とある魔術の黄金錬成 作:翔泳
『少年はそれを知っている』
大覇星祭。
毎年九月第四週の一週間にかけて行われる学園都市全学校が合同で行う超大規模な体育祭である。
競技内容は一般的な運動会と大差はないが、データ収集の名目で競技中の能力使用が推奨されている。要は異能力者が競技を争うということだ。
その為、燃える魔球や凍る魔球、消える魔球はザラであり、開催期間は外部への一般公開も行われているため、毎日十数万人規模の来客者が学園都市を訪れることになる。
『少年はそれが何なのかを知っている』
一日目には、学園都市の三〇〇か所同時に盛大な開会式が行われた。
棒倒し、三学区を跨ぐ借り物競争、大玉転がし、綱引き、玉入れ。
様々な競技が
午後十八時から行われたナイトパレードでは、学園都市の空を覆い尽くすほどの花火が打ち上げられた。
『少年はその香りを知っている』
父兄によりごった返えする町中は一般車両の乗り換え禁止をしていなければ渋滞は免れなかっただろう。
こういった場合の移動には歩きの方が便利で、列車や地下鉄の臨時便も増やしている。
人の流れは来場者に反比例するようにスムーズだ。
中にはパンフレットを広げ、道中に立ち往生する大人の姿も見て取れるが、それでも流れは止まっていない。
『少年はその匂いを知っている』
そんな中で、
「Aぁ…………」
ほんの小さく、空に向かって漏らした声。
それは、来場者から見れば、競技の合間に一息つく学生に見えたかもしれない。
背丈は一七〇センチ程度で平均的と言える。
線は細く見えるが、無駄なモノがそぎ落とされていると表現した方がいいだろう。
少し茶に染まった髪は天然もので、決して上書きされた色ではない。
容姿は特に特徴的なモノはない。可もなく不可もなく、至ってどこにでもいる少年。そんな印象を思わせる。
「Koこだ…………」
服装を除けばだが。
季節には少し早すぎると言っていいだろう。
気温は三〇度近くに達することすらある時期に、上下真っ黒なジャージ姿で歩く少年は些か違和感あった。
だた、それを不振に思う人間はいない。
現在も、学園都市のどこかで競技が行われており、一般の人間からすれば何かしら意味のある恰好なのだろうと勘違いしてくれる。
その意味で、少年は季節はずれの恰好であったとしても、一人浮く存在ではなく、周囲に溶け込んでいる。
「Koこにいる」
『少年は。それを知っている』
少年はその手を頭上へかざした。
青空が広がる上空の何かを掴むように、その手を握る。
それは、周りから見れば上空を飛ぶ気球を追いかけているようにも見える。
「Maっていろ」
何かを宣言するように、その拳に力が入る。
競技へ向けて鼓舞しているようにも見える、その様子に誰も違和感を抱かない。
「Maっていろ」
大事なことであるように、あえて二回繰り返し、少年は語る。
雲が抜け、太陽の光が少年へと降り注いだ。
少年は目を瞑る。
少しの間。
何かを探るような、そんな間にも感じた。
時間にすれば、僅か数秒だろう。
少年は、ゆっくりと瞳を開く。
高く上げた拳をポケットへしまい込んで、少年は再度人込みの流れへと身を投じる。
迷う素振りはない。
ある一点を目指し、少年は静かにつぶやく。
「Maっていろ、我が『姫』よ」
『少年は。それを。知っている』
少女が目を開けると、そこは見慣れぬ天井だった。
真っ白な壁に真っ白なカーテン。窓の外には所々に雲をまとった空の下から学生たちの声が聞こえた。
「あれ? あたしって……」
ベッドに横たわる体を起こすと、枕元の机には花瓶に小さな花が添えられていた。
「あ……」
そこで少女は漸く、自分が病室にいることに気が付いた。
時は大覇星祭真っ只中。
少女は自分がなぜこんなところにいるのか思考する。
競技に参加しているハズだった。
競技名は何だったか。
しかし、いくら思い出そうとしたところで、得体のしれない何かがそれを遮るように頭が空回りする。
そこへ、
「大丈夫ですか?!」
大きく病室のドアが開かれた。
スライド式になっているドアが反動で再度閉まろうとするほど、猛烈な勢いでドアを開け放った『頭に花をかたどった髪飾り』をつけた少女は、額の汗を気にする素振りも見せずにベッドへと飛びつく。
「大丈夫……かな?」
「競技中に倒れたって聞きました」
「あーそうだったの? 実はさ、よく覚えてなくて」
「頭も打ったんですか!? お顔に傷は!?」
自分でよく観察していなかったが、額には包帯が巻かれていた。
おそらく、転倒した際に頭を打ったのだろう。
顔にも、ちょっとした擦り傷があった。
それを見た髪飾りの少女は、
「大事な体が傷物に……ッ!」
「こらこら、表現を間違えるな。これくらい大丈夫だよ」
実際に処置が行われていないと言うことは、その必要がなかったと言うことなのだろう。
少しの間傷は残るのだろうが、それは致し方がないと割り切るしかなかった。
「あたしって何の競技中に倒れたの?」
「借り物競争って聞きましたよ?」
そう言われて、少女はぼんやりとではあるが、その風景を思い出した。
炎天下の中、学園都市の街中を走る自分自身の姿。
指定されたモノは何だったのだろう。
「んー、何か少しだけ思い出した気がするけど」
それでもやはり、頭の片隅に何かがつっかえたような何とも言えないような感覚が残り、一部を思い出すに止まらせる。
「(そうだ、借り物競争と言えば)」
ふと、少女は一つの場面を思い出した。
それは、今日の出来事ではなかったが、同じ借り物競争だった。
とある少年が借り物競争で指定された、『お守り』を貸したという出来事。
少女は徐にそれがそこに入っていることを確かめるため、ズボンのポケットに手を入れ、
そこで違和感を覚えた。
「痛ッ」
「大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」
大して動かした訳でもないのに、鋭い痛みが右肩を走った。
体操服の襟を引っ張ってよく見てみれば、そこにも大き目のガーゼがテープで止められていた。
「転倒した時に、肩も打ったんでしょうか」
髪飾りの少女は、襟の隙間からガーゼを張られた辺りを覗き込む。
「ほほう、おぬしも大胆になったものよのー。怪我をしてか弱い女子の肩を覗き込み、自分のモノにしようとするとはッ」
「わっわっもう! 私そんなんじゃないですってば。からかわないで下さいよ、佐天さん」
「ごめんごめん。いつもみたいにスカートめくってあげるから許してよ、初春」
「めくらないで下さい! と言うより、今日は体操服なのでそれは叶いませんよ」
「じゃあ、下ろすか」
「私お嫁にいけなくなります!」
その時は私がもらってあげるから、と冗談を交えながらベッドに座る少女、佐天涙子は犬歯が顔を覗かせるほど、口元を緩めた。
対する、頭に花をかたどった髪飾りをつけた少女、初春飾利は、プンプンと言う効果音が似合いそうなくらい頬を膨らませている。
「ごめんごめん。でも初春が来てくれて元気が出たよ。正直、ちょっとまだボーっとしててさ」
「無理ないですよ。頭打ったんですし、少しの間気を失っていたんですから。あ、先生がちょっと貧血気味って言ってましたよ? ご飯しっかり食べたんですか?」
「ん…………はて、どうだったかな? ちょっとその辺りも曖昧」
佐天涙子は、左手の指で頭をかく。
今日の朝食を食べたかどうか、その記憶すら曖昧と言う状況。恐らくは転倒した際に頭を強打し、その影響で一時的な健忘症状が出ているのだろう。
「先生も一日くらいは様子を見るために入院した方が良いって仰ってます」
「まぁ、そりゃそうでしょうね」
佐天涙子は、自分の頭に巻かれた包帯を軽く触る。
受傷当時の記憶が曖昧なため、傷に対してあまり現実味の湧かないと言うのが正直な感想だった。
「白井さんと御坂さんには私が連絡しておきますね」
「助かる。でもそれとなくにしといてね? 御坂さん競技とかすっぽかして来てくれそうだから」
「はい。競技の合間に、また三人で様子見に来ますね」
競技と言う言葉で、自分も競技の途中でリタイアしてしまった、と言うことを思い出す。
「あのさ、私って、やっぱり途中棄権ってやつだよね?」
「……はい。でも状況と天秤にかければ、それは仕方がないんじゃないでしょうか」
佐天涙子と初春飾利が通う柵川中学は俗に言われる平凡な高校だ。上位能力者がいないのはもとより、
只でさえ学校全体が協力しなければ、十分な結果を出すことが難しい状況で、戦力外通告を受けたにも等しいこの状況は、さすがに心痛かった。
少しテンションの下がった佐天涙子を見て、
「大丈夫です。佐天さんも分まで、私がんばっちゃいますから」
ガシっと初春飾利は佐天涙子の両手を掴む。
「うれしいんだけど、ちょっと肩が痛いかな」
「ご、ごめんなさいッ ちょっと力が入りすぎました」
両手を掴んだ初春飾利が強く手を押し込んだ所為で、佐天涙子は少し右肩に疝痛を覚えた。
しかし、その痛さの反面、必死で力になろうとする初春飾利の気持ちも伝わってくる。
「でも、私の分はほどほどでいいや。それで初春に怪我されて、仕事に支障がでたら困るもんね」
「私、そんなへまじゃないです」
「え、そうだったの?」
「ひどいですよ?! 佐天さんッ」
と、ここまで話して、
漸く、ここまで話て、
「ところで初春?」
改めて、佐天涙子は、その疑問を問う。
「その後ろにいる人は誰?」
「え?」
と言う
初春が振り向いた先には、一人の少年の姿があった。
身長は大体一七〇センチ程度だろうか。
細身の体型には少し大きくも見える学生を身にまとっている。
どこにでもある、学ランだが、季節を間違えているのか、まだ九月と言うのに、すでに冬服に袖を通している。
漆黒の学生服を来ている所為か、軽く染まった程度の髪は一段と茶色に見える。
初春飾利の声には、何を言っているんですか、と言うルビが適しているだろう。
そう思わせるような表情のまま、初春飾利は少し少年を見つめた後、佐天涙子に正対した。
そして、ゆっくりとその唇を上下に動かし、
「何言ってるんですか佐天さん?」
そのまま、首を傾けた。
「アベル=レイミアさん。私と同じ
「え?」
と、佐天涙子は初春飾利と同じ素っ頓狂な声を上げた。
「あれ? 佐天さん、もしかしてレイミアさんのこと忘れちゃったんですか? 頭を打った衝撃で健忘を通り越えて記憶消失に?!」
「あ、いや、ちょっと待って……」
まだ、ボーっとする頭を回転させ、その名前を探ろうとする。
「痛ッ」
「あわわわ、佐天さん無理しないで下さい」
「ごめん、初春。やっぱり思い出せないみたい」
「謝るならレイミアさんに言って下さいね? レイミアさん、佐天さんはまだ全快じゃないので、ちょっとレイミアさんの事を
頭を打った衝撃で健忘症状が現れることはあるが、
はて、人物丸ごとを記憶がなくなることがあるのだろうか?
と言う疑問が佐天涙子の中に残ったが、
「すみません。ちょっと頭打った衝撃で忘れちゃってるみたいで。その、ここまで運んでもらってありがとうございました」
佐天涙子は、軽く頭を下げた。
二コリ、とその姿を見てアベル=レイミアは笑みを見せ、
「ちょっと怒ってます?」
佐天涙子の問いに今度は首を傾げる。
「レイミアさん、普段から無口と言うか、口数が少ない方なので、大丈夫だと思いますよ」
初春飾利のフォローにアベル=レイミアは小さく相槌を打ち、口元を緩ませる。
なんとも整った顔立ちの所為か、佐天涙子はその表情に頬を赤らませる。
「あ、ダメですよ佐天さん。レイミアさんには、心に決めた人がいるって話しですから。もし手を出すのでしたらそれなりの覚悟が必要ですよ」
「い、いや、そんなことしないから! ってこの年で、既にそんなことが?!」
と、本当に口数が少ないのか、手首にはめた腕時計に目を落とすと、初春飾利に見えるようにその腕時計と二本の指で軽くたたく。
「あ、佐天さん、そろそろ時間なので、行きますね。次は、御坂さんたちとお見舞いに来ますから。競技の結果も気になると思いますけど、しっかり良くなってからですよ?」
「うん、分かってる。ありがと」
「いえいえ、それじゃ行きますね」
初春飾利は入って来た時とは打って変わって、丁寧にドアを開けて病室を後にする。
それに続いてアベル=レイミアも病室を後にする。
出る直後、アベル=レイミアは佐天涙子へと振り返り、小さく口元を緩ませる。
口数が少ない分、その表情は豊なのだろう。
そう感じながら、佐天涙子はそれに答えるように、小さく手を上げるが、笑みが眩しすぎるのか、視線を少し外した。
だから、と言う訳ではない。
恐らく、それは、病室のドアに隠れてしまい、たとえ視線を外さなかったとして気づいてはいないだろう。
頬を緩ませた少年の口から、僅かに犬歯が顔を覗かせていたことに。
しかし、誰しもが頬を緩ませれば犬歯が顔を覗く。
それは、佐天涙子とて一緒だ。
初春飾利との会話の最中、佐天涙子の唇の隙間からは常に犬歯が顔を覗かせていたのだから。