サルビアは医務室で気が付いた。変身術はかけなおされ、またいつもの美しい姿に戻っている。だが、何も変わっていない。世界は、未だ暗い闇で覆われている。
気分は最悪で、何も感じなかった。先に目覚めていたお見舞いにハリーや、ロン、ハーマイオニーたちが来ている。
「良かった! 目が覚めたんだね。石、ちゃんと守れたよ」
「ええ、そうね、そうかもね。あなたのおかげよ」
何かを言った気がした。
「本当、僕ら凄いことしたよな。そりゃあ、僕はあまり役に立たなかったけどさ」
「ええ、そうね。そうかもね。でも、あなたのチェスの腕前は、凄かったわ」
何かを言った気がした。
「本当、全員無事なのが信じられないくらいだわ。でも、良かった。みんな無事で。これで学年末試験も問題なさそうね」
「ええ、そうね。そうかもね。学年末試験も頑張らないとね」
何かを、言った気がした。
サルビアには、彼らが、何を言っているのかわからなかった。意味はわかる。内容も通じる。だが、何も聞こえない。
何も感じない。何も、何も、何も。
一度は極彩色を取り戻したのが原因。色を知っただけに、この暗闇は暗すぎる。いつもの場所。だが、いつもよりも深い。暗がりは、更に深く、誰の声も、誰の手もここには届かないし伸ばされない。
身体は思い通りに動かせる。だが、動かない。目は見える。だが、世界は漆黒だった。耳は聞こえる。けれど何一つ聞こえてこなかった。痛みはある。だが、何も感じない。
「起きたようじゃのうサルビア。君には残念な知らせかもしれんが石は砕いてしまった。ヴォルデモートもまだ生きておるからのう。悪用されるのを防ぐために残しておくわけにはいかんかった。じゃが、安心すると良い。君とニコラスが生きるのに、必要な分の命の水は貯えてある。必要な時には、いつでも言うんじゃぞ。わしは、絶対に君を見捨てん」
ダンブルドアがやって来た。生きるのに必要なだけの水を確保してくれているらしい。何かを言っていた。何も聞こえない。
何も聞きたくない。何も、何も、何も。命の水? それがどうかしたのか。もはや、命の水に価値など感じられなかった。
「はい、ありがとうございます。この
何かを、言った気がした。
いつものように笑顔で。心底、心底、心底、
「明日には退院できますからね」
「……はい、ありがとうございます……」
確実に言える。何かが変わっていたのだ。いや、終わったと言ってもいい。確実に。心の中の何かが完全に切れてしまっていた。切れてはいけないものが
ハリーたちと同じく、一日医務室で過ごして明日には日常に戻れるという。戻ってどうするのだ。もはや、そこに価値はない。
賢者の石は砕かれた。命の水は限りあるものとなり、永遠を保証するものではなくなったのだ。サルビアの身体を直し、尚且つ生きるには賢者の石が必要だ。莫大な命の水がいるのだ。
限りある水で完全に回復できるはずがない。その証拠に、あの時、水を飲んだというのにまるで意味がなかったではないか。
死ぬ。みじめに、惨たらしく死ぬのだ。何の価値もない、生きている意味のない有象無象は死なず、生きるべきサルビア・リラータは死ぬ。
「ふざけるな……」
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな、ふざけるなふざけるな!! 呪詛のように木霊する声。声が枯れるのも厭わずに、喉が潰れるのも厭わずに彼女はただ呪詛を吐き続ける。
だが、ふいに、その声は止まる。
「――ああ、そうか……」
塵屑に少しでも、ほんの砂塵ほどでも、期待した自分が間違いだったのだ。信じられるのはただ一人、自分だけ。そうだ、そんな単純なことに気が付かないなんて、なんて馬鹿だったのだ。
塵屑が作った賢者の石とかいう糞に縋って、それを手に入れようとしたことが、求めたこと自体が間違いなのだ。まったく効かない治癒の呪文、病院も何もかも、塵屑が作り上げたものに他ならない。
つまりはそう言うことだ。塵屑を幾らが作り出した塵に意味はない。意味があるものは自分だけだ。そう、自分だけ。自分だけが、自分を救えるのだ。
それでも塵屑が羨ましい。何も持っていないくせに、一番必要なものをもっている貴様らが
――寄越せ、寄越せ、寄越せ、寄越せ寄越せ寄越せ寄越せ、寄越せよ!!!!
――貴様ら塵屑が生きて、この私が、死んでいいはずがないだろうが!
――奪ってやる――
彼女の背後で何かが立ち上がって行く。それは、逆さの十字。逆さの磔。劫火の中で燃える、死の象徴。彼女の、心。
「奪ってやる。お前たち塵屑どもが持っているより、私が持っていた方が良いに決まってる! お前らの寿命を寄越せ! 私の役に立てよ、お前たちの価値なんて、
そうだ、新たな呪文を創る。塵屑の作った呪文なんぞ役に立たない。塵屑の呪文を使い、塵屑に全てを任せた結果がこれだ。だから今度は自分で。自分で、己が生きる為に必要なものを作り上げるのだ。
賢者の石よりも優れたものを創りだせばいい。この世界は塵屑の山だ。何も役に立つわけがないだろう。貴様らが私を見下すのは、誰もが持っている
それ以外に価値なんてない。だから使ってやる。奪い、私が直接使うのだ。お前たちはせいぜい、私に使われていれば良い。
目の前に出て来るな蛆虫共が。私の後ろで磔になってろ。
皮膚の下をはい回る蛆虫共を掻き出し握りつぶす。
「生きてやる。生きるのに、良いも、悪いもない。生きたいと願って、何が悪い。何をしても、生きてやる。生きて、やる、んだ」
生きてやる、生きてやる、生きてやる。呪詛に願いを織り交ぜて、彼女は生きることを諦めない。生きてやるのだ必ず。諦めない。
諦めない、諦めない諦めない。諦めない。何をしても生き延びてやる。
逆十字に救いなどいらない。救いは己で創りだす。希望は奪う。
生者を磔にし、死者を踏みにじり、逆さの磔の前で嗤う。それこそが
もう遅い。誰の手も彼女には届かない。誰の救いも、彼女には届かない。誰も、誰も、誰も――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
学年末試験を終えて、学年末パーティーがやってくる。ホグワーツの長かったようで短かった一年目が終わりを告げるのだ。
大広間には全校生徒が座っていた。その様はお祭り騒ぎと言ってもいい。ただ一つの寮のテーブルを除いて。赤と黄金、獅子を模した紋章の旗飾りが大広間を飾っている。
グリフィンドールが、スリザリンの七年連続寮杯獲得を阻止した。つまりはそういうこと。学校中がお祭り騒ぎになるのは頷ける。
あのマクゴナガルですら、喜びの笑顔を浮かべているのだから。それもこれもハリーたちのおかげなのだ。賢者の石を守った。
そのことがダンブルドアによって学校中に報告された。大幅にハリーたちは加点されたのだ。それによって、グリフィンドールが最下位から首位に浮上したのだ。
ハリー・ポッター。その強い意志と卓越した勇気を讃えてグリフィンドールに60点。
ロナルド・ウィーズリー。この何年間かホグワーツで見る事の出来なかったような最高のチェス・ゲーム見せてくれた事を称え、グリフィンドールに50点。
ハーマイオニー・グレンジャー。火に囲まれながら冷静な論理を用いて対処した事を称え、グリフィンドールに50点。
サルビア・リラータ。不屈の意志で、目的を成し遂げようとしたその意志に50点。
良く頑張ったと褒め称えられた。グリフィンドールのヒーロー。賢者の石を護った英雄。生き残った男の子万歳。
その輝き、その勇気に、万来の喝采を。
騒がしい大広間にゴブレットを叩く音がこだまし、ダンブルドアが立ち上がる。
「また1年が過ぎた! 一同、ご馳走にかぶりつく前に老いぼれの戯言をお聞き願おうかのう。この一年、君たちは多くの物を学んだはずじゃ、夏休みには抜けているかもしれんが、それは良いじゃろう。では、さっそく寮対抗の表彰を行うとしよう。点数は次の通りじゃ」
グリフィンドール、658点。
スリザリン、472点
レイブンクロー、426点。
ハッフルパフ、352点。
「グリフィンドールに優勝カップを!」
大歓声が上がる。誰も彼も――スリザリン以外――が喜びの声をあげていた。グリフィンドールの優勝。誰もが夢見たものだ。
スリザリンからの優勝カップの奪還。これが成されたのだ。嬉しくないはずがない。帽子を脱ぎ捨てて喜ぶみんな。
だが、その中でハリーはサルビアが目に入った。みんなが喜んでいる中で、彼女だけが俯いている。ハリーは彼女もきっと喜ぶだろうと思っていた。
一緒にあの難関を切り抜けた仲間だから。どこか悪いのだろうか? 心配になってハリーはサルビアへと声をかけた。
「大丈夫? ――っ!?」
その瞳と目があった瞬間、思わず声をあげそうになった。その瞳の奥に、燃える何かを幻視したからだ。恐ろしさで言えばあのヴォルデモートすら霞むほどの何かを感じた。
だが、
「どうしたのハリー?」
次の瞬間にはそれは消える。だから、気のせいだったとハリーは思い直した。賢者の石をめぐるあの戦いがまだ頭から離れていないのだと。
彼女は大切な仲間だ、大切な友人だ。恐ろしいなんて思うはずがない。そう思う。だから、生まれた考えや不安は全てハリーは頭の外に追いやることにした。
もう彼女からそんな恐ろしさは感じない。いつものサルビアだったから。
「ううん、なんでもない。少し元気がなさそうだったから」
「そう? いつも通りよ。……ううん、そうね、少しだけ。いろんなことがあったなって、思っただけよ」
もう終わり。お別れ。また二年。それに感傷を感じていたのと、彼女は言った。そうだ。もうお別れなのだ。ハリーもまたその言葉でそのことを思い出す。
学校は夏休みに入る。自分はまた、ダーズリーの所に行くのだろう。そう思えば、確かにサルビアのようになってしまうのも少しは頷ける。
「また会えるよ」
また会える。またダーズリーの所戻るけれど、来年もホグワーツに通うのだ。だから、きっと大丈夫。そうハリーは言った。
「ええ、そうね」
そう言って彼女は笑ったのだ。その笑顔にどこか違和感を感じたけれど、次の瞬間にはフレッドとジョージに押しつぶされ、いろんな人に抱き着かれてそれどころではなくなった。
パーティーを楽しむ間に、そのことも忘れてしまう。
そうして、帰りの汽車が出る。
「さぁさぁ、急げ。遅れるぞ。もうすぐ汽車が出る! みんな急げよ!」
ハグリッドが生徒たちを送り出している。ハリーは、さよならを言うために彼に近づいて行った。
「さよならも言わずに行っちまうかと思った。お前さんに」
手渡されたのはアルバムだった。両親の写真と、それから、ハーマイオニー、ロン、サルビアの写真。いつの間に撮ったのだろう。
けれど、これ以上ない品であることは間違いなかった。
「ありがとう!」
「さあ、もう行け。遅れるぞ。行け。あぁ、そうだ、ハリー。もしあの馬鹿いとこのダドリーに何か悪さされたら……んだ、脅してやれ。豚の尻尾に似合う耳をつけてやるとな」
「でも、ハグリッド。未成年は学校の外じゃ魔法を使えない。知ってるでしょ?」
「ああ、でもダドリーは知らん」
それもそっか、とハリーは笑った。
「ありがとう」
「ああ、またなハリー。来年も待ってるからな」
「うん!」
それじゃあ、と言ってハリーはコンパートメントに乗り込む。そこにはかけがえのない友人がいる。
ロン、ハーマイオニー、そしてサルビア。ホグワーツで出来た。代わりのいない、大切な友人たちだ。そんな仲間たちとハリーはロンドンへ、プリベット通りへと、戻って行くのであった――。
というわけで賢者の石編終了です。お付きあいいただきありがとうございました。
ここまで来れたのも皆様のおかげです。
二巻に入る前にサルビア勝利ルートというご都合主義なIFルートでも書いてみようかと思ってます。
二巻の内容は11日辺りからやる予定。
では、また次回。