魔法薬学の授業。縮み薬の調合を終えたあとハリーは理不尽な減点に憤りを感じながら昼食を食べて、闇の魔術に対する防衛術の最初の授業へと向かっていた。
「先生いないね」
「そうね」
隣に座って教科書と羽ペンを取り出しながらハリーは彼女に話しかけた。
「どんな授業をするんだろう」
「去年よりはマシになるでしょうね。まともそうだから」
少しやつれているけれど、確かにまともそうではあった。ロックハートのように演劇をさせられることは少なくともなさそうである。
そんな風におしゃべりをしているとルーピン先生があいまいに微笑みながら入ってきた。くたびれた古い鞄を先生用の机に置く。
相変わらずみすぼらしいが、汽車で見た時よりはなんだかマシに見えた。
「やあ、みんな。そうだな、まずは教科書をカバンに戻してもらおうかな。今日は実地練習をすることにしよう。杖だけあれば良いよ」
全生徒が教科書をしまう中、ハリーは怪訝そうな顔をした。今まで、闇の魔術に対する防衛術の授業で実地訓練なんてあっただろうか。
いいやない。あのロックハートがピクシーを解き放ったことを一回とするならあったことになるが、あれを一回とカウントしていいはずがない。
「よし、それじゃあ。私についておいで」
ルーピン先生は皆の準備が出来ると声をかけた。
「何をやるんだろう」
「さあ、でもどうやるのか楽しみね」
サルビアに聞いたら彼女は肩をすくめてそういった。どんな授業をしてくれるのか楽しみと。なるほど、確かに実地演習なんて今までなかったのだから、とても楽しみだ。
教室を出て廊下を進む。角を曲がったところ、ポルターガイストのピーブスに遭遇してしまった。
「ゲェ! サルビア!?」
いつもなら無礼にいろいろと悪戯やら妨害やらなんやらをやってくる彼は、なにやらサルビアに気が付くと、そのまま逃げるようにどこかへ言ってしまった。
みなが、サルビアを見る。サルビアは知らん顔だ。
「何したの?」
「しつけ」
面倒くさそうに答えた彼女はハリーが初めて見る表情をしていた。忌々しげにしていたのだ。いつも優しい彼女が忌々しげにするほどのことをやったのかと、逆に驚いた。
そして、あのピーブスが脱兎のごとく逃げるようになる出来事を想像して、サルビアを絶対に怒らせないようにしようと誓うのであった。
「さあ、止まってる暇はないよ、行こう」
再び歩きはじめる。辿り着いたのは職員室だ。ルーピン先生はドアを開けて、一歩下がり皆を招き入れる。
職員室は板壁の奥の深い部屋で、ちぐはぐな椅子がたくさん置いてあった。がらんとした部屋にたった一人、スネイプ先生が低い肘掛け椅子に座っている。
彼はクラス全員が入ってくるのを見て、ルーピン先生が扉を閉めようとしたときに、立ち上がった。
「ルーピン、開けておいてくれ。我輩、出来れば見たくないのでね」
黒いマントを翻して大股でみんなの脇を通り過ぎていく。ドアの所で彼は立ち止まって捨て台詞を吐いて行った。
「ルーピン、たぶん誰も君に忠告していないと思うから言っておいてやろう。このクラスにはネビル・ロングボトムがいる。この子には難しい課題を与えないようご忠告申し上げよう。ミス、グレンジャーが耳元でヒソヒソ指図を与えるなら別だがね」
ネビルは顔を真っ赤にした。ハリーはスネイプを睨みつけたが、そんなこと気にもしない。
「術の最初の段階で、ネビルには僕のアシスタントを務めてもらいたいと思ってましてね。それにネビルはきっと、とてもうまくやってくれると思いますよ」
「そうだと良いがな」
スネイプはそれだけ言ってバタンとドアを閉めてスネイプは出て行った。その後、ルーピン先生は、みんなに部屋の奥まで来るように合図した。
そこには先生方が着替え用のローブを入れる古い洋箪笥がポツンと置かれていた。ルーピン先生がその脇に立つと箪笥が急に揺れて壁から離れた。
「心配しなくていい。中にまね妖怪――ボガートが入っているんだ」
それは心配すべきことじゃないのか? とほとんどの生徒はそう思った。なにせ、彼はみすぼらしいのだ。少しでもなにかあってもどうにもできないのではないか。そう思うほどに。
「ボガートは暗くて狭いところを好む。洋箪笥、ベッドの下の隙間、流しの下の食器棚など――私は一度、大きな柱時計の中に引っかかっているのを見たことがある。ここにいるのは昨日の午後入り込んだ奴で、三年生の実習に使いたいから、先生方にはそのまま放っておいていただきたいと、お願いしたんですよ。
さて、それで質問ですが、まね妖怪のボガートとはなんでしょう」
質問にはハーマイオニーが手を挙げた。
「形態模写妖怪です。私たちが一番怖いと思うのはこれだ、と判断すると、それに姿を変えることが出来ます」
「私でもそんなにうまく説明はできなかったろう。ボガートは君たちの怖いものに変身する。だから、中の暗がりに座り込んでいるボガートはまだ、何の姿にもなっていない。箪笥の外にいる誰かが何を怖がるのかまだ知らない。ボガートが一人ぼっちのときにどんな姿をしているのか、誰も知らない。しかし、私が外に出してやるとたちまち、それぞれが一番怖いと思っているものに姿に変わるはずです」
しかし、そんなに恐ろしい生き物ではないと彼は言う。なぜならボガートよりもこちらがとても有利であるから。これにはハリーが答えた。
人数が多いため、何に変身すべきかわからないためだ。
「ボガートを退散させる呪文は簡単だ。初めは杖なしで練習しよう。こうだ、リディクラス」
『リディクラス』
全員が一斉に唱えた。
「そうそう、上手だ。ここまでは簡単だよ。でも、ここからは呪文だけじゃだめなんだ。ここで、ネビル、君の出番だ」
ルーピン先生はネビルに世界一怖いものを聞いた。それはスネイプ先生だと彼は答えた。次に、ネビルのおばあさんがいつもどんな服を着ているのかを聞いた。
事細かくネビルは答えそれに対して、ルーピンがそれを思い浮かべて、呪文を唱えるように言った。
「そうすると、ボガートスネイプ先生はてっぺんにハゲタカのついた帽子を被って、緑のドレスを着て、赤いハンドバッグを持った姿になってしまう」
みんな大爆笑だった。その後、ネビルがやっつけたあとも順番に挑むということになり、怖いものを考えるように言われた。
ハリーはヴォルデモートを最初思い浮かべた。しかし、その時、するりと腐った、冷たく光る手、黒いマントの下にするする消えた手。見えない口から吐き出される長いしわがれた息遣いの生物が入り込んできた。
そう吸魂鬼だ。思わずぶるりと震えてしまった。隣にいるサルビアに気づかれてしまっただろうか。ちらりとそちらを見ると目があった。
「え、えっと、サルビアは何が怖いの?」
思わずそう聞いてしまった。
「ないわ。怖いものなんて」
「そうなの?」
「でも、そうね。怖いとしたら、死ぬのが、怖いわ」
そんな彼女に何か言おうとして、
「さあ、みんな良いかい?」
ルーピン先生がそう言って始めてしまう。ネビルが洋箪笥の前に取り残され、
「さあ、いくよ? いーち、にー、さん、それ!」
洋箪笥が勢い良く開き、鉤鼻の恐ろしげなスネイプ先生が、ネビルに向かって目をぎらつかせながら現れた。ネビルは杖をあげて、
「り、リディクラス!」
上ずった声で呪文を唱える。すると、パチン、鞭を鳴らすような音がして、スネイプが躓いた。今度は長い、レースで縁どりしたドレスを着ている。
どっと、笑いが湧き上がった。スネイプのこんな姿を見たら笑わずにはいられないだろう。まね妖怪ボガートは途方に暮れたように立ち止まった。
「パーバティー、前へ!」
その後は、みんなが次々と前へ出てボガートと対決していく。ミイラ、バンシー、ネズミ、ガラガラヘビ、血走った目玉。
続継ぎと姿を変えては、魔法によって面白い姿に変えられていく。
「ロン、次だ!」
ロンが飛び出した。ボガートは蜘蛛へと変わる。
「リディクラス!」
蜘蛛の足が消えてゴロゴロ転がり出した。ラベンダー・ブラウンが悲鳴を上げて避けた。蜘蛛は転がって順番で前に出ていたサルビアの前で止まった。ルーピン先生が動こうとしたが、それよりも早くサルビアが前に歩み出た。
足なし蜘蛛が消える。現れたものは、この世のものとは思えないものだった。女子がのきなみ短い息を呑むような悲鳴をあげて、男子ですら後ずさった。
干からびた木乃伊のようなナニカがそこにはあった。辛うじて人の形をしているが、もはや憐れみすら通り越して酷い。
これでは木乃伊の方がまだましに思える。それほどまでに、そのナニカの状態は酷かった。
異臭なんてないはずが、皆が異臭を感じた。膿み腐りきった臭い。何もかもが終わっているかのような死臭を感じた。骨という骨が折り曲がり、砕け、腐りきった皮を突き破ってその姿をさらしている。
それは死骸だった。何かが生きていたもののなれの果てだ。誰もが吐き気を感じそうになりながら、それを見た。見てしまった。
「こっちだ!」
呆けていた生徒たちを現実に引き戻すようにルーピンの声が響く。その瞬間、死骸は消えてボガートは銀白色の玉となる。
「リディクラス!」
そう彼が唱えると、玉は風船に変わって箪笥の中へ戻って行った。
「ふぅ、いやはや。みんなお疲れ様。良くできた。そうだな、ボガートと対決したグリフィンドール生には一人に付き5点をやろう。ハーマイオニーとハリーにも5点ずつだ。それから、宿題だ。ボガートに関する章を読んで、まとめを提出してくれ。月曜までだ。それと、さっきので気分が悪くなった者はここにチョコレートがある。食べていきなさい。今日の授業はこれで終わり。それと、サルビアは、あとで私の部屋に来るように」
そう言って、授業は終わり、皆はチョコレートを受け取って職員室を出た。最後のあれがなんだったか皆話さない。すっかりと、楽しい気分が消えてしまった。
サルビアのあれはいったいなんだったのか。あれが怖いものとは一体。そんな話ばかり。
「え、ええっと、ルーピン先生って、いい先生だったよね!」
空気を察してロンがみんなに対してそう言った。それによって暗い空気が霧散して、皆が一応に、同意して自分の手柄を話し始めた。
シェーマスがバンシーと対決したことを話し、帽子をかぶったスネイプの話題を出して笑い合った。廊下を一つ曲がる頃には、先ほど見たものを忘れることができた。
だが、ハリーは、忘れることができなかった。むしろ気になった。いったい、あれは何だったのか。呼び出されたサルビアはどうなったのだとか。
そんなことばかり考えていた。どこかで、あれと似たなにかを見た気がして。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「それで、先生、私に何か用ですか?」
ルーピンの部屋に呼び出されたサルビアは面倒くさそうに聞いた。検討は突いている。おおかた、先ほどの授業のことだろう。
ボガートが変身したあれは、サルビアが死んだ姿だ。おぞましく、醜く、手を伸ばし、何かに縋りつこうとした憐れな残骸だ。自らの予想通り、やはり死という形であれは姿を現した。
だが、それはおそらく他に変身できるものがなかったからだ。比較的恐れているだろうものにあれは姿を変えたに過ぎない。
何も怖いものはない。恐ろしいものは何もない。だから、そんな人間が立ったらどうなるのか試してみた。そして、やはり死になった。
恐れるもの、忌避すべきもの、必ず防がなければならないもの。強い生への執着が、ボガートに変身させた。
「その前に、まずは座りなさい。紅茶で良いかな?」
「いいえ、お気遣いなく」
「そうかい? ――わかった。本題に入ろう。君は、リラータの子だね?」
「ええ、そうですよ。気が付いていたのでしょう」
「確証がなかった。あの人の子供がまさか、グリフィンドールに入っているなんて思いもしなかったんだ。でも、ボガートが変身した姿を見て確信したよ。君は、あの人に良く似ている。ボガートが変身する姿まで一緒だ」
あの人。それは先代のことを言っているのか。
「だから呼び出したんですか?」
「いや、……ああ、そうだよ。君の人となりが知りたかったんだ」
「そうですか。心配は無用ですよ。私は、私です」
それでも
彼の子供というだけで色眼鏡で見ないだろうか。もしかして、あいつも親と同じことをするんじゃないのか、と。少しは思うし、心配する。不安にもなるだろう。
ルーピンが感じているのはそういう類のもので、小さなものだ。だが、厄介なことこの上なかった。まさに、同じ道を歩もうとしている者にとっては。
――厄介だな。本当に、つくづく邪魔しかしない
「そうか。わかった。呼んですまないね。さあ、行きなさい」
「いえ、ありがとうございました」
サルビアはルーピンの部屋をあとにする。心配はいらない。奴に対する切り札をサルビアは持っているのだから――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
闇の魔術に対する防衛術の授業は酷く人気だった。嫌いなのはスリザリンの一部の生徒くらいだ。サルビアの目のないところでマルフォイが騒いでいる。その程度だ。
ボガートのあとは
そして、サルビアのことを気にかけている。警戒というよりは心配といったレベルだが。厄介なことにかわりはなかった。
そうされるだけのことを先代はやったのだ。多くのマグルや魔法族を攫っては人体実験を繰り返した。残忍で、残酷にして最悪の実験をだ。
生きたまま皮をはぎ、筋肉を一本一本線維をほぐしながら剥いでいく。巧く止血をやるので、死ぬに死ねない。人間の臓器を動物の臓器に置き換えたり、脳移植すら彼は行った。
人間同士を戦わせて呪いを強くする蠱毒、そういう術式すら扱った。人狼を捕まえて、マグルの都市のど真ん中に解き放ち、多くの人間を噛ませて実験材料にしてバラバラにしたという話は、その界隈ではあまりにも有名だ。
彼が討たれる時、彼の屋敷には数千を超える生きたナニカがあったという。死んだ方がましだと言えるようなものが作り出されていたのだ。
また、派遣された闇祓い数十人を彼はただ一人で返り討ちにした。あげく、切り刻み、ゾンビにして魔法省に嗾けた。死にかけの重篤患者だというのに、十年以上も闇祓いの捜索から逃れ時には打倒し、捕えては実験しながら逃げたという。
闇の帝王が死ぬ前に死んだが、その終わりは酷く呆気なかった。単純だ。病である。ついに身体が限界にきて死んだ。ただそれだけである。
人狼であるなら、おそらくは先代の人狼にまつわる事件が気に入らないのだろう。ボガートの前にたって見えた銀の玉。それは満月だ。
つまり、ルーピンが怖がっているのは満月ということになる。人狼が満月を恐れる。変身することを恐れているということに他ならない。
そんな人間が、人狼を街に解き放ち人間を実験体にしたなどと聞いたら気分が良くなかろう。それだけではないが、まあ、警戒されるだけのことを先代はしたのだ。
「自分を有能だと思っている屑ほど面倒なものはない」
しかし、人狼は実験して見たくもある。何が人間を人狼にさせるのか。それは実に気になる案件だ。サルビアが病魔を克服してやりたいことは、探求である。世界の全てを解き明かす。
そのために人狼のサンプルは是非とも手に入れておきたい。出来ることなら警戒を解いておきたいものだ。警戒されては動きにくい。
死んだと言われているピーター・ペディグリューがホグワーツの中をうろついているのを見つけたので、それも捕まえたくある。
なにより動きにくいのは面倒だ。
「まったく、自分の分すらわからん塵屑共め――ごはァ!」
血を吐く。骨が折れた。変身術で誤魔化しているのが、もはやごまかしがきかないのか浮遊呪文を自身にかけていなければ脚がへし折れるほどになっていた。
ボトルに入ったユニコーンの血を飲み干す。命の水を飲み干す。症状が進んだ今では意味がない。まったく効果を実感できない。悪寒がとまらない、震えるだけで皮膚が裂けた。肉体を蝕む癌の這いずる音が耳に響く。
脳の血管が全身の筋肉がぷちぷちとこの瞬間にもちぎれていっているようだ。手が動かなくなり、杖も触れなくなる時がある。
咳が止まらないし、もはや目など何も見えないのと一緒だった。皮膚がどす黒く染まっている。変身術を使っても意味を成さないほどに深い病巣が顕現している。
垂れ流す体液、排泄物全てがどす黒い何かだった。蛆虫が皮膚を食い破っているし、歯など、残っていたわずかなものもぽろぽろと落ちて、その辺に転がっている。
眼球はもはや眼孔にはまっているだけのぶにぶにした塊だ。何かあればぽろりと落ちるだろう。痛みが酷く、何も感じない。神経がとけて千切れていそうだ。
もはや、待つということはできない。
「――やるしかない」
幸いにしてまだ頭は働く、手も絶大な意志を持って魔法力を使えば動く。しかし、一刻の猶予もない。
呪文の習熟の為に、禁じられた森で魔法生物を襲う必要がある。そのあとは、マグルの街でマグルを襲って身体や生命力を補填しなければ近いうちに死ぬ。
「ふざける、な。死んで、たまるか」
もはやなりふり構っていられない。そもそも構う必要などないだろう。塵屑などどうなったところで構わないのだから。
マグルで身体を補填し、生命力を奪ったあとは、魔法界だ。全ての者から、体力を奪い、力を奪うのだ。糞塵屑を使い潰して、自分が、いつまでも生きるために。
完治の為の最適解などない。いまだ、闇の中だ。だが、それでも世界中の人間から生命力を奪えば少しはたしにはなるだろう
全ての塵屑の寿命を奪い、病を押し付け、時間を作る。
時間さえあれば、治療法をつくれる。作れないはずがない。自分はサルビア・リラータなのだ。できないはずがない。
人権? 善悪? 知るかそんなもの。生きるために役に立たないものなどに価値があるわけがないだろう。生きるのに、善いも悪いもない。生きたいと願って何が悪い――。
まね妖怪は彼女が死んだ姿に変わりました。
そして、ついに、そうついにタイムリミット。もはや一刻の猶予もありません。
ここまで良くもった方です。命の水がなければ一年目で終了でしたので、三年目までよくもったものです。
播磨外道開催。べんぼうの扉が開きます。魔法生物、マグルの都市、終了のお知らせ。
鬼畜外道タイム開催です。ついに本性を現した逆十字がハリポタ世界に牙を剥く。
てなわけで次回平穏終了。