンジョンへ行こう   作:雪夜小路

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蛇足04話「海の水着は全て夢」

 やってきました大陸東端の都――ネクタリス。

 

 透き通る薄青い水。

 日の光を反射する白い砂浜。

 天日塩がまぶられた、取れたての海の幸。

『豊乳を水着の中で惜しげもなく揺らすお姉様方』

 そして、なによりも超上級ダンジョンのインブリウム水路。

 ……などなど、聞いていただけでも心躍る出来事が盛りだくさんだ。

 

 ――しかし、現実は非情である。

 

 現在、私が立っているのは静かの海に臨む海岸。

 名前の通り普段は穏やかな海が水平線を見せてくれるそうだ。

 

 だが、目の前の海はどう見ても大荒れだ。

 海は大きな波を遠方から砂浜まで運んできている。

 波は白く泡立ち、とても透き通る薄青色には見えない。

 砂浜も空のどんよりした天気を映しているのかどちらかと言えば灰色だ。

 遠く右方に見える岸には、海に出られず陸に固定された船がずらりと並ぶ。

 

『どういうことだ? 水着は? 胸は? お姉さん達は?』

 

 私も少し残念だが、シュウはそれ以上のショックを受けている。

 この悔しがりようを見られただけでも私は大満足である。

 ダンジョンさえ行けるなら他は割とどうでもいい。

 いやぁー、実に残念だったねぇ、シュウ君。

 

『そ、そんな馬鹿な。今回はメル姐さんの水着回でしょ。こんなの! こんなの……絶対おかしいよ』

 

 この落ち込みよう!

 駄目だ。まだ笑うな。こらえるんだ。し、しかし、これは…………。

 

 このあと滅茶苦茶失笑した。

 

 

 

 海も見たし、ギルドへ向かうことにした。

 ダンジョンの情報を得たのち、ダンジョンへ向かう。

 ネクタリス近辺には中級と超上級の二つのダンジョンがある。

 超上級はあとの楽しみにとっておき、まずは中級へ挑むと決めた。

 

 ギルドの中は人が溢れている。

 これは面倒だ。待ち時間が長いだろう。

 と、思いきやそんなことはなく、すんなり受付にたどり着けた。

 

 とりあえず、受付で中級と超上級の情報だけ購入して話を聞く。

 どうやら中級はとても長いだけで、特に注意するべき点はないらしい。

 逆に、超上級は道中がものすごく短く、モンスターも確認されていないと話す。

 ただし、超上級は道中とボス部屋が完全に水没しているらしい。

 

 記憶担当がふてくされて話を聞かないが、これくらいの情報量なら私でも覚えることができる。

 

 

 

 中級ダンジョンへ向かう道中、小高い丘を通ったときだ。

 遠目でも見えてはいたが、頂上に身長の倍程度ある石像が立っていた。

 石像は太い金属製の柵に囲まれ立ち入りが制限されている。

 

 蛇? 

 いや違うか。

 長細い胴体と鱗で蛇だと思ったが、なにやら手と足が生えている。

 蛇に手や足はない。石像の頭には小さな角がついている。

 手から伸びる三本の爪がどす黒い玉を掴む。

 

 なんだこれ?

 

「海龍様だ」

 

 石像の後ろだろうか、誰かいたようだ。

 私の心を読んだような解答が柵の内側から返ってきた。

 

『心を読んだっておおげさな……。普通に口に出てたよ』

 

 えっ、ほんと?

 

 海岸を離れてから初めて記憶担当が喋った。

 どうやら機嫌が戻ってきたらしい。

 

 シュウと話しているうちに石像の影から人が出てくる。

 やや細身だが、その堂々とした立ち姿に力強い印象を感じる男だ。

 私の方をちらりと見るとそのまま石像の前に立ち、黒い玉を見つめる。

 

 海龍様?

 

「そう。海龍様の加護のおかげでネクタリスは安定を保っている。モンスターの襲撃が過去にないのも海龍様のおかげだ」

 

 ふーん、これが龍なのか。

 私の知っているドラゴンとはかなり違うな。

 翼もないし、胴体も蛇みたいに細い。それに牙も小さい。

 そういえば、その手に持ってる黒い玉はなんなんだ?

 

「青水晶だ。これを介して海龍様の力を引き出している」

 

 青水晶?

 黒にしか見えないんだが。

 そういえばネクタリスの安定とか言ってたが、海が荒れてるのはどうしてなんだ?

 時期が悪かったのか。

 

 男は何も答えない。

 またもや私の方をちらりと見ただけである。

 

「一人で『殻』に挑むのか」

 

 私の質問を無視して、逆に質問をしてきた。

 ……殻ってなんのこと?

 

『中級ダンジョンのことだよ。ギルドの受付嬢が話してたじゃん。地元の人はそう呼ぶってさ』

 

 そんなこと言ってたっけ?

 ダンジョンそのものに関係ないことだからな。

 覚えるメリットが感じられなかったから聞き流したんだろう。

 

『Oh、クレイジーサイコメル……。ちなみに超上級ダンジョンは「珠」ね』

 

 そうだったっけ。

 ひとまず質問には返しておこう。

 そうだよソロで挑むんだよ。殻をクリアしたら珠にも挑む、もちろんソロでな!

 なんか文句あるか?!

 

『ぼっちを指摘されたからって、そんな僻まなくても』

 

 うるさいな。僻んでなんかない。

 

「準備は万全か? 殻は道が長く、奥に行くほど寒くなる。防寒対策を十分にしておけ。火の魔法が使えるやつと組むべきだ。」

 

 あ、ああ。

 まさかマジメに心配されると思わず、たじろいでしまった。

 心配してくれるのはありがたいが問題ない。

 ギルドで情報を得て準備は万全だ。

 

「それと、最近はモンスターが凶暴になっているとの報告もある。無理そうだと思ったら引き返せ! 命あってこそだ!」

 

 そうなのか。凶暴になっているというのは聞いていなかった。

 引き返すことなどないと思うが、最後の言葉には賛成だ。

 命あってこそのダンジョン攻略だ。

 

『さすが初心者の森で一人こそこそと生き延びてきた奴の台詞は重みがあるなー!』

 

 うっせぇ。

 そろそろ行くぞ。

 

 こうして中級ダンジョンの攻略を開始した。

 

 

 

 なぜ中級ダンジョンが殻と呼ばれているかわかった。

 奥のボスが殻にこもっていたからだ。ちなみにドロップアイテムも殻だった。

 中級程度なので苦戦もすることなくあっさり倒すことができた。

 途中の敵もまるで問題にならない。

 

 ただ、問題が一つ。

 道中が非常にめんどくさい。

 ボス部屋に到達するまで丸二日かかった。

 ここまで長いダンジョンはナギム廃坑以来だろうか。

 ナギム廃坑は行きと帰りで違う道だが、ここは同じ道のりだ。

 おもしろさもあったものじゃない。

 やれやれだ。

 

 時間がかかるのは実際に距離が長いということが一つ。

 それに潮の満ち引きで通れる場所が変わるということも大きい。

 いちおうチートで水の中でも呼吸ができるようになったが、非常に進みづらい。

 モンスターも水の中では動きが速くなるし、逆にこちらは遅くなる。

 目もよく見えなくなるし、耳も聞こえない。喋るのも難しい。

 さらに泳ぐのは好きじゃないので水中を歩いている。

 

 それでも普通に挑めば往復で七日はかかる、と言われているところを三・四日でクリアできそうなので良しするべきだろう。

 そんなことを考え、水の中を歩いていたときだ。

 

『……おかしいな』

 

 なにがだ?

 

『水の中で無理に喋らなくていいよ。ごぼごぼ言ってよく聞き取れないから』

 

 喋ってる自覚はなかったんだがな。

 口の中がしょっぱい。

 

『いま歩いてるこの道だけどさ』

 

 うん、と頷いてみせる。

 

『行きは海水がなかったんだよね』

 

 そうだっただろうか。

 どこも似たような道で記憶にない。

 水の中はどこも道がうねうねしてるからな。

 気のせいじゃないか、と首をひねる。

 

『いやいや、そんなことはないよ。ほら、そこの下り坂の壁面を見て。フジツボ、えっとちっこい丸いやつね。それが途中からくっついてるでしょ』

 

 言われて壁を見下ろす。

 普通の岩だった壁が、ある高さから下になると小さな丸が壁を覆うようになっていた。

 ほんとだ。よく見ると、つぶつぶがたくさんで気持ち悪いな。

 で、これがなんなんだ?

 

『フジツボってさ。海水があるところに生息するんだ。つまり普段はその高さくらいまでしか海水がないんだよね』

 

 へぇー、そうなのか。というかこれ生きてるの?

 でも、よくよく見てみると上の壁にもちょこちょこいるぞ。

 潮の満ち引きもあるから、今はちょうど潮が満ちているんじゃないか。

 

 そんな感じで特に意識することなくダンジョンを逆行していった。

 途中でシュウが何度か海水面の位置を話したが、あまり意識しなかった。

 たしかに行きよりも帰りのほうが水中を歩いていた気がするな、と感じた程度だ。

 潮の満ち引きなんて日によって差があるものだと思っていたが、最後のあたり、すなわち、ダンジョンの入り口でようやく異変に気づいた。

 

 

”満潮時

 ここまで↓”

 

 そう矢印とともに書かれた看板が立てられていた。

 満潮時でも水面が最高ここまでしかこないという目安だろう。

 

 ――その看板が完全に水没していた。

 それどころか洞穴の入り口天井まで完全に水没している。

 

『あのさ。潮の満ち引きって日によって大きく変化する訳じゃないんだ。たしかに海上の気圧や風力で変わるだろうけど、ここまでくると異常としか言いようがないよ』

 

 まあ、元々この中級ダンジョンは町よりも低い位置にある。

 異常と大げさに言ってもダンジョンの中だけで町のほうにまで影響はないだろう。

 ギルドに異常を報告してさっさと超上級ダンジョンに向かおう。

 

 

 

 甘かったと言わざるを得ない。

 ギルドの扉は完全に閉ざされていた。

 ギルドだけではない。他の民家や商店も同様だ。

 見える範囲に人が存在しない。

 

『こいつはたまげたなぁ〜』

 

 いやいや、そんな暢気に言ってる場合じゃないだろう。

 

 海水が完全に町を侵食していた。

 水面は今や私の胸の高さにまできている。

 ときどき腰の辺りを魚が泳いで行くのも見える。

 

『活きの良い魚が艶めかしい肢体を駆け巡る! わっふるわっふる!』

 

 冗談につきあってる場合じゃない。

 住人はいったいどこに消えたのだろうか。

 辺りを見渡すと青い光が目に入った。

 

『石像のあった丘の方だね』

 

 うむ。

 行ってみるとしよう。

 

 

 丘の側には小舟が二隻浮かんでいた。

 さらに水龍の石像の側には見覚えのある人物が立っている。

 もう一人知らない人物が背を向けて石像の前でなにやら詠唱している。

 私が近寄るとあちらもこちらに気づき、目を見開き走って詰め寄ってきた。

 

「どうしてこんなところにいる!」

 

 いきなり怒鳴られた。

 いや、そう言われてもダンジョンから戻ったら町が水浸しになってたんだが。

 

「ダンジョン? 馬鹿な……、殻は二日前には水没していたと報告が入っている。自分も確認した」

 

 やっぱりそうなのか。

 入り口も完全に水没していたからな。

 行きよりも帰りに時間を使ってしまった。

 

「……なんにせよ、無事で良かった。避難するぞ。来い! ロー、自分はいったん本部に戻る。お前はそのまま詠唱を続けろ! 何かあったら、すぐに報告だ!」

「了解しました!」

 

 勢いで船に乗せられ、町の中を進んでいく。

 

「いったい何が起こっているんだ?」

 

 少し落ち着いたところで疑問を口にする。

 

「海龍様の持つ青水晶を覚えているか?」

 

 青水晶……、ああ青水晶なのに黒いやつのことか。

 

「そうだ。今でこそ黒だが、数年前までは青どころか無色透明な水晶だった」

 

 へぇ、あれがか。

 信じられんな。

 

「だろうな。数年前から徐々に黒が滲み始めた。ここ数ヶ月は顕著だ。そして、黒に染まるとともに、静かの海も静寂を失い始めた」

 

 ほぉん、海の荒れがたかが水晶に引き起こせるものなのか。

 

「起こせる。過去の文献からも読み取れている。こうなることはわかりきっていたのだから、早めの対策を、とギルドと領主に提案していたのに……。おっと、すまない。ついつい愚痴が漏れてしまった。忘れてくれ」

 

 大丈夫だ。気にしていない。

 私もよく愚痴を漏らすからな。

 

『そうだよね。メル姐さん愚痴ばっかだよね、ほんとやんなっちゃう』

 

 大半はお前に対する愚痴だぞ。

 わかってんのかオイ。

 

 

 話しているうちに町を抜け、高台に船を着けた。

 高台と言ってもそこまで高いわけではない。

 すぐ上の方から声が聞こえてくる。

 どうやら避難者がすぐそばにいるようだ。

 

「局長!」

 

 坂の上から一人の男が走ってくる。

 

「どうした?!」

 

 隣のおっさんが返事をする。

 局長がなんなのか知らないがお偉いさんだったようだ。

 

「ゼリム子爵が避難所の件で話があるとお呼びです」

 

 子爵……。

 なんかすごいのが出てきたな。

 

「放っておけ。どうせ割り当てられた避難所が狭いと言うだけだ。今は全住人を入れることが最優先だ。どうしても嫌なら穴でも掘って潜っていろと伝えておけ」

「いや、それは……」

 

 私でもさすがにそこまでは言えない。

 

『だよね。メル姐さんは口も態度も臭いも悪いけど、割と小心者だしね』

 

 臭いは関係ないでしょ。そろそろ怒るよ?

 

「アルとイオは帰ってきているか?」

「アルは先ほど帰ってきました。セルス村の受け入れ体勢を確認できたようです」

「よし、カイ! アルにさっそく第一地区の住人をセルスに移していくよう伝えろ。それとイオが帰ってきたら、そのまま第三地区の住民を移すように言っておけ。護衛は手はず通り第一・二地区が騎士団。第三・四地区を冒険者だ!」

「はい!」

 

 カイと呼ばれた男は元気よく返事をして背を向けたが、すぐにこちらにむき直す。

 

「ギーグ局長。自分は今からアルに局長の指示を伝えてきますので、局長はどうか子爵のところを伺ってみてください」

 

 ギーグは顰めっ面で頷き、わかったから早く行けと手を払った。

 カイが逃げるように走り去るとギーグはこちらをむき直す。

 

「避難所を割り振りたいが、場所も人手も足りん! 悪いが少しつきあってくれ! すぐ済む!」

 

 お、おう。

 考える前に思わず頷いてしまった。

 

『勢いの力ってすごいね。やっぱりぐだぐだうじうじやるよりも、一気に押し倒した方がいいのかな』

 

 何の話?

 続きを話しても良いけど、私に聞く気はないぞ。

 

 

 仕方ないのでギーグについていき、掘っ建て小屋に来た。

 私は中に入れてもらえず小屋の外で待っている。

 

 外でも聞こえるほどの声で子爵とギーグが言い争う。

「狭い」「早く別の場所に移せ」「問題を解決しろ」と子爵が吠え。

「狭いなら外に出ろ」「別の場所は全て一杯だ。得意の土魔法で穴でも掘って入ってろ」「現在、できる限りの対処は行っている。より確実な対処は三ヶ月前に説明した。その期を逃したのだから、現対処法では効果も薄い。我々にできる最良の選択は逃げることだ」とギーグが言い返していく。

 

『すごいね。局長って呼ばれてたけど、子爵にまったく物怖じしてない。それどころか、勢いで子爵をねじ伏せてる』

 

 うむ。

 子爵の言葉は徐々に勢いを失い、ギーグの勢いは増していっている。

 伝言では子爵本人もいないから好きなことを言えると思っていた。

 まさか本人を前にしても同じことを言うとは……。

 

 ついに言い争いは終わった。

 責任、地位、領地云々といよいよ子爵はギーグに泣きつき始めた。

 

「頼むギーグ。なんとかしてくれ……」

「言われずとも全力は尽くしている。それが自分の仕事だからな。閣下もご自身の責務を果たすべきでしょう。椅子に座って泣いていて問題が解決できますか?」

 

 そこまで言うと足音がこっちに近づいてくる。

 どうやら言うべきことは言ったということらしい。

 扉に耳を近づけていた私は慌てて扉から離れる。

 

 扉から目を離し、来た道を目でたどると一人の男が走ってきた。

 あれはたしか…………誰だっけ。

 

『水龍の石像の前で詠唱をしてた人。ローって呼ばれてた』

 

 ふむ、それだそれだ。

 顔には明らかな焦りを貼り付け、まっすぐこちらに向かってくる。

 脇に避けて道を譲ると、私を見ることもなく小屋の扉を勢いよく開けた。

 ちょうど小屋から出ようとしていたギーグと鉢合わせる形になった。

 すこし驚きながらもローは言葉を繰り出す。

 

「局長! 青水晶にヒビが入りました!」

 

 ギーグは目を見開き、後ろで椅子に座っていた小太りの男は奇声を発する。

 

『不謹慎なんだけどさ。おもしろくなってきたね』

 

 たしかにそうだ。

 いちおう当事者なんだがな。

 一歩離れた位置にいるためだろうか、それほど緊張感はない。

 次から次へと起こる出来事に退屈しないですむ。

 

「ギーグ! ヒビが入るとどうなるのだ! いったい何が起こるというのだ?!」

 

 小太り子爵は顔を歪めて尋ねる。

 

「以前に説明したでしょう」

 

 子爵とは対照的にギーグは静かにぴしゃり。

 私もどうなるのか気になる。

 ギーグは説明する気がないようで、目を瞑り思案しているように見える。

 

 仕方ないのでローを見る。

 子爵やお供の人の視線も集まり、ローは観念して口を開いた。

 

「過去の文献には、青水晶にヒビが入った事例が二件確認されています」

 

 なんだ。

 二回もあるのか。

 初めてって訳じゃないんだな。

 

「一件は青水晶を即座に入れ替え『鎮水の儀』を催したところ、しだいに潮は引き、波は静まり、海は平穏を取り戻した、と」

 

 おお、なんだ。

 よかったじゃないか。

 青水晶を入れ替えれば、万事解決だ。

 

 私の言葉に対して返答はない。

 誰もが静かに黙り込み、目を伏せる。

 シュウだけが楽しそうにクスクスと笑う。

 なんだ? なぜ黙る? 変なこと言ったか?

 

「青水晶に、予備は――ない」

 

 訪れたしばしの沈黙をギーグが破る。

 

『ですよね〜』

 

 もう一件の事例は――、とローが話し始める。

 

「ヒビを放置し、青水晶が割れています」

 

 おお、今回はそちらになるわけか。

 そっちの場合はどうなったんだ。

 

「水晶が割れたのち、地は獣のごとく唸り、大地を揺るがす。一時の間に潮は町より完全に引き、砂浜からも水が消失した、と」

 

 なんだ町から潮が引いたならいいんじゃないか。

 水が消えた方がまずいってことなのか?

 ほっとけば、そのうち戻るだろ。

 今もあるんだしさ。

 

『いや、うん、確かに水が戻ることは戻るんだけど……。地震の後に潮が引いたってことはね。ちょっと洒落にならないかも』

 

 先ほどまでむかつくほど楽しそうに笑っていたシュウからおふざけ成分が消えた。

 これは相当まずい状況であることを意味する。

 どう、なるんだ?

 

「一刻ののち、遙か遠方より青き壁が押し寄せり。壁は高き水であった。水は悉くを海に帰した、と」

 

 要するにどういうことだ。

 

『津波だね。海見たときに大きな波が出てたでしょ。あれのさらにでかいやつが町を壊したってこと』

 

 でも、水の波でしょ。

 そこまですごいことになるの?

 昔の人がおおげさに書いただけじゃないか?

 

『津波をなめすぎ。普段の波は水面だけみたいなもんだけどね。津波は水面から水底の全体が大きな波になるんだ。あの程度の町並みじゃ全部押し流されて、引き波で海に引きずられちゃうよ。残るのはせいぜい基礎部分とそれにひっかかったガレキだけ』

 

 どうやら本当に冗談じゃないらしい。

 町が壊れたらギルドはどうなるんだろうか?

 せっかく来たのに超上級ダンジョンに挑めなくなるのか?

 

『メル姐さんの言動が屑すぎて、頭がフットーしそうだよぉ!』

 

 そうだな。

 ダンジョンどころじゃないか。

 

 いや、待てよ。

 水晶が割れて町が流されたなら、さっき見た水晶はいつ手に入れたんだ。

 そもそもこの町はどうして今あるんだ?

 

「その後は文献が紛失しています。数百年も以前のことですからね。おそらくは、波が引いたあとに再度入手して嵌めたと考えられます。町の復興も鎮水の後に行われたのでしょう。ゼロから今の町並みに戻すのとしたら、果たして数年で足りるかどうか」

 

 ローの説明が終わると同時に、地面の底から低く唸る音が聞こえてきた。

 音を追いかけるように地面が小さく揺れ、すぐに大きな振動に変わる。

 ギーグが「伏せろ!」、「柱に掴まれ!」と吠えているうちに揺れは収まった。

 

「青水晶が割れたか!?」

 

 ギーグが声を荒げると、子爵も「あぁ、あぁ!」とうめき始める。

 

「もう終わりだぁ! 私の領地が、屋敷が。どうして、どうして今こんなことに……」

 

 子爵がうわごとのように呟き、ばたりと倒れる。

 口からよだれを垂らし、体を震わせ、うずくまっていた。

 周囲の者が慌てて駆けより声をかけている。

 ただし、ギーグとローは別だ。

 あと私もか。

 

『だめだ、こいつ。もうどうしようもない』

 

 シュウが私の心を代弁してくれた。

 

「うるさい邪魔者は消えた! 行くぞ、ロー!」

 

 すでにギーグは走りながら、追従するローに指示を出す。

 

「ここも高度が低く安全とは限らない! 予定よりも早いが全住人の輸送を行うぞ! 騎士団には子爵の代わりに自分が指揮を執ると伝えろ。お前はさっそくアルとともに第一・第二地区の輸送に移れ! 街道沿いのルートはすでに波が高いと報告にあるから駄目だ。丘を登るルートに切り替えろ。道幅は狭いが、こちらなら海から距離も高さも取れる!」

「わかりました! ギルドの方はどうしますか?!」

 

 道の分かれ目で立ち止まりローが問いを投げかける。

 

「支配人のところには自分が行く! 第三・第四地区住人の輸送護衛に冒険者を今すぐつけさせる! カイにいつでも出発できるよう準備させておけ!」

「了解です!」

 

 そうして彼らは道で二手に分かれた。

 私も冒険者なのでギーグについていく。

 

 

 前回同様、私は小屋の前でギーグとギルド支配人の話し合いを盗み聞きしている。

 

「支配人! 冒険者たちの護衛が予定数より大幅に少ない。これはどういうことだ?!」

 

 そうなのだ。

 この小屋に向かう途中でカイとかいう局員が報告に来た。

 第三・第四地区住人の輸送護衛に当たる冒険者の数が少なかった、と。

 しかも、護衛に当たる冒険者の多くが初級・中級と実力に問題がある者ばかりである。

 

「いや。それがですな、ギーグ局長。我々も要請通りに依頼を発注しました。ところが、依頼料がどうにも少なく、上級・中級者の方々には依頼を拒否されまして」

「地震があっただろ?! 地面に足が着いていたか? 緊急事態だ! どうにかしてでも冒険者動かすのがギルドの仕事だろう!」

 

 ギーグは扉越しでも耳が痛くなるほど吠えている。

 よく考えるとこの男は出会ってから静かに喋っている記憶があまりない。

 

「そうは言われましてもね。依頼を受けるか受けないかの最終的な判断は冒険者の方たちの自由意志ですから。彼らを動かすにはどうしても先立つものが必要となります」

 

 これは支配人の言うとおりだ。

 受けたくない依頼は受けない、冒険者の鉄則とも言える。

 逆に安くても依頼を受けるときは受けるのだ。

 

『やりたいことだけやってる、迷惑者の自由集団だもんね』

 

 たしかにそういうのが多いよ。多いけどさ。

 もうちょっと良い言い方はなかったの。

 

 依頼の受注が自由とは言っても、ギルドは圧力をかけることはできる。

 受けないとギルドからの信用が下がり、依頼を回されなくなったり変な噂が流れることもある『――と、経験者は語る』。

 

 いやいや、私はそんなにひどくなかったよ。

 薬草を集めるなら彼女において他はいないってことでさ。

 薬草集めや粘液回収の依頼をたくさん回してもらってたからね。

 

「冒険者を集められる金額を提示したのはそちらだ。我々はその金額をすでに支払った。契約は成立している! 数をそろえられないというのなら、ギルド側の落ち度だ!」

「依頼料は状況によっても変わりますので。局長のおっしゃるよう、緊急事態ですからね。変動もやむなしかと」

 

 ギーグの怒声にもひるむことなく支配人は静かに対応していく。

 

「……よくわかった。護衛の人員は必須だからな」

 

 深く息を吐き出すようにギーグが声を流す。

 

「さすがは危機管理局の長。わかって頂けたようでなによりです。それで、残りの人員を集めるための見積り金額ですが――」

「二年前と十ヶ月前のことだが! 青水晶を確保するため、冒険者へ依頼を出すようにギルドへ要請した! 覚えているか?!」

 

 支配人の話を遮り、ギーグが再び声を張らせる。

 

「え、ええ。覚えていますよ。超上級パーティーを二度呼びましたね。どちらも要望には添うことができず、当ギルドとしても――」

「事後になるが、当局でも彼らについて調べさせてもらった」

「えっ?」

「我々が要請したのは経験豊富で実力のある超上級パーティーだ! そうだったな?!」

『流れが変わったな……』

 

 うむ、なんだかな。

 支配人がうろたえ始めたぞ。

 

「最近、実施した当局の調べではどちらのパーティーも超上級に成り立てで、実力も上級クリアがせいぜいとなっていたが、これはどういうことだ?!」

「確かに彼らは成り立てですが、実力は――」

「さらにだ! 調査によると、こちらの先払いした金額の半分も彼らは受け取っていないと出たが、これはなんだ?!」

「そ、それは――」

「とあるギルド職員によると、要請した当時、ギルド本部へ大きな金の流れがあったそうだ! 支配人、それでお前も本部から高い評価を受けたと聞いている!」

 

 怒声が止まり、静寂が舞い降りた。

 次にどちらが何を喋るのか気になり、扉に耳をピタリとつける。

 

「ど、どうやらギーグ局長は大きな誤解をなされているようです。我々ギルドは常に正当な職務を全うすることを心がけています。おそらく調査に間違いが――」

「そうだな! 間違いがあるかもしれない。すでに当局では先の案件を書類にまとめた! この書類は自分の声一つで王国側とギルド本部に即時送られる! 間違いがあるかどうかはそちらの判断に委ねよう!」

「お、お待ちくだ――」

「それより支配人! 既に述べたように、今は緊急事態だ! 書類の一つや二つは有耶無耶になって消えるかもしれない! だがしかし! 我々が責任を持って行うべきは重役の首を切るための書類保護ではない! 輸送する住人を護衛するための人員確保だ! ……それで、『正当な職務を全うする』ギルドとしては、残りの人員確保にいくら必要だと見積もっているんだ?」

 

 最後の最後になってギーグは声を深く沈め問いかける。

 

 ギルド側は全力を尽くして冒険者の確保を「無料で」行うことになった。

 

『完全勝利した危機管理局GC』

 

 ギーグはすぐに小屋を出て、第三・第四地区の住人がいるところに走り始めた。

 追いかけよう。きっとおもしろいことが起こるはずだ。

 

『ちょっと待った。メル姐さん、おっさんを追う前に買っておいて欲しいものがあるんだけど』

 

 なに言ってんだ。

 今は店が水に沈んでやってないぞ。

 それにこの状況で何が必要だって言うんだ。

 

『大丈夫。そのへんにいるギルド職員を捕まえれば買えるものだから』

 

 ふぅん。

 それでなにが必要なんだ。

 

『ギルドから買うものなんて決まってんじゃん。パーティーリングだよ』

 

 お前さ。

 今の状況をちゃんと理解してる?

 

『もっちのろんろん。予想通りなら必要になるよん』

 

 どんな予想だよ。

 あと、その言い方むかつくからやめろ。

 

『すぐわかるよ。おそらくね』

 

 そう言って、シュウは怪しく笑った。

 気持ち悪い奴だ。

 

 その後、手持ちぶさたな職員を捕まえ、なんとかリングを購入した。

 ギルド職員に不審な顔をされたが、金の力は偉大だ。

 渋々ながらも売ってくれた。

 

 

 

 ギーグを探して避難所へ赴く。

 どこだろうかと歩いていると怒声が聞こえてきた。

 すぐに場所がわかるから助かるな。

 

 小屋の前でギーグと……誰だっけ。

 

『ローだね。二回目だよ、そろそろ覚えてあげて。でも、あれ、おかしいな? なんでここにいるんだろう』

 

 さあな。私が知るよしもない。

 とりあえず近寄って、何があったのか尋ねてみる。

 

「どうして君がここにいる?! 冒険者は全て護衛に回ったと聞いているぞ!」

 

 ……あれ?

 そういえばそうだな。

 護衛の話をもちかけられなかったぞ。

 

『たぶん護衛の依頼が出たときにダンジョン潜ってたから数にカウントされてなかったんだと思うよ。ギルドからもカウントされないって、もう冒険者じゃないよね。そんなことより魔王しようぜ!』

 

 うっさい。

 私は冒険者だ。冒険者なんだ!

 それより私のことは置いといて。いったい何があったんだ?

 

「……まあ、いい。丘のルートで崩落があった。地震の影響だろう。幸い落ちたのは馬と荷車だけで人間はいない。しかし、一部の住人がこちらに戻り海岸沿いのルートを行くことになった」

 

 あれま。それは大変だ。

 第三・第四地区の人間は出発したばかりだろ。

 そちらに合流させればいいんじゃないか。

 

「だめだ。間に合わない可能性が高い。見てみろ」

 

 ギーグが指さす方向は高台を下った道の先だ。

 小さく行進する人々が見える。

 住人とそれを囲むのは冒険者たちだろうか。

 彼らが歩いているすぐ近くには海岸線が見える。

 すでに波は引き始め砂浜が広い。

 

『前例通りの沈降による引き波だね。隆起からの押し波だとあの人たちもやばかったからラッキーだ』

 

 よくわからんが、何かがよかったようだ。

 行進する人々はもうじき海岸線を抜けようとしている。

 

「あの海岸線を抜ければ丘に登ることになる。だが、戻ってきて向かわせるには時間がかかりすぎる。それに戻ってくる住人は病人、あるいは怪我人だ。予定よりも多くの時間が必要になるだろう」

 

 じゃあ、しょうがない。

 ここで待つしかないだろう。

 そもそもお前らはどうするつもりだったんだ。

 

「我々は最後に彼らを――第三・第四地区の住人たちを追いかけるつもりだった。無論、今は戻ってくる住人を待つが、このままではここに取り残される可能性が高い」

 

 考え込むように頭をゆっくり回しながらギーグは語る。

 

 そもそも、この高台でもそこそこの高さはある。

 より安全を考えて輸送させてるようだが、ここで十分じゃないか。

 

「いや、ここでは低すぎる。ここはあくまで一時的な避難場所で、緊急として作られたものだ。過去の津波ではこの高台も波に飲まれたと書かれている。本当はもっと高い位置に作りたかったんだが、局だけの予算ではここに建てるのが精一杯だった!」

 

 ……あれ、なんかほんとにやばいそうだぞ。

 今更だけど私も逃げた方がいいんじゃないかな。

 

「そうだ。君は早く逃げろ! 第三・第四地区の避難民を追いかけて護衛に当たってくれ! 依頼料はあとで払う。我々は戻ってくる住人を今から迎えにいき、なるべく多くの人間を避難させる。馬を一つやる」

 

 必要ない。

 足には自信がある。

 よし。それじゃあ、その依頼を受け――、

 

『ほんとにいいの? 依頼を受けちゃって』

 

 なにがだ?

 私なら今からでも余裕で追いつけるぞ。

 野生の動物はおろか、野良モンスターが出ても払いのけることができる。

 

『そりゃそうだ。でも、報酬は受け取れないだろうね』

 

 なぜだ?

 

『なぜって、間に合わないからだよ』

 

 何に……?

 

『そりゃ津波だよ。ギーグ局長たちが病人やら怪我人たちを迎えに行って、ここに戻ってきて、さらに海岸線を抜ける時間を考えてみて。もうすでに潮は引き始めてるんだよ。ギーグたちは波に飲まれて帰ってこない。メル姐さんに報酬を払う人間はいなくなる』

 

 たしかにそうだけどな。

 間に合わないと決まったわけじゃないだろ。

 

『そうかもね。でも、ギーグ局長も間に合わないって感じてるはずだよ』

 

 そんなことないだろ。

 最後まで諦めそうにないぞ。

 

『諦めないだろうねー。でもさ。馬をやるって言ったんだよ。メル姐さんに馬をやるくらいなら住人の避難に一頭でも多く使った方がいい。それに「貸す」じゃなくて「あげる」だ。返してもらうことはできそうにないって無意識で感じ始めてるんだよ』

 

 そんなの言葉の綾だろ。

 じゃあ、お前は依頼を受けないほうが良いと言うのか。

 

『そうだね。護衛に行くのなら、後残りがないように依頼は受けない方がいいんじゃないかな』

 

 だがな。

 依頼を受けなくても後残りがありそうだぞ。

 どっちにしろ後残りがあるなら、もうどっちでもいいんじゃないか。

 

『落ち着いてよ、メル姐さん。ほら俺に続いて呼吸して。ひっひっふー、ひっひっふー』

 

 その呼吸だと、なんか落ち着かないんだが。

 

『せやね。で、どうして護衛に行くことが前提なの?』

 

 いや、だって逃げる他に選択肢があるのか。

 そうか。私も避難民の輸送に当たればいいのか。

 そのほうが良さそうだな。

 

『違う。それじゃ護衛に当たるのとたいして変わらない。もっと根本的な解決法があるでしょ』

 

 うん?

 そんな選択肢が本当にあるのか?

 

『ある。単純明快――津波を止めるんだよ』

 

 …………できるのか?

 今回ばかりはチートなお前でも無理かと思ったんだが。

 

『いや、今回はそこまでのチートがなくてもいけるかもしれないんだよ』

 

 ほう、話を聞こうか。

 簡潔に頼むぞ。時間がない。

 すでにかなり無駄にしてしまった。

 

『任せ給へ。まず――』

 

 

 

 ――なるほど。

 たしかにそうだな。

 

『ただし、いざとなったらメル姐さんだけ助ける方向にスキルを変更するからね。そこはご了承を』

 

 それは仕方ないだろう。

 私はまだ死にたくないからな。

 さて。行くか、クソ野郎。

 

『おう。行こうぜ、魔王様』

 

 うむ。

 それと私は魔王じゃない。

 

 

 馬に跨がり、今まさに出発しようとしているギーグを呼び止める。

 

 先ほどの依頼なんだがな。

 やはり受けられない。

 

「……そうか。なんにせよ無事に逃げるならいい! 死ぬなよ!」

 

 悪いが今回に限り逃げることもしない。

 

 ギーグの顔が怪訝そうに私を見下ろす。

 そりゃそうだ。何を言っているのかわかってないだろう。

 それではだめだ。これから私はさらにひどいことを言うのだから。

 

「私は、今から超上級ダンジョンに挑戦する!」

 

 ギーグの表情はおもしろいくらいに変化する。

 最初はあっけに取られ、次に軽く笑い、最後に――

 

「バカか、お前は! 何を考えてるんだ!」

 

 ぶちぎれた。

 

 当然の反応だが、まぁ落ち着け。

 今から救助に行っても住人はおろか、お前たちも助からんだろう。

 

 彼の顔はぴくぴく痙攣しているが、話は聞いてくれている。

 それならと遠慮なく続けさせて頂く。

 

 超上級ダンジョン――インブリウム水路なんだが。

 お前たちが「珠」と呼ぶのはボスモンスターのドロップアイテムが例の水龍の青水晶だからで間違いないか?

 

 ギーグは小さく複数回頷く。

 どうやらシュウの予想は間違いなかったらしい。

 

「たしかにそうだが、あそこは超上級ダンジョンだぞ」

 

 その通りだ。

 言ってなかったが、私は極限クラスの冒険者だ。

 そもそもネクタリスにはインブリウム水路の攻略を目的に訪れた。

 信じられないかもしれないが、これまでにもディオダディ古城、アラクタル迷宮、それに神々の天蓋を攻略している。

 

 ――と、言いつつ首にかけていた冒険者証を見せる。

 手にとったギーグは目をぱちぱちさせながら冒険者証を確認する。

 

「たしかに、そうなのかもしれないが、珠は事情が違う」

 

 そうか?

 ダンジョンの道程は極めて短いと聞いているぞ。

 

「そういうことじゃない。あそこは完全に水ぼ……いや、そうか…………そうか! しかし、行けるのか?!」

 

 どうやら、ギーグも気付いたようだ。

 インブリウム水路は普段なら完全に水没しているらしい。

 普段なら、だ。今は津波前でどういう事情かは知らないが潮が引いている。

 今なら水もないただの道になっている可能性がある。しかも、モンスターもほぼいないと聞く。

 さらにだ。シュウは、水がないならボスも楽に倒せるかもしれないと言っている。

 

 そうなると残る問題は一つ。

 えっとなんていったっけ。

 

『鎮水の儀』

 

 そうそれだ。

 鎮水の儀をする、とか話していたがそれは時間がかかるのか

 

「いや、そちらはすぐに済む」

 

 そうか。

 それならいけそうだな。

 

 で、どうする?

 どっちにしろ私はインブリウム水路に向かう。

 ボスのドロップアイテムには、特にこだわりがない。

 ダンジョンまでの道案内をしてくれる人間がいたら、案内代にくれてやるつもりなんだがな。

 

「……そうか。それなら自分が案内しよう。それと自分もボスに挑ませて頂く! これは譲れない! 危機管理局局長として責務だ!」

 

 これもシュウの予想通りだ。

 正直に言うと足手まといだから来ないで欲しい。

 それでも、絶対についてこようとすると奴は話していた。

 どうやら完全にクソ野郎の手のひらの上らしい。

 むかつくが仕方ない。

 

 挑むなら、これをつけておけ。

 

 そう言ってパーティーリングを放り投げる。

 ギーグは上手くキャッチすると、さっそく指に嵌めた。

 シュウは『おっさんと話すことなんかなにもないんで、しばらく黙っとく』と言っていた。

 ギーグと距離が開くか、どうしてもやばくなったら話をするらしい。

 いつもこれくらい静かならいいんだがな。

 

「局員諸君! 聞いての通りだ! 自分は今から珠に挑む。諸君は予定通り住人を迎えに行って欲しい! それとロー、お前はここで待機だ! 珠から戻ったら魔法で合図を送る。確認できたら海龍様へと向かえ、津波が迫りもうだめだと思ったら逃げろ! それでは各員行動に移れ!」

 

 了解! と声が重なりあうと各人が動き出した。

 

「自分たちも行くぞ!」

 

 ギーグが馬を走らせ、私はそれについていく。

 久々にパーティーを組んでのダンジョン攻略が始まった。

 

 

 

 高台を下り、町を抜け、石像のある丘を横切り、そのまま砂浜に突入する。

 どこにダンジョンがあるのかと思っていたが、砂浜のど真ん中に穴が空いていた。

 中級ダンジョンも町の近くだったが、超上級ダンジョンに至っては町の中と言っても差し支えないほどすぐ近くにあった。

 

「あそこだ!」

 

 水がないのをいいことにギーグは馬に乗ったままダンジョンに突入する。

 私は入り口で止まり、その背をみつめる。

 砂浜に穴が空いてると言ったように、天井も砂だ。

 どうして天井が崩れてこないのかが不思議で仕方がない。

 それにモンスターがいないと聞いているものの、もしもいたらどうするつもりなんだろうか。

 仮にモンスターがいれば、突っ込むなんて危険きわまりない。

 

『メル姐さんがまともなこと言ってる……不吉だ。おっさんもそれだけ必死なんだよ。ところで、まさに最後の点なんだけどさ。どうしてモンスターがいないんだろう?』

 

 ギーグが離れたのを良いことに、シュウがしゃべり始めた。

 

 そういえばそうだな。

 モンスターのいないダンジョンなんて神々の天蓋しか記憶にない。

 

「おい! 何をやってる! 先に進むぞ!」

 

 ギーグが道の先から呼びかけてくる。

 モンスターのことはひとまず置いておき、追いかけることにした。

 

 短いとは聞いていたが、本当に短い。

 まだ水が少し残る道を下りながら進むと、大きな扉が見えた。

 

「よし! 突入するぞ!」

 

 いつの間にか馬から下りていたギーグは、私の返事を待つことなく扉を開けて入っていった。

 

 おいおい! ちょっとは落ち着けよ!

 作戦会議もなにも無しでつっこむとか馬鹿じゃないのか。

 しかも、奴は短剣しか武器を持っていない。

 防具すら戦闘を意識したものではない。

 ボスの一撃で死ぬぞ。

 

 慌てて扉をくぐる。

 目に映り込んできたのは、広い部屋に力なく横たわる巨体。

 そして、その巨体に乗りかかり小さな短剣を振り下ろすギーグだった。

 

 な、何が、起こっているんだ……。

 まさか、もう倒したとでもいうのか。

 

 そもそもこのボスは何だ。

 体は長細いが魚には見えない。

 どちらかと言えば蛇だが、口は長細く棒のようだ。

 

『タツノオトシゴ。こう見えてもいちおう魚の仲間だよ。普段は水中で体を直立させるんだけど、水がないから倒れてるんだ。しかもガス交換もできなくて弱ってるみたいだね』

 

 シュウがぼそぼそと教えてくれる。

 水龍の石像に似ているが、もしかしてこれか?

 

『うーん……。でも、手とか足がないよね』

 

 そう言えばそうだ。

 水龍の石像は手と足があって、水晶も掴んでたからな。

 作成者が大げさに作ったのかもしれない。

 

「なにぼさっと見てる! 鱗が硬くて刃が通らん! 早く手伝え!」

 

 ギーグはボスがなんだろうが、構うことはないようだ。

 

『人間死ぬ気になれば怖いものなんてないって良い例だね。そうそう、筒みたいな口元には絶対近寄らないで。タツノオトシゴは見た目よりもずっと獰猛な捕食者だから吸い込まれちゃうよ』

 

 ありがたい忠告をギーグにも伝え、膨らんだ腹部からザクザク斬っていった。

 途中でボスが体を跳ねさせギーグが飛ばされたりもしたが、特に怪我もすることなく倒すことができた。

 

 光とともに残るドロップアイテムは二つ。

 青き水面映す龍の子の瞳――を私とギーグがそれぞれ拾い上げ、勝利の歓声も上げぬままダンジョンを抜けた。

 

 

 

 ダンジョンを出るや否や、ギーグは短い詠唱を行い、火の玉を上級に打ち上げる。

 火の玉は空で小さく破裂し、音を鳴らす。

 

「海龍様のもとへ急ぐぞ!」

 

 ああ、と私も返事をする。

 さすがの私も急がねばなるまい。

 海には、すでに小さく青い壁が見えている。

 

 

 石像の足下には割れた水晶玉の破片が散らばる。

 黒々とした水晶玉とギーグが石像の手に嵌めようしている透明な水晶玉が同じものとは思えない。

 ちょうど手に水晶玉が嵌まると馬がやってきた。

 

「局長! もう戻られないかと逃げるところでした!」

 

 たしか、えっと、そう、ローだ。

 ローが焦りと笑みを貼り付け、ギーグに近寄る。

 

「そんな挨拶はいらん! もう波は見えているんだ! 鎮水の儀を行うぞ! 詠唱の準備だ!」

 

 はい! と大きな声で返事をし、ローは杖を持って石像の前に立つ。

 

〈我ら小さき人の子は、ただ海の平穏なるを願うもの――〉

 

 詠唱を始め、私とギーグが見守る。

 石像は海の方を向き、ローは石像と対面している。

 そのためローは海が見えていない。

 逆に、私とギーグには海が見えている。

 小さく見えていた白い壁も、今では青く大きく押し寄せる。

 ローを急かすこともできず、ギーグは落ち着かず顔をローと海を何度も往復させる。

 

〈――碧き龍の猛き姿。其の力の一端をどうか我らに〉

 

 ローが目を瞑り詠唱を終えた。

 目を開きギーグに合図をするものの、何も起こる様子はない。

 波はさらに高くなり、水の音も聞こえるようになってきている。

 勢いの収まる様子は見て取れない。

 

「どうして何もおこらない!」

「わかりません! 詠唱は確かに完了しました!」

 

 ギーグが吠え、ローも言い返す。

 

『メル姐さん。逃げる準備して』

 

 そうか……、駄目なのか。

 作戦担当も無理だと判断したようだ。

 私たちにできることは十分にやり遂げた。

 せめて、ここにいる二人くらいは抱えて逃げるとしよう。

 

「なぜだ! 何が足りない!」

 

 ギーグは石像に向かって叫び、次いで波迫る海に向く。

 そして、高台を見つめる。

 そこにはちょうど戻ってきた住人達が小さく見えていた。

 

「だめだ! まだ避難は完了していない! 彼らを死なせるわけにはいかない! どうしたらいい! 自分はいったい何をすればいいんだ!」

 

 叫びは悲痛なものに変わっていく。

 

『あ……、メル姐さん』

 

 んぁ?

 ああ。やっぱり、そろそろ逃げないとやばいよな。

 

『いや、そうじゃないんだけどね』

 

 なにが言いたいんだ。

 

『うーん、人事は尽くしたってところかな』

 

 はぁ。

 そうですか……。

 

「海龍様! この町は! ネクタリスは人間が築き上げた努力の結晶なんだ! 貴方様から見れば、ちっぽけなものなのかもしれない! それでも自分は、自分たちは全力をかけてこの町に当たってきた!」

 

 そう言ってギーグは膝を折った。

 ローもその斜め後ろで膝をつける。

 私は二人の間に入り脇に抱える用意を始める。

 もう限界だ。逃げるなら今しかない。

 

「住人と、住人たちが安心して帰れる場所を守りたい! 欲深いと思われるかもしれない! ――それでも、どうか! どうか、お力添えを! お願いします、海龍様!」

 

 もう諦めろと言うこともできず、無言でギーグとローを抱えこもうと腕を伸ばす。

 

『必要ないって。下ばっかりじゃなくて、上も見てみなよ』

 

 何を言って――。

 

 視線を上に向けると目が合った。

 ぎょろりとした円い瞳が私を見下ろしている。

 

 へ……?

 

《純なる願い。しかと聞き入れた》

 

 頭に声が響いた。

 シュウのイライラさせる声ではない。

 もっと落ち着き、渋みのある重い声だった。

 

 石像の瞳が私たちの方から上方に動く。

 水晶を持つ手が灰色から緑色に変わり、体も滑らかに動き始めた。

 細長い体を伸ばすとそのままふわりと浮き上がり、スルスルと雲の上へ飛んで行ってしまった。

 

『ありゃ、行っちゃったね』

 

 呆気にとられて空を見上げていたが、シュウの声で我に返る。

 

 あ、ああ。

 これはいったいどういうことだ?

 

『おそらくだけど……。ここは神々の天蓋と同じ種類のダンジョンなんだよ』

 

 えっ?

 ここダンジョンなの?

 

『うん。ネクタリスそのものが極限級のダンジョンで、超上級ダンジョンがおまけ。だからモンスターも出てこないし、近寄ってこない』

 

 じゃあ、さっきの石像ってもしかして。

 

『ボスだろうね。南のゲロゴン並の強さだと思うよ』

 

 そこまで言うと、上空の雲が渦巻き始めた。

 渦の中心がぽっかりあき、そこからなにやら大きな影が現れる。

 ぎょろりとした縦に開いた瞳孔。

 ピンと左右に伸びる髭。

 丸みを帯びた角。

 

 そんな顔が雲から降りてくる。

 顔の次は緑の鱗に覆われた胴体が雲から際限なく続く。

 胴体にはなにやら細い手がつき、三本の爪が大きな珠を掴んでいる。

 ようやく尻尾が出てくると雲はその穴を閉じた。

 

『なんかゲロゴンよりも風格があるね』

 

 そうだな。

 こっちのほうがずっと強そうだ。

 顔もキリッてしてるし、酒も飲んでない。

 

 緑龍は空でうねうね動いたのち、砂浜に胴体を横たわらせる。

 その太い体で私たちから津波は見えなくなってしまった。

 頭だけが持ち上がり海の方を見つめ、口を開けた。

 

 そして、口から極太の水流がまっすぐに吐き出された。

 何かにぶつかる音ともに緑龍の体を超えて水しぶきの飛ぶのが見える。

 緑龍がそのまま頭を左右に振ると、水しぶきも左から右へと高く上がっていった。

 口を閉じ水流が止まると、しばらくして波の音とともに緑龍の体がこちらへと押された。

 このサイクルを三度ほど繰り返すと緑龍の胴体がズルズルと砂浜を削り、空に浮かび上がっていく。

 胴体がなくなったところから波が砂浜に押し寄せ、その勢いは町の手前ぎりぎりで止まり、また海へと戻っていく。

 

 見届けると、緑龍はその姿を雲へと消した。

 しばらくして、小さなサイズに戻った緑龍が私たちの近くへ降りてくる。

 私たちは誰も何も言うことなく、緑龍の言葉を待つ。

 

《忘れるなかれ、人の子よ。己が責務に徹する、その心の有りようを――》

 

 それだけ言うと、緑龍はただの灰色の石像に戻ってしまった。

 

 

 

 二日が経ち、町には人が戻り始めていた。

 ギーグは今も復興の先頭に立ち、指揮を執っていた。

 先ほども局員・騎士・冒険者を連れて、町の中を走り回っていたのが見えた。

 ……というか、あのおっさんはいつ寝てるんだろうか。

 

『それは俺も思った。夜でも外から声が聞こえてくるからね』

 

 いちおう私も復興の手伝いをしている。

 もちろんただ働きはしない。ギルドから正式な依頼を受けたのだ。

 ほら。私。冒険者ですから!

 

『はいはい。そうだといいね』

 

 なにその言い方。

 ちゃんと冒険者してるよ。

 

「おい、そこ! 休憩は終わりだ! 南第三地区で流木が大量に流れついていると報告があった! 行ってみてくれ!」

 

 ギーグが私を指さし次の命令を与えてくる。

 

『だそうですよ。土方姐さん』

 

 そのようだな。

 椅子から立ち上がり、伸びをする。

 

 依頼期限は今日までだ。

 さすがに流木の撤去作業は飽きてきた。

 明日になったら、次のダンジョンへ向かうとしよう。

 この町はギーグがいれば、あとはだいたい問題ないだろう。

 

 

 

 こうして土木作業に汗を流しネクタリスでの攻略を終えた。

 

 

 

『……えっ? あれ? 水着は?』

 

 そんなものはない。


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