龍は暁に啼く   作:高嶺 蒼

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第5章~2~

 温厚で清廉潔白。正義感にあふれる伊達男。村の外から来た人に聞かれると住民の誰もがそう評価する。

 そんな村長の唯一の弱点は一人娘のミルファーシカだということも、村民の誰もが知る事実であった。

 

 その日も朝から村長は頭をかかえていた。

 祭りを迎える時期のトラブルの多さはいつもの事だが、今年は例年に増してひどかった。

 

 まずは招いた旅芸人の一座に起こった不幸。

 その件に関しては、元凶となった魔鬼の消失で一応の決着はついている。

 きちんと報告を受け、一座へも見舞金と称した賠償金も支払ってあるし、新たな被害や不満が出ることは恐らくないであろう。

 

 だが、現在は新たに問題が持ち上がっている。

 祭りのこの時期、外部から沢山の人間がこの村を訪れるのだが、そういった来訪者の行方が分からなくなる事件が何件か続いている。

 身代金の要求は特にない。

 ただ、その姿がいつの間にか消えて無くなっているのだ。

 無理矢理さらわれた形跡もないので自ら望んで姿を消しているのでは、という意見も上がってきているが、そう考えるには件数が多すぎる。

 被害者は、妻子もある比較的裕福な商人ばかり。

 生きているのか、死んでいるのかも分からないが、今のところ遺体の発見には至っていない。

 

 一座を襲った獣型の魔鬼が実は生き延びていて、人々を襲っているのでは?との意見も上がったが、その件に関しては自ら証人と話し、可能性は無いと判断していた。

 引き続き、警戒と調査は行っているが、村の自警団からの報告はかんばしくない。

 村人の犠牲がまだ無い事だけが不幸中の幸いといったところだろうか。

 何しろ村人の顔は全部知っているくらいの小さな村だ。村人全員が家族といっても過言ではない。

 身内の身に何かが起きたら、それこそ祭りどころの話しではなくなってしまうだろう。

 外から来た人の悪口を言うわけではないが、いなくなったその原因は、彼ら自身が外から持ち込んだ可能性も皆無では無いのだから。

 

 今のところ、大きな問題はその二つ。

 それ以外にも細々とした問題が日々持ち上がっているが、今、村長の頭を悩ませているのはそのどれでもない。

 

 彼は困っていた。

 今は朝食時。一日の仕事の前に愛しい娘ととる朝食は、いつだって彼の心を癒してくれる憩いの時。

 そのはずなのに。

 

 今、彼は針のむしろに座っている気分だった。

 目の前で一緒に食事をとっている娘が目を合わせてくれない。

 たまに目があっても、まるで親の敵の様に憎々しげに睨まれてしまう。こちらは紛れもなく彼女の父親であるというのに、だ。

 

 事の発端は些細なこと。

 はっきり言って彼は悪くない……はずだ。

 彼は村長としてやるべき仕事をし、父親としての権利を行使しただけ。それなのに、それが娘の逆鱗に触れた。

 

 父親にとって、娘に嫌われることほど怖いことはない。

 彼は娘に気づかれないようにそっと吐息を漏らし、娘の怒りの原因を作ったとも言える一人の少女の顔を思い浮かべた。

 

 まるで少年の様に精悍な、だが誰もが振り向いて見ずにはいられない美しさをもつ少女。

 彼女は一人草原に居をかまえ、獣人族と縁を結び、巨大な狼を共に暮らしている。

 彼女は不思議な子供だった。

 まだ幼いのに、なぜか彼女の言葉はいつだって信じられる気がする。

 そんじょそこらの大人よりよほど信頼がおけると、この村の誰もが知っている。

 彼女はいつだって賢く、清廉で、正しい判断力を持っていた。

 

 今回の旅芸人の一件も、彼女が関わっていなければもっと悲惨な事になっていただろう。

 あの一座は幸運だった。

 彼女が通りかからなければ、人死には一人では済まなかったはずだ。

 

 彼女ー雷砂が保証しなければ、失踪事件の犯人から、一座を襲った魔鬼が除外されることも無かっただろう。

 あの魔鬼は、自らの手で確実に葬ったと雷砂が証言したからこそ、自警団の団長も、そして村長である自分も納得したのだから。

 

 そこまで考えて、彼はちらりと娘を盗み見る。

 怒った顔も最高に可愛いと、親ばか丸出しに考えながら、再度自分に問う。

 果たして自分は間違ったことをしただろうか、と。答えはもちろん否だ。

 

 旅芸人の一座の事件があった翌日、彼は草原に使いをやって雷砂を呼び出していた。

 村長として、事件の経緯を知ると共に、村を襲う可能性のある脅威が確実に取り除かれた事を確認する必要があったからだ。

 同席したのは自警団長と、今回の祭りの関係者数人。娘はもちろん呼ばなかった。

 

 彼女が草原の少女を(友人として)こよなく愛しているのは知っていたが、その日は休息日ではなく、普通の日だった。

 彼女は村の学問所へ行っていたし、わざわざ呼び戻してまで雷砂に会わせる必要性は感じなかった。

 彼女の勉強を邪魔したくなかったし、何より血生臭い事件に近づけたくなかったから。

 

 もちろん、前日に彼女が雷砂を探し回って村をかけずり回っていたことなど知る由もない。

 その日、彼は学問所から戻った娘に、なぜ雷砂の来訪を知らせなかったのかとこっぴどく叱られた。

 

 その時のことを思いだし、彼は広い胸板の奥の繊細な心を大いに痛めた。

 娘はまだこちらを見てくれない。

 

 再び考える。

 では、果たして今朝、つい先ほど下した決断は間違いだったのか、と。否。これも間違いでは無かった。

 娘を愛する父親として当然の決断をしたまで。

 

 しかし。

 

 娘に無視されるのは何とも辛い。

 例え自分が間違っていなかったと胸を張って言えようとも、彼女の足下に身を投げ出して自分がすべて悪かったと謝ってしまいそうになる。

 彼は吐息をついた。そして、今朝の出来事をひっそりと思い浮かべ、しくしくと痛み出した繊細な胃にそっと手を当てた。

 

 

 


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