龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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残酷な描写があります。ご注意ください。


第6章~22~

 深夜。

 もう店を閉めるからと酒場の女将に起こされて、ふらつく足で店を出た。

 あの舞姫を連れ込むつもりで借りていた部屋には、女の気配も姿も無く。

 酒に酔わされ、まんまと逃げられたのだという事実に歯噛みをする。

 決して安くはない媚薬を結構な量使ったというのに、発情したその様子を見ることも無く酔いつぶれてしまうとは何とも勿体ない事をしたものだ。

 

 酔いと苛立ちに任せたまま、男は夜道をふらふら歩く。

 このまま宿に帰って寝てしまえば楽なのだろうが、苛立ちが強くてそんな気持ちにもなれなかった。

 

 どこかに良い女はいないものかーそんな事を考えながら歩くが、こんな夜中に女が1人で出歩いているはずもない。

 この苛立ちを静めてくれるなら商売女でもかまわないと思うものの、小さなこの村にそんな職業に就く女は居ないだろう。

 女は、諦める他ない。

 

 今夜の罠には結構金をかけていたのに、舞姫を取りこぼしてしまったのは痛かった。

 うまくいっていれば、今この時も、あの美しい舞姫を傍らに侍らせていたかもしれないのに。

 あの舞姫の、美しい顔が頭の中をちらついて下腹部がうずく。すっかりその気でいたのだから、仕方の無いことではあるが。

 

 (ああ。女が抱きたい)

 

 そんな事を思った時だった。

 視界の片隅に、1人の女が映った。

 思わず足を止め、じっと見つめると、女がその面に笑みを浮かべた。妖しく官能的な、男を誘う、そんな微笑みを。

 

 若い女では無かった。

 恐らく同年代か、少し年下。若い娘を好む普段の男であれば、選ばない位の年齢に達しているだろう女。

 ・・・・・・だが、美しかった。

 

 操られるように1歩、踏み出す。

 すると、女は誘うように笑って暗闇の中へ踵をかえした。反射的に、その姿を追いかける。

 暗闇の中に白く浮かび上がる女の背を追う。

 女の足が止まったのは民家が途切れた村の外れ。そこには小さな家があった。

 

 そのみすぼらしい家の中に、彼女は迷うことなく歩を進める。開け放たれたままの扉に誘われるように、男もまた、その家の中に潜り込んだ。

 リビングの、その奥。

 うっすらと明かりが漏れるその部屋をのぞき込む。

 そこに女はいた。

 

 彼女は小さなベッドの端に腰掛けて、そこに眠る子供を愛おしそうに見つめていた。

 彼の上の子供と同じか少し年上くらいの少年は、侵入者に気づくことなくよく眠っていた。

 

 「あなたの、子供か?」

 

 子供の眠りを妨げぬようひっそりと問いかけると、

 

 「あなたの、子よ」

 

 そう答えた女をまじまじと見つめた。

 妖しく美しいその美貌に、若い娘の純真で素朴な美しさが重なる。

 そして、数年前、あなたの子供がいるのだと男の足にすがりついた、みすぼらしくやつれた女の姿が重なった。

 

 こんなに美しい女だっただろうかー男が思ったのはそんな事。

 

 出会った頃、欲望のままに手折った頃でさえ、これほど美しくは無かった。

 匂い立つような美しさに誘われて手を伸ばせば、女はその手を取って子供の頭に誘導する。

 子供らしい柔らかな髪に触れる。その頬にも。

 そうして触れてしまえば何だか愛しさが沸き上がるのだから不思議なものだ。

 これが血の繋がりというものなのかーそんな事を考えながら、改めて少年の容姿を眺めた。

 自分に、似ていると思う。

 特に目元や口元。髪の色は同じ色だ。瞳の色はどうなのだろうか。

 

 「わたしの、子か」

 

 ぽつりと呟いてから、女の横顔を伺う。

 女はじっと息子の顔を見つめていた。優しい表情。母親の顔だ。

 かつてこの女は、息子を生んだのだから養ってもらえて当然だとばかりに押し掛けてきた。

 あの時は、金をやって追い返した。

 貧しい生活にやつれた女も血筋の悪い息子も、必要なかったからだ。

 だが。

 

 男は女を見る。

 美しい女だ。男を誘う女。

 彼女は美貌を取り戻し、息子はそれなりに利発そうに見える。妻にばれない様に、囲ってやってもいいだろう。彼女が、その身を差し出すのであれば。

 そんな男の欲望を感じたのだろう。女は男をなだめるように微笑み、息子の頬に唇を落とした。

 そして、男を家の外へと誘う。

 

 暗闇の中、迷いのない足取りで進む女の後ろを歩く。白く浮かび上がる女の背を追って。

 それがどんなに異常な事なのか、気づくこともないまま。

 

 どれだけ歩いたか。

 足を止めた女が振り向く。

 そこは村の中央通りのど真ん中。

 昼間であれば、たくさんの村人達が行き交うその通りも、今は静まりかえっている。

 

 男は荒い息のまま、女を見つめた。

 男が見つめるその前で、女は1枚、また1枚と衣を脱ぎ捨てる。

 そうして一糸まとわぬ、生まれたままの姿になって、女が、笑みを深めた。男を誘うように。促すように。

 

 その微笑みに操られるように、彼は女の身体にむしゃぶりついた。

 痛いほどにその胸を鷲掴み、固く尖った先端をなめ回して吸い上げると、女がその身を震わせた。

 地面に押し倒し、更に余すことなく彼女の身体をなめ回す。

 舐めても舐めても飢えは止まらない。

 自分でも驚くほどに大きく固くそそり立った分身を、女の暖かな空洞にいよいよ突き立てようとした時、白い手が男の頬にそっと触れた。

 促されるまま女の顔を見る。

 

 「唇を、吸ってはくれないの?」

 

 そんな風にねだられて、男は女の唇に吸いついた。

 うっすらと誘うように開いた唇の隙間から舌をねじ込んで、女の口腔を蹂躙する。

 絡み合う、女の舌に誘われて、ぐっと奥まで舌を差し込んだその瞬間、

 

 ーぶつり

 

 そんな、嫌な音がした。そして、激しい痛み。

 男は慌てて女の唇から己の唇を引き離す。彼女の口に差し込んだ舌を、そこに残したまま。

 口元を赤く染め、女が笑う。恐ろしいくらいに、美しい微笑み。

 彼女はそのまま、口の中のモノを咀嚼し、飲み込んだ。先ほどの口づけでかみ切った、男の舌を。

 

 男は腰が抜けたように座り込んでいた。鮮血があふれる口元を両手で押さえ、がたがたと震えている。

 そんな男を見つめ、ニィと女が笑う。心底、愉しくてしかたないというように。

 そして、愉悦に輝くその瞳が、男の股間を捕らえた。先程と違って、すっかり縮み上がってしまったソレを。

 

 「すっかり、大人しくなってしまったのね」

 

 私が、気持ちよくしてあげるーそう告げた女は、無造作にぱくりと、柔らかくなってしまったソレをくわえ込んだ。

 そしてそのまま、吸い上げ、舌で転がし、舐めあげる。

 普通であれば、反応などしなかっただろう。男の精神は世の女達が思うより繊細なものなのだ。

 しかしー。

 

 女の技巧はすさまじかった。

 気がつけば、男は痛みも忘れ、こみ上げてくる快感に身を震わせていた。

 知らず知らずのうちに腰が動き、女の口に精を放ったその時、女の瞳が妖しく光った。

 

 ーガチン

 

 女の歯が、音を立てた。そこに男自身を含んだままで。

 声に鳴らない絶叫。狂ってしまいそうな痛みに、男がのたうち回る。

 再び、女の喉が動いた。今度はかみ砕く事無く、ソレを胃におさめ、

 

 「これでもう、悪いことも出来ないわねぇ?」

 

 女は嘲笑った。

 だが、そんな声も、もう男の耳には届かない。涙と鼻水と唾液と血にまみれ、男はもうじき死ぬのだろう。

 暴れ回るだけの力ももう無く、ぴくぴく震えるだけの身体。半ば白目をむいた目は、女の姿をもう映さない。

 彼女は少しつまらなそうに鼻を鳴らし、

 

 「もう、壊れちゃったの?つまらないわね。でも、じゃあ、せめて私の空腹を満たしてもらおうかしら」

 

 そう言って、三日月の様な、狂った笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 空腹を満たし、残ったモノで村の通りを飾り付けた彼女は、用意して置いた布で返り血を拭ってから、脱いであった服を身につけた。

 そして振り返らず、その場を後にする。

 まっすぐ向かう先は、愛する息子の待つ家。

 家の扉をくぐり、眠る息子の顔を見つめる。

 愛しい愛しいその存在を愛でるように頬をなで、そしてー

 

 「キアル」

 

 その名を、呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 名前を呼ばれ、意識が浮上する。

 優しいその声は、キアルが大好きな人のもの。

 微笑み、目を開けようとした時、ふと漂う匂いに気がついた。

 

 鉄臭い、独特の匂い。

 血の香り。

 

 慌てて、目を開ける。

 母が血を吐いたのではないか、けがをしたのではないかと心配して。

 だが目を開けて、視界に飛び込んできた母は相変わらず綺麗で、血をはいた様子も、けがをした様子もなく、キアルはほっと息をついた。

 そしてそのまま、考えることをやめた。この匂いは何なのかと言うことを。

 それはきっと、考えてはいけない事。キアルにとっても母にとっても、考えない方が良いことなのだ。

 

 「母さん」

 

 微笑むと、母もまた笑ってくれた。その頬を、赤い何かが汚している。

 キアルは手を伸ばし、その頬を拭う。再び綺麗になった母の顔。彼女は優しい眼差しでキアルを見つめていた。

 

 「ちょっと、用事があって、出かけてくるわ」

 

 そんな母の言葉に、キアルは少し眉を寄せる。

 外はまだ暗い。夜も明けていないこんな時間に、母は一体どこへ行くと言うのか。

 そんなキアルの不安な気持ちが伝わったのだろう。

 彼女の手が伸び、息子の身体を優しく抱き寄せた。その胸の不安を拭うように。

 

 「大丈夫。すぐ、帰ってくるわ。帰ってくるまで、心配しないで、待っていて?」

 

 ひんやりとした母の胸に抱かれ、不安を押し殺して頷く。

 彼女を心配させないように。彼女の、自慢の息子であれるように。

 そんな息子の様子に安心したように、母の身体が離れていく。

 

 

 「じゃあ、行ってくるわね」

 

 「・・・・・・いって、らっしゃい。母さん」

 

 

 不安を隠して微笑む。

 愛おしそうにキアルを見つめ、思い切る様に背を向けた母の背が遠ざかる。

 行かないでーそう言いたい気持ちをぐっとこらえて、キアルはその背を見送った。拳を強く、握りしめて。

 

 ーパタン

 

 扉の閉まる音。

 静かになった部屋の中。母が出て行った途端、血の匂いが薄くなった様に感じたのは、きっと気のせい。

 

 キアルは目を閉じ、両手をきつく組み合わせて祈る。

 願うのは母の無事。再び、元気な母の顔を見ること。

 嫌な予感がしていた。とても、嫌な。

 だが、それを振り払うように一心に祈る。出来ることは、それしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 女は駆けた。

 黒い、獣の姿になって。

 かつて愛した男の全てを奪い尽くすために。

 

 男の家の場所はもう分かっている。

 当然だ。以前に一度、訪れているのだから。そして、信じていた男に虫けらのようにあしらわれた。

 

 愛した分だけ、男を憎んだ。だが、その男ももう居ない。

 思っていたよりもあっけなく壊れてしまった男の代わりに、まだ晴れぬ思いをその家族に支払ってもらうつもりだった。

 

 まだ、夜は明けない。

 夜が明ける前に全てを終わらせてしまうのだ。

 

 空が白み始める前にたどり着いた大きな街の中。それなりに大きな造りの屋敷の前で足を止める。

 ここがそうだと分かっていた。見るまでもなく。

 彼女の憎んだ男の残り香が残っていたから。

 

 獣特有のしなやかな動きで、誰にも気づかれることなく門の内側へ進入する。

 人の姿に戻り、玄関のドアをねじ切り、大きく開け放つ。

 

 男の家族はまだ眠っているようだ。使用人達が起きるにもまだ早い時間。

 彼女は男の残り香を追って寝室へ入り、まずは男の傲慢な妻を殺した。

 眠っているうちに殺したから、きっと痛みは無かっただろう。

 小腹が空いていたので、腕をもぎ取りかじりながら子供部屋へと向かう。

 

 子供達もよく眠っていた。

 キアルよりも後に生まれたから、弟や妹になるのだろうか?

 幼い命を散らすのは哀れだと思いはしたが、それでも生かしておくことは出来なかった。

 生かしておいたら、いつか愛しい息子の邪魔になるかも知れない、そう思ったから。

 なるべく苦しまないようにと一息に小さな心臓をえぐり取り、口の中に放り込んで咀嚼する。

 幼い子供の心臓は、柔らかく甘く、何とも言えずに上手かった。

 

 もう1人の子供も同じように処理してから、今度は男の店へと足を向けた。

 それは、男の住まいからしばらく歩いた街の中心部。

 男の残り香がまだ残る、中々に立派な店構えの建物に押し入った彼女は、人気のない店内を歩き回る。そして、息子の為に残してやりたいものを漁った。

 あまりかさばると隠しきれない。小さくて、高価で、換金しやすいものを中心に選んでいく。

 

 そうして最後に、彼女は店に火をつけた。魔のものと化した己が力を込めた消えない火を。

 炎はあっという間に、建物全体に広がった。

 その火事に気づいた近隣の住民が騒ぎ出した頃には、もう手を着けられない位に燃え広がり激しい炎を上げていたが、不思議とその建物以外を燃やす事無く、建物の崩壊と共に鎮火した。

 

 朝になって、いつも通り店にやってきた従業員達は、跡形もなくなった店の地所を前に立ち尽くす。

 その中には先代の頃から長く店に務めていた老人も居て、彼の指示で行商にでている男に伝令を走らせた。もちろん、この街に残った主の家族に対しても。

 主も、その家族も、もうこの世の者では無いことを知らないまま。

 

 こうして1人の女の復習が、遂げられたのだった。

 

 

 

 

 

 




第6章はこの話で終わりです。
読んで頂いてありがとうございました。

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