龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第6章~15~

 そこには狭いながらも布で仕切られた控え室があり、その中からセイラ達の声がもれ聞こえてきた。

 笑い声や話し声。

 楽しそうな雰囲気が布越しに伝わってきて思わず口元がほころぶ。

 

 「セイラ?入るよ」

 

 念のためそう声をかけて返事を待った。

 

 「雷砂?いいわよ、入っていらっしゃい」

 

 朗らかな声に迎えられ、雷砂はそっと入り口の布をめくり、中へ滑り込んだ。

 さほど広くない空間には、セイラとリインと他にも何人かの少女がいた。

 少女達は先ほど舞台で楽器を奏でていた子達だ。彼女達は自分の楽器の手入れをしていた所らしい。

 雷砂が微笑み会釈をすると、彼女達もまたはにかんだような表情で会釈を返してくれた。

 

 セイラとリインに目を戻す。

 彼女達は舞台用の濃い化粧を落とし、普段の化粧に戻している所のようだった。

 セイラはもうすぐ終わりそうだが、リインはこういう事は苦手なのだろう。

 まだもうしばらくかかりそうだった。

 後ろからその様子を眺めていると、鏡越しにセイラと目があった。

 

 「興味ある?お化粧してあげようか?」

 

 面白そうに、セイラが問いかけてくる。

 

 「顔がべたべたしそうだから、遠慮しとく」

 

 真顔でそう答えると、鏡の中のセイラの顔が楽しそうに笑った。

 

 「そう?そんなにべたべたしてないわよ。ほら」

 

 くるりとこちらを向いたセイラが、さわってみろとばかりに顔を寄せてくる。

 2人の距離が近かったせいか、後ろで女の子達の騒ぐ声が聞こえてきたが、気にせず彼女の頬に手を伸ばして触れてみた。

 

 確かに。

 思っていたよりサラサラしている。

 鼻を寄せてそっと匂いも嗅いでみた。香料の人工的な匂い。

 嫌いではないが、少々鼻につく感じ。

 

 

 「うーん」

 

 「どう?」

 

 「そんなべたべたしてなかったし、匂いもそれほど嫌いじゃないけど、セイラは何にもついてないときの方がいい匂いだよ」

 

 「何にもついてないとき?」

 

 「うん。お風呂の後とか、お化粧してない時」

 

 「そうねぇ。でも、お化粧しないで人前に出るのって、結構勇気がいるのよ?」

 

 「セイラは化粧しなくても綺麗だよ」

 

 

 さらっとそんな殺し文句。

 セイラは軽く目を見張り、それからとろけるように笑った。

 

 それを見て驚いたのは、同じ部屋にいた座員の少女達。

 みんな一様に目をまあるく開いて2人をぽかんと見つめている。

 彼女達にとってあこがれの存在であり尊敬してやまない舞姫が、まるで恋人に贈るようなとっておきの甘い笑顔を見せているのだから、まあ無理もない。

 しかも、相手はまだ子供と言ってもいいくらいの年齢なのだ。

 まあ、確かに思わず目を奪われるような美しい容姿をしてはいるが。

 

 彼女がそんな笑顔を浮かべる所を見たことがある者がいるとすれば妹であるリインくらいのものだが、彼女は目下、必死になってメイクと格闘している最中だ。

 助言を求めることは出来ない。

 彼女達は賢明にも、余計な口出しをせずに黙って2人を見守った。

 

 そんな彼女達の目の前で、セイラは己の膝に乗るように雷砂を促している。

 もちろん雷砂は断った。しかし、

 

 「他に座るところもないでしょ」

 

 と強引に押し切られ、座らなくても構わないと断ってはみたが聞いてもらえず。

 渋々彼女の膝に、彼女と向かい合うようにまたがって座った。

 

 仕方ない事だがやけに顔が近い。

 だが、セイラは何とも嬉しそうだ。

 特に不快でもないし、セイラが嬉しいならいいかと腹を決め、セイラのしたいようにされるがまま、体の力を抜いた。

 

 

 「雷砂のお母さんは、お化粧しないの?」

 

 「シンファか。シンファが化粧をしてるところなんて想像も出来ないや。基本的に、獣人は化粧をしないんだよ」

 

 「そうなの?」

 

 「ほら、嗅覚が鋭いでしょ?彼らにとって、化粧品についてる匂いはあまり好ましいものじゃないんだ。オレも、あんまり得意じゃない」

 

 「そうなのね。じゃあ、雷砂に嫌われない様に、早く帰ってお化粧落とさなきゃ」

 

 「オレに嫌われないように?」

 

 「ええ。雷砂に匂いが嫌だって嫌われちゃったら悲しいもの」

 

 

 そう言いながら、セイラは雷砂をぎゅーっと抱きしめ、頬をすり寄せてくる。

 ふんわりと香る甘い香り。

 人工的に作られた匂いの奥にはちゃんとセイラの匂いも感じられて、それは決して不快ではなかった。

 

 「化粧をしててもセイラの匂いは嫌じゃないし、そんなことくらいで嫌いになんかならないよ」

 

 だから安心して、とやっと腕を緩めてくれたセイラの瞳を見上げながら言うと、なぜだかまたぎゅーっと抱きしめられた。

 

 

 「ありがと。でも、やっぱり早くお化粧落としたいわ。ゆっくりお風呂にでも入って。雷砂、一緒に入って手伝ってね?」

 

 「ん?いいけど」

 

 

 お風呂は嫌いじゃない。

 まだ1度しか入ったことは無いけど、どちらかと言えば好きだと思う。

 だから、なにも考えずに頷いていた。

 その瞬間、セイラの瞳がキラリと光った事にはまるで気づかずに。

 

 

 「じゃあじゃあ、お風呂の後は、また一緒に寝ましょうね?」

 

 「えっと、床に寝るから大丈夫だよ?」

 

 

 一緒のベッドに毎回他人がいるとセイラも疲れるだろうと、そう提案してみる。

 だが、帰ってきたのは否定の言葉。

 

 「だめよ、床でなんて。私が雷砂と一緒に寝たいんだから、雷砂が床で寝るなら私も床で寝る!」

 

 そう、言い切られてしまった。

 セイラを床で寝させる事など出来ない相談だ。

 そうなると、答えは自ずと限られてきて。

 

 

 「……分かった。じゃあ、ベッドで」

 

 「ええ。一緒に寝ましょうね」

 

 

 満面の笑顔できっぱり答えるセイラ。

 後ろの方からキャーと悲鳴のような歓声のような声が聞こえてきた気がするが、振り返る間もなくまた抱きしめられて頭を撫でられた。

 

 後ろから聞こえる声が更に音量を増したが、セイラは気にしてないようだった。

 だから、雷砂もあえて気にしないことにして、セイラのしたいようにされるがまま、身を任せた。

 それが、何だかとても心地よかったから。

 

 そんな2人の自覚のないベタベタイチャイチャは、やっと身支度を終えたリインが「ずるい」といって割り込んで来るまで延々と続いたのだった。 

 

 

 

 「やめてください!!」

 

 そんな声が聞こえてきたのは、楽器の女の子達とも打ち解け、仲良く歓談していたときだった。

 素早く動いたのは雷砂。

 条件反射の様に立ち上がり、酒宴の盛り上がる会場の方へ向かう。

 セイラもそれを追って飛び出す。

 妹達に、ここにいるようにしっかりと釘をさしてから。

 

 騒ぎの元はすぐに分かった。

 酔った男が酌をしていた一座の娘を腕に抱え込んで、いやらしく顔を寄せている。

 

 (これだから酔っぱらいは)

 

 心の中で吐き捨て、大きく舌打ち。

 だが、周りの喧騒にかき消され、麗しい舞姫のそんな様子に気づいた者はいないようだった。耳のいい、雷砂の他には。

 

 座長であり、この場をおさめるべき男、イルサーダを探す。

 別の場所でもトラブルがあったのか、離れた場所で赤ら顔の男に捕まっている。

 こちらの騒動にも気づいたようだが、すぐには動けそうにない様子だった。

 

 「仕方ないわね」

 

 自分が動くしかない、と小さくため息。

 今日は男手が無く、下の子達に任せるわけにも行かない。

 一座の顔といっても過言ではない、舞姫である自分が動けば騒ぎが大きくなる可能性もあるが、かといって黙って見ていることもできない相談だった。

 

 足を踏み出してはじめて、雷砂がすでに傍らになく先行していることに気づく。

 いち早く拘束された少女に近づいた雷砂は、大きな男の腕の中から少女を助け出し、自分の後ろに庇って自分の倍ほどもある体格の男と相対している。

 振り上げられた男の大きな手が、容赦なく雷砂の頬を打つ。

 だが、雷砂は微動だにせず、静かなまなざしで男を見上げていた。

 

 「うちの子が、何かいたしましたか?」

 

 やんわりと雷砂と男の間に割り込みながら、横目で打たれた頬の様子を見る。

 酔いに任せ、力の加減も考えずに殴りつけたのだろう。

 まだ腫れてはいないが、赤くなった頬が痛々しく、唇の端が切れて血がにじんでいた。

 

 一瞬で燃え上がった怒りを何とか押さえつけ、セイラは申し訳なさそうな表情を張り付けた顔を男に向ける。

 男は、目の前に現れた女の艶やかさに毒気を抜かれたように惚けていた。

 それなりに整った身なりから、今回の宴の主賓である商人の一人であろうと辺りをつけ、

 

 「商人様、何か粗相があったのでしたら、うちの子にかわって私が謝罪いたします。どうかご容赦いただけないでしょうか?」

 

 触りたくもないその手を取り、心にもない謝意を述べる。

 

 

 「う、うむ。まあ、許してやらんでもないが。お前は今宵の舞姫の・・・・・・」

 

 「セイラでございます、商人様」

 

 「セイラか。先ほどはあの娘に酌を頼んだが、無礼な行いをされてな。代わりにお前が酌をするというのなら、まあ、勘弁してやらんでもない」

 

 

 お前呼ばわりされ、酌を強要され、正直はらわたが煮え返るくらいの気持ちだったが、ここで拒否すれば事を荒立てることになる。

 しばらく酌をしながらつき合うしかないだろう。

 座長の手が空き、何らかの手を打ってくれるまでは。

 

 仕方ないわねー男に気づかれないように吐息を漏らし、大人しく従おうとしたとき、小さな影が2人の間に割り込んできた。

 小さな手が、男の手首をつかんでセイラの手からひきはがす。

 

 

 「申し訳ありませんが、舞姫に酌をさせるような事は控えるように、座長から命じられております」

 

 「ぐっ・・・・・・小僧」

 

 「酌なら私が致しましょう。それでご容赦頂けませぬか」

 

 「舞姫とお前では比べものにならんわ。第一、男の酌など、酒がまずくなる。どけっ」

 

 

 捕まえられた手とは反対の手を振り回すが、その手も雷砂の小さな掌に捕らえられてしまい、男は酔いに染まった顔を、今度は怒りで真っ赤に染めた。

 

 「どきませぬ。いや、どけませぬ。舞姫に酌をさせようものなら、今度は私が座長に折檻をされてしまいます。考えるだけで恐ろしくて」

 

 あー怖い怖い、と言いながら、雷砂の目は爛々と光って鋭い眼差しを男に向けている。

 男は何とか腕を自由にしようと試みるのだが、小さな手からは想像できない程の握力に捕らえられ、思うようにならない。

 

 「それに、こう見えて一応性別は女でございます。私の酌も、悪くはないと思いますよ」

 

 そう言いながら全く笑っていない目で、顔だけはにこにこと笑顔を作る。

 

 「もうよい!さっさと失せろ」

 

 たまらなくなった男がそう叫んだ瞬間、雷砂はぱっと両手を離した。そして深々と丁寧に一礼。

 

 「ありがたきお言葉。それでは失礼いたします」

 

 にっこり笑い、後ろに庇ったセイラともう一人の少女を促してその場を離れた。

 去り際に警告するような鋭い一瞥を男に投げかけて。

 そして、セイラと少女を先に裏へ行かせた雷砂は、酔っぱらいにしっかり目を配れとの苦情を申し立てるため、足早に村長の元へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 「くそ、あの小僧、なんて力だ」

 

 悪態をつきながら、さっきまで小さな手に捕まれていた部分をさする。

 そこには可愛らしい指の後がしっかりついていて、更に男の気持ちを苛立たせた。

 

 その苛立ちのまま、近くにあった酒瓶を乱暴につかみ、一息にあおる。

 のどを焼く酒は何とも心地よかったが、苛立ちを癒してはくれなかった。

 むしろ苛立ちは増し、男は酔って濁った目を細め、周囲を見回した。

 せめて、他の女を呼んで酌をさせようと思ったのだが、もうじき酒宴も終わるせいか、姿が見あたらない。

 

 大きく舌打ちをし、もう一度酒をあおる。

 先ほどの騒ぎを見ていたのだろう。

 近くで共に飲んでいた他の商人達も、トラブルを避けるように男と距離をおいているようだった。

 

 面白くないー三度、酒をのどの奥に流し込む。

 

 男はそれなりに大きな商家の主だった。

 家では家族も雇い人も、男の言葉に逆らうことはない。

 かしずかれる事に慣れ、邪険にされる事になれていない彼は、逆恨みのように先ほど楯突いてきた子供の顔を思い出す。

 

 粗末な身なりではあるが、見た目は美しい子供だった。

 だが、性根がなっていない。大人のいう事を聞こうともしない、生意気な子供だ。

 

 まったく、最近のガキはーそんなことを思いながら、今回連れてこなかった息子の事を思った。

 今年で6つになる長男は、だめだと言えば素直に従う良い子だった。

 頭も良く、自慢の息子と言っても良い。

 

 そこまで考えて、ふと、この村に行るはずのもう一人の息子のことを考えた。

 以前、まだ若く、父の後を継ぐ少し前の事。

 商人の修行として行商をして回っていた彼は、この村で一人の少女に手を着けた。

 田舎の娘としては中々にあか抜け、美しい娘だった。

 だが、都会の娘とは違い純真ですれていない所を気に入り、口説き落としたのだった。

 

 父から呼び戻され、実家に戻らねばならなくなった時、恋人としてのリップサービスとして、必ず迎えに来ると約束したら涙を流して喜んでいた。

 もちろん、そんなつもりは毛頭無かったが。

 実家に戻れば、親が認める血統も良く美しい許嫁がいたし、村娘との関係は遊びでしかなかった。

 

 だが、村を離れ、父の後を継いでから数年、突然彼女が訪ねてきた。

 すっかりやつれ細り、みすぼらしい格好で。

 女は言った。

 息子がいる。あなたの息子だ、と。

 

 その頃は、長男に恵まれ、もう一人の子供が妻の腹に宿っていた頃だった。

 女の息子は彼の長男の2つ年上。

 時期的にも、彼の息子と言って間違いないだろうとは思った。

 

 だが、思っただけだ。

 認知など、するつもりは無かった。

 だから手切れ金をめぐんでやり、それ以降、今日この日までほとんど思い出すことは無かった。

 

 思い出したのは、さっきの小生意気な子供が、ちょうどその子と同じくらいの年ではないかと思ったからだろう。

 長男の年が6歳だから、その2つ上となると今年で8歳になるはず。

 

 まさか、さっきの子供がーそう思い、だがすぐに思い直して首を振る。

 あの子供は自分にもあの女にも似ていない。

 もし、あの女にさっきの子供ほどの美貌があれば、きっとどんな手を使ったとしても愛人として囲っていただろう。

 だが、残念ながら、彼女はあれほどに美しくなかった。

 もちろん、それなりに愛らしい娘ではあったが。

 

 美貌と言えばー男は先ほど間近で見た、芸人一座の舞姫の美貌を思い出す。

 若くはつらつとし、舞姫と呼ばれるだけの美貌を十二分に備えていた。

 何とかして、お近づきになれんものかなー口元に好色な笑みを浮かべて算段していると、近づいてくる人の気配がした。

 

 濁った瞳をそちらに向けると、人の良さそうな笑みを浮かべた優男がすぐ目の前にいた。

 彼は深々と腰を折り、

 

 「先ほどは、一座の者が場を騒がせた様で、ご迷惑をおかけしました」

 

 そんな謝罪の言葉を述べた。

 青年と言っても過言ではないくらいに若々しいその顔を見上げながら、確か彼が芸人一座の座長であったと思い出す。

 男は目の前の優しげな顔を見ながら、いいカモが現れたとばかりの嫌らしい笑みを隠すことなくその面に浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

 

 




読んで頂いてありがとうございました。

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