龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第7章~5~

 雷砂に伝言は残した。

 これで、伝言を聞いた雷砂は、必ず来てくれるだろう。母さんが望むとおりにーそんな事を考えながら、キアルは木々の間を進んでいた。

 

 宿にいた、雷砂の知り合いの女の人が付いてきてしまったのは予想外だったが、彼女は林の外に置いてきたから大丈夫なはずだ。

 母親の居るはずの林に分け入ったのはキアル1人。

 あの優しそうな無関係の女の人を巻き込む心配はない。

 

 とはいえ、キアルとて、母親が自分を害することをするはずがないと信じていた。

 母親の様子がいつもと違っていたのは確かだが、きっと体調が悪かったのだ。

 雷砂を呼んだのだって、たぶん薬草を分けて欲しかったからに違いない。

 だから、何も心配はいらないのだ。キアルが心配することなど、起きるはずがない。

 

 キアルは無心に足を動かした。

 小さな小川の横を通り抜け、更に先へ。

 それほど広い林では無いはずだ。

 目指す人を探しながら一心不乱に歩いて、歩いて・・・・・・不意に、視界が開けた。

 林の中にある、ちょっとした広場のような開けた場所。

 その奥の方に、母親の背中が見えた。

 

 「母さん!」

 

 声をかけ、駆け寄ろうとした。しかし。

 

 「来ちゃだめ!」

 

 鋭い制止が、キアルの足を縫い止める。

 母親まで数メートルの距離を残して立ち止まり、戸惑ったようにその背中を見つめた。

 

 「か、母さん?」

 

 問いかけるように、母を呼ぶ。

 母親の、細くて頼りない背中が震えていた。何かを必死に耐えるように。

 

 

 「何で来てしまったの、キアル・・・・・・」

 

 「ら、雷砂にはきちんと伝言してきたから大丈夫だよ。きっとすぐに来てくれる。おれは、母さんが心配で、それで先に来たんだ」

 

 

 責めるような母の言葉に必死に言い募る。

 理由をきちんと伝えればきっと分かってくれる、そう信じて。

 

 そうする間も、彼女の背中は震えていた。震えはどんどん強くなる。

 その震えを、沸き上がる衝動を堪えるように、彼女は己の体を抱きしめ、そしてかすれた声で、

 

 「・・・・・・逃げて」

 

 愛する息子への、警告を響かせる。

 

 「え?」

 

 戸惑うキアルをにらみつける様に振り向いた彼女は、

 

 「逃げるのよぉぉ、キアルぅぅ!!!」

 

 必死の叫び声をあげた。

 それは、彼女の理性がギリギリの所で発した言葉。愛する者への、最後の。

 そして、彼女は飲み込まれた。

 残された理性の一欠片まで。息子を愛する、その心さえも。

 

 尋常ならぬ母親の様子に、足がすくんで動かないキアルの目の前で、母親の体はみるみるうちに変貌した。

 

 人から獣へ。

 

 黒い獣毛の小さな獣。その獣の瞳は真っ赤に燃えていた。

 見覚えのある獣だった。

 数日前、草原でキアルとミルを助けてくれた獣と同じ姿。

 だが、一つだけ違うのは獣が纏う空気だ。

 あの日、助けてくれた獣は決してキアル達に殺気を向けなかった。

 だが今日は・・・・・・

 

 数メートル先で、獣が舌なめずりをした。

 とても美味しいご馳走を目の前にしているかのように。

 

 「か、あさん」

 

 震える声で呼びかける。

 そうすれば、元の姿に戻って、優しく自分を抱きしめてくれるかもしれない、そう信じて。

 だが、赤い瞳に優しい光は戻らない。

 その瞳は凶暴な光をたたえてキアルを見つめている。魔鬼の本能のままに、全てを喰い尽くさずにはいられない、強烈な飢えを抱えて。

 獣は、キアルの目の前まで近づいてきた。

 そこでまた、獣は変化する。

 

 獣から人へ。

 

 キアルの見慣れた、大好きな母親の姿へ。

 だが、その姿は似ているようで母親とは決定的に違っていた。

 血に飢えた紅い瞳。口元から見える長い牙。黒々と鋭く延びた爪。

 彼女はうっとりとした笑みを口元に浮かべ、長い爪でキアルの頬を裂いた。傷口から、赤い血がこぼれ落ちる。

 それを醜悪なほどに長い舌で舐めとって、彼女は恍惚とした表情を浮かべた。

 

 涙が、溢れる。

 もう、ここに、彼の母親は居なかった。

 居るのは、キアルを食料としてしか見ていない怪物だ。

 女は爪を使って器用にキアルの服を切り裂いていく。楽しむように、いたぶるように。

 

 キアルは、小さな傷を付けられて血を流す、己の薄い胸板を見下ろした。そしてそこに残された、小さな笛を見つける。

 雷砂の、くれた笛。

 何かあったら必ず吹くように、言われていた笛。

 

 もう、手遅れかもしれない。手遅れかもしれないけれど。

 キアルは、目の前の存在を刺激しないように、ゆっくり手を動かして、笛を口元に運び、くわえた。

 手遅れなのかもしれない。でも、まだ間に合うかもしれない。

 キアルは大きく息を吸い込み、思い切り吹いた。音の鳴らない、その笛を。

 

 

 




読んで頂いてありがとうございました。

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