同調率99%の少女 - 鎮守府Aの物語   作:lumis

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 東京湾での深海棲艦急増の異変。事態の対処で右往左往した神通と五十鈴は現地報告のため、直近の海保の事務所のある館山へと移動し始めた。那珂らに会える嬉しさのため二人は見えてなかった、迫る現実に。


二人の危機

 

 神通と五十鈴は連戦の疲れもあったので、速力区分スクーターの10ノットから速力歩行の5ノットの間を推移させながら移動していた。そのため到着が何時になるかわかったものではない。

 さすがに帰る時間を心配した五十鈴は神通にソワソワしながら提案する。

「ねぇ、速力上げない?帰る時間が遅くなると……今日はまさか緊急の出撃があるとは思わなくて、両親に艦娘の仕事が終わる時間伝えてないのよ。だから……。」

「はい。わかりました。私も……ママに連絡していないので。」

 神通は頷いて返事をした。

 艦娘用のスマートウォッチおよびウェアでは、一般電話回線には繋げられない。そして自身の携帯電話は鎮守府に置きっぱなし。通信して連絡を取れるのは内線扱いの鎮守府、それから海保など関連団体のみだ。つまり二人とも一般への連絡手段がなかった。

 

 せめてものの頼りで提督に連絡をすると、せっかくだから館山でみんなとゆっくりしていきなさいなどと暢気な一言が投げかけられた。その一言にイラッとした五十鈴は

「私と神通がどんなに遅く帰るまで、置いてきた荷物と着替えをちゃんと保管しておいてく・だ・さ・い! 長良と名取にもそう伝えておいて!」

 心内の温度差を感じた五十鈴は、そうピシャリと伝えて通信を切った。

 五十鈴の声を荒げた通信最後の迫力に驚いた神通は五十鈴が溜息をついて呼吸を整えたのを確認してから声を掛けた。

「あの……提督はなんて?」

「あの人はもう……。事態が落ち着いたからって、暢気に言ってくれたわ。館山で皆とのんびりしてきたらって。あの人のああいう脳天気なところがあるのが好かないわ。」

「それでは、どういう西脇提督なら、お好みなのでしょうか。」

 神通は流れでなんとなく尋ねてみた。すると五十鈴は見事なまでに流れるようなスムーズさで答え始める。

「そうね。真面目なところがいいわね。あの別段たくましくもないんだけど、年相応の無骨な手で真面目な相談のときに頭を撫でてくれたり、タイミングおかしかったりして不器用だけど優しいところもいいわね。……って! 何言わせるのよ!?」

 頬を染めてペラペラと語る五十鈴を見て、神通はこの先輩がとても心配になってきた。こんなにチョロくてどうするんだろうと。

 神通は何度もゴメンなさいというが、五十鈴は照れもあり、那珂や川内にあたるようなきつい口調で何度も神通に詰め寄る。しかし本気の当たりではないのはどちらも承知だ。もし傍から見られても、単に女子高生同士がからかいあってイチャイチャしているとしか取りようがない状況だ。

 

 その後話題は色々移り変わる。やや速力を上げてはいたが、二人とも残りの活力をおしゃべりに費やしていたため、すぐに速力は歩行つまり5ノットに落ちる。やがて二人の目の前には、陸地が見えてきた。

 否、島である。

 実際には安房勝山沖に浮かぶ浮島だったが、二人はもはやそんな地理的なことを確認する気力や気分ではなく、なんとなく航路を調整してやりすごすだけだ。

「陸……でしょうか?」

「あれは明らかに島でしょ。なんて島かわからないけど、西側を通るわよ。」

「(コクリ)」

 二人は身体と主機の意識を右に傾け、航路をずらした。自然と緩やかに曲がり、島の西約100m付近を通る形になった。

「灯りは見えないから、無人島かしら。千葉で無人の島って……あぁもう。地理の勉強もっとしておくべきだったわ。」

 五十鈴のやや冗談めいた愚痴に、神通は単に息を吐いたような声でもって苦笑の反応をするに留めておいた。

 

 

--

 

 二人は意識の上では、半分以上、普段の五十嵐凛花・神先幸に戻っていた。普段真面目で周囲への用心深さという意識が高い五十鈴にとって、この島は単に通り過ぎるための地形に過ぎなかった。神通に至っては、五十鈴の判断と対応がすべてと任せきっていたため、五十鈴以上に気が抜けており、島を半分通り過ぎた後の背後に気づかなかった。

 

“それ”はヒューという空気を切る音をほのかにささやかせながら飛来し、五十鈴の背中の艤装に静かに命中し、激しく揺さぶった。

 

 

ベシャッ

 

ズガアアアアァァン!!!

 

 

「かはっ……」

 

 五十鈴が急に目の前に飛び出したのを神通は目の当たりにした。その時の神通は五十鈴の先に出て移動していたためだ。そして五十鈴が力なく海面に顔をつけ横たわろうとしている姿まで目にしても、事態を理解できなかった。

 神通がやっと理解に及んだのは、五十鈴が足の主機以外のほぼ全身が同時に沈み始めて半分近く見えなくなった頃だった。

 

「い、五十鈴さん!!!!」

 

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 目をカッと見開いた神通の悲痛な声が響き渡る。聞く者は誰もいないし、周りに聞かれたら恥ずかしいなどと余計なことは一切思い浮かばないため、本気の本気で神通は心配のために大声を出して五十鈴に駆け寄った。

 慌てて五十鈴の身体を持ち上げる。艤装の効果により腕力はアップしているが、それでもなかなか上がらない。どうやら五十鈴は気絶しており、同調が切れてしまっているようだった。そうすると、五十嵐凛花本来の体重に艤装本来の重量が加算され、それを神通としてのパワーで持って支えなければならない。

 なんとか上半身を海面から上げるくらいには持ち上げて背負えた神通だが、それ以上持ち上げられない。どうやらそこまでが、神通の艤装でパワーアップした神先幸としての力の限界だった。五十鈴の太ももの半分から下はまだ海水に浸かったままだ。

 このままでは、一人で五十鈴の介抱、索敵、反撃、回避、逃走すべてを行わなければならない。これからすべきことが一気に脳裏に溢れると同時に冷や汗も吹き出る。

 

 自分が怪我したわけではないのに、こんなにピンチになることなんてあるのか。

 仲間がやられただけで、こうなる。

 そうか。自分が以前やられた時、もしかすると那珂や五月雨・不知火もこういう心境になったのか。

 

 思いにふけっている場合ではない。神通は思考を1秒以内で切り替え、五十鈴を目覚めさせることに目標を設定した。

 

「い、五十鈴さん! 起きてください! 起きてくださいーーー!!!」

 

ビシッ!ビシッ!

 

 神通は正面から五十鈴を抱きしめながら、必死に頬を叩く。何度も叩くが、なかなか五十鈴は目を覚まさない。

 その時、かすかなヒューっという音が響き、近くの海面が水柱を立てた。

 

バッシャーーン!!

 

「きゃあ!!」

 

 思考を張り巡らせる必要もない。間違いなく、さきほど五十鈴が被弾した何かだ。あれを受けたらまずい。神通は中腰になり、五十鈴を背負って左肩にひっかけた。五十鈴の半身を掴む左手に最大限の力を込める。空いた右手は自由に使えるようにする。

 次はとにかくこの場から離脱することだ。自分たちを狙ってきた相手がどういう姿でどういう攻撃だったのか、確認している暇はない。とにかく逃げなければ。

 神通は五十鈴の重さのために左半身をやや海中に沈めてバランスを狂わせつつ、推進力を得てゆっくりと前進し始めた。

 

 

 どこに逃げるか。神通は必死に考えた。

 館山?いいや、逃げ延びるにはあまりに遠すぎる。

 左は千葉県だから、右、つまり西、東京湾の入り口~太平洋?広い海すぎて逃げてもその先がない。

 

 となると、答えは陸地だ。最悪この島でもいい。しかしそのまま上陸するために近づいたのでは、先刻から何かを砲撃してきている相手におそらく近づくハメになる。

 島の反対側ならどうだ? もう迷っている時間はない。そう思った神通は決断即、身体を傾けて左に回頭し、一路東進、やがて北進して浮島の東側に向かうことにした。

 

 移動中にも、五十鈴を目覚めさせるべく必死に呼びかける。

「五十鈴さん!起きてください!気づいてください!!」

 一向に目を覚まさない。この際コンプレックスでも突けば目を覚ますか?

 そう思考を変えた神通は、大声で一言ぶつけた。

「五十鈴さん!! そのおっきな胸揉みしだきますよ!? 感想を西脇提督に報告しちゃいますよ! いいんですか!?」

 言っててアホだなと自分で思ったが、そのアホな口撃は、意外にも効果を見せた。

 

「な……なんですってぇーーー、那珂! え…!?」

「五十鈴さん!」

「あ、え? 神通? 私、なんで……。いっつぅ~」

 

 

--

 

 神通は速度を緩めた。そして五十鈴が同調再開したのを確認してから海面に下ろした。五十鈴が無事に再び浮かぶことができたのを見届けてから神通は口を開いた。

「よかった……五十鈴さん、目を覚まして。」

 五十鈴はまだ体調が悪いのか、頭をブンブンと振って呼吸を整えてから返す。

「ゴメンなさい。状況がよくわからないわ。私は……」

「被弾したんです。後ろから何かが当たって爆発したみたいで、五十鈴さんは気絶しちゃったんです。」

 神通からここまでの数分の出来事を聞くと、五十鈴はようやくそれまで保っていた苦々しい表情を解いた。

「そう……。それで、その敵の正体は確認しなかったわけね。」

「はい。申し訳、ございません。」

「別にいいわ。生き延びることが優先よ。それで、砲撃はもうないのね?」

「はい。ここの海域まで逃げたら、もう後ろからは何も飛んできませんでした。」

「敵の正体がわからないからなんとも言えないわね……。とにかくひたすら逃げるしかないわね。」

「そんなちょっと情けない気も……。」

「し、仕方ないでしょ!もう一度確認しにいきたくてもとてもそんな状態じゃないわね。私はライフルパーツ落として主砲は使えない。艤装が何かおかしくて魚雷発射管と通信不可。かといって無事なあなた一人に行かせるわけにもいかないし、これ以上首を突っ込むのは危険だわ。」

 五十鈴は普段那珂や川内にツッコむ勢いと雰囲気を取り戻していた。神通はやっと五十鈴が苦しみから解放されたような気がして、微笑ましかった。が、表向きはニヤけるなどということはしないで平静を保つ。

 五十鈴は少し思案する仕草を取った後、顔を上げて神通にまっすぐ視線を向けて指示した。

「神通、悪いけれど、私の代わりに海保と海自の館山基地に連絡を取ってくれる? このことを伝えて。」

「え……でも、どのように伝えれば?」

「ありのままでいいのよ。海保の船舶じゃ深海棲艦には弱すぎるし、海自なら。それに館山基地には今なら艦娘が大勢いるはずだし、迎えに来てもらえればなんとかなるわ。」

 五十鈴の提案を耳にし、神通は深く唾を飲み込み、頷いて早速通信をすることにした。

 

 

--

 

 神通がしどろもどろになりながら海上保安庁と海上自衛隊の館山基地に連絡している間、五十鈴はその様子をヒヤヒヤしながら見ていた。よく考えたら、神通は赤の他人と会話したり接触するのが苦手だったんだ。神通のスマートウォッチごしに自分がしゃべってあげればよかった。

 そう思ったが、これも神通の教育のため。那珂だったらきっとこうしただろうと想像し、五十鈴は神通を信じて任せることにした。

 

 なんとなく視線を付近の海上に移す。ぐるりと360度周囲を見渡す。すでに夜の帳は下りており、艦娘の艤装によってパワーアップした視力であっても暗がりでの視認性は低く、これ!といったものは確認できそうにない。

 この時間帯以降であれば、川内か夕立がいれば十分な索敵能力を発揮できるのにと五十鈴はないものねだりをして落胆した。

 ふと、遠くに動くものを発見した。決して川内や夕立のように暗視状態に見えるわけではないが、なんとなく輪郭を確認できた。やはり深海棲艦。二等辺三角形状に海上に半身を浮かばせて進む3体と、海上を走る人。

 

人!?

 

 五十鈴は目をこすってもう一度見た。

 間違いない。人が深海棲艦3匹に追われているように見える。もしかして神奈川第一の艦娘か?

 これはまずいと瞬時に感じ、神通の肩を叩いて彼女を背後に振り返らせるようにする。

 

 ちょうど通信が終わる頃だった神通は五十鈴から神妙な面持ちと口調で伝えられて促された。

「ちょっと神通。後ろ、見て。私の目には人が追われているように見えるのだけれど、あなたはどう?」

 五十鈴から問われて神通は目を細めて遙か先の海上を凝視する。そして五十鈴が見たものを同じ光景を視認した。

「え? ……は、はい。あれって艦娘ですよね!?」

 五十鈴は額を押さえてため息をつく。

「やっぱりそう見えるのね。どういうわけかわからないけれど、あの人を助けるわよ。」

「はい。でも、五十鈴さんは……?」

 神通が心配げに五十鈴の頭から足元まで見渡すと、五十鈴は大げさに肩をすくめて語気を強めて言う。

「今の私だって動いて注意を引くことくらいはできるわ。さ、行くわよ。」

「はい!」

 

 追われる謎の人物を助けるため、神通と五十鈴は180度回頭し、先刻襲われた海域目指して戻ることにした。

 

 

--

 

 神通と五十鈴が目標目指して進むと、追われる人物は二人に気づいたのか、進む方向を変えた。二人にはそのように見えた。

「神通、もう少し近づいたらスマートウォッチの近接通信であの人に連絡を取って。それと私に一本魚雷をちょうだい。魚雷を投げてあの人が逃げる方向とは逆方向に私が進んで、3匹の深海棲艦の注意を引くわ。」

「そ、その後は?」

「あなたとあの人の二人なら、なんとかあの3匹を倒せるでしょ?」

「え、そんなの……無理です。初めて会う人となんてうまく協力できるかわかりません。」

 五十鈴の突飛な作戦に神通は息を飲んだ。そして驚きを隠せず戸惑う。しかし五十鈴は神通の戸惑いなぞ気にせず続ける。

「それでもやらなくてはいけないときはやるのよ。申し訳ないけど私は逃げ回って撹乱することくらいしか役に立てないわ。だからあなたがリーダー、つまり旗艦となってこの戦場を制してちょうだい。いいわね?」

「うぅ……わかり、ました。」

 五十鈴の強い気迫による指示に神通は拒否なぞできる勇気なく、強引に旗艦を引き継がされた。

 

 追われる人と神通たちの距離がだいぶ縮まってきた。神通は頃合いを見て近接通信機能でまずは音声通話を試みた。

 しかし、通話対象者には誰も表示されない。更新ボタンを何度押してもそこに表示されるのは五十鈴のみだ。

「あの……五十鈴さん。通話できる相手に、誰も表示されません。」

「は? そんなわけないでしょ。更新ボタン押した?」

 五十鈴の念入りな確認に神通はもう一度操作をするが、やはり相手の表示は五十鈴のみだ。検知されないことを再び伝えると、想定を口にする。

「もしかするとあの人のスマートウェアか艤装の通信機能が壊れてるのかもしれないわね。直接呼びかけて促すわよ。」

「(コクリ)」

 

「もしもーし! こちら、千葉第二鎮守府の軽巡五十鈴ですーー! 助けに来ましたので応答ねがいますー!」

 

 その時、件の人物の後ろの深海棲艦の目と思われる部位がチカチカと光った。

 

バッシャーン!!

 

 何かを発射したため、件の人物の傍に水柱が立つ。何度も攻撃される件の人物は応戦するタイミングがつかめないのか、反撃しようとしない。

「まずいわね。あの人反撃しないわ。」

「きっと……できないのでは?無理も、ないかと。」

 神通がそう口にすると五十鈴はコクンと頷き、そして攻撃の準備をさせた。もちろん件の人物を助けるためだ。

 五十鈴の暗黙の指示を神通はすぐに理解し、左腕の連装砲を構える。そして右腰につけていた魚雷発射管から一本魚雷を抜き取り五十鈴に手渡した。

「ちょっと想定と違うけれど、作戦開始よ。あなたはそのまままっすぐ、私はなんとか注意を引いてみるわ。深海棲艦が離れたらあなたはあの人を強引にでも傍に連れて、距離を開けて事情を伝えて。そして向かい直してきて。」

「はい、わかりました。」

 

 五十鈴は神通の背中をパンと軽く叩いた後、神通の2時の方向に向けて進んで離れていった。一人になった神通はゴクリと唾を飲み込み、挑むことにした。

 

 件の人物がどんどん見やすくなってきた。距離が縮まってきた。しかしまだゆうに100mくらいはあるため、まだその姿は月明かりに背中から照らされて黒黒としか見えない。近接通信もつながらないことがわかっているため、神通は恥ずかしがっている場合ではないとして意を決して叫んだ。

「あ、あのー! 私は軽巡洋艦神通です!助けますのでー!私が合図して撃ったら身をかがめてかわしてくださーい!」

 相変わらず返事も何もない。もはや相手が自分の意図に気づいているのを信じるしかない。きっと相手は自分よりも経験者・ベテランの艦娘だろう。自分の砲撃なんてかわして、うまく立ち回ってくれるに違いない。

 

「てー!」

 

ドゥ!ドドゥ!

 

 神通の放った砲撃が着弾する前に、件の人物の姿が突然消えた。突然のことに神通は気の抜けた声を上げる。

「へっ!?」

 もしかして当たってしまった? しかしタイミング的には着弾したとはいえない。ほどなくして深海棲艦の近くに水柱が立つ。

 焦った神通は件の人物に続いて深海棲艦3匹も迫っているにもかかわらず、速力を上げて迫った。

 

 それは五十鈴からも明らかな異変に思えた。追われていた人物が被弾したわけでもないのに急に倒れ込んで見えなくなる。何かがおかしい。今まで感じたことがない違和感が背筋を撫でる。脳を占める。

 通信対象として反応しない艦娘。

 艦娘?

 本当に艦娘か?

 人。本当に人だったのか?

 夜が更けてしまった海上という環境のため、そして自身らの状態のために叶わないとして入念な確認を怠った。もっと適切な方法があったのかもしれないが、それを取るべき案の選択肢として考えに入れなかった。完全に“人”だと信じ込んだ案しか思い浮かばなかった。

 倒れ込んだのではなく、潜水したと考える。

 その時、ふと五十鈴の脳裏に、以前川内が遭遇した“人”型なる深海棲艦がよぎった。あのときは表向きは心配を表してみたが、心の奥底では戯言かと実のところ川内を信じてはいなかった。

 しかし今は川内に謝りたい気持ちでいっぱいだ。五十鈴は大声で叫んでいた。

 

「急いで離れなさい神通!!それ以上近づいてはダメよーーーー!!!」

 

 神通は爆速で進んでいたため、五十鈴の叫びにきづいて振り向いたときは、あと15~20mというところまで迫っていた。そして神通の到達予測ポイントの海面から、突然浮かび上がる人影があった。

 

ザバアアアァ……

 

「えっ?」

 

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 停まる勢いを止められず、神通はその現れた人影に体当たりする形で飛び込んでしまった。

 

 

--

 

「神通ーーー!!」

 

 速力を数段飛ばして上げ、慌てて駆け出す五十鈴。その視界には、両腕の前腕が砲身になったような、あるいは小型の深海棲艦を取り付けたような前腕を持つ人型に抱きかかえられる神通の姿があった。

 

「は、離して……!」

 

 神通を睨みつけるその目は、上まぶた部分から眉間にかけてゴツゴツした盛り上がりがあり、月明かりだと黒い形状としかわからない。口からは生臭い悪臭が吐かれる。その息をモロに鼻先に浴びて思わず神通は嘔気を催す。

 しかしそんな瑣末なことよりも、神通は目の前の人型の異形に別の感覚を抱いていた。

 

((怖い!怖い!怖い!))

 

 恐怖感が急激に増す。神通は初めて間近で見る人型の深海棲艦に、拒絶反応を示してもがくのが精一杯だった。しかしそのもがきは人型には全く通用していない。

 そして神通の間近で人型が僅かに尖った上下顎をクパッっと開け、獰猛な唸りをあげた。

 

グガアアアアアアアァァァァ!!!!!

 

 

「ひっ!?」

 

 神通は引きつらせた顔から涙を溢れさせついに泣きわめき始めた。

「うああああああああぁぁ!!!! パパァーーー!ママァーーーー!!た、助けてええええぇぇぇぇーーー!!」

 

 その鬼気迫る悲鳴は5~60m離れた五十鈴の耳に、まるで至近距離で泣かれたのと同じ程度の声量と迫力で届いた。その恐怖を思わず共有してしまった五十鈴は耳をふさいでたじろぎ、先ほどとは打って変わって弱々しく名を呼ぶ。

「じ、神通!」

 

 足が完全に停まってしまった。まったく動かない。主機に命じて最大の速力である速力リニアで急発進したくても思考が働かない。

 まずい。神通が感じている恐怖につられている。同調したときに効果が出ているはずの、恐怖が洗い流される感覚がまったく起きない。身震いがする。アレは深海棲艦として格が違うとでも言うのか。

 五十鈴は恐怖で固まりつつもそう冷静に自己分析した後、自分を奮いたたせた。

「あぁもう五十嵐凛花! あなたは軽巡洋艦五十鈴でしょ!最初に提督に頼られた軽巡艦娘でしょ! 動け!私の足動けええええぇ!!」

 

 五十鈴はライフルパーツを落としたことをきつく呪った。足が動かなくてもこの距離ならば狙撃できないこともない。神通には艦娘自体の攻撃を確実に弾いてかき消すバリアがあるから問題ない。

 ふと、魚雷を思い出した。魚雷発射管はコアユニットと通信不可のため使えないはずのため、仕舞う用途として使おうとしていた。

 鎮守府を出たときに装填していた分は連戦ですでにうち尽くしていたため、右腰の水平に伸びる魚雷発射管には、神通から受け取っていた魚雷一本しかない。

 そういえば、那珂はエネルギー波を噴射している状態で手に持って投げていた。しかし自分は支給されている制服の構造上、そんなふうに魚雷を扱うことはできない。かと言ってこのまま投げても魚雷は起動せず沈むだけ。どうにか魚雷を起動させねば。魚雷発射管・コアユニットと通信して認証できれば通常通りに魚雷を使えるはず。

 五十鈴は唯一の魚雷が入っている魚雷発射管の、操作部のあるボタンを何度も押す。使えろと何度も願って押すが一度壊れた装置は働かない。

 右がダメなら左腰の魚雷発射管。

 

ブーン……

 

 やった! 生きてる!

 五十鈴が左腰の魚雷発射管のあるスロットに魚雷を差し込み、ボタンに指を添えると、わずかに起動音がした。これなら手で投げなくても、普通に使える。魚雷のコースも指定可能だ。五十鈴は幸運を天に祈ろうとしたが、それよりも目の前の危機を最優先してまっすぐ目の前を見据える。人型がまだ叫びをあげている。神通はもはや発狂しているのか、ジタバタもがいて止まらない。

 

「待ってなさい。今助けるから……あなたにもらった唯一の魚雷で。……てーーー!」

 

 

ボシュ……ザブン

シューーー……

 

 

 神通はもがいている最中、視界の右端に緑色の発光体を見た。その一瞬、冷静さを取り戻した。もがくのをやめて人型を抱きしめ返す。無論、これから起こることを確実にするためだ。神通は魚雷の主の意図を理解できていた。

 

グガッ?

 

「の、逃しません。一緒に食らって、ください。」

 泣きはらして乱れた顔だが、意志強く人型を睨む神通。同調してパワーアップした腕力の効果を最大限活用して人型の脇腹に相当する部分を掴む。

 神通の行動に戸惑った様子を見せる人型。そして逆に離れようもがき始めた時、五十鈴の放った唯一の魚雷は人型と神通の真横1mで爆発した。

 

 

ドガアアァァァン!!!

 

グガアアアアアアアァァァァ!!!!!

 

 再び吠えたける人型。しかしその哮りには悲鳴じみた感情が混じる。両者とも爆風に煽られて逆方向によろけ、互いを掴んでいた力を瞬時に緩める。人型は神通を押し飛ばすように掴んでいた前腕を離し、強制的に距離を取った。神通は弾き飛ばされ、右肩から海面を柔道の受け身を取るように転がる。海面から顔をあげた神通は人型の居場所を視界に捉えると、足に装備した主機の浮力を調整して海面をジャンプして空中で姿勢を整えた後、五十鈴の方へ駆け出した。

「五十鈴……さん! ありがとうございます!」

「爆発に巻き込んでしまってゴメンなさい。無事?」

「(コクリ)」

「それじゃあ全速力で逃げるわよ!!」

「は、はい!!」

 

 二人の頭の中は、この状態では勝ち目はないという判断で一致していた。五十鈴はもはや攻撃の術を持っておらず、神通は冷静さを一瞬取り戻したとはいえ間近で恐怖を植え付けられていたため、逃げることしか頭にない。

 速力リニアをイメージし、二人は激しい航跡を立てながら海上をダッシュし始めた。

 

 

--

 

 どのくらい経ったのかわからない。

 無我夢中で逃げ続けていたため、どの方角を目指しているのかわからない。背後から人型そして通常の海洋生物型3匹が猛然と追ってきており、頻繁に砲撃をしてくる。二人は深海棲艦から完全に獲物として捉えられていた。

 体液の砲撃は神通と五十鈴の制服を溶かしたり、海水に触れて数mの水柱を立てるほどの爆発を起こしたりと様々な効果があった。

 4匹の深海棲艦は、二人の背後を恐怖のアドベンチャーアトラクションばりに演出していた。神通たちはジグザグに蛇行したり、突然方向転換するなどして直撃を防ぐ。忙しいために速力を調整している暇なく、スピードと勢いに任せた回避運動で強引に避け続ける。

 ときおり背後を見る。すると何回目かの振り向きで、その前に見たときよりも4匹の姿形の大きさが増していることにようやく気づいた。速力を確認すると、最大速力を出しているつもりが二人とも速力バイクたる15ノット前後に落ちていた。

 

 何かがおかしい。

「ねぇ神通。私の嫌な予感言っていい?」

「(ゴクリ)」

「燃料がさ、もしかしてヤバイのかしら? アプリで状態確認するのが怖いのだけど。」

「わた、私も怖いですけど……私が確認します。まだ武器が残っている私が。」

 そう言って五十鈴の不安を一手に引き受けて神通はスマートウォッチの画面で艤装のステータスアプリを起動して確認した。

 

弾薬=少(24%)

魚雷(エネルギー/本数)=32%/2本

燃料=少(21%)

バッテリー=55%

艤装の健康状態=小破(67%)

同調率=85.16%

バリア=13 / 13 Enabled

 

 やはり連戦が響いていた。日中に一回補給したとはいえ、初めての大量の移動と連戦そして疲労により、そして後半は無駄な動きが多かったためかと神通は思い返した。五十鈴に言葉ではなく頭を振って内容を暗に知らせる。

 そこで初めて五十鈴は自分の状態を確認した。

 

弾薬=微(5%)

魚雷(エネルギー/本数)=0%/0本

燃料=少(15%)

バッテリー=34%

艤装の健康状態=大破(28%)

同調率=88.63%

バリア=4 / 12 Enabled

 

 五十鈴は想像以上の自身の危険さに愕然とした。律儀に神通に自身の状態を発表して思わず愚痴る。

「ハハ……弾薬エネルギーが5%とか、何の気休めにもならないわよね。ここにはライフルパーツがありませんよって表示されないし。あと自分が大破って実感ないけれど、私の五十鈴の艤装はどうやら限界に近いみたい。精神的にクるわねこの事実……。」

「五十鈴さん……。」

「私ね、ここまでの状態になったの初めてなの。なんていうのかしらね。初めて感じてるわ。死ぬかもしれないっていう怖さ。」

 あの強気の先輩五十鈴がここまで弱気になっている。この状態を抜け出せない焦りも相まって何も作戦が浮かんでこない。ここはまだ戦える自分が奮起して守ってあげるべきなのに。

 そう思えば思うほど焦りもまた募る。

 このまま速力を上げて頻繁に動けばそれだけ燃料を費やす。艤装の各パーツの動作を検知して全身と通信するコアユニットもバッテリーを食う。

 なるべく最小限の動きで避け続けて安全な場所まで逃れるべきだ。

 

 自身らの現状の危機の再認識が、二人に冷静さを完全に取り戻させた。これ以上危険に陥らないためにも、互いで支え合ってこの逃走劇を成功に導かなければならない。

 神通と五十鈴は改めて意識合わせをし、二人ながら陣形を整えた。まだ比較的健康で牽引できる神通が先頭で針路を見据え、五十鈴は一人分右後ろに立ち、背後への監視の目となる。

 

 

 二人はがむしゃらに動き回るのをやめた。一旦針路を西取り、ある程度進んだ後、急速に回頭して反転し、一路そのまままっすぐ陸地を目指す。あとは全速力で千葉のどこかの砂浜に飛び込めば、深海棲艦を撒きつつ彼の者たち上陸できない場所で安全を確保できる。

 

「それじゃ前方は任せるから、後ろの監視は私に任せて。」

「はい。」

 神通は右手で五十鈴の左手と握りあって彼女を引っ張って進み始めた。

 神通は基本まっすぐ進む。五十鈴からの指示があり次第回避運動をするのだ。五十鈴は後ろを向き、深海棲艦たちの攻撃を確認した。

「2発きた!右に避けて!」

 神通は意識と体を右に傾け、航路を緩やかに右にずらす。牽引されている五十鈴も自然と右に移動する。

 

 直後、

 

バッシャーン!!

 

と、五十鈴の10m左後方に2本の水柱が立った。

 

 間髪入れず次なる砲撃が二人に向けられる。

「次やや幅広く2発くる!左へ10mほど避けて!」

 

バシャバシャーーン!!

 

 次の砲撃は、二人の左右7~8mほどの横に水柱を発生させる。

「まずいわね。あいつら、かなり狙いがよくなってきてるわ。あいつらからすると、夾叉ってところかしらね。」

「だとしたら頭良すぎませんか? あの人型のせいでしょうか?」

「さあね。直撃を狙われる前に、そろそろ反転しましょうか。」

「(コクリ)」

 

ドゥ!

 次に人型が撃ってきた。明らかに異なる音。さながら艦娘たちの砲撃音だ。五十鈴はすぐに背後を見ると、砲撃による何かは五十鈴の真後ろ数mまで迫っていた。

「きゃああ!!真後ろ真後ろ!どっちでもいいから急いで大きく回避!!」

「え、え!?」

 

 五十鈴の慌てた指示に神通は戸惑いつつも、急いで右に体を大きく動かして移動する。人型の砲撃は五十鈴の回避後の位置の1mほぼ真左に着水し、破裂して今までより水柱を立てる。着水して破裂した何かが飛び散り、五十鈴や神通の艤装にカツンカツンと当って響く。

 神通は声を上げて五十鈴に進言した。

「もう反転しましょう!次狙われたら……!」

「わかったわ。いちにのさんで、真横にジャンプするわよ。転んでもいいからとにかく反転して前に進むこと。いいわね!?」

「はい!」

「いち、にー、のー……さん!!」

 

 五十鈴の合図で、神通と五十鈴はしゃがみ、側転するかのごとく体をバネにして思い切り真左に飛びのけた。二人は低空で姿勢を反転させ、姿勢をギリギリまでかがめて着水時に起きるであろうバランス崩しに備える。

 

ズザバアアアァァ!!!!

 

 

 勢いとスピードに乗っていた二人は真横に一気に10mほど移った。深海棲艦3匹はあっという間に通り過ぎ、神通たちの行動にすぐに反応できずにさらに数十m進んでいく。

 五十鈴は背中から腰にかけての艤装の重みによってバランスを崩し、着水したと同時に何回か横転する。神通は最初に受けた衝撃に逆らわず流れにまかせてジャンプしたため、当初想定していた位置からは少々後退する形になったが、無事航行を再開することができた。

 しかし、傍に五十鈴がいないことにすぐに気づく。

 

「あ、五十鈴さん!」

 

 

 神通が気づいて反転して戻ろうとしたとき、一匹の深海棲艦の個体が二人の間の海域から姿を現した。

 

 

ザバアアアァ

 

 その個体は浮かび上がってすぐ五十鈴の姿を捉えたのか、後方にいる形になる神通など気にも留めず、五十鈴めがけて突進していく。

 

 まずい。

 

 突然過ぎて神通は腕に装備している主砲パーツで狙うことを忘れて駆け寄ろうと体を前に動かす。しかし絶対間に合わない。

「五十鈴さん!逃げてー!」

「くっ……!?」

 

 五十鈴は紙一重で深海棲艦の突進をかわし、再び肩から海中に身を沈めつつも、急激な浮力を発生させてその勢いでジャンプして宙で体勢を整える。

「五十鈴さん!早く早く!」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 五十鈴がようやく正常な姿勢で神通に向かって移動し始めたその時、聞き覚えのある口癖の一声が響いた。

 

「見つけたっぽい!!」

 

「「夕立(さん)!?」」

 

 二人の視線が交差する先にいたのは、駆逐艦夕立だった。

 

 

--

 

「はーい!やっと見つけたよ二人とも。あたしが先に助けにきたっぽ……ん???」

「助かったわ夕立。って、どうしたの黙って?」

 五十鈴が尋ねると、二人に駆け寄って合流した夕立は普段の素っ頓狂に元気な返事の直後、急に目頭を抑えて五十鈴の後方を睨みつける。

 

「な、何あっちにいるやつ……。一匹だけ、見ようとすると目が痛くなるほどくっきりっぽい。うぅ~~~何何!?」

「やっぱり……あいつ相当強いのね。」

「夕立さん。全部で4匹に追われてるんです。暗視能力の反応はどうですか?」

「だから痛いの! 見てると一匹だけ目が痛くなるの!! あ、あ! なんか急に大きくなってきたっぽい。近いよ!!」

 

「もう追いついたの!? 私が転んでしまったからだわ。ゴメンなさい。」

「謝らないでください……。あの、夕立さん。来てくれたってことは、もしかして那珂さんたち、来てますか?」

「う、うん。来てる……よ。あぁ!もうダメ!」

 

 目頭を抑えっぱなしの夕立はついに我慢できず、ジャンプして反転し、神通と五十鈴を置きざり気味に、元来た方向に逃げ始めた。

「あ……待って!」

「待ちなさい夕立!」

 とるものもとりあえず二人は夕立を追いかけ速力を上げて前進し始めた。無論、4匹の深海棲艦から逃げるためでもあった。

 


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