龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第5章~9~

 「ロウ、周囲を警戒していてくれ。大丈夫だとは思うけど、今日はもうこれ以上、こいつらに怖い思いをさせたくないんだ」

 

 雷砂のその言葉に答えるように、大きな体躯を翻し、銀の狼が草の間に消えていった。

 その姿を見送ってから、地面に横たえた幼馴染二人に目を移す。

 二人はまだ眼を覚まさない。

 眠る二人の表情は穏やかで、雷砂は微笑み、その傍らに腰を下ろした。

 周囲に不穏な気配は無く、小さな泉は清浄な水をたたえている。

 

 ここは雷砂の住居から程近くにある、秘密の場所だった。

 あまり大きな水場でないせいか、危険な獣が来ることはほとんど無く、知っているのは雷砂とロウ、そしてシンファだけ。

 他の誰も、ここへは連れて来た事がなかった。

 

 「連れて来てやりたかったけど、草原は危険だからな……」

 

 優しく瞳を細めて、ミルファーシカの柔らかな髪を指先ですく。

 この泉は穏やかで美しい。

 時には可愛らしい小動物が姿を見せることもある。

 ここへ連れて来てやっていたら、きっと彼女はとても喜んだに違いない。

 

 だが、この年下の少女と会う時は、いつも自分の方が会いに行っていた。

 草原は危険だから、決して彼女の事を自分の住居に招くこともしなかった。

 しかし、村の者の中にも腕に覚えのある者は居て。彼らはたまに、他の村人に頼まれて雷砂の住居を訪れる事もあった。

 その内の誰かから、彼女は雷砂の住処の場所を聞いたのだろう。

 話した方も、まさか少女が一人で草原に入るとは思っていなかったに違いない。

 実際にはお供が一人居たわけだが、それでも無理な話だ。そのお供が武術や剣術のとりえの無いただの子供であれば尚更の事。

 

 「おてんばだとは思っていたが、まさかここまでとはな。ったく、あんまり心配させてくれるなよ」

 

 答えが無いことは承知しつつも、呟くような声で話しかけながら苦く笑う。

 そして、今度はもう一人の少年の顔を覗き込んだ。

 彼は、少し寝苦しそうに眉をひそめていた。悪い夢を見ているのかも知れない。

 小さな手が胸元をぎゅっと握り締めていた。

 

 「キアル?」

 

 名前を呼び、起こしてやろうと手を伸ばし、身を寄せた瞬間、不快な匂いが鼻をついた。

 それは生き物が腐っていく時の匂い。ほんのかすかな匂いだが、雷砂の鼻にははっきりと感じられた。

 

 怪我をしているのかと、目線で少年の身体を精査する。

 傷口が化膿してその匂いを発しているのかと思ったからだ。

 見た感じ、特に怪我をしている箇所は見つからない。

 手を伸ばし、少年の細い身体を探るが、それでも怪我をしている部位は無いように思えた。

 そうこうしているうちに、小さく身じろぎをし、少年がうっすらと目を開いた。

 目線がしばらく宙をさまよい、それから雷砂の上に止まる。

 

 

 「ライ……」

 

 「ん?」

 

 「来てくれたんだね」

 

 「ああ。遅くなって悪かったな。よく、頑張った」

 

 

 微笑みかけると、彼もほっとしたように控えめな微笑を見せた。

 

 

 「怪我は、無いか?」

 

 「うん。大丈夫」

 

 

 その答えを聞いて、雷砂はしばし考え込む。

 怪我が無いならあの匂いは何なのか。何かの移り香なのか。だとすればいったい何から匂いが移ったのだろう。

 

 「怒ってる、よね?ごめん、危ない事をして」

 

 考え込み、難しい顔で黙ったままの雷砂に不安を感じたのだろう。少年がおずおずとそんな言葉を口にする。

 眉を八の字にして、申し訳なさそうに見上げてくる幼さの残るその顔を見て、思わず安心させるように微笑んでいた。

 本当は怒らなければいけないのだろう。

 だが、心の底から反省している相手に向かって、むやみやたらと怒る気にはなれなかった。

 手を伸ばし、少年の短い髪をかきまぜる。

 

 「悪い事したって、わかってるならいい。もう、しないだろ?」

 

 少年の顔を覗き込み、再び微笑んだ。

 間近で見た綺麗な笑顔に思わず頬を染めながら、少年は雷砂の目を見返し、しっかりと頷いた。

 

 

 「うん。しない」

 

 「よし、いい子だ」

 

 「そうだ、ミルは?ミルも大丈夫?」

 

 「ん。ミルも無事だよ。お前がちゃんと守ってくれたおかげだ。な、一体何があった?オレが来るまでの間に」

 

 「うん。それが……」

 

 

 その時の事を思い出したのか、少年は僅かに表情を曇らせ、それからゆっくりと言葉を紡ぎだした。

 

 

 

 

 

 

 「黒い、獣」

 

 「うん。あっという間だったよ。ほんとに、あっという間だった」

 

 

 あの時の光景が目に浮かぶようで、キアルは青い顔を更に青くした。

 そんな彼を気遣うように見ながらも、雷砂は更に問いを重ねる。

 

 

 「そうか。その獣の瞳の色はもしかして……」

 

 「うん。紅かった。まるで血の色みたいに」

 

 

 予想された答えだった。

 ただの獣にあれ程の惨状を引き起こせるわけが無いとは思っていた。

 十数頭であれば可能かもしれない。

 だが、あの場にあった獣の残骸は少なく見積もっても数十頭分はあった。

 下手をすれば百頭に届く規模の群れであったとしてもおかしくはなかった。

 それほどの数の獣を完膚なきまでに殺し尽くす……そんなことの出来る存在といえば……

 

 「魔鬼、だな」

 

 それしか考えられなかった。

 草原の覇者とも言えるヴィエナスタイガーやグラスウルフ等の大型肉食獣であっても、1対多数で戦って勝利を収めることは難しい。

 相手の数が多ければその勝率は極端に下がっていく。そんなことが出来るほどにでたらめな存在などそうそう居るものではない。

 

 「たぶん、そうだと思う」

 

 雷砂の言葉に同意するように、キアルも青ざめた顔をうなずかせた。

 

 「そうか……。最近この辺りを騒がせてるのと同じ奴なのかもな。……それにしても」

 

 微笑み、年下の少年の、まだあどけない頬に手を伸ばす。

 

 

 「本当に無事で良かった。やつはお前達を襲おうとはしなかったのか?」

 

 「うん。むしろ、助けに来てくれたような感じだった」

 

 「助けに……?」

 

 

 思わず首をかしげた。魔鬼という存在にとって、人間は捕食対象でしかないはず。

 少なくとも、今まで雷砂が関わった件や数少ない文献で調べた件ではそうだった。

 人に味方する魔鬼など聞いたことが無い。

 だが、何事にも例外はある。今回がその例外だったのかもしれない……雷砂は半ば無理やり自分を納得させた。

 とにかく、二人はその魔鬼の例外的な気まぐれのおかげで助かったのだ。

 そうでなければ、二人もあの場所で幼い命を散らしていたに違いない。そう考えてぞっとし、それから二人の無事を思い心底ほっとした。

 ふと見ると、キアルの瞼が今にも落ちてしまいそうだった。無理も無い。疲れているのだ。

 

 「眠っていいぞ?村まで、オレとロウできちんと連れて帰るから」

 

 そう言って笑いかけると、キアルも安心した顔で笑った。

 それから目を閉じると、あっという間に寝息を立て始めた。

 

 しばし静寂が落ちる。

 聞こえるのは風が奏でる草のささやきと、子供達の小さな寝息だけ。

 色々と気にかかる事はある。だが今は。

 二人のあどけない寝顔を見つめながら、雷砂は微笑を深める。

 危険な状況の中、二人は無事だった。怪我一つ無く。今はただ、その幸運だけを思いながら。

 

 

 

 

 


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