「ラ・・・・・・イ、サ?」
女は、首を傾げて突然現れた存在を見つめた。不思議そうに、どこかほっとしたように。
「そうだ。あなたを、止めに来たんだ。これ以上、苦しまなくていいように」
話しかけながら、ゆっくりと近づいていく。
「コロ、シテ・・・・・・」
彼女はもう抵抗しない。
自分がもう、どうにもならないところまで来てしまったことを知っているのだ。
もう死ぬしかないこと。そうでなければ大切な存在を守れないことを。
「大丈夫だ。良く、心を決めたな?良く、耐えた。苦しかっただろう?すぐに、楽にしてやるから」
雷砂の言葉に、彼女は目を閉じる。その頬を、紅い涙が伝った。
「ア、アリ、ガ、ト・・・・・・」
「困るなぁ。そんな簡単に死んでもらっては」
彼女の声に被せるように響いた男の声。
聞き覚えのある声に気を取られた一瞬の間に、1人の青年が、彼女の後ろに現れていた。
黒い髪に紅い宝玉の瞳。
数日前、まるで白昼夢の様に雷砂の前に現れた男が、そこに居た。
青年は、どこか壊れたような笑みを浮かべて雷砂を見つめていた。
そしてそのまま、シェンナの体を後ろから抱きすくめ、その耳元に唇を寄せる。
「俺はあなたの願いを叶えてあげただろう?復讐は愉しかった?憎い男の血肉の味は、さぞ甘美だったことだろうねぇ?」
「ア、ア・・・・・・」
「ねぇ、あなたはもっと、俺を楽しませなければいけないよ?だって、俺はあなたの願いのために、力を使ったんだから」
「ユ、ユルシ、テ・・・・・・モウ・・・・・・」
「だめ。さあ、俺がちょっとだけ背中を押してあげよう。あなたは、欲望のままに生きていいんだ」
「ヨク、ボウ」
「そうだ。いい子だね。息子が、愛しいだろう?」
「イト・・・・・・イト、シイ。ワタシ、ノ、キアル」
「愛しいなら、食べてしまわないとね」
「タ、ベル?」
「そうだよ。食べたかったんだろう?愛しくて愛しくて、全部自分のものにしてしまいたかったんだろう?いいんだよ、思うとおりにして」
「喰、イタイ。キアル・・・・・・イトシイ、キアル」
「いい子だね。さあ、行っておいで。匂いで分かるだろう?キアルが、待ってるよ」
そう言って、男は彼女の欲望と共にその身を解放した。
「シェンナ、だめだ!!」
叫ぶ雷砂の事など見向きもせず、彼女は駆け去る。何よりも愛しい存在の元へと。
唇をかみしめ、雷砂は青年を睨んだ。
彼は、場違いな笑みを浮かべ、面白そうに雷砂を見つめ返す。
「彼女を、魔鬼に変えたのはお前なんだな?」
「そうだよ。俺が、彼女を、彼女の願いを叶えられる体にしてあげたんだ」
半ば確信を込めた雷砂の問いに、青年はにこにこと答えを返す。まるで悪びれた様子もなく。
「お前・・・・・・!」
怒気のまま、詰め寄ろうとする雷砂に向かって青年の声が飛ぶ。
「行かなくていいの?このままじゃ、食べられちゃうよ?君のオトモダチ」
彼を睨みつけたまま、足を止める雷砂。
確かに彼の言うとおりだった。
黒幕は確かに彼なのだろうし、放っておけないのは確かだが、今優先すべきなのは・・・・・・
「・・・・・・今は、見逃してやる。だが、逃げるなよ」
そう言い捨て、雷砂は踵を返して走り出す。出来る限りの早さで。
シェンナに追いつき、彼女を止めるため。
そして。
林の中に、青年だけが取り残される。
彼は笑っていた。
心底、愉しそうに。
「まだだよ、雷砂。もっともっと、君を追いつめてあげる」
愉しそうに、愉しそうに、声をあげて笑う。
そうしてひとしきり、笑い声を響かせた後、その姿は忽然と消えた。宙にかき消すように。
そして。
林に静寂が戻った。
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