龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第7章~6~

 セイラは、木の陰からその信じられない光景を見ていた。

 少年の母親と思われる女性が、獣になり、何故かまた人へと戻って己の息子を襲っている様子を。

 

 林の外に置いてこられたはずのセイラが何故ここに居るのか。

 その種明かしは簡単だ。

 どうしてもキアルが心配で後を付けてきたのだ。気づかれない様に、気をつけながら。

 

 つけてきて、今いる木の陰から様子を伺っていた。

 何かあれば、助けに入ろうと思って。

 そうして間に入る機会をうかがっている内に、こんな事になってしまった。

 まだ、少年は生きている。

 しかし、早くしなければ殺されてしまうだろう。

 だが、何の手だてもなく助けに入っても、2人仲良く殺されるだけだ。

 しかし。

 

 (見捨てるわけにはいかないわよね)

 

 セイラは近くに落ちていた木の枝を拾い上げた。

 それなりに太く、ちょっとは役に立ってくれるだろう。

 

 (他には何かないかしら)

 

 見回すと、手頃なサイズの石を見つけたので、一応拳の中に握り込んでおく。

 投げるも良し、握ったまま殴るも良し。

 まあ、石を握っての肉弾戦になってしまったら、殺されるしかないだろうけど。

 

 自分が死の間近にいるというのに不思議と落ち着いていた。

 木の陰から、再び様子を確認する。

 大丈夫だ。少年はさっきと同じように立ったまま。バケモノも彼を傷つけては舐め回すだけで、まだ殺そうとする様子はない。

 

 右手に持った枝をぎゅっと握る。

 何とか隙を作って少年を連れて逃げよう。

 とにかく時間を稼ぐのだ。そうすれば、雷砂がきっと来てくれる。

 息を大きくすって、はく。

 

 (雷砂・・・・・・)

 

 大好きな顔を思い浮かべ、そして。思い切って木の陰から飛びだした。

 

 「ちょ、ちょっと、あんた!!」

 

 うわ、声が震えた。かっこわるーそんな事を思いながら、セイラは少し歩を進める。

 少年とバケモノから数メートルの距離。枝を握った手は後ろに隠したまま。

 

 バケモノー女がセイラの声に反応して顔を上げた。

 真っ赤な瞳がセイラを見た。新たな獲物を見つけた喜びにその唇の端がつり上がり、何とも不気味な笑みを刻む。

 

 彼女はちらりと少年を見た。傷だらけになった己の獲物を。

 それから再びセイラを見る。

 そして、一気に跳躍した。先に新しい獲物を確保する事にしたのだろう。

 

 みるみる近づいてくる女の姿を前に、狼狽えることなくセイラは立っていた。

 彼女はセイラを無力な獲物と侮っている。両手の爪を振りかぶることすらしていない。

 その、強者としての慢心が、セイラの武器となる。

 

 セイラは落ち着いてタイミングをはかり、そして、隠し持っていた枝をつきだした。尖っている、枝先を前に。

 その枝先を避けることも、払うことも出来ない絶妙なタイミング。

 反撃などまるで予想もしていなかった女は、その報いを己の身で受けた。

 

 枝の当たった先が、皮膚であれば折れたのは枝の方だっただろう。

 たかが枝に傷つけられるほど、彼女の体表は柔ではない。

 だが、枝は彼女の弱点とも言える場所を突いた。見事なまでに、正確に。

 

 グアッ

 

 そんな悲鳴と共に、女は己の左目を押さえて動きを止める。そこには折れだ枝先が深々と刺さっていた。

 それからのセイラの動きは早かった。役に立たなくなった枝を捨て、立ち尽くす少年に駆け寄る。

 

 「キアル?逃げるわよ!」

 

 声をかけると、少年はゆるゆるとセイラを見上げた。

 絶望に染められた瞳。何も考えられなくなってしまったかのように、表情の抜け落ちてしまった顔。

 だが、彼が正気を取り戻すのを待つ余裕は無かった。

 有無を言わさず彼の手を取り、走る。

 肩越しに、後ろを見ると、片目を血に染めて、憎々しそうにこちらを睨む女が見えた。

 

 (・・・・・・時間稼ぎにもならなかったわね)

 

 女が再び跳躍する。セイラと、キアルをめがけて。

 セイラはキアルを胸に抱き寄せ、横に跳んで地面を転がる。何とか、一撃はしのいだ。しかし。

 キアルを守るように抱きしめ、セイラはさっきまで自分が居た場所に立つ女を見上げる。逃げられる、距離では無かった。

 唇をかみしめ、女を睨む。

 

 「ねえ、この子はあなたの息子なんでしょ?自分の息子を、あなたは殺そうというの!?」

 

 叫ぶようにそう言うと、女の残された目が、その目元がぴくりと反応した気がした。

 だが、それ以上の変化はなく、女は逃げることの出来なくなった獲物に、1歩、また1歩と近づいてくる。

 

 (だめか・・・・・・)

 

 絶望に染まりそうな心を叱咤する。

 自分が、この少年が死んだら、雷砂はきっと悲しむ。雷砂に、そんな思いはさせたくない、と。

 セイラは、片手に握ったままの石を、再びぎゅっと握り直す。

 最後まで、それこそ死ぬその瞬間までも抵抗してやる、と思ったその時、セイラの視界から女が消えた。

 視界を横切る銀色の残像と共に。

 

 「ロウ、そのまま押さえろ!」

 

 待ち望んでいた、声が聞こえた。

 その声の主の姿を求め顔を巡らせると、こちらに駆けてくるその姿が見えた。

 

 

 「雷砂」

 

 「セイラ、けがは無いな?」

 

 

 問いかけに、頷くことしか出来なかった。

 それ以上声を出せば、そんな場合ではない事は分かっていても、すがりついてしまいそうだったから。

 むさぼるように雷砂を見つめる事しか出来ないセイラを見つめ、雷砂がほっとしたように微笑む。

 

 「無茶な事をしないでくれ。寿命が縮んだ。でも、お説教は後だ」

 

 雷砂は2人をかばうように前に出た。その視線の先には銀の獣ともみ合う女の姿がある。

 

 

 「キアルを連れて、逃げられるな?」

 

 「ええ」

 

 「じゃあ、行って」

 

 「わかった。雷砂?」

 

 「ん?」

 

 

 呼びかけて、こちらを見た雷砂の頬を両手で捕らえて唇をあわせる。深く、深くー。

 そして微笑んだ。

 

 

 「頑張って逃げるから、雷砂も気をつけて」

 

 「うん。・・・・・・キアルを、守ってくれてありがとう、セイラ」

 

 

 さあ、行ってー雷砂に促され、走る。

 少年の体を支えながら、振り向いてもう一度、雷砂をみたい気持ちを抑えて。

 

 雷砂は、2人の姿が木々の中に消えていくのを見守って、それからゆっくりと振り向いた。

 

 「待たせてごめんな、シェンナ。オレが、雷砂だ。宿に伝言をくれただろう?遅くなって、すまなかった」

 

 そう言って変わり果ててしまった女を、キアルの母親だった人を、悲しげな瞳で静かに見つめた。

 

 

 

 


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