とある魔術の黄金錬成 作:翔泳
「ねぇ兄さん」
数分前にも同じような言葉を聞いたな、と思いつつアウレオルスは自然に振る舞いながら返答する。
「何だい?」
「あの女、能力者ではどのくらいの位置にいるの?」
「あぁ、確か彼女は学園都市に七人しかいない
学園都市の人口は二三〇万人。
つまりは、三二万分の一の天才。
さらに加えると、魔術とは才能の無い人間がそれでも才能ある人間と対等になる為の技術であることを考えると、その天才ぶりは一体どれほどのモノになるのか分からない。
にも拘わらず、彼女は言う、
「なるほど。ならもう少しで学園都市頂点の一人を始末できそうだったってことね」
でも、とパラミラは歯噛みして、
「あの女、さすが学園都市のトップクラスに君臨するだけのことはある。まさか、酸素を分解してオゾンを作りだし毒を中和させるとはね。そんでもってそれをやってのけて平然としているってのが無性に腹が立ちそうだけど」
「おいパラミラ、毒とはどう言うことだ?」
「あら兄さん、簡単な話じゃない? 食塩を電気分解すると金属ナトリウムと塩素に分解される、ってのは錬金術の一族に生まれた私たちにとって当たり前のことだけど、その辺の知識は覚えてる?」
「あぁ」
「なら説明するまでもないと思うけど、私が生み出した塩の柱を彼女がジュール熱で消滅させた瞬間、本来であるなら電気分解によって生じた塩素ガスが彼女を襲うハズだった」
塩素は強い毒性を持つ為、人類初の本格的な化学兵器としても使われたことがある。
身近なモノで言えば、塩素を含む漂白剤とトイレの洗剤を混合すると、有毒な単体の塩素ガスが発生することは有名な話だ。
「それをあの女はオゾンを作り出して中和させたのよ」
オゾンも有害ではあるが、科学反応ですぐに酸素に戻ってしまう。
結局あの場では、パラミラの作り出した塩の柱が御坂美琴の電撃に破壊されたと言う事実が残っただけ。
「・・・・・・」
アウレオルスは、パラミラの話を聞きながら何故か黙り込む。
「ん? あぁ、なんで私がこんなにこっち側の知識を持っているかって話? それはただ単に自分自信の魔術を効率よく使うにはどうしたら良いかってことを考えた結果、メリットとデメリットを調べ上げた賜物と言うべきかしら?」
「パラミラ」
呟く声はパラミラには届かず、
「学園都市のトップランカーを仕留め損なったのは大きいかしらね。一族が認める材料になり得た可能性もある訳だし」
「パラミラ!」
耳元と言う訳ではないが、予想以上の声量にパラミラは思わず片目を瞑る。
「に、兄さん?」
「すまないパラミラ。一つ頼みたいことがある。その周辺に『人払い』を貼ってくれないか」
予想外のお願いに一瞬戸惑ったパラミラではあったが、特に理由を聞くわけでもなく一定の範囲にかけて『人払い』をかける。
アウレオルスの突然の声に注目していた一般人も、次第にこの場を離れるように歩き出し、モノの数秒で視界には人一人見えない状態となった。
「これでいいの?」
「・・・・・・あぁ、すまない」
視界数百メートルに渡り二人だけの状態。
一体何が始まるのか、パラミラがそれを訪ねようとした、直後、
ドン!!、と鈍い音が一面に広がった。
「・・・・・・アッ・・・・・・?」
自分自信に何が起こったか分からない。
理解出来るのは、何故か自分の目線が地面スレスレになったことと、アスファルトが冷たいと言うこと。
加えて、一言呟くように聞こえた、兄の声。
その一言を鮮明に覚えていたからこそ、徐々に自分が今どんな状態でいるかが理解し始める。
「パラミラ」
低い声が響いた。
「君は何か勘違いをしているのではないか?」
「に、兄さん?」
「私は君に、なぜ毒など使用したのか、と聞いているのだよ」
化学兵器として使用されたこともある、有毒物質。
つまり、人を殺す力を持つ。
「パラミラ、君に一つ言っておく。私には記憶がない、故に昔の私がどんな人物だったと言うことも他人から聞いた情報しか持ち合わせていない」
かつて、三沢塾の一室で一人の少女を殺そうとした事実。
「だが、今の私はこの力を誰かの為に使うと約束しているのだよ」
一人の少女を助けるために会得した力。それを破壊に使用したと言う事実。
「だからこそ、君がこれからも自分の力をそんな形で使っていく、と言うのであれば、私はその力の犠牲になる誰かのためにこの力を使用しなければならない」
「・・・・・・」
今度はパラミラが黙り込む。
兄が自分にしてきた要求、むしろ命令に近いだろう。
つまり、アウレオルスはパラミラが無闇矢鱈に人を傷つけるような行為、或いは死に至らしめるような行為を続けるのであれば、誰かがそうなる前に手を打つと言っているのだ。
それが、自分の妹であろうと。
「フフ」
地面にひれ伏した状態でパラミラが笑う。
「何がおかしいのだ?」
いえ、と一言呟いた後、
「兄さんは昔も今も変わらないのですね」
何故かうれしそうにパラミラは続ける。
「今はこの力を誰かのために使うと約束している。『今は』ではなく『今も』ですわね。
記憶がなくなっていようと顔が変わっていようと、根本的な部分は何も変わっていない。
誰かのために、力を使う。
アウレオルス=イザードと言う男は、そう言う人間なのだ。
「なら、なぜパラミラはそうしようとしない」
「育ち方の違い、と言うべきかな、要するに私には余裕がなかった」
一族に認められるために、他人に構っている暇はなかった。
自分のために力を使う。
パラミラにはそれしか出来なかった。
それが、自分の兄との大きな違い。
そのことに当時のパラミラは気がつくことが出来なかった。
他人のために力を使うからこそ認められる。
とある少年がパラミラに向かって言い放った言葉だ。
「でも、兄さんがそう言うのなら、今から私はこの力を誰かの為に使うと約束しましょう」
その時から、薄々自分の中では感じ始めていた。
実行出来なかったのは、自分の生き方を否定することになるからだろうか。
しかし今となれば、兄の一言でその壊れかけの鎧はいとも簡単に剥がれ落ちる。
「本当か」
「ええ、だからこれをどうにかして頂けません? さすがに地面の上は堪えますの」
「ウム、そうだな。もう立っていいだろう」
ふわり、と今まで鋼鉄のように動かなかった体が、まるで背中に羽でも生やしたかのように動く。
時間でも巻戻しているように、体が起き上がり立位へと戻る。
パラミラはスカートについている埃を手で払うと、
「こんな事をなさらずとも、兄さんが一言言ってくれたら解決することなのに」
今のパラミラにとって、兄の一言こそ最優先となる。
過去の生き方を否定することになっても、今からの生き方を肯定すればいい。
それほど、パラミラにとって、『兄』と言う存在は大きい。
「まぁ、その保証は正直言って分からんが、言うならお返しと言った所か」
「お返し?」
「今朝の事だよ」
あぁ、とパラミラは妙に納得した。
言うならドッキリ返しと言った所か。
危機感溢れる演出ぶりはさすがは兄と頷いてしまうほどのモノだった。
予告なしの
記憶を忘れていようが、顔が変わっていようが、根本的な中身は変わることはない。
「意地悪な兄さんだこと」
「君の兄なのであろう?」
「えぇ、それは間違いなく」
未だに周囲に人はおらず、二人で空間を支配している気分になるが、恐らくこれで『人払い』をかけた用事は済んだだろうと、パラミラは魔術を解除しようとして、
「あぁ、そう言えば」
とアウレオルスはパラミラに一歩近づくと、
「痛くなかったか?」
「フニャァァ」
奇妙な声が出た途端、周囲に張り巡らされていた人払いが解かれる。
それはと言うのは、アウレオルスの手のひらが、パラミラの頭に乗せられたからだ。
次第に人が戻ってくる中で、アウレオルスの手のひらがパラミラの頭を撫でる。
まるで、子猫みたいな声を出すパラミラだったが、フとさらに周囲の視線が集まっていることに気がつく。
「・・・・・・兄さん、それくらいに」
「ん? あぁ、そうだな。倒れた時に傷も見受けられんしな」
意外にも、アウレオルスは他人の目を気にせず、意外にもパラミラは他人の目を気にしている。
普段であるなら、アウレオルスは周囲に目を配って気にするようなタイプであり、パラミラは周囲など気にせず我が道を行くようなタイプなのだが、何故か今はそれが逆転してしまっているようだ。
「兄さん、もう少し人目につかないように歩きましょう」
そう言いながら、パラミラはアウレオルスの手を引く。
「具体的にはどうするのだ?」
「基本的に街には人に死角となる場所が多く存在するから、要するにそれを辿るように歩くって感じかな」
建物の影に隠れなくとも、街路樹や広告など障害物を利用し、視線を留まりにくくすることで他人の死角に入り込む。
大人数相手に効果的なのか、多少の疑問も残るが一般的より目立っているパラミラにあっては、それくらいでちょうどいいのかもしれない。
普段ならこんな事しないのになぁ、などとぼやきつつパラミラは自然な形で死角になる場所を辿るように歩き続ける。
単純に考えて、死角になる部分を歩くと言う事は、それだけ他人と重なる可能性が低いと言う事だ。
意識しなければ通る事のない線の上を、何気なしに通る一般人はそう簡単にはいない。
にも拘わらず、歩き出してまもなくパラミラの肩が相手に擦れそうな距離で、女性とすれ違った。
黒い長髪から日本の女性と思われるが、日本の女性にしては、背の高い部類に含まれるだろう。
パラミラの肩が肘上に擦れる辺から一八〇センチ近くはあるのではないだろうか。
そして、その女性と連れ違った瞬間、パラミラの足が止まった。
「どうしたのだ?」
パラミラはゆっくりと振り返り、
「何で、あんなのが学園都市にいる?」
意識して追わなければ、直ぐに死角に消えてしまう。
そんな風に歩いている人物が自分たち以外にいる。
それはつまり目立ってはいけない理由があると言うことになる。
「(まさか、兄さんを? いや、魔術側が感知した魔力の流れは予め潜入していた私のモノだったと言う事になっているハズ)」
「パラミラ、あの女性か」
アウレオルスもその違和感の正体に気がつき、視線の方向を合わせる。
「えぇ。もしかしたら、兄さんを狙って入り込んだ魔術師かもしれないと思ったけど、この前の検索魔術に兄さんの魔力が引っかかったのは誤認と言うことになってるから、その線は大丈夫だと思う」
「ただ単に学園都市に入って来ただけと言う可能性はないのか?」
パラミラは小さく首を横に振る。
「態々敵の本拠地に用もない魔術師が侵入するとは思えない。増して、あの女の規模になれば何もないことなんてありえないわ」
パラミラは視線を外さずに話を続ける。
「兄さん、少し後を追いませんか?」
「ウム、そうだな。その魔術師に何かしらの目的があるのであれば、気になるしな」
「意見が一致して嬉しいですわ」
魔術師から一定の距離を保ちつつ、アウレオルスとパラミラは追跡を開始する。
彼女の歩いたルートをそのまま同じように歩き、周囲から視線を集めることなく、追跡を続ける。
「念のため」
そう呟きながら、パラミラは偶々通りかかった裏路地に向けて右手を伸ばした。
アウレオルスが通り過ぎなにそちらに目を向けると、何か銀色の液体の様なものが地面に広がって行くのが見えた。
「
何をしたのか、と言うアウレオルスの思考が分かったかのように、パラミラは説明を始める。
「正確な領域を設定しなければ
「私に限らず、誰かのために魔術を使うと言うのなら、私が止める理由もない」
ありがとう、と小さく呟きつつ魔術師が裏路地に入って行くのを確認する。
自然な流れで壁に寄りかかると、体を傾け角の先へと目線を送る。
「・・・・・・クッ、いない」
が、その先には誰の姿もない。
ただ真っ直ぐな直線が続くにも拘わらず、そこには魔術師の姿がない。
「まさか上へ?」
頭上を見上げれば、高さ四〇メートルほどの建物がそびえ立つ。
「この短時間で上へ登ったというのか?」
「えぇ、あの魔術師になら可能な芸当だわ。兄さん、お願い出来る?」
一体どんな魔術師なのかと言う疑問を抱きつつ、アウレオルスはパラミラの肩に手を回す。
「では、上に参ろうか」
次の瞬間には、体が宙を浮いていた。
一〇メートルほど下に高さ四〇メートルのビルが見えた。
アウレオルスはパラミラをお姫様抱っこすると、
「あのビルに着地する」
瞬きをした回数を数えるとするなら、大凡三回にも満たないだろう。
それほど一瞬と言う間に、アウレオルスは上空へと舞い上がり、着地点を確認した上で再度
片膝をついてパラミラを下ろすと、周囲を見渡した。
パラミラの予想では、追跡中の魔術師も何かしらの方法でビルの屋上へと移動したと言うことだが、
カツン、と。
それを決定付けるようにブーツで地面を叩くような音が響いた。
「私に何か用でしょうか? しばらくの間私をつけていたようですが」
特徴的なのは、その長く腰まで伸びた束ねられた黒髪。左足だけ極端に短いジーンズ。その腰元には二メートルを越す日本刀が改造されたガンホルダーに収められている。
「なるほど、気づいていながら泳がせたと言う訳ね。まぁ、遅かれ早かれこっちから接触はするつもりだったし」
アウレオルスは率直に訊ねる。
「用があるのは他でもない、君の目的が知りたくてね」
「目的、と言うのはつまり、私がどうして学園都市にいるのか、と言うことでしょうか?」
「そう言うことになるな」
対峙しただけで普通の魔術師ではないのがビリビリと伝わって来る。
パラミラが、あんなの、と呟いた理由が分かるような気がしていた。
土御門元春やステイル=マグヌスとはまた一つ違う。
彼らから感じたことのある殺気とは異なる重圧。
「それを聞いてどうするのですか」
「それによっては、こっちの行動も変わってくるってことよ」
どちらかと言えば、殺意がない。
重圧を放って、自分に近づけさせない処置を取っている様にも感じる。
「なるほど、つまり」
と、魔術師は短く間を切って、
「私の目的がアウレオルス=イザードか、と言うことですか」
ビリビリっと体の中を電流が走った。
「(この女)」
「(知ってる。兄さんがアウレオルス=イザードだってこと)」
ステイル=マグヌスに顔を変えられてから、現在の顔を知る者は両手で数えられるほども人数しかいない。
にも拘わらず、初対面の魔術師がこの場でアウレオルス=イザードの名を出してくると言うのは、それは現在のアウレオルス=イザードを知っていると言うこと。
「・・・・・・もう一度訊くわ、貴方の目的は何?」
パラミラはすでに見えない裾の中で短剣を構えていた。
確定させる発言があれば、すぐに領域の最終調整を終わらすだけで
「無駄ですよ」
眉一つ動かさず、魔術師が言葉を続ける。
「パラミラ=ホーエンハイム。貴方が領域を設定する時間と、私の『七閃』どちらが速いのでしょうね」
「なッ?」
アウレオルスだけではない。
パラミラに関しては魔術の発動条件まで把握されている。
自然と重心が数センチ下がった。
スタンスがジワリと広がり、少しずつ緊張が高まっていく。
それでも魔術師の表情は変わらない。
ただ淡々と事実を伝えていくのみ。
「と言うのは扠措き、本当の目的を話しましょうか」
「・・・・・・は?」
と間の抜けた声をあげたのはパラミラだった。
「私が貴方たちの事を知っているのは。ステイルと土御門に聞いたことに他なりません」
「ステイル=マグヌスと土御門元春となれば、君はイギリス清教の魔術師と言う訳か」
「はい。神裂火織と申します」
「やっぱりそうだったか」
気を取り直したパラミラが名前を聞いたと同時に呟く。
「世界に二〇人といない『聖人』。そんなものが出てくるとはね。兄さんが目的ではないとすれば、いったい何のために学園都市に?」
おや、と神裂火織は不思議そうに、
「何のために、ですか。貴女方ローマ正教も同じ目的で魔術師を送り込んでいると聞いていたのですが、貴方ではなかったのでしょうか」
「同じ目的?」
「ええ、そうです」
神裂火織はビルの上から学園都市を見下ろしながら、
「学園都市に捉えられている『ある人物』を救出することです」
ピクリ、と誰も気づかない範囲で体が動いた。
それは、聖人である神裂火織でも気がつかないほどのもの。
「さぁ、私が学園都市にいる目的は兄さんだから、それ以外は何もないわ」
「そうですか」
それはよかった、と神裂火織は続ける。
「貴方たちとの交戦は避けれそうです」
聖人と言う言葉は頭の中に知識として残っていた。
生まれた時から神の子に似た身体的特徴・魔術的記号を持つ人間。
世界に二〇人といない天才。
それほどの存在が学園都市に送り込まれ、ある人物を救出すると言う。
なら、その人物は一体どれほどの者なのか。
「君ほどの魔術師が学園都市に潜入し、救出を行うとなれば、一体それはどんな人物なのだ」
「そうですね。貴女方は直接ローマ正教に関わりが無いようですし問題はないでしょう」
何か特別な力を持っていることは間違いないだろう。
科学と魔術。
その両方が奪い合うような何かを。
「名を
岩見澤セレナ、と。