龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第5章~7~

 「結構お転婆なんだね」

 

 並んで一緒に歩きながら、雷砂はそう言って少し高い場所にある綺麗な顔を見上げた。彼女は可笑しそうに笑い、

 

 「そう?それほどでもないんじゃない?自分で言うのもなんだけど、結構おしとやかなほうだと思うわよ、私。ま、妹には負けるけどね」

 

 そう返しながら雷砂の顔を見返した。

 おしとやかな女の人は、2階の窓から木を伝って出入りしないと思うけどなぁと、内心首を傾げたものの、あえて別の質問を彼女にぶつける。

 

 

 「妹、いるの?」

 

 「ああ、あなたは会ってないのよね。あの日は慌しく別れちゃったし。私よりちょっと大人しいけど、可愛いいい子よ。私達、双子なの」

 

 「双子かぁ。じゃあ、セイラに似てる?」

 

 「似てるけど、見間違えはしないと思う。顔立ちはそっくりってよく言われるけど、髪と目の色が違うのよ」

 

 「へぇ」

 

 「妹はシルバーブロンドで瞳は蒼なの。髪の長さも私よりちょっと短いわね」

 

 「きっと綺麗なんだろうな。オレはセイラの色も好きだけど」

 

 「私も実は気に入ってるの。髪の色は、あなたとお揃いね、雷砂」

 

 「そうかな?オレのはセイラほど綺麗じゃないとおもうけど……」

 

 

 短い髪をつまみながらそう言うと、声を上げて笑ったセイラが言葉を返す。

 

 「まぁね。そりゃあ手入れが違うもの。私がこの髪にどれだけ時間をかけてると思う?」

 

 問いかけられても、想像もつかない。

 雷砂が肩をすくめ、正直にそう答えると、セイラは再び声を上げて笑った。

 

 

 「ま、興味が無きゃ、そうよね。ね、今度一緒にお風呂入って、雷砂の髪を洗ってあげるわ」

 

 「お風呂?」

 

 「そ、お風呂。入った事無い?大きな入れ物にお湯をためて浸かるのよ。気持ちいいわよ」

 

 「ふうん。セイラはいつもそうやって髪や身体を洗ったりしてるの?」

 

 「そうよ……って言いたいところだけど、旅の途中は難しいかな。お風呂の為の水の確保も難しいし、お湯を沸かすのも大変だし。でも、こうやって一箇所にとどまって興行する時は余程のことが無い限りお風呂は欠かさないようにしてるわ。なんていったって、私達の商売は身体が資本だもの。しっかり磨き上げておかないとね」

 

 「そっか。すごいんだな」

 

 「すごい事なんてないわよ。当然の事だし、どちらかといえば役得ね。気持ちいいのよ?雷砂も今晩、一緒に入りましょ」

 

 

 そう言って、自分の小指を雷砂の小指にそっと絡めた。

 

 「はい、約束ね」

 

 にっこり笑ったセイラの顔を見上げ、それから不思議そうに絡み合った小指に目を落とす雷砂に、

 

 「これは約束の印なのよ。昔、まだほんの子供の頃、父様が教えてくれたの」

 

 そう説明してくれた。

 

 「ふうん、約束の印か」

 

 納得したように頷く雷砂の手をそのまま握り、やっと見えてきた村の広場を指差す。

 そこには大きな舞台が出来上がっていて、その上で何人かの人が作業をしているのが見えた。

 その中に、片腕を吊った男の姿を認めて、セイラが大きな声で呼びかける。

 その声に答えるようにこちらを見た男の顔を、雷砂は知っていた。

 この間の騒動で、セイラといた男だ。名前は確か……

 

 

 「よう、チビ助。確か……雷砂、だったか?怖いねーちゃんに捕まっちまったみてーだな」

 

 「怖いねーちゃんって何よ。失礼ね」

 

 

 ニヤリと笑った男にセイラが食って掛かる。

 それをいなす男は何だか嬉しそうだ。きっとセイラが好きなんだな……そんな事を考えている内に、男の名前がするりと口をついて出た。

 

 「ジェド」

 

 名を呼ぶと、男が嬉しそうに笑った。

 

 「おっ。ちゃんと俺の名前を覚えてたのか。えらいぞ、チビ助」

 

 そう言いながら雷砂の頭を怪我をしていない方の手で撫で回す。

 雷砂はくすぐったそうに首をすくめ、

 

 「チビ助じゃない。雷砂だよ。みんなにはライって呼ばれることも多いけど」

 

 ニッと笑って彼を見上げた。

 チビ助と、そう呼ばれるのも別に嫌では無かったが、やはり名前を呼んでもらったほうが嬉しい。

 ジェドは、雷砂のやんちゃな笑顔に目を細め、それから再び、見た目よりもはるかに柔らかな金髪をかき混ぜた。

 

 

 「じゃあ、俺もライって呼ぶかな。いや、やっぱり雷砂って呼ぶか。面白い名前だしな」

 

 「お好きなように。ねぇ、手の怪我、大丈夫?」

 

 「ああ、こいつか。ちょっと大げさに包帯巻いてるだけさ。この位ですんだのもお前が助けてくれたおかげだ。ありがとな。ま、興行開始までには何とかなるさ」

 

 「それなら良かった」

 

 

 にっこり笑った瞬間、すごい勢いで後ろから抱きしめられ、雷砂は目を白黒させた。

 後頭部にふんわり柔らかな何かが押し付けられ、甘いいい匂いに包まれている。

 拘束する腕は細くたおやかかで、逃れようとすればすぐに逃れられただろうが、なぜかそうする気が起きなかった。

 

 「独り占め禁止」

 

 ジト目でそう告げられ、ジェドは呆れ顔だ。だが、ほんの少しうらやましそうに雷砂を見ている。

 雷砂の頭を大きな胸に挟み込んだまま、目の前の男をもう一睨み。それから、誰かを探すように周囲を見回して、

 

 「あれ?リイン、こっちじゃ無かった?」

 

 そう訊ねると、ジェドは舞台の更に向こうにある大きな天幕の方を顎で示しながら、

 

 「うんにゃ。来てるぜ。今は座長とあそこでこの村の村長の相手をしてる。何でも人探しって事だぜ?家にいた筈のご令嬢がいなくなっちまったんだと」

 

 少し深刻そうな顔をしてそう言った。それを聞いたセイラは少しだけ眉をしかめる。

 

 「いなくなったってどういう事?誘拐を疑ってるわけ?」

 

 誘拐の犯人を一座の中に探しに来たのかとほのめかすその言葉を、大きく首を横に振って否定し、ジェドは再び天幕のほうへと顔を向けた。

 

 

 「行った場所は検討が着くらしいんだ。草原の友達の所に行ったんじゃないかってさ」

 

 「なんだ。なら、さっさと連れ戻しに行けばいいじゃない」

 

 「それがそう簡単にいかないらしい。村長はここに腕の立つ男手を借りに来たんだ。何でも、その友達の家は草原のこっち側じゃなくて、中にあるらしいんだ」

 

 「え?じゃあ、村長の娘さんは草原の中に入って行っちゃったって事!?一人で」

 

 「おそらくな」

 

 「なんて危ない事してんのよ。じゃあ、座長とリインは貸し出せる男手について村長と話し合ってんのね?あたしもちょっと行ってくるわ」

 

 「そうだな。それがいい」

 

 「……オレが行く」

 

 

 不意に雷砂が口を開いた。その声のあまりに硬質な響きに驚いて、セイラは腕の中の存在を見下ろした。

 雷砂は顔を上向かせ、強い輝きを宿す色違いの瞳で己を抱きしめたままの女性を見上げた。

 彼女のあまりに驚いた様子が何とも可愛らしく思えて、厳しく引き締めた表情をほんの少し緩めて笑みを浮かべる。

 彼女が怖がらないように。彼女を安心させるように。

 

 

 「ミルは多分オレに会いに行ったんだ。だから、オレが行って連れて来る」

 

 「ミルって、村長の娘さん?」

 

 「そう」

 

 「雷砂の、友達なの?」

 

 「うん。友達なんだ」

 

 

 雷砂の瞳に揺るぎは無い。

 セイラははーっと息を吐き出した。

 頑固な瞳だ。確固たる意思がある。どう言っても、雷砂は前言を翻さないだろう。

 

 仕方が無いなぁとセイラは苦く笑い、腕をとく。

 雷砂がとてつもなく強いのだと分かっていなければ、決してそうはしなかっただろう。

 強いと分かっていてさえ、本当なら行かせたくないと思ってしまう。

 本来なら、こういう危険な事は大人がすべき事なのだ。こんな小さな子供に押し付けていいことではない。

 

 

 「あんまり分かりたくないけど、雷砂の気持ちは分かったわ。本当は行かせたくないけど、仕方ないわよね。気をつけて、行ってきて」

 

 「うん。村長には、雷砂が向かったって伝えて。それでわかると思うから」

 

 

 そんな伝言で全てが伝わり、周りの大人を安心させられるくらいこの子供は大人に頼られ、信頼されているのだ。

 そして雷砂もそれを当たり前のように受け入れている。

 まだ幼く、大人に頼り、守られていて当然の年頃だというのに。

 そんな雷砂の在り様があまりに切なく、思わずその細い身体を腕の中に抱きしめた。

 

 「セイラ?」

 

 腕の中から不思議そうな、問いかけるような雷砂の声。

 泣きたくなる様な切なさを押し殺してセイラは微笑み、幼いその顔を真っ直ぐ見つめた。

 

 「怪我しちゃだめよ?無理だと思ったらちゃんと逃げて。あなたがどんなに強くても、手に負えないことだってきっとあるんだから」

 

 その声の中の真剣な響きに、雷砂もまた真剣な眼差しで応えた。

 

 

 「うん、わかった」

 

 「約束よ?」

 

 「約束、するよ」

 

 「じゃあ、行ってらっしゃい。あまり、遅くならないで、ちゃんと私のところに帰ってくる事。いいわね」

 

 

 厳密に言えば、雷砂が帰るべき場所はセイラのところには無い。

 雷砂には自分の住処もあるし、親と言うべき存在もあるのだ。

 だが、セイラのその言葉の響きはあまりに暖かく、雷砂は自然と頷いていた。

 自分でも気がつかないうちに、まるでただの子供のような無邪気で開けっぴろげな笑顔を浮かべて。

 

 

 「必ず、そうする。じゃあ、行ってきます。セイラ」

 

 「ええ。行ってらっしゃい」

 

 

 最後にもう一度、目に焼き付けるようにセイラの顔を真っ直ぐに見上げて、雷砂は駆け出した。

 信じられないくらいの速さで遠ざかる小さな背中をセイラは瞬きもせず、見送った。

 その背中が、小さな点となり、景色の中に解けて消えてしまうまで。

 

 

 


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